Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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絶対魔獣戦線バビロニア 第21節

その身を燃やし尽くし、ティアマト神へと挑んだケツァル・コアトルの体が泥の海へと落下する。

音速を超える衝撃での飛び蹴りは、ティアマト神を僅かに揺るがすだけに終わってしまった。

その反動は彼女の体を致命的なまでに破壊し尽くし、もはや指先一つ満足に動かすことができない。

火の鳥は再び空へと舞い上がることができず、大地の力に引きずられるままどんどん加速していった。

立香達が彼女を救わんと奮闘するも、後少しというところでラフムに阻まれてしまい、近づく事が出来ない。

山のような巨体が音もなく現れたのは、正にその時であった。

 

「まさか、あなたが……」

 

「ゴルゴーン!? いえ、それと肩には……」

 

思いもよらぬ救援。それは鮮血神殿で消滅したはずのゴルゴーンであった。

山のような巨体、引き込まれる美貌、蠢く紫の髪。衣装こそ黒から白に変わっているが、紛うことなき魔獣の女神だ。

そして、彼女の肩には、大使館で体を休めていたはずのカドックとアナスタシアの姿があった。

激しい揺れを物ともせず、二人は泥へと落ちていく女神の姿を真っすぐに捉えている。

二人が何をしようとしているのかを察した立香は、思わず叫んでいた。

 

「……いけぇっ! せんぱーい!」

 

黒い壁となって立ち塞がるラフム達を、ゴルゴーンの巨体が薙ぎ払う。

腕の一振りがラフムの壁を抉り、無数の蛇と化した髪が空を飛ぶベル・ラフムを次々と噛み砕きながら、強引に黒い守りを抉じ開けて前へ前へと進撃する。

ただひたすらに、一直線に泥の上を駆け抜ける。

 

『ケツァル・コアトルを助ける気なのか! だが、届かない!』

 

群がるラフムを物ともせず、ティアマト神へと迫るゴルゴーンではあったが、その速度ではケツァル・コアトルの着水の方がほんの僅かに早い。

だが、それは百も承知。元よりゴルゴーンはカドック達を運ぶためにラフムの壁を突き抜けたのだ。

落ち行く女神を救うのは、最初からカドックとアナスタシアの役目。

ゴルゴーンはそのままティアマト神へと体ごとぶつかっていき、彼女の歩みを全力で抑えつけている隙にカドックはケツァル・コアトル目がけて思いっきりゴルゴーンの肩を踏み切った。

 

「跳んだ!?」

 

「いえ、ほんの少しだけ、高さが足りません!」

 

マシュの言う通り、カドックの跳躍では指先一つ分、距離が届かない。

伸ばした手は僅かにケツァル・コアトルの肌を撫でるに終わり、両者の体は眼下の泥に向かって落ちていく。

このままでは、二人とも死んでしまう。命を賭けてティアマト神に挑んだ女神と、危険を承知で助けに向かった少年が成す術もなくケイオスタイドへと沈んでしまう。

マシュの悲痛な叫びが木霊した。

 

「駄目です、届きません!」

 

「なら、向こうから届いてもらう! アナスタシア(キャスター)!」

 

「ええ!」

 

皇女の視線が因果を射抜き、その運命を書き換える。

重力に引かれるまま落ちていくだけであったケツァル・コアトルの体はまるで、時間が巻き戻るかのようにほんの少しだけ浮かび上がった。

因果を狂わす皇女の悪戯、シュヴィブジック。

それは時間にしてコンマに過ぎない刹那の時間であったが、その僅かな上昇が二人を近づけ、カドックはケツァル・コアトルの腕を掴むことができた。

 

「ヴィイ、二人を!」

 

影から這い出たヴィイが振り下ろされたゴルゴーンの尻尾を滑り降り、落下する二人を受け止める。

正に間一髪。後、ほんの少しでもタイミングがずれていれば、二人は泥の中に真っ逆さまであった。

 

「カドックさん、使ってください!」

 

マシュが立香の後ろに飛び移ると、乗っていた翼竜をカドック達のもとへと向かわせる。

ヴィイは二人を翼竜の背に乗せると、空気に溶け込むように消えてアナスタシアのもとへと戻っていった。

 

「……あなた…………」

 

「無茶をして……どうして、藤丸から魔力を貰わなかったんだ」

 

腕の中のケツァル・コアトルの体は消滅が始まっていた。

全力で宝具を発動し、魔力を使い果たした上で肉体にまで深刻なダメージを負ったのだ。

今からどんな処置を施したところで彼女は助からない。

だが、もしも彼女が立香から少しでも魔力を分けてもらっていれば、消滅だけは免れたはずだ。こんな、命を燃やし尽くすかのような無理をする必要はなかったはずだ。

 

「それは、女の意地といいますか……一応、マスターはあなたなので……」

 

「義理立てなんて、する必要なかったのに」

 

「えへへ、怒られてしまいました。私、師匠失格ですね。折角、あなたのコーチ(サーヴァント)になったのに、それらしいこと何もできなくて……」

 

「いや、あんたが飛ぶ姿は美しかった……見せつけてもらったよ、師匠(Maestro)

 

仲間でいられたのはほんの数日でしかなかったけれど、まるで鳥のように大空を舞う彼女の姿は不死鳥のように気高く美しかった。

南米の主神、ケツァル・コアトルの名に恥じない美しさだ。

見る者を魅了し、敵対する者には容赦のない一撃をお見舞いするプランチャー。

その羽ばたきに見惚れないはずがなかった。

 

「本当、ジャガーの言う通りね。その信仰は、ずるいデース……」

 

最後に太陽のような笑みを浮かべながら、カドックの腕の中でケツァル・コアトルは塵となって空へと還っていった。

 

 

 

 

 

 

