Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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絶対魔獣戦線バビロニア 第11節

マットの中央では、ジャガーマンとケツァル・コアトル、両者の激しい死闘が演じられていた。

仲間のために一矢報いんとするジャガーマンと、女神の威光に賭けて敗れる訳にはいかないケツァル・コアトル。

ジャガーマンのホールドはガッチリと決まっており、首四の字の効果もあって抜け出すことは容易ではない。

それでもケツァル・コアトルは四肢に力を漲らせ、残された三秒間で仇敵の拘束を跳ね除けんとした。

 

『ワン……』

 

カルデアから戦いを見守るロマニが思わずカウントを呟く。

必死の形相で首を締め上げるジャガーの顔は苦痛で歪んでいた。

優勢なように見えて、追い詰められているのはジャガーマンの方なのだ。

ここまでのダメージと、気を抜けばすぐにでも振り解かれてしまうケツァル・コアトルの規格外のパワー。

彼女は歯を食いしばってそれに抗い、勝利を掴み取らんとしている。

 

『ツー……』

 

後、一秒。

この一秒を抑え込むことができれば、ジャガーマンは宿敵に癒しようのない屈辱を刻み付けることができる。

主神に一矢報いるのだ。

神格は全能であるが故に無欠でなければならない。

僅かでも瑕を負えば、それは神性を著しく損なう事に繋がるからだ。

決して侵せぬ自然の脅威であることが、その力の源なのである。

それを今、ジャガーマンは遂に突き崩さんとしている。

 

『ス……あぁっ、ダメだぁっ!』

 

最後のカウントが告げられる寸前、ケツァル・コアトルは上半身を持ち上げてマットから肩を上げる。

首を絞められ、両足を固定された状態のまま体を起こしたのだ。

何という規格外のパワー。彼女は拘束を解くのではなく、そのまま強引に起き上がることでカウントを中断したのだ。

 

「ぬうぅ、のぉぉっ!!」

 

このまま振り解かれては勝ち目はない。最後の望みを賭け、ジャガーマンは引っくり返った態勢のままケツァル・コアトルの首に巻き付いた両足に力を込める。

このまま締め上げて、呼吸困難でのノックアウト勝ちを狙っているのだ。

 

「そうは、いきまセーン!」

 

両足に力を込め、遂にケツァル・コアトルはジャガーマンの拘束を振り切る。

そして、あろうことか首にジャガーマンの足を巻き付けたまま、マットの上に立ち上がったのだ。

何というパワー、何というタフネス。お前がいくら締め上げたところで、蚊ほどの痛みも感じない。そう言わんばかりのパフォーマンスだ。

そのド迫力パワーの前には、ジャガーマンの奮闘など正に台風を前にした蝋燭だ。

 

「んにゃぁっ!!」

 

「ジャガーマン!?」

 

力任せに両足を解かれたジャガーマンの体がマットに叩きつけられる。

すかさず繰り出されたのはロープの反動を利用したサンセットフリップだ。

隕石の如き質量を叩きつけられたジャガーマンは情けない悲鳴を上げながら悶絶し、指先から力が抜ける。

それでも何とか立ち上がらんとするが、見逃すケツァル・コアトルではなかった。

まるでジャガーマンに屈辱の味を舐めさせんとばかりに跳躍し、頭蓋目がけてヒップアタックをぶち当てたのだ。

仇敵に圧し掛かられた上に顔面でマットを舐めさせられるという屈辱。ジャガーマンでなくとも恥辱に悶えることだろう。

平素であったならば喚き散らしていたかもしれない。

だが、今のジャガーは本気であった。

痛みも恥辱も飲み込み、残された力を振り絞って立ち上がる。

ここで倒れていては女が廃ると言わんばかりに、拳を上げてファイティングポーズを取る。

 

「へ、へい……かかってこいや……」

 

返答は延髄斬りであった。

堂の入った跳び上段を後頭部に食らい、受け身もとれないままジャガーマンはマットを転がった。

余りにも一方的な虐殺。

地力の差が大きすぎて、ジャガーマンの如何なる攻撃もケツァル・コアトルを揺るがすには至らない。

さながら起き上がり小法師のように、ジャガーマンは立ち上がる度に攻撃を受けてはマットに転がることを繰り返すばかりだ。

最早、まともに反撃するだけの体力すら残されていない。

 

「勝負あったわね、ジャガー」

 

「な、何を言っているニャ……まだ、これから……」

 

強がりを口にするも、既にボロボロのジャガーマンはコーナーポストにもたれかかったままケツァル・コアトルを睨みつけるのが精一杯であった。

全身を余すことなく痛めつけられたため、着ている毛皮も傷だらけだ。敗れた毛皮の向こうには傷ついた彼女の肢体が覗いており、いくつもの赤い線と斑点で彩られていた。

 

