Fate/Grand Order IF 星詠みの皇女   作:ていえむ

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絶対魔獣戦線バビロニア 第22節

どれくらい、気を失っていたのだろうか。

倒れた際に壁にでもぶつかったのか、体の至る所に痛みがあった。だが、幸いにも命に関わる負傷はしてない。

まだ健在な魔術回路も十分に回っており、戦闘の継続は可能だ。

 

(そうだ、アナスタシアは? みんなは?)

 

見回すと、まず少し離れたところにアナスタシアがしゃがみ込んでいた。

こちらよりも早く目を覚ましていたのだろう。彼女はラフム達の攻撃がこちらに来ないよう、周囲を警戒しているようだ。

反対側には立香とマシュが寄り添うように倒れている。丁度、マシュが真上から覆い被さる形だ。咄嗟に己のマスターを守ろうとしたのだろう。

 

「立てる?」

 

「……肩を貸して欲しい」

 

「よくできました」

 

患側である左側から支えてもらい、ゆっくりと体を起こす。

反対側でも立香とマシュが目を覚まし、起き上がるところであった。

 

「これは、いったい…………」

 

目に飛び来んできた光景に、言葉を失う。

ティアマト神の巨体は、ジグラットまで後数歩というところまで迫っていた。

恐らくは瞬き一つで踏み込める距離。あまりに近すぎて、ここからでは女神の神体は胴と胸部しか視界に収めることができない。

だというのに、ティアマト神は最後の一歩を踏み出せずにいた。

表情は伺い知れないが、悔しがっているかのように四肢が震えているのが分かる。

それはまるで、神話の再現であった。

彼女は今、巨大な鎖によって全身を縛り上げられていたのだ。

 

「目を覚ましたようだな」

 

見晴らし台の先端、ティアマト神を間近に捉える位置に、ギルガメッシュ王は立っていた。

胸から血を流し、生気も魔力も失って今にも倒れてしまいそうな弱った体で、それでもまっすぐに神の姿を見上げていた。

 

「ギルガメッシュ王……これは……」

 

「見ての通り、ティアマト神は我らが目前。後数歩こちらに踏み込めば、ジグラットは灰燼に帰す。だが、悔しかろう。その一歩があまりに重い。僅か一刻の束縛だったがな。まさに、気の遠くなるような永劫であった」

 

キングゥがその命を賭けた拘束であることを知らないカドックは、これをグガランナを縛り上げた王の鎖であると考えた。

かつてウルク市はギルガメッシュ王に求愛を断られたイシュタル神によって滅びの危機に瀕したことがある。

彼女がけしかけた天の牡牛グガランナはいわば天災の化身ともいうべき無敵の存在であり、ウルク中を暴れ回って国民を飢餓に追いやった。

ギルガメッシュ王は国を守るために友エルキドゥと共にこれを迎え撃ち、奥の手として神を縛り上げる鎖を準備したという。

残念ながらその鎖はグガランナに引き千切られたそうだが、目の前で起きているのはその神話的再現だ。カドックが勘違いしたのも無理はない。

 

『ギルガメッシュ王、聞こえる!? こちら冥界のエレシュキガル!』

 

如何なる手段を用いたのか、カルデアの通信機越しにエレシュキガルの声が聞こえてくる。

 

『ウルクの地下と冥界との相転移、完了したわ! 後は穴を掘るだけよ!』

 

相当な無理をしたのか、エレシュキガルの声は疲労困憊といった感じだ。

いよいよかとカドックは身構える。

ウルクの全てと二柱の女神による足止めが敵い、エレシュキガルも課せられた役目を果たした。

次は自分達の番だ。

原初の母を冥界に叩き落し、この特異点での戦いに決着をつける。

未だ勝機は見えないが、ここまで来たのならもう逃げ場所はどこにもない。

後は、やってやるだけだ。

 

 

 

 

 

 

「……だ、そうだ。聞いていたな、イシュタル」

 

遥か下の地上からギルガメッシュの声が届く。

もちろん、聞こえていたとイシュタルは返答した。

その性格はともかくとして、仕事はオーダー通りにきっちりこなすとは、さすがはエレシュキガルだ、半身としてそれだけは認めてあげてもいい。

後は自分が宝具を撃ち込んでウルクに風穴を空ければ、ティアマト神は冥界へ落ちていくだろう。

まるでウルクにとどめを差すかのような所業に、イシュタルは思わず苦笑した。

 

「まあ、私は良いんだけどね。あなたはそれで良いの、ギルガメッシュ? 悔いとかないの?」

 

「――無論だ。何を悲しむ事があろう。(オレ)は二度、友を見送った。一度目は悲嘆の中。だが此度は違う。その誇りある勇姿を、永遠にこの目に焼き付けたのだ」

 

聞きたかったのはそういうことではないと、イシュタルは嘆息する。

疑似サーヴァントとなったことで、少しばかりイシュタルとしての我が薄まっているが、この胸の内には英雄王への確かな思いがあった。

それは恋と呼ぶには奔放で、愛と呼ぶには些か軽く、未練も執着も置き去りにしてきたはずの甘い感情。

彼の親友が機能を止めた時を境に、終わったはずの思い。

それを今更、蒸し返すつもりはなかったのだが、それでも詫びや弁解ぐらいは聞いておきたいと、つい思ってしまったのだ。

結果は惨敗。彼の胸中には最初から自分の居場所などなく、徹頭徹尾眼中になかったのだ。

それが少しばかり悔しくて、イシュタルは自分の中のイシュタル神に同情する。

 

