Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女 作:ていえむ
足を踏み入れた瞬間、世界が一変した。
空気が一変したとでも言えばいいのだろうか?
鮮血神殿は、外観こそ変哲もないギリシャ風の建築だったが、その中は凡そ人が正気でいられるものではなかった。
肉が蠢いている。
明滅するそれは動脈を流れる血の輝きか、はたまた悍ましい何かの胎動か。
床は柔らかく波打っており、壁は幾何学的に捻じ曲がっていて正確な形を捉えることができない。
全体を視界に収めようとすると脳が本能的に拒否を訴え、壁の形を視線で追えばいつの間にか天井や床の傾きを目で追っていた。
床も壁も天井も、全てが醜悪に歪んだ肉の塊で構成されているのだ。
これではまるで、巨大な魔獣の腹の中だ。
薄暗いのがせめてもの救いだった。これを明るい場所で直視すれば、きっと正気を保てない。
それでなくとも、蓄えられた主の怨念は泥のように淀んでいて、侵入者の正気を熱せられたゴムか何かのように少しずつ溶かしていくのだ。
狂気の大本はずっと奥にいてまだ目にしてもいないというのに、恐怖と不安で体が強張り逃げ出したくなった。
これが貶められた女神の憎悪なのだろうか。この神殿内に漂う大気すら人間達に敵意を持ち、排斥せんと渦巻いているかのようだ。
何かが違う。
今までも強い恨みや狂気を抱いた敵と戦ってきた。だが、この鮮血神殿は根本からして何かが違う。
この感覚は、まるで魔神柱やジル・ド・レェの大海魔を相手取った時のような、悍ましい寒気と冒涜的な恐怖を伴っていた。
「何でしょう、この辺りから壁一面に繭のようなものがありますが……」
襲撃を警戒し、最前衛で盾を構えながら進むマシュが訝しむ。
覗き込むと、確かに通路の一画から大きな繭のような肉の塊がいくつも並んでいる。
明滅しながら心臓のように脈打つその塊は、まるで虫か魚の卵か何かのようだ。
では、これはゴルゴーンが産み落とした魔獣達の卵なのだろうか?
「見ない方がいい。あまり気持ちの良いものではないからね」
「ごめんなさい、少しだけ手を……」
「アナスタシア?」
懇願され、戸惑いながらもアナスタシアの手を掴む。
怯えているのか、体が小さく震えていた。掴んだその手もいつも以上に冷たい。
遮断することのできない透視の魔眼で何かを視たのだ。
それがアナスタシアの精神に強い負荷をかけている。
強力な精霊使いであるアナスタシアの唯一の弱点ともいえるものがこれだ。
能力の性質上、どうしても相手を視なければならず、例え醜悪で嫌悪を掻き立てるもの、恐怖や狂気を誘う亡者であっても常に視界に収めなければならないからだ。
「これは……」
「そんな……これは……この影は…………」
繭の中を覗き込んだ立香とマシュが言葉を失う。
その中で蠢いているのは、魔獣達に攫われた人間だったのだ。
羊水のようなものに浮かべられた彼らは手足を溶かされ、辛うじて人間としての形を残したまま体を内側から別のものへと作り替えられていっている。
さながら、昆虫に卵を植え付けられた苗床だ。
生まれ落ちた幼虫は苗床となった生き物を貪ることで栄養とするが、それと同じように彼らは魔獣達を自分自身の肉体から生み出しているのだ。
彼らは最早、悲鳴すら上げることができない。引き千切れた手足から形作られた魔獣達が羊水の中で少しずつ大きくなり、やがて成体となってこの繭を突き破るのだろう。
繭の中には十や二十の魔獣達に分化しつつある者もいた。
「ゴルゴーンを殺すわよ。私も他の女神の事は言えないけど、これはやり過ぎよ。人間に復讐するために、人間以上の生産性を求めたなんて、本末転倒だわ」
眉間に皺を寄せながらも、憐れむようにイシュタル神は言葉を漏らす。
ゴルゴーンは人間を憎んでいる。
それは生命の母としての自身を排斥されたティアマト神の怒りであり、美しい女神でありながら魔獣へと堕落し討ち取られたゴルゴーン三姉妹としての怒りだ。
自らを大地の糧として栄えた人間。
自らの死後すらも辱めた人間。
彼らに復讐するため、ゴルゴーンは憎き人間達を殺し尽くすことを望んだ。
だが、そのための手法は余りに冒涜的だ。
女神は人間達を利用している。
