Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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絶対魔獣戦線バビロニア 第9節

我が名はキングゥ、ティアマト神に造られた新人類である。

そう言い残して、エルキドゥを騙っていた者――キングゥは魔獣達と共に去っていった。

人類に残された時間は後十日。十の夜が明ければティアマト神――ゴルゴーンが再び魔獣達を引き連れてウルクを滅ぼさんとする。

突き付けられた刻限と、強大過ぎる敵の存在に、残された者達はただ茫然と立ち尽くすしかなかった。

元より失い続けるばかりの戦ではあったが、此度の戦で失ったものは余りにも大きい。

北壁の精神的な支柱であったレオニダス、斥候として最前線を常に駆け続けた小太郎という2人の英雄を失ったからだ。

加えて住民が残らず平らげられたニップル市の惨状は、後に自分達が味わうことになるであろう恐怖が何なのかを如実に物語っていた。

兵士達に動揺が広がるのも無理はない。

無論、それはカルデアとて同じこと。寧ろ彼らは2人によって生かされる形になってしまい、悔しさも人一倍大きかった。

 

「僕の判断ミスだ。この一戦で終わりではないと……令呪の使用を考慮しなかった」

 

歯噛みしながらカドックは石壁に拳を叩きつける。

骨に伝わる鈍い痛みが腕を走るが、今のカドックには気にしている余裕はなかった。

イフを語り出せばキリがないことはわかっていても、悔やまずにはいられない。

やり様はいくらでもあった。アナスタシアの宝具を強化するなりマシュを北壁まで転移させるなり、方法はいくらでもあったのだ。

だが、結果は最悪だ。何一つとして救い出せず、自分達を生かすために2人の英霊が犠牲になった。

もし可能ならば自分自身を殴り殺してやりたい気分だ。

 

「よすんだ、カドック」

 

再度、壁を殴ろうと振り上げた右手を立香に制される。

 

「放せ!」

 

「落ち着け! 君はいつもそう言うだろ!」

 

視線が交差する。その目を見た瞬間、背筋が凍り付いた。

立香の顔からは表情が消えていた。怒りで歪む訳でも悲しみで沈む訳でもない。

氷のように青白い顔からは一切の感情が消え失せていた。それでいて瞳だけはギラギラと輝いていて、彼が腹の底で感情を煮え滾らせていることがわかる。

炎は温度が高い方が揺らがずに小さく燃えるというが、今の立香が正にそれだ。感情の臨界点はとっくに超えていた。

捕まれた腕は彼の握力で軋みすら上げていた。何がスイッチになって爆発するかわからない。そんな危うさが今の彼にはあった。

 

「……ごめん」

 

「いいんだ。俺も、今はちょっと、色々と……」

 

気を抜くと取り乱してしまうという友人の痛ましい姿を見て、覚めるように冷静さが戻ってくる。

カドックにとって立香は憧れであり、陽だまりのような少年だ。

彼のように願い、彼のように生きたいと思った。それはもう叶わないことだが、だからこそ立香には変わることなくいて欲しい。

そんな立香が今、沸騰しそうな自分の気持ちを必死に抑えている。なら、先輩として自分がこれ以上、取り乱す訳にはいかない。

彼が崖っぷちで踏ん張っているなら、その腕を引くのは自分の役目だ。

怒りも嘆きも今は飲み込もう。それよりもやるべきことをしなければならない。

魔獣の女神の真名やエルキドゥを騙っていたキングゥの存在、十日のタイムリミット、三女神同盟の内情。此度の戦いで手に入れた情報、生かすも殺すも自分達次第だ。

諦めるのは早い。まだリハーサルが終わったばかりで、フェスの本番はこれからなのだから。

 

「ああ、ここにいましたか2人とも」

 

階段を駆け上がり、四郎が姿を現す。

彼もまた仲間を失ったことが堪えているのか、表情は暗く沈んでいた。

いや、彼は最初からこの結末を啓示で知っていた。なら、自分達よりも余程、辛い思いを感じているかもしれない。

だが、いざ口を開けばいつも通りの四郎がそこにいた。穏やかで、柔和な笑みを浮かべ、どことなく胡散臭い雰囲気もそのままだ。

こちらに心配をかけさせまいとする彼の気遣いはすぐに汲み取れた。

 

「一通り見てきましたが、警備の方は問題ないでしょう。これなら我々もすぐに出立できます」

 

「大丈夫って、レオニダスはもういないのに……本当に?」

 

「ええ、ウルクの人々は強いですよ」

 

