Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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絶対魔獣戦線バビロニア 第13節

例え話をしよう。

百人の乗客を乗せた客船が大海原へと旅立った。船長は君だ。

航海は順風で、乗客達は青い海と空に囲まれながら、昼は景色を楽しみ、夜は連日の如く宴を開く。

だが、運悪く目的地を前にして船底に穴が空いてしまい、このままでは船が沈没してしまう。

幸いにも緊急用の救命ボートの数は、乗客全員が乗る事のできる分を用意できている。しかし、船長である君が船の異常に気付いた時には全ての乗客を逃がすだけの時間は残されていなかった。

では、船が沈む前に船底の穴を塞いでしまえば良いのではないだろうか?

残念がらな船を修繕することができるのは船長である君だけで、君一人の力では船の沈没を確実に防げるとは断言できない。最悪、修理が間に合わずに船と運命を共にせねばならないかもしれない。

自分はこの船の船長だ、それは構わない。だが、乗客達まで巻き込む訳にはいかない。

そして、乗客の混乱は君の予想を遥かに超えており、君自身が指揮を取らなければ脱出もままならない。

君が取る事のできる選択肢は二つ。

全員が命を失う危険を承知で船を修理するか、君自身の判断で乗客を選抜し限られた人数だけでも救命ボートで脱出するか。

さあ、君は残された時間で選択を下さねばならない。

君自身の意志で、君自身の心で、百人の乗客の運命を決めなければならない。

何もしなければ、全員が死ぬ事になるぞ。

 

 

 

 

 

 

「エレシュキガル、俺は君を認める訳にはいかない。だって……それは、君自身が行うべき役割だ」

 

「……え?」

 

立香が言い放った言葉の意味がわからず、エレシュキガルからほんの一瞬、覇気が消える。

その様子を傍らで見守っていたカドックは、北米での出来事を思い出していた。

あの時、進むべき道を見失っていた自分は、せめてエジソンが望む勝利だけでも掴み取ろうとカルデアから離反した。

自分の力を証明する、凡人であろうと天才を凌駕できると示すためという野心と、ほんの一握りの正義感から始まったグランドオーダーは、しかし自分が思っていた以上に過酷な旅路だった。

末席とはいえ自分もカルデアAチームの一員。そして、引き当てたアナスタシアも決して弱いサーヴァントではない。だが、立ち塞がった人類史はいつだって容易い試練ではなく、傷つき、苦しみ、時には妥協しながら勝利を模索する旅であった。

現地に召喚された英霊達と衝突することもあれば、偶然や不運が重なって実力を発揮し切れないこともあった。特異点を一つ一つ、乗り越える毎に自信をつけてはいったが、同時に心のどこかでAチームの他の誰かならもっと容易く事を成せたのではないのかという疑念も大きくなっていった。

何よりも、旅を経て少しずつ実力をつけていく立香の存在を疎ましく思ってしまった。その存在に恐怖してしまった。

自分では敵わないと心折れてしまった魔術王に果敢にも挑まんとする少年に憧れと嫌悪を抱いた。

そうして、カドック・ゼムルプスは彼と敵対する道を選んだ。

魔術王に挑むことも、立香に追いつかれまいと励むことからも逃げ、エジソンが掲げたアメリカ救済という目標に逃げ込んだ。

歪められていたとはいえ、エジソンの眩い願いを利用した。

世界は救えずともアメリカは救う事ができた。自分はトーマス・エジソンという偉大な英雄の力になれたと、自らに言い訳するための逃避だ。

きっとその先に待っていたのは後悔だ。

もしも、そのまま事が上手く運んだとしても自分は自分自身を褒めることはできなかっただろう。

もっと大きなものを救いたかったはずなのに、こんなはずじゃなかったと悔やみながら、心の底でこれが自分の限界だと嘆いたことだろう。

そんな暗闇に堕ちる前に、自分を掬い上げてくれたのが立香だった。

彼は傲慢にも言ってのけたのだ。ここまで特異点を修復してきたことに対して、もっと胸を張れと。自分の成果を誇るのだと。

 

