Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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絶対魔獣戦線バビロニア 第12節

そこは暗く、深く、冷たく、そして温もりに満ちていた。

仰いだ空は高く、魂すら凍り付くほどの寒さで満ちた世界。けれども、ここは地上よりもほんの少しだけ温かい。

熱源がある訳でなく、陽の光が届いている訳もない。月の光すら届かぬこの世界に動くものはなく、空気すら冷え込んでいるはずなのに、まるで母に抱かれているかのような安堵を覚える。

果てしなく続く常闇の空を見上げていると、二度と以前の場所には戻れないという絶望に打ちひしがれる。なのに、自分はここでは一人ではないのだという安らぎを覚える。

死者の国、亡者の世界。呼び方はいくつかあれど、この世界は普遍的にはこう呼ばれている。

冥界。

死して肉体を離れた魂が辿り着き、消え去るまでの時を過ごす場所。

貴賤を問わず、罪科を問わず、あらゆる魂の終着点たる地。ならばここは地上で抱いた悲哀や悔恨を癒す安息の世界なのかもしれない。

地より生まれ出た命はまた地へと還る。さながら、自分を生み育んだ母の腕に抱かれているようなものなのだろう。

 

「へえ、あの悪趣味な女神の生業(ライフワーク)をそんな風に考える奴、初めて見たかも」

 

傍らをふわふわと漂うイシュタル神が不思議そうにこちらを覗き込んでくる。

カドック達は今、メソポタミアの冥界を訪れていた。

事の発端はウルクに戻ってからの事だ。

ケツァル・コアトルと協力関係を築き、死んだと思われたジャガーマンも奇跡的に一命を取り留めていた。

ケツァル・コアトルの宝具を受けた際、咄嗟に伸ばした手がリングのロープを掴み、激突のショックを和らげたらしい。

ジャガーマンはこれをジャガーの加護(回避)だと言っていた。

とにかく女神を仲間に引き入れ、誰も欠けることなくマルドゥークの斧も確保したカドック達は意気揚々とウルクに帰還したのだが、そこで待っていたのはギルガメッシュ王の訃報であった。

何でも、執務中に体調を崩し、休息を取ろうと眠りについたまま目を開くことなく事切れたのだそうだ。

悲しみに浸るウルク市ではあったが、カドック達はすぐにこれが三女神同盟による暗殺ではないかという考えに至った。

ギルガメッシュ王は聡明な王だ。魔獣戦線を敷くに当たって指揮を執る自分が戦死しては元も子もないと、実働は召喚したサーヴァントに任せて玉座での政務に専念していたのだ。

王がいなければウルクはもっと早くに陥落しており、三女神同盟が王の暗殺を試みても何らおかしくない。

そうなると誰が暗殺を実行したのかという疑問が湧いてくる。

ケツァル・コアトルとイシュタル神は協力関係にあり、ゴルゴーンも力押しでウルクを攻め落とそうとしていたので、このような陰険な手段を講じるようには思えないからだ。

だが、答えは意外にもすぐに返ってきた。

 

『誰って、エレシュキガルよ。今まで知らなかったの?』

 

ケツァル・コアトルのその言葉に、さすがのマーリンすら開いた口が塞がらなかった。

そう、自分達は今の今まで、イシュタル神を三女神同盟の一員と誤解していたのだ。

彼女がウルクを襲撃しているように見えていたのは、実際はウルクで暴れ回るゴルゴーンの魔獣を退治していたためで、彼女は最初から最後まで三女神同盟とは一切関りがなかったのである。

そして、そうなるとクタ市が一夜で滅んだことも、ウルク市で増加している衰弱死にも説明がつく。

全ては三女神同盟最後の一柱、エレシュキガルがメソポタミアを滅ぼすために行っていたことなのだ。

 

「普通、思わないだろ。同じ依代に異なる神格が同時に宿るなんて」

 

どちらが先に呼び出されたのかは今となってはわからないが、イシュタル神の依代となった少女は非常にユニークな人物だったのだろう。

その少女は善性と悪性が綺麗に分かたれた二面性の強い人物で、そのどちらかがイシュタルとなり、もう一方がエレシュキガルの依代となった。

疑似サーヴァント自体が稀有な例なので判断材料は少ないが、この二柱は別々の神格だが元を辿れば同じ起源から分かたれた存在だとする説もある。

豊穣を司るグレートアースマザーと死を司るテリブルアースマザー。それが同じ依代によって現界したというのは何とも興味深い話である。

そして、ギルガメッシュ王の死がエレシュキガルの仕業であると踏んだカドック達は、ギルガメッシュ王の魂を地上に連れ戻すため、イシュタル神の力でクタ市の地下に存在するメソポタミアの冥界を訪れたのだ。