そう言って四郎は階下の様子を指差す。

そこでは、多くの兵士がいつもと変わらぬ様子で作業を続けている姿があった。

魔獣との戦いやゴルゴーンの宝具で被害も出ているというのに、彼らは塞ぎ込む間もなく自らがやるべき事を見つけて働いている。

無論、中には悲しみや恐怖から塞ぎ込む者もいるが、そういう者達に対して檄を飛ばす者が後を絶たない。

自分に言い聞かせるように鼓舞を続けながら作業をする者もいた。

 

「塞ぎ込んでいる暇はない! ティアマト神は去ったが、またいつ魔獣どもが襲ってくるかはわからぬ!」

 

「なら、やるべき事は一つ! 生存者を確認し、負傷者を救護し、隊を再編する! 城壁を防ぎ、武器を整え、筋肉を鍛える! それがレオニダス殿が我らに叩き込んだ日常である!」

 

「そうだ、あの方は如何なる時も弱音を吐かなかった。どのような死地、どのような劣勢でも、自分に出来る事を放棄しなかった! 「何も空を飛べ、などと言っているのではありません。煉瓦を手に取り、ここに並べる。それは誰にでもできて、最も重要な事なのです」。あの方は、それを最期までやり通した!」

 

「そうだ、それがここの誇り。レオニダス殿と、俺達の誇り……」

 

「そうだとも! では、今すぐ部隊を再編する! 再度の襲来に備え、対策を立てなければならん!」

 

一人が声をかければ二人が応える。塞ぎ込んで顔を俯かせていた者が、次の瞬間には涙する同僚の肩を叩いている。

怒号が飛び交い、議論が交わされ、階段を駆け上がる音がドラムのように城塞内に響き渡る。

上下関係に関わらず互いを励まし合い、落ち込む者を立ち直らせ、前を向いて次に備える。

一人一人は弱くとも、一丸となって問題に当たる事で事態を好転させる力を生み出す、共同体としての強さがそこにはあった。

 

「これが、神代の強さか」

 

気づけば城塞は以前と同じ活気を取り戻していた。いや、救出作戦が始まる前よりも勢いづいているといってもいい。

レオニダスという存在が、それだけ彼らの中で大きく根付いていたのだ。そして、彼に頼るのではなく彼の教えを胸に生きるという強さを彼らは獲得した。

彼の王は死してなお仲間を鼓舞する。テルモピュライの戦いにおいて一歩も引く事なく戦い続け、ペルシア軍に恐怖を与えたスパルタの三百兵。彼らが三日間も敵を足止めしたことで、本国は反撃のための戦力を用意することができ、後の戦いにおいて見事にペルシア軍を打ち破っている。

自身だけに留まらず、仲間をも輝かせる英雄。それこそがレオニダス一世という英雄なのだ。

 

「ウルクに戻ろう。アナと合流し、ギルガメッシュ王に顛末を報告する」

 

戦いはまだ折り返しに至ったばかりだ。

1%のひらめきを見つけ出し、女神に叛逆する。

いつだってカルデア(自分達)は追い詰められてからが本番なのだから。

 

 

 

 

 

 

ウルクに戻った後、カルデアは二手に分かれる事になった。

立香、マシュ、マーリンの3人は此度の救出作戦の顛末をギルガメッシュ王に報告するためにジグラットへ。

そして、カドック、アナスタシア、四郎はアナと合流した後、ジャガーマンの治療のために大使館に戻っていた。

何しろキングゥと正面からやり合った上に威力を削いだとはいえ宝具の直撃を受けたのだ。

本人はやせ我慢しているが、実際にはかなり魔力を消耗していて早急な治療が必要な状態であった。

なので、今は霊脈の真上に縛り付けて強制的に休息を取らせている。一両日も眠っていれば、万全とはいかないまでも戦いに支障がない程度までは回復できるはずだ。

 

「すみません、肝心な時にお役に立てなくて」

 

顔を俯かせながら、アナは部屋へと入ってきたアナスタシアに小さな声で謝罪する。

フォウと共にウルク市へと転移した彼女は、そのまま丸一日は気絶していたらしい。目を覚ました後はすぐにでも北壁へ向かおうとしたが、その頃には救出作戦失敗の報がウルクにも届いていたため、そのまま大使館で待機していたとの事だった。

そして、やはりと言うべきか彼女も酷く落ち込んでいた。

あの巨大な女神を相手にして正気を保てと言う方が酷なのだが、彼女はあの場で取り乱してしまった自分が許せないらしい。

自分達が大使館に戻ってきた時も、挨拶を済ませてからずっと自室にこもってしまう有り様だ。

 

「駄目ですね。もっと上手くできると思っていたのですが、やっぱりアレを見るのは辛いです」

 

「無理をしなくても良いわ。怖いものは怖いもの」

 