「分からぬか、たわけ。当たり前のことを褒めるほど、その男は愚かではないということだ。自らに与えられた責務、それを嘆くことはよい。放棄して違う道を探すこともよい。だが、逃げずにこなし続けた己が義務を卑下することは悪であり、その苦しみを称賛することは何より貴様自身への侮辱に他ならない。称賛されるべきは貴様の成した偉業、貴様の心の苦しみは貴様だけのものだ。他人である以上、貴様の傷は理解できない。だが、その仕事は尊敬に値すると言ったのだ」

 

カルデアから離反しても、アナスタシアはずっと側にいてくれた。

協力を約束し、成果を上げればエジソンは手放しで喜んでくれた。

この2人は何があっても自分を裏切らない、支えてくれるという確信があった。

苦しみ、迷った時に差し出された手は何よりも温かい。けれど、その手を掴むことは甘えだったのだ。

苦しいのは当たり前だ、傷つくのも当たり前だ。なのに、自らの成したことから目を背けて苦行の賞賛を求めることは間違っている。

自分はこんなにも苦しい思いをしたのだから、ここで諦めてもいいだろう。これくらいの成果でも構わないだろう。

そうやって逃げた先があのアメリカでの行動だったのだ。

けれど、それはギルガメッシュ王が言うように罪悪であり侮辱でしかない。

世界を救うためならば力を貸すと約束してくれた、アナスタシアへの裏切りでしかない。

そのことに気づけたから、中東での戦いが終わった後、視力を損なった自分を心配する立香に言うことができたのだ。

 

『わからないか? 『よくやった』って言えば良いのさ』

 

同情は優しさかもしれないが、それは時に侮辱へと繋がることがある。

努力なんてものは誰だってしている。自分も立香もマシュも、きっと自分が今まで妬んできた天才達だって、みんな努力してきたはずだ。自分だけが苦しんでいる訳ではない。

なのに、その苦しみしか称賛されないのなら、成し得た結果に何の意味があるというのだろうか。

讃えられるべきは成果であり、苦難はその代償だ。負ってしかるべき負債だ。

エレシュキガルが望むことはかつての自分と同じ、逃避でしかない。

孤独に冥界を統率してきたという偉業を無視し、ただ今までの苦しみを理解して欲しいという甘えでしかない。

だって、エレシュキガルは本当は――――。

 

「いいでしょう、その傲慢な返答を後悔させます。私はエレシュキガル、死の静寂を守り続けた、神々によって生贄にされた女神。この憎しみ、この苦しみ、取るに足りないと言った貴殿らに、しっかりと叩きつけさせてもらう!」

 

形相を一変させたエレシュキガルが槍を振るう。

冥界の大地に叩きつけられたのはエレシュキガルの嘆きと怒りだ。

欲していたものを認められず、制御できなくなるまで膨れ上がった感情のうねりが力ある実体となって立香に襲い掛かってきたのだ。

いないはずなのにそこにいると実感できる姿なき凶獣が、冥界の霊峰を引き裂きながらか弱きマスターの命を狙う。

咄嗟にイシュタルとギルガメッシュは迎撃を試みようとするが、それが敵わないことは二人とも重々承知していた。

ここは冥界。死者であるギルガメッシュとイシュタルはその力を大きく制限されてしまう。

死者である2人ではどうやってもエレシュキガルに対抗することができない。無論、アナスタシアも同様だ。

この中でエレシュキガルの力に対抗できる者はたったひとり。

マシュ・キリエライトを置いて他にいない。

 

「シールドエフェクト! 発揮します! はああぁぁぁぁっ!!」

 