「ジャガー、ギブアップしなさい。知らない仲ではありません。悪いようにはしないわ。あなたがそこまでする義理もないでしょう?」

 

「そ、そうだニャ。何でこんなことしているのか、じ……自分でもよくわからないし、カドックん達にそそのかされて…………なんて言うと思ったかぁっ!」

 

差し出されたケツァル・コアトルの手を蹴りで払い除け、その勢いのままジャガーマンはマットに倒れ込む。

だが、地に伏しながらもケツァル・コアトルを睨みつけるその目には、未だ闘志が燃え続けていた。

 

「ジャガー……あなた……」

 

宿敵のナワルの尋常ではない意志の強さに、思わずケツァル・コアトルもたじろぐ。

その様は鬼気迫るという言葉が最も当てはまるだろう。

いつものふざけてばかりのジャガーマンはここにはいない。

そこにいるのは戦いと死の戦士。恐れを知らないジャガーの戦士だ。

 

「カドックんはね、私の信者第一号なの。私はこんな性格だから、いつもふざけてばっかりだけど……真面目に頑張ってる時があっても誰も信じてくれないけれど、カドックんだけは違ったの。口では偉そうなことばっかり言っているけど、いつだって私のことを見てくれてた。あの子のまっすぐな信仰が眩しかった。そのカドックんが……人類最後のマスターが必死で頑張っているの見てたらね、私も何か力になりたいって思ったの。だって私はジャガ村先生。先生は信者(生徒)のために体を張るものでしょう?」

 

ジャガーマンの懐から小さな石が零れ落ちる。

それは、カドックの提案できちんと作り直したジャガー印のお守りであった。

手っ取り早く信仰を集めるために適当に作った粗悪品。一度は四郎に取り上げられたそれを、カドックはもう一度、きちんと作り直すことを勧めてくれた。

石を綺麗に磨くことを提案し、染料に混ぜるラピスラズリの粉末は工房の職人にお願いして余りを分けてもらえるよう頼んでくれた。空き時間にはお守りの制作も手伝ってくれた。

造りが雑だ、時間をかけ過ぎだ、適当にするなと偉そうに説教しながらも、彼はお守りが完成するまでちゃんと付き合ってくれた。

その不器用な優しさをジャガーマンは守りたいと思ったのだ。

 

「だから、まだ終われないのよ!」

 

お守りを握り締め、ジャガーマンは跳躍する。

降り立ったのはコーナーポストの上。マットの中央に立つケツァル・コアトルを見下ろす形だ。

いったい、何を仕出かそうとしているのかと周囲が見守る中、ジャガーマンは徐に身に纏っていた毛皮を脱ぎ捨てた。

その下から露になったのは胸元まで開けた黒装束。本来ならば健康的で美しいはずの肌にはいくつもの痛々しい傷が浮かんでおり、ここまでの戦いの激しさを強く物語っていた。

 

「そういえば、聞いたことがあります。普段はふざけていますが、私達と出会う前は密林の獣人を従えて一大シンジケートを組織していたとか。普段の姿は世を忍ぶ仮の姿にしてリミッター。つまり、アレは霊基再臨なのです!」

 

『毛皮脱ぐだけってお手軽だな、彼女の再臨! でも、魔力量が一気に膨れ上がったぞ! それに彼女が手にしているのは…………二刀流だ!!』

 

コーナーポストに立つジャガーマンが取り出したのは二振りの得物。

一つは、普段から愛用しているカギ爪付のこん棒。もう一つは東洋の島国に伝わる長柄の武器、薙刀だ。

再臨したとはいえジャガーマンとケツァル・コアトルの間には埋めがたい実力差が存在する。そこに加えてダメージを軽減する権能もあるので、既に体力の限界が訪れているジャガーマンにはどうやっても勝ち目はない。

唯一の勝機は、残る全ての力を出し尽くしてノックアウトを狙う事。それすらも一か八かの賭けだったが、これ以上は試合を長引かせることもできない以上、ジャガーマンはカドックのためにも最後の賭けに出る事を選択した。

 

「うおぉぉっ! これが最後の勝負だ、ククルん!」

 

「来なさい、ジャガー!」

 

『ジャガーマンの魔力が増大していく。宝具が来るぞ!』

 

「武器の二刀流。つまり、100万足す100万で200万。そこにいつもの2倍の握力が加わって、200万かける2で400万。そして、いつもより3倍の高さから振り下ろすことで、400万かける3の――――1200万ツァーリ・パワー! ジャガーマンがケツァル・コアトルを……」

 

『――上回った!? って、その出鱈目な計算は何なんだい!?』

 

