Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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絶対魔獣戦線バビロニア 第3節

ウルクに滞在してから二週間余りが経過した。

カルデア大使館の市民からの評判は上々。城塞化に伴う急速な発展によりウルク市では様々なトラブルが起きていたが、それらに対してカルデアが精力的に対処したことで、今では感謝状が届くほどになっていた。

カドックの診療所の方も最初のような賑わいこそなくなったが、いわゆる固定客がついたことで一日のスケジュールが安定し、空いた時間で身の回りの整理や立香達の手伝いを行うことができるようになった。

そんなある日、たまたま時間を持て余してしまった4人は、いい機会なので必需品の買い出しに出かけようと総出で市場に繰り出していた。

 

「アナちゃんも一緒に来ればよかったのに」

 

「朝の内に出て行っちゃったもんね。多分、いつもの花屋さんだと思うけど」

 

アナスタシアの呟きに、手製の買い物籠いっぱいの荷物を抱え込んだ立香が答える。

どうも彼女は、シドゥリからの依頼とは別に大通りの花屋をボランティアで手伝っているようなのだ。

確か、目が悪い老婦人がひとりで切り盛りしている小さな花屋で、カドックも店の前は何度か通ったことがある。

 

「あまり長くはないかもしれないな」

 

「どういうことですか、カドックさん?」

 

「言葉通りさ。もうすぐ、お迎えが来るかもしれない」

 

往診をしていて気づいたことなのだが、ここウルク市では原因不明の衰弱死が相次いでいる。

体力が落ちた老人などが眠りについたまま目を覚まさなくなり、そのまま息を引き取るのだ。

そうなってしまうとカドックではどうしようもなく、運ばれていく遺体に泣き縋る家族の姿を見たのは一度や二度ではない。

 

「何かの病気、なのかな?」

 

「いや、どちらかというと霊的な作用だ。因果関係までは解明できていないが、亡霊の出現が多いところで衰弱死が起きているみたいだ」

 

あれは冥界の使い。死神の類だろう。神代においては肉体の死と精神の死は完全に分かれており、魂を抜き取られれば例え肉体が無事であってもその人間は死亡する。

言い換えれば魂が冥府に落ちる前に取り戻し、生前のまま保存されている肉体に戻すことができれば死者の蘇生は可能なのである。

ただ、魂に傷がついてしまえば肉体にも直ちに影響が出てしまうのでその限りではない。場合によっては肉体が土塊と化し蘇生が叶わないこともある。

 

『ふむ、死後の世界がある神代らしい現象だ。マナの質が違うのも理由の一つなんだろう』

 

「地獄に落ちることが死ではなく、その更なる先に深淵という「無」が存在するらしいんだ」

 

ここウルクにおいては最終的に魂はその深淵へと還る定めになっている。そして、亡霊達は死すべき定めにある者を連れ去る冥界の使者なのだ。

 

(だが、多すぎる。人口比率に対してこれだけの亡霊は…………まさかな……)

 

既に世界から神格がいなくなって久しい。今、この時代に存在するのは三女神同盟を結ぶ三柱の女神達だけだ。

その1人は美と金星の女神であるイシュタル。メソポタミア神話に伝わる問題児にして皆から愛される豊穣の神性。

大地の営みや生命を司る一方で、気に入った人間を寵愛しては破滅をもたらす試練を与え、時には残忍な災厄を振りまく移り気な天の女主人でもある。

彼女は気紛れに飛来しては地上を焼き払うだけで、衰弱死を増やすなどという回りくどい手は使わないはずだ。

そういう陰湿な手段はどちらかというと彼女の別側面に当たる冥界の女主人(エレシュキガル)の方が得意とするところだろう。

だが、イシュタルとエレシュキガルは姉妹でありながら非常に仲が悪い神性だ。逸話においてもイシュタルが一方的に殴り込みをかけ、返り討ちにあうというものがある。

なので、イシュタルが三女神同盟に組している以上、仮にエレシュキガルが召喚されていても彼女に協力することなど絶対にないはずだ。

やはり亡霊に関しては杞憂なのだろうか。

 

(駄目だな、判断材料が少なすぎる)

 

下手に結論を急げば誤りのもととも思い、カドックはそこで思考を中断して買い物に専念することにする。

とりあえず、食材や薬草の類は買い終えたので、次は衣類だ。シドゥリは必要ならば用意すると言っていたが、住居や仕事を提供してもらっている以上、あまり甘える訳にもいかない。

