Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女 作:ていえむ
英雄王ギルガメッシュによって召喚された七騎のサーヴァント。
花の魔術師マーリン。
悲運の武将牛若丸。
その家臣である七つ道具の武蔵坊弁慶。
戦国の世に名を馳せた忍びの頭目風魔小太郎。
神の子として崇められた天草四郎時貞。
大江山の鬼茨城童子。
一騎当千の武勇にして混血の女武将巴御前。
そして、スパルタ王。炎門の守護者レオニダス一世。
先んじて召喚されたマーリンよりメソポタミアの置かれた現状を聞かされた面々は、それぞれが沈鬱な面持ちで互いを見合っていた。
敵は英霊を遥かに上回る規格を持つ神霊達の同盟。対してこちらはまだ都市同士の連携もうまく取れておらず、また戦うための力も弱い。
北の魔獣は群れを成して連日、国境を襲撃し、南からは謎の密林が少しずつ勢力を広げている。イシュタル神は言うまでもない。
仮にメソポタミアの全ての都市、全ての資源を投入したとしても、人間が生き残れる可能性はゼロと言っても過言ではないだろう。
この時ばかりはマーリンも普段の飄々とした態度を見せず、終始表情を引き締めていた。
自信家の牛若丸も、持ち前の合理性故にこの戦いが絶望的な消耗戦となることを感じ取って言葉を発さなかった。
他の者も皆、似たり寄ったりだ。
自分を召喚したギルガメッシュ王の力にはなりたい。だが、敵の力は余りにも強大で勝ちの筋が見えない。
ジグラットの玉座の間は重苦しい沈黙が渦巻く形となった。
その中で例外が2人いた。
一人は茨木童子。彼女の思考は至極シンプルだ。弱肉強食にして盛者必衰。力なき者が滅んでしまうのなら、せめて彼らの寄る辺となろう。戦えぬ者、逃げ出した者、行く当てのない者達を囲う盗賊団を作り上げよう。故にギルガメッシュ王の命令になど従わない。彼女はいち早くこの一団から抜ける算段をこの時点でつけていた。
そして、もう一人はレオニダス。
彼の王は退屈そうにこちらを見やるギルガメッシュ王に向けて、臆することなく口火を切った。
「英雄王よ。このウルクのために戦うにあたり、聞かせてもらいたいことがあります」
「ほう、言ってみろ」
「あなたが視たという、ウルクの未来を教えて頂きたい」
その問いかけに、その場にいた全員が目を見開いた。
控えていたシドゥリが卒倒し兵士に抱えられ、マーリンですら取り乱して口をパクパクと開いている。
彼の問いかけが英雄王にとってどれほどの不遜に当たるのか、分からぬレオニダスではないはずだ。
それでも彼は問いを投げかけ、それを受けたギルガメッシュ王の顔には憤怒にも似た表情が浮かんでいる。
眉間には皺が寄り、赤い瞳からは刺し殺すかのような怒気が発せられていた。
「雑種の分際で、
かつての英雄王。まだ親友であるエルキドゥが健在であった頃ならば、この時点で宣告もなくレオニダスは殺されていただろう。
彼が怒りを抑えているのは不死の探求を終え、幼年期を終えていたからだ。例え気に入らない相手、苛立つ言葉であっても一考しなければ価値は見いだせない。
昔に比べて幾分ではあるが落ち着きを伴った状態であったため、レオニダスは己が命を拾っていた。
最も、彼は例え相手が全盛期の英雄王であったとしても臆することなく問うていたであろう。
彼は恐れを知らず、故に確信を突ける。そういう英雄なのだ。
「王よ、私は死を恐れません。ですが、理由なく兵が死ぬことは是としない。これより我らが預かる兵はあなたの民であり、財宝であります。ならば我々――いえ、私は彼らが死地へと赴く理由を知らねばならない」
ウルクを守るために戦う。それは兵にとって当然の義務だ。重要なのはその先が何に繋がるのか。
栄光ある勝利か、凄惨なる敗北か、惨めな隷属の道か。
兵の命を預かる者として、レオニダスはウルクの兵が何のためにその命を王に捧げねばならないのか、問い質さずにはいられなかった。
「王よ……彼らの戦いの先に、何が待ち受けているのですか?」
再度、レオニダスは問いかける。
