「急げゆかり!バス出ちまうぞ!」
穏やかな陽気が心地よい4月の朝、車も歩行者も居ないのを良い事に閑静な住宅街を全力疾走する双子の高校生の姿があった。以前と同じ時間帯に家を出たところで今年度からバスの運行ダイヤが変わったことを思い出し、今こうしてバス停まで走っているようだ。
「ま、待って……朝から……そんな……走れ……ない……」
結月ゆかりは前を走る弟に向かってか細い声を投げ掛けた。あまりに弱々しい声を聞いて振り返る弟。まだ家を出て2分程度しか経っていないのに既にヘロヘロな姉にむかって露骨に面倒そうな顔を浮かべると、姉の元へ足早に戻るや否や軽々と持ち上げ再び全速力で駆け出した。
「えっ、ちょっ、これは……」
「新学期早々遅刻するわけにはいかないだろ。しっかり掴まってろ」
「いや、待っ$#○=%△……」
姉からの返事は理解不能な言語であった。
それから数分後、無事に発車寸前のバスに滑り込むようにして間に合った。息を切らしながら乗り込み、後方の座席に座り込む双子に苦笑いを浮かべる運転手の顔が強く脳裏に残っている。弟に抱えられているところを見られて湯気が吹き出そうなほど恥ずかしい思いをした。元々利用者が少ない路線なうえ、朝早い始発だったため他に乗客が居ないのがせめてもの救いだった。
「進級して1日目がこれとか……先が思いやられるな……」
隣で何故か自分以上にぐったりしている姉に話しかける。耳の辺りまで赤くしている姉からの返事はない。怒らせたか、と一瞬思ったが弟には特に思い当たる節もなかったので気にしないことにした。
「ん……桜か……。まだ生き残ってるんだな」
この路線は途中で桜並木道に入る。もうそろそろ花も全て散ってしまうだろうが、この時期のこの通りの景色はいつ見ても圧巻だ。もっとも、双子がこの道を通るようになったのは昨年からだが。
「花見さ、結局今年もやんの?」
「…………明後日。日曜が一番都合が良さそうって」
「そか。ゆかりも作んの手伝えよ」
「…………ん」
それきり、会話は途切れた。バスのエンジン音がやけに大きく聞こえた。
『…………終点、蒲井戸駅、お降りの際は…………』
揺られ揺られて約30分。終点に着く頃には姉の様子も元に戻った。気がする。だからと言って特に話題がない以上双子は何か会話をするわけでもない。
改札口目の前の駅前ロータリー。いつもここに着くのは朝の7時半前なうえ、大抵の学生は電車通学のためここでクラスメイトや先輩とおぼしき人と遭遇したことがほとんどない。と言うよりこの時間帯でここの駅を利用しようとする人がまず少ない。駅近辺の24時間営業の店以外はほとんどがシャッターを下ろしているのもあって余計に寂しく感じる。結月弟の様に人混みを苦手とするタイプの人間にとっては心地好い空間であることだろう。
駅ビル内を突っ切り駅反対側に出ると、線路沿いに走る大通りを越え緑道へ。そこから途中で高級そうな住宅街に入りしばらく歩くと二人の通う高校が姿を現す。そこそこ偏差値の高い公立の進学校だ。門の脇には入学式の看板と名前ぐらいしか知らない教師が1人。朝っぱらからご苦労なことで。
「いつも思うことだけどさ、最寄り駅って謳っておきながら歩きだと20分はかかって、おまけに近くにはバスも走ってないとかどうなんだろうな」
「最寄りなのは本当のことだし別に良いんじゃない?何も間違ってはないわよ」
「いや、まあ、それはそうだけどさ、立地悪すぎるだろ」
中央玄関に貼り出されている新クラスの振り分け表を熱心に見ながら、弟の文句には適当に返答する姉。そんなどうでも良い話より新クラスの方が重要事項だ。
「あったあった!今年は3組ね。そっちは……」
「隣。また4組」
「あら。3年生では確かクラス替えはなかったはずだから、卒業まで授業一緒になるのね」
本校は1学年につき6クラス。英語や体育など幾つかの科目は隣同士の2クラス合同で行うことになっている。
「はぁ。どうせならクラスもうんと離してほしかったんだがなぁ。ゆかりと一緒とか絶対周りがうるせぇぞ」
男でありながら姉と瓜二つな容姿であることは特になんとも思っていないし、性別を間違えられる事にも慣れている。ただ、姉弟揃った時に同級生共から向けられるニヤニヤした視線には非常に強い嫌悪感を覚える。俺は見世物なんかじゃないっての。