「……さて、アンニュイなのはここまで。後は野となれ花となれ――未練諸共吹っ飛ばしてあげようじゃない!」

 

天舟(マアンナ)の船首を地上へと向ける。

冥界と地上は大地を隔てて重なり合っているが、突貫工事故にその層は厚い。それにティアマト神はあの巨体だ。ジグラットを吹っ飛ばすくらいの破壊力でなければ、彼女が落ちる穴を空けることはできない。

ならば見せよう。イシュタル神の全力全霊を。

金星を圧縮し、砲弾として放つ女神の宝具。

その名も――。

 

「いくわよ、金ピカ! 注文通り、その足下を容赦なくぶち抜いてあげる――『山脈震撼す明星の薪(アンガルタ・キガルシュ)』!」

 

星そのものを砲弾とするという神をも恐れる所業。だが、それはあくまでイシュタルの金星の女神としての側面に由来するものでしかない。

この宝具の本質は大地への特攻。神々が恐れ敬うエビフ山の首根っこを掴んで息の根を止めたという逸話が昇華したもので、地上――特に山脈に対してはその威力は跳ね上がる。

どんなに分厚く固い岩盤であろうとぶち抜き、女神の威光を示す。大地は美の化身に平伏するしかない。

母なるティアマトを冥界へと落とす。正に今、天からの大いなる一撃は放たれたのだ。

 

 

 

 

 

 

頭上から放たれた極大の熱量を前にして、カドックは軽いパニックを起こした。

何故、そうなる?

ティアマト神の足下だけを破壊すればいいだろうに、どうしてジグラット諸共吹き飛ばすような攻撃を行うのか。

これではこちらまで巻き込まれてしまうではないか。

 

「ふ、藤丸!」

 

「あ、ああ! マシュ、防御して!」

 

「はい!」

 

盾を構えたマシュが前に出て、他の面々は後ろに避難する。

隕石を受け止めろだなんて無茶ぶりにもほどがあるが、今は彼女の防御に頼るしかなかった。

 

「案ずるな、あれは大地への制裁だ。貴様らに害が及ぶことは……まあ、ないだろう。(オレ)自身を除いてな」

 

「えっ……」

 

光が迫る。

ティアマト神を縛る鎖にも徐々に亀裂が入り始めていた。

イシュタル神の宝具の着弾が先か、拘束を振り解いたティアマト神が踏み込むのが先か。

何れにしてもその場に留まっていれば、死は免れないだろう。だというのに、ギルガメッシュ王は静かに己の最期を受け入れていた。

あれほど生きる事に懸命になっていた王が、最後まで生き抜く事に腐心していた王が、自分はここまででいいと首を振るのだ。

 

「確かにウルクは滅びるだろう。だがティアマト神と、この特異点の基点となる我が消え去れば、その結末は違う解釈になる」

 

国とは移り行くもの。例え滅びることになろうとも、後に続く者がいるのならその流れが途絶えることはない。

三女神同盟との戦い。そしてティアマト神の復活。シュメルの地は引き裂かれ、生き残った人間も極僅か。

だが、それでも彼らはまだ生きている。生き残り、次の世代に希望を託すことができる。

ギルガメッシュ王がこの特異点の基点というのなら、彼の死が正しい人類史に反映されれば、それは国家の終わりではなくウルク第五王の治世の終焉となるだろう。

この後に続くはずのウルクの第六王の時代にまで影響が波及することはない。

 

「それが人理の辻褄合わせというものだ。知らぬのならそこの藤丸に聞くといい。唯一の懸念は(オレ)の死に方だった。自決など、王として話にならぬからな。どうしたものかと難儀していたが、都合よく傷を負う事もできた。感謝するぞ、カドック」

 

「そんな……僕は、そんなつもりでは…………」

 

ただ助けたくて体が動いた。

本当に無意識に、思うままに人を助けたいと思ったのはこれが初めてかもしれない。

友人でもパートナーでもなく、ただ目の前にいる人を無心で救いたいと思ったのはきっとこれが初めてだ。

なのに、この腕は届かなかった。そして、王はそれを許し礼を述べる。

そんな資格が自分にはないというのに。

 

「仕方のない男だ。礼は先ほどの事だけではない」

 

そこまで言わせるのか、とギルガメッシュ王は呆れたように笑う。

 

「異邦からの旅人よ、心に刻み付けておけ。この時代にあった全てのものを動員しても、恐らくはここ止まりだっただろう。貴様らは異邦人であり、この時代の異物であり、余分なものだった。だが――その余分なものこそが、我らだけでは覆しようのない滅びに対して、最後の行動を起こせるのだ」

 

ウルクで過ごした日々が、これまでの戦いの全てが脳裏を過ぎる。

ケツァル・コアトルの試練、エレシュキガルとの和解、ゴルゴーンとの決戦。そのどれもに自分達は深く関わり、結末を左右してきた。

不要と断じられた自分達が、ウルクの未来を切り開いてきた。

思い返せば、その時から自分達は認められていたのだ。

遠い異邦からの旅人であるカルデアを、ウルクの王は信じ後を託してくれたのだ。

 

