番外編です。
ちなみにこんな話書いていますが、作者は下戸です。
「まな、お酒はね? とっても良いものなのよ?」
(遂にお姉ちゃんが壊れた……)
ある休日の昼下がり。突如としてそんな事を妹の犬山まなに対し、乙女はさも当然のように口走った。
乙女は何時もよりも強く微笑んでおり、手で押してまなをリビングのソファーに座らせる。
「お、お姉ちゃん……?」
「じゃあ、お酒についてお勉強しましょうか?」
更に乙女は突如として尻尾からホワイトボードを取り出し、まなに見易いように設置すると、マジックと指示棒を取り出す。
やや引きつった表情で乙女に声を掛けたまなであるが、乙女は一切まなの言葉を意に介さず、まるでビデオテープを再生してるように決められた動作と発声をしているようにさえ思えた。
要は乙女――羽衣狐の目に一切の光がなく、瞳孔が散開し切っており、余りに人間味が無かったのである。流石のまなも一目見て、彼女の可笑しさに気負された程だ。
「まなは煙草とお酒が嫌いじゃない? 後、最近添い寝もしてないし、添い寝もしてないし。それで思ったの。まなにお酒の良さを知って貰えばいいんじゃないかしらって」
どうやら乙女は、禁煙・禁酒に加え、二十七面千手百足でまなを追い立てて以来まなと添い寝禁止されており、それが2週間以上続いた事で、精神に異常をきたしてしまったらしい。
乙女はまなの前にあるテーブルにほどほどに温いお茶を出しつつ更に続ける。
「今日は"蒸留酒"についてのお勉強をしましょう」
「羽衣姉……本当に大丈――」
「うふふ、大丈夫よ。それよりも今回は一緒にお勉強するお仲間も呼んでおいたわ」
「お願い、エルデンリングさせて」
伸ばされた尻尾の中から手足を縛られた刑部姫がぬるりと現れ、全身をわなわなと震わせている彼女はそんな事を呟く。
「見ての通り、ちゃんと快諾してくれたわ」
「ソフィーのアトリエ2でもいいから」
「流石は私のズッ友ね」
「ソフィー先生ぇ……ツリーガード先生ぇ……」
無論、刑部姫の懇願は全て無視である。この辺りはまながいつも見ている二人の様子であった。
また、刑部姫を幾らか弄ると、乙女のホラー映画の亡霊のような表情が幾らか和らぎ、いつもよりも目に光がないだけになる。どうやら誰かを虐めても幾らか精神力が回復するらしい。心底、邪悪な妖怪である。
乙女は刑部姫をまなの対面のソファーに座らせると、手の拘束だけは解き、彼女の前のテーブルに"黒狐"という銘柄の大吟醸が瓶ごと置かれた。
「ほら、どうぞ。
「マイネェェーーーム! イズ! オサカベェヒメェ! オッキィイイ!」
元気に叫ぶ刑部姫を眺め、乙女はいつもよりニコニコ顔になる。仲が良いのは結構だが、二人揃うだけでとてもやかましいとまなは思っていた。
流されるまま、酒の勉強をすることになったが、ならばとまなは頭に知り合いの顔が浮かんだ。
「あれ? 酒呑さんは呼ばなかったんだ?」
「妾の尻尾の酒全部持ってかれるわ」
その通りと言えばその通りであろう。文字通り、あの妖怪は蟒蛇である。
ちなみにまなは羽衣狐が自身の尻尾に大量の酒や煙草を隠し持っている事を知ってはいるが、彼女の尻尾の全容を把握しておらず、回収には至っていない。提出求めると、彼女は酷く小さくなって涙ながらに首を振るため所持だけは仕方なく認めているのだ。
叩くとふかふか、まさぐればふわふわ。しかして、羽衣狐が手を突っ込めば酒瓶が顔を覗かせる。九尾の狐の尾とは誠に混沌な物体である。
「うるさいわね。こちとらマナ禁3週間目に突入してもう限界なのよ」
「紛らわしい言い方っ!」
「あら? 毎日一人遊びしてから眠るのが止められないあなたが言っても説得力無いわよ? もう、習慣になっちゃってるものね」
「――――――っぅ~!!!? な、なな……なんで知って……」
(……? パソコンでゲームしたりするのを一人遊びって言うのかな?)
