少女の視界は唐突な闇に覆われた。
その直後に全身にとてつもない衝撃が訪れ、身体のあちこちに激痛が走る。刃物で肉をえぐられたような痛みだ。
三秒かけて痛みが徐々に引いていきどうにか起き上がれる程度の力を取り戻す。
「じゃ...まっ......」
自分に寄りかかるように乗っている闇をどける。空から明るい暖かい光が降り注ぐ。
眩しい中でもゆっくりと目を開いて自分に何が起きたのか確かめる事にした。
「なんで...」
「小娘...貴様を殺すのは...この私だ......他の奴に殺されるなんて、真っ平御免なんでな」
本来は彼女の肌を貫くはずだった攻撃をその身一つに受けた、無様なエクエスの姿がそこにある。
復讐の相手に助けられた。とてつもない侮辱にほかならない。
「ふざけるなぁァ!誰が助けてなんて言った!...絶対に生かしてやる。死なせない、こんな所で死んだらあの世で何度も殺してやる」
「なんで負けることが前提なんだ?」
「貴様こそ死ぬ前提はやめろ」
重いエクエスの身体に挟まれ身動きが取れなかった下半身を引っ張り出して立ち上がり、腕を掴んで引きずりながらさとりの方へ向かう。
妖怪を『祓う』力は持っていたが『癒す』力は持っていない。いや、持つ暇が無かったと言い換えた方がいい。
剣術を極め攻撃呪術を習得する。その事だけを重点的にやってきたシエルは、治療なんて当たらなければどうということはないと鼻で笑い練習してこなかった。
そのツケが今ここで巡り巡って来た。
「今なら殺れるぞ...やらないのか?」
「万全な貴様を倒してこそ意味がある。父を殺した貴様の力をねじ伏せ、そこでやっと私の剣術が最強だと、父の力が最強なんだと胸を張れる。
なのにこんな所で犬死なんかさせるものか。絶対に殺す、殺す、殺すからこそ生かす!」
「滅茶苦茶だな、支離滅裂だ」
引きずられながら語る言葉に力強さがない。
妖怪達に与えられる祠の恩恵も弱り始めているのだ。本格的に死が近づいているのがわかる。
霊力の殆どを使い果たしたせいで身体能力は強化できず、どうにか引きずっているがまだ一mも動かせていない。
「ワシそんな顔見たくないんだよねぇ」
足の下にある自分の影を数回リズムよく軽く踏む。
すると、影は標的を少女に定め直角四角形を半分にした形で、シエルの右手・左手・右足・左足・首を拘束し背後の大木へ縫い合わせる。
真顔で近づく子供は近づきながら指で音を鳴らす。
「もっともっと...もっと!絶望し、失望し、消失し、崩壊し。
希望も何もかもを打ち砕かれた君の顔を見てみたいのぅ。だからな、選ばせてやろうと思う。
一生復讐の機会を失うか、今すぐここで死ぬかな。
どちらを選ぶ?五秒まってやろう...」
子供は指を全て立てカウントを行う。
そんな事を腕がくっついた巌が放置している訳もなく、視界の端ですら見ていない子供へ拳を振り抜く。
ボディーガードの役目も持つ、全身縫い目まみれの怪物が難なく受け止める。
「離せよ化け物」
掴まれた腕を離させるため回し蹴りを入れようと腰を捻った時ださとりのさっきの言葉が脳裏をよぎる。
『あの怪物は妖怪の集合体です』
同胞の数多の妖怪達が笑う姿を覚えている。そんな彼らのことを思うと殺すことなんて出来るはずもなく、自然と足は地面へ降りる。
「愛などと言う不完全な物に支配されるからそうなるのじゃよ。愛など不要だと言うのに」
他人に『愛』を覚え非情になれない妖怪を一見し、大木に張り付いている少女へ歩を進める。
「五...四...三」
指を一本ずつ折って残り時間を告げる。
息が上がり、緊急事態に脳は正常に動かず決められない。呼吸が徐々に早くなるのが分かる。
心臓は爆音を鳴らす。汗は額から滝のように流れ落ち、動悸はカウント以上に早い。
「二...い」
「こ......せ」
「なんじゃ?ちと声が小さいぞ」
「殺せ!私を殺せ!」
死ぬ覚悟を決めた。