材料さえ揃えばアナスタシアが繕ってくれるので、人数分の布を買えば安上がりで済むだろう。柄も揃いになるので女性陣も喜ぶはずだ。

確か、染物屋は三軒先にあったはず。そう思って視線をそちらに向けると、道の途中に人だかりができていることに気づいた。

 

「どこの爺さんだよあれ、このあたりのモンじゃないよなぁ?」

 

「いやだわ、物乞いなんて。それにあの足……負傷兵には見えないけれど……」

 

「放っておけ。巫女所の養護係がやってくるだろ。あそこはそのための予算がおりてるんだ」

 

「それはそうだけど、あの人、随分前からあの場所を動いていないでしょ。もう二日は何も食べてないんじゃないかしら?」

 

往来を行く人々は、口々にそう言っては人垣に加わり、離れていく。

彼らが見つめているのは1人の老人だ。フードを目深に被っているので顔はわからないがかなりの高齢だろう。

僅かに垣間見える手は枯れ木のようにやせ細っており、膝から下はあるべきはずのものが一つしかなかった。

その異様な雰囲気を気味悪がり、人々は彼を遠巻きに見守るばかりで近づこうとしない。

救いの手を差し伸べる訳でも、邪魔なものを排斥しようともしない。

余計なことに首を突っ込んで厄介事を背負い込みたくはないという考え方は、どこの時代も同じらしい。

 

「フォウ。フォウ、フォーウ……」

 

「うん、ちょっと待ってて」

 

何かを訴えかけるように鳴くフォウに一言断り、立香は買ったばかりの食材が詰まった買い物籠をゴソゴソと漁り出す。

大方、放っておけないのであの物乞いに何か恵んでやろうという魂胆なのだろう。

こちらの稼ぎも決して潤沢ではないというのに、暢気なものだ。彼はきっと、世界が終わるその瞬間まで自分にできる善行を止めることはないだろう。

 

「おい」

 

「う! な、何かな?」

 

「僕のも持っていけ。それと、巫女所への連絡も忘れないようにしろ。今回は僕がやっておくから」

 

「うん、ありがとう」

 

子どものように破顔し、立香は二人分のパンを持って老人のもとへと走る。

そこで止めておけばいいものを、カドックも何となく気になって彼の後ろをついて行った。

食事を与えてもそれを食べられなければ意味がない。もしも何かの病気にかかっていたらまずいと思ったからだ。

だが、良かれと思って動いた彼らを待っていたのは、老人からの予想外な答えであった。

 

「若者よ。哀れみは時に侮辱となる。覚えておきなさい」

 

差し出されたパンを一瞥した老人は、よく響く低い声音でそう言い放ったのだ。

 

「謂れのない憐憫は悪の一つであり、謂れのない慚愧も、また悪の一つなのだ」

 

「出過ぎた真似でしたか?」

 

申し訳なさそうに聞き返す立香に対し、老人は小さく頷いて返す。

 

「そうだな。だが、細やかな気遣いにまで難癖をつけては、それこそ老害のそしりを受けよう。金銭ではなく、いま私が必要としたものだけを譲り渡した判断には感心した。ありがたく受け取ろう」

 

(でも、食べないのか)

 

パンを懐に収めた老人は、笑っているのか少しだけ体を震わせた。

いつものなら怒りの一つでも湧いてくるものだが、不思議と彼に対してはそういう気持ちはわかなかった。

寧ろ、どこかで会ったことがあるかのような既視感すらあった。

オーラとでも表現すればいいのだろうか。老人が纏う独特の雰囲気はそう、あの冷たい霊廟で垣間見た暗闇を想起させる。

 

「受け取ってしまったからには、こちらも何かを返さなければな。私はジウスドゥラ。見ての通り、明日をも知れぬ身の老人だ」

 

その名を聞いてカドックは眉をしかめる。

ジウスドゥラというのは、シュメル神話における人類絶滅の大洪水を生き残った唯一の人間の名だ。

旧約聖書でいうところのノア、ギルガメッシュ叙事詩ではウトナピュシュテムと同一視される存在である。

増えすぎた人口の抑制、驕り高ぶった人間の粛清。理由は様々だが、世界には大洪水による人類絶滅の逸話が至る所に散りばめられている。

そこに共通して現れるのが、神の怒りに警鐘を鳴らす存在。或いは上位存在に認められ災いを逃れ、世界の終わりを見届ける役割を担う者。

それこそがジウスドゥラなのである。

無論、偶然なのだろうが、人理焼却が迫るこのタイミングでその名が出てきたことにカドックは複雑な思いを禁じ得ずにいない。

 