彼のまっすぐな眼差しを受け止めたギルガメッシュは、玉座に腰かけたまましばし熟考する。
次にどんな言葉が飛び出すのか。或いは問答無用と切り捨てられるのか。
その場を見守る面々は気が気でなかった。
やがて、思考を終えたギルガメッシュ王は、賢王として言葉を選びながら、自らが千里眼で垣間見た未来を回答した。
――それが半年前。まだカルデアがこの地に訪れる前の出来事であった。
□
閉ざされていた東門をアナスタシアの魔眼で破壊し、カドック達はニップル市の外へと飛び出した。
周囲には小太郎が自分達のもとへ駆け付けるまでの間に切り捨てたと思われる魔獣達の死体が横たわっている。
夥しい数の死体の山は、これをあの痩躯が一人でやったとは到底思えない数だった。
恐らくは霊基を限界まで酷使してここまで来たのだろう。
「マスター、カドックさん……小太郎さんが……」
風魔小太郎の霊基反応は消失していた。
消滅を確認した訳ではないが、状況を考えればほぼ間違いないだろう。
彼は自分達を逃がすためにその身を犠牲にしたのだ。
その事実が重く圧し掛かり、カドックは無意識に拳を握り締めていた。
力及ばずで何かが犠牲になるのはこれで何度目だ。悔しい思いを味わうのはこれで何度目だと、歯噛みしながら我が身の弱さを呪う。
それがその場凌ぎの自己弁護でしかないことはわかっていても、そうせざるを得なかった。
『みんな、悔やむのは後だ! ティアマトの反応、変化なし! 物凄い速さで追ってくるぞ!」
直後、ニップル市の城壁が破壊され、ティアマト神の巨体が姿を現した。
その美貌には小太郎がつけたと思わしき刀傷の跡が見えたが、それも聖杯による規格外の再生力により、一息毎に傷が塞がって小さくなっていく。
やはり、並の攻撃ではティアマト神を倒すには至らない。攻撃が通らない訳じゃないが、その端から回復されてしまうので殺し切ることができないのだ。
せめて、アナの不死殺しの鎌があれば、一か八かの策も幾つか思いつくのだが、それも今は叶わない。
唯一の可能性は北壁に設置された
「――そこにいたか、虫ども。逃がす筈がなかろう。この身は魔獣に堕ちたとはいえ神である。私に、
完全に傷が癒えるのを待ってから、ティアマト神は追跡を再開する。
正に蛇の如き執念だ。彼女はこちらを呑み込み消化しきるまでは決して満足することはないだろう。
「まったくだ。恨み辛みで動かない分、蛇の方が万倍もマシだ」
「口の減らぬ魔術師よ――――よかろう、貴様からすり潰してくれる」
「フッ、できるものならやってみたまえ。そして、その隙に逃げたまえ、カルデアのマスター」
「マーリン、お前何を……」
「なあに、今まで隠していたが私は不死身でね。何しろ半分が夢魔だ」
正確には夢と現を行き来できる曖昧な存在であり、生命を司る本体は夢の世界にあるのだという。
だから、現実の肉体が潰れた瞬間に夢へと逃げ込めば助かるのだというのだ。
「でも戻ってくるのに幾らか時間を必要とするから、合流地点を決めておこう! そうだな、王様の……」
言いかけた直後、マーリンは驚愕の顔を浮かべて身を翻した。
一瞬遅れて光のようなものが飛来し、マーリンが先ほどまで立っていた場所に着弾する。
嫌な予感がした。
マーリンが立っていた場所。ティアマトがその視線で射抜いた場所から悍ましい感覚がビンビンと伝わってくる。
あれは呪いの類だ。それも不可逆でどうにもできない、最悪の代物だ。
「無力故の不死というヤツか? では、久方ぶりに我が眼を使うとしよう。人間どもの彫像なぞ飽きるほど集めたが、半魔の彫像であれば我が神殿に飾るのも良しだ」
ティアマト神の美貌にゾッとするような笑みが浮かぶ。
復讐者に似つかわしくない微笑。しかし、それは余りに攻撃的で嗜虐に満ちていた。
例えるならばナイフを手にして肉を前にした料理人といったところだろうか。
どこに刃物を当て、どのように切るのか。どのように調理しどんな味付けをするのか。
そうして思わず零れてしまったのがあのゾッとするような微笑みだ。
蛇の如き大きく割けた口と見開いた目。