優しい清明の事だから助けると言って突っ込んで来るのだろうけど、人質となったらその手を止めてしまう。彼はそんな人物なのだと知っている。
──だったら私が死ぬしかない。死ねば足でまといは居なくって、あいつを倒せる。清明後は任せた...出来ることならこの感情を伝えたかったな。
もう泣き言は言わない。そう決めた少女の目には生気と頑固たる意思が宿る。
絶望を切り捨て希望を繋ぐと。
「そうか、そうか。うむ、選んでくれたか......だが、ワシが言って何だが選ぶのは酷なことだろう。だから全てくれやる、感謝するが良い」
指を鳴らす。音に反応し道満の下の影が細く長く伸びる。
立体的に浮かび上がり少女のこめかみの横に軽く触れる。何をと聞く前に道満は笑う。
「痛みは一瞬じゃ、そうすれば両方奪ってやるぞい」
─刹那、影は少女の頭を貫く。衝撃は全身に走り身体が仰け反る。だが、血は流れない。
貫通が終わると影は元に戻っていき、拘束していた影も消える。
支えを失った少女は重力に従いうつ伏せで地面に横たわる。
「なっ...んで」
拘束を離した意味が分からないが好機だと襲いかかろうとし身体に力を込めるのだが、身体はピクリとも反応しない。
首から指先まで何もかもが動かない。まるで石化したかのように。
「なぜ?と思っておるのか?簡単な事じゃよ。人間とはな、脳から動かす情報を電気信号を神経を通って伝え身体を動かすのじゃよ。
だから、ワシはその神経のみを切り裂いた。いや破壊したの方がいいかのぅ。
腕や足を切られたなどの大きな傷はな治すことが容易い。くっつけるだけなのだからな、しかし脳は繊細でな治療がままならん。
ここまで言えば分かるな...そうお主は、人間として生きることも復讐も果たすことも両方出来なくなったと言うことじゃよ!!
きししししし!!死とは簡単だ死ぬだけなのだからなぁ!生き地獄からは逃げることはできんぞぉぉぉぉぉ!!」
高笑いが凍りついた脳を支配していく。悪魔に心臓を握られている。そう思ってしまうのも仕方が無い。
死ぬにも一人では死ねず、人間としては他人に頼らなければ生きていけなくなった。
復讐をするために剣を握る事が出来なくなり、憎悪の炎に燃えるただの肉塊になった。
「あ゛っぁ゛っ゛っ゛ぁぁぁぁ」
「悲鳴か?絶叫か?絶望か?きししししし、その声やはり心地よいのぅ。
美しく気高い女子が落ちる時の声は堪らん。滾ってくるぞぉ!!
顔を!顔を見せておくれ!!」
身体が動かない少女に抵抗の余地は無く首を握られながら持ち上げられ、気に押し付けられる。
振り向くだけで男を虜にした美貌は崩れ去り、涙と鼻水で汚く汚れていた。惨めな声を垂らしながら。
それに道満は歓喜の声を上げて喜ぶ。身体だけは大きく仰け反り、声はさらに大きくなる。
道満の笑い声は森中に木霊し絶望はすぐそこまで近づいてくる。
──清明......助けて
壊れかけの心に残っていたのは最愛の
醜く助けを乞う。無様に助けを乞う。嘲笑われながら助けを乞う。天から下げられた細い細い希望に縋る。
英雄とは遅れてやってくる。
「その汚ぇ手を離せよ」
興奮し辺りの警戒を忘れていた道満の顔面に拳が深くめり込む。骨の軋む嫌な音が鳴り、手が緩んで少女を離して吹き飛ぶ。
怒気の篭った声を言い放ち、少女助けた英雄は最後の最後まで信じたその人だった。
「ごめん遅くなったよシエル」
「ぜいめい゛ごめん」
「はは、なんで君が謝るのさ。謝るのは僕なのに」
いつもの彼だ。こんな、惨めな姿になっても彼は捨てること無く温かく包み込んでくれる。
「だからさ、ちょっと待っててね。オーフィスさん準備は」
「もちのろん余裕。可愛い子をいじめるクズは殺る」
「そうですね。僕の女に手を出したんだ、覚悟をしてもらいますよアイツには」
「随分なご挨拶じゃな!清明にオーフィス!!」
ここに役者は揃った。
人間であることを捨てた蘆屋道満
人間の頂点に立った安倍晴明
人外の頂き『無限』のアン・オーフィス
三人の人外はこの日始めて会合した。