人間がその繁栄の裏で数多くの自然を侵し、命と資源を浪費してきたように、ゴルゴーンは人間をこの世界における最大の資源として活用し数を増やしたのだ。
それは人を魔獣へと変質させる外法の所業。
新たに生れ落ちた魔獣は、全て攫われた人間達なのだ。
人間としての記憶も理性も溶け落ち、魔獣としての憎悪と力を埋め込まれる。
彼らはどちらでもない。ヒトでもなければ獣でもない。
事が済めば魔獣達からも切り捨てられる紛い物。かといって、人間に戻るにはその身は異質に転じ過ぎている。
人間を上回る生産性を得るために、女神は魔獣でも人間でもない別の何かを産み落としているのだ。
イシュタル神が言うように確かに本末転倒だ。
そして、こうなってしまった以上、彼らを助けてやることはできない。
既に彼らは魔獣としてその身を変質させられている。如何なる魔術、奇跡を用いても元に戻すことはできないだろう。
『みんな、キングゥが戦線を離れて猛スピードでそちらに向かっている。急いでくれ、ゴルゴーンとキングゥ、その両方を相手にしては勝ち目はないだろう』
「――――行きましょう。今は戦う時です」
唇を噛み締めたアナは、強い眼差しで鮮血神殿の奥を睨む。
未来の自分の姿。その行きついた果てを垣間見て、果たして彼女は何を思ったのか、それを知る術はない。
それは妄りに踏み込んではいけない領域だ。
ただ、彼女は戦うことを選択した。
憎しみに蝕まれ、世界をも喰らわんとしている魔獣の女神を打ち倒すために。
進む足取りに、ニップル市での怯えは感じられない。
恐怖で足が竦んでいた彼女はもうここにはいないのだ。
なら、自分達はその選択を尊重し、彼女の力になるまでだ。
それが仮とはいえ家族を演じてきた自分とアナスタシアにできる、唯一の術であろう。
「いるね、この洞窟の壁にぐるりと、あの長い尾が巻かれている」
アナの案内で辿り着いた最奥。スプリガンくらいなら数体は余裕で収まり切る広さを有したその部屋は、今までよりも一層、血生臭い腐臭に侵されていた。
マーリンが言う通り、壁一面に節くれだった蛇の尾が張り付いているのが分かる。
束ねられ、重なり、とぐろを巻くのは憎しみの魔獣。
濃密な魔力はいるだけで気が遠退きそうになる。
ここにいる。
頭上に、眼前に、意識の外に、両の眼を爛々と輝かせた蛇が獲物を見定めている。
神殿を破壊され、神性が堕ちても尚、これだけの神気を纏った神代の獣。
これだけの力を有した女神が、黒く汚れ堕ちるまで憎しみに駆られねばならなかったことが堪らなく悲しかった。
「騒々しいな、人間ども。ここをティアマト神の寝所と知っての狼藉か?」
尾が脈打ち、巨大な女性の半身が暗闇から姿を現した。
まるで天井から吊り下げられたマリオネットだ。肥大した彼女の憎しみはこの鮮血神殿そのものと一体化しているのだ。
ここは彼女の棲み処なのではなく、女神の神体そのものだ。
魔獣の腹の中という捉え方も決して、気の迷いではない。
「なぜです、女神ゴルゴーン! あなたは人間に復讐すると言った! 土地を奪われた獣達の女神になると! でも、それがあの行為に結び付くのですか!?」
霊長の長は人間かもしれないが、それは結果論に過ぎない。
魔獣達が人間の土地を奪い、王国を作るというのなら、その行いに対して人間は抗うことはできても否定する権利はない。
何故なら、同じことをかつての人間達もしてきたからだ。
だが、兵士として生み出された魔獣達は皆、人間を材料にして作られたものだ。
ヒトにも獣にも属せぬ異形の混ざりもの。あれではどちらも救われない。
「ゴルゴーン、あなたはいったい、何に復讐したいのです!」
マシュの一喝に、しかしゴルゴーンは動じない。
聞き分けの悪い子どもを諭すように、ゆっくりと、静かに口を開く。
体の大きさがここまで違わなければ、あの鱗に覆われた手で強く、優しく、抱きしめられていたかもしれない。
恐ろしさのの中にも確かな母性がそこにはあった。
「復讐に手段も結果もないと分からぬか? 救いを与えるだの、代償を得るだの……それはまだ立ち上がれる者が考えることだ。全てを奪われた者が求める者は、より凄惨な贖いのみ。富が戻ろうが、土地が戻ろうが、それが何になる? 我々にはもう……何もないのだ」
愛しい子ども達は皆、巣立ってしまった。