人間、誰しも苦手なものはある。自分だって、兵隊や銃の類は嫌いだ。目にすると即座に凍らせてしまいたくなる。

あの禍々しい魔獣の女神と比べるのはおこがましいかもしれないが、自分にとってはそれが何よりも恐ろしいものなのだ。

魂の急所と言ってもいい。だから、あの場で竦んで動けなかったことは、良くないことなのかもしれないが、無理もないことでもあるのだ。

 

「いいえ、違うんです。そうじゃないんです」

 

アナはしきりに首を振って否定する。だが、言葉がうまく出てこないのだろう。

何度も言葉を詰まらせては言い直し、俯いては顔を上げるを繰り返す。

そうして、しばらく同じようなやり取りを続けた後、意を決したアナは静かに問いを口にした。

 

「もし、自分が将来、怪物になってしまうんだって知ってしまったら、アナスタシアさんはどう思いますか?」

 

「……それは、私が答えては……いえ、他の誰であっても言葉にしてはいけないと思うの」

 

迷いながらも、アナスタシアは確信を持ってそう答えた。

できることなら彼女の力になりたいと思うし、傷つけるような言葉も口にしたくない。

けれど、その問いかけに対して安易な答えを出してはならないとも思っている。

どれほど想像の翼を広げたところで、同じ境遇の者でなければその気持ちは理解できない。その辛さを分かり合えない。

驕るつもりもなく、自分は人間だ。人間のまま英霊となった者だ。だから、怪物となって果てた反英霊の憎悪も、何れ怪物へと至る女神の恐怖も理解することができない。

理解してはならないのだ。

 

「知っていたんですね、私の真名を」

 

「伊達に母親の真似事はしていません。それに、うちの人は負けず嫌いだから」

 

どこか寂しそうに呟くアナを元気づけようと、少しおどけた調子でアナスタシアは答える。

実際のところ、カドックから彼女の正体に関する考察を聞かされたのはつい最近のことだ。

不死殺しの英霊自体は数多いが、幼女の英霊という条件にあう者は思い当たらなかったという。

だが、要素だけを抜き出せば該当する英霊が1人いた。

その英霊は美しい女神でありながら魔獣へと堕落し、不死殺しの鎌でその命を絶たれた。また、鏡に映った顔を恐る恐る覗く姿を何度か見たが、それは生前のトラウマから鏡に抵抗感があるために、直視することができなかったのではないのかとカドックは推測した。

その英霊の名はメドゥーサ。ゴルゴーン三姉妹の三女にして成長する神格。ウルクを脅かす複合神性ゴルゴーンと同じ起源の英霊だ。本来ならば反英雄として成長した姿で召喚されるはずが、アナは女神としての全盛期の姿で召喚されたためにこのような幼い姿を取っているのだ。

 

「私は、きっとゴルゴーンに対するカウンターとして召喚されたんです。世界の全てを憎み、復讐しようとしている成長した自分を殺すのが私の役目。そう言い聞かせていたはずなのに、アレを目にした瞬間……」

 

頭の中が真っ白になり、動けなくなってしまったらしい。

それは恐怖からでなく、何れは自分があのような怪物に成り果ててしまうという事実に打ちのめされてしまったからだ。

メドゥーサが魔獣へと堕落するのは過去の出来事であり、それを覆すことはできない。

その事実が絶望となって重く圧し掛かり、深い自己嫌悪からゴルゴーンを直視することができなかった。

あの時、マーリンが気づかなければゴルゴーンの攻撃の余波を受けて役目を果たすことなく消滅していたであろう。

 

「ゴルゴーンがやろうとしていることは、決して許されることではありません。ですが、それを他ならぬ私自身がそう断じて良いのかと、どうしても迷ってしまうんです。彼女も私も同じメドゥーサだから、彼女の憎悪や怒りを心のどこかで認めてしまっているんです」

 

その慚愧が刃を鈍らせた。

そんな自分が嫌で堪らなくて、戦う事ができなかったのだ。

縁も所縁もない他人であるなら、あの憎悪を無根拠に否定できるかもしれない。

だが、彼女は自分だ。自分は彼女だ。僅かでも繋がりがあるのなら、その言葉には意味が出てくる。

何れは怪物に至る自身がゴルゴーン(あの姿)を否定しても良いのか。いくら考えても迷いが晴れることはなかったと彼女は言う。

 

「私は、どうすれば……」

 

