Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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絶対魔獣戦線バビロニア 第14節

そして、運命の日が明日へと迫った決戦前夜。カドック達はゴルゴーンとの決戦のために北壁の要塞を訪れていた。

明日という日に備え、ウルクは持てる全ての力を駆使して準備を進めてきた。

兵士を鍛え、武具を揃え、神霊サーヴァントをも抱え込み、マルドゥークの斧も準備した。ギルガメッシュ王の口ぶりでは、更にまだ伏せられた秘密兵器まであるらしい。

これ以上はないくらいの準備を整え、決戦を迎えようとしている。

それでも不安は拭えない。戦争は今までも何度か経験してきたが、此度の戦いは恐らく今まで以上に激しく辛いものになるはずだ。

敵は複合神性ゴルゴーンと神造兵器エルキドゥことキングゥ。そして、数多無数の魔獣達。斥候の話では数はこちらの十倍であり、残ったサーヴァント達を全て導入しても押し返すことは不可能な軍勢だ。

それでもウルクの人々は戦うことを諦めない。例え自らが死ぬことになろうとも、明日への礎となれるのならと槍を振るう。

恐怖で怯えることはあっても、それを御して立ち上がる勇気をこの時代の人々は有している。

ああ、何て羨ましい。それだけの強さを何故、現代に生きる自分達は忘れてしまったのだろうかとカドックは自嘲した。

 

「おや、おひとりとは珍しい」

 

不意に声を掛けられ、振り返ると略装姿の四郎が立っていた。

 

「夜目は大丈夫なのですか?」

 

「この礼装があれば何とかな。それに、一人で少し考えたいことがあったんだ」

 

「それは申し訳ありません、お邪魔してしまいまして」

 

「いいさ。丁度、聞きたいことがあったんだ」

 

近くに置いてあった樽の上に腰かけ、四郎を呼び寄せる。

すると、今まで肩に乗っていたフォウが飛び降りて一目散に駆け出して行った。

その後ろ姿を追いかけると、鼻歌交じりで散歩しているマーリンの姿が目に入る。

フォウは陽気な足取りのマーリンの背後から飛びかかり、無防備な膝裏に容赦のない攻撃を受けたマーリンは盛大な音を立てて煉瓦の上へと転がった。

この時代に来てから度々、見るようになった光景だ。どうにもフォウはマーリンに懐かず、顔を見ると執拗なちょっかいを仕掛けている。

 

「またやっていますね」

 

「意外と仲がいいようにも見えるな」」

 

喧嘩するほど仲がいいというが、果たしてあの夢魔と謎の生物にどんな繋がりがあるのだろうか?

まさかと思うが、本当にフォウはキャスパリーグなのだろうか?

 

「ああ、良ければ聞かせてもらえませんか? キャスパリーグというのは何なんです?」

 

「何だ、知らないのか?」

 

「ええ、知りません」

 

にこやかに笑う四郎を見て、カドックは仕方がないなと苦笑する。

彼が嘘をついているような気もしたが、それを問い質す気にはならなかった。

あまり意味のないことだし、こうして知識を語るのは嫌いではない。何より今は無性に他人と――それもカルデア以外の人間と話したい気分だった。

きっと、最終決戦を前にして気持ちが少しナーバスになっているのだろう。

 

「キャスパリーグというのは、アーサー王伝説に登場する猫だ」

 

「猫……ですか?」

 

「雌豚から生まれた化け猫で、180人もの騎士を屠るほど巨大で獰猛な獣だったらしい。その毛皮はエクスカリバーの刃すら通さなかったそうだ」

 

「それ、本当に猫ですか?」

 

「猫だ」

 

「猫かあ……」

 

しみじみとした四郎の呟きに釣られて笑みが零れる。

確かに彼のアーサー王を圧倒した魔獣の正体が猫というのは締まりが悪い。だが、猫はその神秘的な雰囲気もあってか数多くの神話に結び付けられて考えられることが多い生き物だ。

