──真っ暗だ。
否、その表現は少し違うか。
黒く濃い靄によって霞みがかっている。
その靄は、心を蝕んでいく。
──怖い
突然、自分の中に黒い瘴気が入り込んできたのだ。
祐哉の手で能力が制限されているため、今の彼女は悪魔から伝わる負の感情にも多少の耐性がある。
しかし、直接注ぎ込まれてしまってはそれも意味をなさなかった。
霊華はあっという間に黒い感情に包まれた。
得体の知れない、味わったことの無い感情が、自分の中に溶け込んでいく。
──気持ち悪い
──このままではおかしくなってしまう。
──自分が自分ではなくなってしまう。
そんな状況から逃れるためか、霊華の思考は停止していった。
しかしそれは逃避行動であって解決にはならない。むしろ、抵抗を止めるということは入り込んできた負の感情を受け入れることと同義だ。
故に「博麗霊華」という人格は瞬く間に隔離され、負の感情で形成された全く別の人格が表に出てしまった。
その結果、意図せず想い人と戦わされている。
せめてこの状況を目にしないで済むのならまだ良かっただろう。
しかし不幸にも視覚だけは確保されていた。
暗闇の中、
──あ……
一人称視点で撮影された動画故に、誰が祐哉を蹴ったのかは分からなかった。
ただ分かるのは、祐哉が今一人で戦っているということだけだ。
2回目の蹴り。祐哉は信じられない程遠くまで吹き飛ばされた。その光景を見て、思わず目を閉じてしまう。
──ッ!?
しかし、目を閉じてもそのスクリーンは消えなかった。
ハッと目を開き、視線を逸らしてみても、何をしても、
気が狂いそうだ。
祐哉が一方的に嬲られているところを見ることしかできない。
──やだ、やめてよ……
──いったい誰がこんなことを……。えっ!?
その時、スクリーンに青い巫女服の一部が映った。この映り方、まさか……しかし、それ以外に考えられない。
──これは、私の視界……? どうなってるの。止めてよ! それ以上神谷くんを傷付けないで!! 私は神谷くんを守るって、無茶をさせないって誓ったのに!! どうして……!!
故意ではないとはいえ、己の決意と真逆のことをしてしまっている。
視界が潤む。しかし、それは錯覚にしかすぎず、実際に涙が浮かぶことはなかった。
ただ、心を締め付けられていく。目の前の惨劇を見ても、自分は泣くことすらできない。
彼のおかげで強くなれたと、自惚れていた。
結局、根の部分は変わらず弱いままだった。
「もう、嫌だ……」
霊華はスクリーン以外に何も無い暗闇の中で言葉を零した。
「楽しんでもらえたかしら」
その声を拾う者がいた。霊華は声の主を探す。
「ココよ、ココ。と言っても貴女に私は見えないと思うけれど」
声がした方を見るが、スクリーンが邪魔をして声の主が見えない。
見えないけれど、感じることはできた。ドロドロとした負の感情の沼の中、最も負のオーラが強い場所がある。恐らく、声の主はそこに居る。
「止めてよ……」
「もう見るのが嫌になった?」
「もう見たくない! ここはどこなの? 何がどうなってるの……」
「それは残念。楽しいのはここからなのに。……ここは、精神世界。分かりやすく言えば心の中よ」
「……あなたは誰?」
「ふふっ」
何が楽しいのか、声の主は笑った。
「
「え……?」
「私は貴女の負の感情だけを集めた人格」
何を言っているのか、理解できなかった。
ただ、よく聞くと
「でも、目的は違うわ。貴女は悪魔を退治したいのでしょう。けれど、私の目的は
不思議と、『あの方』が誰を指すのかだけは理解できた。
「違う……その力は神谷くんを守るためのもの! 返して!」
「皮肉なものね。その力は
自分が触れた道具の力を引き出すことができる。それが、『愛される程度の能力』を応用した霊華だけの特技──『神技親善』。
例えば大幣の力を引き出した場合、魔力や霊力といったエネルギーの塊を霧散させることができる。また、妖怪の類への攻撃力を上げることができる。
先刻から祐哉の創造物が打ち消されているのは、
実は、祐哉が単純に物体を創造した場合は打ち消せないのだが、先程から創造している物には全て特殊な能力が付与されているため、祐哉は『神技親善』の効果を誤解している。
同じ創造物でも、普通の刀は霊力を帯びないため打ち消せないが、妖斬剣は打ち消せるのだ。
その理由は、刀に能力を付与した際に込められた膨大な霊力に反応しているためだ。
しかし当然ながら祐哉はこのことを知らない。霊華も、『物体を創造する程度の能力』について熟知しているわけではないので、「神谷くんの創造を(全て)解除してしまう」と認識している。
「さて、貴女の身体と力で大切な人を始末したらまた来るわ。それまでの間は
声がそう言うと気配が薄れていった。
「待って!!」
霊華の制止も虚しく響くだけだ。
スクリーンに上映された映像が動き始めた。
ただそれだけなのに、祐哉は嘘みたいに吹き飛んでいく。
その力が、本来の霊華が持つ霊力と合わさって相乗効果を生み出すことで人外の力となったのだ。
そんな攻撃を喰らっても祐哉が戦い続けられるのは、「霊華を助ける」という強い意志が彼に力を与えているからに他ならない。
仰向けに受け身を取った彼は、地面に刺した刀を支えに立ち上がる。
「……大丈夫、だよ」
──っ!