神代であるこのメソポタミアなら、肉体に損壊がなければ魂を戻す事で蘇生させる事ができるからだ。

 

「俺、前にもここに来たことあるよ……」

 

「クタ市で天命の天板を探していた時の事ですね。カルデアの記録がブランクになっていましたが、まさか冥界に堕ちていたなんて……」

 

「お前達、軽く流しているがかなり際どい事だぞ、それは。無事に戻れただけでも奇跡みたいなものだ」

 

地上と冥界では理が違う。その最たるものが運命力だ。

運気のようなもので、生者は常に運命力によって事故や災害、病といった災難から身を守られている。これが尽きてしまうと、何もないところで転んだり体質が虚弱になったり、不運な事故に巻き込まれやすくなってしまう。

寿命とはまた括りは違うが、似たようなものと考えていいだろう。これが失われれば生者は常に不運に付きまとわれ、苦難の中で死ぬこととなる。

そして、死者が最後に辿り着く冥界は死という概念で溢れ返っており、例えその魂がまだ死んでいない生者のものであっても冥界の死に触れることで運命力が削られてしまうのだ。

特にこの時代は冥界が地上と地続きになっていて、うっかり落とし穴に落ちる感覚で冥界に迷い込んだが最後、地上へ戻っても運命力が失われたことで生きることが非常に困難となってしまう。

立香がどれくらい、冥界に堕ちていたのかは知らないが、天命の天板捜索以降から特に支障がないところを見ると、幸いなことに運命力の消費も微々たるもので済んだのだろう。

正に不幸中の幸いだ。

 

「とにかく、まずはエレシュキガルに会いに行こう。冥界だって広い。この中のどれがギルガメッシュ王かなんて、僕達じゃわからないからな」

 

そう言って、カドックは目の前の平野に並べられている細長い檻のようなものに目をやった。

イシュタル神によると、これは冥界に堕ちた魂。即ち死者の魂を封じておく槍檻というものなのだそうだ。

通常、冥界に堕ちた魂は時と共に消滅していくが、この槍檻の中に囚われれば魂は消えることなく永遠に存在し続ける。

気の遠くなる時間を過ごそうと、冥界の寒さで魂が凍り付こうと、意志の残滓ともいうべきものは消えることなく残り続けるらしい。

ギルガメッシュ王の死がエレシュキガルによるものなら、この槍檻の中のどれかに魂が捕らえられているはずだ。

一方、気になる点もある。

槍檻の数はイシュタル神がかつて、冥界下りを行った時よりも遥かに数を増しているようで、まるで死者の王国だと彼女は述べていた。だが、他の女神達と違い、エレシュキガルにとっては死者が増えることは冥界が魂で溢れることを意味している。人間を滅ぼすことと自らの支配地に領民が増えることは一石二鳥に見えて実際は破綻した理論だ。

増えた魂を賄えるだけの領土と資源が果たして冥界に存在するのだろうか?

何より、ゴルゴーンのような憎しみもケツァル・コアトルのような楽しみもこの冥界からは感じられない。

あるのは凍えるほどの寒さと、槍檻を造ったと思われるエレシュキガルの神経質染みた生真面目さだけ。

ひょっとしたら、自分達はまだ何かを見落としているのかもしれない。

何せ、生まれてからずっとこの冷たい冥界でひとり、死者の魂を扱ってきた女神だ。自分が知るのは文献に残されている神話についてだけ。

その精神性はどうしても推し量れず、何か裏があっても不思議ではない。

 

「ねえ、エレシュキガルというのはどのような神様なのかしら? ゴルゴーンやケツァル・コアトルとはまた違う女神様なのでしょう?」

 

切り立った崖を歩いていると、最後尾についていたアナスタシアが聞いてくる。

何となく目をやると、立香とマシュも何かを期待するかのようにこちらを見つめていた。

その視線の意味に気づいたカドックは、ため息を吐きながらも内心で笑みを零す。

こうやって、旅の中で何度も自分の知識を披露してきた。

それが役に立った時もあれば単なる豆知識で終わったこともあったが、いつの間にかこうしてみんなに歴史や神話をレクチャーすることが定着していたらしい。

自分でも意外だった。期待されるということが、こんなにも胸が躍るなんて。

 