古くは古代エジプトにおいて雄猫の眼が太陽神ラーの瞳と同じく形を変えることから神の使いとされ、雌猫はバステト神の象徴として崇拝されてきた。

国外への持ち出しも禁止され、遺体はミイラとして処置された後に丁寧に埋葬されていたらしい。

一方で、中世の時代になると欧州各地にも猫は流出し、悪魔の使いとして恐れられた。

宗教的な事情に加え、実際に魔術師が使い魔や生贄として重宝していたのだから当然と言えるだろう。

その迫害によって猫の個体数が減少し、代わりにネズミが増えてしまったことでペストが大流行したことについては人間達の自業自得であるが、とにかく猫というものは人類史において明暗どちらの側面にも関りが強い生き物だ。ならば、アーサー王伝説に登場するキャスパリーグが猫と伝えられているのもあながちおかしなことではないのかもしれない。

 

「ははっ、たかが猫と侮る訳にもいきませんね」

 

「だろ? まあ、だからといってフォウがあのキャスパリーグとは到底、思えないが」

 

「どう見ても犬ですね」

 

「いや、リスだろ」

 

その辺に関しては保護者的立場にあるマシュでも分からないらしい。

 

「そういえば、あいつがレイシフトについてきたのは今回が初めてだったな」

 

「今まではいなかったのですか?」

 

「ああ。というか、最初の内はほとんど僕とも顔を合わせなかった」

 

「へえ……良ければ、聞かせてもらえませんか? カルデアの生活とか、今までの冒険とか?」

 

「そんなに面白い話でもないが…………」

 

特にカルデアに来てから最初の一年は灰色染みた生活と言っていいだろう。あの頃のことは記憶には留めているがあまり思い出したくはない。

そんな毎日に彩りが生まれたのは、やはりあのファーストオーダーの日からであろう。

レフ・ライノールによる爆破工作と冬木へのレイシフト。アナスタシアの召喚、黒化したアーサー王との戦い。

そこから先は無我夢中だった。オルレアン、ローマ、オケアノス、ロンドン、北米、中東、そしてメソポタミア。

楽な戦いは一つとしてなく、時には立香とぶつかりながらもここまで歩みを止めずに来ることができた。

この二年近い日々は、嫌なことも多かったが、そのどれもが色鮮やかで鮮明に思い出すことができる。

きっとこの先も、聖杯探索の旅路を忘れることはないだろう。

だからこそ、悩んでしまう。

自分の中に生まれてしまった変化について、どうしても答えが出ずに悩んでしまう。

始まりは野心からだった。

自分の力を証明するために世界を救おうとした。

やがて、その歩みは一人の少年によって阻まれ、この旅の目的が彼の力になることに変わった。

世界を救うのは自分でなくても構わない。今、自分ができることを精一杯にこなそうと考えるようになった。

そして、ここに来てその思いはまたしても形を変えてしまったのだ。

 

「シロウ、僕は今、迷っていることがあるんだ」

 

「はい」

 

「僕は魔術師だ。合理的で冷徹な化け物だ。そのはずだったのに、ケツァル・コアトルとの戦いでミスをした」

 

結果的には最善の形で終結したとはいえ、当初の予定では太陽石を破壊してケツァル・コアトルを弱体化させ撃破するはずだった。

それを躊躇してしまったのは、自らのスタンスに変化が生じていたからだ。

より真摯に、より正直に、英霊達と――この世界と向き合いたいと。

だからあの時も、太陽石を砕くことができなかった。

ケツァル・コアトルが課した試練を、彼女が望む以上の形で乗り越えたいと思ったからだ。

冷徹に成り切れないウェットな自分がいることが意外で仕方がなかった。

これが成長なのか、それとも後退なのか、それすらもわからなくなっていた。

 

「このままじゃ、また同じことを繰り返すかもしれない。それがとても怖い」

 

グランドオーダーは人類史の未来がかかった大偉業だ。

やり直しは利かず、残る戦いは今まで以上に苛烈なものとなるだろう。そんな中で、私情から一瞬でも躊躇するような事態などあってはならない。

もしも、それを最悪の場面で引き起こしてしまえば、ここまで積み重ねてきたものが全て泡と化してしまう。

それが堪らなく恐ろしかった。

 

「カドック、あなたが一番、恐れていることはなんですか?」

 

「僕が?」

 

