Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女 作:ていえむ
ジャガーマンの遭遇から凡そ20分。カドック達は彼女の案内で目的地であるウル市へと到着した。
「えー、アテンションプリーズ。本日はご乗車ありがとうございまーす。まもなくぅ、ウル市ぃ。ウル市ぃでございまーす」
口元に手を当てながら、ジャガーマンはやや気取った声音で街の入口を指し示す。
ふざけた言動こそそのままではあるが、先ほどの一戦を経てジャガーマンはすっかり大人しくなっていた。
今後はわからないが、少なくとも今はこちらに敵意を向けるつもりはないらしい。
「はい、というわけでマネーをおくれ。ミカンでもいいニャ」
「結局、請求するんですね。タダでいいと言っていたのに」
「都合の悪いことは忘れよ。お布施はいつだってウェルカム」
「はいはい。カドック」
「……だろうと思ったよ」
財布は持ち合わせていないという四郎のポーズにため息を吐きながら、カドックはアナスタシアに繕ってもらった財布代わりのポーチを探り、一瞬だけ迷った後に手に取った一番安価な硬貨を手放して二番目に安価な硬貨をジャガーマンに手渡す。
何故だか物凄く有難がられて目に涙まで浮かべられていたが、理由は特に聞かなかった。
女神に対する敬意はともかくとして、言動そのものは終始ふざけているので付き合う分には気苦労が多いからだ。
どうせ次の瞬間にはコロッと気分も変わっているはずだ。
「いえ、あれはまさか本当にくれると思わなかったっていう驚きの顔じゃないですかね?」
「何か言ったか、小太郎?」
「いえ、別に。僕には関わり合いのないことですし」
是非もないね、とどこかの武将のような言葉を呟きながら、小太郎は道中の警戒のために手にしていた苦無を懐にしまう。
その隣ではアナスタシアが疲労困憊という様子で岩の上に座り込んでいた。
まるで滝のような汗が額から流れ落ち、透き通るような肌は土気色になっていて見る影もない。
街の中は密林ほど暑くはないが、それでもウルク市よりも気温は遥かに高く、北国育ちの彼女には辛いのだろう。
「大丈夫か?」
「え、ええ。この程度の環境で暑いなどと……」
「無理しなくていい。結界を張っておくから、ここで休んでいるといい」
「……いえ、ここは敵地なのでしょう。なら、アナタの側にいさせて……」
「わかった。でも、辛かったら言ってくれ」
気休め程度の代物だが、治癒の魔術をかけておく。暑さはどうにもならないが疲労は幾らかマシになったはずだ。
「ジャガーマン、さっき話してたケツァル・コアトルのことだが…………」
「うん、本拠地はエリドゥ市の方だから、ここにはいないわ」
道すがらジャガーマンから教えてもらったことだが、この密林を支配している三女神同盟の一柱はケツァル・コアトル。
中南米に伝わるアステカ神話の主神の一柱であり、悪神テスカトリポカと敵対する善なる神である。
その名の意味は「羽毛ある蛇」、「翼ある蛇」を表しており、明けの明星の具現である善神トラウィスカルパンテクートリ神、マヤのククルカン神と同一視されている。
ジャガーマンと同じく本来ならば男性の神格なのだが、召喚の際の何かしらのイレギュラーで女性神として現界しているそうなのだ。
恐らく、同一視されている明けの明星――金星が内包する美の化身ヴィーナスのイメージに引きずられたのではないだろうか。
「街への木々の侵食は見られますが、人々は概ね普段と変わらない生活をおくれていますね。そのケツァル・コアトルは少なくとも理性的な女神のようだ。ある一点を除いて…………」
行き交う人々や水場で談笑する人々の姿を観察していた四郎が表情を曇らせながら呟く。
ウル市は確かに健在だった。ウルク市のように凶暴な魔獣達に脅かされている訳ではなく、往来からは子ども達の賑やかな声が聞こえ、家々からはかまどの煙が立っている。
