Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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絶対魔獣戦線バビロニア 第19節

ボロボロの体を引きずりながら、立香はギルガメッシュ王が待つジグラットへと帰還した。

魔力の消耗により意識は遠退きかけ、四肢も鉛のように重い。できることなら、今すぐにでも眠りにつきたかった。

だが、状況はそれを許してはくれない。

度重なるラフムの襲撃、ティアマト神の目覚めと進撃、泥の津波による被害。

次々とメソポタミア世界を襲う災厄を前にして、自分達ができることを一つでも多く見つけなければならない。

残念ながら無知な自分ではそれを知ることは適わない。所詮は半人前以下の魔術師、数合わせのマスターだ。

だから、彼らの力を借りねばならない。

人類史に名を刻まれた、天下無双の英霊豪傑。

そして、この半年間を生き抜いてきたウルクの人々と、その頂点に君臨した英雄の中の英雄王ギルガメッシュ。

彼らの力を借りねば、この災厄は乗り越えることができない。

 

「戻ったな、カルデアの。先の戦いは見事であった、礼を言おう。だが、労っている時間は惜しい。まずは現状を纏める」

 

ギルガメッシュ王が言っているのは、平原での壁――ナピュシテムの牙での戦いのことだ。

泥の津波からウルクを守るために起動したナピュシテムの牙は、動作不良により壁がせり上がらなかった。

そのままでは泥の津波は隙間を乗り越えてウルクへと到達してしまうため、決死隊による修理が敢行され、偶然にもその場に居合わせた自分達は襲い来るラフムの群れから彼らを守ったのである。

迫りくる津波とラフム。絶望的な状況ではあったが、尊い犠牲によって自分達は生き延びることができ、ナピュシテムの牙も無事に修理することができた。

現在も壁は泥を受け止めており、作業員達が休むことなく補強作業を進めている。

それもこれも、命を賭して津波から壁を守り抜いた彼のおかげだ。彼の犠牲なくして、自分達はここに戻ってくることはできなかった。

それを思うと、先ほどのギルガメッシュ王の言葉も素直に喜ぶことができなかった。

 

「兵士長」

 

「ハッ! 現在、ウルク市に残った市民は三百六名。うち軍属が二百二名、残りは一般市民となります。市民達は避難を拒否したものの、王のお言葉もあり、先ほど北壁への避難を同意致しました。北壁に逃れた市民のうち、生存者は百五十七名。昼間のラフム襲撃の跡、北壁で生き残った兵士は三十八名――」

 

次々と読み上げられていく生存者の数を耳にし、気持ちが益々落ち込んでいく。

聞き間違いではないのだ。シュメルに残された人命は合わせて五百人強。ゴルゴーンとの決戦からまだ二日も経っていないにも関わらず、人類は絶滅の危機に瀕している。

例えこの災厄を乗り切ったとしても、国家としての再興は絶望的であろう。

事実上、ウルク第一王朝は崩壊したといえる。

その事実に誰よりも心を痛めていたのは、傍らに立つマシュだ。

心優しい盾の騎士。未熟な自分のパートナー。彼女は他者の痛みや不幸に誰よりも敏感で、強い共感を覚える。ましてやウルクでの滞在は今までの特異点よりも遥かに長く、そこに住まう人々と多くの交流を結んだ。その心痛は察するに余りある。

ギルガメッシュ王もそれを感じ取ったのか、彼女を気遣うように言葉を付け足した。

 

「案ずるな。我らが滅亡しようとシュメルの文化が生き残れば、後に続くものが現れよう」

 

国は滅んでも人がそこにいる限り、新たな国をまた興す。それは歴史が証明している。

人類史は戦いの歴史であり、隆盛と衰退の行進曲(マーチ)だ。生きたいという願いが続く限り、人類に終わりは来ない。

それは同時に、自分達カルデアの双肩に重い責任が課せられていることも意味していた。

この特異点を乗り切れても、魔術王の企みを――人理焼却を防げねば、ウルクの民の願いも無へと焼き尽くされてしまうのだ。

 