その視線は逃げるマーリンの背を確実に追いかけていた。
「石化の魔眼か! しまった、それは私の天敵だ!」
「魔眼だって? 何でティアマト神が魔眼なんて……」
「説明は後だ、カドックくん! 前言撤回するから、何としてでも私を守ってくれ。私が意識を停止させると大変な事が起こる! 石化なんてさせられたらここまでの苦労が水の泡だ!」
必死で走りながら捲し立てるマーリンの慌てように、只ならぬ気配を感じ取る。
この男はいい加減だが、土壇場で嘘を吐くような奴ではない。
世界最高峰の魔術師であるマーリン。彼がマズイと判断したのなら、それは本当に取り返しがつかない事態となるのであろう。
ならば、自分達の役目はそれを防ぐことである。
「藤丸!」
「マシュ、降ろして! マーリンをお願い!」
「はい、先輩!」
地面に着地した立香とマシュが、弾かれたように左右に分かれる。
立香はマーリンと共に北壁へ。そして、マシュは盾を手に単身でティアマト神を迎え撃つ。
竦み上がりそうになる巨体を前にして、マシュの手は自然と強く盾を握り締めていた。
この大きさを見上げれば、恐怖を抱くなという方が難しい。
だが、マシュは主の言葉を思い出して怯える心を落ち着かせ、大きく地面を蹴った。
直後、投射された不可視の光線が盾に弾かれて明後日の方角へと飛んでいく。
マーリンに向けて放たれたティアマト神の魔眼を、間一髪で弾いたのだ。
すかさずアナスタシアが足止めの為に吹雪を放ち、巨大な女神の尾を凍らせる。
あれだけの巨体を2本の足で支えるのは非常に難しく、ティアマト神が移動するためにはどうしても尾による蛇行が必須となる。
例え、凍結が一時的なものであったとしても、これでティアマト神とマーリンとの距離は大きく開くことになるはずだ。
「盾で我が魔眼を防ぐか。命知らずにも程があるぞ、娘」
「くっ……」
「そして、女神の肌を傷つける魔眼か。下等な分際で忌々しい」
「っ……」
ヴィイを腕の中に抱えたまま、アナスタシアは息を呑む。
この世界そのものともいうべき曖昧なものに向けられていた彼女の怒りが、たった今、自分達にぶつけられた。
彼女の魔眼を防ぎ、傷を負わせたがためにその憎悪が牙を剥かんとしているのだ。
銃口を押し付けられるよりも遥かに恐ろしい存在が目の前にいる。
気を抜くと立っていることすらできなくなりそうだ。
「アナスタシア! 守りは任せて、宝具を!!」
「っ……ヴィイ!」
三度、ヴィイの瞼が開かんとする。
向こうは聖杯の魔力で無限に再生することができる。
半端な攻撃を繰り返したところでこちらが消耗していくだけだ。
こちらの攻撃は全く通用しない訳ではない。一か八か、魔眼の精度を上げて霊核をピンポイントで狙えば、再生する間もなく倒すことができるかもしれない。
だが、ヴィイの瞼が開き切る直前、緑の閃光が空より舞い降りた。
光と共に降り注いだ無数の槍は、全てがアナスタシアを狙う必死の攻撃だ。
攻撃のために全精力を注いでいたアナスタシアには、それらを回避するだけの余裕はない。
「アナスタシア、下がって!」
半ば突き飛ばす勢いでマシュが間に割って入り、槍の斉射を盾で受け止める。
まるで激流を受け止めたかのような感覚に、盾を構えるマシュの顔が苦痛で歪んだ。
このような苛烈な攻めを行う者は1人しかいないと視線を巡らすと、その先にはエルキドゥがいた。
如何なる激戦を繰り広げてきたのか、着ている白衣は血みどろで、左腕は欠落している。
泥の体故に再生は始まっているものの、明らかに満身創痍だ。
それでもエルキドゥはティアマト神を守ろうと、鬼気迫る表情で破損した肉体から武具を連射する。
「カルデア……お前達、よくも……!」
「な、何て攻撃……盾が……押されて……」
怒涛の如き攻撃を受け、マシュの体が少しずつ後退る。
盾は無事でもそれを支えるマシュの方が先に限界に来てしまう。
盾を構える腕から少しでも力が抜ければ後ろに立つアナスタシア共々、エルキドゥの攻撃に晒されることになってしまうだろう。
