Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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第七特異点 絶対魔獣戦線バビロニア
絶対魔獣戦線バビロニア 第1節


暦は年の瀬に迫りつつあった。

カルデアに残された時間は後、一ヵ月もない。

泣いても笑ってもこの一ヵ月で人類の未来が決まってしまう。

成す術もなく魔術王に焼き尽くされるのか、その喉元に僅かでも食らいつくことができるのか。

その行く末を予見することは、未熟な自分では到底、叶わないことだなとカドックは述懐する。

 

「確かに、七つの特異点を修正できたとして、魔術王のもとへ辿り着ける保証はない。けれど、君も藤丸くんも諦めるつもりはないんだろう」

 

こちらの瞳孔のチェックをしながら、ロマニは淡々と言葉を紡ぐ。

呆れや諦めの感情もあったが、それ以上に強い信頼を声音から感じ取ることができた。

例え全てが無駄に終わるとしても、この世界に生きる人間のために奮闘した者達がいる。

その最前線に立つ2人が君達で良かったと、ロマニは胸の内を吐露するのだ。

 

「キミ達に押し付ける形になってしまったことは申し訳ないと思っている。できることなら、魔術王に関してはボク達だけで挑まなければいけないはずだった。その責任がボクにはあったはずだ」

 

「カルデアの指揮官としてか? それは成り行きだろう? あの時、生き残ったのがドクターだけだったんだ。押し付けられたのはドクターも同じだ」

 

「…………そう、だね。いや、我ながらちょっと責任、感じすぎちゃったかな? あはは…………よし、終わったよ」

 

照れるように髪を掻きながら、ロマニは診察の終わりを告げる。

 

「ここの設備じゃやっぱり、治療は不可能だ。ダ・ヴィンチの礼装だって完全とはいえない。それでも、キミはグランドオーダーを降りるつもりはないんだね?」

 

第六特異点で行った無茶の影響で、カドックの目には大きな障害が残ってしまった。

視力をほぼ失ってしまい、光の明暗や物の影程度しか見えなくなってしまったのだ。

行為の代償と考えれば、寧ろ脳にダメージがいかなかっただけでも幸運と言える。

視力に関してはダ・ヴィンチ作の礼装「叡智の結晶(偽)」のおかげでとりあえず補えているが、それでも今までは支障なく見えていた遠くの光景がぼやけてしまい、視野も霞がかっており狭まっている。

加えて第四特異点での後遺症もある。リハビリのおかげで大分、持ち直したとはいえ、骨格の歪みや左手の麻痺はどうしようもない。

そんな状態で戦いを続けることは今まで以上に危険が伴うだろう。

それでも、カドックは最後までグランドオーダーに臨むつもりだった。

自分の中に生まれたある一つの願い。

それを達するためには何が何でも魔術王を打破し、未来を取り返さなければならない。

何より自分には責任がある。多くの英霊達と出会い、未来を託されたという責任が。

それを今更、放棄することなどできるはずがなかった。

 

「ドクター、人生に意味なんてものはない。僕達魔術師は殊更、それを強く教えられながら育ってきた」

 

魔術師の人生とは徒労を積み重ねることだ。

決して個人では至れない根源に向けて歩み続け、研究を重ね、その成果を次世代に託す。

不可能な事に対して永遠に挑み続けるドン・キ・ホーテだ。

カドックはずっと、そんな生き方を受け入れつつも足掻こうとしてきた。

例え無意味に終わるのだとしても、何か一つでも掴み取れるものが欲しい。

そんな一欠けらの野心は胸に燻り続け、遂には遠い異邦の地であるカルデアでそのチャンスを掴んだ。

それがまたしても無意味に終わるのか、劇的な何かを残して終わるのかは定かではない。

全ては終わりの日。この2016年が終わりを迎える最後の日が訪れるまでわからない。

その瞬間を以て、今日までの自分の人生にどんな意味があったのかと、カドックは知ることができると思っていた。

 

「人は意味なく生まれ、育ち、寿命を迎える。そうして終わった時に初めて、その人がどういうものだったのかという意味が与えられる……か。まさか、同じ話を何度もすることになるなんてね」

 

「うん?」

 

「マシュにも少し前、聞かれたんだ。人の生命に客観的な意味はあるのかってね。君の命題とは似ているようで違う内容だけど、至った答えは同じものだ。うん、彼女も七つ目の特異点を前にして緊張していたのだろうね」

 