「明日ある若者よ。そなたらには忠告こそが最も価値あるものだろう。心するがよい。これよりウルクには三度の嵐が訪れる。憎しみを持つ者に理解を示してはならぬ。楽しみを持つ者に同調を示してはならぬ。そして、苦しみを持つ者に賞賛を示してはならぬ。ゆめ忘れるな。これらが人道に反していようが、神を相手に人道を語る事こそ愚かである」

 

「三度の嵐……それって……」

 

「爺さん、あんたはいったい……」

 

問い返そうとした瞬間、砂塵が吹き上がる。

注意が逸れたのはほんの一瞬のはずだった。

なのに、いつの間にかジウスドゥラを名乗る老人の姿はどこにもなく、あれほど目立っていた人だかりもいつの間にかなくなっている。

まるで最初から、そんなものなどなかったかのように。

 

「先輩、カドックさん、どうされました?」

 

「何かあったの、二人とも?」

 

不思議そうにこちらを見つめるマシュとアナスタシア。どうやら2人も先ほどの老人について覚えていないらしい。

では、あれは夢だったのだろうか。或いは何らかの予兆なのか。

ここは魔力が濃密な神代の時代。白昼夢で未来を視たり、何らかの啓示を授かったとしても何ら不思議はない。

立香も同じ思いを抱いたのだろう。2人は無言で視線を交わすと、先ほどの言葉を忘れまいと心に刻む。

それが何を意味するのか分からずとも、きっと自分達が直面する何かに繋がると信じて。

 

 

 

 

 

 

翌日。

朝一番で王からの呼び出しを受けたカルデア大使館の一同は、ギルガメッシュ王の玉座があるジグラットを訪れていた。

そこは三女神同盟に対するウルク市の中枢。北方の壁を最前線とするならばここは司令塔だ。

連日連夜、多くの人々が引っ切り無しに出入りしては各方面の状況の変化を伝え、それに対してギルガメッシュ王が的確な指示を出して女神達の攻勢に抗している。

ただの人の集まりでしかないウルクが曲がりなりにも半年間、持ち堪えることができたのは、偏にギルガメッシュ王の采配の結果と言えよう。

人類最古の英雄王の名に偽りなしだ。

 

「呼び出しって、何なのでしょうか?」

 

「俺達、もう用済みとか?」

 

「だったら、伝令で事足りるだろう。そんな無駄な時間を取る方じゃない」

 

何れにしろ、ここがカルデアの分水嶺と見て良いだろう。

ギルガメッシュ王は文字通り一つの世界の頂点に立った王。もしも何か気に障ることをしてしまったのだとしたら、自分達の運命はここで終わりを迎えることになるはずだ。

 

(……だよな?)

 

カドックの脳裏に浮かぶのは、ここ最近のマシュとギルガメッシュ王とのやり取りであった。

 

『以上が今回の報告です。羊の毛刈りは行えず、周辺の魔獣を討伐するお仕事になってしまいました』

 

『そうか、つまらんな。どうした祭祀長、報告を止めるな』

 

『以上が今回の報告です。お菓子作りの手伝いが、何故かウルクお菓子王決定戦になってしまい……』

 

『……何故、そうなる? 文脈が読めんではないか』

 

『以上が本日の報告です。浮気の素行調査の筈が、謎の地下空洞に辿り着いて……』

 

『…………(ゴクリ)。む? ええい、報告なら聞いているわシドゥリ!』

 

『以上が本日の報告です。高騰した羊肉と乳を巡る争いは、先輩の「それなら豆を食べればいいじゃない」発言によって一応の決着を……』

 

『いや待て、それで決着がつくのか? もしや貴様ら、麦酒のおつまみとして売り出したのではあるまいな? それはウルクにはまだ早すぎる!』

 

彼は最初こそ、こちらの活動を興味なさげに聞き流すだけだったが、最近は公務を一旦置いてからマシュの言葉に耳を傾けるようになった。

それはもう、寝物語をせがむ子どものように、目をキラキラさせながら傾聴するものだから、端から見ているととても微笑ましい。

玉座に座り公務を続けていては息抜きもロクにできないため、マシュの語るカルデアの活動報告が段々と楽しみになっていったようなのだ。

 

「来たか、カルデアの。カドック・ゼムルプスと藤丸立香だったか」

 