少しばかり覇気がなく、大人たちが沈んだ表情を浮かべていることを除けば平和そのものだ。
「あら、見かけない方ですね。外から来られたのですか?」
偶然、通りかかったひとりの女性がこちらに話しかけてきた。
慌ててジャガーマンは物陰に隠れて息を潜める。一応、彼女はケツァル・コアトル側の英霊。
ウル市にも彼女の配下として何度か来たことがある為、顔を知られているかもしれないからだ。
幸いにも女性はジャガーマンに気づかなかったのか、特に警戒心も見せずケガ人の有無などを四郎に聞いてきた。
「これはご親切に。幸いけが人はおりません。我々はギルガメッシュ王の命でウルクからこの街の状況を調査しに来た者です」
「まあ、ウルクから」
「ええ。皆さんが生きているのかを調べ、必要ならば大規模な救援隊を組織する予定です。我々はその先遣隊ですね」
「そうでしたか。申し訳ありませんが、わたし達はウルクには避難しません」
顔を俯かせながら拒絶の意を示す女性の態度を見て、事前にジャガーマンから事情を聴きだしていたカドック達はやはりなと顔を見合わせる。
ケツァル・コアトルは密林を広げてメソポタミアの南一帯を支配圏に置いたが、そこに住まう人々を襲うような真似はしなかった。
それどころか北方から迷い込んでくる魔獣達から街を守っているらしい。
ただし、そのための条件として街の外へ出ぬことを住民に課していた。
森の外に助けを求める者、外へ連れ出そうとした者は皆、ケツァル・コアトルによって連れていかれてしまうのだ。
街から出ない限り身の安全は保障される。何もしなければ世界の終わりまで、生き永らえることができるのだ。
だが、その為の代償はとても無視できるものではなかった。
「わかりました。では、この旨は持ち帰って王にご報告させて頂きます。いえ、悪いようには致しませんので。はい」
四郎が一礼して話を終えると、女性はそそくさとその場を立ち去ってしまう。
他の住民達もこちらがウルクから来た者であると気づいたのか、ほんの少し警戒心を見せ始めていた。
中には露骨に怯えて家の中に隠れる者までいる。
「ジャガーマンの言う通りですね。この街では女神に生贄を捧げています」
「うんうん。一日に1人、活きのいい男をエリドゥ市に献上する訳ニャ。ああ、もったいない」
周囲に人がいなくなったことを確認し、ジャガーマンが物陰から姿を現す。
最後の言葉はどうせ殺すなら自分にも分けろという意味だろうか。
彼女の本体とも言うべきテスカトリポカは生贄を推奨する悪神なのでそう思うのも無理ないだろう。
一方でケツァル・コアトルは本来、生贄の習慣を否定した善神である。それなのにこの密林では人々を庇護する代償として生贄を要求している。
そこがカドックにはどうしても納得できなかった。
「ジャガーマン、エリドゥ市にはどう行けば良い?」
「ニャ?」
「アナタ、何を考えているの?」
「直接、確かめてくる。ケツァル・コアトルと生贄の要求がどうしてもイコールで繋がらない」
「いやぁ、さすがにククルん――ケツァル・コアトルもお膝元まで近づいたら黙っていないと思うニャ」
「そうね、いくら何でも危険すぎます。少し、落ち着きましょう、アナタ」
「わかっている。わかっているけど……」
どうしても納得ができない。それは何もケツァル・コアトルの要求だけではなく、この街の住民の態度についてもだ。
ここで何人が死のうと知ったこっちゃないが、死の捉え方についてはどうしても許容できない。
この街にいる者は皆、抗う事を諦めてしまった者達ばかりだ。
自分ではどうしようもならない理不尽を前にして、戦う事も逃げる事も放棄して終わりを待つだけの生きた死人ばかりだ。
先ほどの女性も、木陰で涼を取っていた老人も、子どもをあやす母親も、誰も彼もが死を恐れながらも生きることを諦めている。