アナスタシアも死角から氷柱を生み出してエルキドゥを狙うが、まるで背中にも目がついているかのように正確無比な感知能力の前では悉くを撃ち落とされてしまい、打つ手がなかった。
そして、2人がエルキドゥによって釘付けにされている間に、ティアマト神は自身を縛る氷を砕いて北壁を目指すマーリンの背中へと狙いを定めていた。
「どこへ逃げようと無駄だ。我が千魔眼にて、灰燼に帰すがよい! そして、その臓物を惨めに晒すがいい! 貴様らは我らの手で、子の一人に至るまで殺されねばならぬ。貴様らに殺された全ての命が、そうしろと叫んでいる!」
ティアマト神の体内から魔力の増大が確認される。
膨れ上がる出力は第六特異点における獅子心王の裁きにも匹敵しうるかもしれない。
カルデアでは計測に用いていたシバが何枚か吹き飛び、管制室で悲鳴が上がるのが通信越しに聞こえてきた。
『まずい、あれはただの宝具じゃない。ティアマト神の怨嗟をまき散らす焼夷弾のようなものだ! あんなもの喰らえば北壁はおろか、この辺一帯が焦土と化すぞ!』
「藤丸、キリエライトを戻せ!」
「けど、皇女様が!」
「城塞で何とか耐えて見せる! ティアマト神の方が遥かにヤバい!」
宝具の発動における前段階なのだろう。ティアマト神の体は少しずつ別の何かへと変貌していた。
神体を覆っていた蛇の意匠が広がっていき、無数の髪の毛が絡み合って何匹もの蛇を生み出していく。やがてそれらは重なり合ってティアマト神の美貌を覆い隠し、無数の大蛇が群がる群体とでもいうべき姿へと転じていった。
その姿は恐ろしさの中にも美しさや神々しさを抱かせた先程までの姿と違い、完全に醜悪な化け物としての姿であった。
直視することすら憚られる異次元的な恐怖を醸し出し、咆哮するティアマト神には貌と呼べるものがない。
頭部に当たる部分にはぽっかりと穴が空いている。
その先に垣間見えたものは深淵。どこまでも暗く、空虚で底抜けに悍ましい腐臭漂う暗黒の宇宙。
本能で理解する。アレは人が耐えられる代物ではない。
アレを撃たれれば、防げるのはマシュの宝具だけだ。
悔しいことだが、こと防御においてはアナスタシアよりも彼女の方が優秀だ。
例えこの世で最も恐ろしい呪いが相手であったとしても、彼女の盾は守るべきものを守るだろう。
だが、それを許すエルキドゥではなかった。
立香が令呪を使うよりも早く、地面の土を変質させた石の散弾銃ともいうべきものをこちら目がけて撃ち出したのだ。
「危ない!」
咄嗟にマーリンがカバーに入らなければ、立香の体は蜂の巣になっていたかもしれない。
そして、その一瞬はティアマト神の魔力が最大まで高まるのに十分な時間でもあった。
「貴様達の呪いを返してやろう!」
魔眼から放たれようとしているのは漆黒の閃光。
ティアマト神が抱いた怒り、憎しみ、妬み、それらがない交ぜとなった混沌の光が視界を覆う。
最早、それを防ぐ手立てはカドック達にはない。
あの光は着弾と同時に怨嗟をまき散らし、ここにいる全ての生命を死滅させるだろう。
既に彼女はマーリンを石へと変えるという当初の目的すら違えている。
復讐者は決して怨念を忘れず、それを果たすまで体躯が止まることはない。
マシュとアナスタシアに傷つけられたことに対する怒りが呼び水となり、自分でも制御できぬ感情の暴走が起きているのだ。
終わってしまう。
自分達のグランドオーダーが、ここで終わってしまう。
一瞬の内に脳裏を過ぎるのはここまでの旅で培ってきた思い出達。
辛い戦いも楽しい思い出もある。
中東では友人を失った孤独を味わい、北米では辛い挫折を経験した。
ロンドンでは自分の在り方に迷い、オケアノスでは我欲を貫くことを覚えた。
ローマでは叛逆の徒に教えを授かった。フランスでの勝利が旅を続ける自信に繋がった。
そして――。
『君に証明する、僕でも世界を救えると。だから―――』
あの時、あの炎の街で、自分は彼女に何と言おうとしたのだろうか。
疑問は思考を促し、諦観を吹き飛ばす。
全てのキッカケとなったファーストオーダー。