真顔でとんでもない理屈をぶちまける皇女にロマニは困惑するが、事実、ジャガーマンが繰り出そうとしている攻撃はとてつもない魔力数値を叩きだしていた。

やはり、低位といえど神霊。秘められた潜在能力は凡百のサーヴァントを遥かに凌駕するということか。

 

「ひっさーつ!『逃れ得ぬ死の鉤爪(グレート・デス・クロー)』!!」

 

実体化した巨大なジャガーの爪が、ケツァル・コアトルに襲い掛かる。

さながらそれは大空の彼方から降り注ぐ隕石だ。かつて恐竜を滅ぼした原因の一つとされている隕石の如き一撃が、今、南米の神へと振り下ろされたのだ。

ケツァル・コアトルは躱さない。避ける事も容易い大振りの一撃を、彼女は敢えてその身で受け切ることを選択した。

これほどの決意、覚悟を受け止めずして何がルチャドーラか、何が女神か。

ジャガーマンの全身全霊を賭けたその一撃を、ケツァル・コアトルもまた全身全霊を賭けて受け止める。

その瞬間、地響きにも似た振動が大気を震わせた。

勝ったのはジャガーマンか、それともケツァル・コアトルか。

試合の行く末をアナスタシアは固唾を飲んで見守っていた。

故に、気絶していたはずの四郎の姿が、いつの間にか消えていることに彼女は気が付かなかった。

彼は今、カドックの後を追って階段ピラミッドを駆け上っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

階段ピラミッド頂上。

正に今、ジャガーマンが大技を繰り出そうとした瞬間、カドックは太陽神殿の祭壇へと到着していた。

祭壇の間は十メートル程の広さで、四方には明かりのための松明が燃やされている。

その炎に照らされているのは巨大な岩だった。

余りにも大きくて祭壇を設けることはできなかったのだろう。巨石は広間の中央に安置されており、周囲を杭と縄で囲われていた。

これこそが太陽遍歴。古代アステカにおいて世界の過去・現在・未来を示したとされるアスティックカレンダーだ。

発せられている濃密な神気は、これがこの世ならざる神の遺物であることを如実に物語っている。

間違いない、これがケツァル・コアトルの宝具であり、彼女の力の源となっている祭壇だ。

これを破壊することができれば、彼女は権能を失うだけでなく宝具すら使えなくなるはずだ。

 

(令呪一画をリソースにすれば、亀裂くらいは入れられるはずだ。権能を奪う――神性を汚すだけならば、それで十分のはず)

 

急がなければならない。こうしている間にも、ジャガーマンは必死でケツァル・コアトルに立ち向かっているのだ。

ただ時間稼ぎを行うのとは訳が違う。相手にしているのは南米の神話の主神。如何にジャガーマンが神霊といえど低位な彼女では、死の物狂いで戦っても勝機がない相手だ。

必死で食い下がるジャガーマンは既に死に体。一刻の猶予もないのだ。

だが、術式を起動させようとした瞬間、カドックは背後から何者かに制止された。

振り返った先にいたのは四郎だ。ケツァル・コアトルによって気絶させられていたが、気を取り戻して追いかけてきたのだろうか。

 

「カドック、それを壊してはいけません!」

 

「何故だ、シロウ!? 今、壊さないとジャガーマンが……」

 

「訳は、言えません。上手く説明できません……ですが、壊してはいけない。いえ、それを壊せば確かにケツァル・コアトルは倒せます。ですが、それは違うのです。違うとしか……言えません」

 

「何を訳のわからないことを……」

 

思わず激昂しかけて、気づく。

天草四郎の未来視だ。物事を為すべきに辺り、最適の道筋を知ることができる啓示スキル。

彼はまた、それで未来を視たのではないだろうか。そして、その未来では太陽石は砕かれていなかった。

その石を砕いてはならないと、彼の信ずる神が告げているのだ。

 

「何を視た? シロウ、早く言え!」

 

「それは……」

 

逡巡した後、四郎は口を開く。

その内容は耳を疑うものであった。少なくとも、冷静な判断とは思えないし、それのどこが正解に至る最適な道なのかもわからない。

元より神など信仰しない身の上であるが、そうでなかったとしても正気を疑う内容だ。

それでも、シロウの啓示は今まで外れたことがなかった。

密林では敵の奇襲を察知し、ニップル市でも英霊二騎の脱落を予言している。

自分達の生存はその先にあるのだ。ならば、今回もまた彼が視たものは正しい未来なのではないだろうか?