何もしない事が生き残る事に繋がる。例えそれが二ヶ月と保たない安寧であったとしてもだ。
彼らを見ていると思い出す。何度も夢に見たアナスタシアの生前。あの地獄のようなイパチェフ館で生きたまま心を腐らせていった彼女の父母や姉妹達。
そこでは最後まで明るさを失わなかったアナスタシアだけが唯一の生者であった。だが、この街にはアナスタシアがいない。
この街にはもう、生きている人間がいないのだ。ただ、死んでいないだけで。
「うん? カドックん、ひょっとして何か誤解している? ククルんは誰も殺したりしていないよ」
「え?」
ジャガーマンからもたらされた予想外の情報に、カドックは思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「だって、生贄を差し出すって……」
「うん。けど、人殺しとか時代遅れって言われて禁止されたから、誰も殺していないニャ。私としては美味しそうなの何人かいたから齧りたかったけど、それするとククルんが本気で怒るから仕方なく強制労働の監督とかしてたニャ。あれはあれで死ぬより地獄だと思うけど」
何だろう。顔がとても熱い。さっきまでの自分が物凄く恥ずかしい怒り方をしていたような気がして耳まで真っ赤になっているのが分かる。
「まあまあ。他人のことで怒れるならそれは優しさの証拠。アナタのそういうところ、私は好きよ」
「い、今はそういうの止めてくれ!」
追い打ちをかけるアナスタシアの言葉にとうとう、耐え切れなくなったカドックは手の平で顔を覆ってしまう。
うっかり眼鏡のレンズに手の油がついてしまったが、今はそれを気にしている余裕もなかった。
「街の状況と女神の情報。これだけ知れればとりあえずは十分です。ジャガーマン、念のため聞きますが、連れ去られた人をこっそり救い出すことは?」
「うーん、ククルんが留守の隙を突けば良いと思うけど、気づいたらきっと取り返しに来るニャ」
「なら、しばらくは様子見になるでしょうね。現状では魔獣戦線が最優先事項。あれをどうにかしない限りはこちらに手をつけることはできないでしょう」
生贄にされた人々を救出すればケツァル・コアトルは必ず報復に現れる。
もしもその隙に魔獣達が戦線を押し込もうとしてくれば、ウルク市は忽ちの内に蹂躙されてしまうだろう。
幸いにもケツァル・コアトルは密林の支配を優先していてウルク市には余り注意を向けていない様子。
何かの気紛れを起こす可能性はゼロではないが、とりあえずの脅威にはなり得ないだろう。
後は、このことをギルガメッシュ王に報告すれば今回の任務は終了だ。
「ソウハサセナイ……オマエタチ、密林カラ出ルノユルサナイ」
「ジャガーマン、ユルサナイ。裏切者ユルサナイ」
いつからそこにいたのだろうか。密林でも遭遇した獣人達が手に手に武器を持って街の出口を塞いでいる。
姿を現しているところを見るに、奇襲は通じないと学習したのだろう。代わりに人数を以前の倍近く揃えている。
生意気にもファランクス陣形を真似しているようだ。
「え? 私ってば裏切ったことになっているの?」
「密林ノ誇リヲ忘レタカ! ニンゲン、観光人! ニンゲン、労働力! ニンゲン、ATM! オレタチガイドスル! ソウ教エタノ、オマエ! ナノニ裏切ッタ!」
「あ、何だか全然、ククルん関係ないところで失望されてた」
「というか、今の今まで裏切ってた自覚なかったのか。一応、神格だから申し訳ない気持ちはあるが言わせてくれ。頭の中まで猫科なのか!」
「ノー、アイアムジャガー! 虎じゃねぇ!」
言うなり、愛用のカギ爪付こん棒を振り回しながらジャガーマンは突貫する。
その後ろから四郎が続き、小太郎が手裏剣を投擲して2人を援護する。