「続けるぞ。次にラフムだが、奴らの行動は二つに分かれた。日没と共にその場で球体となって停止するもの。母なるティアマトの下に飛翔し、この周囲を守護するものとにだ」

 

自分達がこうして顔を突き合わせて話し込むことができるのも、その習性のおかげだ。

だが、恐らくは次の夜は訪れない。僅か二日で数千人もの命が奪われたのだ。明日の戦いが泣いても笑ってもこの特異点での最後の戦いとなるだろう。

こちらが全滅させられるか、起死回生の手段を見つけてティアマト神を倒すか、そのどちらかだ。

 

『ティアマトのスペック、能力は提出した資料の通りだ。藤丸くんの端末にも転送しておいたから目を通しておいて欲しい』

 

言われて、支給品の端末からティアマト神の個体情報(マテリアル)を呼び出す。

観測データが変動するため、正確な全長や体積は不明。目視では数百メートル前後と認識可能。

保有する魔力量は聖杯七つ分を遥かに上回る魔力炉心が最低でも十一基あり、外宇宙すら航行可能。

胎内に膨大な生命原種の種を貯蔵しており、無から生命を大量に生み出すことができる百獣母胎の権能。

生命はおろかサーヴァントすら飲み込み黒化させることで支配する細胞強制の権能。

環境に適応し自身の肉体を作り替える自己改造、治癒というレベルを調節した細胞レベルでの増殖力、etc。

読んでいて頭が痛くなるような情報ばかりだ。付け入る隙というか、弱所になるものが一切見当たらない。

 

「ええい、貴様ティアマトの太鼓持ちか!」

 

『ボクだって攻略法の一つぐらい書きたかったよ! でも、これが現実なんだってば!』

 

曰く、ティアマト神は物理的にも神話的にも欠点のない完全な存在。現状では太刀打ちのしようがないとのことだ。

そう涙目で訴えられては、さすがのギルガメッシュ王もあまり強気には出れないのかロマニを気遣うように下がらせる。

実際、ロマニは自分にできることを精一杯やっている。その上でそれ以上の成果を求めるのは酷というものだ。

 

「あのスピードだと岸に上がるまで半日、岸からウルクに到達すまで一日と見たわ」

 

スーツ姿のジャガーマンの言葉は、まるで追い打ちをかけるかのようだった。

もちろん、彼女も絶望を煽りたいのではない。ただ事実を口にしているだけだ。

自分達に残された時間は凡そ二日。その間に何らかの手段を講じなければ、メソポタミア世界の崩壊が決定するのだ。

 

「流石に早いな。もはや迎撃以外に策の打ちようがないか」

 

「……どうして、ティアマトはまっすぐウルクに?」

 

端末に表示されているティアマト神の進行状況に目を通しながら、立香は思い浮かんだ疑問を口にする。

神話にはあまり詳しくはないが、ティアマト神を封印()したのは古代の神々のはずだ。ならば、怒りの矛先はこの時代に唯一、存在する神格であるイシュタル神に向かうのではないだろうか?

そう問いかけると、ケツァル・コアトルは静かに首を振った。

前提が違う。ティアマト神は神や人を恨んでいるのではない。

彼女はただ、生命の母として返り咲きたいだけ。そのために邪魔な現世の生命を全て滅ぼすつもりなのだと。

 

「この(まち)とギルガメッシュが、シュメルという文明の象徴。ティアマト神は私たちとは違う視点でものを見ていて、彼女からしてみれば、人間も土地も一つの命に違いはないの」

 

「ウルクがこのメソポタミア世界の心臓部って訳ね。納得した……私の神殿があるエビフ山がなくなったところで、人間の文明は続くもの。でも、ウルクとギルガメッシュのバカがここで消えてしまえば、メソポタミアの文明そのものが消えてしまう」

 

「そういう事だ。人類史を守りたければ、貴様らは何としてもティアマトを止めねばならん」

 