この「上映」には音声がない。しかし、確かに祐哉の声が聞こえた。
スクリーンに映った彼は、頭からは血が流れていて、服もボロボロだ。
誰が見ても満身創痍の彼は、霊華に向かって笑ってみせた。
そして、直ぐ傍まで接近した祐哉は
動体視力が強化されているからか、瞬間移動とも言える速度を目で追うことができた。
彼は叫ぶ。
「霊……返……!」
しかし、
──あれも私の能力……
己の力が祐哉を苦しめていると考えた霊華は俯く。
それを察したのか、祐哉は御札に対して数本の刀を射出する。
刀と御札を衝突させることでやり過ごせるかと思われたが、刀が競り負けてしまった。
「神技親善」によって強化された御札は、「封じる」ことに特化している。故に、刀が衝突した瞬間にその力を極限まで封じ込むことで実質的な無力化を行なったのだ。
無論、強力すぎる故に普段の弾幕ごっこには使用していない。しかし、タガが外れた
祐哉はこの絶望的な状況で目を閉じた。
それは一見、勝負を放棄した者が取る行動に見える。しかし、映像を見ている霊華にはそれが意味のある行動だと理解できていた。
──凄い……
彼の『明鏡止水』によって、御札は無力化されていく。
明鏡止水を初めて見た
人を殺すための凶器を向けられているはずなのに、それを怖いとは思わなかった。
寧ろ、大幣を通して触れる刀から心地良い波動が感じられた。
「
「あ……」
今度は、ハッキリと聞こえた。
間違いなく、彼は今私に話しかけてきた。
大好きな彼の声。その声を聞くだけで、黒に染まった心が浄化されていく。
スクリーンにノイズが走る。
ここまで彼を圧倒していた
「うぅ……。アイツ、何者なの……」
「その声は、『私』……?」
「どう考えても、私の方が強いのに……! どうして勝てないの!?」
「神谷くんは、私にとってヒーローなの。いつも、私が困っているときにそばにいてくれて、手を差し伸べてくれる。そして、彼は私には無い強い意志を持っている。……これは人から聞いたことだけど、今の戦いで伝わってきた。彼を支えている意志が何かはわからないけれど、その目に力が宿っている限り、誰にも負けない。最後は絶対に勝つの。神谷くんが強い理由は、創造でも霊力操作でも剣術でもない。意志の力なんだよ」
「……意志の……力……。なるほど、アイツが貴女の名前を呼ぶ度に力を増していたことがずっと疑問だったが、そういうことだったのか。アイツは貴女のことが…………」
そう言うと、負の霊華の気配が薄れていった。
「……まだ戦うの?」
「いいや。もう、限界だ。見てみなよ」
──えっ
彼は、彼女を抱きしめたまま頭に手を乗せ、創造の力を行使した。
霊華の頭には、先程ほどけてしまったリボンがつけられた。
このリボンには、
「もう大丈夫」
彼の言葉を聞くことで、霊華は身体の感覚を取り戻していく。
──いっぱい傷つけたのに……
不本意とはいえ、自分が彼を傷つけたことには違いない。それなのに、自分の頭を撫でる手つきはとても優しかった。
「ここまで追い詰められては、私も抗えない。どうやら、アイツの斬撃には退魔の力が宿っていたようだ。私は直に消えるだろう」
「…………」
「ふ、そんな顔をするな。貴女にとって私は悪そのもののはず。そういった表情は、仲間に向けるものよ」
「でも……貴女は私なんでしょう」
「さっきはそう言ったわ。でも所詮は貴女をベースに作られた仮初の人格にすぎない。元々貴女の中にいたわけではないのだから、貴女が悲しむ必要はない」
「でも……」
スクリーンにヒビが入っていく。
「……貴女は、優しいんだな。だからこそ、貴女が壊れる姿を見たかった。でも、最後にそんな顔で看取ってくれるなら、いいかな……」
既に、負の霊華は消えかかっている。元の霊華がその気になればいつでも身体の支配権を取り戻すことができる。しかし、彼女はもう1人の自分を看取る道を選んだ。
「もう、いくよ……。最後にアドバイスをしてあげる。貴女やアイツではあの方には勝てないから、早く逃げることね」
スクリーンのヒビは徐々に広がっていく。
「……逃げないよ。私は、戦うと決めたの。彼を守るために」
スクリーンが砕け散り、潜在意識の中で視界を取り戻した。
「そうかい。……それなら……精々……足掻く……こと、ね……」
その言葉を最後に、負の霊華の気配は完全に消えた。
世界の闇が払われていく。代わりに、彼女本来の世界を取り戻していく。その世界は、どこまでも青い空と透き通るような湖が広がっている。
最期に少しだけ見えたもう1人の彼女は、微かに笑っているようだった。
「──戻ってきて、霊華」
精神世界からの視点ではなく、完全な一人称視点を取り戻す。
「……かみやくん……」
「霊華? 本当に?」
「ごめんなさい……ありがとう……」
元の世界に戻ることができて安心したのか、自然と涙が出てきた。
「良かった……。本当に、良かった……」
涙脆い彼女を見て、普段の彼女に戻ったことを確信した祐哉は、強く彼女を抱きしめた。
そんな祐哉に対し、霊華も強く抱きしめ返した。
「くそ……。おまえ……! じぶん で わたし の ちから を ふりはらったのか!?」
しかし、戦いはまだ続いている。レベル4という強敵がまだ残っている。
2人は名残惜しそうに互いを離し、レベル4に向き直る。
「私の力じゃないですよ。全部、神谷くんのおかげです。私は強くなんてない……」
「カミヤ? なら、その カミヤ を てごま に しよう!」
レベル4がそう言うと、黒い瘴気が祐哉を囲い出した。
しかし、霊華がそれを振り払った。