果たして、本当にそうなのだろうか。

ロマニが知らないだけで、彼女はひょっとしたら、自分の寿命について知っているのかもしれない。

だから、自分が生まれた意味について悩んでいたのではないだろうか。

そして、ロマニの言葉が彼女に対してどのような影響を与えたのか、それを知る術はなかった。

 

「ほら、今日の診察はこれで終わりだよ。明日には第七特異点へのレイシフトの準備も完了する。そうしたらまた…………」

 

不意に、ロマニの顔から色が消える。

咄嗟に倒れ込んだ体を受け止めることができたのは、まったくの偶然であった。

何の前触れもなく、張り詰めた糸が千切れるかのようにロマニは膝を折ってこちらに倒れ込んできたのだ。

 

「ドクター!?」

 

ただ事ではない事態に、カドックは慌ててロマニをベッドまで運ぶ。

触れた肌はほんのりと熱く、僅かに熱を持っていた。手首を取ると脈が物凄い速度で早鐘を打っているのが分かる。

 

「くそっ、言わんこっちゃない!」

 

鍵のかかった医薬品の棚を魔術で無理やり抉じ開け、ブドウ糖や各種栄養剤の点滴薬と注射針を用意する。

注射針の扱いに関しては北米以降も練習を重ね、今では誤ることなく静脈に針を刺せるようになっている。

ナイチンゲールからは素人が触るものではないときつく注意を受けてはいるが、だからといって素直に従うようなカドックではないのだ。

できることは可能な限り修練を重ね、最悪に備えるのが彼のモットーだ。

 

「こうなるとわかっていて、無理をしてきただろ!」

 

「はは……まあ、そうだね。不様を晒したのがキミの前で良かった。他のみんなじゃ動揺が広がっちゃう」

 

その点、カドックならば過度に気遣う事もないし口も固いだろうとロマニは嘯く。

確かにその通りだが、だからといって限度というものがある。こちらも自分の体のことで手一杯かもしれないが、それでも共に戦ってきた指揮官が倒れたのだ。

それに気づけなかったことに対して負い目を抱かない訳ではない。

 

「…………精査が終わった。ここ最近、寝てないな」

 

魔術で簡単に解析してみたが、ロマニの神経は極度の緊張状態にあった。

特に交感神経が過敏に反応しており、アドレナリンを始めとする脳内麻薬が過剰に分泌されている可能性がある。

気になってごみ箱の中を漁ってみると、案の定というべきか覚醒作用が強いカフェイン剤の空き瓶が大量に投棄されていた。

察するにロマニはここ数日。下手をすると数週単位で睡眠と呼べるものを取っていないのかもしれない。

 

「次のレイシフトは神代だ。観測や存在証明の最後の詰めに手間取ってね」

 

「それで徹夜したのか。いや、僕も偉そうに言える人間じゃないが、あんたのそれは度が過ぎている。この前もダ・ヴィンチから休むよう言われただろう」

 

「何分、ボクは取り柄のない人間だからね。才能で足らない分はどうしても手間と時間をかけなくちゃいけないんだ」

 

「それでもあんたはやりすぎだ。もっと誰かを頼ればいいだろ。あんたにはその権限だってある」

 

それこそ、自分のように負傷したマスターを戦線から下げて補佐につけることだってできたはずだ。

なのに、彼はそうしようとしなかった。根本からロマニは他人を信用していない。彼は何もかもを1人でこなそうとして自分を傷つけている。

そして、その苦しみから彼は逃げようとしない。それがカドックには不可解であった。

決して短くはない付き合いではあるが、彼は決して自分の素といえる部分を見せようとしない。

温和な人物を装っていても、肝心の部分は分厚いベールで覆い隠して見せようとしないのだ。

 

「本当に責任感だけなのか?」

 

まるで自分を追い込むような所業は、あの爆破を生き延びてしまったことへの負い目だけでは説明できない違和感があった。

それこそ、もっと根本的な何かが彼にはあるのではないのかと邪推してしまう。

ロマニ・アーキマン。カルデア以前の経歴は不明。先代所長であるマリスピリー・アニムスフィアがどこからか引き抜いてきた謎の男。

彼は何のためにこのグランドオーダーに臨んでいるのか。全てはそこにあるのではないのかと思えてならない。

 

「ああ、ボクには責任がある。今は、それしか言えない」

 

「ロマニ……」

 

「カドックくん、君はここでの生活をどう思う?」

 

唐突な切り返しに面食らう。だが、ロマニの表情は真剣そのもので、その問いかけを無碍にしてはいけないという直感が働いた。

 