立香の前に躍り出たマシュが、裂ぱくの気合と共に盾を構える。

魔力放出と共に広がった防壁は、迫りくる見えない凶獣とぶつかって軋みを上げ、マシュの口から苦悶の声が漏れた。

辛いはずだ。苦しいはずだ。何故なら、彼女の守りは彼女自身を含まない。

元からそういう力なのか、マシュ自身の精神性によるものなかはわからないが、彼女が有する守りの恩恵は自らを守る際には発揮されないのだ。

主や仲間を守るためならば、時に限界以上の力を引き出して迫る攻撃を防ぐことができる。

理論値では防げないはずの力や魔術ですら彼女の守りを揺るがすことはできない。大切なものを守るという彼女自身の思いが盾の守りをより強く堅牢なものへと昇華させるからだ。

故に、彼女はいつだってその身を傷つけながら戦いに身を投じている。

本当は、誰かを傷つけることなどできない優しい少女だというのに、強い使命感と主への思いを胸に戦場を駆ける。

彼女はそれを苦とは思わないだろう。その痛みを誇ることもないだろう。ましてや称賛など以ての外だ。

その強さこそが、自分とエレシュキガルに必要なものだったのだ。

自らの苦しみを慰めてもらうのではなく、その手で掴み取った成果に喜ぶことこそが大切なのだ。

その強さ、気高さは女神と相対していても決して色褪せることはない。

負の感情など寄せ付ける事のない煌びやかな輝きを汚すことなど、何人であっても不可能なことなのだから。

 

「何よ……あなたなら分かってくれると思っていたのに! 苦しいとは思わないの!? あなたはただの人間よ。特別な力なんて何もない、ただの人間の癖に……どうして人類史を救うなんていう重荷、背負えるのよ!!」

 

自らの攻撃を防ぎ切ったマシュを前にして、エレシュキガルは手にしていた槍を零す。

同時に、張り詰めていたエレシュキガルの神気も消え、周囲の空気が急速に弛緩していく。

気圧も正常な状態に戻り始めており、凍り付くような寒さと息苦しさも徐々に消えていった。

 

「ふん、(オレ)の体を縛る戒めが解かれたようだ。ならば、(オレ)の用事は終わったな。後は任せるぞ、カルデアの。人類最後のマスターとして、この哀れな女神に沙汰を下してやれ」

 

そう言って、ギルガメッシュ王は後ろへと下がる。

確かに王の魂を取り戻すという当初の目的は達成された。エレシュキガルから敵意は消えているが、放っておいて再起でもされれば敵わないので、後顧の憂いがないよう彼女を始末しなければならない。

女神とて彼女は受肉したサーヴァント。首をはねればその力も失われるだろう。

だが、藤丸立香がそんな真っ当な考えを抱くだろうか。

彼は魔術師ではなく人間だ。それも底抜けにお人好しで前向きな。

なら、傷ついた女神に差し出すものは刃ではなく救いの手であろう。

 

「何よ? やるなら早くやりなさい。私は魔術王の甘言に乗って、ウルクを支配しようとしたのよ。敗北したのなら、首をはねるのが当然でしょう?」

 

「覚悟はできているようね。でも、言い訳ぐらいしたら? コイツ、メチャクチャ前向きだから、あなたが改心するっていうんなら考えるわよ、きっと」

 

無愛想に顔をしかめたまま、イシュタルが言葉をかける。

犬猿の仲とはいえ、半身がこうも無残に敗れ去ったことに対して思う事があるのだろう。

そう、そもそも立香を攻撃した時、エレシュキガルにその気があればマシュの守りを崩せずとも立香を殺せたはずだ。

なのに彼女はそうしなかった。ただの一度の交差で女神は己の敗北を悟っていたのである。

それはいったい、何故なのか。

その答えは、彼女が三女神同盟に加わった理由にあるのではないのだろうか?