「時は満ちた。全ての決着は貴様らに委ねるものとする」

 

限界に達した鎖が遂に砕け、ティアマト神が最後の進撃を開始する。

その姿を真っすぐ見据えたギルガメッシュ王は、不敵な笑みを浮かべながら今にもジグラットに触れんとするティアマト神を迎え入れる。

 

「さあ、最後の囮はこの(オレ)だ。寸分違わず踏み込め、ティアマト神」

 

「王!」

 

明けの星が落ちる。

閃光が視界を焼き、全てが白光に飲み込まれた。

聞こえる音はジグラットの崩壊だけではない。大地そのものが抉れ、崩れていく音だ。

イシュタル神の宝具がジグラット諸共、ティアマト神直下の大地を穿ち、冥界までの経路を作り出したのである。

正に奈落への入口。

浮かび上がった体は急速に重力に囚われ、深淵へと落下していく。

その中でカドックは無意識に手を伸ばした。

向こうも同じ事を考えたのだろう。指先が絡まり合い、そのまま互いの体を引き寄せる。

それだけで不安も恐れも何もかもが消し飛んだ。

常に傍らで寄り添うパートナーの存在が、自分に勇気をくれる。

ここより先は前人未到。原初の神との直接対決。挑むは星詠み(カルデア)少年少女(マスター達)

王より託された希望を胸に、彼らは深い闇へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

落ちていく。

落ちていく。

落ちていく。

深い深い闇、どこまでも続く暗黒の空間。

自分が今、上を向いているのか下を向いているのかさえ定かではない。

だが、このままでは一呼吸の間で地面に叩きつけられるという予感がした。

底は見えないが、そこにはあるという実感があった。

足を踏み締めるべき大地、冥界の底が。

その瞬間、アナスタシアとは違う別の存在が自分の体を包み込んだ。

確かに存在するのに厚みを感じない独特の気配はヴィイのものだ。ヴィイが墜落した時に備えて、自分達を守ってくれているのである。

 

「まずい、あいつら!」

 

自分達はこれで助かるが、魔術が使えない立香とマシュには落下から身を守る術がない。地面までどれほどの距離があるのかは分からないが、ビッグ・ベンより低いなんてことはあるまい。肉体を持つデミサーヴァントでは、当たり所次第では即死もありうる。

 

「ヴィイ、藤丸達も助けろ、早く!」

 

「いいえ、その必要はないわ。はい、あなた達に冥界での浮遊権を許可します。魔力を足先に集めて地面をイメージしなさい。それで少しは跳べるはずよ」

 

暗い冥界に似つかわしくない涼やかな声が響く。

エレシュキガルだ。彼女が権能で自分達に加護を与えてくれたのだ。

言われた通りに魔力を集中させると、鉛玉のように落下していた体から重さがフッと消え去り、肌を擦る空気の摩擦が消える。

程なくして冥界の地面に叩きつけられたが、エレシュキガルの加護とヴィイの補助のおかげで大したケガもなく無事に着地することができた。

すぐに振り向くと、少し離れたところにマシュと彼女に抱き抱えられた立香の姿があった。

どうやら全員、無事に冥界へと降りてこれたようだ。

 

「よく来たわね。でも、挨拶は後。あれを見なさい!」

 

どこからか降り立ったエレシュキガルが、暗闇の向こうを指差す。

すると、光のない暗黒の空が俄かに色を帯び始める。それはまるで夜空を裂く稲光のようだった。

一筋の光はやがて幾本もの雷光の束となり、豪雨となって降り注ぐ。嵐の中心にいるのは地上から落下してきたティアマト神だ。

エレシュキガルからの加護を受けられず、生きたまま奈落へと堕ちた女神は今、冥界そのものから攻撃を受けているのだ。

 

「Aaaaa――――」

 

ここまでこちらの攻撃を平然と受け止めていたティアマト神が、初めて苦悶の声を漏らしていた。

無理もない。彼女が今、受けているのは世界からの修正。その細胞一片に至るまで、この世界に存在してはならないという呪詛のようなものだ。

如何なる物理的な防御も無意味であり、強靭な肉体もそこからくる再生能力も無力化され、無数の雷電が巨体を蝕んでいく。

生あるものは何れ死ぬ、死は全てにおいて等しく訪れるものであり、原初の母とてそれは例外ではないということだ。

この生命なき冥界ならば、不死身のティアマト神をも倒す事ができる。

 

「すごい、ティアマト神が……」

 

あまりの光景に、マシュは言葉を失った。ここまでメソポタミアの地を蹂躙し、我が物顔で闊歩していたティアマト神が、一方的に嬲られているからだ。

 

『地上まで距離にして2000メートル以上。さすが神代の冥界、深いと言うべきか近いと言うべきか。それにあの光……先ほどのイシュタルの宝具級の熱量が絶え間なくティアマトを焼いているのか!?』

 

「冥界の防衛機構よ。私の許しなく入ってきた生者はああなるの。これは世界そのものが定めたルール。ティアマト神といえど、ああなってはもうお終いよ」

 