「そうだな、一言で言い表すなら生真面目な神だ」

 

イシュタルとは姉妹神であるということは前述した通りだが、その性質は何から何まで正反対だ。

奔放で欲しい物を欲しいままにし、愛と美の頂点であると共に、自らの誘いを断った者には容赦のない制裁を与える残酷さを併せ持つイシュタル。

一方でエレシュキガルは勤勉で、冥界という隔絶された地域を支配することに専念していた。

彼女は死者の罪状を裁く七つの裁判官を従え、約定に従って地上に出る事もなく他の神とも没交渉であったらしい。

無論、それは性格的な理由によるものだけではない。

冥界とは現世と隔絶したもう一つの世界だ。

ここでは地続きになっているがその原則は未来と変わらず、誰かが管理しなければ無秩序な混沌とした世界になってしまう。

エレシュキガルはそういうものとして生まれた人柱であり、神話においてもそれ以上の役割は与えられていないのだ。

彼女はあくまで冥界の管理者であることに専念し、イシュタルのように何かを欲するという気持ちすら抱かなかったのである。

考えても見て欲しい。もしも死者の神が望むままに力を欲せば、やがては地上の生者を脅かすことになるだろう。

その点においてエレシュキガルは聡明で、あくまで自分の領分を守り職務に励んでいたのだ。

言い換えるなら、エレシュキガルはその生涯をこの暗く乾燥した地の底に閉じ込められていたと捉えることもできる。

幾星霜もの間、絶え間なく訪れる死者を裁き、弔うだけの日々。

神々が宴を開く事はあってもエレシュキガルだけは姿を見せないか、或いは代理人を立てていたという。

支配者と呼ぶには余りにも不憫で、しかし尊敬されるべき成果を成し遂げた女神。

それがエレシュキガルだ。

 

「エレシュキガルはずっとここに? 外に出ようとしたこともなかったの?」

 

「神代が過ぎ去り、役目を終えるまでずっとだ。何度も言うがエレシュキガルはそういう女神なんだ。真面目で、慎ましくて、聡明で、欲しない。もちろん、気に入ったものは力尽くで手に入れるというどこかの誰かみたいなこともするが、それもこの冥界から手の届く範囲のことだ。支配地を広げようとも、他の神に取って変わろうともしていない。欲張って余所の縄張りに手を伸ばせば痛い目を見るのは自分だからな」

 

「いちいちカンに障る言い方ね。人様の黒歴史弄って楽しい訳?」

 

「うん? どういうこと?」

 

「イシュタルの冥界下りです、先輩。神話によって諸説ありますが、イシュタルさんは死者しか入れない冥界を降りて行って、エレシュキガルに殺されてしまったのです」

 

冥界は死者の国であり、生者が生きたまま滞在することを許さない。それと同時に、死者が許しなく地上に戻る事も禁じている。

力のある神霊ならば纏わりつくガルラ霊を振り払って自力で蘇生することも容易いだろう。だが、それを許してしまえば死は原則として不可逆であるという冥界のルールを乱すことになる。

一度でも死を経た者が許可なく生き返る事は許されないため、冥界では力ある神霊ほど権能を封じられてしまう逆説の呪いのようなものが働いているのだろう。

冥界を下ったイシュタルは身に纏っていた武具や守り、権能の数々を剥ぎ取られ、最終的には槍でめった刺しにされてしまったらしい。

 

「後世では冥界を支配下に治めようとしたという説と、あんたが冥界勤めになった旦那を追いかけていったって説があるんだが?」

 

「ノーコメントよ。あんな羊野郎のことでこんな危ない事しますかっての。冥界下りは個人的な私情よ、私情!」

 

エレシュキガルに対して思う所があるのか、イシュタルは声を荒げてそっぽを向く。

どうやら冥界下りの一件はかなりデリケートな話題のようだ。興が乗って色々と話してしまったが、これ以上は止めておいた方が良いだろう。

アナスタシアとマシュもそれを察したのか、話題をエレシュキガルのことに戻そうとそれぞれが言葉を漏らした。

 

「聞いていると、何だかとても可哀そうに思えてなりません。ここは魂以外のものが流れ着くことはないのでしょう? 何一つとして新しいものと出会えないということは、彼女が生きる世界は永遠に変わらないということ……」