 

(けど、ここで砕かないとジャガーマンが……僕に彼女を見捨てろっていうのか? いや、だがシロウは…………)

 

突き付けられた選択肢に対して、カドックは迷いを見せる。

ここで太陽石を砕き、ジャガーマンを助けるか、シロウの言葉に従うか。

それはほんの一瞬、2秒にも満たない時間ではあったが、確かな迷いとなって彼の思考を硬直させた。

地上のリングから大きな爆発音が響いたのは、正にその瞬間のことであった。

 

 

 

 

 

 

濛々と立ち上がる土煙。

その向こうでぶつかり合った二つの神格は、彫像のように向かい合ったまま動かない。

果たして、勝利したのはジャガーマンか、それともケツァル・コアトルなのか。

 

「……いい一撃よ、ジャガー。けど、私に届かせるにはまだ高さが足らないわ!」

 

「がっ、ぐはっ……!?」

 

音を立てて、ジャガーマンが手にしていた武器に亀裂が入る。

岩に叩きつけた木の棒のように、2本の柄が中ほどで折れていた。

余りにも強大な力に武器が耐え切れなかったのだ。

では、それを受け止めた相手はどうなったのか。

全身全霊の一撃を受け止めた女神の肢体。

その五体は何と無傷であった。

我が身すら省みない一撃を放って尚、ジャガーマンはケツァル・コアトルに届かなかったのだ。

 

「あなた、本調子じゃなかったわね。そんな状態で宝具を使うなんて……」

 

「な、何のことかニャ……」

 

武器を手放し、ふらふらとよろけながらもジャガーマンは拳を握る。

最早、存在を維持するだけでもやっとの有様で、まだ戦おうというのだ。

 

「ジャ、ジャガーパンチ……」

 

しかし、振りかぶった拳は空しく宙を切る結果で終わった。

今のが最後の一撃だったのか、そのままジャガーマンは力尽きて前のめりでマットに倒れ込んだ。

 

「ジャガーマン!」

 

「き、来ちゃダメ! 皇女様は来ちゃダメ!」

 

「で、でも……」

 

「乱入したら、あなたもククルんの敵と見なされるわ! 観客に徹している内は、彼女も手を出さないから! そのロープを潜らないで!」

 

「ジャガー……マン……」

 

息絶える寸前のジャガーマンの姿に、アナスタシアは思わず階段ピラミッドを昇る己のマスターを見やる。

頂上には何の変化もない。カドックは既に頂上へと辿り着いているはずだ。なのに、どうしてケツァル・コアトルの祭壇は破壊されていないのか。

未だ女神は健在で、ジャガーマンの命は風前の灯だというのに、彼はいったい何をしているのだろうか。

 

「さ、さあ……きなよ、ククルん」

 

「いいでしょう……我が宿敵のナワル! 我が全身全霊の一撃を持って、リングに眠るがいい!」

 

ジャガーマンの覚悟を汲み取ったケツァル・コアトルは、敢えて非情なる神格としてとどめを差すことを宣言する。

同時に彼女の体から凄まじい量の魔力が迸り、周囲の風を吸い寄せた。

リングの中央、ジャガーマンを囲うように生み出されたのは強烈な竜巻だ。

それは膝を着いてなお、戦意を失わないジャガーの戦士を拘束する。何とか逃れようともがくジャガーマンではあったが、消耗しきった体ではそれも叶わず、呆気なく2本の腕をケツァル・コアトルに極められてしまう。

 

「私は蛇!」

 

そのまま竜巻の勢いに乗るかのような強烈なスイングと共にジャガーマンの体を遥か上空へと投げ飛ばし、自身も炎を纏った状態でその後を追う。さながら、空を飛翔する不死鳥だ。

 

「私は炎!」

 

炎の鳥は一直線にジャガーマンへと迫り、落下を始めた彼女の体を受け止める。

自身の両足で頭を挟み、胴体を抱えて眼下のリングに照準を合わせるケツァル・コアトル。

炎を纏った脳天落とし。これこそが彼女の最大出力にして代名詞たる宝具(フィニッシュホールド)

かつてケツァル・コアトルが悪神テスカトリポカに敗れ、アステカを去らねばならなくなった際に、数々の財宝が宿敵に渡らぬように自らの宮殿を灼き尽くしたという炎の再臨。

その名も――。

 

「『炎、神をも灼き尽くせ(シウ・コアトル・チャレアーダ)』!!」

 

「ギャアァァッ!! カドックーーん!!」

 

叫びながら、最後の足掻きとばかりにジタバタと手を振るジャガーマン。

しかし、泣き喚く彼女の頭蓋をケツァル・コアトルは炎の羽根で抱擁し、無情にもマットに叩きつける。

再び起きる地響きと轟音。

ケツァル・コアトルが技を解くと、マットに顔面をめり込ませたジャガーマンの体が重力に引かれ、糸が切れた人形のようにマットの上へと倒れ込んだ。

そのまま彼女はピクリとも動かず、ただ沈黙だけがリングの上を支配する。

判定を下すレフェリーはおらず、勝ち名乗りもない。

だが、この一戦はケツァル・コアトルの勝利であった。

 