「皇女のことではありませんね。あなたの中では既に覚悟はできている。では、グランドオーダーの行く末ですか?」

 

「……違う。きっと、そうじゃない」

 

不意に脳裏に浮かんだのは、黒い何かが立香に忍び寄る光景だった。

込み上げた感情は、中東で立香がマシュと共に爆炎に消えた時と同じものだった。

それが意味するところに思い当たり、唇が小さく震える。

恐れているのは立香を失うことだ。

それもただ命が失われるということだけではない。彼の眩しい人柄が、憧れと妬みを抱かずにはいられない輝きが損なわれることを恐れているのだ。

ここで初めて、カドックは全てが終わった後の事を考えた。

このままグランドオーダーを完遂し、人理焼却を防げたとしよう。その偉業を成し遂げたという栄光は、果たして誰のものになるのだろうか。

自分は構わない。魔術師として箔がつくし、好奇の目に晒されることも覚悟している。時計塔の権力闘争に巻き込まれるのは少しばかりご免だが、それはまだ考える必要はないだろう。

だが、藤丸立香はただの人間だ。魔術とは無縁の一般人で、本当に偶然が重なったことでこの旅路に加わったイレギュラーだ。

人理修復の栄光は彼には荷が重すぎる。それを背負ってしまうと、もう彼は元の生活に戻ることができないだろう。

 

「あいつには、魔術の世界(ここ)じゃないところにいて欲しい」

 

彼の善性は一般社会の中で培われたものだ。これ以上、魔術世界に深く関わることで余計なものを目にしてしまえば、その水晶のような輝きに曇りが出るかもしれない。

だから、全てを成し得た後、彼には日本に戻って欲しいと考えている自分がいるのだ。

今生の別れとなっても構わない。

繋がりが断たれてしまっても構わない。

全てが終わったら、彼が彼らしく笑える世界に戻って欲しい。

そんな、魔術師らしからぬ親愛の情を抱いていることが意外でならなかった。

こんな風に考え始めている時点で、既に魔術師失格なのかもしれないが。

 

「魔術師に友達なんて、そもそもおかしいんだろうな。必要なら親兄弟とも殺し合う生き物なんだ……友情なんて、おかしいはずだ」

 

それでも、北米で自分と向き合ってくれたあのまっすぐな眼差しを裏切りたくないと思った。

彼の思いを、信頼を、二度と蔑ろにはしたくないと誓ったのだ。

例えそれが、魔術師としてどうしようもない歪んだ願いであったとしても。

 

「そうですね。部外者の私が言うのもどうかと思いますが……」

 

「お前、神父なんだろ?」

 

「なるほど、これは告解ですか。では、迷える子には答えなければなりませんね」

 

居住まいを正した四郎は、首から下げていた十字架を一度だけ握り締めると、真剣な眼差しで口を開いた。

 

「カドック・ゼムルプス。君は魔術師であるべきだ。その考え方、その在り方が彼の力となるだろう」

 

突き放すように、背中を押された気がした。

それは分かり切っていた答えを再確認させられただけだ。けれど、不思議と肩が軽くなった。

やるべきことは変わらない。するべきことは変わらない。

魔術師として、冷静に、冷徹に、友の力となる。

魔術師にとって人間性は不要なのかもしれないが、それでも貫ける友情はあるのだ。

彼にできないことを自分が成せばいい。

それは今までと何も変わらない。

自分にできなかったことを彼が成し得てきたように、彼では背負えないものを自分が背負う。それだけでいいのだ。

 

「いい宗教家になるよ、お前は」

 

「義弟ほどうまくはありませんよ」

 

「兄弟がいたのか?」

 

「ええ、彼ほど人の傷を開くことに長けた使徒はいません。何しろ、本人がひた隠しにしている裏の部分まで引きずり出してしまうのですから」

 

なるほど、それは恐ろしい話だ。

どんな人間だって後ろ暗い思いは抱いているもの。例え些細なことでも目の前に突きつけられれば堪らないだろう。

そんなことを嬉々として行える者が身内にいるとなると、四郎も大変だったであろう。

もしも、彼が生きていた頃の島原にレイシフトする機会があれば、その弟とやらに出会わないように気を付けなければならない。きっと、自分のような人間は絶対に敵わないだろうから。

 

「まったく、酷い奴だ」

 

「ええ、まったく」

 

お互いに苦笑し、小さく拳をぶつけ合う。

胸の隙間が埋まり、充足感にも似た感覚が込み上げてくる。

最後の夜に話せたのが彼で良かったと思えた。

カルデアのみんなとは、きっとこんな話はできないだろうから。

立香とはまた違う形の友達ができた、といって良いのだろうか?