 

「はい、それはわたしも同意見です。以前のわたしではそう感じませんでしたが、今のわたしはそう感じます。外に出れないことが悲しいのではない。新しいも世界、新しい出会いがない事がとても悲しいです」

 

「その代償として、エレシュキガルは冥界に限り無敵の権能を手に入れた。他の神々では彼女の定めた法律には決して逆らえない。だが、それは死者に対してだけだ。生者はまず殺さなければ法で縛れない」

 

「へえ……あれ? ってことは……」

 

「もしも戦闘になったら、僕とアナスタシアは毛ほどの役にも立たないからな。まあ、援護くらいはできるかもしれないが」

 

何しろアナスタシアはマシュと違って純正のサーヴァント。エレシュキガルの権能の支配下である死者そのものだ。

ただちに影響が出てくる様子はないが、エレシュキガルが本気を出せば離れた場所から霊基を攻撃することだって造作もないはず。

今、こうして彼女が無事でいるのは単純にエレシュキガルがその気になっていないからなのだろう。

 

「そ、そっか……まあ、やってみるよ。知らない間柄じゃないし……」

 

「うん? まあ、自信があるならいいことだな」

 

「うむ、冥界の女主人もどうやら貴様を待ち侘びているようだしな。ここは歩みを進めるべきだぞ、雑種」

 

「え?」

 

突如として割り込んできた尊大な声に対して、全員の視線がある一点に注目する。

金髪紅眼で均整の取れた黄金律の体。その手には石板(ディンギル)が携えられており、浮かべる表情はどこか酷薄で他者を嘲っているようにも見える。

そこにはいたのは紛れもなく、エレシュキガルに殺されたはずのギルガメッシュ王であった。

 

「ギルガメッシュ王!?」

 

「ふははははははは出迎えご苦労! 物陰からこっそり見ていたが、物見遊山で会話も弾んだか? 親睦を深めるのも結構だが、(オレ)が割り込む隙もなかったぞ!」

 

相変わらずの尊大な態度を前にして、逆に安心感が出てくる。

だが、いったいどのようにしてエレシュキガルの目を逃れていたのだろうか?

彼女によって呪殺されたのなら、魂は槍檻に囚われているはずだ。

 

「フッ、何を隠そう(オレ)は冥界の女主人に殺されてなどいない。あれはそう……働き過ぎ(KAROUSI)だ!」

 

「な、なんだって!?」

 

『じ、人類最古の過労死!? わー、他人事じゃないぞー!』

 

「王よ、戻ったら一度、健康診断を受けることをお勧めする」

 

「うむ、その時は主治医を任せるぞ、カドック。なに、うっかり死んでしまったがそれはそれ、冥界なぞ(オレ)の庭よ。それなりに勝手は知っている。何度も来たからな。ガルラ霊どもが来る前に物陰に隠れ呼吸を止め瞑想に浸り気配遮断EX。完璧に奴らの目から逃れた後、ここでどうしたものかと思案していた時に貴様らが現れた。それだけの話よ!」

 

(さすが人類最古の意地っ張り。何もできずに隠れていただけなのにここまで偉そうに振る舞えるものなのか)

 

特異点の修正が終わったら、別れる前に爪の垢か毛髪の一本でも貰っておくべきだろうか?

煎じて霊薬にすれば、少しくらいは自分も彼のように強気で振る舞えるかもしれない。

 

「ふん、王に縋る気持ちはわかるが、止めておけ。貴様では(オレ)王気(オーラ)には耐えられまい。それよりも、地上での首尾を話せ。(オレ)が死んでいる間、何があった?」

 

「ああ、それなら…………」

 

カドックは手短に、イシュタルやケツァル・コアトルと協力関係を築けたこと、マルドゥークの斧を確保したこと、ここに来ているのは自分や立香達4人とイシュタルだけであることを説明した。

ケツァル・コアトルVSジャガーマンの辺りでギルガメッシュ王が物凄く食いついてきたが、生憎と時間は限られているので詳細は割愛する。

ぐずぐずしていると自分達の運命力まですり減ってしまうからだ。

代わりに戻ったら竪琴を背景に吟じることを約束させられてしまった。

 

「なるほど、貴様に対する評価も改めねばならぬな、カドック。では、(オレ)からもひとつくれてやろう。キングゥについてだ」

 

「っ……」

 