「……待ちなさい、ケツァル・コアトル!」

 

倒れ伏すジャガーマンに背を向け、階段ピラミッドへと向かわんとするケツァル・コアトルをアナスタシアは凝視する。

例え敵わずとも、数秒程度の時間は稼げるはず。例えここで自分達が全滅しても、彼女の力を削ぐことができれば、後に彼女と戦うことになるであろうマシュ達の負担を減らせるはずだ。

だが、氷塊をぶつけても空気を凍り付かせてもケツァル・コアトルの歩みは止まらない。

僅かに動きを鈍らせても、すぐに魔力を漲らせてこちらの拘束を振り切るのだ。

高い対魔力とヴィイを上回る潜在魔力。炎と氷、太陽の神とバロールの傍流。

余りにも相性が悪すぎる。権能を抜きにしても、自分では決して彼女に敵わないだろう。

 

「あなたの魔術は効きません! そして、この結果はあなたのマスターの未熟が招いたものと知りなさい!」

 

吹雪の拘束を振り払い、ケツァル・コアトルは跳躍する。

最早、彼女をこの場に押し留める術はない。

アナスタシアは、ただ悲痛な叫びを上げる事しかできなかった。

 

「逃げなさい! 逃げて! カドック(マスター)!」

 

 

 

 

 

 

『ジャガーマン、戦闘不能! 霊核は……ダメだ、調べている暇が!! カドックくん、そっちにケツァル・コアトルが向かっているぞ!』

 

「っ……!?」

 

ロマニの言葉で我に返ったカドックは、自分が仕出かした事の大きさを痛感して動揺する。

ジャガーマンは犠牲となった。彼女の宝具が破られ、逆にケツァル・コアトルによってとどめを差される瞬間まで、カドックは答えを出すことができなかったのだ。

それは自分自身が彼女を見捨てたのにも等しい所業だ。この結果は、自分の弱さが招いたことだ。

 

(悩んだ結果がこれか……僕が、ジャガーマンを殺したのか……)

 

怒りが込み上げてくる。

ジャガーマンを殺したケツァル・コアトルにではない、判断を下せなかった自分自身に対してだ。

ジャガーマンの奮闘、ロマニの解析、四郎の啓示。

多くのことを考えすぎた。

直感に従うことができず、思考し続けた結果がこの様だ。

以前の自分ならばこんなことはなかったはずだ。

四郎の言葉になど耳を貸さず、冷徹に太陽石を砕けていたはずだ。

どうして、こんな時に迷いなど抱いてしまったのか。

頭では啓示の内容をありえないと一蹴していても、四郎の言葉が耳から離れなかったのは何故なのか。

 

(わかっていたさ。ここで太陽石を砕いたところで、示せるのは力だけだ。知略とサーヴァントの力を示したところで、ケツァル・コアトルが言っていた試練を乗り越えたことにならない。ただ彼女のルールの中で戦っただけじゃないか)

 

心のどこかでそれを自覚していたから、太陽石を砕く事を躊躇してしまった。

合理的な魔術師としての自分が、多くの英霊達の生き様を胸に刻んできたマスターとしての自分を説き伏せることができなかったのだ。

自分は彼女に言ったのだ。大切なことは戦いの後にあると。

戦いはただの試練でしかない。そして、神々の課す試練はいつだって度胸試しだ。

示さなくてはならないのは力でも英知でもなく勇気。

ちっぽけな人間としての意地と矜持という人間賛歌こそが神に示せる最大限の勇気だ。

恐らく、四郎が視たヴィジョンはその具体的な方法だ。

似たような逸話も思い当たる。

それを自分がやらなければ、本当の意味でケツァル・コアトルを下したとは言えないだろう。

 

「すみません、あなたを迷わせたのは私の責任です。償いは、せめてこの身で!」

 

言うなり、四郎は祭壇の間を飛び出す。

遠くから聞こえる剣戟の音は、彼がこちらに向かってくるケツァル・コアトルと戦っている音なのだろう。

だが、四郎では女神の権能を突破することはできない。

この世の善なる者からは傷つけられない。天草四郎に未来を知り、奇跡を起こせる神の子であったとしても、神そのものであるケツァル・コアトルには敵わない。

程なくして剣戟の音が止み、魔力の気配が遠退いていくのが感じられた。

敗れた四郎が地上へと転がり落ちたのだ。

 

「時間稼ぎはここまでかしら!? なら、あなたはそこまでの人間ということよ、カルデアのマスター!」

 

(ケツァル・コアトル!?)