つくづく恐ろしい女神だと戦慄する。

以前に冥界を訪れた時、無事に帰還できたのは彼女自身が立香に好意を抱いてくれていたからだ。

もし、彼女が人間になど一切の興味を持たない冷酷な女神であったなら、冥界に降りた瞬間にあの防衛機構で焼き尽くされていただろう。

 

「それでギルガメッシュ王は? 最後のトドメ、始めちゃっていいの? あいつは全員が揃うのを待てって言っていたけど、畳みかけるのは今しかないと思うのだけど?」

 

「それは……そうだと思います。でもエレシュキガルさん、ギルガメッシュ王はもう……」

 

地上で何があったのかを知らないエレシュキガルの言葉に対し、マシュは悲痛な表情を浮かべる。

それだけで何があったのかを察したエレシュキガルは、一度だけ彼方に目をやって黙礼すると、未だ雷電に焼かれ続けているティアマト神へと向き直った。

 

「いいわ、あなた達は下がっていなさい。ギルガメッシュ王もイシュタルも必要ないから! この私だけで決めてあげます!」

 

エレシュキガルは手にした槍を振り回し、力強く大地に突きつける。

途端に彼女の体から溢れんばかりの神気が漲り。冥界の空気を一変させた。

冥界の神としての権能、秘められた神性を解放したのだ。

 

「冥界のガルラ霊よ、立ち並ぶ腐敗の槍よ! あれなる侵入者に我らが冥界の鉄槌を! 総員、最大攻撃――――!」

 

冥界の女主人の号令と共に、数多のガルラ霊がその身を深紅の槍と化してティアマト神に降り注ぐ。

無数に突き立てられた槍は内側から爆ぜることで女神の神体に傷を負わせ、剥き出しとなった臓腑が冥界の防衛機構によって成す術もなく焼かれていく。

更に大地が隆起し、巨大な岩の槍となって倒れ伏したティアマト神の体を突き刺して彼女がそこから逃れられないように拘束した。

身を守ることも逃げることもできなくなったティアマト神は無残な声を上げてのた打ち回り、やがては力尽きたのかぐったりと体を横たわらせて動かなくなった。

 

「どう? ざっとこんなものよ。ティアマト神といえど、冥界ではただの神。私とガルラ霊達との総攻撃の前にはひとたまりも――――たまり、も――――」

 

自信満々に胸を張っていたエレシュキガルから表情が消える。

理由はすぐにわかった。

暗い冥界の大地よりもなお黒い、悍ましい侵食の泥――ケイオスタイドがティアマト神を中心に流出を開始したからだ。

泥に汚染された一画は冥界から切り離されてしまうのか、冥界の防衛機構である雷電が目に見えて衰えていくのが分かる。

すると彼女の再生能力が防衛機構によって与えられるダメージを上回ったのか、焼け爛れた肌が見る見るうちに再生していった。

 

『ケイオスタイド、冥界に侵食! まずいぞ、このままだと冥界を乗っ取られる!』

 

「な――な――――」

 

「まずい、再生が……だが、これ以上の攻撃は……」

 

エレシュキガルは必死に攻撃を続けているが、ケイオスタイドの侵食は留まることを知らない。

端から焼かれてもすぐにティアマト神が新しい泥を生み出してしまうため、彼女の方が悪戯に魔力を消耗していくばかりだ。

 

「冥界の力を以ててしても、駄目なのか……」

 

『いや、それだけじゃない……なんだこの反応は!? ビーストⅡの霊気反応、更に膨張! 霊気の神代回帰、ジュラ紀まで進行! これはもう神性じゃない、紛れもない神の体だ!』

 

「え、え、え――!? ななな、なに、何が起きるのだわ!? 私が何かしてしまったのかしら!?」

 

残念ながらその通りだ。

ここに至って冥界の権能という脅威を知ったティアマト神は、肉体の神代回帰を図ることで霊基を拡大し、抗えるだけの力を獲得しようとしている。

そもそも神という概念は自然現象を人間が認識できるレベルにまで落としたものだ。全ての神は遡れば空に浮かぶ太陽であり、疫病を運ぶ季節風であり、恵みと災害を起こす河川だ。

神は元からあったものだが、人の信仰を得て現在の姿を形作った。ティアマト神とて例外ではなく、あの巨大な女性の姿は大地母神としての人間のイメージが反映されたものだったのだ。

彼女は自己改造によってその枠組みを取り払い、理性なき大海原であった頃に回帰した。

ただの自然現象、生命を育み時に害する強大な力だけの存在へと転じたのである。

 

霊基膨張行程(インフレーション)停止、魔力炉心、連続再起動を確認……! 冥界の防衛機構による損傷もどんどん復元していく! 出るぞ、あれが――――あれが本当のビーストⅡの姿だ!』

 

泥の中から巨大な獣が這い上がり、その全容を露にする。

体重を支えるにはあまりに心もとなかった細い四肢は分厚く巨大な四肢と化し、表面は歪で赤黒く光る鱗でびっしりと覆われていた。

対して胴体は陶磁のように滑らかで人間体だった頃の名残を残しており、巨大な乳房もそのままだ。

そして、顔は僅かに女性の要素を残すのみに留まり、大角と半ば一体化した異形なものに変わっていた。

長い尻尾を大地に叩きつけ、背中の翼を羽ばたかせながら咆哮する姿はオルレアンで対峙したファヴニールを髣髴とさせるが、大きさは邪竜の比ではない。

神代の獣――神の姿がそこにはあった。

 