顔を曇らせ、沈み込む姿は余りに痛々しい。

そんな彼女を見ていると、ふとフランスでの出来事がアナスタシアの脳裏を過ぎった。

自分とカドックがグランドオーダーにおいて初めて降り立った特異点。

そこで出会ったジャンヌ・ダルクも、程度の差こそあれ、同じような悩みを抱えていた。

自らの別側面であるジャンヌ・オルタの所業を垣間見て、自分の中にもあのような憎悪や怒りがあったのだろうかと。

結果的に彼女は自らの強い信念でそれを否定、またオルタ自身も聖杯で生み出された偽りのジャンヌであったためにジャンヌはアナほど苦しむことはなかった。

あの時、マリーも交えて故郷への思いを語り合ったことは今でもハッキリと覚えている。

サーヴァントとしてではなく、英霊アナスタシアとして聖杯探索に臨む原点となった思い出だ。

ジャンヌは祖国や仲間を愛し、信頼しているが故にみんなを憎み切れなかった。

マリーはフランスという国に恋していたが、家族を奪った民への恨みを否定しなかった。

そして、自分は故郷への思いを再確認した。

自分から全てを奪った極寒の地、ロシアというあの憎き土地は人理焼却によって悉くを焼き尽くされた。

恨みもある、嘆きもある。きっと向き合えば憎悪を吐かずにはいられないだろう。

それでも、生まれた故郷を救おうと思った。例え最後には辛い思い出しか残らなかったとしても、あの国には大切な家族との思い出がある。

父が母が、姉妹達が愛した国なのだ。

皇族としての責務、英雄としての矜持、そこに生まれそこで死んだ者達として、家族との繋がりを胸に聖杯探索へ臨もう。

灼熱が胸に注がれる。

冷たい体に熱が入った。

あの人に尽くし、あの人と共に過ごすことが願いでも、戦う動機は過去にあった。

大切な思い出の中にあったのだ。

 

「きっと、私達の誰も彼女を否定する権利はないのでしょうね」

 

アナの隣に腰かけ、アナスタシアはそっと彼女の手を取った。

 

「けれど、だからこそ止めなくちゃいけないと思うの。彼女をそこまで追い詰めたのはこの世界かもしれないけれど、最後の一線を超えようとしているのは彼女自身よ」

 

怒りや憎しみは正しい感情の裏返しだ。

自分がロシアを憎むのも、そこで育まれた絆、家族との繋がりや思い出が大切だからだ。

怪物たるゴルゴーンにもまた、そうなるに値する大切なものがあった。

それは姉妹との絆なのかもしれないし、神々に並ぶ者なきと讃えられるほどの美貌なのかもしれないし、女神としての神性そのものかもしれない。

彼女が真に復讐を志した理由を自分は決して理解できないであろうが、復讐者(アヴェンジャー)としてのゴルゴーンを構成する要素がこの世界の中で生まれ育まれた奇跡の残滓であることに間違いはないはずだ。

彼女の復讐はそれを自らの手で引き裂き焼き尽くすことに繋がる。

復讐が遂げられた時、彼女はきっと思うだろう。自分が何のために世界を憎み壊そうとしたのかと。

ゴルゴーンが成そうとしている復讐はそういうことなのだ。

 

「大切なものがあったから報復を願い、その復讐は最も大切なものを貶めてしまう。私がロシアを凍り付かせれば胸のしこりは取れるかもしれないけれど、他ならぬ私自身がそれを許せなくなるでしょう。ああ、ここは私が生まれて、お母様とお父様が愛し合って、お姉様達と遊んで、弟が大人になれたかもしれない国だったのにって…………」

 

「姉様との……思い出……」

 

「思い出がなければ生きてはいけないの。きっと、人も神も……」

 

震えるアナの体を抱きしめる。慈しむように優しく、少女の体を自身の熱で包み込む。

自分に言えることはこれで全てだ。できることなどこれだけだ。

全てはアナ自身で考え、答えを決めなければならない。

その時がくるれば、自分は友人として、家族として彼女の力になろう。

その願いを尊重し、マスターと共にできることを為そう。

自分の眼は、きっとその為の力を持っているはずだから。

 

「アナスタシアさん……体が冷たいです……」

 

「あ、ごめんなさい」

 

「いえ、でも……このままで構いません。少しだけ、このままで……姉様みたいに……少しだけ……」

 

アナの頭がアナスタシアの胸に沈む。

ほとんど囁きに近い声ではあったが、アナスタシアは確かに聞いた。

彼女の決意、彼女の勇気を確かに目にした。

 

「もう少しだけ、頑張ります……もう少しだけ……」

 

 

 

 

 

 

「――――!――!!」

 