サーヴァントが友達なんて、きっとおかしなことなのだろうが。

 

「カドックは、この聖杯探索が終わればどうするつもりなんですか?」

 

「そこまで考える余裕はなかったな。とりあえず、しばらくは身の振り方を考えるよ。得るものも失うものも多い旅だった……生き方の見直しぐらいしても構わないだろう。そういうお前は?」

 

「さて、此度の召喚では私の願いが叶いそうにありませんが…………そうですね、叶うなら座に帰還するまでの間、空の上で穏やかな時間を過ごしたいですね」

 

「なんだ、鳥にでもなりたいのか?」

 

「ええ、鳩のような気持ちになって、あの空の上で羽根を伸ばしたいのですよ」

 

「詩的な奴だ」

 

だが、悪くはない。なんにしたって穏やかな気持ちで最期を迎えられるのはいいことだ。

後悔を胸に抱いて、志半ばで果てるよりずっといい。

全てを出し尽くし、燃え尽きながら倒れるよりも素晴らしい。

自分もまた、そんな風にこの旅路を終えることができるであろうか。

その時はきっと、傍らにはもう誰もいないのだろうが。

 

「私はそろそろ戻りますが、どうされますか?」

 

「ああ、僕も戻るよ。きっとアナスタシアが気づいて待っているはずだ」

 

泣いても笑っても、明日になれば全てが決することになるだろう。

生き残れるかどうかはわからない。けれど、悔いのない終わり方をしたい。

そう決意を新たにし、カドックはその日の床につくのであった。

 

 

 

 

 

 

翌日。

ゴルゴーンが予告した刻限のきっかり一日前、魔獣戦線の兵士達は北壁を出立した。

無論、ここで全ての決着をつけるためである。

数、質ともに劣る人間側が悠長にゴルゴーンの進軍を待っていたのではどうやっても勝ち目はない。

故に、先手必勝で大将首を討ち取らんと電撃作戦を敢行したのである。

その先陣を切るのはウルク側に寝返ったケツァル・コアトルとジャガーマン、そして天草四郎だ。

3人は魔獣戦線の兵士達と共に平原で魔獣の群れを抑え込み、その隙にカルデア勢がゴルゴーンの拠点である杉の森の鮮血神殿に潜入するというのが作戦の内容である。

 

「いいな、前線で戦って良いのは半刻だけだ! 我々の個々の力は魔獣には及ばん! 体力が尽きた者は四陣にまで後退、休憩と槍の持ち替え! 呼吸を整えて次の出番を待て!」

 

「ここまで生き残った戦線の底力、今こそ王にお見せする時! 総員、かかれ!」

 

激突する魔獣の牙と兵士の盾。

集団で取り囲み、隙を突いて槍を突く。

個々の力では劣っていても彼らにはレオニダス一世に鍛え抜かれた筋肉がある、技術がある、人間の英知がある。

その計算高き戦法は魔獣の巨体を次々に沈めていき、鬨の声と共に魔獣戦線は前進を続けていく。

 

「おー、動物大戦争の始まりだニャー! 北壁の皆さんには到着早々、美味い肉を奢ってもらった! こんな出来るモノノフ達を見殺しにはできないニャー!」

 

普段のぬいぐるみ姿でジャガーマンは意気揚々とこん棒を振り回す。

一時は消滅寸前まで消耗していた彼女ではあったが、カドックに懇願されたケツァル・コアトルの温情で今日という日のために無理やり休息を取らされ、右から左に流れてくる肉を頬張るだけの日々が続いていたのだ。

コンディションは万全であり、ジャガーの加護も過去最高潮にノッテいると彼女は捉えていた。

 