「ほら、早く行きましょ。2年生の教室は4階よね」
言うが早いか姉は足早に階段を上がっていった。
「なぁに浮かれてんだか。クラス替えとかそんなに楽しいもんかねぇ?」
溜め息混じりにボソッと呟くと、視線をもう一度振り分け表に移し自分の名前を再確認してから階段に向かった。
予想通りだ。前年度の担任の点呼が終わるまでは学年だけ繰り上げて旧クラスと同じ様に集まる、と担任から散々注意されているはずなのだが、それでも姉は新クラスの方に居た。お前去年は6組だったろと声を掛けたら、ああやっぱり春休みの間に忘れてしまっていたらしい、何かを思い出したかの様な顔をして小走りで教室から出ていった。まだ誰も登校していなかったのが幸いか。
窓際の席に腰掛ける。誰もいない静かな教室に1人。学校にいる時でこの時間が最も心地好い。嵐の前の静けさ、と表現するには大袈裟だが、ここから徐々に校内が賑わっていくと同時に彼のテンションも下がっていく。まあ、テンションが下がるといっても彼は人前だと基本感情を表に出さないのでその違いを分かる人は姉ぐらいなものである。
チャイムが校内に響き渡り、ふと我に返る。ボーっと外を眺めているうちにいつの間にやら元クラスメイトが全員集まっていた。そういえば何回か、おはようと声を掛けられていたような気もする。時が経つのは早いものだ。この後は本来なら前の担任が来るはずだが、隣のクラスの担任がやってきた。なんでも、担任だった先生は他校へ移ることになったらしい。正直どうでもよかったので適当に聞き流し、その後点呼も終えた先生が黒板に新4組の席順表を貼って出ていった。一緒に新クラスに行こうだとか、また一緒で良かったとか、そんなことを話している生徒を尻目に先生が残した席順表を見に行く。
窓際の一番後ろ。吉田や渡辺など自分よりも後ろにくるメジャーな名字は色々あるが今回はそのいずれも無かった。四方を人に囲まれてさていなければ別にどこでも良かったが、教室の四隅は最も人に囲まれない空間のため思わぬ幸運だ。
その新しい席に腰掛け、やることもないからまた目線を外に移す。外といっても見えるのは南棟校舎と住宅街だけの何の面白味もない景色だけ。生徒を授業に集中させるには良い環境かもしれない。もっとも、彼は目線こそ外に向いているが、その実景色を楽しんでいるのではなく今日の夕食や買い出しなど家事の事を考えているので関係のない話だ。
「し~くん、おはよう」
不意に話し掛けられ顔をそちらに向ける。姉の友人、東北ずん子がそこにいた。
「あれ、ああ、おはよう。ずん子さんもここなの?」
「うん。これから2年間よろしくね」
「いや、こちらこそ。一緒だったんだ。自分の名前しか見てなかったから気付かなかったな」
「ふふ、し~くんらしいね」
それじゃあまた後で、と言って座席表へと向かう後ろ姿を見ながら思う。普段のあの人はおっとりしているが、弓道をやっているときはまるで別人のように凛としている。今時珍しいザ・大和撫子という感じの女性だ。この人ほど着物が似合いそうな女性はそうそう居ないだろう。男子は勿論のこと、女子からの人気が高いのも頷ける。……人気度で言えば結月姉弟も十分高いが本人はそんなこと知る由もなかった。
「はい着席~」
今年の担任の先生が教室に入ると一瞬だけ静かになった。新たに来たその人は誰も一度も見たことのない男の人だった。
「4組ってここで良いんだよね?」
その一度も見たことない男は教卓の前に立って前列に座っている生徒に確認し、黒板に名前を書き始めた。
「えー、おはようございます。全員初対面のはずなのでまずは自己紹介から。今黒板に書いた通り、凪江匠と言います。担当科目は古文。今年度からこちらの高校に移って、これが人生初の担任だから色々と間違ったことをやったりするかもなので、その時は皆が訂正したり支えてくれるとありがたいな。来年は分からないけどひとまず今年一年間よろしくお願いします」
頭を下げる若手の先生に沸き起こる拍手。
「それじゃ式が始まるまで時間があるから今のうちに皆も自己紹介をお願いします。顔と名前を早く一致させたいから、趣味とか特技とか何か一言付きでね。じゃあ先頭の人からどうぞ」
さあ始まった。4月名物の自己紹介大会。趣味も特技も特には無いが話すネタは毎年同じもので決まっている。しかし、ずいぶんと不思議だ。何故こういうものはあっという間に自分の番が回ってくるのだろうか。