守り続けていた土地は時代と共に移り変わり、最早、かつての姿を留めてはいない。
ここにはもう、彼女が守り続けていたものは何一つとして残されていない。
その代償を得たところで、それはそれでしかないのだ。
代わりにすらならないのだ。
欲しかったものは、守りたかったものは、とっくの昔に失われてしまったのだから。
「最早、欲しいものなど何もない。あるのは貴様らへの復讐心だけ。全てを殺し、全てを踏みにじり、この世界を殺し尽くし、自らも殺し尽くす。それが復讐者だ。それが私の求めるものだ」
それだけの憎しみを、彼女は人間から――否、世界から与えられた。
行き場のない怒りと憎しみ。それこそが復讐者のクラスとしての定義の一つなのだろう。
彼女に道理を唱えても無駄だ。既に心がねじ曲がり、自分自身ですら制御できずにいる。
その身を一体化した神殿が全てを物語っている。
際限なく湧き上がる憎悪を糧として魔獣は産み落とされている。その憎しみが途絶えぬまで魔獣は増え続け、世界を覆いつくし、やがては魔獣同士で相争って全てを無に帰すだろう。
かつてフランスで遭遇し、戦ったジャンヌ・オルタと同じだ。
彼女が掲げた邪竜百年戦争。それと同じことをゴルゴーンもまた、行おうとしている。
「そこな人間、人類最後のマスターよ。貴様達ならばわかるであろう? 我が復讐に理を感じたのなら頷くがいい。我が意に沿うのなら、貴様達を生かしてやってもいい。全てを殺し尽くした後、残った無人の荒野に解き放ってやる」
そこには生きて動くものはなにもない。
空は堕ち、地は裂け、海は干上がり、文明の残滓は何もかもが溶け落ちている。
鳥も獣も姿を消し、草花は種子すら残せず滅菌された不浄の地が地平線の果てまで広がっている世界。
そんな終末の世に残されたのはたった2人のマスターのみ。
彼らは語り部であり、焼き尽くされた歴史の波に浮かぶ特異点という小島で永遠の時を嘆きながら生きる。
何て悪辣な提案なのだろう。
命惜しさに世界の全てを差し出せと、ゴルゴーンは言っているのだ。
断るようならば、容赦なくこの場で食らい尽くすと彼女は言ったのだ。
『――――憎しみを持つ者に理解を示してはならぬ――――』
あの日の記憶が鮮明に蘇る。
足の不自由な老人。
彼の人が言っていた助言の意味、それを今ならばハッキリと理解することができる。
ゴルゴーンの、女神の言葉に乗せられてはならない。
これは甘言で、これは策謀で、これは戯言だ。
そこに理なんてありはしない。
憎いから殺す、彼女はただそれだけの理屈で動いている。
何もかもを奪われた女神にとってそれは正当な権利なのかもしれないが、決して許してはいけない所業だ。
筋の通った理屈など、復讐者に求めてはならないのだ。
その憎しみに正当性を与えてはならないのだ。
「何を言っているのか、全然わからない」
「悪いが、あんたの理屈は証明できそうにない」
立香とカドックは、同時に答えていた。
片や考える事すら放棄して頭から否定し、片や考え抜いた末に答えはないと切り捨てる。
それが2人の答えであった。
希望は決して篝火を絶やさない。そして、その輝きを羨む者は決してそこから目を逸らさない。
ゴルゴーンに取って運のツキだったのは、自分達2人を同時に相手取ってしまったことだ。
どちらか一方ならば、或いは万に一つの可能性として懐柔できたかもしれない。
ゴルゴーンの復讐には正当性があると、無意識に理を当て嵌めてしまったかもしれない。
だが、ここにいるのは人類最後のマスターだ。
六度の絶望を乗り越えてきた、人類最強の分からず屋だ。
たかが女神の誘惑に耳を貸すほど、軟な修羅場は潜っていない。
どちらかが諦めないというのなら、もう一人もまた不屈を貫くのだ。
「残念ね、ゴルゴーン。人間は確かにあなたから奪ったかもしれない。けど、だからといってあなたの憎しみを理解しろと言うのは酷ではなくて?」
「あなたに復讐する権利があろうとも、わたしはあなたを認めません。その姿はあなたの心そのものです!」
続くアナスタシアとマシュの言葉にゴルゴーンは答えない。
強く唇を噛み締めたまま、湧き上がる怒りを抑えきれずに体を震わせている。