「…………楽しくない、訳じゃない。ああ、楽しいさ」

 

最初は辛かった。レイシフト適性というたった一つの才能を買われたのに、ここには自分以上の存在がたくさん集まっていた。

その中に埋没したまま過ごす日々はとても息苦しく、焦燥感に駆られる日々であった。

だが、グランドオーダーが始まってからは違う。

いつだって生きるか死ぬかの瀬戸際で、楽に勝てた戦いは一つとしてなかった。

左手は動かなくなり、視力も失った。もう楽器を奏でることはできず、譜面を読むことすら苦労するようになった。

あの爆発を生き延びてからずっと、自分は失い続けていくばかりだった。

けれど、その辛い戦いの中で見出せたことがある。

失っていく傍らで、手に入ったかけがえのないものがある。

多くの英雄達と出会い、言葉を交わすことができた。

失ってはいけない友達ができた。

心の底から本当に大切だと思える女性(ヒト)と出会えた。

みんなと過ごす日々は賑やかで、騒々しくて、退屈しなくて、気が付くと端っこで見ているだけだったはずの自分が渦中へと誘われていた。

この一年の鮮やかさは、これまでの十何年の灰色と比べて遥かに美しく尊い思い出だ。

とてもとても充実した一年だった。

例えどんなに辛くても、苦しくても、それだけは胸を張って言いたいと思っている。

 

「ボクも同じだ。いや、勉強尽くしの人生だったけど、ボクは望んでそれを選んだし、何を学ぶかは自分で決めた。ああ、とても自由で楽しい日々だった。ボクはロマニ・アーキマンで、今日までの人生を心から愛おしいと思える。だから、この自由な日々がいつまでも続いて欲しいと思っている」

 

それこそ正に浪漫でしかない。

人は誰もが報われる訳ではなく、日々に楽しみを見出せる者がいるとは限らない。

それでもロマニは今が続いて欲しい、明日が未来に続いて欲しいと願っている。

自分が頑張るのはその為で、これは必要な苦しみなのだと彼は言うのだ。

照れ臭そうに鼻を掻くロマニを見て、カドックは不思議と彼の言葉に込められた熱意に胸の奥が締め付けられたかのような錯覚を覚えた。

ロマニの言葉が余りにロマンティックだったからではない。何故だかわからないが、自らの不自由さを誇る彼の笑顔がとても眩しく見えたからだ。

結局、カドックはそれ以上、ロマニを追求することができなかった。

 

 

 

 

 

 

第七特異点はソロモン王誕生以前の時代。

第六特異点にてアグラヴェインからもたらされた情報をもとにカルデアは一丸となって時代を遡り、遂にその時代を特定した。

それは紀元前2600年。未だ世界が一つであり、神秘が色濃く残されていた神代の末期。

ティグリス・ユーフラテス領域に栄え、多くの文明に影響を与えた母なる世界。

古代エジプトとほぼ同じ時期に発生した最古の文明。即ち古代メソポタミア。

それこそが最後の特異点となる時代であった。

 

「西暦以前の世界……まだ世界の表面が神秘・神代に寄っていた世界……」

 

「それって、想像もつかないな」

 

ロマニからのブリーフィングを受け、マシュと立香が顔を曇らせる。

前者はこれから赴くことになる時代の過酷さを想像し、後者はそもそもそこがどのような時代なのか見当もつかないことに動揺しているのだ。

カドックとしても次なる特異点に対しては不安半分、期待半分といったところだ。

何しろ魔術世界の歴史でも未だ不明な点が多い時代だ。見たこともない魔獣が跋扈し、現代では有り得ない気候や風土が広がり、そこには既に滅んでしまった霊草の類が群生している。

それに興味を抱かない魔術師はいないだろう。特に神代回帰を謡う彷徨海の連中なら目の色を変える事必至だ。彼らですら触れることができない時代に赴けるのだから、嫌でも緊張が走るというもの。

 

「今回は報告に上がっていたエジプト領よりも魔力が濃い時代になるだろう。念のためマスク代わりのマフラーを作っておいたから、2人ともそれを巻いておくといい」

 

手渡されたマフラーはきめ細かく柔らかな肌触りで、巻いていてもあまり暑苦しさを感じない。

毎度のことながら、どういった構造をしているのか非常に興味をそそられるが、きっと聞いても分からないだろう。

ダ・ヴィンチ工房脅威のメカニズムとだけ思っておけばいい。

 

「さて、メソポタミアという言葉は元はギリシャ語だ。メソは中間、ポタミアは河という意味を持つ」

 