そうなると、やはり問題になるのはどうすればティアマト神を倒せるのかということだ。

あれほどの巨体と保有魔力ではこちらの攻撃など虫に刺されたようなものだろう。

ギルガメッシュ王の奥の手、ナピュシテムの牙も足止め程度にしか機能しない。

カドックやロマニの言葉を借りるなら、存在としてのスケールが違うというのだろうか。

マルドゥークの斧ならば通用する可能性もあるが、あれは現在、ゴルゴーンの鮮血神殿跡地に放置されたままだ。今から取りに行っていたのでは、ティアマト神の襲来に間に合わない。

加えて鮮血神殿にぶつけた際に亀裂が入ってしまい、持ってこれたとしても神殺しの力がどこまで発揮されるかわからない。

やはり、今ここにある戦力だけでどうにかするしかないようだ。

 

『その事について、少し言いにくいんだが……最初にティアマトと遭遇した際に、奇妙なデータを観測したんだ。それを調べたところ、ビーストの特性についてわかったことがある』

 

「ほう……言ってみろ」

 

『ビーストの特性にはそれぞれ個体差があると思われるけど、その中でもティアマトは生まれつき「死」を持たない。彼女には何をやっても生命としての死が訪れないんだ。海上で遭遇したティアマトの影――頭脳体とでもいうべきかな、あれはこちらを認識した瞬間、カルデアの計測器がティアマトの死を観測した。にも拘わらず、彼女は今も健在だ』

 

「それは単なる蘇りではないのか?」

 

『いや、数値の変化を見る限り、あれは再生というより逆行だった。乱暴な仮説ではあるんだが、ティアマトは現存する全ての生命の母だ。ボク達が生きている、という事自体が彼女の存在を証明してしまう。だから、滅びる事がない』

 

逆説的にではあるが、地上にまだ生きている生命がいる限り、ビーストⅡ(ティアマト)に死は訪れない。彼女はこの地上で最後に死ぬ事で、ようやく通常の物理法則を受け入れるのではないのかとロマニは言う。

仮にその仮説が正しいとなると、自分達ではどうやっても勝ち目がない。ティアマト神を倒すには、まずこの地球上から人類を含む全ての生命が死に絶えなければならないからだ。

太古の神々が、どうしてティアマト神を虚数空間に封印したのかもこれで説明がつく。彼らはティアマト神を殺すことができなかったのだ。

母を殺すためには自らが支配する基盤である世界そのものを滅ぼさねばならない。それでは意味がないのだ。

 

「……まだ生きている命がある限り、ティアマトは倒せない……じゃあ、その逆は?」

 

うまく言葉にできないが、引っかかりがあった。

そう、自分達は例外を知っている。

生きているものが一切、存在しない世界をつい最近、体験してきたではないか。

 

「その通りだ。(オレ)と同じひらめきとは、小癪な奴よ」

 

渾身のドヤ顔で決めるギルガメッシュ王は、まるで従者を呼ぶかのように手を叩く。

呼び出す相手は冥界の女主人エレシュキガルだ。ゴルゴーン討伐のために同盟を結んだが、冥界を離れることができないため、彼女は鮮血神殿での決戦には参加できなかった。

ティアマト神という未曽有の災厄を前にして、遂に彼女にも役割が回ってきたのである。

 

「うるさいわね、軽々しく女神の名を呼ぶものではなくてよ!?」

 

甲高い声を響かせながら、ギルガメッシュ王の隣に鎮座していた石板に煙のようなものが立ち込める。

それはやがて冥界に詰めているエレシュキガルの姿を形取った。

どうやら冥界の通信機器のようだ。どうも忙しい時に呼び出してしまったのか、今のエレシュキガルは癇癪を起したイシュタル並みに苛立っている。

 

「こっちは昨日から魂のケアに忙しいの。あなたの話し相手になるために冥界の鏡を貸し与えたのではなくって――――」

 

「おい、こっちに来い」

 

何故かギルガメッシュ王に呼ばれ、鏡の前に立たされる。途端に、半透明なエレシュキガルの頬がニンジンみたいに真っ赤になった。

 

「やあ」

 

「――――ちょっと待ってて」

 