すると、壁に巻き付いている尾までもがそれに釣られて動き出し、鮮血神殿が地震にあったかのように揺れ始めた。
「八! 皮肉の一つも返せないなんて、完全に言い負かされたわねゴルゴーン! 聖杯の力で女神になったあなたじゃ、ティアマト神を名乗るのは千年早いっての!」
「人間の器がなければ現界できぬ小娘が。私を、ティアマト神の偽物だと騙るのか?」
「あったりまえよ。百獣母胎を獲得していても、あなたはティアマト神には及ばない。あの人は自分だけで世界を作れるの。復讐のために復讐する相手を利用するなんて、半端な事をする神じゃないわ」
イシュタル神の挑発に、ゴルゴーンは身を震わせながら咆哮を放つ。
地面にまで届く髪が次々と蛇へと転じていった。攻撃の態勢に移ったのだ。
だが、それらがこちらに襲い掛かってくることはなかった。
蛇と化した髪が鎌首を上げた瞬間、今まで口を閉ざしていたアナが一歩、前に踏み出したからだ。
「イシュタルの言う通り、あなたはティアマト神などではありません。自分の姿さえ見えなくなった、ただの怪物です」
「っ――! 貴様、貴様は……あの時の――!」
憎悪に彩られていた顔が見る見る内に蒼白し、ゴルゴーンは苦し気に身を捩った。
ニップル市の時と同じだ。アナ――メドゥーサと対峙した瞬間、ゴルゴーンは複合神性に変調を来たして苦しんでいる。
彼女は幼い自分を認識することができない。
憎悪と怒りに呑まれ、異なる神格をも取り込んで混ざり合ったゴルゴーンは既に、自分がメドゥーサであった事ですら思い出せないのだ。
彼女が覚えているのは怒りだけ。
彼女が抱いているのは憎しみだけ。
奪われたことも傷つけられたことも貶められたことも覚えている。
だが、何を、誰に、誰がを思い出すことはできない。
我が身を焼き焦がす復讐の炎は、彼女からその始まりの記憶すら奪っていった。
今の彼女はただ人間に虐げられたという事実だけを糧に生きている亡霊だ。故に、まだ幼く罪を犯していない過去の自分を正しく認識することができないのだ。
堕落し汚れ切ったその魂では、無垢なる魂を直視できないのだ。
「やめろ、来るな……キングゥ、キングゥはどこだ!? あの者を我が視界から連れ出せ! あの怪物を殺せ!」
先ほどまでとは打って変わって狼狽えるゴルゴーンの姿を見て、アナは哀しみで表情を曇らせる。
これが自分の未来の姿。憎悪と怒りで自分自身すら分からなくなってしまった女神の末路だ。
それは幼い彼女にとって受け入れがたい未来であったはずだ。だが、アナは迷うことなく武器を手にする。
哀しみも憂いもある。しかし、迷いだけはない。
何れ自分がこの姿に至るというのなら、せめて自らの手で始末をつける。
それがゴルゴーンの過去であるメドゥーサにできる唯一の贖いであると、彼女は決意を固めていた。
「ゴルゴーン、あなたが
形なき島で姉達と暮らしていた魔獣。堕ちたる女神を討ち取らんと襲い来る勇者達を排除する内に、メドゥーサの神性は汚れていった。
やがては魔獣へと変質した女神は愛していたはずの姉すら喰らい、複合神性としての新たな自分を獲得した後、英雄ペルセウスによってその生涯を終えたのだ。
その過程で失われていったもの。
魔獣への変性を承知で2人の姉と寄り添い続けたのはいったい、何故だったのか。
獣へと堕ちる果てに、彼女はいったい何を取りこぼしてしまったのか。
答えは既に、アナの中に見出されていた。
その結果が魔獣として勇者に討たれることであったとしても、そう思ったことは過ちではなかったはずだから。
「マーリン、あなたの口車に乗って、私はウルクをこの目で見てきました。その答えは、今ここに」
「ああ、今まで抑えてきたキミの神性を解放しよう」
「許可します。みなさん、私に力を貸してください! ゴルゴーンの魔眼は、私の魔眼で相殺します!」
決意を込め、アナは被っていたフードをめくる。
露になった彼女の両目は宝石の輝きを放っていた。
魔力も今までの比ではないほどに膨れ上がっており、幼い体からはイシュタル神やケツァル・コアトルと同じ神気を纏っている。
これが本来の彼女の姿。
ランサー・アナとしてではない、英霊メドゥーサとしての真の姿の一端だ。
「知らぬ……知らぬ、知らぬ、知らぬ! 貴様など私は知らない! その浅ましい姿を私の前に晒すな、怪物め!」