 

「エレシュキガル」

 

「命乞いはしません。私はこの冥界に魂を集めて支配者になる気だったのよ。ゴルゴーンは復讐心から人間を絶滅させようとしているけれど、私は支配欲から人間を絶滅させようとした。どう? これ以上の邪悪さはないでしょう?」

 

「それは違う、君は嘘つきだ。何故なら――」

 

そう、彼女は嘘をついている。

何故、エレシュキガルが三女神同盟に加わったのか。

何故、クタ市とウルク市で人々の魂を集めていたのか。

何故、陽の光も水も風もない、寒さと砂ばかりの冥界で支配者とならんとしたのか。

それは――――。

 

「――君は、人間を愛しているからだ」

 

最初に彼女はこう言っていた。自分は冥界の女神としての役割を逸脱してはいないと。

きっとその通りなのだろう。冥界は生者が死後に訪れる地であり、何年生きようとも遍く生者は最後にはここに堕ちることとなる。

しかし、例外が存在する。

魔術王が成した偉業、人理焼却だ。

あれは人の歴史そのものを燃やし尽くす。魂ですら跡形もなく消え去るのだ。あれに巻き込まれれば死者の魂はどこにも辿り着けずに消えてしまう。

彼女はそれは防ごうとした。

手を伸ばしても守れぬ命、救えぬ命。ならば、せめて残されたこの特異点の命だけでも自らの庇護に置こうとしたのだ。

彼岸である冥界は人類史の影響を受けない。ここは寒くて何もない不毛の土地ではあるが、同時に最後のシェルターでもあったのだ。

 

「な、なによ……私が、あなた達を好いているですって?」

 

「うん、俺はそう思った」

 

「でなきゃ、あそこで心が折れるものか。こいつに僕が見出したものと同じものを視たんだろ、あんたは?」

 

弱い心と体で、荒波に立ち向かわんとする気高さに憧れた。

吹けば飛ぶような命なのに、懸命に生きる様に憧れた。

人の歴史も営みも何もかもが焼き尽くされたこの人類史の中で、今、最も輝いているものが立香とマシュの生きたいという意志だ。

死が怖くないわけではない。恐ろしくないなんて間違っても言えない。それでも歩みを止めることはしない。震えることはあっても最後には一歩を踏み出す。

から元気を振り絞り、精一杯に笑いながら明日を目指して歩き続ける。

まだ見ぬ明日を、今日と同じ笑顔で迎えられるように。

それこそが人理の礎。人類の歩みそのものだ。

だから、死の女神であるエレシュキガルは立香を殺すことができなかった。

死は生き抜いた果てに辿り着くもの。死者の魂を導く彼女は、ここで数多の命の軌跡を見てきたはずだ。

無力の内に死んだ善人もいれば大往生を迎えた悪人もいたかもしれない。そのひとつひとつに物語があり、どれもが鮮烈に輝いた果てに燃え尽きたものばかりのはずだ。

その光を目にしたからこそ、彼女は人間を守らなければならないと決意した。

人が生み出したものはとても美しい、人生は汚れていてもその輝きは尊い。

美しい輝きを汚すことは、それこそ命を燃やし尽くした死者の魂への冒涜だ。

 

「やめて……来ないで! 私、生者とか大嫌いだから! 私の死者(もの)にならないのなら、私を理解しようとしないで!」

 

精一杯の拒絶を示しながら、エレシュキガルは後退る。

その先にあるのは崖だ。そこから落ちれば、冥界の最下層の更に下である深淵まで遮るものは何もない。

落ちてしまえば女神とて這い上がれるかはわからない原初の海だ。

立香とカドックはエレシュキガルを連れ戻さんと駆け出すが、それよりも彼女が身を翻す方が早かった。

これでは間に合わない。

そう思った刹那、冥界の霊峰に低い男の声が響き渡った。

 

「……愚かな。やはり、お前ではそれ止まりよ、エレシュキガル」

 

剣閃が走る。

エレシュキガルが崖から身を投げ出すよりも早く、背後に降り立った老人が手にした剣を振り下ろしたのだ。

突然のことにエレシュキガルはおろか他の誰もが驚愕し、鈍い輝きが鮮血を迸らせるのをただ見ていることしかできない。

 