ペルシア湾へと流れるティグリス河とユーフラテス河の間で栄えた文明。故にメソポタミアと呼ばれている。

非常に長大な文明なので一口にメソポタミアといっても年代によって大きな違いがある。

例えば紀元前6000年頃はいくつかの集落があるだけで国と呼べるような体裁は取られていないし、紀元前2000年頃になると多くの都市国家が形成されて交流や戦争が行われていた。

今回、レイシフトを行うのは紀元前2600年頃。シュメールにおける初期王朝が成立していた時代であり、魔術的な視点によると人間が神と袂を分かった最初の時代とされている。

時の王が神々の思惑から外れ反抗したことで、その時代を契機に神代の神秘は薄れていき、地上から神霊は姿を消していった。

言い換えるならばこの時代はまだ神霊の残り香があるほど遠い時間の果てであり、それはレイシフトの難易度を跳ね上げる要因となっていた。

レイシフトとは要するに、広げられたスクロールの端に立ち、そこからボールを投げるようなものだ。

目的の時代が遠ければ遠いほど狙いは定まらず、レイシフトの難易度は増していく。神代ともなればシバも安定せず、百パーセント確実な転移は不可能だろう。

故に今回は、解析などを担当しているダ・ヴィンチも管制室に詰めてロマニのサポートをすることになっている。

 

「危険は計り知れないだろうけど、キミ達は現代人が知ることのない古代の世界に飛び込むんだ。素晴らしい発見がある事を願っているよ」

 

ロマニの言葉に、立香とマシュが大きな声で返事をする。

カドックはというと、少し照れ臭そうに頬を染めながら小声で返事を呟いていた。

その様子を目ざとく見つけたアナスタシアは、頬を緩ませながらパートナーの手を取ってコフィンへと導いた。

誰かに気づかれたら――それこそマシュのパートナーである立香に気づかれればすぐにそれを指摘してみんなに広まってしまう。

そんな勿体ないことはできない。この微笑ましい光景を独占して良いのは自分だけなのだと、アナスタシアは小さく頷いた。

 

「ふふっ、楽しみね」

 

「楽しみか…………そうだな、楽しみ……なのかな」

 

第六特異点へレイシフトした時とはまた違う気持ちが胸中にあった。

使命感でも義務感でもない。立香への負い目とも違う、純粋な好奇心が湧き上がってきていた。

不謹慎かもしれないが、自分は特異点での新たな出会いや発見を楽しみにしている。

次なる地、メソポタミアではどんな英霊と出会えるのか、自分達はどんな思い出を作れるのか。

そう考えると、不思議と胸が高鳴っていた。

 

 

 

 

 

 

俄かに街の喧騒が増していく音で、カドックは目を覚ました。

起きてまずすることは体調の確認。手足が十二分に動くかを調べ、魔術回路の状態をチェックする。

右手、右足、左足問題なし。回路は良好。記憶も昨夜のものから継続しており、自分が問題なく起床できたことを実感する。

枕元に置いておいたレンズをかけ直すと、灰色だった視界にも色が戻ってきた。

土と石で組み上げられた壁。ガラスのない窓。まだ見慣れない異国の天井。

ここはメソポタミアの都市国家ウルクの一画に設けられた一軒家。通称カルデア大使館と呼ばれる現在のカドック達の拠点であった。

 

(夢ではない……か……)

 

神代へのレイシフトは無事に完了した。

普通に生きていれば決して知ることができなかった古代の暮らしがそこにあり、触れることが叶わない自然が目の前に広がっている。

ここでは多くの人々が日々の糧に感謝し、課せられた労役をこなし、子を育んでいた。

科学文明が発達していない分、より自然に根差しした素朴で活気に満ち溢れた世界が広がっていた。

しかし、同時にその世界を脅かす影があった。

「三女神同盟」と呼ばれる神霊サーヴァント達が結託してメソポタミア全土を襲っており、既に多数の都市国家が陥落しているらしい。

時の王であるギルガメッシュはウルクを城塞都市と化して徹底抗戦を訴えており、独自に英霊召喚すら行って三女神達との決戦に備えていた。

カドック達は当然ながらギルガメッシュに協力を求めたのだが、人類最古の英雄王は突如として現れた異物でしかないカルデアを不要なものであると断じて聞く耳を持たず、下働きから出直すよう命令された。

そうして与えられたのがこの一軒家と祭祀長シドゥリが集めてくる雑用の数々であった。

 

(要するに、働いて有益を示せってことか)

 