何故か猿轡を噛まされ、簀巻きにされたジャガーマンを見下ろしながら、カドックは助けるべきか否かを真剣に悩んでいた。

彼らがいるのは大使館一階の食堂を兼ねた談話スペースだ。丁度、霊脈の上に位置しているのでカルデアとの召喚ゲートもここに設置されている。

神話体系の関係もあるので、ジャガーマンを癒すには南の密林に連れていくのが一番なのだが、彼女がそれを断固拒否したために次点としてここを利用することにしたのだ。

相性は兎も角として地脈から十分な魔力は汲み上げられるので、横たわっていれば回復も捗るだろう。

なので、四郎の治療をする間、大人しく寝ているようにと言ったのだが、どうやら悪戯好きの皇女の魔の手にかかってしまったようだ。

涙目になっているジャガーマンの額には、染物の染料と思われる墨で落書きがされている。何と書かれているのかはわからないが、中国語が一文字だけ書かれているだけなのできっと大した意味はないだろう。

 

「いいんですか?」

 

「夕食までには外すさ」

 

多少、見苦しいが普段のテンションを思えばこの方が静かで遥かに過ごしやすい。

それよりも今は今後の方針を決めなければならない。ティアマト神――ゴルゴーンは九日後にはウルクを襲撃する。

恐らくは今までにない規模の戦いになるだろう。レオニダスと小太郎を欠いた今、残された日数でその分の力を補填しなければならない。

 

「相手がゴルゴーンなら呪詛返しが有効なんだが……」

 

「君の皇女の魔眼でも?」

 

「無理だろうな。出力が違い過ぎる」

 

アナスタシアの呪詛返しは呪いをより強い呪いで呑み込むものなので、亡霊であるジャック・ザ・リッパーや悪魔もどきのメフィストフェレスならともかく、精霊種を上回る力を持つ神格が相手では分が悪すぎる。

そうなると頼みの綱はマシュの宝具になるだろう。彼女のキャメロットならゴルゴーンの魔眼を防げることは先の戦いでも実証済みだ。

寧ろ、厄介なのは不死の肉体かもしれない。聖杯由来の魔力の膨大さはここまでの旅で何度も目にしてきた。ゴルゴーンから何とか聖杯を奪い取らなければ、例え戦ったとしても負けるのは自分達だ。

 

「恐らく、魔獣を生み出す権能――『百獣母胎(ボトニア・テローン)』も聖杯から得たものだろう。メドゥーサに魔獣を生み出す逸話はない」

 

強いて上げるならばその血からペガサスが生まれたということくらいだろうか。

更に元を辿れば先住民が崇める大地母神であったものが、異なる神話体系に取り込まれたことであのような魔獣の姿に貶められる形となったのだ。

神話上においては多くの英雄をその手にかける内に堕落し、姉2人をも取り込んで本物の魔獣と化した後に英雄ペルセウスの手で討ち取られた。

貶められた大地母神としての要素は、魔獣を生み出すティアマト神と相性そのものは良かったのだろう。

この世界に召喚されたゴルゴーンは何らかの形でティアマト神と繋がり、聖杯によってその権能を手に入れた。

同じ神とはいえ受肉した魔獣に近しい存在と創世の神格そのものではスケールが違い過ぎるが、幸か不幸かゴルゴーンは複合神性。その霊基はメドゥーサを基本としながらも2人の姉をも取り込んだものであり、メドゥーサでありながらゴルゴーン三姉妹を総括した存在として、ティアマト神とも繋がることができたのだ。

いわば英霊を超越した神霊の複合存在。ハイサーヴァントとでも呼ぶべき存在としてゴルゴーンはこの世界に顕現した。

 

「聞くだけで気が滅入る話ですね」

 

「加えてキングゥのこともある。ニップル市での戦い、どうも腑に落ちないんだ」

 

キングゥはやろうと思えば北壁を陥落させることもできた。だが、ウルクを滅ぼせば他の女神が黙っていないということでゴルゴーンを下がらせている。

だが、それ以上に気になるのは戦いの最中での不可解な動き方だ。ニップル市の人々や北壁の兵士を殺す一方で、レオニダス達は条件次第で見逃そうとした。

小太郎だけがいち早く離脱した際は、他の面々がその場を動かなかったことに苛立ちを露にしていたらしい。それでいて、いざゴルゴーンが窮地に陥れば我が身を省みずに救援に向かった。

キングゥの行動は捉え方にもよるが、ゴルゴーンにとって益にも害にもなる行為だ。

 

「キングゥといえば、気になることがあるんです。キングゥと確かにあの者は名乗りましたが、あの者は間違いなくエルキドゥでした。少なくとも、ルーラーとしての特権で垣間見た真名ではそうだった」

 