多少の知性はあってもやはり獣人。最初こそファランクスで持ち堪えていたが、押され始めると野性を抑えきれずに各自が勝手に動き出し始め、その隙に各個撃破されていった。
「
「ええ、しっかりと掴まっていて!」
アナスタシアの手を掴んだ瞬間、体が重力に逆らって宙を舞う。
次々と現れる獣人の群れと密林の木々を掻き分け、カドック達は一目散にウル市を後にしたのであった。
□
翌日。
獣人達の追撃を退け、何とかウルク市まで戻ってきたカドック達は、その足でギルガメッシュ王が待つジグラットを訪れていた。
相変わらず山のように積まれた仕事を片付けていく英雄王ではあったが、こちらの姿を認めると仕事の手を止めて報告を促してくる。
その目には一刻も早く情報が欲しいという焦りと、どんな話が聞けるのだろうかという好奇心が同居しているのが見て取れた。
「……以上が、ウル市の現状です。住民達の態度は固く、また街の周囲を女神配下の獣人が守りを固めているため救出は困難と思い、帰還致しました」
「そうか。むざむざ撤退してきたというのか。しかも、ジャガーマンだと? 記念すべき
「呼んだかニャ?」
「――しばし待て」
一瞬、ギルガメッシュ王の顔から表情が消える。
気持ちはわかる。自分達もジャガーマンと初めて遭遇した時は同じように固まったものだ。
こんな猫だか虎だかわからない着ぐるみを着た奴が英霊で、しかも神性を有するテスカトリポカのナワルなどと誰が思うだろうか。
「カドックよ、正直に言おう。
酷い言いようもあったものである。確かに、ウルクに来てからというもの、英雄王好みの面白可笑しい事件に巻き込まれるのは、だいたい立香の方で、自分はというと老人だとか奴隷だとかの往診やら相談相手だとかしかやってこなかった。
それでも一応、頑張ってきたつもりなのだが、やはりギルガメッシュとしては娯楽にもならないイマイチなエピソードばかりだったようだ。
「なに、そう腐るな雑種。こんな愉快な生物に好かれる愚者などそうそうおるまい、それは誇ってよいぞ、
「は、はあ…………」
「して、このジャガーマンは何を好む? やはりマタタビか?」
「猫じゃねー! 虎だ! いやジャガーだ!」
「ははは、この雑種猫、よく吠えるではないか」
どうやら、ジャガーマンを見て英雄王はかなりのご満悦のようだ。
普段は眉間に皺を寄せながら厳しい口調で臣下を捲し立てるギルガメッシュが、今は人目を憚ることなく腹を抱えて笑っている。
「いかんいかん、笑い過ぎて危うく腹が捩れるところだ。これは後で記録に記しておこう。本日、我腹筋大激痛と。ははは……」
「よおし、この王様今すぐ殴る! 殴ってウルクは私のもんじゃ――」
「はいはい、ここからは大事なお話ですから下がっていてくださいね」
四郎が目配せすると、小太郎は気配遮断を用いて音もなく背後に回り込み、そのままジャガーマンの首根っこを掴んで玉座の間を後する。
当然ながら暴れるジャガーマンではあるが、小太郎も手慣れたものでサッサと猿轡を噛まして無駄に大きな彼女の声を遮った。
英雄王には悪いが、このままジャガーマンにいられては話がちっとも前に進まない。
「王よ、そろそろ……」
「わかっておる、シドゥリ。カドックよ、ウル市の調査、よくぞ成し遂げた。ジャガーマンについては処遇をお前に預けよう。それと、市民の救助と女神への対策はしばし棚上げとする。どうやらケツァル・コアトルなる密林の女神は北の魔獣の女神とは相反する考えのようだからな」
北のティアマト神の再来は、配下の魔獣を使役してウルクを平らげんとしている。本来ならば生きる為、縄張りを守る為だけに戦うはずの野生が執拗に人間だけを狩りつくさんとしている様は病的なまでの憎悪を感じ取ることができる。
対してケツァル・コアトルの所業からはそのような悪感情は感じ取れない。確かに生贄は野蛮ではあるが、密林で行われているのは非常に理性的な儀式だ。
