Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女 作:ていえむ
―――女の話をしよう。
その女は何も望まない。
ただ望まれるまま死刑台への廊下を歩く。
コツン、コツンと飛び跳ねる、小鬼の言葉が私を責める。
ケタケタ笑う妖精が、無垢な私を嘲笑う。
あの日の玩具はどこいった。それはお化けが持ち去った。
明日はお菓子が食べれるか。それは小人が盗み食い。
寄ってたかって奪い取られ、最後は裸で銃殺刑。
女は何も望めない。
ただただ笑ってその日を待つだけ―――。
□
アナスタシアという少女がいた。
ロシア帝国ロマノフ朝最後の皇帝ニコライ2世の末娘。
本名をアナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ。
その名は「鎖の破壊者」、「復活」を意味した。
彼女の誕生は決して祝福には満ちていなかった。
女性の皇族は皇位継承権を持てなかったため、周囲の人々は男児の誕生を望んだからだ。
それでも父は惜しみのない愛情を注ぎ、姉妹と共に健やかに育った。
皇帝の娘としては慎ましくも幸せな生活を送り、やがては弟であるアレクセイも生まれてその人生はいよいよ栄華に彩られるはずだった。
だが、情勢は混迷し革命の波が彼女を襲う。
臣民に皇族としての地位を奪われ、最後の2年を彼女は孤独で嘲笑に塗れた軟禁の中で過ごした。
ロシアという過酷な環境で、それでもよりよい生活を。
国民を苦しめる皇帝に退位を。
同志の為に新たな国を。
そう望んだ無辜の民は、彼女から家と家族と命を奪い、その死すらも一時闇へと葬った。
それがアナスタシアの生涯。
カドック・ゼムルプスと契約したキャスターという少女の人生だった。
「―――あっ、フォウ?」
「行ってしまった。結局、ネコなのかリスなのかわからなかった。まあいっか、ふわふわだし可愛いからね」
誰かの話声が聞こえ、カドックは目を覚ました。
見知らぬとは言えない白い天井。
ぼんやりと輝く白色灯はカルデアの医務室のものだ。
どうやら、無事にカルデアに戻ってこれたようだ。
「おっと、本命が目覚めたね。おはよう、こんにちわ。意識はハッキリしてるかい?」
顔を覗き込んできたのは微笑みを携えた美しい女性。
美術館と歴史の教科書で何度も見た事のあるその微笑みは本来は多くの人を魅了するのだが、残念ながらその本性を知るカドックの心は1ミリも靡かない。
彼の名はレオナルド・ダ・ヴィンチ。
カルデアが召喚した英霊の1人であり、技術部門の協力者だ。
そして、召喚の際に自身が心酔するモナ・リザに合わせて自分の姿を作り替えたという筋金入りの変態だ。
「ごめん、寝起きにあなたの顔は色々と悪い」
「何々? 目覚めたら絶世の美女がいて驚いているのかい? それともマジレスかな? それだったらショックだなぁ」
「ダ・ヴィンチちゃん、話がずれてるずれてる」
ダ・ヴィンチの隣に座っていた黒髪の少年が、彼の言葉を遮る。
まだ意識はぼんやりとしているが、その顔は何とか思い出すことができた。
オルガマリーの怒りを買った48人目のマスター。
自分と同じ、唯一の生存者。
「んー、そうだねぇ。とにかくまずは管制室へ行こう。藤丸くん、案内してあげたまえ」
「はいはい、わかりましたっと。行こうか・・・・えっと、行きましょうか?」
「タメ口でいい」
「じゃ、よろしく。立てるかい?」
差し出された手を取ろうと僅かに逡巡し、カドックは彼の手を取った。
そして、自分の右手の令呪が失われている事に気づく。
跡形もなく綺麗さっぱりと、三画の繋がりは消失していた。
意識を辿ってみても、あれほど身近に感じられたサーヴァントの気配がまるで感じられない。
自分とキャスター―――アナスタシアとの繋がりが完全に断たれている。