「同感よジャガー。本来は喧嘩両成敗だけど、あの魔獣達はゴルゴーンに弄られている。戦闘能力と引き換えに生殖機能を失ったのね」

 

「元より主の理から外れたもの。ここでその命は還させてもらおう……っ!? ジャガーマン、伏せろ!」

 

言うなり、四郎はジャガーマンの背中に覆い被さる。

同時に無数の槍が先ほどまでジャガーマンが立っていた場所を通過し、地面に大きなクレーターを穿った。

 

「おや、サーヴァントがいるかと思えばケツァル・コアトルじゃないか? 母上の玉座以来だね。君がそちらにいるということは、三女神同盟は瓦解したと見ていいのかな?」

 

音もなく降り立ったのはエルキドゥ――キングゥだ。

まるでこうなることは分かっていたとばかりに淡々と、慇懃無礼気味に目の前の事実を確認する姿はこちらの神経を逆撫でする。

こちらの激情を誘うためなのか、単にそういう性格なのかは判断がつかなかった。

 

「残念だよ、聡明な君ならば母さんの嘆きを理解してくれると思ったのに」

 

「あら、思ってもいないことは言うものではありませんよ」

 

「どうかな? かつて征服者に文明を略奪された君にはシンパシーを感じていたのだけれどね」

 

キングゥとケツァル・コアトルが同時に大地を蹴る。

空中でぶつかり合う槍と剣。

火花を散らせながら降り立った2人は、そのまま互いの体に必殺の一撃をぶち当てながら舌戦を繰り返す。

どちらも自身の消耗を考慮しない荒々しい戦い方だ。

聖杯による無限の魔力を用いた再生、善なる者からは傷つかないという権能。

尋常ならざるタフネスを持つ両者の戦いは、それ故に遠慮も加減もない壮絶な殴り合いとなっていた。

 

「覚悟することねキングゥ、あなたを倒した次はゴルゴーンの心臓を抉り出す。それが私とマスターとの縁を繋いでくれたあなたの母への感謝と知りなさい!」

 

「馬鹿力どころか頭の中まで馬鹿一色だったとは。君に心底失望したよ」

 

キングゥが地面に手を添えると、大地が隆起して無数の鎖へと変化する。

並の魔獣であれば巻き付くだけで首をねじ切れる代物だ。しかし、ケツァル・コアトルは渾身の力で鎖を引き千切り、逃げ回るキングゥを追いかける。

振り下ろされるのは渾身の殴撃。女神の膂力で繰り出された一撃は金剛石すら容易く破壊するだろう。

それをキングゥは左腕を犠牲にして回避する。飛び散った血肉は即座に砂へと変換され、新たな腕が生え始めていた。

一見すると戦いは互角。だが、キングゥは内心で焦りを抱いていた。

全力でぶつかって互角。つまり、自分ではケツァル・コアトルを倒し切れない。

それはゴルゴーンにとって非常にまずい展開だ。

ケツァル・コアトルは南米の主神であり、ティアマト神の化身とはいえギリシャの魔獣でしかないゴルゴーンより遥かに格上の神格だ。まともにぶつかり合えばゴルゴーンでは太刀打ちができない。これは力や魔力の問題ではなく、相性の話だ。

そうならないように三女神の間では互いが傷つけあえば消滅を迎えるという約定を交わしていたのだが、ケツァル・コアトルはそれを承知で人間側に加担している。

果たしてそれは本気なのか、単なる方便なのか。何れにしてもキングゥはケツァル・コアトルを無視することができず、彼女の足止めを余儀なくされていた。

 

「さあ、どうしたのキングゥ? 律義に母親に魔力を送るのは疲れるでしょう?」

 

「減らず口を……なら、宝具で一気に……」

 

「いえ、ここまでよ!」

 

遥か彼方、鮮血神殿が鎮座する杉の森から光が昇る。

平原を迂回し、杉の森へと侵入したカルデアからの合図だ。

 

「あれは!? まさか、伏兵!?」

 

「ククルん、急げー!」

 

「ここは私達が!」

 

キングゥの注意が逸れた隙に、ジャガーマンと四郎が突貫した。

こん棒と刀、それぞれの得物がキングゥの体を引き裂き、ケツァル・コアトルの前線からの離脱を援護する。

 