あの炎の街で、アナスタシアに告げた言葉を自分はまだ達成できていない。
世界を救い、自らの価値を証明する。
こんな不甲斐ないマスターでも、できることはあるのだと実証する。
その為には、こんなところで諦めている訳にはいかない。いかないのだ。
奥歯を噛み締め、顎を上げ、迫りくる光を真っ向から見据える。否、視るのは光ではない。その向こうにいる怨念の化身。
あんなものに屈する訳にはいかない。あんな絶望を認めてはいけない。あんな憎悪を理解してはいけない。
不敵に笑え、中指を立てろ。一歩を踏み出し見下してやれ。
この命が続いているのなら、まだ自分達は負けたわけではない。
「――!――――!!」
言ってやったと口の端を吊り上げながら、カドックは前のめりに倒れる。
最後の言葉は音にすらなっていなかった。それでも腹の底から声を張り上げ、迫りくる理不尽に怒りをぶつけた。
それで緊張の糸が解けてしまったのだろう。これでは本当に自分の旅はここでおしまいだ。
そう思って瞼を閉じようとした刹那、カドックの目に1人の男の背中が飛び込んできた。
自分とティアマト神の間に割って入った槍兵。
絶対的な圧制を前にして怯むことなく迎え撃とうとするその姿に、カドックはローマで共に戦ったスパルタクスの姿を幻視する。
だが、彼はスパルタクスではない。深紅のマントをはためかせ、盾を構えているのはレオニダス。
北壁で警備隊の指揮を執っているはずのレオニダス一世が、自分達を守るためにティアマト神の宝具に向かって躍り出たのだ。
「レオニダス!?」
「よくぞここまで持ち堪えました、カルデアのマスター! 後は私にお任せを!」
「なっ、何を言っているんだ!」
ティアマト神の宝具は並のサーヴァントが受け切れる代物じゃない。
自分のパートナーであるアナスタシアの城塞すら秒と持たない死の呪いなのだ。
あれを防ぐためには、マシュのような強大な加護持つ守りが必要なのだ。
レオニダスにはそのような逸話はない。
魔術や奇蹟の才も、超常を起こす武具もない。
ただの人であるレオニダスでは、あの宝具には太刀打ちができないはずだ。
「あんた1人が来たところで、もう――」
「1人? あなたには私が1人に見えますか? 否! 我らは1人ではない!」
槍の柄が地面を叩くと変化が訪れた。
最初は目の錯覚かと思った。レオニダスの姿がダブって見えたことで、ダ・ヴィンチが作った眼鏡のピントがズレたのかと思った。
だが、そうではなかった。自分の目もダ・ヴィンチの礼装も正常だ。
そこには確かにいたのだ。レオニダスではないスパルタの戦士が。
全員が槍と盾を構え、マントを翻した精鋭だった。
鍛え抜かれた肉体と猛々しい叫び。
隊列を組んだ三百人のスパルタ兵がそこにいた。
レオニダスのかつての仲間、永遠の友、偉大なる炎門の守護者達がそこにいた。
「力を以て事を成すなどペルシア王だけで十分! 苦情、主張があるのならまず話し合い! その為ならば我ら三百兵、一丸となって機を刻もう!」
「抜かせ、人間が! 溶け落ちるがいい……『
「行くぞ友よ、
放たれた黒光を、三百人のスパルタ兵が受け止める。
その先陣に立つのは彼らの王。スパルタ王レオニダス一世その人だ。
その背は友にして部下である三百人の兵士達に支えられ、彼の巨体が動じることは微塵もない。
怨念の光に身を焼かれながらも、咆哮によって闘志を燃やすことで自我を保ち、物理的な衝撃すらも受け流す。
全身を余すことなく負の感情に苛まれながらも、ここまで人は眩しく輝けるものなのかと、カドックは息を呑んだ。
しかし、それも一瞬のこと。
まず1人、次に1人と、時間と共にレオニダスを支えるスパルタ兵は脱落していく。
精強とはいえ所詮は人の集まり。神の憎悪に抗える道理はない。この結末は自明の理であった。
「レオニダス!」
「ご心配なく! 鍛えに鍛えたこの体、今使わずしていつ使う! 肉が焼かれたのなら骨で、骨が砕ければ
レオニダスの渾身の叫びと共に光が消えた。
変態を解いたティアマト神は信じられないものを見るかのようにレオニダスを見つめている。