激突する巨体と巨体。

ウルク市を目指し、ケイオスタイドと共に進軍する原初の母を、復讐者は渾身の力で押し返さんとした。

だが、如何せん体格に差があり過ぎる。大きいと言ってもゴルゴーンは精々が数十から百メートル前後。対して、ティアマト神は数百メートル以上もの大神体だ。

正に蟻と巨像。赤ん坊がどれだけ力を込めたところで大人の体を押し留めることなどできず、ゴルゴーンの体はジリジリとナピュシテムの牙に向けて押し返されていく。

 

「Aaaaa――aaaaa――――」

 

「行かせると思うな!」

 

怒涛の如く撃ち出された魔力弾がティアマト神の顔面を直撃。一発一発が神代の砦を容易く融解させるほどの恩讐が込められたそれは、ティアマト神をほんの少しだけ怯ませることに成功する。

更にゴルゴーンは魔力で生み出した無数の大蛇でティアマト神の体を縛り付け、無防備な胴体に何度も自身の爪を叩きつけた。

これまで数多の魔獣戦線の兵士達を引き裂き、その返り血で染められた凶悪なカギ爪は、さすがのティアマト神でもただでは済まないだろう。

そう思った刹那、音を立てて砕け散ったのはゴルゴーンの爪の方であった。

聳え立つ山は揺るがず、悠然と構えるのみ。

先ほどからのゴルゴーンの攻撃は、原初の母に僅かな傷すらも与えることができていなかった。

 

『ゴルゴーンでも駄目なのか……』

 

縛り付ける大蛇を引き千切り、ティアマト神は再び咆哮する。

同時に、大角から背面にかけて超抜級の魔力が凝縮されていく。

気の弱い者ならそら漏れ出た余波だけで気絶してしまうほどの魔力量だ。

原水爆すら越える魔力炉心は伊達ではないということか。

 

『ビーストⅡ、背部巨大骨格展開――飛ぶぞ! イシュタル、何か手はないのか!? メソポタミアの空はキミの領域だろう!?』

 

「あったらとっくにやってるわ! でも、私の弓じゃ原初の神性には通用しない!」

 

ケツァル・コアトルの攻撃がほんの僅かとはいえ通用したのは、彼女が神話体系の異なる神格だったからだ。

このメソポタミアの地で生れ落ちたイシュタル神では、そのルーツともいうべき母なるティアマトにどうやっても敵わない。

だからこそ、彼らにとって最後の希望はギリシャの女神たるゴルゴーンであった。

神格としては圧倒的に劣るゴルゴーンではあるが、彼女には貶められたことで手に入れた憎悪と魔獣としての力がある。

その首を断つために挑んできた多くの英雄達を葬り去った恐るべき膂力で以て、彼女は今にも飛び立たんとするティアマト神に背後から組み付く。

そして、我が身が砕けるのも承知で神性を全開にし、渾身の力を込めて両腕を振り抜いた。

 

「我が憎悪を……舐めるなぁぁっ!」

 

「Aaa――」

 

着水と共に、巨大な水柱が上がる。

周囲にいた者達は、信じられないものを見たかのように目を丸くした。

ティアマト神の脚ほどまでしかない大きさのゴルゴーンが、自分の何倍もの大きさのティアマト神を投げ飛ばしたのだ。

勢いに乗ったゴルゴーンは、そこからマウントを取ってティアマト神に一方的な拳のラッシュの叩き込む。

ダメージはなくともしつこく繰り出される攻撃に、とうとうティアマト神はその眼差しをウルク市から逸らし、ゴルゴーンへと向けた。

 

「Aaaaa――――aaaaa――――」

 

泥の中でもつれ合う二柱の女神。

暗雲立ち込める空に響くのは鈍い打撃音だ。

それはゴルゴーンの拳が砕ける音。しかし、構わず堕ちた女神は殴打を叩き込む。

爪が折れ、拳が砕け、腕の肉が弾けようとも怯まず、それどころか益々、魔力を昂らせてティアマト神の神体を砕かんと拳を振るい続けた。

 

「すご……母さんを力で負かしている……!?」

 

「ですが、今の余波でナピシュテムの牙が倒壊しました。ケイオスタイドがウルク市に流入します!」

 

仕方がなかったとはいえ、ゴルゴーンがティアマト神を投げ落としたことで大きな津波が発生し、その勢いをナピシュテムの牙はとうとう受け切ることができなかった。

見る見るうちに流れ込んでいく黒い泥は、牙の向こうでまだ無事だった緑の平原をどす黒い色で汚し、ウルクの城塞に何度もぶつかっては飛沫を上げた。

事前に兵士達は高所に陣取っているはずだが、向こうにもラフムは襲来している。果たして何人が無事でいるだろうか。

 

「離セ――離セ、離セ、離セ! 汚ラワシイ、偽物ガ……!」

 

ティアマト神を救い出さんと、無数のラフム達がゴルゴーンへと群がる。

さながら、畑を食い荒らすイナゴの群れだ。アバドンの再来と呼ぶべきかもしれない。

苛烈で容赦のない攻めはゴルゴーンの美しい肢体に幾つもの赤い筋を刻み、苦痛から逃れるかのように女神は怒りの咆哮を上げた。

 

「汚らわしいのは……貴様らだぁっ!」

 

光が視界を焼く。

ゴルゴーンが自身の腹の底に蓄えられた魔力を、全身から放射したのだ。

一切の指向性を持たされずに放たれた紫の光は、肌に纏わりつく黒い害虫を一瞬の内に焼き尽くし、ケイオスタイドへの底へと沈めていく。

その余波は離れたところから戦いを見守っていたカドック達にも及び、マシュが前面に出て防御しなければ目や肺を焼かれていたかもしれない。

だが、これほどの攻撃を以てしてもラフムは滅びない。新しい個体が泥の中から次々と生まれてくるのだ。

 

「ふん、自我のない泥風情が、人間のように笑いおって。貴様らがキングゥの兄弟かと思うと虫唾が走る!」

 