二人のより姦しい会話にまなは首を傾げていると、その後すぐに酒の勉強とやらは始まった。
「さて、まずお酒と言えば日本なら日本酒ね。他にはビールやワイン等々広く知られたものは沢山あり、そうでないものもあるので、世界には無数のお酒が存在しているわ」
「この"黒狐"は大吟醸だから簡単に言えばお米から作る手間多めの日本酒だね」
「へー」
乙女は大量の酒の種類をホワイトボードにすらすらと箇条書きにして行く。それだけで流石な大酒呑みであり、異様な引き出しの量にまなは良し悪しは兎も角純粋に感心を覚えた。
「これらのお酒に共通して言えることは、アルコール言い換えればエチルアルコール更に言い換えるとエタノールが含まれている事ね。パーセント表記で濃度を示されている他、そもそものお酒を指す言葉として使われることもあるわ。アルコールは本来なら酵母菌が糖分を分解し発酵させる過程で生じる成分のことよ。最初の文明と言われているメソポタミアの時代には既に麦を原料として発酵させたビールがあり、同じく麦を発酵させたパンも同じ時期に生まれたと言われているわ」
"流石に私も生きていない大昔からあるのね"と付け足し、更に乙女は泥酔したサラリーマン風のデフォルメ絵を書く。
「そして、お酒を飲むと酔ってしまうのは、このアルコールの作用によるものなの。酔った状態は、成分が体内で分解されるまでずっと続きます。ちなみに私の身体はメチルアルコールも普通に分解するからどれだけ飲んでもへっちゃらよ?」
「それ、飲んべえとか、酒が飲めるとかの次元の話じゃないじゃん」
乙女の妙な自負に対し、自身の趣味を妨害されて連れて来られた事を根に持っているためか、ぶっきらぼうな突っ込みを入れつつ蓋を空けた"黒狐"をラッパ飲みし始める刑部姫。
妙に堂に入っているその様子に、刑部姫もまた酒飲みであり、紛れもなく羽衣狐の友人なんだなとまなは何となく察するのであった。
「さて、酵母菌によって発酵して生まれたお酒は、その後の過程によって大きく分けると3つに別れるわ。ひとつは米や麦などの原料を酵母として、アルコール発酵させたものをそのまま飲む"醸造酒"。ふたつはその醸造酒を更に蒸留して作られる"蒸留酒"。そして、醸造酒や蒸留酒に果実や香料や糖分などの副原料を加えて作られる"混成酒"だわ」
そう言うと乙女は自身の尻尾からひょいひょいと酒瓶を並べていく。
「醸造酒の代表的なものとしてはワイン、ビール、日本酒など。蒸留酒の代表的なものはウイスキー、ウォッカ、ラム、ブランデー、焼酎など。混成酒には果実酒やリキュールなどね」
"果実酒は梅酒なんかが分かりやすいかしら?"等と言いつつ、いつの間にかまなと刑部姫の前にあるテーブルはところ狭しと酒瓶が並び立っていた。
「そんなわけで、味や見た目が全く違うお酒でも製法は同じ分類だったりするの。今日は今挙げた3つの中で、"蒸留酒"についてお勉強して行くわ」
「そうなんだ」
「決して……決して……ッ! キツめのお酒が飲みたい訳じゃないのよ……?」
「目が恐いよ羽衣姉……」
また、酒の話をして行くと、次第に羽衣狐が指示棒を持つ手が、小刻みに震える様子もなんだか若干恐怖を覚えるまななのであった。
「蒸留酒あるいは
「蒸留……?」
まなの中で蒸留と言えば理科の実験に先生が用いるアレぐらいのものである。
「まさにそれよ。蒸留とは、液体をその沸点まで加熱し、出てきた蒸気を冷却し、液化して分離させることを言うわ」
「えっと……」
「例えば、水が沸騰する温度、要するに気体になるためには沸点の100℃まで温度が必要なの。それに比べてアルコールが気体になるためには78℃でいいの。この差を利用してアルコールだけが沸騰する温度に保てば、醸造酒から水とアルコールを分離してよりアルコール度数を高める事が出来るってことね。ちなみに昔の時代に海外で主に密造酒って言われてたのはこの蒸留酒よ」
"スコッチ・ウィスキーや、バスタブ・ジンなんかは密造酒としての悪名が名高いわね"と言いつつ、乙女は尻尾からアメリカの禁酒法時代のデザインの陶器で出来た茶色い容器を取り出して見せる。
「へぇ……なんで密造してまで度数の高いお酒を作るの? やっぱり美味しいから?」