 

『カドックくん、令呪で皇女様を呼ぶんだ! 君1人じゃ殺されるぞ!』

 

強大な魔力がこちらに向かってくる。サーヴァントの脚力ならば、自分が苦労して昇った階段を昇りきるなど2秒もかからないだろう。

こうなってしまえば、何をやってももう手遅れだ。

太陽石の破壊とアナスタシアの転移は一度に行えない。

どちらかを実行している内に、この頭蓋は女神の鉄槌で粉々に砕かれるだろう。

自分が助かる道はもう残っていないのだ。

ならば、残る選択肢は立香達のためにヒントを残すことだ。

先ほどの四郎との話はロマニも聞いていたはず。

太陽石を砕かず、ケツァル・コアトルを下す手段を立香に伝えてもらい、自分の代わりに女神の試練を乗り越えてもらうのだ。

自分にはもう、それしか道は残されていない。

そう思った刹那、頭上からケツァル・コアトルに匹敵する強力な魔力の気配が迫ってきた。

音速を超え、ソニックムーブを纏って飛来したそれは、自分の前に降り立つなり眼下のケツァル・コアトルに向けて魔力弾を連射する。

無論、それは彼女の権能によって悉くを弾かれてしまうが、次いで飛び降りた騎士が巨大な盾の質量に任せてケツァル・コアトルに突貫し、女神の体を僅かに押し返す。

権能でダメージを与えられずとも、足場の悪い階段上ではその質量が大きな枷となる。

加えてそこに鎖鎌による拘束と花の魔術師による援護もあり、ケツァル・コアトルはそれ以上、階段を昇ることができなかった。

 

「お前達は!?」

 

「お待たせ! 女神の特急便よ、高くついたわね!!」

 

「イシュタル神!? それに……」

 

「間に合って良かった。ドクターから連絡を受けたんだ。カドック達がピンチだって!」

 

駆け付けてくれたのは、エビフ山に向かったはずの立香達であった。

後から教えてもらったことだが、立香達は多少のいざこざはあったものの、予定通りイシュタル神の協力を取り付けることに成功した後、こちらの窮地をロマニから知らされたらしい。

本来ならばエビフ山からエリドゥ市までどんなに急いでも3日はかかる。普通の手段で下山していたのではとても間に合わないので、無理を言ってイシュタル神が駆る飛行船『天舟マアンナ』に乗せてもらい、ここまで飛んできたのだそうだ。

 

「まったく、共闘を約束した途端に女神をタクシー扱いするなんていい度胸ね。後で覚えてなさいよ」

 

扇情的な自身の肢体を抱えながら、イシュタル神は眉間に皺を寄せる。

確かにその通りだとカドックも思ったが、今はそのことについてとやかく議論している暇はない。

イシュタル神と立香達の参戦で、閉ざされてしまった希望に一筋の光明が見えたのだ。

このチャンスを逃してしまえば、今度こそ自分のことを許せなくなる。

死んでしまったジャガーマンにも申し訳が立たない。

 

「イシュタル神、頼みがある!」

 

「何? 戦えっていうなら作戦くらいは聞いてあげるけど、あいつに私の攻撃は効かないわよ?」

 

「いや、あいつと戦うのは僕の役目だ」

 

「……はっ?」

 

こちらの正気を疑うかのような眼差しを向けられ、自分でも馬鹿なことを言ったものだと自嘲する。

だが、これは事実であり決定だ。

この状況はジャガーマンが命を賭けて時間を稼いでくれたからこそのものだ。

おかげで四郎が垣間見た未来のヴィジョンにも確信が持てた。

彼女は決して無駄死にではなかった。

彼女の犠牲を無為にしてしまうかどうかは、この後の自分の行動にかかっているのだ。

 

「あいつに向かって本場のダイブをお見舞いしてやるんだ」

 

『いやいや、冷静に考えたらこの高さからボディアタックなんてしようものなら、いくら魔術師でも自殺行為だからね!』

 

「けど、これしかない! これはケツァル・コアトルが僕に課した試練だ! なら、僕自身が跳ばなければ意味がない! イシュタル神、協力してくれ!」

 

高高度からのボディプレス。ルチャリブレ風に言うならばプランチャー・スイシーダだ。それこそが四郎の垣間見た未来の光景であった。

高所からの飛び降りは古来から各地で行われている成人の儀式だ。つまりは独り立ちのための通過儀礼であり、神に対して勇気を示すことで大人として認められるのである。

一介の魔術師でしかない自分が女神に認めてもらうには、これしかないだろう。

 

「そう、本気なのね。いいわ、捕まりなさい! 振り落とされるんじゃないわよ!」

 

「藤丸、こいつを預かっていてくれ!」

 