「どうしたの、大丈夫?」
「何でもない。行こう」
自分の胸にぽっかりと空いた喪失感を振り払い、カドックは一歩を踏み出す。
管制室までの道中、傍らの少年はいくつか質問や世間話を振ってきたが、どんな答えを返したのかは思い出せない。
ただ、邪険に扱う事だけはしなかった。
いつもならこんな風に話しかけられるのは鬱陶しくて敵わないのに、今だけはそれも許せてしまう。
「おはようございます、カドックさん。先輩もごくろう様です」
「うん、ありがとうマシュ」
管制室で最初に出迎えてくれたのはマシュだった。
爆発事故で潰れた足はデミサーヴァント化のおかげで何の後遺症も残らず治癒している。
それを喜ばしいと思える程には情が移っていた事にカドックは自分でも驚いた。
「やあ、生還おめでとうカドックくん。そしてミッション達成お疲れ様。なし崩し的に押し付けてしまったけど、君は勇敢にも事態に挑み乗り越えてくれた。その事に心からの尊敬と感謝を送るよ。君のおかげでマシュとカルデアは救われた」
ピシリ、と何かがひび割れる音を聞いた。
止めてくれ。
その言葉をもらう資格は自分にはない。
自分はただ生き残っただけだ。
1人ではセイバーに敵わず、マシュとク・フーリンがいたからこそ生き残る事が出来た。
だから、その言葉を受け取る資格は自分にはない。
あれほど欲しかった報酬が、今は堪らなく重くて両手から零れてしまいそうだ。
「大丈夫かい?」
「カドックさん、顔色が・・・」
こちらを覗き込む黒髪とマシュ。
大丈夫だと手を振って椅子に座らせてもらった。
ロマニも申し訳なさそうに頭を掻き、小さく謝罪してから続ける。
「ごめんね、疲れているのに。そうだね、所長の事は残念だった。ボク達も心を痛めている。けど、今は弔っている余裕もない。ボク達は所長の代わりに人類を守ることで手向けとするんだ」
ロマニの言葉は冬木でレフが語った事の裏付けであった。
カルデアの外部と連絡が取れず、外に出たスタッフも戻ってこない。
外部に向けられた計測器の全てはアンノウンを示し、外には文字通り何も残っていない事を証明する。
このカルデア自体が、時間という大海原に浮かぶ船と同義だった。
そして、それも後1年で終わりを迎える。
「世界はもう・・・ないのか・・・」
「ああ、この状況を打開できなければね」
そう言った、ロマニの瞳には強い決意が秘められていた。
マシュも、傍らの少年も。
ここに残った他のスタッフ達からも。
誰も彼もが諦めるにはまだ早いと、前を向いている。
「君達のおかげで冬木の特異点は消失した。けれど、未来は引き続き観測できずカルデアスも紅く燃えたままだ。つまり、他にも原因があると僕達は仮定した。そして見つけ出したのがこの狂った世界地図。冬木とは比較にもならない時空の乱れを起こす7つの特異点だ」
よく過去を変えれば未来が変わると言われるが、大きな時代の流れともなればそうはいかない。
端々で細かな違いが起きたとしても、歴史の修正力によって起こるべき決定的な結末は変わらないようになっている。
だが、ロマニが見つけた7つの特異点は人類史におけるターニングポイント。
この戦争が終わらなかったら。
この航海が成功しなかったら。
あの発明が間違っていたら。
あの国が独立しなかったら。
そういったもしもを崩されれば、人類史は土台からひっくり返されてしまう。
このままでは人類は2017年を迎える事なく消滅する。
いや、死すらも迎える事なく歴史ごと焼却される。
「あんた達は、まだ戦うつもりなのか」
「ああ、ボク達だけが抗える。未来が焼却される前にこの崩れた歴史を正す事ができる」
力強く、はっきりと答えが返ってくる。
なんて眩しくて悲壮な決意なのだろうとカドックは思った。
普段の明るくて暢気な性格からは想像もできない。
まるで、今日という日を最初から覚悟していたかのように。