ギルガメッシュ王の言葉を聞いて、背筋に緊張が走る。

ティアマト神の息子として、ゴルゴーンに付き従う魔獣の司令官。

カドックと四郎はその正体を聖杯の力で再起動したエルキドゥではないかと睨んでいた。

そのことは当然、ニップル市から帰還した後にギルガメッシュ王に報告していたが、彼の反応は非常に淡白だった。

既に賢王として玉座に座る覚悟を決めた英雄王には、私事で心を惑わせることなど許されない。

思い入れがない訳ではない。怒りや悲しみ、数奇な運命への思いがない訳ではない。

だが、それらは全て英雄王ギルガメッシュ個人のもの。そして、今のギルガメッシュは個人である前に王なのだ。

 

「エルキドゥの遺体は冥界に預けてある。奴はイシュタルを毛嫌いしたが、エレシュキガルには礼を以て接していたからな。その縁もあり、遺体はエレシュキガルが引き取ったのだ。神の兵器の残骸、冥界ならば誰の目にも触れる事なく鎮められようと思ったのだが……墓所から奴の遺体は消えていた」

 

「では、キングゥを名乗るあの少年は、本当にエルキドゥさんなのですか?」

 

「再起動によって新たに芽生えたのか、外部から埋め込まれたのかは分からぬ。だが、事実として奴は目覚め動いている。それは認めねばならぬ」

 

『……埋葬されたものの、残っていた体が……そんな事があるのか? いや、だとしたら……』

 

「ロマニ、余り考えても答えは出ぬ。奴が自らをキングゥと名乗るのなら、そのように捉えておけ」

 

「ギルガメッシュ王、エルキドゥはあんたの親友だったのでしょう?」

 

(ギルガメッシュ)にとってエルキドゥ()はひとりだけだ。余り詮索するなよ、雑種。間違ってその首、撥ねられたくなければな」

 

カドックの言葉をやんわりと、しかし強い力のこもった言葉で否定し、ギルガメッシュは冥界の道を下っていく。

迷いのない足取りは、かつての親友が敵に回ったことに対して何の戸惑いも抱いていない様子であった。

そんな振る舞いの裏で、どれほどの激情が渦巻いているのか、カドックには想像もつかなかった。

想起することすら憚られる。エルキドゥへの思慕すら英雄王の財宝だ。自分達がそれに触れることは不敬であり、ただ黙して王を見守ることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

昇りきった先で待っていたのは、何もない荒れ果てた大地であった。

剥き出しの岩、乾燥した砂、堆積した埃。

ギルガメッシュ王はここをエレシュキガルの宮殿だと言った。

神々ですら恐れる冷血な女主人。

冥界のガルラ霊の元締め。

そんなエレシュキガルが住まう場所は、この冷え切った暗闇の世界の中で最もみすぼらしく寒々しい。

冥界には風も水もなく、常に大地は乾いている。ならば家屋と呼べるものは本来、必要がないのかもしれないが、それにしても支配者たる神格が寒空の下に住まうなどあっていいわけがない。

これでは槍檻に収められた魂達の方が何倍もマシだ。

確かに魂達は凍えているかもしれない、身動きも取れず苦しんでいるかもしれない。だが、この広い世界にひとり、放り出される孤独だけは味わうことがない。

イシュタルは言った。エレシュキガルは死者の魂を捕まえて檻にいれていると。だが、それは凍える魂を思ってのことなのではないだろうか?

自分がここを訪れた際、ほんの少しではあるが温もりを感じた理由はこれだ。

ここはどんな魂にも厳しく、冷酷で、それ故に平等で慈悲深い。

ここでは無力感に苛まれて、後悔の中で絶望しながら消え去る事だけはない。

或いはここならば、自分が挫折したまま堕ちたとしても、幾星霜の果てに己の無力さや他者への妬みを許すことができるかもしれない。

何故なら、エレシュキガルがそれを是としないからだ。

彼女は決して、魂が絶望の中で消え去ることを是としない。

後悔と反省、悔悟のための時間が全ての魂に約束されている。

そのための槍檻であり、そのための冥界の女主人なのではないだろうか?