一旦、煙が霧散してエレシュキガルの姿が消える。

何か気に障るようなことでもしただろうかと首を傾げるが、ギルガメッシュ王は含み笑いをするばかりで答えてはくれない。

後ろを振り返ってみたが、こちらは何とも言えない曖昧な笑みを浮かべていて何故か聞きにくい空気を醸し出していた。

 

「……こほん」

 

程なくして、エレシュキガルの姿が再び鏡に映し出される。

 

「冥界の女神エレシュキガル、華麗に参上したわ。私に何か用かしら、ウルクの王」

 

「エレシュキガルさん、物凄く優雅に登場し直しました」

 

彼女の思惑を知ってか知らずか、マシュは感嘆の声を上げる。

実際、改めて姿を現した時のエレシュキガルの振る舞いは、指先の動きから声の張りまで計算し尽くされたかのように美しかった。正に女神ならばどんな時でも余裕をもって優雅たれ。

残念ながらその行いに秘められた意図は半分も相手に伝わっていないのだが、それに当人が気づくことはなかった。

 

「うむ、貴様を呼んだのは他でもない。実は一つ、頼み事があってな。現在、ティアマト神がウルクに向かっている。到着まで丸二日というところだ。これを倒さねばメソポタミアは滅びるが、ティアマト神は地上に命がある限り死なぬ。そこで冥界の女主人よ。ティアマト神の接待を貴様に譲ってやろうと思ってな」

 

万物の母であるティアマト神は、この世界に生命が残っている限り死ぬ事はない。

だが、それはあくまでこの地上での話。冥界には生きている者は一切存在せず、またそこに生者が出向いても生きているが故に冥界の一員としては計算されない。

それならばビーストⅡの特性も働かず、ティアマト神を倒すことができるのではないだろうか。

 

「は? 突然、何を言っているのだわ、アナタ? 母さんを冥界(うち)に呼ぶ? 落とすの? ここに落とすつもりなの!?」

 

そうなるよね、と立香は苦笑する。

言い方は酷いが、このメソポタミアの危機は冥界にとって対岸の火事だ。

それがいきなり、災厄の大本を今からそっちに誘導するからよろしくね、と言われたのだから驚くのも無理はない。

だが、これが現状で最も有効である可能性が高いのだ。

 

「冥府の女神、エレシュキガルよ! 王の名の下に貴様に命じる! このウルク全土に冥界の門を開け、ティアマト神を騙る災害の獣を地の底に繋ぎ止めよ! それが三女神として狼藉を働いた貴様の役割、唯一の罪滅ぼしである!」

 

「む――無理も無理、ぜったい無理! ウルクの下に冥界を持ってこいって言うの!? そんな無茶が出来る訳ないでしょう!? まあ、やるしかないけど!」

 

「やるんだ?」

 

思わず、聞き返してしまう。

仕組みはいまいちわからないが、この時代の冥界は地上と地続きになっている。

現在、クタ市の地下にある冥界を、いくらメソポタミアの危機とはいえ、一日そこらでウルク市の真下まで移動させることなどできるのだろうか?

 

「だって、そうしないとメソポタミアが滅びるじゃない。今まで話はちゃんと聞いていたから、あなた達が地上に戻ってから、割と、ずっと。だから、ギルガメッシュ王の話は分かるわ。正直、そうきたか、とさえ思ったわ」

 

「であろう、であろう。やはり冥界の方はいい。天の方は反省せよ!」

 

そこは素直に称賛だけにしておけないのですかね、英雄王。後ろから何だかとても痛い視線がビシビシと突き刺さってきているのですが。

 

「でも! 納得がいっているのと、やるかやらないかは別の話よギルガメッシュ! ウルク全土を覆う死の穴なんて、そんな簡単に準備できると思うのかしら!? 私の管轄であるクタ市だけでも大変だったのよ。本来なら十年かけてもギリギリね。まあ、ウルク憎しでずっと前から企んでいたから、三日もあれば準備できるけど!」

 

そこは素直にならず、こんなこともあろうかと準備しておいたと見栄でも張って、できる女をアピールするべきじゃありませんかね女神様。

 