「Aaaaaaa、AAAAAAAAAA――――LaAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――――」

 

四足の獣と化したティアマトは更に多くの泥を作り出し、我が子であるラフム達を産み落としていく。

ヒトを嘲り弄ぶ狂気の新人類。生きた者がいないこの冥界で矛先を向けられるのは自分達だ。

奴らはすぐさま獲物を捉え、隊列を組んでこちらに向かってくる。

 

「無理ね! どう見ても無理! あれを私達だけで倒すのとか無理! ああ、波がもうそこまで!? このままじゃ冥界が乗っ取られちゃう――!」

 

冥界の権能に焼かれてもなお、増え続けるケイオスタイドとラフム達を前にして、エレシュキガルは動揺を隠せない。

及び腰になる彼女を咄嗟にアナスタシアが支え、マシュは立香を地面に降ろして迫りくるラフムを迎え撃たんと盾を構える。

最早、共に轡を並べた英雄達はいない。

恐らくイシュタル神はこちらに向かっているだろうが、冥界の侵食が終わる前に間に合うかどうかはわからない。

エレシュキガルを含め、ここに残された五人であれを何とかしなければならないのだ。

絶望するなと言う方が無理がある。

あんな規格外の化け物とどう戦えばいい。

この場にいた誰もが同じことを考えていた。唯一人の例外を除いて。

 

「――それでも、戦わないと」

 

なけなしの勇気を絞り出すように、立香は呟いて立ち上がる。

その目はまっすぐに前を見据えていた。恐ろしい魔竜へと転じたティアマト神――否、倒すべき人類悪ビーストⅡを。

 

「あれが俺達の倒す敵なら……人理を乱す悪だというなら……俺は生きる! あいつを倒して、必ずだ!」

 

ギルガメッシュ王はもういない。彼は全てを託してその命を捧げた。

ここから先はメソポタミアの命運だけでなく、人類史そのものを揺るがす戦いだ。

人理を焼き払う波の防波堤となり、その行く末を見守るのは自分達の役目。

そして、何より、守り切った未来に辿り着きたいという未練が立香を立ち上がらせた。

ただ生きたい。

生きついた明日で笑いたい。

自らの人生が終わるその時まで、出来る事から逃げずに精一杯生き抜きたい。

それが生きるということ。

それが彼の願いであり、唯一つの執着。

その思いがここまで彼を強くした。

神を前にして、足を震わせながら、それでも前を向くだけの勇気を呼び起こした。

 

「ああ、その通りだ」

 

肩の埃を払い、立香の隣に立つ。

親友が諦めないのなら、自分もまた諦めない。

だってそうだろう、ここまでみんなが努力を重ねてきたのだ。それが報われないなんて嘘だ。

 

「やるぞ、藤丸」

 

「ああ、俺達でやる」

 

隣り合った状態で、互いの拳をぶつけ合う。

猶予はなかった。

迷っている時間も、怯えている暇もなかった。

波はすぐそこまで来ている。

泥はすぐそこまで来ている。

引けば終わる。臆せば終わる。

生きたければ前に出ろ。

前に出ろ。

前に出ろ。

死中に活を、絶望には希望を、夜の帳には朝焼けを。

群がるラフムを叩き潰し、凍てつかせ、前へ前へと進軍する。

だが、遠い。

壁となって立ち塞がるラフムは多く、厚く、ビーストⅡまでの距離はどんどん広がっていく。

回帰の獣が地上を目指して歩き始めている。

このままでは届かない。

このままでは追い付けない。

それでも彼らは走った。

地を駆け、泥を超え、ラフム達を蹴散らしながら母なる獣を目指す。

 

「そんな、無理なのだわ……もう、冥界の出力も保たないし、いくら冥界の加護があっても……」

 

エレシュキガルのおかげで魔術が使えない立香も泥に沈まず戦うことができる。だが、今の彼女にできるのはそれだけであった。

冥界の防衛機構は最早、ビーストⅡには通用せず、ケイオスタイドは冥界中に広がってしまった。未だ支配権こそエレシュキガルが有しているが、リソースを奪われたことで防衛機構の雷電も目に見えて弱くなっている。

足止めすらままならない状態だ。

そんな状況でも、彼らは何故、諦めないのかとエレシュキガルは慟哭する。

答えている余裕はなかった。

応えている余裕はなかった。

それは当たり前の感情だ。

ただ生きたいからに決まっているじゃないか。

 

「しまっ……カドックさん!?」

 

「くっ!?」

 

カドック(マスター)!?」

 

マシュが倒し切れなかった一体のラフムがこちらに迫る。

アナスタシアは別方向から来る群れを抑え込んでおり、こちらに対処する余裕はない。

立香が礼装でこちらに援護を飛ばそうとするが、向こうも数体のラフムに追われていて礼装を起動させる隙が無い。

振り下ろされる凶悪な爪を防ぐ術はなく、後はその死を受け入れることしかできないのか。

折角、生きたいと思えるようになったのに、自分の旅路はここで終わってしまうのか。

そう思った刹那、一陣の風が戦場を駆け抜け、自分に襲い掛かってきた奴はおろか、周辺にいたラフム数十体が纏めて引き裂かれた。

 