人の身でありながらも神の呪いに耐えきったのだ。無理もない。
そして、ここからがスパルタの反撃だ。
ほとんどのスパルタ兵は光によって焼き尽くされ、骨すら残さず溶かされてしまい、両手で数えるほどしか残っていない。
だが、それでも五体が無事な者は槍を構えて突貫するレオニダスに続き、鬨の声を上げる。
その様はテルモピュライの戦いの再現だ。
ペルシア王の進軍を足止めするため、たったの三百人で十万のペルシア軍と戦ったスパルタ兵達。
その先頭に立ったのがレオニダスであり、その逸話が昇華されたものがこの『
彼の守護者は苛烈な攻めを耐え抜いた後、炎の如き勢いで反撃に転じ、目の前の敵を徹底的に葬り去る。
まず防ぎ、反撃に転じることがこの宝具の真骨頂だ。
「母さん!?」
今にもティアマト神に迫らんとするスパルタ兵達を見て、マシュとアナスタシアを押さえていたエルキドゥの注意が逸れる。
瞬間、マシュがエルキドゥの横っ面を盾で引っ叩き、その隙を突いてアナスタシアと共に離脱する。
「チッ、よくも!」
エルキドゥの顔に怒りが浮かぶが、すぐにティアマト神の危機を思い出して振り返る。
視線の先では、十人足らずのスパルタ兵達が、ティアマト神の迎撃によってその数を次々に減らしていっていた。
ある者は魔力で溶かされ、ある者は髪に縛り上げられ、尾で殴られる。
それでも彼らは止まらない。一丸となって神の巨体に挑み、時には自らの体を投げ打って王の盾となる。
そうして、とうとう最後の一人となったレオニダスは、手にした槍を構えてティアマト神の霊核へと狙いを定めた。
「ウウゥゥゥッラアァァァッ!!」
勝った、とその場にいた誰もが幻想した。
魔力放射を潜り抜け、尾や髪では迎撃が間に合わぬ至近距離。
巨体故に懐に入られれば身を守る術はない。
誰もがそう思い、彼女が魔眼使いであることを失念していた。
深紅の瞳が妖しく輝いたのは、正にその時であった。
「砕けろ、英雄!」
「スパルタをなめるなぁっ!!」
閃光が視界を覆い隠し、それが晴れた時には全てが終わっていた。
ティアマト神は健在であった。
一見するとその神体に傷は見られないが、ティアマト神の美貌は怒りと憎悪とも違う、静謐としたものに変わっていた。
何故なら、彼女の肩はレオニダスの盾によって弾かれた、彼女自身の熱線によって僅かに焼かれていたからだ。
無限の再生力を有するティアマト神にとって、それは傷の内には入らない。直に聖杯の加護により傷は癒されるだろう。
だというのに、ティアマト神は敢えてその傷を残したまま、レオニダスと対峙していた。
そこにあったのは敬意だ。
あの巨大な女神が、憎悪に塗れた復讐者が、ちっぽけな人間の奮闘に敬意を表し攻撃の手を止めていた。
そして、対するレオニダスは――――。
「……致し方ありません。我らが盾は、ただ頑丈なだけの盾。綺羅星の如き英雄達が持つものとは違います。当然、防げるのは物理だけです」
――――盾を持つ左腕を中心に、石化が始まりつつあった。
「ですが、物理的な熱線であれば返せるというもの。骨身に染みましたかな、ギリシャの古き女神」
レオニダスの言葉を聞き、放心していたカドックの思考が急速に回り出す。
今、彼は何と言った?
メソポタミアの魔獣の母、ティアマト神に対して、レオニダスは何と言ったのだ?
「そう、彼女の真の名は別にある。かつて女神アテナによってその身を怪物に変えられ、人々に迫害され、多くの英雄を殺したもの。形のない島の三姉妹のなれの果て――――いえ、複合神性、大魔獣ゴルゴーン」
ギリシャ神話に伝わる三姉妹。形なき島に住まう彼女達はゴルゴーンと呼ばれていた。
その内の1人、末の妹メドゥーサは蛇の頭を持ち、石化の魔眼を有する魔獣である。
手の付けられない怪物と成り果てたメドゥーサは、やがて英雄ペルセウスによって退治され、切り取られた首は死後も英雄の武器として扱われるという辱めを受けた。
伝えられる風貌や復讐者としての資質は、確かに目の前のティアマト神と酷似する部分が多い。
だが、何故ゴルゴーンがティアマト神なのだ?