本来の生贄とは恐怖や享楽、偏見、或いはもっとシンプルな生存欲求から発する罪なきものを貶める風習である。土地の習俗、国の法律、宗教の戒律。理由は様々であるが、何らかの犠牲を代償にすることで人間は生きているといっていい。
広義の意味では日々の食事ですら生ある物を食らうという生贄なのだ。だが、あそこで行われていたのは選抜だ。切り捨てることで貶めるのではなく、価値を認めるが故に屠る。まるで生贄に選ばれることが栄誉であると言わんばかりに。
それでも犠牲であることに変わりはないため、ギルガメッシュとしては非常に歯痒い思いを強いられる結果となった。
「天草、ウルよりエリドゥは見えたか? 斧は健在であったか?」
「いえ、樹海は深くエリドゥを見ることはできませんでした。ですが、そちらの方角から強い神気を感じ取れましたので、斧は変わらずエリドゥにあると見ていいでしょう」
「では、樹海攻略は必須だな。荷車の制作に取り掛からねばならぬか……」
四郎の言葉にギルガメッシュは難しい表情を浮かべながら傍らにいた兵士に何かを命じる。
斧がどうの、荷車がどうのと言っていたので、何かをエリドゥ市から運び出そうと考えているようだ。
あそこは件の女神が一柱、ケツァル・コアトルの本拠地だ。もしもそこに攻め入るとなると苦戦は免れない。王の顔色が悪くなるのも無理はない。
「まあよい。長旅ご苦労であった。何かあればまた使いを出す故、それまではいつも通りの仕事に戻れ!」
「はっ!」
「それと戻ったら藤丸を労ってやれ。今頃、寝台でうなされている頃であろう」
「藤丸が? あいつに何かあったのか!? いえ、あったのですか!?」
向こうはマシュとマーリンがいるので守りは万全なはず。それでも寝込んでしまったということは、相当の修羅場を潜り抜けてきたということだろうか。
確か彼らはクタ市にギルガメッシュ王が紛失した物を探しに行くと言っていたはずだが。
「役目は無事に果たしている。ただ報酬として天命の粘土板を読ませたのだ。
そう言ってギルガメッシュは机の上に置いていた一枚の粘土板を取り上げて見せる。
それが彼の言う天命の粘土板なのだろう。話の内容から察するに、未来視かそれに類する能力で視た光景を記したものなのだろう。
確かにそんなものを見せられては何の抵抗力も持たない凡人では精神が参ってしまう。立香にはお気の毒様として言いようがない。後で麦酒の一杯でも奢ってやるとしよう。
「では、カドック。皇女様。私は街の見回りがありますのでこれで」
「次があればまた、よろしくお願いします」
ジグラットを後にし、外でギルガメッシュ王への報告が終わるのを待っていた小太郎達と合流すると、四郎は礼儀正しく一礼して小太郎を伴ったまま街の雑踏へと消えていく。
後に残されたカドック達は、密林からそのままついてきたジャガーマンへの対応をどうしたものかと頭を悩ませる。
ギルガメッシュ王から身柄を預けられた以上、下手なことはできない。かといって大使館に連れて帰るのは少しばかり抵抗があった。
主にふざけた言動で精神的な疲労が多そうだからだ。別に庭に犬小屋でも建てて放り込んでおいてもいいのだが、仮にも彼女はテスカトリポカのナワルだ。雑に扱って天罰でも下ったら敵わない。
「おや、カドックん心配事かい? 何ならお姉さん、いつでも相談に乗るわよ」
「間に合っています」
「ニャ!? 何か抱き着いて渡しませんなアピールされても羨ましくないニャ! この青春お盛んボーイ&ガールめ!」
(何を言っているのかさっぱりわからない。後、冷たい)
腕をぶんぶんと振り回しながら喚くジャガーマンを、カドックはアナスタシアの腕の中から冷ややかな目で見つめていた。
どうでもいいがウルクの気候は温暖なので、冷気を纏っているアナスタシアに抱きしめられるとヒンヤリとしていて気持ちが良い。さすがに人前では恥ずかしいし、四六時中このままでは風邪を引いてしまうだろうが。それと何がとは言わないが物凄く柔らかい。