玉座で兵士からの報告を聞いていたギルガメッシュ王が、こちらを見るなり開口した。

ただの一声で場内が緊張し、空気までもが引き締まる。

その厳しい眼差しはまるでこちらの全てを見透かしているようで、自然と体が強張っていた。

 

「中々の業績だな? ウルク市民から貴様達の働きに関する声もそれなりに届いている。(オレ)から見ればまったく面白みのない働きだったが、世間の評価というものもある。細やかな雑務にはそろそろ飽きてきたのではないか? ウルクの外に出る許可証をくれてやる故、もそっと派手に活躍するがよい」

 

「それってつまり…………」

 

(オレ)からの王命というやつよ。光栄に思えよ、雑種?」

 

ニヤリとギルガメッシュ王は口角を吊り上げる。

 

「貴様達にはマーリンと天草の仕事を手伝う事を命じる。特にあのエセ神父は怠け者だ。しっかりと尻を叩いて働かせるのだ。良い――いや、愉快な報告を期待しているぞ」

 

そう言って、ギルガメッシュ王は下がるように命じると次の仕事に取り掛かる。

必要なことは全て言ったと言わんばかりの態度ではあるが、ここに至るまで二週間ほどもかかったことを考えると大きな前進だ。

一介の何でも屋と王の勅使ではその立場もやれることも大きく変わってくるのだ。

 

「よかったですね、みなさん」

 

一際、喜びの感情を現したのはシドゥリであった。

祭祀長という立場にありながら、異邦人である自分達の世話を文句ひとつも言わずに請け負ってくれたのだ。

ロクに話も聞いてもらえない状態からここまでの信頼を勝ち取ったことに対して、目に涙すら浮かべて我が事のように喜んでくれている。

そんな風に思ってくれているのなら、こちらも期待に応えて相応の結果を残さなければならないと強く気を引き締めねばならない。

 

「本当、諦めずに頑張られたみなさんの努力の賜物です」

 

「そうだね。最初はもうお手上げって思ったけど、白旗振らずに頑張った甲斐があったよ」

 

「はい、本当に。白旗、ですか? 私も振らなくてよかったです」

 

シドゥリは仕事がまだあるということで、ジグラットの入口で別れることになった。

入れ替わりに四郎と白衣の魔術師、そしてもうひとり、和風の軽装に身を包んだ少年が待ち構えていた。

 

「うん、まさかあの王様の方から折れるとは思わなかった」

 

そう言って笑うのは白装束の魔術師。花の魔術師マーリン。アーサー王伝説においてアーサー王を導く魔術師だ。

彼はギルガメッシュ王が召喚した最初のサーヴァントであり、宮廷魔術師として様々な助言を与える傍ら、彼の命を受けて周辺の地の調査を行っているらしい。

 

「ボクの方は北のクタ市に赴いて、ある物を探し出すことだ。王様の忘れ物探しだね」

 

そういうと簡単そうな任務だが、クタ市は三女神同盟が現れるやいなや、一夜にして消失した都市だ。

血痕も争った跡もなく、市民達は眠るように息を引き取り都市機能が麻痺してしまったらしい。

得体の知れなさでは南の密林とさして変わらないだろう。

 

「その密林には私と小太郎で向かいます。ええ、前々からギルガメッシュ王より賜っていた任務なのですが……」

 

「天草殿は色々と理由をつけては逃げ回っていましたね。「いいかげん働かぬか。貴様のせいで貴重な戦力である二騎が失われたのだぞ」とこの前も怒られていました」

 

淡々と答えるのは和装の少年。名は風魔小太郎。東洋の神秘である忍者集団の頭領らしい。

彼もまたギルガメッシュ王に召喚されたサーヴァントの1人だ。

彼の話によると、他にも四騎のサーヴァントが召喚されていたらしいのだが、茨木童子は出奔。巴御前は魔獣戦線にて敵と相打ちになり、牛若丸と武蔵坊弁慶は四郎の代わりに密林の調査に向かって消息を絶ったらしい。

四郎達が向かうのは牛若丸達が消えた南の密林。未だ謎多き神性が支配する魔の領域だ。

 

「さて、私としてはカドックとアナスタシア皇女にご同行願いたいのですが、どうでしょう?」

 

「なんで僕なんだ?」

 

「いけませんか? あたなと私の仲じゃないですか?」

 

「そういうところが信用ならないんだよ、お前は」

 