咆哮したゴルゴーンが敵意を剥き出しにして襲いかかってきた。
即座にカドック達は散開し、振り下ろされた一撃を回避する。
決して狭くはないとはいえ、この神殿の中であれだけの巨体を相手にするとなるとこちらが不利だ。
特にイシュタル神は飛行能力を封じられる形となってしまい、持ち前のスピードを活かすことができない。
「おのれ、おのれ、死ね! シネェッ!!」
次々と撃ち込まれていく光弾。それをギリギリで避けながらアナが鎌を振るう。
以前ならば掠り傷など即座に回復していたが、不死殺しの鎌でつけられたその傷は癒えることなく残り続けていた。
加えて神殿を壊されたことでゴルゴーン自身の神性も落ちており、肉体の再生能力にも衰えが見える。
今の彼女は強い力を有しただけのただのサーヴァントだ。
相変わらず聖杯からの魔力供給だけは桁外れではあるが、決して押し切れない力ではなかった。
「マシュ、とにかくアナを守って! 前衛は彼女! マーリンは後ろに!」
「隙は僕と
立香の指示で降り注ぐ魔力の熱線をマシュが受け止め、マーリンの援護を受けたアナはその隙を突いて再度、ゴルゴーンの肌に傷を負わせる。
反対側ではアナスタシアの魔眼で弱まった部分にイシュタルが無慈悲な魔弾の斉射を喰らわせていた。
体が大きく、動きが緩慢なゴルゴーンはそれらの動きに対処し切ることができない。
ニップル市ではあれほど苦戦していたゴルゴーンの美しい肌は見る見る内に傷と血で汚れていき、どす黒い色へと染まっていった。
だが、やはり無尽蔵の魔力というものは侮れない。繰り出される攻撃はその一撃一撃が即死級の威力で、ただの一度でも被弾すれば死へと直結するだろう。
傷にしてもアナ以外による攻撃はどうしても再生能力によって塞がっていくため、このまま時間をかけてしまえばキングゥが駆け付けてしまうかもしれない。
どこかで大きな隙を作り、宝具の一撃をぶつけて霊核を砕かなければならない。
この巨大な女神を沈黙させるにはそれしかないだろう。
だが、その隙をどうやって作る?
アナ以外の攻撃は有効ではあるがすぐに再生されてしまい、アナ自身の攻撃も決定打にはなり得ない。
イシュタル神がその本領を発揮するためにはもっと広い空間が必要で、アナスタシアが存分に力を振るうには足を止めなければならない。
マシュやマーリンは論外だ。そして、ゴルゴーンの攻撃範囲は広く、戦場となった神殿は狭い。
押し切るためにはどうしても時間をかけなければならない。果たして、キングゥの到着までに間に合うか?
「おのれ、魔眼を封じたところで、我が宝具には抗えまい! 貴様達からの呪い、その身で味わうがいい!」
このままでは埒が明かないと感じたゴルゴーンは攻撃の手を休め、自らの体を変容させる。
北壁での戦いでも使用した宝具『
ゴルゴーン自身の怨嗟をぶつけ、内部の生命を全て溶かし尽くす結界。解放されれば全方位からの魔力熱線が降り注ぐだろう。
この狭い空間では避けることはできず、また何で防ごうとも完全に身を守ることはできない。
唯一の例外であるマシュの宝具も、一方向への攻撃しか防げないというデメリットが存在する。
ゴルゴーンの呪いは全方位から降り注ぐ雨。レオニダスは自らにその攻撃を集中させることで仲間を守ったが、あれは広い屋外だからできた芸当だ。ゴルゴーンの拠点である鮮血神殿の中ならば、例えマシュに全ての攻撃を集中させてもその余波がこちらに及ぶ。
ならば、取れる策は一つだけだ。
「
「ええ!」
せめてもの足しにと強化を施し、アナスタシアを向かわせる。
対峙する二つの魔眼。
言葉を交わすことなく視線をぶつけ合った2人は、強い敵愾心を胸に互いの宝具を炸裂させた。
片や全人類への憎悪。
片やマスターへの一途な思い。
対照的な二つの思いが交差し、空中で火花を散らせた。
「『
「『
顕現した漆黒の城塞と呪いの渦。
本来ならばアナスタシアの城塞ではゴルゴーンの怨嗟を押し留めることはできない。
如何に強固な城塞も、神代からの呪いに抗うことはできず数秒で溶かし尽くされてしまうだろう。
だが、重要なのはその効果範囲だ。
既にカドックは一度、ゴルゴーンの宝具を目にしている。
あれは結界の内側に作用する対軍宝具。その性質上、一面だけの守りでは身を守る事はできないが、アナスタシアの城塞ならば瞬時に全員を収納することができる。