「ま、まあ、タイミングとしてはこの上なくナイスというべきかな?」

 

「そ、そう? 地道に毎晩、呪ってきた甲斐があったわ!」

 

顔を綻ばせながら胸を張る冥界の女主人。

煽てに弱いところは何だかんだでイシュタルと姉妹なのだろう。或いは、依り代の少女の影響が強いのか。

何れにしてもこれでティアマト神に対抗する目途が立った。

どこまで通用するかは出たとこ勝負だが、やってみるしかない。

後はエレシュキガルが冥界の移動を終えるまで、如何にしてティアマト神を足止めするかだ。

 

「案ずるな、もはや勝ち筋は見えた。こちらにはイシュタルがいるのだからな」

 

『ああ……! そうか、女神イシュタルなら確かに!』

 

ギルガメッシュ王の言葉の意図に真っ先に気が付いたロマニが同調し、次いでケツァル・コアトル達も順にそれに倣う。ただ、エレシュキガルだけは半身が持て囃されることを気に入らないのか不服そうに顔を背けていた。

彼らが期待しているのはイシュタル神が従える天の牡牛の登場だ。

グガランナと呼ばれるその牡牛は山の如き巨体を誇るシュメル最大の神獣と呼ばれており、神々ですら手懐けられない災厄にも等しい存在だと、いつだったかカドックやマシュが言っていた。

それほどの異名を持つのなら、ティアマト神とて足止めすることは可能なはずだ。というか、個人的にすごく見たい。

ティアマト神対天の牡牛グガランナ。女神が勝つか? 神獣が勝つか? 世紀の大決斗。シュメル中を暴れ回る二大巨神。

浪漫があるじゃないか。

今、この瞬間ならジグラッドを踏み砕いて現れたとしても拍手喝采で迎えられるだろう。

 

「グガランナ! グガランナ!」

 

「イーシュタル! イーシュタル!」 

 

「う、ぐっ……!」

 

いつの間にか始まった呼びかけに、イシュタル神はたじろぎを見せる。

とても気まずそうに顔を逸らし、目線は逃げ場を求めるようにあちこちを彷徨う。

勿体ぶっているだけ、とは思えなかった。イシュタル神の性格ならここまで持ち上げられれば高笑いと共に自慢が始まってもおかしくないというのに。今はまるで、皿を割ってしまった子どものように縮こまっている。

嫌な予感がした。

ギルガメッシュ王が私財を叩いてまでイシュタル神を仲間に引き入れた一番の理由は、彼女がグガランナを所有しているからだ。

それほどまでにグガランナは強力な存在なのである。

だというのに、これはまさか――――。

 

「おい、貴様……まさか――」

 

恐る恐る問いかけるギルガメッシュ王に、イシュタル神は力なく項垂れる。

唇から漏れた謝罪は、やはりと言うべきか予想通りのものだった。

 

「……はい。ありません、グガランナ。ないの、落としたの! どっかで無くしちゃったのよ!」

 

その言葉に、一同が絶句した。反目しているエレシュキガルですら、同情の眼差しを向けたほどだ。

それほどまでにイシュタル神の姿は痛々しく、見ていられないものだった。

無敵のティアマト神を打倒しうる唯一の可能性。それが手の平から虚しく零れていったのだ。

 

「――――よし、解散だ! 作戦会議は一旦休憩とする! 嘆いたところでどうにもならぬ。対抗策はないが焦るのも愚の骨頂。夜が明けるまで各々、英気を養うのだ!」

 

呆れ果てたギルガメッシュ王の宣言と共に、その場は解散となった。

 

 

 

 

 

 

夜明けまでの数時間は、完全なる自由行動となった。

恐らくはウルクで過ごすことになる最後の穏やかな夜。明日より先は絶望に抗い、未来を勝ち取るための戦いだ。

ウルクで過ごした思い出に馳せ、懐かしむことができるのも今夜限りである。

 

「はあ、久しぶりのお家は落ち着くニャ。毛皮も何だか久しぶり……」

 