この前の牛の出産騒動のように、四郎は結果的に物事がうまくいく道筋を見つける才能のようなものがあるようだ。

だが、その過程において巻き込まれたものは酷い被害を被ることも多い。

彼の善意に振り回されて色々と無理難題を押し付けられたのは一度や二度ではないのだ。

 

「まあまあ。別に断る理由もないだろう。うん、こちらとしても3人は欲しかったから、藤丸くんたちとアナは僕の方で借りよう」

 

見かねたマーリンが仲裁に入る。

争っていても仕方がない。王命を受けた以上、速やかに事を進めなければ王の機嫌を損ねることになると彼は説く。

 

「確かに……」

 

「だろ。じゃあ、2人は借りていくね」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

「カドック、そっちも頑張ってね」

 

「待て待て、出発する前に患者の家に使いを走らせろ! 往診の予定、キャンセルさせてくれ!」

 

 

 

 

 

 

準備を終え、立香達と別れたカドック達は一路、南の密林に閉じ込められたウル市を目指すことになった。

ウルク市から往復で二日程度の距離にある街で、三女神同盟が現れてからは完全に連絡が途絶えてしまっている。

しかも、密林に入った者は例外なく戻ってこなかったため、どのような被害を被ったのか、生存者はいるのかすらわかっていない、完全な陸の孤島となっていた。

 

「街の外に出るのは久しぶりでしたね。ご気分はどうですか、カドック殿? 皇女殿下?」

 

「そうですね。やはり、広い世界を歩くのは気持ちがいいです。少し、足は痛みますが」

 

「どこかで休むか? 結界を張れば休むくらい……」

 

「いえ、大丈夫です。本当にダメな時は言いますから。それに、余りのんびりしていられないでしょ」

 

柔らかい声音が一変、氷のように冷たい鋭さを持って発せられ、その視線がカドックの背後を射抜く。

直後、悲鳴すら上げることなく凍り付いた魔獣が地面に倒れ込んだ。

 

「こいつはムシュマッヘですね。『十一の子どもたち』がここまで出てくるとは、驚きを禁じ得ません」

 

魔獣の遺体を検分した四郎の言葉に、カドックは身を固くする。

このメソポタミアの地で暴れている魔獣達は皆、既存の生態系から大きく離れたものばかりだ。

その何れもが神話に伝わるティアマト神の子ども達と共通した特徴を有しており、人々の中には北に救う魔獣の女神をティアマト神と同一視する者まで現れているらしい。

創世神話に伝わる神々の母であり、番いである男神アプスーと交わって多くの神々を生み出した女神ティアマト。

後に子ども達の叛逆を受けたティアマトは独自の力で『十一の子どもたち』という魔獣を生み出し戦ったのだが敗北。

その身は裂かれ、海に浮かぶ大地と天を支える柱とされた。

つまりティアマト神は生命創造の権能を持つことになり、資源さえあれば無尽蔵に我が子を産み落として軍勢を広げることができるのだ。

これを百獣母胎(ボトニア・テローン)というのだが、北の魔獣達の勢力を見る限り、魔獣の女神はこの権能を有している可能性が非常に高い。

無限の軍勢という意味では北米で戦った女王メイヴも同じだが、彼女が生み出したケルトの戦士と違ってこちらは無数の魔獣達だ。

凶暴さも危険度もあちらの比ではないだろう。

改めてギルガメッシュ王の采配には脱帽せざるをえない。そして、それだけのことをやって来たのなら、当然ながら次に待つのは反撃だ。

あの傲慢な王様がただの防戦で満足するようならば、とっくの昔にウルクは滅びているだろう。

 

「それはおいおいとお話ししましょう。それよりも今は南の密林です。ユーフラテス河を渡ればウル市は目と鼻の先。下手をすると問答無用で二柱目の女神と戦うことになるかもしれません」

 

「その場合、僕らに勝ち目はありません。僕が時間を稼ぎますので皆さんは逃げてください」

 

小太郎の言う通り、もしも女神と戦うことになれば自分達など吹けば飛ぶ藁の家も同然だ。

ウルクに滞在中、何度か飛来したイシュタルを目にし戦う機会もあったが、カルデアの4人が力を合わせても追い返すのがやっとであった。

それも真っ当に押し返したのではなく、ダメージを受けたイシュタルがやる気をなくしたことで命を拾ったのだ。

マーリン曰く、彼女は疑似サーヴァントとして現界しているので、召喚前の神格だった頃よりも力そのものは衰えているらしい。

三女神同盟が全員疑似サーヴァントという訳はないだろう。次に相対する女神がそれ以上の力を有している可能性があると踏んで挑まなければ、戦う事はおろかこの密林から戻ることもできないだろう。