「次、で最後か。じゃあ自己紹介お願いします」
先生に促されゆっくり立つ。全員の視線が自分に向けられているのを強く感じる。正直気持ちの良いものではない。
「結月しおん、これでも一応男。隣の3組にいる結月ゆかりの弟です。そっくりって言われますけど姉と間違えられるのは嫌なので早いとこ見分けられるようになってください。以上」
「へえ、そんなに姉弟似てるのかい?こりゃ1年目から大変だな。はい、皆ありがとう。まだやることはあるけどそれは入学式の後にしようか。えーと、並び順は名前順で良いのかな?廊下に2列で並んで、体育館行くよ」
体育館には既に3年生が集まっていた。2年生も順々にやってくる。今回は入学式だからか、珍しく所定の位置にパイプ椅子が置かれていた。こりゃ楽で良い。
少し経って新1年生の親御さん方もやって来る。その中に1人、見覚えのある顔も。
「叔母さん……あいつも今年からは高校生か……」
ふと口から溢れた言葉に隣の列のとある男子が反応する。
「あいつ?知り合いがここに来んの?」
「ん、ああ。従妹がな」
「おお~いとこねぇ。男?女?どっちにしても結月のいとこってことは美人なんだろ?」
「結月だからって、どんな方程式に当てはめてんだよ。女の子で、んー……多分、可愛い、かな?」
「自信持って言ってやれよ。そんな曖昧じゃ可哀想だろ」
「見慣れた顔に可愛いも何もないと思うんだが」
「そういうもんなのか?1年の時に姉結月がお前の事可愛い可愛いって言ってんのを聞いたけど」
「ゆかりはそういう奴だから。つーか俺男だから別に嬉しかねぇし」
心底どうでもいい感を漂わせながら返答する。それとほぼ同時に壇上に先生が立つ。一気に静まる館内。何か色々と言ってたが要は1年生を拍手で迎えれば良いらしい。そんなこと言われんでも皆わかってると思うが、まあ念には念をいれるってやつか。
そして入学式が始まった。新1年生達が各担任に連れられて入場する。先生、在学生、保護者全員が拍手で迎える。俺達も去年これをやられたが、緊張している1年生からしてみれば威圧感の方が凄いのでは、と思う。静寂で迎えられるよりかは断然良いだろうけども。
「しおん!」
「ひゃんっ!」
突如耳元で声が聞こえて思わず悲鳴をあげてしまった。拍手で自分の声がかき消されている事を願う。こっそり列を抜け出したゆかりが音もなく忍び寄って来ていた。
「何なんだよいきなり……」
「写真!ちゃんと写真撮って!」
手渡されたのはゆかりのスマートフォン。
「何で俺がやるんだよ。自分で撮れよ」
「そっちの方が通路に近いじゃない。よろしく頼むわよ」
そう言うと何か言い返される前にさっさと自分のクラスの列へと戻っていってしまった。
「メンドくせぇなぁ……」
そう文句を言いつつも従妹の為にこっそりカメラを構える。何組かは知らないがまだ来ていないのは確か。あの子を見落とすハズがない。約240人が1人ずつ入場するわけだから、もし彼女が5組や6組ならまだまだ時間が掛かる。式直前に何組か聞いておくべきだったか。このままスマホを構えていたらいつ先生にバレることやら……。
そして待つこと数分、1つ違いの従妹、紲星あかりが姿を現した。緊張なんて微塵も感じていない、むしろこれからの生活が楽しみでしかたがないという表情をしている。
「やっと来たか」
何回かシャッターをきる。5枚ほど撮ったところでおしまい。誰かに気付かれる前にスマホをポケットの中に。後で式が終わったら返そう。
さて、1年生が全員集まると毎度お馴染み校長先生の長話が始まったが割愛。
緒注意や部活動別の連絡も済みやっと入学式兼始業式も終わり。あちこちから溜め息が聞こえてくる。今日はパイプ椅子に座っているから良いものの、本来は立って話を聞くものだから中々に辛い。
先生に促され、入場とは逆の順番に、やはり1人ずつ1年生が退場していく。あかりも2、3年生の前まで来たところで、どうやらこっちを見付けたらしい。目が合うとニッコリと笑いかけてきたから軽く右手をあげて返事した。あの子の事だから姉弟に飛び付きたくて仕方のないところだろう。まったく、これからの学校生活は一層騒がしくなりそうだ。
弟くんの名前を考えるのが一番大変でした。あ、先生や同級生などのモブの名前は覚えなくても問題ないです。