このメソポタミアとは縁も所縁もない女神が、どうして異国の神の名を騙るのだ?
疑問は尽きないが、それを口にすることはできなかった。
レオニダスの決死の突撃と、それを受け止めたティアマト神――ゴルゴーンとの間に流れる張り詰めた空気が、それを是としなかったのだ。
「レオニダス王。我が熱視を返し、忌まわしい名を口にしたな」
成り行きを見守っていたマシュとアナスタシアが、ゴルゴーンの気配が変わったことに気づいて身構える。
それを制したのは他ならぬレオニダスだ。彼は無言で手を伸ばして2人に沈黙を求めると、ゴルゴーンの次の言葉を静かに待った。
「……御身であればこれ以上の罪は問わん。棄てられながら、何一つ捨てなかった炎の王よ。せめて勇者として砕け散れ。人の世の終わりを見ぬまま、な」
「――――ふっ、それは有り得ない。我が魂同様、人の世は不滅なれば」
それがレオニダスの末期の言葉だった。
誇り高き炎門の守護者は、鍛え抜いたその身を毛の一端から爪先に至るまで悉くを石化させ、塵となって消滅してしまった。
無意識にカドックは手を伸ばしていた。風に乗って散りゆくレオニダスの肉体。僅かな塵だけでもこの手で掬い上げられないかと手を伸ばす。
無論、掴んだその手の中には何も残っていない。だが、彼の熱さがほんの少しだけ胸の内に注ぎ込まれたかのような気がした。
立ち上がるには、それで十分であった。
「人の世は不滅……か。在り得ぬよ。人の世は直に終わる。最強の守りである貴様が、こうして無駄死にしたのだから!」
再びゴルゴーンの顔に憎悪と怒りが浮かび上がる。
同時にその巨体が指先に至るまで魔力が循環していき、レオニダスが消滅するまで決して癒そうとしなかった肩の傷が見る見る内に塞がっていった。
「声を上げよ、魔獣達よ! 私自らがウルクに攻め入り、王を殺す! 憎しみのまま、逃げ延びた人間どもを蹂躙するがいい!」
ゴルゴーンの言葉で、まだ健在な魔獣達が遠吠えを上げながら集結する。
その視線は既にこちらには向けられていない。ウルクを守る北壁と、その向こうにあるウルク市の人々の命へと向けられている。
皮肉にもレオニダスとの問答で冷静さを取り戻したのだろう。最早、彼女は我が身を傷つけられたことなどどうでもよく、レオニダスが不滅だと宣った人の世を終わらせることのみに注力するだろう。
こちらは既に三騎ものサーヴァントが戦線を離脱している。このままウルクを目指されては、残った戦力でこの軍勢を抑えることは不可能だ。
何もできない事の悔しさにカドックも立香も拳を握ることしかできない。
その時、今にも進軍を始めようとしていたゴルゴーンの前に、エルキドゥが立ち塞がった。
「お待ちください。それは短気に過ぎませんか、母上。ボクらにとってウルク攻めなぞ途中経過にすぎない。真の問題は人間ではなく他の女神でしょう? ウルクを落とせば同盟は破却される。第二世代はその後に来る戦いの備えです。鮮血神殿で誕生を待つ十万の子どもたち。彼らの誕生まで、女神同盟は続けなくては」
十万の魔獣の子ども。この上でまだ、それだけの戦力を有しているというのか。
しかも、それはウルクを攻めるためでなく、他の女神達との戦いに備えてのものだという。
世界を壊すという一大事ですら彼女達にとっては些末なことだと言ってのけるエルキドゥの表情は、どこまでも冷酷で残忍さに満ちていた。
「それだけか、我が子よ?」
「いえ、それとこのような結末では溜飲が下がりません。人間はゆっくり苦しめるべきです。彼らは獣達から土地を奪い、子を奪い、母上を迫害し、何もかもを忘れ去った。憎しみの炎とは、相手がいなければ燃えぬもの。あなたの憎悪をこんな簡単に棄てていい筈がない。母上は最早、ギリシャの女神ではない。このメソポタミア世界の神、ティアマト神の化身なのです。ですので、どうかお考えを。御身の鮮血神殿に戻られよ」
「…………」