例えどこから撃たれようと、発動が間に合いさえすれば初撃からは身を守ることができるのだ。
その数秒さえあれば、即座に反撃に転じることができる。
城塞越しに放たれたアナスタシアの視線に沿って、イシュタル神が正確無比な射撃でゴルゴーンの頭部を狙い撃つ。
魔眼によって強制的に弱所とされた箇所への狙撃。これで怯まぬ者はいない。
忽ちの内に宝具は解除され、待ち構えていたアナが不死殺しの鎌を手に城塞を飛び出した。
「貴様……やめろ、くるな! くるなぁっ!」
「カドックさん!」
滅茶苦茶に腕や髪を振り回すゴルゴーンの攻撃を避けながら、アナが叫ぶ。
隙ができた。
最大の一撃を破られ、最も忌み嫌うアナの姿を直視してしまったことでゴルゴーンは完全に取り乱している。
起死回生の一撃を叩き込むには、今しかない。
「藤丸! キリエライト! マーリン!」
「わかっているさ!」
崩れ始めた天井の瓦礫を躱しながら、立香が礼装を起動して自身の魔力をアナスタシアへと送る。
「アナスタシア、後を頼みます!」
流れ弾を防ぎながら、マシュもまた魔力をアナスタシアに託す。
「お任せ、夢のように片付けよう」
あくまで飄々と、マーリンの魔術がアナスタシアの内から力を引き出した。
「させないっての!」
迫りくる尾の一撃をイシュタル神が放てる限りの火力で持って迎撃する。
これで舞台は整えられた。
その眼差しで終幕を。
全てを呪い、全てを奪い、全てを凍らせろ。
「ヴィイ、お願い。全てを呪い殺し、奪い殺し、凍り殺しなさい。魔眼起動――疾走せよ、ヴィイ!」
影から這い出たヴィイが、ゴルゴーンにも匹敵するほどの大きさにまで巨大化し、荒れ狂う尾を羽交い絞めにする。
突如として現れた黒い影の化け物にゴルゴーンも驚愕するが、すぐさま冷静さを取り戻して反撃を試みようとした。
だが、ヴィイは自らが焼き尽くされるのも構わずに重い瞼を捲り上げ、青く発光する魔眼でゴルゴーンを射抜く。
強靭な尾も、扇情的な肢体も、美しい顔も、髪や爪の一片に至るまで、悉くを視線で射抜き、女神から力を奪い取っていた。
堪らずに悲鳴を上げるゴルゴーン。
復讐者たる彼女にとっては正に屈辱であろう。
かつてと同じように、あらゆるものを奪われ尽くしての敗北。
その屈辱は彼女にほんの僅かな力を呼び起こすものの、それよりもアナが飛びかかる方が早かった。
「共に消えましょう、ゴルゴーン。それが、私がこの地に呼ばれた理由なのですから」
「まだだ、まだ終わるものか! 私は復讐する、この地上を、私を棄てたお前達を塗り潰す! そうだ、そうしろと叫んでいる! むせび泣く母の声が聞こえる! その復讐を、私は――代わりに、果たさな――――」
振り下ろされたアナの鎌が、ゴルゴーンの左目を抉り取る。
本来であれば彼女にとって最も強い場所である魔眼は、皮肉にもヴィイの力で最も脆い弱所へと変質させられていたのだ。
だが、ゴルゴーンの最後の抵抗は、あろうことか組み付いたアナを自身諸共焼き尽くさんとする自爆であった。
顔が焼け爛れ、美貌が崩れ去るのも承知で首筋に立つアナへと熱線を放ったのである。
ヴィイによって弱体化させられたゴルゴーンの肉体はそれに耐え切ることができず、あれほど荒れ狂っていた魔力が急速に萎んでいった。
最後の自爆によって霊核が砕けたのだ。
「アナちゃん!」
「まずい、さっきの攻撃で床に亀裂が……戻れ、アナ!」
叫ぶが、アナは首を振った。もう間に合わないと言いたいのだ。
納得できないカドックは駆け出すが、情けないことに足を縺れさせて倒れてしまう。
こちらの意を汲んだ立香がすぐに後を追ったが、床の亀裂は瞬く間に広がっていき、彼が駆け付けるよりも早く轟音を立てて崩れ落ちてしまった。
暗闇へと落ちていく寸前、カドックのぼやけた視界に映ったものは、穏やかな笑みを浮かべているアナの顔であった。
□
戦いは終わった。
三女神同盟最後の一柱。
魔獣の女神ティアマト神の化身――複合神性ゴルゴーン。
世界を呑み込まんとした復讐者は遂に倒されたのだ。
たった一人の、まだ罪を犯してもいない小さな子どもを道連れにして。
『ゴルゴーン、アナ、霊基反応の消失を確認。残念だけど…………』