 

「知ったような口を聞くのね、人間」

 

鈴のように透き通りながらも威厳に満ちた声が辺りに響く。

どこからか染み出すように姿を見せたのは巨大なガルラ霊だ。

今までに見てきた亡者とは違う、強大な圧だ。彼女が姿を現しただけで、周囲の気温が一気に低下してしまう。

錯覚ではない。彼女の強烈な神気によって周辺の空間の状態が歪められているのだ。

今、自分達が立っている場所は5000メートル級の高山に匹敵する状態にまで酸素濃度が低下している。

急激な気圧の変化に減圧症が起き始めているのだろう。耳鳴りや胸の痛みまで訴え出しており、体の異変に対応しようと魔術刻印が熱を持ち始めている。

このままここに留まり続けるのは危険だ。

 

「恐れよ、祈れ、絶望するがいい、人間ども。我こそ死の管理者。冥界の女主人、霊峰を踏み抱く者――三女神同盟の一柱、エレシュキガルである」

 

「こ、これが……エレシュキガルの姿?」

 

「エレシュキガルは病の神としての側面も持つというが、なるほど……こいつは、ヘヴィじゃないか」

 

そもそも死を恐れない生き物はいない。遍く生者が最後に辿り着く終着点である死を司る女神。ならば、その姿に恐怖を抱かないはずはない。

こうして立って向かい合うだけでも心の底から勇気を振り絞らなければ、立っているのも辛いのだ。できることなら今すぐにでも逃げ出したい。

 

「この姿を目にしただけでその体たらく。人類最後のマスターというのも程度が知れるというものね」

 

「よく言うわ、お山の大将を気取っておきながら。あなたの姿を見て怖がらない奴なんていないわよ。逃げなかったことだけでも褒めてあげなさいっての」

 

「ほう、耳障りな羽音がするかと思えば、憐れな女神がいるではないか。またあの時のように串刺しが希望かしら?」

 

嘲るように身を震わせるエレシュキガルに対して、傍らに立つイシュタルが吠える。

だが、天空の女神の恫喝を半身たる冥界の支配者は泰然とした態度のまま受け流す。

目障りな半身などいつでも潰せるという余裕の表れだ。

何しろイシュタルは、冥界下りにおいてエレシュキガルに返り討ちにされている。この世界そのものがイシュタルにとって天敵であり、神話の再現による弱体化が起きている。

それに加えてエレシュキガルが持つ死者への絶対支配権。これをどうにかしない限り、イシュタルは逆立ちをしたってエレシュキガルには敵わないだろう。

 

「本音が出たわね。自分が醜いから美しいものを汚す。誰も会いに来ないから霊峰の頂きに御座を置く。全部、アンタの八つ当たりじゃない! こんなのが私の半身なんて、みっともないにも程があるわ! ええ、殺したいなら勝手にどうぞ! その後、アンタはシュメルで一番醜い女にランクインよ!」

 

(おいおい、犬猿の仲にしたって限度があるだろ、このふたり……)

 

ここがアウェーである冥界でなければ、イシュタルは制止する間もなくエレシュキガルに襲い掛かっていただろう。

堪えているのは生前の経験があるからと、カルデアという守らなければならない存在がいるからだ。

もしもここで彼女が暴発していれば、間違いなく自分達はエレシュキガルによって八つ裂きにされる。

それだけの力をこの女神は有しているのだ。

 

「以前同様、口だけは達者な女神だ……よかろう。私が醜いと言ったな。酔狂の極みだが、侮辱されたままというのも女神の恥。特別に見せてやろう…………いえ、いいえ!」

 

(うん?)

 

何だか様子がおかしい。

ここまで威厳に満ちた声音で喋っていたのに、最後の最後で地金を晒してしまったとでもいうのだろうか?

不気味な亡者の姿に不釣り合いな可愛らしい声が霊峰の頂きに響き、巨大なガルラ霊が地団駄を踏むように体を震わせる。

 

「いい加減、この言葉使いもうんざりよ! 特別に見せてあげる! 驚きなさい、これが私の、女神としての真体よ!!」

 

光と共に、エレシュキガルの姿が変化している。

半透明に透けていた体は見る見る内に色を纏い、山のように巨大な体は縮んで人間の形を取る。

風もないのに靡いたのは艶やかな金髪。マントを翻し、露となったのはイシュタルに負けず劣らず扇情的なドレスとそれに包まれた美しくも慎ましい肢体。

手にしているそれは炎のような霊気纏った長大な槍だ。

そこに姿を現したのは、髪の色と衣装こそ違えどイシュタルと瓜二つの姿の少女であった。

 

「ふふん、驚いたかしら? 驚いたみたいね? 驚いたようね! ガルラ霊の姿なんて仮の姿に決まってるじゃない!」

 