「お前達、まさか!!」

 

「そう、そのまさかデース!」

 

一気に北壁へと舞い戻ったケツァル・コアトルが持ち上げたのは、小さな山ほどの大きさを誇る巨大な斧だ。

それこそかつて、ティアマト神の喉を切り裂き息の根を止めたと言われる神の武具。

太陽の若き雄牛の名を持つマルドゥーク神が振るった神殺しの大斧だ。

それを今、ケツァル・コアトルは持ち前の怪力で持ち上げると、合図が上がった杉の森へと向けて思いっきり放り投げたのである。

あまりの大きさ故に武器として振るうには適さず、また戦場まで運ぼうにも目立ち過ぎる上に輸送の手間もかかる。

だが、この方法ならば諸々の手間を省いて一気に杉の森まで誰の邪魔をされることなく斧を運ぶことができるはずだ。

予定ではこの後、カルデア達がこの斧を用いてゴルゴーンと戦う手筈になっている。

そう、これこそが今回の電撃作戦の要。ケツァル・コアトルを始めとする北壁の精鋭達は、カルデアへ最後の希望を届けるためにこの平原で魔獣達の囮となったのである。

 

「マルドゥークの斧……ティアマト神の化身にはさぞや効く特攻でしょう。さあ、後は任せましたよカルデッ!? スーイーシーダー!!!!?」

 

役目を果たし、後はここでキングゥの足止めに専念するだけ。

そう思った刹那、ケツァル・コアトルの体が弾け飛んで地面へと落下する。

同時にあれほど漲っていた神気が風船のように萎んでいき、身に纏っていた権能すらも力を失ってしまった。

微妙に遠退く意識の向こうで、ケツァル・コアトルは取り返しのつかない事態を引き起こしてしまったことを直感する。

三女神同盟の不可侵の契りを破ってしまったのだ。

 

「うむ、スイシーダとはスペイン語で自殺の意! あんなに山盛りだったククルんの神性が半分以下に……」

 

「き、消えていないところを見るに、不可抗力みたいデスねー」

 

ゴルゴーンが出てきた気配は感じられないので、投擲したマルドゥークの斧が鮮血神殿の外壁を傷つけてしまったのだろう。

恐らく、手元が狂ったのか誘導役のマーリンがへまをしたのかのどちらかだ。

もしも、後者であるなら後でしっかりとお返しをさせてもらわなければならない。

そして、段取りは狂ってしまったが、これでゴルゴーンの力は大きく削がれたはず。

異なる神話体系の神が権能を振るうためには神殿が不可欠だ。

ケツァル・コアトルならば太陽神殿、ゴルゴーンならば鮮血神殿のように、その地に根を下ろさなければ神霊とて亡霊の一種に過ぎない。

依然、強敵であることに変わりはないが、今ならばカルデアのサーヴァント達でも十分に勝機はあるはずだ。

 

「そこまでして人間の味方をするのか、ケツァル・コアトル!?」

 

「ええ、ここまでする気はありませんでしたが、結果的にそこまでしてしまいましたとも! でも、私の手助けはここまでよ。ゴルゴーンを討つのは人間の役割だもの」

 

「……っ! しまった、ここにあの女神の幼体がいない!」

 

文字通り食らいつくジャガーマンを振り払って四郎にぶつけ、キングゥは忌々し気にケツァル・コアトルを睨みつける。

心底からの怒りがあった。

手を煩わせるだとか、小賢しい真似をといった侮蔑の感情はない。

その目に宿っているのは不安と怯え、そして真性の怒りだ。

それだけでケツァル・コアトルにはキングゥの思いが読み取れた。

真意がどこにあるのかはわからないが、少なくともキングゥはゴルゴーンの身を本気で案じている。

 

「命拾いしたね、ケツァル・コアトル。君の始末はゴルゴーンを助けてからだ」

 

魔獣の群れを足止めに使い、キングゥは杉の森へと取って帰る。

残念ながら女神の契りを破り、力を失ったケツァル・コアトルではそれに追いすがることはできなかった。

後は、カルデアのマスター達の運を信じるしかない。

どうか、キングゥが戻る前に全てに決着がつくことを、祈る事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 

一方、遥か何十キロも離れた杉の森。

轟音を立てて鮮血神殿の一部が崩落すると共に、遠くから空を裂かんとするかのような女神の悲鳴が木霊する。

やってしまったと苦笑するマーリン。

呆れ果てて言葉を失うイシュタル神。

他の面々も似たようなものだ。

ここまで時間が許す限り準備を進め、少ない選択肢の中から最上のものを選び取った。

その上で、どうして肝心なところで大ポカをやらかしてしまうのだろうか?