「未熟。あまりにも未熟。意地を張るのであれば、それはこの後であったろうに」

 

「エレシュキガル!? 貴様、何者!?」

 

(こいつ……そうだ、ウルクにいた浮浪者!? ジウスドゥラ!?」

 

以前、立香と共に食べ物を恵んだ足が不自由な老人だ。

意味深な助言を残して煙のように消え去ったはずの彼だが、やはり只者ではなかったらしい。

だが、どうして冥界にいて、何故エレシュキガルをその手にかけたのだろうか?

 

「落ち着け、私が斬ったものは命にあらず。あの者の同盟の契りなり」

 

激昂したイシュタルの攻撃を涼しい顔で捌きながら、ジウスドゥラは告げる。

見ると、真っ二つに両断されたように見えたエレシュキガルの体には傷一つなく、血も流れていない。

あれはそのように見えていた錯覚だったのだ。

 

「エレシュキガル!? 良かった、ケガはない?」

 

「え、ええ……ちょ、ちょっと近いのだわ! まだ早いのだわ!」

 

立香に抱き上げられ、顔を真っ赤に染めながらエレシュキガルは小さく抵抗する。

その気になれば逃れるのも容易だろうに、されるがままにされているのは満更ではないからだろうか。

その辺の事情はおいおい聞くとして、まずは目の前の老人だ。剣を収めたジウスドゥラはギルガメッシュ王とイシュタルに睨まれても動じることなく佇んでおり、静かにこちらの言葉を待っていた。

どれだけ注視しても彼から読み取れる情報は何もない。サーヴァントであるならば気配でわかるし、人間ならば先ほどのような神域の剣術など振るえるはずもない。

生者でも死者でもない。この老人はいったい何なのであろうか?

 

「あんたは、何者なんだ?」

 

「さて、埒が明かぬ故、深淵より針を進ませに参った。なに、同じ境界(くに)のよしみ、というヤツだ。さて、本当に語るべきことはないか、冥界の女主人よ?」

 

「……ええ、そうよ。こいつの言う通り、私は人理焼却を見過ごせませんでした。ここには何もないかもしれない。光のない空、明かりのない地表、花の芽吹かない泥! でも静寂と安寧だけはある。死の安らぎだけは、どの世界にも負けないもの!」

 

「そうだ。やがてここには死した人間が訪れる。その者達への思いがこの地をここまで育て上げたのだ。いずれ死する運命にある者達のために、お前はこの冥界の主人足らんとしたのだ。それを愛と言わずなんと言う?」

 

死を忌まわしい恐怖に落とさず、尊び、その後に残る魂を彼女は守ろうとした。

だが、彼女には魔術王に抗う力はない。抗えないと悟ってしまったが故に、一人でも多くの魂を冥界で保護しようとしたのだ。

それが例え、何万もの魂の怨嗟に囲われた孤独であったとしても、彼女はヒトを愛する女神としてそうせざる得なかったのだ。

けれど、その果てに彼女はきっと後悔することだろう。

何万の魂だけでも救えたとは思わず、何千億もの魂を救えなかったと嘆いたはずだ。

救ったはずの魂に何れ彼女は苦しめられることになったはずだ。

 

「でも、もうそれも終わり。私はもう何人もその手にかけてしまった。今更、善人面してあなた達に協力したところで…………」

 

「何を言っている? 衰弱死した者の遺体であれば、全て保管済みだが?」

 

「ホントに!?」

 

落ち込むエレシュキガルに対して、ギルガメッシュ王は何とも言えない侮蔑に満ちた視線を向けながら吐き捨てた。

言葉の端々から伝わってくるのは失望だ。お前、神格なんだからもっと気合入れてやれよと言わんばかりの見下しっぷりだ。

 

「ああ、僕も医者として何度か立ち会ったが、外傷もないので槍檻から魂を解放すればすぐにでも蘇生するだろう」

 