「はあ、まあ良いニャ。ここは出会いにご縁がなかったということで。それはそうとカドックん、お姉さんお腹空いたからお小遣い頂戴」
「神格なのに買い食いする気なのか?」
「私って疑似サーヴァントだから、食事も睡眠も必要なのよ。ほら、お布施だと思って」
「あんまり持ち合わせないんだが」
そう言いつつもそれなりの物が食べられるよう、羊の銀を何枚か渡す。最上級の巫女の銀を渡さなかったのはせめてもの抵抗だ。
これがないと今晩の夕食からラムステーキが消えてレンズ豆のリゾットだけになってしまう。
「ほら」
「おお、こんなに良いの!? ヒャッホー! さすが私の信者一号! これぞ夢の
何やら聞き捨てならない妄言を喚きながら、ジャガーマンは硬貨を引っ手繰ってウルクの市場へと駆けていく。
その光景をカドックとアナスタシアは唖然とした表情で見つめていた。
「信者って……」
「どちらかというと、飼い主よね?」
「言わないでくれ、気が滅入る」
今後のウルクでの生活がどれほど騒がしいものになるか想像し、眩暈を覚えるカドックであった。
□
その日の夜。
陽もすっかり暮れ、松明で彩られたウルク市では市場と入れ替わるように娼館が賑わいを見せ始める。
ウルクならば勤勉なものなら既に床につく時間であったが、四郎から急な呼び出しを受けたカドックはアナスタシアを伴って商人街に住む老夫婦の家を訪ねていた。
何でも夫の方が持病の胸痛を起こして苦しんでいるため診て欲しいということだった。と言っても駆け付けた頃には痛みも治まり出しており、魔術で精査しても特に異常らしきものは見当たらなかったので、完全に骨折り損ではあったが。
「……では、また痛み出したら呼んでくれ。それと、仕事に出るのは構わないが重い物を持つのは避けるんだ。下腹に力を入れたら再発しやすい。多少、手間でも小分けにして運ぶよう心掛けてくれ」
「わかりました。色々と、ご迷惑をかけてすみません」
「本当にありがとうございます」
「お大事にしてくださいね、おじいさん。さ、行きましょうか」
アナスタシアに手を引かれ、2人に見送られながらカドックは老夫婦の家を後にする。
少し遅れて、2人と話していた四郎も後ろから追いついてきた。
「本当にすみません、夜分なのにご足労をかけて」
「もう慣れたよ。お前こそ、こんな時間まで街を見回っているのか?」
「ええ、もう少しだけ見て回ったら棲み処に戻るつもりです。では、2人ともご機嫌よう」
そう言って、四郎はカドック達と別れて夜の人混みへと吸い込まれていく。
聞いた話によると、ギルガメッシュ王からの命令がない時は、朝から晩までああして街を見回りながら住民のトラブルの解決などを図っているらしい。
本人はすぐに帰ると言っていたが、実際にはジグラットにもほとんど戻っていないようなのだ。
精力的と言えば聞こえはいいが、休むことなく人助けを続ける姿にはどこか病的なものさえ感じられる。
ロマニといい四郎といい、どこの時代にもああいう偏屈なお人よしはいるものらしい。
或いはああいう頑なな性格が彼を英雄たらしめたのかもしれないが。
「ああいう英雄もいるんだな」
「東洋の英雄はあまり、馴染みがありませんものね。あ、少し先に段があるから気を付けて」
「わかった」
「しばらく進んだら曲がるから、幅を大きく取りながら右に大回りで」
アナスタシアの指示を受けながら、カドックは薄暗い夜の道を歩いていく。
ダ・ヴィンチの礼装があるとはいえ、明かりが乏しいウルクでは夜に出歩くのは危険が多い。
雲か何かで月明かりが遮られようものなら、思わぬ障害物に足を取られることもままあるのだ。
ただ不憫ではあるが、嫌な事ばかりという訳ではない。出歩く時は必ずアナスタシアが着いて来てくれるし、こうして彼女と手を繋いで歩く事ができる。