「本当、珍しいもの見たデース。暢気なジャガーが彼のことになるとあんなにも真面目になるなんて」

 

「そりゃ、教え子(信者)ですからね。ジャガーも一生に一度くらいは本気になるニャ。ククルんもそうでしょ?」

 

「ええ、そうね。本当、シュメル(ここ)にきて良かった。強い子に会えて……」

 

ある者は気心が知れた者同士で語り合い。

 

「北壁でレオニダスさんが言っていました。わたしが戦いを恐れるのは、大切なものが多いからだと。けれど、それは弱さではなくて、その恐怖を乗り越えた分だけ強くなれると……わたしの盾は何ものにも負けぬと」

 

「へえ、素敵なサーヴァントね、その人。きっと理性の塊みたいな人だわ」

 

「はい、素晴らしい方でした。英霊の方々はみんな素晴らしい人達で、そんな人達にここまで多くの事を教えられてきたわたしは……本当に幸運です」

 

「そう。それで天文台(カルデア)なのね。あなた達が観測しているのはあの夜空の星の光と同じ、遥かな過去、遥かな時代に輝いた誰かの人生を、何前年も経った現代で受け取っているのね」

 

ある者はこれまでの旅路と明日の戦いに思いを馳せ。

 

「世界の終わりだ、自らの思うままにするがいい」

 

「待って……分からない、それはどういう…………」

 

ある者は迷いを抱えたまま明日へと生かされ。

 

「急ぐのだわ。ここでやらなきゃ冥界の女主人の名折れよエレシュキガル」

 

ある者は自らの贖罪に奔走し。

 

「君が残してくれた一日だ。大事に使うよ……カドック」

 

ある者は隣にいない友に誓いを立てた。

決戦は明日、最後の夜は静かに更けていった。

 

 

 

 

 

 

グガランナの紛失という予期せぬ事態に会議は中断となったが、王に休みはなかった。

残された時間は僅かだが、やらねばならないことは余りに多い。

ティアマト神やラフムを迎撃するための準備、冥界の移動に関するエレシュキガルとの打ち合わせ、残された戦力であるカルデアと神霊達をどのように使うのか、そして自身が垣間見た最後の未来視をどのような形で実現させるのか。

冷静を装っていても焦りは少しずつ大きくなる。自然と声音も大きくなっていた。

 

「なに、エレシュキガルの指定と冥界の地図とが一致しないだと? 冥界の資料ならば祭祀場の資料庫にある、急いで搔き集めてこい! いや、ディンギルの配置は今のままで良い。城壁の全方位に取り付けておけ。ティアマト神の迎撃は南門と東門のディンギルで行う。それと……」

 

途中で言葉を切り、ギルガメッシュはその場に現れた人影に向けて目を細める。

 

「貴様ら、少しばかり席を外せ。カルデアの使者が来た」

 

兵士達に休息を取るように命じ、玉座の間から下がらせる。代わりにやって来たのは特異点修復のために未来からやって来たカルデアのマスターとサーヴァント。藤丸立香とマシュ・キリエライトだ。

 

「少しはマシな顔色になったな。一人になれば、あやつを失ったことに今更ながら泣き崩れているかと思ったが、その様子であれば明日はいっそう酷使できるというもの」

 

「ははっ、内心じゃ堪えてますけどね。目の前からいなくなられるのは、辛いですよ」

 

「よい。心を痛めぬのと何も感じぬのは天と地ほどの開きがある。その弱さは嘆かわしくとも卑下するものではない。それで、今夜はどうした? 殊勝にも最後の挨拶に来たか?」

 

「いえ、最後にはなりませんよ」

 

「フッ、言うではないか。これは(オレ)も一本取られたな」

 

ニヤリとギルガメッシュは口角を吊り上げる。

口にはしないが彼らはよくやった。エビフ山の女神詐欺、密林の大決闘、冥界下り、ゴルゴーン討伐にティアマト神との邂逅。

どれか一つだけでも凡百の英雄に匹敵する所業を、彼らは見事に乗り越えて見せた。後はティアマト神を打倒し、仲間の待つカルデアへと戻るだけだ。

余所の時代からやって来た、このシュメルにとって不要なもの、余計なもの。だというのに彼らは腐ることなくへこむことなく日々を懸命に生き、今日までを生き延びたのだ。

これは、無事に事が済めば何か土産の一つでも賜らせねばならないかもしれないなと、ギルガメッシュは考えた。

 