「お前は!?」

 

「そう! 鳥だ、バルーンだ、いや目の錯覚だ! 私こそ冥界を駆ける虎、人呼んでジャガーマンッッッ!」

 

「生きていたのか、ジャガーマン! さすがだ!」

 

ギルス市の救援に向かって、そのまま合流の暇もなかったので安否を確認することもできなかった。

どうやら無事に仕事を成し遂げて、こちらに駆け付けてくれたようだ。

やはりジャガーの戦士は伊達ではない。神性が低かろうと彼女は立派な神霊だ。

 

「その言葉は嬉しいけれど今は後! とにかくここまでよくやったわみんな!」

 

「虎! 虎が冥界に来たわ! 嘘!? 他の土地だとそういうのアリなの!?」

 

何故か、ジャガーマンの存在に食いつくエレシュキガル。この非常時にそんな素っ頓狂なことを言える辺り、余程テンパっているのかまだ余裕があるのかのどちらかだろう。

 

「ありだとも小娘! つべこべ言わずにさっきの凄い攻撃を続けなさい! 効かなくても続けるの! いい、あれでもティアマト神は今が一番弱い状態なの! ここで! 私達が! 何とかしないと人類終了どころか地球終了のお知らせよ!」

 

ジャガーマンの言う通り、あの状態のビーストⅡが地上に出てしまえば、一日もせずに地球上はケイオスタイドに覆われてしまうだろう。

そうなってしまえば人類はおろか全ての生き物は死滅し、ビーストⅡへと取り込まれてしまう。

未だ冥界に足止めされている今でなければ、獣を滅ぼすことはできないのだ。

 

『幸いケイオスタイドもラフムもティアマトそのものだ。他の命にはカウントされない! 冥界にいる今なら、ティアマトを殺せさえすれば逆説的復元はしないはずだ!』

 

「ああ。だが、実際のところどうする?」

 

ジャガーマンの登場で冷静さが戻ってきたのか、今の絶望的な状況を改めて俯瞰する。

こうしている間にもラフムは次々に生み出されており、ビーストⅡを守る壁を形成し始めているのだ。

あれを突破し、ビーストⅡに辿り着くのは至難の技だろう。

まずはラフムを纏めて蹴散らすか、発生そのものを止めなければビーストⅡと戦うこともできない。

 

「また、私が全てを凍らせて……」

 

「それしかないか。だが……」

 

平原でケイオスタイドの津波を押し留めた時のように、一時的にラフム達の動きを止める。

そうすれば立香達はビーストⅡのもとに辿り着けるだろう。

だが、魔術回路も傷つき万全ではない今の状態で同じことができるだろうか。

それに今のビーストⅡはケイオスタイドの生成量も地上にいた時の比ではない。押し留めることができたとしても、数十秒が良いところだ。

残る二画の令呪を用いて、果たしてどこまでやれるのか。

思考がループに陥りかけた瞬間、エレシュキガルが再び奇妙な叫び声を上げた。

 

「なんだありゃあ――――!?」

 

その叫びに同調したのは自分達だけではない。ビーストⅡの眷属であるラフム達ですら驚愕し、その動きを止めてしまうほどだ。

ビーストⅡの足下から止めどなく溢れ出てくるケイオスタイド。あの悪魔の如き黒泥から、淡い光を放つ無数の花びらが開花したからだ。

暗黒の泥を栄養源とするその花は、見る見るうちに冥界のあちこちで咲き乱れ、黒泥から魔力を吸い上げてより輝きを増していく。

同時に、新たなラフムの発生がピタリと止まった。

 

『ケイオスタイドの権能が軒並み停止した!? いや、もう機能を使い切ってただの泥になったのか!? 信じられないが、その花がティアマト神の力を枯渇させている!』

 

驚愕するロマニの声。

それに被さるように、冥界に美しい声音が響き渡った。

 

「――星の内海。物見の(うてな)。楽園の端から君に聞かせよう。君達の物語は祝福に満ちていると。罪無き者のみ通るが良い――『永久に閉ざされた理想郷(ガーデン・オブ・アヴァロン)』!」

 

冥界に響く呪文と共に、白衣の青年が姿を現す。

白髪のどこか人を食ったかのような横面の青年。

その名を聞いて知らぬ者はいないであろう大魔術師。

遠いブリテン島の騎士王を見出し、育て上げた稀代のキングメーカー。

その異名は花の魔術師。その真名は――――。

 

「いよぅし、間に合った! そして発想が貧困だなアーキマン! 命を産む海ならその命を無害でささやかなものに使わせてしまえばいい! そういう事なら私の出番だ! 花の魔術師、その二つ名の面目躍如という訳さ!」

 

『げぇぇぇ、マーリン!? なんでキミが!? まさか再召喚!? いやいやいや!』

 