「それもあるわね。高い度数の蒸留酒を飲み慣れてしまうと、醸造酒だとやっぱり若干物足りなく感じるもの。少ない量ですぐに酔えるしね。でも密造酒が作られた理由は主に税金逃れや禁酒法による裏産業……まあ、要するにお金になったのよ。お酒なんて元より需要しかないじゃない?」
「ハロハロちゃんが言うと説得力あるねー」
そう言いつつ刑部姫は黒狐を飲み終えたらしく、ウィスキーを空けているが、ラベルによるとそのアルコール度数は40%を超えており、それを軽々と喉に傾ける。やはり妖怪である。
「まあ、今で言うところの転売ヤーみたいなものよ。転売ヤーみたいにグレーでなくて完全に非合法だけど、割りと手軽にお金になったから色々な人が飛び付いたの」
「転売ヤー死すべし慈悲はない」
「とは言え、別に蒸留酒は製法の話であって、そもそも悪というわけではないわ。作り手と飲み手に問題があっただけね」
すると乙女は尻尾からワインとブランデーのボトルを取り出して見せる。
「ウィスキーは
「アクアビットマン」
「それはコレ、アクアビットはジャガイモが原料の蒸留酒ね」
そう言ってまた別の蒸留酒を取り出す乙女。
「蒸留酒の品質の大幅な向上は17世紀の末頃だっけれど、蒸留酒自体が広まったのは15世紀頃からね。さて、その頃に世界史ではどんな大きな事があったかしら?」
「えっと……」
「そう、大航海時代ね。パイレーツ・オブ・カリビアンで有名な奴よ。例えば消毒液が腐るって、あんまり聞かないでしょ?」
「確かに……聞いたこと無いなぁ」
「度数を高めた蒸留酒は長い航海でも決して腐らない水だったのよ」
つまりは
まなは彼女がただの大酒呑みだと考えていたが、情熱の方向性が割りと全力だった事に何とも言えない気分になった。
それもそのはず、羽衣狐はかつて大航海時代と呼ばれた頃には日本を離れ、尻尾を増やしながら諸国漫遊の旅に出ていた。その頃、常に傍らにあった旅のお供であり、趣向と趣味を兼ね備えたものこそが酒なのである。
「後はサラッと4大スピリッツの話でもしようかしら? ジン、ラム、ウォッカ、テキーラの4つの蒸留酒のことよ」
「あっ、名前ぐらいは全部知ってるよ」
「ならまずはジンね。ジンの主な原料は大麦、ライ麦、ジャガイモ等よ。また、
説明しつつ、尻尾から大麦、ライ麦、ジャガイモ、ジュニパーベリー、そしてジンのボトルが次々と現れ、ひょっとしたら自身の姉は未来から来た猫型ロボットならぬ狐型ロボットなのではないかなどとまなは思い始める。
「次にウォッカね。原料はジンと大方同じよ。けれど蒸留した後にその原酒を白樺の炭でろ過して造る事が特徴ね。癖の少ない味わいだからカクテルのベースとしてもよく使われるわ。スクリュードライバー、ブラッディメアリー、ソルティドッグ、バラライカなどの聞いたことがあるかも知れないカクテルは全部ベースがウォッカなのよ?」
「私、ハロハロちゃんにスクリュードライバー飲まされまくって頂かれた事あるわ……」
"ロマサガのスクリュードライバーが女性特攻の理由よ……"と呟きつつ、頬を赤らめて身体を抱き締める刑部姫。どうやらやけ酒をしていたせいか、幾らか酔いが回ってきたのであろう。
それはそれとして、乙女はホワイトボードに"ざわわ"と平仮名を書いてから更に説明を続ける。
「次にラムの主な原料はサトウキビね。サトウキビの廃糖蜜や絞り汁を原料として造られている蒸留酒よ。カラメルのような甘い香りや味わいが特徴だからお酒の初心者にも割りと親しみやすいわ。様々なお菓子作りの風味づけとしても使われていて、ラムレーズンのラムはラム酒のラムだからね」
(………………ちょっと飲んでみたいかも)
まなは羽衣狐の口車により少し緩み始めていた。こうして、相手の正常な判断力を徐々に鈍らせて行くのが、羽衣狐の傾国技術のひとつである。
「最後にテキーラね。アガベとも呼ばれているわ。テキーラの主な原料は
「あっ、知ってるよ。サボテンのお酒だよね?」
「ぶっぶー! よく間違われるけどテキーラはサボテンのお酒じゃないのよ」
「えっ、そうなの……?」
「――えっ……?」
まなは今日の勉強で一番の衝撃を受けた。見れば刑部姫も目を丸くしており、どうやらまなと同じく知らなかったと見える。