「それで、本当に挨拶だけか?」

 

「…………」

 

今度は答えは返ってこなかった。

何かを言いたそうに口を開けたが、すぐに言葉を飲み込んで目を逸らしてしまう。

思い悩んでいるのだと容易に察することができた。

既にウルクは死に体。多くの市民が死んだのは、ティアマト神を解放してしまった自分達のせいだと。

 

「阿呆め。雑種なりに責任を感じているようだな。愚か者、そのような慚愧、千年早いわ。そも思い違いも甚だしい」

 

彼らの誰もが思ったことだろう。シュメルの民はたったの五百人しか生き残っていない。それは違う。五百人も残った、という方が正しい。

何しろ、以前に千里眼で垣間見た「今」は、ここにいるのは自分だけであった。

三女神同盟との戦い、そしてティアマト神の復活によりシュメルは滅び、崩壊したウルクには一人残された王だけが最後の時の迎えていたのだ。

確かにウルクの滅びは変えられない。何をしたところで国はなくなり、生き残った五百人も明日には全て死に絶えてしまうかもしれない。

それでも、五百人もの命が残ったのだ。

それは誇るべき偉業であると、王の名を以て断言しても良い。

 

「ギルガメッシュ王、貴方はやはり、知っていたのですね。この結末を、ウルクが滅びる事実を知っていた。その上でこれまで戦ってきたのですか?」

 

マシュの問いかけに、ギルガメッシュは静かに頷いた。

 

「そうだ。魔術王めが聖杯をこの時代に送り、虚数空間からティアマト神が引き上げられた。その時点で(オレ)は未来を視り、民達に伝えた。ウルクは半年の後に滅びる。これは変えられぬ結末だと」

 

それでもウルクの民は戦うことを選択した。

王と共に、定められた滅亡を受け入れた上で抗うことを選択した。

その結果が、今のウルクだ。そして、そこにカルデアという異物が加わったことで、その終わりにも変化が訪れた。

 

(オレ)は女神達は倒さずとも良いと思っていた。アレらを倒したところでティアマト神は現れる。三女神どもは共に自滅するという確信もあった。だが、貴様達はウルクの民を助け、この地を(いつく)しみ、女神どもとの対決を選んだ。それがこの結末を招いたのだ。本来死ぬべきであった五百人もの命を救った。それは誇ってよい事だ。決して無駄な事ではない」

 

そこで一旦、言葉を切る。

小うるさい同輩が口を挟まないところをみるに、休んでいるのか多忙過ぎて会話の内容にまで手が回らないのだろう。

なら、余計な口を挟むのに丁度いいかもしれない。

彼らはここまでの旅路で多くの善行を積んできたが、一つだけ大きな勘違いをしている。

ロマニの奴はいらぬ負担をかけまいと伏せていたのだろうが、ここまでの旅路を乗り越えてきた彼らならばそれも受け入れられるはずだ。

 

「藤丸、マシュ……できればカドックにも話しておきたかったが、それはもう叶わぬか。貴様らが向こうに行ったら教えてやれ。人理と特異点の話だ」

 

「特異点の、ですか?」

 

「そうだ。貴様らはこれまで、六つの特異点を旅してきた。そこでは多くの戦いがあっただろう。しかし、聖杯を回収し人理定礎を修復すれば、その特異点で起きた損害は全てなかった事になる――――そう教わったな?」

 

「はい」

 

「特異点で起きた出来事は人理焼却さえ解決すれば、その時点で全て修復され、わたし達の活動は誰の記憶にも残らない、と」

 