エレシュキガルは、まるで悪戯が計画通りに決まった子どものように笑みを漏らす。

それだけで彼女の本来の性格と嗜好が何となくではあるが読み取ることができた。

生真面目な上に変なところで意地っ張りで凝り性。ある意味ではイシュタルにとてもよく似ている。

この登場にしたって、きっと随分と前から何度もイメージトレーニングを繰り返して悦に浸っていたことが容易に読み取れた。

 

「藤丸、何か言ってやれ」

 

「はあ……えっと、まあ、驚いたかな……ある意味、期待を裏切らないというか……ど真ん中ストレートというか…………」

 

話を振られた立香は途端にシドロモドロとなり、歯切れの悪い言葉を返す。

少し前の会話でもしやとは思っていたが、どうやらこいつはエレシュキガルと面識があったようだ。

しかも、肝心の女神はというとそれに気づいていないまま、劇的な初対面を演出して見せるという滑稽な姿を晒してしまい、どう反応して良いのか非常に迷っているようだ。

 

「な、なによその反応……ものすごくガッカリしてるじゃない……なんで? これ王道のパターンよね? 友人として憧れるパターンよね? 人間の本だとこれでいけるってあったわよね? ロマンスの気配とかあるものじゃないの?」

 

「カドック、何か言ってあげて?」

 

「え? あ、ああ……そうだな……思うに、これはイメージチェンジを図って自分を魅力的に見せるっていう古典的な演出だろう? そんな手垢がついたクラッシックで勝負したいなら、まず相手が当人の魅力に気づいていない事が大前提だ。タネが割れた手品ほど退屈な――――」

 

「まさかの本気のダメ出しなのだわ! 何、知ってたの!? なんで!?」

 

「うん、顔を合わせるのはこれで四度目だよね」

 

「気づいていたのね! 夜にあなたと話していたのはそこの羽虫じゃなくてこの私なんだって!?」

 

「くしゃみで変身が解けていたからね」

 

「な……な……な……っ!」

 

エレシュキガルの顔が見る見る内に赤く染まっていき、頭を抱えてその場でぐるぐると回り出す。

その情けない姿は、とてもウルクを滅ぼそうとしている女神の一柱とは思えないほど間抜けで哀愁を誘うものだった。

彼女と立香の言葉から察するに、半身である縁を手繰り寄せてイシュタルの体を乗っ取っていたのを立香に見抜かれてしまったのだろう。

それに気づかぬまま、本人はさも初対面であるかのように美しくも恐ろしい冥界の女主人を演出して見せた。

なるほど、立香が反応に困るのも無理はない。ついでにエレシュキガルの道化っぷりが実に痛々しい。

先刻まで彼女に対して抱いていた、冷酷で激情家な女神としてのイメージも跡形もなく砕け散ってしまった。

 

「いえ、予定は狂ったけど、それはそれ、これはこれ! あなた達をここで殺す事に変更はありません。ゴルゴーンがウルクを落とすよりも前に私が大杯を手に入れればそれで世界はおしまいよ」

 

「ほう、ではやはり、貴様もウルクの大杯が望みであったか」

 

「……何よ、殺す気はなかったのに、勝手に過労死して冥界に来ちゃった王。あなたに用はありません」

 

「くくっ、そう言うな。王として貴様には問わねばならぬことがあるのだ。エレシュキガルよ、貴様はクタ市の都市神でありながら、三女神同盟に与した。その罪は他の女神どもなど比べ物にならぬほど重い。我が身は今死者なれど、王権の元に貴様を断罪する事もできるのだぞ」

 

「……ええ、ディンギルを得た王であれば、全てを引き換えに神さえ処罰できる。で、それが? 命と引き換えに私を殺すの、あなた?」

 

先ほどまで打ちひしがれていたダメな女神とは思えない、冷酷な声音でエレシュキガルはギルガメッシュに言葉を返す。

やはり、そこは腐っても冥界の女主人。身に纏う神気の圧が桁違いだ。一瞬の内に場の空気を支配し、自らのテリトリーとするのは正に死の女神の面目躍如というところだろう。

対するギルガメッシュ王もまた負けていない。全盛期を過ぎたとはいえ、かつては万夫不当を欲しいままにした英雄王。賢王となった今もその眼光は衰えておらず、猛禽類の如き眼差しで女神の視線を受け止める。