 

「いいさ、格上相手の殴り合いはもう慣れた。精々、足掻いてやるとするさ」

 

だが、敵は思わぬところから現れるもの。

二柱目の女神やその配下を警戒しながら密林へと足を踏み入れたカドック達は、まったく別の脅威に晒されることになった。

 

「…………」

 

「………………」

 

「………………」

 

「……………………」

 

草木を掻き分け、泣き喚く虫や鳥の声に耳を傾けながら歩くこと10分。

湿地帯特有のぬかるみに足を取られ、刺々しい葉に肌を傷つけられながら、4人は黙々と密林の奥を目指す。

色鮮やかな花を見つけ、毒々しい色の蝶が羽ばたき、阿呆面を晒す怪鳥と出くわした。

いつもなら咲き乱れる歓声や驚嘆の声はない。4人はただ、黙々と前に進む。

その沈黙に耐えかねたのか、カルデアから通信を告げるアラームが鳴った。

 

『ハロハロ。ロマニは藤丸くんの方にかかりっきりだから私ことダ・ヴィンチちゃんが担当だよ。みんな密林に入るなりどうしたのかな? 黙っていると寂しくて泣いちゃうぞぉ」

 

場違いに響き渡るダ・ヴィンチのお道化た声。平時なら呆れながらも聞き流せるが、今は不快指数を跳ね上げるだけだった。

何と言ってやろうか。

どんな言葉で表現しようか。

乾いた喉が唾を飲み込み、纏まらない思考を必死で回転させる。

今のこの状況を的確に表した一言。そう、それは――――。

 

ガッデムホット(めっさ暑いわ)!!」

 

アナスタシアが発したこの言葉が最も即しているだろう。

余りの暑さに普段のお淑やかさなどどこかに飛んで行ってしまっている。

わなわなと震える腕を押さえているのは、今にも着ている民族衣装を脱ぎ捨てたいという衝動と必死に葛藤しているからだろう。

心なしか抱き抱えているぬいぐるみの方のヴィイもじっとりと汗をかいているように見えてならない。

 

「日本の夏も湿気が酷いですが、この暑さは……」

 

「恐ろしい熱気です。森というものは、もっと涼しくて、静かで、救われてなくちゃ……」

 

地面から舞い上がる熱気、濃厚な土の匂い、鼓膜を埋め尽くすほどの動物達の声。

第六特異点の砂漠も大概だったが、ここはそれとは別方向の暑さだ。

蒸し暑い、蠅が多い、歩きにくい。しかも物凄いエーテルだ。ダ・ヴィンチが作ってくれたマフラーがなければ容易く意識を持っていかれるところだ。

暑苦しくて別の意味で意識が消えかけてはいるが。

 

『なるほど、エジプト領の時と同じだね。その領域は完全に世界が、いや神話体系が違う。ウルクに角度を合わせたシバでは観測に限度がある。計器も安定しないから精々、君達の周辺くらいしか知覚できない』

 

つまり、カルデアからの索敵は期待できないということだ。

上等だ。こんな状況は一度や二度じゃない。こっちには分厚い壁の向こうを透視するアナスタシアの魔眼と東洋のスカウトであるジャパニーズニンジャがいるのだ。

レーダーが使えないくらいがなんだ。

 

「あれ、私って戦力に入っていません?」

 

「籠城戦ならともかく、こういう状況でできること、何かあるか?」

 

気だるげに手で風を扇ぐ四郎の問いに、カドックは辛辣な言葉を返す。

これが第六特異点で共闘した俵藤太や、同じく日本で活躍した神秘殺しである源頼光、説明不要の坂田金時(ゴールデン)ならともかく、近代に入ってから登場した聖人もどきでは戦力として期待することも難しい。

一応、聖職者らしく洗礼詠唱などの秘蹟は修めているようだが、亡霊や魔性相手でなければそれが活躍することもないだろう。

 

「ああ、確かにその通りです。私って知名度の低い英霊ですし、これといって秀でたものも持ち合わせていません。ただ…………」

 

そこで一旦、四郎は言葉を切って身を翻す。

振り向きざまに放たれたのは、聖堂教会が誇る戦闘員である代行者が使用する武器、黒鍵だ。

まるで時計の針のような形の黒い刃が三本、物陰で息を潜めていた獣人を大木に縫い付けている。

 