やはり、とギルガメッシュは内心でため息を吐く。

あいつらしいといえばあいつらしいが、それでここまで特異点の修復を続けてきたというのなら、お目出度いを通り越して彼らが哀れですらある。

そうではないのだ。

死した命は何があろうと戻らない。生と死は不可逆であり、なかった事になどならないのである。

特異点は誤った歴史である。このシュメルでさえそれは例外ではない。そも正史に南米の女神やギリシャの堕ちた女神が災厄を引き起こすなど、天地が引っくり返ったところで起こりえるはずもない。

しかし、同時に世界はその誤った歴史ですら人類史として許容する。そのために、見えざる手が因果の辻褄を合わせるのだ。

 

「例えば邪竜に殺された者がいるとしよう。人理焼却を防ぎ、特異点が消え去ったとしても、その者は死んでいる。邪竜に殺された事実が獣に殺されたものとして扱われるだけだ」

 

このウルクも同じ。例えティアマト神を倒し、特異点を解除したとしても、ウルク第一王朝は滅びる。

それが神によって滅ばされたのか、衰退によって後に譲ったのか、解釈が変わるだけなのだ。

 

「それじゃ、今までの戦いは……俺達が……あいつが守ってきたものって……」

 

問い質さんとする少年の顔は、泣いているようにも怒っているようにも見えた。恐らくはその両方だ。

自分と友が今までしてきたことが無為だったのかという嘆きと、これまで取り零してきた命の重さを改めて突き付けられたことで足が震えていた。

これでは、何のためにあの少年は自分達を庇って命を散らせたのかとカルデアのマスターは訴えた。

その嘆きにギルガメッシュは眩しい物を見た気がした。

小さく、儚く、それでいて誰もが持つ勇気の灯火。

彼が何故、ここまで折れずに歩いて来れたのか。そして、あの詰まらない小心者が曲がりなりにも神霊を引き付けるほどの大番狂わせを起こせるまでに至ったのかを理解した。

故に王として言葉を紡ぐ。

星詠み達に、その旅路に意味はあったのだと示すために。

 

「何もかもなかった事ではない。胸を張れと言っただろう。貴様達は多くの命を本当に救ってきたのだ。何もかも元に戻るから、などという考えに惑わされず、目の前の命を頑なに、不器用に救ってきた。その結果がウルクの今だ。貴様達の選択には、全て意義があったのだ」

 

そも自然界において犠牲のない繁栄は有り得ない。損益というものは常に合っているのだ。ただ、それが目に見える形で表れないだけで。

例え魔術王が聖杯で世を乱さずとも、それと同じだけのマイナスがあるだろう。その天秤の善悪はその時代の道徳が計り、最終的な価値は歴史となって後の世で裁定される。

人類史とはそのようにして続いていくものなのだ。

 

「藤丸立香……そして、カドック・ゼムルプス。貴様達が何のために戦い、何を護り、どのような人間だったのかは、(オレ)にも貴様達にも計れぬ。それは後に続く者が知る事だ。であれば、今は自らが良しとする道を行くがいい」

 

「――――はい。心に命じます、ギルガメッシュ王」

 

「ありがとうございます、王様」

 

先ほどまでの俯いた暗い顔はもうなかった。

自分達が救えなかった命は決して返って来ない。だが、それでも救おうとしたことに意義はあり、また多くの命をこの手で救う事もできた。

これまでの旅路は決してなかったことにはならず、足跡を残しているのだという事実が顔を上げる力を与えたのだ。

その笑みに愉悦を禁じ得ない。

掴み切れぬ大望の先を目指し、ひたすらに万進する様は、苦難に足掻く様を見届ける事のなんと愉しいことか。

これだから人間は面白い。遠い未来の果てに、こうも自分を愉しませてくれる者がいるのなら、今日まで続いたウルクにもまた一つ、新たな意義が加わるというものだ。

 

「まだ結末は見えていないが、この時点で及第点はくれてやる。明日はいよいよ大詰めだ。最後の戦い、愉しみにしているぞ?」

 

本当に、土産は一つ趣向を凝らしてやらねばならないなと、ギルガメッシュは内心で独り言ちるのだった。




すこーし時間は跳びました。
前回と今回の間に何があったかは、後日ということで。

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