笑いながらゴルゴーンに突撃したベル・ラフムの体が瞬時に石へと変わり、推力を失った体は無残にも泥へと墜落する。

ゴルゴーンが石化の魔眼(キュベレイ)を解放したのである。

かつて、英雄ペルセウスによって打ち破られた宝石の魔眼。此度は視線を弾く盾もなく、群がるラフムを次々と彫像へと変えていき、泥の中から這い出そうとしているティアマト神すらも足先から少しずつ動かなくなっていった。

 

『すごいぞ、ティアマト神がどんどん石化していく! 物理的に殺せないなら、生きたまま動けなくさせるつもりか!』

 

「Aaaaaaaaa――――」

 

苦し気に吠えるティアマト神。

すると、石へと変わった細い足が空気でも送り込まれたかのように膨れ上がり、表面にいくつもの亀裂が走る。

亀裂はやがて石化した部位全てに及び、ガラスのように割れてケイオスタイドに幾つもの波紋を生み出した。

ゴルゴーンの石化能力を知る者にとっては、信じられない光景だ。

ティアマト神は自分が石化するよりも早く、細胞を代謝させて新しい脚部を内側から作り出したのである。

これでは魔眼の使用により、ゴルゴーンが消耗していくばかりだ。

 

「うっ、くぅっ…………」

 

不意に眩暈が起こり、カドックはバランスを崩して倒れ込む。

既にケツァル・コアトルは消滅しているので、翼竜もいない。カドックも立香も自身の魔力や用意してきた水上歩行器具でケイオスタイドの上に浮かんでいる状態だ。

背後からアナスタシアが支えなければ、危うくケイオスタイドへと落ちてしまうところだった。

 

『カドックくんのバイタルが低下!? キミ、ゴルゴーンと契約していたのか!? こちらからの供給すら追いつかないほど、彼女は全開で暴れているのか!?』

 

「大丈夫……だ……」

 

これでもゴルゴーンはまだ、力を抑えてくれている。

彼女が本気を出せば、自分のような凡人ではあっという間に干乾びてしまうだろう。

マスターを気遣っての契約なぞ、彼女にとっては不本意なことだが、それでもゴルゴーンはティアマト神と戦うために了承してくれた。

ならば、自分はそれに応えなければならない。

まだ足りないというのなら、もっと持っていけ。

この程度ではまだ死なない。

自分の限界はもっともっと先だ。呼吸が止まる寸前まで搾り取れ。

だが、ゴルゴーンは不調を察してか、攻撃の手を休めてこちらまで後退してくる。

美しい肌は自爆同然の魔力の放射によって焼け爛れ、両腕は見るも無残に砕けて腕の骨が露出している。

あれほど苛烈な攻めを行っておきながら、ティアマト神はまったくの無傷であり、攻撃を加えているゴルゴーンの方が傷ついている始末だ。

 

「潮時だ、人間(マスター)。これ以上、貴様らを気遣いながら戦っていては埒が明かぬ」

 

「だが、アヴェンジャー!」

 

「見ろ、ティアマトの石化が直に解ける。このままでは奴を逃がしてしまうだろう。貴様達は早々にウルクへ逃げ帰るがいい」

 

まだ完全ではないが、起き上がろうとしているティアマト神の脚部は石化がほとんど解けかかっていた。

再生の速度も時間と共に早くなっており、これ以上の石化は無意味であるとゴルゴーンは判断したのだ。

 

「元より私は奴への報復のために貴様と契約した。ここまで私を連れてきた時点で、役目は既に終わっている。その指先が壊死する前にここを離れよ。弱者は弱者らしく、自分達の家に逃げ帰るがいい」

 

「任せていいのね?」

 

「……任されることなどない。だが、ティアマトの翼は私が砕く。地を這うのは奴の方だと、教えてやらねばな」

 

心配そうに見つめるアナスタシアに、ゴルゴーンは優し気な笑みを返す。だが、それも一瞬のこと。すぐに険しい顔つきに戻ると、再び飛翔を敢行せんとするティアマト神に向き直った。

 

「アヴェンジャー……僕は……」

 

「言うな、別れは不要だ。例えこの身があの者のものでも、我が魂は貴様達など知らぬ。さあ、行くのだ!」

 

「……今まで、ありがとう」

 

朦朧とする意識を何とか保ちながら、カドックは復讐者に別れを告げる。

ほんの数時間の、しかし何よりも濃密な契約だった。

これで良かったのだろうかという後悔はもちろんある。

だが、最後の最後で彼女は笑った。

なら、その笑顔を信じよう。

例え魂が塗り潰されていたとしても、彼女は大切な家族なのだから。

 

 

 

 

 

 

そして、二柱の女神だけが残された。

ティアマト神は遂に石化を完全に解き、大空を舞うための翼も背中に現れている。

魔力が充填されれば、すぐにでもウルク市を目指して飛び立つだろう。

 

「……そう言えば、ちゃんとさよならは言っていませんでした。でも、お花を戴きましたから、私にはそれで十分です」

 

そう言って微笑むゴルゴーンの声音は、先ほどまでの張り詰めていたものとは違い、まだ年若い少女のそれであった。

実際のところ、ゴルゴーン自身には自分が何者なのかはよくわかっていない。

この霊基は確かに複合神性ゴルゴーンのものだが、朧気ながらもウルク市で過ごした記憶が溶け込んでおり、会った事もないはずの花屋の老婆や牛の赤ん坊の顔が瞼の裏に浮かぶ時がある。

外法の召喚によって材料とされたものの影響なのだろう。こんな不完全な召喚を行うとは、本当に未熟なマスターだ。

だが、それで構わないと胸の内から語りかけてくる声が聞こえた。

彼は自分で思っているほど冷酷で(強く)はない。彼は英雄にはなれなかったが、親友(英雄)の理解者として共に歩く事ができる人間だ。

だから、私達を受け入れてくれたのだとゴルゴーンの中の彼女は言う。

何れ堕ちてしまう罪のカタチを許し、憎悪に焼かれた罰のカタチを糾し、女神としての在り方も魔獣としての在り方も受け入れる事ができるのだ。

不思議と力が湧いた。

先ほどまでの激闘に加え、(マスター)からの魔力の供給も先刻からパスを閉じているため、この神体は満身創痍だ。だというのに、彼らのことを思うと魔力ではない何かが力を与えてくれる。