今や、王と女神は一触即発だ。互いの言葉が琴線を踏み抜けば、予兆すらなく牙が飛び交うであろう。

そこに余人が立ち入る隙などなかった。

 

「では問おう、女神エレシュキガル。貴様は何故、女神同盟に加担した! シュメルの文か、シュメルの民を守る事を否定したか!」

 

そう、エレシュキガルは元々、シュメルの神格だ。サーヴァントとして現界していてもその事実は変わらない。

彼女がウルクを――シュメルを滅ぼさんとするということは、同胞達に弓を引くことに他ならない。

ましてや彼女は冥界の女神だ。本来ならば、地上の成り行きに対して手を出せるような立場ではない。

古来よりそのように地上と冥界は約定を定め、エレシュキガルはそれを黙々と遵守してきたはず。だというのに、何故、彼女はここに至って地上への侵攻を決意したのだろうか?

その問いの答えは、激情と共に返ってきた。

 

「何を問うかと思えば、見損なうなウルク王! 我が責務、我が役割は何も変わらない! 私はエレシュキガル、冥界を任されたものだ! 全ての人間、全ての魂を冥界に納めるのが我が存在意義にして、我が運命! それを全力で行う事に、何の後悔も自責もない!」

 

高らかに支配を宣言する冥界の女主人。

その姿は美しく、気高く、恐ろしく、どこまでも痛々しかった。

あの顔を、自分はよく知っているような気がした。

挫けそうになる心を必死で奮い立たせ、手の届かないものにまで必死で腕を伸ばす様をよく知っている気がした。

突き付けられた難題に対して、自らが取れる選択肢が限られていることに後悔している顔だ。

本当に自分がしたいことから目を背け、安易で妥当な選択肢に逃げた臆病者の顔だ。

それでも彼女は覚悟を決め、自らに出来ることを為さんとしている。例えそれが、どうしようもなく間違った選択であったとしても、自分に出来ることはそれだけだからと。

 

「カドック」

 

「藤丸、お前が言え。僕には言えない……僕と彼女は同じだ。だから、お前が言うんだ……一度は僕を下した、お前が言うんだ」

 

「ごめん……あの時、胸を張れなんて言ったけど、本当はすごく傲慢な物言いだったんだね」

 

「気にするな。僕の場合はそうしなきゃ立ち上がれなかった」

 

立香への嫉妬と苛立ち、魔術王という存在への恐怖と無力感から自分は一度、グランドオーダーを投げ出した。

あの時は立香が真正面から向き合ってくれたから、もう一度歩き出すことができた。

藤丸立香という存在に自分自身の全てをぶつけることで、漸く抱えていた淀みを清算できた。

なら、エレシュキガルはどうなのか。彼女は何を抱え、何を思い、何を決断したのか。

自分の予想通りなら、彼女はきっと――――。

 

「な、何よ……あなたも私を悪だと言うの!? 私は気の遠くなる時間、ここで死者の魂を管理してきたのよ! 自分の楽しみも喜びも、悲しみも友人――――何もないまま、自由気ままに天を駆ける自分の半身を眺めてきた。その私に罪を問うの? 今更、魂を集めるのは間違っていると指差すの? あなたならわかるでしょう、人類最後のマスター!? 世界を救うという責務、押し付けられたあなたなら! 私がこなしてきた努力も味わった苦しみも、分かるはずでしょう!? 私には称賛される権利すらないと言うの! 報われる権利はないと言うの!?」

 

それはきっと、エレシュキガルが今日まで抱えてきた魂の叫びだったのだろう。

誰とも関わらず、交わらず、故に神話にすら残らなかった彼女の慟哭、嘆き、怨嗟。

苦しみは称賛されなければならない。でなければ対価なき労働は重圧でしかない。

努力は認められなければならない。でなければ費やした時間は無為でしかない。

それでもお前達はこの身を責めるのか、罪を問うのかと女神は言う。

今日までお前達に尽くしたこの身は、そんな願いすら抱く事も許されないのかと女神は叫ぶ。

それに対して、立香は静かに口を開いた。

決定的な最後通牒を。

女神に対する死刑宣告を。

人類最後のマスターは、かつての友と対峙した時を思い出しながら、厳かに言葉を発したのだった。




色々とリアルが忙しく、遅くなりました。
老書文も来ませんでした。

もっと進められるかと思ってたんですが、これ以上は更に文量が増えるので今回はここまでです。

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