頑丈に作られているとはいえ、落下の衝撃で破損する可能性は十分にあるため、唖然とこちらを見つめている立香に眼鏡を預ける。

視界は灰色になってしまったが、問題はない。イシュタル神が上空まで誘導してくれれば、後のことは何とでもなる。

 

「高度はざっと二百メートル。どう、怖くて目が開けられないなんてことはない!?」

 

頭上から聞こえる女神の声。

視界が利かないので自分がどういう状況なのか掴みにくいが、肌を切る風は冷たく、振り回した足は宙を掻くばかりで地面を捉えない。

イシュタル神が言うように、本当に上空二百メートルまで飛び上がったようだ。

一瞬の内にここまで飛翔するとは、やはりサーヴァントはそこらの魔術師ではできないことを平然とやってのけてくれる。

同じことを自分がしようと思ったら、どれほどの触媒と大がかりな儀式を必要としただろうか。

 

「目標の真上まで来たら落としてくれ。後は、こっちで何とかする」

 

「OK……って、やけに冷静だけど、ひょっとして貴方、見えてないの?」

 

「ああ、まったくな」

 

「そんな眼でこんな無茶しようとしているの? 貴方、実は真性の馬鹿でしょ!?」

 

「本場のロックはこんなもんじゃない。それに、見えなくてもケツァル・コアトルがどこにいるかはわかる。僕のサーヴァントが……キャスターが何もしない訳ないだろう」

 

マスターとサーヴァントは霊的なパスで繋がっている。

もう二年に渡る付き合いなのだ。意識を集中させれば、お互いがどこにいるのか見えなくとも把握することができる。

実際、この時アナスタシアはカドックの意図を汲んでケツァル・コアトルに組み付いており、手にした金属製の工具で苛烈な目潰しを繰り出しているところであった。

普段のお淑やかな皇女としての雰囲気など微塵も感じさせない、アグレッシブで残虐極まりない行為に対して、ケツァル・コアトルは必死で振り解かんともがくが、更にマシュとアナが覆い被さって動きを封じてきたため、彼女の体はジリジリと階段ピラミッドから引きずり降ろされていた。

それを見たイシュタル神は、思わず吹き出しながら腕に捕まっているカドックに話しかける。

 

「似た者同士ね、貴方達。いいわ、ならやりたいようにやりなさい!」

 

不意に浮遊感が消え、体が重力に引きずられる。イシュタル神がケツァル・コアトル目がけて手を放したのだ。

叩きつけられる強風は瞼を開けていることも困難で、姿勢を整えるのにも大きな労力を要した。

同時に、こちらの動きを察知したアナスタシアが離脱していくのがわかる。後に続いた小さな反応はきっとマシュとアナだろう。

ここから先は出たとこ勝負。もしもケツァル・コアトルが身を躱せば、自分は高度二百メートルから落下して木っ端微塵に砕け散るだろう。

不安がないと言えば嘘になる。正直に言うと内心ではビビりまくりだ。

だが、ジャガーマンの雄姿が自分に力をくれた。

あのふざけた神霊が、本気で自分の為に戦ってくれたのなら、こちらも全身全霊で応えるのが人間としての礼儀だ。

見せつけるのは力でも英知でもない。

カドック・ゼムルプスが持つ人としての尊厳。

勇気の在り方を示すのだ。

だから、避けるな。

避けてくれるな、ケツァル・コアトル。

御身が女神であり、ルチャドーラであるのなら、どうかこの一撃を避けてくれるな。

 

「あの子、本当に落ちてきたわね!? その高さでは受け手がルチャマスターでも死ぬしかないわよ!? それでも――――それでも、この私にプランチャを見舞わせるというの!?」

 

驚愕するケツァル・コアトルの顔が容易に想像できた。

見えずとも感覚でわかる。激突の瞬間は間近だ。

姿勢を逸らし胸を張れ。

どの道、ここで彼女の試練を乗り越えることができなければ自分達に先はない。

ならば信じろ。

ルチャなんかにハマってしまった愉快な女神を信じろ。

彼女の根底にある、戦いを楽しみたいという欲求を信じろ。

 

(そうだ、その一点だけは信じられる。彼女が神であるならば――)

 

己が言葉を反故にすることはできない。

ならばもう、迷いはない。この一撃、彼女は必ず受け止める。

さあ、受けてみろケツァル・コアトル。ロックの本場で鍛えたモッシュ・ダイブだ。

この蛮行(勇気)、余さず受け止めて見せろ。

 

「――――っ!!」

 

衝撃が体を襲った。

痛みはあったが、五体が無事であることはすぐにわかった。地面に激突した訳ではない。

高高度から落下した体は、大きな体に抱きしめられるかのように受け止められて着地したのだ。

触れた体は鋼のように堅く引き締まっており、顔面は何やら柔らかいものに包み込まれていて少し息苦しい。

 