魔術師の世界においても損得は非常に重要な価値観だ。というより、魔術師は基本的にそれでしか動かない。

相手が自分に利益をもたらすのなら悪人とだって交流を結ぶし、人道に反することだって平気でする。

魔術の大家に媚を売るのも日常茶飯事だ。

つまり、慣れたものである。

既に立香とマシュも羊の毛刈りの手伝いなど住民からの依頼を精力的にこなしている。

自分は片手のハンデがあるのでなかなかできる仕事がなく一日目は街の下見だけで終わってしまったが、今日こそは自分にもできることを見つけなくてはならない。

 

「あら、おはよう……アナタ」

 

「おはよう。よく、眠っていたね」

 

「少し、お寝坊さんだったかしら? ねえ、ヴィイ」

 

まだ眠そうに瞼を擦りながら、アナスタシアは腕の中のヴィイを抱きしめ直して立ち上がる。

普段の格好は暑すぎるということなので、今はドレスを脱いでインナーの上に現地の民族衣装を羽織っている。

北国育ちの彼女からすればそれでも暑いらしく、額からは早くも汗が滲みだしていた。

 

「みんなも起きているかしら?」

 

「多分……下から音が聞こえるし……」

 

「そう……なら、お披露目には丁度いいわ」

 

「お披露目?」

 

「昨日の内にシドゥリ様から前借をして、街の彫り師に頼んでいたものがあるの」

 

上着を着せてもらい、シャツのボタンを留めてもらいながらカドックは聞き返す。

そういえば昨日は途中から別行動だったが、いったい何をしていたのだろうか。

心なしか不安が増していくのは気のせいではあるまい。

 

「大丈夫……きっとアナタも気に入ると思います」

 

「はあ……?」

 

首を傾げながら、カドックは朝食を取るために階下へと向かう。

既に起きていたマシュが朝食の準備を済ませており、立香も身支度を整えて席についている。

他の面々はギルガメッシュから任されたそれぞれの役割があるので既に出かけているらしい。

 

「おはよう。あ、皇女様に市場から届け物だよ。外に置いて布被せておいたから」

 

何やら楽しそうに笑う立香の顔が不安を煽る。

マシュはというと、楽しさ半分、申し訳なさ半分といったところだろうか。

アナスタシアは言わずもがな。そのせいで折角の粥の味もほとんど味がわからなかった。

そして、数十分後にカドックの不安は的中することになる。

 

「はい、次の方」

 

「すみません、今朝から体がだるくて、鼻水も止まらないんです」

 

「……体を暖かくして、頭を冷やすといい。氷は必要な分だけこちらで用意する。それと水分は大目に取るように」

 

「次の方」

 

「子どもが転んで足を痛めまして。触るととても痛がるんです」

 

「これは折れているな。添え木をするから動かさないように。杖は健脚の方で支えるようにするんだ」

 

「次の方」

 

「胃のムカムカが取れなくて……」

 

「麦酒の飲み過ぎだ、しばらく控えろ」

 

「次の方」

 

「最近、不安で寝付けなくて…………」

 

「隣に住んでいる幼馴染が誰かの嫁にいかないか心配? とっとと告白しろ! 恋の病が病院で治るか!」

 

「次の……」

 

「って、ちょっと待て! アナスタシア!」

 

苛立ち紛れに机を叩き、アナスタシアの言葉を遮る。

 

「これは何なんだ!」

 

「何って、診療所よ。あなたが院長で、私が婦長。その名もロマノフ診療所」

 

そう、アナスタシアが市場で頼んでいたのは診療所の看板だったのだ。

しかも道すがら宣伝も行っていたようで、興味本位の見物客も含めて初日にも関わらず大盛況だ。

結果、カドックは仕方なく医者の真似事をさせられている。いや、確かに第六特異点でも似たようなことはしていたし、昨日は仕事がなくて燻っていたが、せめて一言相談して欲しかった。

こちらにも準備というものがあるのだ。

 

「嘘。アナタ、知っていたら絶対に反対したでしょ」

 

「うっ……そりゃ、そうかも……しれないが……」

 

「アナタの人付き合いの悪さはよく知っています。はい、次の方!」

 

「って、おい!」

 

制止も虚しく、新たな患者が部屋の中に入ってくる。

結局、その日は夕方までの時間をロマノフ診療所の診察室で過ごす事となった。

ウルク滞在二日目の出来事であった。




というわけで、7章開始です。
多分、年内完結は無理だろうなと思います。
皇女様的にも病院経営は思う所あると思うんですよね。

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