「ゴルゴーンの被害に比べれば貴様の被害など知れている。クタ市の人口900人、ウルク市での被害300人。合わせてたった1200人だ! ジグラットの地下を解放すれば容易く収容できる!」

 

ケツァル・コアトルは誰一人として殺していないが、密林を広げて二都市を占領しているので実質、エレシュキガル以上の数の人間を巻き込んでいる。

加えて殺害方法が衰弱死なので家屋や財産にも手をつけておらず、被害総額で言えば三女神の中で断トツに下だ。

寧ろ、半年もかけて何故この程度しかできなかったんだと慰めてやりたい。

 

「そ、それはそれですごいショックなのだわ! 私、かつてないほどやる気出したのに!」

 

それが決定打となったのか、エレシュキガルはぐったりと立香の腕にしな垂れかかる。

何とも締まらない纏まり方だが、とりあえず冥界での目的は果たしたと言えるだろう。

 

「エレシュキガル、俺達と一緒に戦って欲しい」

 

「う、うん……でも、今まで敵対していたのに、いいのかしら?」

 

「面倒な奴だ。なら、あんたの命はこいつの預かりってことでどうだ? こいつが見捨てたら僕が容赦なくあんたを凍らせる。それでいいだろう?」

 

「そう、彼に借りができたって訳ね。いいでしょう、私も女神として責任は取ります。カルデアのマスターに救われた恩、我が名に賭けて返してみせます。それまではサーヴァントとしてではなく、一柱の女神としてあなた達に協力することを約束しましょう」

 

(よし、女神から契約を引き出した。これで彼女は下手にこちらを裏切ることはできない)

 

神は人間と違ってその言葉自体に力が宿る。例え口約束でも交わした約定は強力な盟約(ギアス)となるのだ。

これで三女神同盟は事実上の決裂と見ていいだろう。

 

「あれ? 先輩、ローブの老人が居なくなっています!」

 

「本当ね、さっきまでそこにいたのに」

 

「君の眼でも気づかなかったのか? ドクター、そっちで何か記録されていないか?」

 

『いや、その……誰? ローブの老人なんてこちらには影も形も見えなかったけど……』

 

(カルデアの計器では映らない人物? それにアナスタシアの魔眼にも引っかからなかった……)

 

益々、ジウスドゥラという人物がわからなくなってきた。

仮にその名前通りのジウスドゥラ本人であったとしても、英霊であるジウスドゥラに冥界を行き来したり形のない神の約定を切り裂く力などあるだろうか?

残念ながら冥界の闇からはこれ以上の答えは返ってこず、カドック達は僅かな疑念を残したまま地上への帰路へと着くことになった。

 

 

 

 

 

 

その日の夕方、カドックとアナスタシアは冥界で約束した通り、ギルガメッシュ王の健康診断のためにジグラットを訪れた。

一度、死んだのが良かったのか、魔術による精査やアナスタシアの魔眼では不調な部分も見つからず、ギルガメッシュ王の体は半年間も働き詰めであったとは思えないほど健康体であった。

ただ、今までの生活を続けていてはまた同じことを繰り返してしまうかもしれないため、栄養だけはきちんと取るようにと念を押して診察は終わった。

その出来事は、その帰りの事だ。

大使館へと戻ってきたカドック達は、家の前で老婆と話し合う立香達とばったり出くわしたのだ。

 

「あ、お帰りなさい、おふたりとも」

 

「キリエライト、何か新しい依頼か?」

 

「いえ、そうではありません」

 

首を振るマシュは綺麗な花で作られた冠を手にしていた。

それを見たカドックは、老婆の正体がアナがよく手伝いをしに行っている花屋の婦人であることに気が付いた。

 

「ああ、いつぞやの先生じゃありませんか。その節はどうも」

 

「婆さん、ひとりでここまで来たのか?」

 