 

「いやあ、手が滑ってしまったものは仕方がない。まさか杖がビーコンになって斧をあらぬ地点に誘導してしまうとは、失敗、失敗。でもまあ、おかげで結果オーライだぞ、みんな! ケツァル・コアトルの尊い犠牲を無駄にしてはいけない!」

 

「ちっとも反省していないな、この人でなし!」

 

「フォウ! フォーウ!」

 

飄々と嘯くマーリンの背中にフォウと共に蹴りを入れながら、カドックは怒鳴り散らした。

恐らく、グランドオーダー始まって以来の大失態だ。

本来ならばケツァル・コアトルが投げた斧を回収し、マーリンの力で鮮血神殿ないしゴルゴーンにぶつける手筈となっていた。

だが、事もあろうかマーリンは自分達が安全圏に離脱する前にケツァル・コアトルに合図を送ってしまったのだ。

あれほどの大きさの斧ならば、例え当たらずとも衝撃だけで一たまりもない。

せめて三百メートルは離れた位置を指定しなければならなかったのだが、マーリンが太鼓判を押すものだからすっかり任せきりにしたことが仇になってしまった。

結果、咄嗟にマーリンはビーコン代わりの杖を自分達から離すために放り投げたのだが、うっかり鮮血神殿の方角に向けて投げてしまったものだから、マルドゥークの斧は鮮血神殿の外壁を破壊してしまったのである。

 

「嫌な事件だったわね」

 

「ああ! フォウさんがマウントを取ってマーリンさんの顔にビンタを!?」

 

「皇女様、さらっとマーリンの足を凍らせて2人のフォローするの止めようね。今、作戦中だから」

 

「いえ、この際徹底的にやるべきです。主にマーリンは死ぬべきです」

 

「ええ、滑らかに死になさい」

 

『みんな、ちょっと冷静になって! そこが敵の本拠地だってことを思い出して!』

 

確かにその通りだ。

一通り蹴っ飛ばして怒りを鎮めたカドックは、尚も執拗にマーリンを攻撃し続けるフォウを引き剥がして肩に乗せると、外壁が崩れ落ちた鮮血神殿を改めて見回した。

遠く離れた平原は戦場と化しているが、神殿の周囲には見張りの影すらない。どうやらキングゥは全ての軍勢を引き連れて囮部隊の迎撃に出てしまったようだ。

迂闊、と見下すのは短絡であろう。魔獣達は皆、ティアマト神の子ども達。我が子であるはずの神々に弓引かれ、人界創世のための供物とされた恨み。引き裂かれた五体を糧として霊長類が繁栄を謳歌したことへの憎しみ。万物の母でありながら不要とされたことへの怒り。

それらを受け継いだ魔獣達は決して人間を許してはおけず、本能の赴くままに食らいつかんとする。

その習性はキングゥとて御すことができないのであろう。

同時にそれは好機でもある。未だ、鮮血神殿に籠り続けるゴルゴーンを守るものは何もない。

神殿を破壊され、神性が低下している今ならば倒すこともできるはずだ。

 

「うむ、その通りだ。私達は私達の為すべきことをしよう」

 

立ち上がったマーリンが、転がっていた自身の杖を拾い上げて高らかに宣言する。

この時、このメソポタミアの地が今までの特異点とは根本的に異なる、未曽有の事態に陥ることになると、誰一人として知る者はいなかった。

七つの特異点。その七番目における最後の戦い。

そこでカルデア(星詠み達)は、悲しくも恐ろしい獣の慟哭を耳にすることになることを、まだ知らなかった。




カドックが本シリーズはおろか、原作の時点で結構、感情論で動いていることは密に密に。

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