それはとても懐かしい、温かい力であった。

遥かな昔、まだ自分に二人の姉がいた頃に抱いていた思いであった。

 

「ティアマト神。彼らをウルクに帰したのは、あなたから逃がすためではありません。この姿を――――怪物になる私の姿を、見せたくなかっただけ。きっと余計な瑕を負わせてしまうから。けれどあなたには本当の傷を与えましょう。これまであなたとして活動したお返しです」

 

解けていく。

溶けていく。

融けていく。

自分であったものが、端っこから一つずつ失われていく。

あの島で過ごした二人はいったい誰だったのか。

この時代で共に過ごした彼らはいったい誰だったのか。

あの憎たらしい魔術師、白い生き物、盾の騎士、黄色い肌のマスター、白い皇女、白髪の魔術師。

名前も顔も思い出せない彼らとの思い出を手放し、自分自身を構成する全てを手放し、ただ憎悪に身を委ねて体を溶かしていく。

ああ、自分が自分で(彼らのため)なくなってしまうことがこんなにも怖い(ならばこの痛みにも耐えられる)

 

「大いなる蛇身となって大地の竜を地に落とす! 複合神性、融合臨界……全てを溶かせ! 『強制封印・万魔神殿(パンデモニウム・ケトゥス)』!」

 

奇怪で醜悪な怪物と化したゴルゴーンが、怨嗟の炎をまき散らす。

自身すらも溶かし尽くす、限界を超えた憎しみの光。

ゴルゴーンはその圧力に耐え切れず、宝具の発動と同時にその肉体を融解させた。

 

「――Aaaaaa――Aaaaaa――」

 

光が晴れると、何事もなかったかのようにティアマト神が姿を現す。

最早、彼女の進撃を遮る者はいない。後は大空へと飛び立ち、一直線にウルク市を目指すだけだ。

だが、それは叶わない。

ティアマト神が今度こそ飛び立たんと魔力を集中させた瞬間、右側の大角が音を立てて砕け散ったのだ。

 

「Aaaaaaa――――」

 

痛みを訴えているのか、我が身の欠落を嘆いているのか、ティアマト神は空に向かって咆哮する。

地を這う蛇が、大空を逝く竜を大地へ縫い付けた瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

「ティアマト神の右角、崩壊。女神ゴルゴーン、消滅を肉眼で確認しました。でも、ティアマト神は依然……健在です」

 

泥の上を疾駆するマシュが、歌うように鳴くティアマト神の姿を見て力なく項垂れる。

二柱の神格がその霊基を代償にして放った攻撃を受けて、やっと角を一本、へし折る事ができたのだ。

空への飛翔こそ封じることができたが、脅威は未だに健在。そして、現状でティアマト神に対して有効な攻撃手段はこのメソポタミアには存在しないのだ。

翼にしても、時間が経てば回復してしまうかもしれない。

ただの時間稼ぎで払うにはあまりにも大きな犠牲。その事実が重く圧し掛かる。

果たして、自分達はこれほどの神格に勝つことができるのかと。

 

『みんな、辛いのはわかるが急いで欲しい。ケイオスタイドの津波がやってくる。もう防波堤はない、飲み込まれる前にウルクの城塞に逃げ込むんだ!』

 

こういう時、いの一番に現実的な意見を述べてくれるロマニの存在は本当にありがたい。

彼も内心ではパニック寸前だというのに、いつもこうして自分達を支えてくれるのだ。

 

「はい! ケツァル・コアトルさんとゴルゴーンさんが作ってくれた時間です! マスター、失礼します!」

 

カドック(マスター)、少々荒っぽくいきますから、捕まっていて」

 

ヴィイに首根っこを掴まれ、カドックの体は旗のように宙を泳ぐ。風景が物凄い速度で後方に流れていった。

程なくして到着したウルク市の惨状は、語るまでもない。

かつてそこにあった営みは軒並み払い除けられ、生きて動いているものは何一つとして存在しなかった。

全てラフムによって滅ぼされてしまったのだ。

往来で語り合った人々の笑顔も、時には耳障りなほど響いていた鍛冶の音も、市場の賑わいも、牛や羊の鳴き声も、全て奪い尽くされた。

今、ここに残っている命は自分達とギルガメッシュ王。そして、城塞で今もラフム達と戦っている八人の兵士だけだ。

 

「居タ マダ 居ル! 人間 見ツケタ! 面白イ 面白イ!」

 

「全滅スルノニ 面白イ! マダ生キテイル ノハ 面白イ!」

 

こちらの姿を認めたラフム達が、歯を打ち鳴らしながら狂喜乱舞する。

奴らにとって自分達は獲物であり玩具。絶滅にまで追い込まれてなお抗う様が堪らなく滑稽に見えているのだろう。

何て不愉快だろうか。

閃光のように輝く人の生き様を、奴らはただただ面白いと侮蔑する。

敵いもせずに抗う様を、出来もしないのに散り行く様を、滑稽で無様で面白いと嘲るのだ。

怒りと嫌悪と、ほんの僅かな侮蔑が込み上げた。

奴らは知らない。

終わりを受け入れて尚、最善を尽くすことの素晴らしさと潔さを知らない。

暗闇に道を切り開く、犠牲を超えた献身を奴らは知らない。

小太郎も、四郎も、ケツァル・コアトルも、メドゥーサ達もみんな後を託して死んでいった。

その死を奴らは無様と笑うだろう。無意味と嘲るだろう。

なら、そう思っていろ。

彼らの献身があるから、自分達はまだ立っていられるのだ。

絶望を前にして、まだ諦めずにいられるのだ。

勝ち筋など見えない、敗北の未来しかない、万に一つの奇跡など起きるはずもない。

それでもまだ、前を向いていられるのだ。

ならばそこに意味はなくとも、無価値ではない。

 