「二度も同じことをさせると思いますか? 巫女見習いとはいえ、私は博麗の巫女の弟子です! 舐めないでください」
「……まずは、お前を倒さないと再会を喜べないようだな、レベル4」
祐哉は、霊華の左に立ち、刀を納刀する。そして、腰を落としてレベル4を見据える。
それが抜刀術の構えであることに気がついた彼女は、彼が攻撃を仕掛ける前に声をかけた。
「神谷くん、レベル4の相手は私に任せてくれませんか」
「大丈夫? さっきので博麗さんの霊力はほとんど使い切ってるでしょ。予備の霊力も使っているはず……無理しないでいいよ」
「それは神谷くんも同じでしょう? それに、私の手で倒したいんです。迷惑をかけてしまった分の埋め合わせをさせてください」
祐哉を見る霊華の眼差しには、強い決意が見られた。
彼は迷惑をかけられたと思っていないし、霊華が謝る必要もないと考えている。
しかし、自分が霊華の立場にいたら恐らく同じことを言うだろうと考えた。故に、この戦いを霊華に任せることにした。
「……わかったよ。お節介かもしれないけど、もう一度手を貸そう」
祐哉がそう言うと、彼は彼女の頭に手を置いた。
そこから膨大な力が流れ込んでゆく……
──『悪魔祓い』、『耐・負の感情』、『身体強化』、『霊力増強』付与。
「──さあ、行っておいで。博麗さんが幻想郷を救うんだ」
膨大な霊力を消費した反動で急な立ちくらみと頭痛に苛まれた祐哉は、なるべく態度に出さないようにして霊華を激励した。
「ありがとう。行ってきます」
霊華は、力強く地面を踏み締め、レベル4に迫る。10mはあった距離を一瞬で詰め、まるで抜刀術を繰り出すかのように大幣を下から振り抜いた。
大幣による右斬上の斬撃は、レベル4に抵抗の間も与えずに切り裂いた。
「あ、が……」
先程までの苦戦が嘘のようだ。
レベル4との戦いが幕を下ろした。あまりにも呆気ない。これには祐哉も思わず呆然としてしまう。しかし、霊華の行動はそれで終わりではなかった。
「この悪魔達は放っておけません。彼らに幻想郷から立ち去る気がないのなら、私がこの戦いを終わらせます!」
霊華はそう言って宙に浮かんだ。そして、詠唱をすると白い光弾を放った。
「──『夢想雪華』!!」
これは、かつて守谷の巫女、東風谷早苗との戦闘で使用した技。
光弾は彼女を中心に60°間隔で六方向に枝分かれしていく。その先からも枝分かれしており、フラクタル構造を形成している。
当時は陰陽玉を使用していたが、今回彼女の手元にそれはない。
しかし、祐哉による二度の強力な
元々陰陽玉を使っていたのは、弾幕を構成するだけの霊力を補うためだった。今は膨大な霊力を持っているため、陰陽玉が不要なのは不思議なことではない。
彼女の夢想雪華は、どこまでも枝分かれを続ける。今もなお地を蠢く悪魔は、粉雪のような白い光弾に触れた瞬間に溶けていった──。
──悪魔が蠢く春夜、季節外れの粉雪が数分に渡って舞い落ちた。神光を放つ一人の蒼き少女はその雪をもって悪魔を退き、戦いに終止符を打った。
この戦いは、後に『悪魔異変』と呼称される。
東方霊想録の作品中で最も熱い戦いだと思う話を教えてください。
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VS妹紅(#27-29)
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VS鈴仙(#33)
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VS十千刺々(#38-40)
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VSレミリア(#46)
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VS風見幽香(#71)
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VS EXルーミア(#86-87)
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VS分裂野郎(通称)(#89)
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VS叶夢(#90-91)
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VS魂魄妖梨(#93)
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VS茨木華扇(#96)
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VSフランドール&レミリア(#98)
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VS八雲藍(#100)
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VS八雲紫(#101-102)
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VS紅美鈴(#106)
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VSレミー(#107)