傷だらけの覚悟でもって、彼は人類を救うと宣言する。
「結論から言おう。この七つの特異点にレイシフトし正しい歴史に戻す事。それがこの事態を解決する唯一の手段だ。けれどボクらにはあまりに力がない。マスター適性者は君と彼を除いて凍結。所持するサーヴァントもマシュを含めて2人だけだ。加えて彼にはマスターとしても魔術師としても経験が皆無だ。だから、これはボクの傲慢、強制と受け取って構わない。それでも敢えて言わせてほしい」
一拍の呼吸を置き、凛とした響きが管制室に木霊する。
「マスター適性者、カドック・ゼムルプス。君が人類を救いたいのなら、2016年から先の未来を取り戻したいのなら、この7つの特異点を巡る旅を、ボクらと共に歩んで欲しい」
みんなが答えを待っていた。
ロマニが、マシュが、48人目も他のスタッフも。
ここに集った誰もが未来を諦めず、先へ進もうと覚悟を決めている。
答えを出していないのは自分だけだ。
できるはずがないと。
諦めているのは自分だけだ。
『私は信じています。あなたはきっと正しく為すべきことを為すと』
アナスタシアの言葉が脳裏に蘇る。
握った拳の中で指先が手の平の皮を破る。
滲んだ血は熱く、自分はまだ生きているのだと実感する。
ここにはいない彼女に、まだ生きているのだから諦めるには早いと窘められる。
「ああ、やってやるさ」
これは彼女への証明だ。
自分は必ず世界を救えると。
「ありがとう、その言葉でボク達の運命は決定した。これよりカルデアは前所長オルガマリー・アニムスフィアが予定した通り、人理継続の尊命を全うする。目的は人類史の保護、奪還。探索対象は各年代と原因と思われる聖遺物・聖杯。君達の前に立ち塞がるのは数多の英霊、伝説。未来を取り戻すために、人類史そのものが敵として立ちはだかる。例え如何なる結末に至ろうとも、これ以外に未来を取り戻す方法は他にない。その決意で持って作戦名を改めよう」
これはカルデア最後にして原初の使命。
人類守護指定・
人類史を救い、世界を救済する
魔術世界における最高位の指名を以て、自分達は未来を取り戻す。
□
マシュはあの48人目のマスターと契約する事になった。
順当に考えるのならば経験のある自分がマスターになる方が良いのだろうが、アナスタシアを失ったばかりですぐに新しいサーヴァントと契約する気にはなれなかった。
それも顔見知りであるマシュならば尚更だ。彼女といるとどうしてもアナスタシアの事を思い出してしまうし、改めて主従の関係を結ぶには自分達Aチームは些か歪に過ぎる。
もっとフラットに、彼女を1人の人間として見れる奴がマスターになるべきだろう。
「カドックさん」
管制室を出たところで、マシュに呼び止められる。
「すみません、アナスタシア皇女のことなのですが―――」
「いいんだ」
思わず彼女の言葉を遮ってしまう。
気にしなくていいんだとマシュに言い聞かす。
彼女を悼む事も自分を気遣う事も必要ないと。
だから、耳を塞いで一方的にまくしたてた。
「最後に彼女を守ってくれて、ありがとう」
マシュの答えを聞くことなく駆け出した。
彼女が何を言おうとしたのかはわからない。
足手纏いとなった事を謝ろうとしたのか。そんなことはない、彼女は立派に戦った。
アナスタシアが消えた事を慰めようとしたのか。止めてくれ、余計なお世話だ。
とにかく1人になりたかった。
走って、走って、気が付けば居住スペースまで戻ってきていて、カドックは自虐的な笑みを零す。
「ははっ、何をやっているんだろうな、僕は」
ひとしきり笑って、自室に入ろうとポケットを弄った。
そこでふと気づく。
自室の鍵がない。
ファーストオーダーの前は確かにあった。
きちんと施錠して、念のためチェーンで繋いでボタン付きのポケットにしまっておいたのだ。
管制室で落としたのだろうか?