「戻ったか。時間にして半日ぶりか? つい先ほどの事のように思えるが、さて」

 

ジグラッドでは、見晴らし台に立ったギルガメッシュ王が一人、ウルクの終焉を見守っていた。

見下ろした街並みは至る所に炎が上がり、外殻から黒い泥に飲まれていっている。

牧場も、市場も、広場も、カルデア大使館も既にここからは見えない。

一つの街が今、終わりを迎えようとしていた。

 

「酷い、私もウルクに色々と八つ当たりはしてきたけど、ここまですることはないじゃない。そんなにも人間が憎かったの!?」

 

「分からぬ。あの獣の声は我らには届かぬ故な。意思すらなく、ただそう在るだけで世界を滅ぼしてしまう機構。人類悪の一つとなった時点で、お前が父神から聞いていたティアマト神ではなくなっていたのだろうよ」

 

きっと、彼女自身が生み出しものがこの世界から全てなくなるまで、あの歩みは止まらない。

メソポタミアという世界そのものがなくなるまで、彼女の慟哭は止まらない。

あれはそういう悪へと転じてしまったのだ。

 

「無駄話はそこまでだ! 来たぞ、我れらが母のお出ましだ!」

 

ギルガメッシュ王が見据えた先には、遂にウルク市の城塞へと手をかけたティアマト神の姿があった。

巨大な、あまりに巨大な神体が、胡乱な目で燃える街並みを一瞥する。

悲鳴のような咆哮が空気を震わせ、凱旋を讃えるかのようにラフム達がけたましい笑い声を上げた。

生き残った兵士達の果敢な抵抗も実に無意味。撃ち込まれた矢や投石は誤爆したラフムを僅かに落とすことしかできず、ティアマト神は意にも介さず城塞にかけた手に力を込める。

そして、呆気なくウルク市は泥の海へと飲まれていった。

堅牢な城塞はティアマト神の巨体によって難なく踏み潰され、最後の抵抗を試みていた兵士達も倒壊に巻き込まれてその命を散らす。

空も陸も、泥の軍勢で埋め尽くされており、そこにウルク市だったものは何一つとして見つけることができない。

今、ウルク市はこの歴史上から姿を消したのだ。

ギルガメッシュ王という、一人の王を残して。

 

「イシュタル、貴様は上空に逃れよ! せっかく飛べるのだ、天の丘に留まる理由はない! 天の頂、この暗雲を抜けた太陽の真下にて待機せよ! おって指示を出す!」

 

「分かったわ。みんな、こいつをお願いね。人間の癖に自信の塊だから、無茶な事しないか見張っていて。あなた達が付いていてくれれば安心だわ」

 

「阿呆め! こいつらが(オレ)に付いているのではない! (オレ)が二人に付いているのだ!」

 

それが、生きている二人が顔を合わして行う最後の会話となった。

イシュタル神は一度だけこちらに視線を送ると、後ろ髪を振り払うかのように雲を突き抜けて空の階段を駆け上がる。

対してギルガメッシュ王は自らの庭を踏み荒らす獣を見据え、不敵にも笑みを浮かべて見せた。

 

「ギルガメッシュ王、エレシュキガルの準備は?」

 

「未だ、完了しておらぬ。位相を合わせるまでは何とかなるが、道はこちらで抉じ開けねばならぬだろうな」

 

ティアマト神を冥界に落とす。移動中に聞いた時は耳を疑ったが、彼らは正気のようだ。

だが、そのためには時間が足らない。エレシュキガルが全力で冥界を動かしているが、ティアマト神は既にウルク市に到達してしまったのだ。

作戦を成功させるには、このまま彼女をここに釘付けにする必要がある。

そのための手段が、自分達にはもう残されていない。

 

「……もう、俺達にできることは……」

 

悔しさで隣にいる立香は拳を握り締める。

気持ちは同じだった。特異点の修復のためだけではない。長い時間を過ごしたウルク市がこのまま爪痕も残さず人類史から消えてしまうことが我慢ならない。

生きる事を諦めず、最後まで抗い続けたウルクの人々の生きた意味を無にはしたくない。

何かないのか、自分達にできることが。原初の神を打倒し得る何かを、自分達は担えないのだろうか。

すると、ギルガメッシュ王がこちらに向かって大胆不敵に笑ってみせる。

 

「ふん、あるに決まっているであろう。だが、まずはそこで休んでいろ。そして、刮目するがいい。これがウルクの、ティアマトめに見せる最後の意地よ!」

 

王が手を上げた瞬間、城塞のあちこちで魔力の破裂を感じ取った。

一拍遅れて空を駆け抜けたのはいくつもの光条。剣が、槍が、斧が、矢が、ありとあらゆる宝剣、宝槍の類が吸い込まれるようにティアマト神へと着弾する。

腕に、足に、顔に、次々と撃ち込まれた砲撃は全てが対軍クラスの宝具に相当する絶大な火力を有しており、ティアマト神は衝撃と爆風に阻まれてその歩みをほんの少し後退させた。

これはディンギルからの砲撃だ。

ティアマト神の迎撃のために城塞へと設置された神権印象。その内、生き残っている全てのディンギルが担い手もいないまま稼働し、迫るティアマト神を迎え撃っているのである。

 

「フハハ、(オレ)の魔力を舐めるな! 城門に設置したディンギル三百六十機、全て我が作り、魔力を込め、統括するもの! 死ぬ気でこの体を酷使すれば、このように一斉に操れるわ!」

 

確かに理屈だ。神代に生きるギルガメッシュ王はその存在が限りなくサーヴァントに近い。持てる力の全てを出し尽くせば、少しの間ではあるがディンギルを完全制御下に置くことはできるだろう。