エルキドゥの言葉に黙って耳を傾けていたゴルゴーンは、両の目に憎悪を煮え滾らせたままゆっくりと北壁を一瞥する。
城塞の見張り台には、戦いの行く末を見守っている兵士達が何人も顔を出していた。
それらを忌々し気に見つめると、ゴルゴーンは怒気を孕ませた声で空を震わせる。
「我が息子の寛容に感謝するのだな、人間ども。だが、滅びの運命は変わらぬ。これより十の夜明けの後、我らはウルクを滅ぼす。命が惜しくば地の果てまで逃げるがいい。自分だけはを惨めに祈りながら逃げ果てよ! 恐怖に溺れ、同胞を蹴落とし、疑心に狂い――人獣に身を落とした後、惨たらしく殺してやろう!」
それは宣告であった。
魔獣の母、複合神性ゴルゴーンによるウルクへの宣戦布告。
必定たる滅びに精々、抗って見せろという女神からの試練であった。
「……何とか帰ってくれたか。聞き分けのない親を持つと苦労すると思わないかい、カルデアのマスター?」
踵を返し、魔獣達を引き連れて北壁を去っていくゴルゴーンを見つめながら、エルキドゥはこちらに話しかけてきた。
友好を示す、などという甘いものではないだろう。振り返ったエルキドゥの目は人間への侮蔑と嫌悪が込められており、その目に射抜かれるとゾッとするような冷たさが背筋を駆け抜ける。
人の体をしているが、アレは魔獣の類だ。本質的に奴の思考はゴルゴーンがティアマト神として生み出した魔獣達と大差ない。
即ち、人間への憎悪と怒りで満ちている。
「お前は……誰なんだ?」
口から零れたのは当然の問いかけだった。
これはエルキドゥではない。
あれは英雄王の友ではない。
それは魔獣であり、死をまき散らす者であり、唾棄すべき怨敵だ。
エルキドゥではない誰かが、エルキドゥの姿を纏って動いているのだ。
「もう隠す必要がないね。ボクも魔獣同様、母に作られた存在だ。母を棄てたキミ達旧人類を滅ぼし、キミ達に代わって世界を統べるヒトのプロトタイプ。神々の最高傑作であるエルキドゥをモデルにして作られた完全な存在」
原初の女神、ティアマト神は夫であるアプスー神を失った後、その復讐のために十一の怪物を生み出す。
そして、その怪物達の指揮官として任命されたのが息子にして第二の夫となったとある魔獣であった。
ならば、目の前の人物がその名を襲名するのは必然であった。
その名を持つ者が人の天敵として自分達の前に現れることは必然であった。
「ボクは偉大なるティアマトに作られた新人類。その真名を、キングゥと言う」
□
やがて、思考を終えたギルガメッシュ王は、賢王として言葉を選びながら、自らが千里眼で垣間見た未来を回答した。
その言葉がレオニダスにとってどんな意味を持つのか、わかっていながらギルガメッシュは言の葉を紡いだ。
彼の覚悟、王としての在り方を試すために、敢えてその言葉を選び託宣としたのだ。
「王が死ぬか、国が滅びるか」
ギルガメッシュ王の託宣を、レオニダスは粛々と受け止める。
そして、静かに非礼を詫びると王の御前で片膝を突いた。
「ならば、答えは一つ……あなたに、忠誠を誓いましょう」
王としての矜持、誇りなどはレオニダスにとって二の次であった。
彼は王ではあるが一人のスパルタ兵であり、戦いで得られるものにこそ価値を見出している。
そして、此度の召喚において自らが成すべき役目が何であるのかも、この問答の果てに掴んでいた。
「レオニダスよ、
「ギルガメッシュ王、あなたの
――それが半年前。まだカルデアがこの地に訪れる前の出来事であった。
レオニダスは書き始めるとつい見せ場を作ってしまう憎い鯖です。
FGO始めたキッカケもレオニダスの活躍を実況で見てだったので。
聖杯こそ入れてませんが、弊カルデアでも盾役として大活躍ですよ。
クリイベ進めたいけど、このSSも進めたい。
できれば全然関係ないクリスマス短編とか書きたい。
でも、時間が足らない。睡眠時間が削れていく。
まだボックスも9箱ですし、今日くらいからスパートかけないと。