「竜舌蘭はリュウゼツラン科・リュウゼツラン属に分類される植物の総称。サボテンはサボテン科の植物の総称。つまりは他人の空似みたいなものね。そもそも竜舌蘭は単子葉類で、サボテンは真正双子葉類だから発生の段階から既に別種よ。それと竜舌蘭とは言うけれど、別に蘭と近い植物でもないわ。葉はアロエっぽいけれどアロエはツルボラン科だからまたもや人違いねぇ」
「ええ……じゃあ、竜舌蘭って何なの?」
「竜舌蘭は竜舌蘭よ。要するに乾燥地帯のサトウキビみたいなものね。だからラムみたいにお酒になるの。開花時期になると樹液が糖化して甘くなったり、樹液を発酵させたものがプルケと呼ばれるわ。そして、茎を蒸し焼きにして糖化させた糖液をアルコール発酵させて蒸留したものがメスカルって言うのよ。だから本当はテキーラって、テキーラという地方で作られたメスカルっていう蒸留酒なのよ」
「え……ええ……」
まなの頭はこれまでのお酒の知識と、最後の怒濤のテキーラによる奔流でパンクしかけていた。
「まあ、今日のお酒のお勉強はこんなところね」
その様子を見た乙女はクスリと笑うと、お開きとばかりに小さく手を鳴らす。どうやら今日のところはここまでらしい。
ホワイトボードと酒瓶等を尻尾に片付け始める乙女。さながらプレイリードッグを吸う掃除機のように尻尾が吸い込む光景は見ていて気持ちがいいレベルであった。
「その尻尾欲しいなぁ……」
「1本いる? おっきーのならどうせ使わないからあげるわよ?」
「ひとの ものを とったら どろぼう!」
「連れぬことを言うでない……。そもそもぬしを傷付けてよいのは妾だけじゃ。そして、刑部、どんなになろうとも……妾はぬしを護るぞ」
「えっ……。あう……も、もう……調子いいんだから……そ、それならまなちゃんのためだし、今回だけなら――」
「いやいやいや、ちょっと言ってみただけだから……!?」
刑部姫から妖狐の尻尾が引き抜かれそうな雰囲気しかなかったため、まなは慌てて発言を取り下げる。
それに加え、目の前で行われたやり取りが、完全にDV加害者と被害者の思考によるものであった事にまながまだ気が付かなかった事が救いであろう。
「はぁ……」
まなは大きく溜め息を吐く。どうやら羽衣狐の酒などに対する執着は並々ならぬものであり、それを余り摂取していないと様子が可笑しくなることもわかった。
「あっ……手が震えて……止まら――」
「ハロハロちゃん冗談だよね……? それダメな奴じゃないよね!?」
「あぁ……お酢美味しい……」
「ハロハロちゃん!?」
何故か何処の家庭でもある普通のお酢ボトルを取り出すと、湯飲みに中身を注いで少しずつ口を付け始める乙女。その笑顔は酷く儚げに見えた。
既に色々と限界かも知れない乙女の煤けた笑みを見つつ、今日の勉強なるものを踏まえて、まなはぽつりと呟く。
「もう……たまにちょっとだけだからね?」
「デジマッ!? まな!? 本当にいいのッ!?」
「ぐえっ!?」
瞬時に投げ捨てられた湯飲みが綺麗に刑部姫の額にヒットしたが、それを一切意に介さずまなに詰め寄る羽衣狐。もちろん、手は震えておらず、珍しく光を宿した目は幼子のように輝いている。
(あれ……? もしかしてお姉ちゃんってちょっとヤバい人なんじゃ……)
それは余りにも遅過ぎており、あらゆる意味で手遅れな気付きであった。それでもちょっとという枕詞が付く辺り、未だ信頼は絶大と言えよう。
それにまなとしては、これだけお酒を飲むのが上手そうな乙女といつか一緒にお酒を飲めたなら楽しそうだという憧れを抱く。
「成人したら私もお姉ちゃんと一緒にお酒を――」
「はい? うふふ、もちろんダメよ。まなの体に良くないもの」
「は――?」
嬉しそうに早速尻尾からボトルを抜き出しつつ、即座に反応して来た羽衣狐に対し、まなは"何を言っているんだろうこのお姉ちゃんは――?"と真顔になる。
それと共に現実に引き戻され、やはりこの姉なるものが、邪智暴虐のハゴロモであることに変わりはなかった事を思い知ったのであった。
ちなみにまなが羽衣狐の血を母親を経由して継いでいたのかは定かではないが、蟒蛇レベルに酒が飲める体質であることが発覚し、姉によるかつての抑圧のためか、かなりの酒豪となるのはもう少し先の未来である。