彼女は目が不自由だ。自分と同じように物の影くらいしか見えないというのに、よくここまで来れたものだと感心する。

 

「あの小さな女の子にね、たいそう良くしてもらったからお礼に来たのですよ」

 

元々、家族とも折り合いはよくなかった。

目が不自由な癖に偏屈な性分が災いし、家族の反対を押し切って形だけの花屋を続けていたのだ。

そのままひとりで寂しく死んでいくものと彼女自身も思っていたようだが、アナが手伝うようになってからそんな毎日にも変化が出てきたらしい。

ロクに手入れもできず、枯れていくばかりだった花の手入れを共に行い、アナが呼び込んだ客の相手をし、空いた時間は何気ない話をして時間を潰す。

ほんの数日のことではあるが、彼女にとっては若返ったかのような気分だったらしい。

 

「でも、そんなあたしも例の病気にやられてねぇ。昨日までおさらばしていたんだ。家族はあたしを旅立たせようとしてくれたし、あたしもそれを受け入れた。でも、あの子があたしの体に縋ってくれたんだ。まだおばあさんは生きている、埋めないでって。あたしももう少しだけ生きてみたいと思ったんだろうねぇ。目を覚ましたらあの子が側にいてくれたことに気づいたんだ。その時、はじめてあの子の顔に指を当てて……」

 

見えぬ目でアナの顔を視た老婆は悟ったらしい。この子はきっと美しい女性になると。

だから、布なんかで隠さずに顔をお上げと言ったのだそうだ。

 

「けど、飾り気がないのは締まらないだろう? だから今日、何とかひとりで出てきたんだよ。あの子にこれを渡したくてね」

 

それがマシュの持っている冠――髪飾りなのだそうだ。

目の見えない老婆がこれを作り、ここまでひとりで来た。それだけで彼女のアナに対する思いが確かなものであると伝わってくる。

だが、生憎とアナは朝から牧場の手伝いに出ており、仕事を終えて戻ってくるまでまだかなりの時間がある。

 

「なに、そちらも忙しいだろう。気遣いは無用さ。ただ、あの子にはありがとうと伝えておいておくれ」

 

「はい、必ず伝えます」

 

「おばあさまに出会えたこと、きっとアナちゃんも嬉しかったと思います」

 

「そうかい? ありがとう、あんた達も優しそうな子だ。あの子は無口で不器用で怖がりだったけど、あんた達が側にいるのなら、きっと楽しかったんだろうねぇ」

 

こちらを見回しながら、老婆は小さく笑う。

その笑みから覇気は感じられない。

元よりエレシュキガルの衰弱死は体力が衰えた者が罹患する病のようなもの。この老婆がそれに罹ったということは、彼女自身の体にはもう生きるための力がほとんど残されていないことを意味している。

若者かギルガメッシュのような例外ならば十分な休息と栄養を取る事で回復できるだろうが、年老いた彼女ではそれも難しいだろう。

遅かれ早かれ、彼女は冥界へと旅立つ運命にある。

それでも、きっと彼女は後悔なく旅立てるはずだ。

最後にもう一度だけアナと出会えたこと、そしてアナの家族である自分達と出会えたことで、彼女の中に確かな安堵が芽吹いたのだから。

 

「そうか。ああ――安心した」

 

別れ際に彼女が残した言葉が、4人の心に深く刻み込まれて忘れることができなかった。




カドックとエレシュキガルの対比は狙ったものではなく六章の終盤を書いている内にいけるんじゃね、と思って盛り込みました。もちろん、細かい部分は違いますがお互い根っこの部分で「努力を認めて欲しい」って思いと、「これくらいなら自分でもできるかも」って妥協があったんじゃないかと思いまして。
そこから今度は厄介なものを押し付けられた者同士ということでエレぐだの対比を思いつきました。

目下の目標はカドックの新情報が出てくる前に描き切ること。
3月まで4章来ませんようにと願ってます(笑)
それだけあれば終局まで書ける…………はず。
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