通信機越しにロマニの悲痛な声が聞こえてくる。
敵を倒したのに、誰一人として喜びを露にする者はいなかった。
アナの正体を知った今、こうなることは必然であったと思えても尚、悔やまずにはいられない。
あの娘はまだ何も成していない。
魔獣として勇者を屠ることも、復讐者たる複合神性へと変じた訳でもない。
自らが犯す罪すら知らずに生きていた幼い少女だったのだ。
なのに彼女は、ゴルゴーンの憎悪を自らの罪として受け入れ共に逝くことを選択した。
堕落し、血肉を貪る魔獣へと変じてしまった発端。まだ女神であった
あんな風に汚れてまで守りたいと思った姉への思いは決して間違いではなかったと、自らの未来に言い聞かせるために。
「これを……」
立香が懐から取り出し、2人が消えた穴へと投げ入れたのは、花屋の老婆から預かった花冠だった。
あの後、老婆からの伝言と共に渡したのだが、アナは受け取ってはくれなかった。
彼女の孫は北壁での戦いで死んだ兵士だった。だから、自分には受け取る資格はないと。
だからと言って捨てることもできず、いつかアナが自分を許せる時がくればと思い、立香が預かっていたのだ。
「手向けの花……悲しいけど、それぐらいあってもいいわよね、あの娘には」
「はい……アナさんに、とても似合っていたと思います」
「私達、あの娘にちゃんとできていたかしら……辛い思い、させていなかったでしょうか?」
「信じるしかないさ。あの娘は……」
笑っていた、と言うことができなかった。
見間違いかもしれない。
脳が見せた幻覚かもしれない。
やがて人間を呪い、憎むことになる女神の幼体。
果たして彼女が自分達と一緒にいて、何を思っていたのか。
答えを出すことができず、カドックは無言で傍らのパートナーを抱きしめていた。
「これで残るはキングゥのみ。彼から聖杯を奪い取れば全てが終わる」
マーリンが静かに呟くと、背後から足音が聞こえた。
振り返ると憤怒の表情がそこにはあった。
白い装束と緑の髪。
魔獣達を従える司令官にして、かつての神造兵器。
ティアマト神の子、キングゥがそこに立っていた。
「…………そうか、間に合わなかったか。まんまと君達に乗せられてしまった訳だ」
淡々と、キングゥは言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
そうしなければ我が身を抑えられないとばかりに、キングゥは煮え滾る激情を鎮めながらこちらを一瞥してきた。
ひとりひとり、その顔を丹念に見つめながら、決して忘れてはならぬと心に刻み込むかのように。
「あの幼体がいないということは、我が身を犠牲にしたか。女神と言っても所詮は旧い世界のものだったね。新世界に残るだけの美しさはなかった、という訳だ」
「ほう、美しさとは何を指すのかなキングゥ。外見の造形かい? それとも内面の質の事かな?」
「…………減らず口は慎めよ、マーリン。ボクはとても怒っている。今までは義務として人間を排除してきたけど、今だけは違う。キミ達がとても憎らしい。これが怒りというものか」
「本当に、エルキドゥとは違うのね。アイツは最後まで兵器である事に徹し、感情で敵を殺すなんて事は一度もなかった。あのお母さまとやらは、そんなに大切だったんだ」
イシュタル神の言葉で、何かが噛み合ったような気がした。
今までの不可解なキングゥの行動原理。
人間の排除を行いながらも、ニップル市での戦いでは敢えてサーヴァントを見逃そうとしたこと。
それでいて、ゴルゴーンの窮地には我が身を省みず助け出さんとしたこと。
アナの存在がその全てに答えを出してくれた。
キングゥはゴルゴーンを生かしたかった、それは事実だ。だが、もしもニップル市においてアナが恐怖を振り払い、今回のように全力を出していればどうなっていたか。
キングゥはそれを避ける必要があった。アナ――メドゥーサという不確定要素がある以上、ニップル市でゴルゴーンが待ち構えることは何としてでも避ける必要があった。
だが、キングゥでは母たるティアマト神の化身を動かすことはできない。
聞き分けの悪い母親を諭すことはできず、さりとて彼女の意志を曲げずに守るにはどうすればいいか。
キングゥは危険な賭けに出たのだ。