「はい、探し物はこちらかしら?」
ふっと冷たい空気が流れ、白い指先がチェーンの付いた鍵を差し出す。
間違いない、なくしてしまった自室の鍵だ。
「ああ、ごめん。ありがと―――」
「ええ、どういたしまして」
白い髪、雪のような肌、何もかも見透かしたかのような冷たい眼差し。
消えたはずのアナスタシアがそこにいた。
「ななななな―――――」
「どうしてここにいるのかって?」
「―――――!」
現実を認識できずにパニックに陥ったカドックは、声にならない声を上げて地団駄を踏む。
「い、いつから・・・そもそもどうやって・・・」
「『ははっ、何をやっているんだ―――』」
「やめろぉっ! もういいから!」
クールな顔でお茶目なものまねをする皇女をカドックは思わず怒鳴りつけた。
過呼吸気味で心臓が跳ね上がり、病的な顔も赤く上気していることが手に取るようにわかった。
とにかく落ち着こうと自室に入って備え付けの小型冷蔵庫を開け、エナジードリンクを一気飲みする。
後からついてきたアナスタシアは興味深げにアンプやギターを触りだすが、もう突っ込む気力もない。
「一から説明してくれ、キャスター!」
「そうね、私も難しい事はわからないのですが―――」
特異点が消滅する最後の瞬間、カドックは無意識に残った二画の令呪を使ったらしい。
それがアナスタシアの座への帰還をギリギリまで縛り、そのおかげでカドックのカルデアへの帰還に引きずられる形でこちらまでレイシフトしてきたようだ。
令呪が使い切られていた事でマスターとの繋がりも薄くなっており、ロマニが大急ぎでカルデアの電力をアナスタシアの現界に宛がう事で、契約こそ切れてしまったがカルデアを仮の座とすることで彼女は消滅する事なくここに残る事ができたとの事だ。
「は、ははっ、何だよそれ―――」
「落ち込んでたのが馬鹿みたい?」
「読むなよ、人の心を」
淡々と話すアナスタシアに対して、カドックは不服そうにそっぽを向く。
馬鹿みたいだ。
彼女が消えて、心にぽっかり穴が空いた。
彼女の最後の言葉を、呪いのように背負わされたとばかり思っていた。
でも違った。
彼女はここにいて、自分はまだ戦う意志を失っていない。
悲しむ事も悔やむ事もなく、もう一度ここから始める事ができるのだ。
「かわいい人。せっかく再会できたのに、贅沢、宝石、売却よ」
「君の言っていることはたまによくわからないが―――自分を召喚できるなど宝石のように贅沢だ。それに文句があるなら売り飛ばすぞ、あたりか?」」
どうせ誰も見ていないのだからと、カドックは居住まいを正して片膝をつく。
アナスタシアは慣れたものだとばかりに片手を差し出し、カドックは冷たいその手にそっと自分の手を重ねる。
「そう、その通り。よくできました。では、改めて―――」
―――告げる
汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば―――
「我に従え、ならばその命運、汝が眼に預けよう」
「キャスターの名に懸かけ誓いましょう。サーヴァント、アナスタシア。召喚の求めに応じ、改めてここに参上したわ。この子はヴィイよ。わたくし共々、よろしく」
それは2人だけの誓いだった。
凡庸な魔術師の少年は、せめて彼女の前でだけは虚勢を張ろうと誓った。
どんな理不尽を前にしても、世界を救うという誓いだけは諦めないと。
星詠みとなった皇女は、自分を呼んでくれた少年のために戦おうと誓った。
彼が悩み苦しんで、どんな答えを出したとしても、自分だけは彼を裏切らないと。
犬とまで蔑まされながらも生きる事を諦めなかった人生に/革命に呑まれ、生きる事を諦めねばならなかった人生に。
それでも意味はあったのだと/それでも意味はあったのだと。
―――きっと僕達は証明してみせる。
A.D.2004 炎上汚染都市 冬木
人理定礎値:C
というわけで序章・完になります。
続きに関しては構想はあるのですが文章化できるほど煮詰まってないので、少しチャージします。まずはオルレアンのテキストの見直しだ!