「この程度の修羅場なら、飽きるほど潜り抜けてきましたよ」

 

冷徹に、冷静に、油断することなく四郎は次の一手を打つ。

存在を気づかれ、仲間をやられたことで反撃に転じようとした他の獣人達が動き出す前に次の黒鍵を投擲。

それは如何なる理屈か空中で制止し、磁石に引き寄せられる鉄球か何かのように軌道を変えて物陰の獣人達を次々に射止めていく。

密林に上がった悲鳴は五つ。既に囲まれていたようで、四郎が気づかなければ全滅はなくとも思わぬ負傷を受けていたかもしれない。

 

「前言撤回だ。期待しても良いんだな、その眼」

 

「ええ、ガイドの役回りなら任せてください。ですがそれは、この場の窮地を乗り切ってからのことですが」

 

新たな黒鍵を取り出した四郎が強張った顔つきで虚空を睨みつけている。

先ほどの襲撃を察知したように、彼の未来視が何かを見つけたのだ。

すぐにカドックは残る2人に警戒を促すと、敵がどこから来てもいいように注意を巡らす。

感知能力に優れたこの3人ならば、どこに隠れていようとすぐに見つけ出すことができるはずだ。

その上でなお、姿を隠し続けているということは、敵は相当の使い手に違いない。

 

「ふ――――よもや同業者が現れるとは、このジャガーの目をもってしても気づけなんだわ! だが、ここでそこなツンツン頭の息の根を止めればお前達は目隠しされた子猫も同然! 跪いてマネーを渡し、この私に案内を請う事だろう! さあ、頭を地面に擦りつけてこう言うがいい! 「ブエノス・ノーチェス! セニョリータ! セニョールセニョール、ペヨーテたべるか?」と!」

 

突如として密林に響き渡る謎の声。

こちらが姿を捉えられないと踏んだのか、敵は大胆にも大声を上げて恫喝することを選んだようだ。

すぐにアナスタシアが声のした方角を見るが、木々の上を高速で駆け回っているのか彼女の眼をもってしても捉えることができない。

 

「っ……冗談みたいに速くて目で動きが追えない!? いったい、何なの…………?」

 

「ははははは! ははははははははは! ニャはははははははははは! 何なの、ではない! 私は――――私は……んー、何だろう? ちょっと待って、具体的に聞かれると困るニャ……美女である事に間違いはないのですけどね……ハッ!? しまった、考えている内にバービートラップ(意訳:面白い罠)の場所忘れた! 見ず知らずの相手に頭脳戦をしかけてくるとは、恥を知れこの理系!」

 

頭上をぐるぐると回りながら捲し立てられる謎の妄言。どうやら調子に乗った挙句、勝手に自滅してしまったようだが、言葉の端々から何ともいえない残念な気配というか、恐ろしく知能指数の低い気配がヒシヒシと伝わってくる。

余りに支離滅裂で自己完結したバーサーカーさながらの言い分に、いつもは温厚なアナスタシアも思わず辛辣な言葉を漏らす。

 

「……バカなのね」

 

「カバじゃねぇー! なんでみんな私をカバに喩えるのか分からねぇー!」

 

飛び出してきたのは、言葉ではとても表現できない謎の生き物であった。

直視どころか視界を過ぎっただけで思考回路が麻痺しかねない奇妙奇天烈なナマモノ。

濃厚なコーンスープを作ろうとしてうっかり缶詰をケースで空けてしまい、それに気づかないままスープと具の割合が1:9になったことで、それもうコーンスープじゃなくてコーンを煮詰めた黄色い何かだよね、に変化したような感じと言えば、こちらの動揺と混乱が伝わるだろうか。

とにかく目の前にいるのは常識外れのカバ――いや、バカなのだ。

 

『なんだ、その怪生物は? UMAか? UMAなのか!?』

 

さすがのダ・ヴィンチもこれには動揺を隠し切れないようだ。

無理もない。二柱目の女神と相対するのも覚悟で跳び込んだ密林で出くわしたのは、子どもの落書きのような猫か虎の顔が描かれた着ぐるみを着込んだ女性だったのだ。

一応、カルデアの解析によるとサーヴァントではあるらしい。その見た目からはとてもどこの英霊か想像できないが。

 

(うん? そういえばさっき、自分のことをジャガーと……)

 