敢えて戦力をニップル市に集中させ、ゴルゴーンがサーヴァントに対して脅威を感じさせる。
それで撤退してくれれば構わない。例え敵わずとも全力を出してくれれば、彼女は生き永らえるかもしれないと。
「どう思おうと勝手だ。ボクは彼女の憎しみと愛にシンパシーを感じた、それだけだ。そして、ゴルゴーンが消滅したことで、彼女が生み出した子ども達も自壊する。あれは厳密には生命ではなくゴルゴーンの魔力で生まれた合成獣だからね。おめでとう、魔獣戦線はキミ達の勝利だよ。けれど――――キミ達がそれを味わうことはない」
怒りのあまり感情が消え去った虚無の表情で、キングゥは言い捨てる。
直後、マーリンが顔を強張らせながら吐血し、膝を着いた。
「マーリン!?」
「……しまった、化かし合いにおいて、一枚上をいかれるとは…………」
マーリンの苦し気な呟きと共に、大きな揺れが足下を襲う。
立っていることすら困難な激しい揺れと共に、戦いの余波で崩れた天井から瓦礫が次々と落ちてくる。
咄嗟にマシュが盾でみんなを庇う中、キングゥは構えていた腕を下ろしながら憎々し気に言い放った。
「もう時間だ。ボクは結局、彼女に何もできなかった……母さんが目を覚ますその時まで、少しでも長く生きていて欲しかったのだけど」
(どういうことだ? キングゥの母はティアマト神の化身であるゴルゴーンではないのか?)
キングゥの口ぶりでは、まるでゴルゴーンとは別の脅威がいるかのようだ。
そのもう一つの存在によって三女神同盟は影から操られていたとでもいうのだろうか?
キングゥはそのための尖兵で、ゴルゴーンの子どもとして振る舞っていただけなのだろうか?
『シバ02、06、09、破損! その揺れは時空震だ! メソポタミア世界全てに起こっている空間断裂と推測される!』
「わ、わかるように言って!」
「世界が寝返り打っているんだ! 察しろ、馬鹿!」
怒鳴りながらも頭を回す。
状況は最悪だ。
こちらはゴルゴーンとの戦いで消耗している上、マーリンは負傷。しかも、ここは逃げ場のない神殿の最奥だ。
時空震もどんどん激しくなっており、このままでは鮮血神殿も崩れてしまうかもしれない。
「マーリン、キミは母さんに夢の檻を仕掛ける事で、その目覚めを先延ばしにした。しかし、眠りに落ちた母さんはボクに聖杯を与え、第一の息子としたんだ。であるならば、ボクの役目は何とかして母さんを目覚めさせる、だった訳だけど…………なに、簡単な話さ。生きている内に覚めぬ眠りなら、一度殺してしまえばいい」
「ゴルゴーンがティアマト神の権能を持っていたのは、コピーしたからではない。同調――本物のティアマト神と感覚を共有する事で獲得した百獣母胎……?」
(なっ……!?)
彼らが話す言葉の意味に気づき、戦慄を覚える。
ゴルゴーンは確かにティアマト神の化身であった。だが、それは能力を模倣したからではなく借り受けたから。
ここではないどこかに、今も眠りについているのだ。全ての生命を生み出す礎となった原初の女神。メソポタミアの天地を支え、大地となった万物の母が。ティアマト神が。
それが今、眠りから目覚めようとしている。
生きている内には決して覚めない眠り。その神格が強力であればあるほどうってつけの呪いだ。
だが、感覚を共有しているゴルゴーンが消滅したのなら、その感覚もまた向こうには伝わっているはず。
するとどうなるか。
生きている内には目覚めないはずのそれは、疑似的な死を体感したことで生死を誤認し眠りから解き放たれる。
それこそが、キングゥの真なる狙い。
魔獣司令官が母と慕う本物のティアマト神の復活だ。
「キミは微睡む彼女の夢の中で、無残に握り潰されたのさ。そして、三女神同盟による時間稼ぎも遂に終わった。我らの本当の
高らかに神の復活を宣言するキングゥに同調するかのよに、時空震は激しくなっていく。
その日、世界の片隅で悍ましい産声が上がったことを、彼らはまだ知らない。
霊子譲渡+時に煙る白亜の壁+夢幻のカリスマ+シュヴィブジック=疾走・精霊眼球
ふと気になったけど、ヴィイの魔眼ってアキレウスには効くんでしょうか?
効くとしたら踵の当たり判定が広がるとかですかね?
さすがに問答無用で無敵貫通にはならないでしょうし。
次はプリヤイベですね…………課金か(棒)