ロマニの驚きも最もだった。

そこにいたのは鮮血神殿で死んだはずのマーリンその人だ。

彼は夢の世界で目覚めたティアマトによって精神を殺され、肉体の方もキングゥを足止めするために崩れ行く鮮血神殿に残って完全に消滅したはず。

なのに彼は今、何事もなかったかのように冥界に姿を現した。身に纏う魔力も英気も何もかもがそのまま。いや、寧ろ今まで以上に充足している。

その力は最早、一介のサーヴァントの枠に収まり切るものではない。

 

「ははは。再召喚とか有り得ない。これはもっと単純な話だ。私は本物、正真正銘のマーリンだ。慌ててアヴァロンから走って来たのさ!」

 

「フォーウ!」

 

「走って来れるものなのか」

 

確かに妖精郷は円卓の騎士が死後に渡る世界。ある意味では彼岸と言えるのかもしれないが、メソポタミアの冥界と繋がっているとは思わなかった。

 

「まあ、人理焼却によって白紙状態の地球なら、こっそりとね」

 

茶目っ気を含みながらウィンクしてみせるマーリンの笑顔は、堪らなく苛立ちを煽る。

彼が帰ってきたのだと実感する。憎たらしくていい加減で、それでいてとても頼りになる花の魔術師が、今帰還したのだ。

 

「ボクは悲しい別れとか大嫌いだ。意地でも死に別れなんかするものか。だから、ちょっと信条を曲げて幽閉塔から飛び出してきた。無論、キミ達に会うためにね」

 

「ああ、それについては同感だ」

 

「ハッピーエンドが一番だよね」

 

マーリンを中心にして、彼を挟むようにカドックと立香は立つ。

見据えた先にいるのはビーストⅡ。獣は自らの力を封じられたことに対して怒りを露にするかのように咆哮し、背面に魔力を集中させる。

ここからでも頭が酔ってしまうほどの強烈な魔力だ。ダ・ヴィンチが作ってくれた礼装のマフラーがなければそれだけで気を失っていたかもしれない。

 

『ビーストⅡ、背部の角翼を展開! 冥界への侵食は止められてもビーストⅡ本体は止まらないぞ! ウルクに――地上目指して飛ぼうとしている!』

 

ケツァル・コアトルとゴルゴーン。二柱の女神によってへし折られた翼が遂に復元してしまった。

ケイオスタイドを封じたとはいえ、空を飛ばれてはもう自分達に打つ手はない。

決着をつけるためには、何としても彼女の飛翔を止めなければならない。

 

「ふむ。二柱の女神による真体の足止め、ウルクを餌にした冥界の落とし穴、天の鎖による拘束、冥界の刑罰、そして私の綺麗なだけの花。ここに至るまでキミ達は実に多くの手を尽くしてきた」

 

だが、まだ足りないとマーリンは言う。

あれはまだ獣であり、恐怖を知らない。自らの天敵を知らない。

それは生あるものが行きつく果て。

知恵ある誰もがそれを恐れ、敬い、神聖視する絶対の概念。

告死の鐘の音を、獣はまだ知らない。

彼という死を知らない。

 

「彼? まだいるというの、助っ人が」

 

「ああ、いるとも皇女様。とっておきの凄いのがね。では、彼はいったい誰に呼ばれたのか? ギルガメッシュ王でもない、魔術王の聖杯にでもない。そう、キミだ、カドック君。彼はキミに礼を返すためにその冠位を捨てると言った。そして敵は人類悪ビースト。初めから、彼がこの地に現れる条件は整っていたんだよ。キミ達の戦いは全てに意味があったのさ」

 

『まさか、以前この冥界で藤丸くんの生命反応が消えていたのは!?』

 

「ああ、彼が最善たろうと尽くすのなら、その仲間を救うのもまた必定。彼を呼んだのはカドック君だが、そうさせたのはキミ達カルデアだ。カルデアが彼という存在を呼び寄せた。さあ、天を見上げるがいい原初の海よ! そこに貴様の死神が立っているぞ!」

 

いつからそこにいたのだろうか、遥か頭上、冥界への落とし穴の縁に一人の男が佇んでいた。

視力を強化し、注視するとフードを目深に被った老人の姿が見えた。見覚えのあるその姿は、かつてウルクの街でパンを与えた物乞いだ。

名は確かジウスドゥラ。

神々の大洪水を生き延びた唯一の人。世界の終わりを見届ける者。

彼がマーリンの言う獣の天敵なのか。

その疑問はすぐに解かれることとなる。

杖を捨て、ローブを脱ぎ捨てた彼の姿が、かつての特異点で出会ったある人物のものであったからだ。

 

「……死なくして命はなく、死あってこそ生きるに能う。そなたの言う永劫とは、歩みではなく眠りそのもの。災害の獣、人類より生じた悪よ。回帰を望んだその慈愛こそ、汝を排斥した根底なり」

 

「Aaaaaaaa――――AaAa、AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――――!」

 

ビーストⅡが、初めて警戒を露にする。

自分よりも遥かに小さな存在を恐れ、威嚇するように咆哮を上げる。

あのビーストⅡですら恐れる存在。それは漆黒の鎧を身に纏い、幽鬼の如きオーラに包まれた髑髏の剣士。

それは死を告知する鐘であり、道を違えた者を断じる刃であり、遍く生命に訪れる死そのもの。

かつて第六の特異点において相対し、力を貸してくれた暗殺皇帝。

暗殺皇帝(ツァーリ・ハサン)がそこにいた。

 