こんなふざけた言動をする奴なのだ、嘘が吐けるとは思えないので真実とみて良いだろう。

それに加えてこの密林だ。生い茂る植物は原生のものでなく中南米などの南半球に属するものが多数を占めている。

肥沃なメソポタミアとはまた違った意味でどぎつい生を感じる土と空気。

自分のことをジャガーと名乗るサーヴァント。

猫科を連想させる装束。

そこから導かれる答えは一つだ。

 

「答えてやろう! 私は誰でもない! 敢えて言うのなら密林の化身、大いなる戦士の――――」

 

「こいつはジャガーマンだ!」

 

着ぐるみの女性の言葉を遮り、カドックは叫ぶ。

この密林に足を踏み入れた時点気づくべきだった。この密林はウルクのものでなく中南米のジャングルだ。

そこを根城にしているのなら、当然このサーヴァントもそれに関係する英霊のはず。

中南米でジャガーに関する逸話を持つのはアステカ神話に伝わる主神の一柱テスカトリポカだが、このサーヴァントから読み取れる霊基スケールは神霊サーヴァントであるイシュタルと比較してとても小さい。

ならばその分霊。神に近い位置にいるシャーマンなどがその力を得たことで霊的存在となったナワルと呼ばれる守護霊が存在する。また中南米には死をも恐れぬジャガーの戦士に関する逸話があり、彼らはジャガーを連想する衣装を身に纏っていたらしい。

ほとんど博打みたいな推測だが、状況証拠だけを省みればその可能性は大いにあるだろう。

 

「ニャ!? どうして私の真名を知っているのかニャ、チミは!?」

 

こちらの指摘を受けて着ぐるみの女性――ジャガーマンは動揺を見せる。

どうやら、大博打が当たったようだ。ジャガーマンはジャガーの戦士。基本的に男性なのでどうしても確信は持てなかったが、運が良い方に回ったようだ。

そして、相手がジャガーマンなのだとしたらふざけていても主神の分霊。低位とはいえ神性を有していることに変わりなく、気を付けて当たらねば足下を掬われる。

 

「気を付けろ、ジャガーは戦いと死の象徴! ジャガーの戦士は死を恐れない戦いのエリートだ!」

 

「ニャッ!?」

 

「最悪、この人数でも押し負ける! 綺麗な見た目しているからって油断するな!」

 

「ニャニャッ!?」

 

「さすがは悪魔と恐れられたテスカトリポカの別側面。狡猾に自分が得意とするフィールドに誘い込み、確実に勝てると踏んで出てきた訳か! こいつは強いぞ、確実に! 考えたくはないが、密林の女神はこいつという可能性もある!」

 

「ニャー! 何だか知らないけどそれ以上はヤメレー!!」

 

立て続けに並べられる美人麗句にジャガーマンは顔を赤面させ、両手をブンブンと振り回して後退る。

その様子をどこか冷めた目で見つめていたカドック以外の3人は、このまま放っておいていいのか、それとも隙だらけのこの虎(?)を攻撃しても良いのか決めかねて動けずにいた。

ただ、少なくとも向こうがこれ以上、危害を加えてくることはないことだけは確かだろう。

 

「私、啓示でアレを見てずっと警戒していたのですが、まさかあんな攻略法があるとは……」

 

「えっと……多分、あの人にしかできないと思います。彼、神様とか伝説とか大好きだから」

 

「なるほど、例え相手が信じられないくらいポンコツでふざけた言動でも、まず先に神や仏としての立場を慮って敬意だけは忘れないわけですね」

 

「神様からすればこの上なく有難い人間な訳だ。うん、僕らじゃ確かに真似できない」

 

感謝にしろ恐れにしろ、その神性に向けて感情を向けることは信仰に繋がる。

そういった人々の念が積み重なる事で神格は己の力を増していくのだ。確かにそういう意味では、カドックのスタンスは神にとって有難いものだろう。

今のような状況を除けばだが。

 

「わ、わかったニャ! わかったからそんなに信仰向けニャいで! ガイドする! ロハで良いから、ニャー!!」

 

灼熱の密林で、猫の嬌声が木霊する。

ジャガーマン、この世の春の到来であった。まる。




ジャガーマン、再起不能(精神的に)。
というわけで天草が密林に行くのを渋っていたので代わりに牛若丸と弁慶が犠牲になった訳です。
アナスタシアのあのセリフは絶対にここで入れてやろうと思っていたので満足。
砂漠ですら文句言わずに横断したぐだマシュが音を上げるくらいだから、相当暑かったんでしょうね、ウルクの密林。

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