だが、砲は一つ一つに癖があり、同じ角度で発射しても全く同じ軌道にはならない。それぞれのディンギルと敵の位置関係、装填されている武具の質、周囲の大気や湿度などの環境情報。それら膨大なデータを脳の中で演算し正確に出力できなければ、こんな芸当はできない。

加えて起爆剤となるラピスラズリを砕く者がいない以上、ギルガメッシュ王はそれらも自らの魔力から賄わねばならないのだ。

ギルガメッシュ王は今、自らの脳を掻き出しながら戦っているにも等しいことを行っている。文字通り、命を削りながら戦っているのだ。

 

「フハハ、(オレ)を誰と心得る! 忌まわしくも神の血と人の血を持って降臨した至高の王だ! ティアマト神の足止め、ここで見事に果たして見せよう!」

 

並の魔獣ならばとっくに消し炭になっている攻撃を受けても、ティアマト神の神体は僅かな傷を負うだけで、それも受けた端から再生してしまう。

だが、降り注ぐの砲撃の雨は、少しずつではあるが確実にティアマト神の歩みを遅らせていた。

それを見てギルガメッシュ王は益々、砲撃の勢いを増していく。

矢の装填を急がせ、着弾の位置をケツァル・コアトルとゴルゴーンが傷つけた大角に集中し、転倒を狙わんと脚部を吹き飛ばす。

怒り狂ったラフム達は目障りな王を始末せんと飛来したが、それは近衛についたマシュとアナスタシアが全て返り討ちにした。

いける。

ギルガメッシュ王はこの戦いで己の全てを出し切るつもりだ。

財も、魔力も、命すらも絞り切って、神をその手で葬りさる。

彼の全身全霊は、原初の女神を確かに圧倒していた。

刹那、ティアマト神の眼光が赤い光を放った。

 

「あっ……」

 

自分でも間抜けな呟きだと思った。

あの眼光はこちらを狙っている。

ディンギルを操るギルガメッシュ王を、彼を守る自分達を排除せんと死の眼差しを放とうとしているのだ。

あれを躱すことはできない。この見晴らし台に逃げ場などない。

避けられない死を前にして、どこか冷めた目でそれを見ている自分がいることに気が付いた。

故に足が自然と動く。

立香の背中を押して強引にしゃがみ込ませ、危険が迫っていることを叫んで知らせる。

光が放たれた。

キャメロットも城塞も、今から発動したのでは間に合わない。

アナスタシアは即座に霊体化して攻撃を逃れる。

マシュも咄嗟に盾を構えた。

だが、ギルガメッシュ王は動かない。ここで攻撃の手を緩めれば、ティアマト神はまた歩みを再開する。だから、死んでも砲撃を止める訳にはいかないのだ。

ならば、どうするか。決まっている。王を守るのは、いつだって臣下の役割だ。

 

「ギルガメッシュ王!」

 

転がるように王の前に躍り出て、防御の術式を展開する。

自分の技量では神の眼光など防ぐことはできない。この身すら盾にして、王の首だけを残すのが精一杯であろう。

遅ればせながら、失敗したと自嘲する。

これでは無駄死にだ。つい先日、アナスタシアの目の前では死なないと再確認したばかりだというのに。

どうして、この期に及んで自らを盾にするなんて愚行を犯してしまったのか。

自分でも驚くくらい、ギルガメッシュという王に見せられていたのだろう。

滅びを前にして、絶望を前にしてなお諦めず、最善を尽くす生き様に憧れたのだろう。

彼の王のように。

彼の王の民のように。

あんな風に生きたかったと。

あんな風に――――。

 

「フォーウ!」

 

「ぬぅっ!」

 

衝撃が背中を襲う。

痛みはティアマト神の眼光によるものではない。五体は無事だ。手足は動くし意識もハッキリとしている。

ならば、あの光は誰を射抜いたのか。

振り返ると、そこには胸から血を流しているギルガメッシュ王の姿があった。

 

「狙撃とは小癪な奴だ! だが、無事だなカドック!」

 

「ギルガメッシュ王!」

 

「ハ! 気にするな、致命傷だ! 貴様の方こそ体の内側がボロボロではないか! 医者の不養生というやつか? 分不相応にも神霊と契約したな!?」

 

捲し立てるギルガメッシュ王に、カドックは唖然とする。

致死の傷を負ってなお、彼はこちらの身を案じているのだ。

助けるつもりで前に出て、助けられてしまった。

そのことにカドックは言葉を失い、ただただ王を見上げることしかできない。

自分はいい。内臓が壊死しようと、魔術回路が焼き切れようとまだ生きている。

だが、ギルガメッシュ王はもう助からない。今にも止まりそうな心臓を動かす術を自分は持たない。

それを承知で彼は笑っている。

自らの死を受け入れてなお、休むことなく砲撃を続けている。

 

「そ、その体でまだディンギルを撃つんですか!? 止めてください! いくらなんでも、もう……」

 

止めどなく流れ落ちる鮮血が床を汚し、マシュは堪らず叫んでいた。

既に致命傷。その上でこれ以上、無理を重ねれば死を早めるだけだ。

ただ苦しみが増すだけだ。

 

「無理と言うか? 我は限界だと? もはやウルクは戦えぬと! 貴様達はそう言うのか、カルデアの!?」

 

既にウルク市は炎に包まれ、全域がケイオスタイドへと沈んでいる。

生きている者はおらず、このジグラッドを最後の砦としてギルガメッシュ王がただ一人で戦っている状態だ。

国としての機能はとっくに死んでいる。

北壁へと逃れた民も僅か、炎と泥で汚染された土地は再興の目途も立たない。国としては完全に死んでいる。

なら、ウルクは滅びたのか。

否、否だ。

まだ王がいる。

まだ自分達がいる。

まだウルクの意思は生きている、残っている。

ならば、ならば――――。

 

――ウルクはここに健在です――

 