四郎が持つ真名看破スキルはルーラーだけが持つ特権であり、サーヴァントのクラスと真名を知ることができる。

そのスキルによって看破したキングゥの真名は確かにエルキドゥであったらしい。

しかし、そうなるとどうしてキングゥは偽りの名前を口にしたのかという疑問が残る。

キングゥは自身をエルキドゥをモデルにして生み出されたと言っていた。

その言葉は偽りなのだとしたら、その真意はいったいどこにあるのだろうか。

 

「騙り以外の可能性は? 例えば、自分がそう思い込んでいるだけとか?」

 

「そうですね、その可能性は十分に。ただ、何れにしてもエルキドゥが生きているということ自体がイレギュラーです。死者蘇生なんて、それこそ聖杯でもなければ…………」

 

四郎はそこで思い当たり、言葉を切る。

 

「聖杯は……キングゥが持っている?」

 

エルキドゥの死因は神々によって魂を砕かれたことだ。

ゴーレムから術式を消去するようなものであり、肉体そのものは無傷である。

なら、聖杯の魔力を動力源として再起動させれば、エルキドゥでありながらエルキドゥではない何者かが目覚めるのではないだろうか。

その者はエルキドゥとしての記憶を持たず、それでいてエルキドゥとしてのスペックを十全に扱うことができる。

それこそがキングゥの正体なのではないだろうか。

 

「ゴルゴーンとキングゥの分断、必須となりますね」

 

両者を同時に相手取れば、例えゴルゴーンを追い詰めてもキングゥが聖杯を用いて彼女を再生させるだろう。

互いを分断し、再生を封じるなりキングゥ自身を魔力切れに追いやるほど消耗させて聖杯の魔力をゴルゴーンに利用させないようにしなければならない。

必要なものは戦力の補填だ。レオニダスと小太郎、この二騎をも上回るジョーカーを自分達は用意しなければならない。

その解決策は、すぐにもたらされることになった。

三女神同盟の瓦解。二柱の女神のどちらかを懐柔し、こちらの戦力とする。

ギルガメッシュ王から下された新たな指令(オーダー)は、イシュタル神の説得であった。

 

 

 

 

 

 

ウルクに戻ってきてから半日も待たずに次なる指令が下され、立香達はイシュタル神が根城としているエビフ山へと向かう事となった。

目的は女神イシュタルの説得。ギルガメッシュ王はそのための手段として自らの宝物庫の財宝の内、三割を彼に預けると言った。

現在、ウルク市の城門では膨大な量の宝石類を荷車に積み込む作業が急ピッチで行われている。

 

「女神を買収するなんて、不敬にも程があるな」

 

「ギルガメッシュ王らしいよね、こういうのって」

 

「ああ。それと悪いな、一緒に行けなくて。思っていた以上にアナスタシアの消耗が激しくて、もう少しだけ戦闘は避けたいんだ」

 

元より神秘が強い魔獣達にはアナスタシアの魔術は通じにくい。そこに加えてゴルゴーンという強大な敵を相手にしたのだ。宝具級の魔術を連発したことでカルデアからの供給も追いつかず、アナスタシアとヴィイは消耗しきっていた。

なので、手負いのジャガーマンとアナスタシア、ウルク防衛のために四郎は残ることとなり、残る面々を立香が率いてイシュタル神の説得に向かうことになった。

 

「そうだ、これやるよ」

 

そう言って、カドックは懐から取り出したものを立香に投げ渡した。

それは丁寧に磨かれた手の平に収まるサイズの小石で、真ん中には墨で「じゃがー」と書き込まれていた。

立香にも見覚えがある。前にジャガーマンがインチキ商売の一環として売り出し、四郎に取り上げられたジャガー印のお守りだ。

 

「あんまりにも粗悪だったんで作り直させたんだ。流水で磨いて、染料には粉末にしたラピスラズリも混ぜている。ちゃんとジャガーマンにも念を込めさせたから、少しくらいはご利益があると思う」

 

卵を割ったら黄身が二つ入っていたくらいの幸運には恵まれるらしい。要するに単なる気休めだ。

だが、本人は割と一生懸命に作っていたのであのまま捨てるのも勿体ないと思い、こうして作り直させたのだ。

提案を持ちかけた時、本人は物凄く驚いた顔をしていたのが今でも印象に残っている。

 

「ああ、ジャガーマンが君に懐く理由、何となくわかった」

 

「うん?」

 

「……いや、いいんじゃない、君はそのままで。これはありがたく貰っておくよ」

 

何だか自分だけわかったかのような物言いをする友人に対して、カドックは首を捻りながら出立を見送った。

イシュタル神がいるエビフ山まで急ぎ足でも一日はかかる。往復と説得の時間も考慮すれば、最低でも三日はかかるだろう。

それだけの時間があれば、こちらも十分な休養を取れるはずだ。

まずは大使館に戻ってアナスタシアとジャガーマンの様子を診察し、時間があれば往診に出る。

決戦に備えて礼装も補充しておいた方がいいだろう。

頭の中で色々と今後のことを考えながら、カドックは大使館への帰路へとついた。

その時だった。ウルク市の南から、地鳴りのような音が聞こえてきたのは。

 