急ぎでなければ途中で休憩を挟みながら、転ばぬようゆっくりとした歩幅で歩くので、とても穏やかなふたりだけの時間を過ごすことができるのだ。
なので、できることなら永遠に目的地に辿り着かなければいいのにと、いつも思ってしまう。
「おー、誰かと思えばカドックんに皇女様」
不意に声をかけられ、振り向くと着ぐるみ姿の女性が往来から手を振っていた。
昼間にジグラットの前で別れたまま、それっきりになっていたジャガーマンだ。
「ジャガーマン、何やっているんだこんなところで? 大使館の場所、お前知らないのに勝手にどっかに行って……」
「ニャははは。何だか心配してくれるとこそばゆいニャ。まあ、私は野生のジャガーなので寝床は自分でどうにかするから別にいいのだ。それよりも2人の方こそこんな夜更けにデートかい、この不良少年少女め」
「デッ!?」
「ええ、そうよ」
言葉に詰まるカドックを尻目に、打てば響くようにアナスタシアは応える。
そうなると俄然、狼狽えるのはカドックの方だ。頭では理性的に否定しようとするのに、どうしてもうまく言葉でできず大きな声を張り上げることしかできなくなる。
「違っ!」
「違うの?」
「ちが……わない……」
下心がある手前、あまり強く出れずカドックは語尾を濁す。
その様子を見ていたジャガーマンは笑っているような苛立っているような複雑な表情を浮かべていた。
「ああ、アオハルかよ。いいねぇ、産めよ増やせよ……大いに励め若人よ。もちろん、節度はしっかり守ってニャ」
「せ、節度って……ちょっと、ジャガーマン……」
「ほれほれ、皇女様はお顔が真っ赤だぞっと」
ジャガーマンの言葉に、今度はアナスタシアの顔が耳元まで真っ赤に染まる。
どうやら人をからかう才能にかけては彼女の方が一枚上手のようだ。
「あまりイジメるのはよしてくれ、ジャガーマン。本当は仕事なんだ。僕は弱視で片手しか使えないから助手がいるだろ」
「おお、なるほど。そういうことなら仕方ない。ジャガーマンは次なる不良を求めて夜の街へと進むのだ」
「って、本当にうちには来ないのか? まだ棲み処が決まってないんだろ?」
「ううん、そうじゃなくて私もお仕事しているの。折角、ウルクに来たのだからもっと信者を増やしちゃおうと思って。名付けて、「夜回りジャガ村先生が行く、密着! 夜のウルクの更生日記」!」
(あ、うん。関わらない方がいいな、これは)
何故か物凄くやる気を出しているジャガーマンの姿を見て、嫌な予感が沸々と込み上げてくる。
もちろんジャガーマンはこちらの不安など知る由もなく、新たな生贄を求めて夜の街を右往左往。彼女の目から見て不良であるという基準を満たす者に片っ端から声をかけていく。
「そこの不良中年! こんな夜更けに何をする! 早く帰って家族サービスしなさい!」
「え、いや、これから友達と飲みに……」
「問答無用! む、そこなアベック! 何をイチャツイテいるんだコンチクショウ! ちょっと幸せ分けやがれー!」
「り、理不尽だぁっ!」
蜘蛛の子を散らす様に逃げ惑うウルクの住民とそれを追うジャガーマン。
地獄絵図のような光景だが、ジャガーマン自身にとっては悪気など一切ない善意の活動であった。
あくまで彼女なりにウルクを思っての行動なのである。それが余計に始末が悪い、とも言えるのだが。
カドックは巻き込まれたくない一心でそそくさとその場を離れるが、彼の嫌な予感は翌日に別の形で的中することになる。
何故なら、朝になるとジャガーマンの見回りに対する苦情が神殿に殺到し、シドゥリを通じてジャガーマンの警邏活動を自粛するように説得する依頼が来るからだ。
そのことをまだ、この時点でのカドックは知る由もなかった。
ジャガーマンは書いていて楽しいですね。台詞がポンポン出てくる。