それは誰の言葉かわからない。

自分が知らずに口にしたのかもしれないし、立香が言っていたのかもしれない。マシュかもしれないし、ロマニかもしれない。

或いは、ここにいる全員の総意かもしれない。

まだウルクは死んでいない。消えていない。

終わりを受け入れた先にある栄光。

諦めた訳でも開き直った訳でもない。

最期まで生きるという、生命としての当然の意思。

それを貫いてこそのウルクだ。

これが、生きたいという欲求なのだ。

やっと分かった。言葉ではなく実感として理解できた。

藤丸立香が抱く根底の願い。人理焼却から逃げることなく向き合うことができた強さが何なのかを。

 

「僕は……生きたい……」

 

「よくぞ言った! では(オレ)もいよいよ本気を出すとしよう! なに、初めから全力だったが見栄というものがある! 貴様達の生意気な言葉と、そこな雑種の嘆願で目が覚めたわ!」

 

そう言ってギルガメッシュ王は、いっそう苛烈に砲撃を加えていく。

とっくに死んでいてもおかしくない重傷だというのに、彼は意思の力で死を拒んで戦い続けてる。

最後まで燃え尽きんとする炎の意地。人間の意地だ。

 

『っ、ティアマト、ウルク市内に到達! ジグラットまで後――後、三分! 加えてラフムの大量排出を確認! 大群がまたそっちに向かっているぞ!』

 

視界がどんどん黒で覆われていく。

その数、実に八千匹以上。あまりに数が多くて空の雲が見えない。

ここに至ってこの数はもうどうしようもなかった。

連戦でマシュと立香は限界、こちらとアナスタシアも万全とは言い難い。

後は群がるラフムを何度か押し返した後、力尽きて死を待つだけだ。

それでも王は逃げない。向かってくる絶望を前にして最後まで戦うことを選択する。

ならば、付き合うまでだ。

その王道に、最後まで殉じるまでだ。

 

アナスタシア(キャスター)! 頼む!」

 

「了解よ、カドック(マスター)

 

覚えているのはそこまでだった。

いつ気を失ったのか、何がきっかけとなったのかはわからない。

ただ、記憶が途絶える寸前に垣間見たのは、攻撃を受けて崩れ行くジグラットの壁と、王の前で鎖を振るう緑髪の人物の後ろ姿であった。

 

 

 

 

 

 

生命でありながら命を持たぬという矛盾。それ故の所業なのだろう。八千匹ものラフムは一丸となってジグラットに体当たりを仕掛け、足場諸共ギルガメッシュ達を葬り去ろうとしたのだ。

残念ながら堅牢なジグラットの足場を崩すには至らなかったが、その衝撃でカルデアのマスター達は気絶。唯一、無事なギルガメッシュが瀕死の体を押して彼らを守っているという状態だ。

非常に危険だ。あれでは長くは保たない。

冷静に、冷徹に、現在の情報を把握して肉体に命じる。

するべきことは報復、為すべきことは防衛。

(ゴルゴーン)から受け継いだ憎悪と、この機体に染みついたよく分からない感情のままに神造の兵器は空を駆ける。

 

「ラフム、残り二千。取るに足らない。心臓さえあれば、お前達なんて話にならない」

 

ギルガメッシュを庇うように降り立ったキングゥは、自らの腕を鎖に変えてラフムを牽制。それはさながら王を守る鎖の結界だ。

更に着地と同時にジグラットを構成する石たちに魔力を通し、幾つもの針を形成して取り付いたラフム達を串刺しにしていった。

突然の奇襲にラフム達は混乱し、成す術もなく刈り取られていく。

性能の低さもさることながら、この程度のことで前後不覚に陥る欠陥だらけの思考回路にキングゥは侮蔑と嫌悪を覚えた。

 

「まったく、こんな量産型に手こずるなんて、旧人類は本当に使えない。それでよく……よく、ボク相手に大口を叩いたものだ」

 

「ふん……」

 

「あのマスター達もそうだ。ひとりじゃ何もできない癖に、偉そうに胸を張って、本当は怖い癖に虚勢を張って、それで最後まで生き延びた…………自分ひとりで何でもできる、か。その時点で、ボクは完全じゃなかったな」

 

「言いたいことはそれだけか?」

 

「ああ、その通りだ。好きにしろと言っただろう? だから、キミに恨み言を言いに来たのさ」

 

「そうか。それで、後はどうする?」

 

「…………」

 

その言葉にキングゥは答えない。ギルガメッシュの顔に目を向けることもなく、形成した鎖の結界を残して残るラフム達を掃討するために宙を駆ける。

 

「キングゥ……!? キングゥ、ダト!? 何故生きテいる!? 何故稼働していル!? イヤ、前提とシテ、何故――人間ノ、味方をスル!?」

 

問いかけるラフムの口に槍を突き刺し、それ以上は話せぬよう黙らせる。

欠陥品と罵り、放逐しておいて何て言い草だ。こいつらは自分達が報復される側に回ることなど微塵も考えちゃいない。他者から憎まれ、排除されるという恐怖を知らない。

だからこそ、彼らは邪気なく人を殺せるのだろう。自己完結した存在であるが故に他者への共感も持てない。故に、自分が何故、兄弟と敵対しているのか、母と対峙しているのかが本当に分からないのだ。

 

『ふん、そういえばこんな物が余っていたな。使う機会を逸してしまった。棄てるのもなんだ、貴様にくれてやろう』

 

『なっ……それは、お前の……財……』

 

『ほう、聖杯を心臓にしていただけはある。ウルクの大杯、それなりに使えるではないか』

 

キングゥの脳裏に、昨夜の出来事が蘇る。

ラフム達に裏切られ、心臓である聖杯を失ったキングゥは死に場所を求めて彷徨い、ウルク市の丘で遂に力尽きた。

何故、そこに辿り着いたのかはよくわからなかった。

何故、そこにギルガメッシュがいたのかも知らなかった。

ただ、血塗れで倒れたキングゥを彼は放っておかず、自らが所有していたウルクの聖杯を代わりの心臓として差し出したのだ。

自らの領地で無様を晒すのは許さない。彼はそう言って、厳しい言葉を投げかけてきた。

 