「……カルデア!」

 

『うっ!? 何だい、カドックくん!? こっちは今……』

 

「すぐにアナスタシアに繋いでくれ! 南市場に大至急! 可能ならシロウにも来いと!」

 

嫌な予感がした。

思うように走ることができないのがもどかしい。

危うく躓いて転びそうになるのを根性で耐え、カドックはウルクの街を駆けながら魔術回路を励起させていった。

両足に満ちていく魔力が足りない筋力を補強し、一足で二メートルもの距離を駆ける。

轟音を聞いて戸惑う人々の間をすり抜け、運搬の荷車と擦れ違い、誰かとぶつかれば反射的に謝罪を述べながら路地を曲がる。

そうして辿り着いた南市場は、死屍累々の有様であった。

この街を守るために志願し、選りすぐられた兵士達が山のように積み重なり、動かなくなっていた。一目で死んでいるというのがわかる。

その中心に立つのは一柱の女神。最高にイカシタ、頭の危ない女がチャンピオンの如く腕を掲げていた。

 

「うーん、アナタ達には高さが足りまセーン! そんなことでは一流のルチャドールにはなれまセーン!」

 

一目でわかった。彼女は密林の女神、ケツァル・コアトルだ。

風貌はアナスタシアとは完全に別ベクトルで、健康的な小麦色の肢体と快活な笑顔が印象的だ。

まるで村娘のように朗らかに笑う彼女ではあるが、その身の神の気は隠しようがなく、北米で出会ったスカサハに似た神々しさを感じ取ることができた。

つまりはヤバい。聖杯で女神となったゴルゴーンとも、疑似サーヴァントであるイシュタルとも違う。

彼女は正真正銘の神霊として現界したサーヴァントだ。その内に秘めた力が他の二柱とは段違いだ。

 

「あら? 次の相手はアナタかしら?」

 

「っ……!」

 

咄嗟に懐にしまっておいた目くらましの礼装を握り締める。

いざとなればこれを破裂させ、光に紛れて物陰に身を潜めなければならない。

それにしても恐ろしい。

彼女は笑っている。

殺意も敵意もなく、ただ快楽のために人を投げ飛ばし、その屍の上に立っている。

彼女は人を殺すのは好きなのではない。闘争そのものに悦楽を抱いているのだ。

 

「それじゃ、ゴングといきマース! せーのっ!!」

 

「っ!?」

 

カドック(マスター)! 下がって!」

 

大の字で飛び上がったケツァル・コアトルの体が、真横から叩きつけられた吹雪によって露店の天幕へと叩き落される。

次いで数本の黒鍵が倒れたケツァル・コアトルに向けて放たれるが、それはケツァル・コアトルの体に刺さることなくボールか何かのように小麦色の体で弾かれてしまった。

 

「わお、乱入という訳ですね」

 

アナスタシア(キャスター)! シロウ!」

 

こちらを庇うように降り立った2人が、油断なく天幕にくるまれたケツァル・コアトルを睨む。

慌ててカドックはアナスタシアとの魔力供給のパスを広げ、彼女へと送られる魔力の量を増やした。

彼女はまだ本調子ではない。恐らく、宝具を使用することはできないだろう。

女神を相手にそれでどこまで戦えるかはわからないが、それでもやるしかない。

 

「あら、そちらの2人はサーヴァントなのね? じゃあ、そこの不健康そうな男の子が余所から来たマスターさん?」

 

瓦礫をどかして立ち上がりながら、ケツァル・コアトルは聞いてくる。

一瞬、その気に呑まれそうになるのをカドックは必死で堪えて肯定した。

意識しろ。

ここにはアナスタシアがいて、自分は彼女のマスターだ。

女神程度に惑わされるなと、必死で自分に言い聞かせる。

 

「そうだ、僕がカルデアのマスターだ。あんたはケツァル・コアトル……で良いんだな?」

 

「ハイ、間違いありまセーン! 遥か南米から、ちょっとウルクを滅ぼしに来たお姉さんデース!」

 

そんな軽いノリで滅ぼされればウルクも堪ったものではないだろう。

そもそも彼女は神話体系が違う。ゴルゴーンはまだティアマト神の化身として顕現しているからいい。

イシュタル神は疑似サーヴァントとはいえウルクの神格だ。

だが、ケツァル・コアトルは南米の神格。ユカタン半島辺りならともかく、こんな遠いウルクの土地を滅ぼす理由がどうしても思い浮かばない」

 