「冠位など我には不要なれど、今この一刀に最強の証を宿さん」

 

静かに抜き放たれるのは青白い炎を纏った大剣。

定められた死を起こす、命を刈り取る死神の刃。

それが今、ビーストⅡへと向けられている。

 

「獣に堕ちた神と言えど、原初の母であれば名乗らねばなるまい――――幽谷の淵より、暗き死を馳走しに参った。山の翁、ハサン・サッバーハである」

 

跳躍。

一閃。

構えた剣はより一層、強く燃え上がり、巨大な炎の柱となってビーストⅡに振り下ろされる。

渾身の力を込めた死の一撃。

垣間見たカドックは身の毛がよだつほどの恐怖を覚えた。

あれはただの剣閃ではない。

騎士王のように誉れある光ではない。

竜の魔女のように悍ましくも悲壮な炎ではない。

ただ一つの事実を突きつける残酷な告知。

全ての生命に終わりをもたらし、死すら知らぬ者に死を与えるという矛盾。

きっとあの一振りは、神様だって殺して見せるだろう。

 

「晩鐘は汝の名を指し示した。その翼、天命のもとに剥奪せん!」

 

鮮血と咆哮が迸る。

交差は一瞬で、互いが視線を交わすことすらなかった。

ゴルゴーンがその命を賭けてやっとへし折ることができた角翼を、彼はいとも容易く両断して見せたのだ。

傷つき、羽根を失ったビーストⅡは叫びながら痛みにのた打ち回り、その衝撃で冥界の大地が激しく揺れる。

彼女はもう、空を飛ぶ事はできない。そして、変化はそれだけに留まらなかった。

 

『――――ビーストⅡの霊基パターンが変化した。何て事だ……ティアマト神の角翼が切断されたばかりか、死の概念まで付加されたぞ! ティアマト神の規模は変わらず膨大だが、これは通常のサーヴァントの霊基パターンだ!」

 

ここに来て、初めて光明が強く射した瞬間であった。

山の翁の一撃でビーストⅡは不死身の怪物ではなくなった。原初の女神ではなくなった。

その力は強大で、肉体は未だに神代回帰を果たしたまま。力の差は歴然だ。

それでも今ならば、彼女を滅ぼすことができる。

完全に消滅させることができる。

やるしかない。

全ての命が自分達をここまで導いてくれた。

今を逃がせば、その思いに背を向ける事になる。それだけは絶対に嫌だった。

 

『ロマニ! 霊基核の特定、できたぞ! 定番だが頭部だね! 心臓ではなく頭部がティアマト神の霊基核(じゃくてん)だ!』

 

『ナイス、レオナルド! みんな、話は聞いたね!? ビーストⅡの頭部を叩け! これが本当の、最後の総力戦になる!』

 

「ああ、そしてさすがビーストⅡ。命を実感した瞬間に全力で抵抗を見せ始めたぞ! ラフムを最大生産しつつ、本体は冥界の壁に向かっている!」

 

マーリンの宝具でケイオスタイドは無力化されたとはいえ、命を産みだすティアマトの権能そのものは健在だ。ビーストⅡは残された力を総動員して壁となる我が子を生み出し、自身は冥界の壁を這い上がって地上に逃げ出そうとしている。

地上にはまだ生命が存在する。あそこに逃れれば、自らに付与された死という恐ろしい結末を迎えずに済むからだ。

 

「これが正真正銘のラストチャンスだ! カドック君、藤丸君、みんな、再会の挨拶はまた後で! 嵐に向かうぞ! 立ち向かう準備はいいかい?」

 

「ああ」

 

「もちろん」

 

「やりましょう、カドック(マスター)。これは第七特異点、最後の局面よ。私のマスターとして、相応しい采配を見せないさい!」

 

「先輩! どうか、弱気になっていたわたしに指示を! お願いします、マスター!」

 

「すごい……私の冥界にこんなにいっぱいの花が!――――いいえ、違うわ、そうじゃないわ。泥が無力化されたことで力が戻って来たわ!」

 

咲き誇る花々に感動していたエレシュキガルも我に返り、居住まいを正す。

その横ではジャガーマンが薙刀を手に準備運動を終え、今にも駆け出さんとしている我が身を必死で抑えていた。

 

「いいでしょう、今回は特別です。皆さんに冥界での行動権利、及び全強化を与えます! 冥界の女主人、エレシュキガルが願い請う! 地上の勇者よ、あの魔竜に鉄槌を! 遥か未来まで続いた貴方達人間の手で、天と地に楔を穿つのです!」

 

「雑魚は任せな、坊主ども! ここ一番だ、今回だけはおふざけなしでいく!」

 

「ああ、頼むぞジャガーの戦士! みんな……いくぞ!」

 

今まで、自分達を信じてくれた人々の期待に応えるために。

人理の礎を示し、未来永劫にまで続く明日を取り戻すために。

今、自分達は最悪の災害を打ち破る。

これ人と神との決別を巡る戦い。

最後の戦いが今、始まったのだ。




七章完結まであと少し!
このペースなら3月には全体を完結できる……かな?
この辺の流れは本当に震えますよね。
翁の登場シーンは何度リピートしたことか。

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