『何故、ボクを助けた……造物主にも見捨てられ、帰る場所も持たない偽物だ。オマエの敵で、ティアマトに作られたものだ! オマエのエルキドゥじゃない……ただ、違う心を入れられた人形なのに……』

 

『そうだ、貴様はエルキドゥではない。別人なのだろう。だが、そうであっても貴様は我が庇護の――いや、友愛の対象だ。貴様の(それ)はこの地上でただ一つの天の鎖。奴は自分を兵器だと譲らなかったが、それに倣うならもっとも信頼した兵器の後継機を贔屓にして何が悪い?』

 

彼が助けを寄越したのは、たったそれだけの理由だった。

友に連なるものなら無様な許さない。お前の価値を見せてみろと、王は傲慢にも言ってのけたのだ。

造物主に見捨てられたキングゥの胸に、その言葉は鋭いナイフのように突き刺さった。

胸の底で眠っていたギアを嵌め直されたような感覚だった。

誰もが自分をエルキドゥと呼んだ。

カルデアのマスターも、ラフム達も、自分の正体はエルキドゥだと言っていた。

だが、ギルガメッシュだけはそうではないと言う。

自分は天の鎖(エルキドゥ)でなくていい。新人類(キングゥ)で構わないと、その存在を認めると言ったのだ。

 

『ではな、キングゥ。世界の終わりだ。自らの思うままにするがいい』

 

『待って……分からない、それはどういう…………』

 

『母親も生まれも関係なく、本当にやりたいと思った事だけをやってよい、と言ったのだ』

 

思えばずっと、誰かに命じられるまま戦ってきた。

魔術王に諭され、ゴルゴーンに命じられ、人間達を殺し続けてきた。

その果てに、もう用済みだと母から見捨てられた

労いはなく、報いはなく、ただ不要になったからと棄てられた。

怒りはあった。

憎悪も沸いた。

だが、それ以上に悲しかった。

自分には何もない。

母の期待に応えるという役目がなければ、満足に生きることもできない人形だ。

それでも――――。

 

「人間の味方なんてするものか。ボクは新しいヒト、ただひとりの新人類キングゥだ。だけど――――思えば一つだけあったんだ」

 

会いたい人がいた。

会って話したい人がいた。

この胸に残る多くの思い出の話を、その感想を、友に伝えたかった。

それは我が胸中から湧き出た願いではなく、このエルキドゥという機体に染みついていた願いだ。

だから、彼と話ができて嬉しかったけれど、それを我が事として喜ぶ訳にはいかなかった。

ならばどうするか。

母の期待には応えられない。

友との語らいは望めない。

残されたものは、人類の歴史を継続させるという役目だけ。

新人類も旧人類も関係ない。自分はただ、ヒトの世を維持するべく生を受けた。

この身が舞台装置であるのならそれに殉じよう。

この身が兵器であるのならそれに殉じよう。

それが兵器として生まれ、ヒトとして死んだ自身の矜持なのだから。

 

「――――Aa、a――――――――Kin――gu―――」

 

初めて母と視線が合う。

こちらの存在を認め、初めて彼女は名を口にした。

慟哭でも咆哮でもなく、歌うように我が名を呼ばれ、僅かに鼓動が高鳴った。同時に、いつかと同じ熱い雫が頬を伝う。

何もかもが遅すぎた。

その名をもっと早くに呼んでいてくれれば、或いは別の結末もあったかもしれないのに。

 

「さようなら、母さん。あなたは選ぶ機体(コドモ)を間違えた」

 

最後に薄く微笑み、キングゥは覚悟を決める。

ギルガメッシュが言っていた言葉の意味は今も分からない。だが、自分が何をするべきなのかは分かる。

エルキドゥ(この体)が、やるべき事を覚えている。

 

「ウルクの大杯よ、力を貸しておくれ。ティアマト神の息子、キングゥがここに天の鎖の()を示す!」

 

それはかつて、神と人とを分かつまいと作られた天の楔(ギルガメッシュ)を戒めるために生み出された者の名。

裁定者を裁定すべき者。神に作られし人形に天罰を与える天の鎖。

その本質は神を縛り、神を律し、神を戒める対神兵装。

今、ここにその名を再現する。

 

「母の怒りは過去のもの。いま呼び覚ますは星の息吹――――『人よ、神を繋ぎ止めよう(エヌマ・エリシュ)』――!!」

 

 

 

 

 

 

目の前で繰り広げられた一連の光景を、ギルガメッシュは粛々と見守っていた。

自らを巨大な光の槍へと変換し、星と霊長の双方の抑止力で以て対象を繋ぎ止める対粛清宝具。

それは人間が自分達から離れていくことを恐れた神々が託した願いであり使命であった。

 

「――さらばだ、天の遺児よ。以前の貴様に勝るとも劣らぬ仕事。天の鎖はついに、創世の神の膂力すら抑えきった」

 

ギルガメッシュの眼前では、巨大な鎖へと転じたキングゥによって拘束されているティアマト神の姿があった。

後、数歩踏み込めばその巨体でこちらを押し潰すこともできる距離。だが、その数歩が踏み出されることはない。

天の鎖(エルキドゥ)の名を以て発動した神々の願いは、唯一の友である英雄王の眼に、永遠に焼き付けられたのであった。




いよいよ、次回は冥界に突入。
このペースなら七章は後、2回か3回で終わるでしょう。
書けば書くほど改めてティアマトがチートだったのがよくわかります。
個人的にはもっと大きく改編したかったんですが、七章はやっぱここ外せないなって展開多いのと、ティアマト対策がまるで思いつかなかったのでこうなりました。
ケツ姐消えたし、被害だけなら原作より増えてるな、今話。



皇女のバレンタイン、予想外でした。
〇〇〇までは候補として思いつきました。でも、自立ってなんだよ(笑)。
遠隔自動操縦型か!

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