「生きてますか? 坊や(Cachito)?」

 

「……坊やは止めてくれ」

 

「良かった……私が伝説級のルチャドーラだった事に感謝してくだサーイ」

 

先ほどまで、英霊達と死闘を繰り広げていたとは思えない穏やかな声だった。

これが本来の、善神としてのケツァル・コアトルなのだろう。

全てを照らし包み込む太陽のような懐の深さと、容赦なく大地を焼く灼熱の試練を併せ持った存在。

ようやっと、自分は彼女の本質と向き合うことができたようだ。

それは同時に、自分が彼女の試練を乗り越えることができたことも意味していた。

 

「空を飛ぶ技はあれですよ、受ける側と仕掛ける側、どっちも一流の腕がないと人死にが出るのデース」

 

「知っている……けど、あんたなら受けてもらえると、最後の最後に信じることができた。あんたは人間が大好きなんだろ? だったら、僕の全力には必ず応えてくれるって――」

 

最後まで言葉が続かなかった。

まず思いっきり抱きしめられ、次いで何やら柔らかいものが唇に重なった。

口づけをされたのだと気づくのにほんの少しだけ時間がかかった。

 

「今のは綺麗に飛べた事へのご褒美ネ。うん、女神同盟に参加して良かったデース。こんなにも強く人間らしいヒトと出会えるなんて。飛び方も素人とは思えないくらい堂に入っていましたし、これはとても鍛えがいのある坊や(Cachito)デース」

 

そこはかとなく嫌な予感がする言葉を並べられていることに戦慄する。

ひょっとしてこれは、ジャガーマンに次いでまたしても自分は何かやらかしてしまったのだろうか?

 

「ありがとう。負けたわ、マスター。こんなに私を打ちのめした人は初めて! 南米の女神ケツァル・コアトル! ここからはアナタのトレーナーとして、この力を振るってあげちゃうから! さあ、まずは傷を癒して、ルチャの基本から学びましょう!」

 

「ま、待ってくれケツァル・コアトル! 何がどうしてそうなっ……」

 

「あなたにはルチャ―ドールとしての素質がありマース。度胸もありますし、ちょっと不健康ですが、そこはこれから矯正すれば良いのデース」

 

陽気な声で物凄く無茶苦茶のことを言う女神である。

生贄に選ばれた男達は兵士(ルチャドール)として過酷な訓練メニューを課せられていると聞いたが、まさか自分にまでそれを強制しようと言うのか?

 

「まさか? 坊や(Cachito)はまだまだひ弱ですから、最初の内はお姉さんと二人三脚ネ。本格的なメニューはそれからデース」

 

余計に質が悪かった。

アルテミスに気に入られたオリオンの気持ちが今、わかった気がする。

神の愛は確かに重い。こんなものを四六時中、あのぬいぐるみは受け止めているのかと思うと、少しだけ評価を見直したい気持ちになった。

 

「いつまで抱き合っているのですか!」

 

アナスタシアの声がしたかと思うと、強い力で首元を引っ張り上げられる。

見えないのでどんな顔をしているのかはわからないが、とても切羽詰まった声だった。

顔を手で押さえられているのか、彼女の冷気が両頬から見る見るうちに熱を奪っていく。

自分でも冷気の制御ができていないということは、かなり焦っているのだろう。

できれば凍傷を起こす前に止めて欲しいのだが、残念ながら今の彼女は聞く耳を持たなかった。

 

「何をされたの? ねえ、この女に今、何をされたのですか!?」

 

「え、いや……」

 

「わお、これはライバルの登場ですネ。お姉さん、負けるつもりはありまセーン!」

 

(少し、黙っていてくれないかなこの女神は!)

 

「アナタ、こっちをまっすぐ見て!」

 

静寂を取り戻した階段ピラミッドの麓で、女神の笑い声と皇女の怒声が木霊する。

その様子を遠くから見守っていた立香達は、痴話喧嘩染みたやり取りを繰り返す三人を見て苦笑することしかできなかった。

触らぬ神に何とやら、何とかは犬も食わないというやつだ。

また、片隅では完膚なきまでに叩き潰されたはずのジャガーマンの指先が僅かに動いていたのだが、それに気づいた者は誰もいなかった。




あけましておめでとうございます。

事件簿アニメ化おめでとう。
0話の出来が大満足だったので今から楽しみです。
正月イベは皆さん、進んでいますか?
こちらは初動に出遅れたので、奉納ポイントが足らず足止め受けているところです。
今回もアナスタシアが活躍してくれて当方としては満足です。
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