「どうして、こんなことをする!?」

 

「あら、声が震えていますよ? 怖いのに一生懸命になっちゃって、可愛い子。ご褒美に答えてあげマース!」

 

またそんな評価かとカドックは内心で毒づくが、何とかペースは握ることができた。

このまま情報を引き出し、打開策を練ろう。

ケツァル・コアトルは特に言及してこなかったが、先ほどのアナスタシア達の攻撃を受けた際に奇妙な現象が起きていた。

四郎が放った黒鍵がその体に刺さることなく弾かれたのだ。

アナスタシアの魔術が利かないのはまだわかる。カルデアの霊基解析では彼女はライダークラス。神霊である彼女が対魔力を持っていたとするならばそのレベルは破格のものだろう。

だが、魔力に寄らないただの投擲すら防いだという点は引っかかる。

傷が再生したのではなく、刃が刺さる事すらなかったというのはどういうことだろうか。

 

「私達は人間を殺すために母さんに呼ばれました。私も他の二柱もそれを全うするわ。でも、その方法までは決められていない。私は憎しみで戦いたくはないのデス。私は戦いそのものを楽しみたいのデス。なので、どんな相手であれ、ひとりひとり丁寧に殺していって、人類を全滅させると決めたのデース!」

 

「ひとひとり……素手でぶち殺すつもりか?」

 

「イエース! まあ、今回は人探しも兼ねてですけれど。アナタ達、うちのジャガーを連れ回しているでしょう? あんなのでもいないと困りマース! 獣人の統括とか私の専門外デース!」

 

なので、連れ戻しに来たついでにウルクへの侵略も始めたのだとケツァル・コアトルは言う。

見ると、いつの間にか山と積まれていた兵士の死体を数体の獣人達が荷車に乗せて走り去ろうとしていた。

ウルクの人々を殺し、その死体を持ち帰ることも彼女の目的だったのだ。

 

「おぉっと、させまセーン!」

 

逃げようとする獣人達を止めようとした四郎を、ケツァル・コアトルが自らを壁にして制する。

やはり今度も四郎の攻撃は彼女には通用せず、逆に強烈なボディスラムによって強かに地面に叩きつけられる形となった。

 

ヒィ(ウノ)フゥ(ドス)ミィ(トレス)……丁度、百人ですね。じゃ、今日はこれまでにしておきマース!」

 

「逃げるのか、ケツァル・コアトル!」

 

「ここまでやって尻尾も出さないのなら、今日は続けても無駄デース! それに試合は一日に百人まで、それ以上になると相手のこと忘れちゃうから! 戦いを作業とせず、常にクオリティの高いデス・マッチが最高デース!」

 

ケツァル・コアトルが口笛を吹くと、空から巨大な怪鳥が舞い降りてきた。

古代に生息していた世界最大の翼竜、ケツアルコアトルスだ。

彼女はその背に飛び乗ると、大きく手を振りながら凱旋するように南の空へと去っていく。

 

「それではみなさん、アディオース! また明日、太陽が昇ったら百人ブチ倒しにきマース!」

 

一足先に逃げ出した獣人達の荷車の姿もどこにもない。

完全に、ケツァル・コアトルにしてやられる形になってしまった。

カドックの胸中に悔しさが過ぎる。

何もできなかったことに歯噛みし、思わず握り締めた拳は手に平に深々と爪が食い込んだ。

 

カドック(マスター)、すぐにギルガメッシュ王に報告しましょう。彼女は明日もまた来ると言っていました。場合によっては、マシュも呼び戻して……」

 

「いや、あいつらは戻らせない」

 

自分でも意外なほど、低く怒気のこもった声だった。

頭の中にあるのは、このままでは終わらせないという抵抗の意志だけだった。

ケツァル・コアトルは颯爽と現れて、嵐のように暴れるだけ暴れて帰っていった。

自分は兵士達が攫われるのをただ見ていることしかできなかった。

それがとても悔しい。

何もできなかったことが、堪らなく悔しい。

 

「ギルガメッシュ王に報告だ! あいつは僕達だけで何とかする! やられっ放しで引き下がれるか!」

 

今ここに、三女神同盟の瓦解。

二柱の女神の同時多面攻略作戦が実施される運びとなった。




多分、これが年内最後になると思います。

まあ、聖杯の場所がわかったところで奪える訳ではありません。
ただ、マスターが2人いるから別行動ができる、起こるべきイベントが前倒しされている……原作でもカルデアが来たことでギルガメッシュの視た未来よりも一日早く、ティアマト神が目覚めた訳ですが、さてどうでしょう?
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