霧の湖の周りを巡っているとやがて紅い館が見えてくる。辺りはすっかり暗くなって視界が悪くなってもわかるほど存在感が濃い。
「さっきも言ったけど、紅魔館に人間は一人しかいないわ。だから万が一何か問題を起こしたら生きて帰れないからね」
「うん。十分理解してるつもりだけど、そんなこと言われちゃうと怖くなって来たよ」
「大丈夫よ。これから異変起こすつもりとかじゃない限り、そんなに警戒されないわ」
「……念のため聞くけど、『紅霧異変』は終わってるんだよね?」
「ええ」
まあ流石にもう一度起こすことはないだろう。……なんかフラグくさいぞ。ふざけるなよ。俺一番に死ぬぞ? やばい、緊張して来た。
ここの
「こ、こんばんはー!」
「Zzz……」
「って、寝てるんかーい! そういえばここの門番はおやすみグッナイ系だったなちくしょ〜い!!」
「お、落ち着いて? 今中の人呼ぶから。──咲夜ー!」
……いけない。緊張のせいで血迷ってた。ふ〜落ち着け。大丈夫。アリスは面識があるみたいだし、いきなり殺られる事はないはずだ。それに、忘れてたけど俺は紅魔館の住人のことを知っているじゃないか。取り乱すことはないんだ。落ち着いていこう。──向こうは俺を知らないけどね?
「はい。あら、誰かと思ったらアリスね。パチュリー様に用事?」
「いいえ。今日はこの人を案内しに来たのよ」
このメイド、突然現れたぞ。あっそうか、この人は
「初めまして、神谷祐哉です。この世界に住むことにしたので、ご挨拶に伺いました」
「ここが悪魔の館と呼ばれていることをご存知で? ……失礼しました。神谷祐哉様ですね。
「じゃあ祐哉、私はこれで。いつでも遊びにきてね」
「今日は本当にありがとう。今度何かお礼を持っていくよ」
アリスと別れた後、咲夜の方に向き直ると、とんでもない光景が目に飛び込んできた。咲夜が門番──
──は?
おかしい。俺は確かに門を背に歩いていたはず。なのに、いつのまにか門の方を向いているではないか。あっはっは……笑えねぇ。
「お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ございません。さあ、どうぞこちらへ」
「は、はいぃ……」
咲夜だ! この怪奇現象の原因は咲夜だ。時間を止めて俺が向いている向きを変えたんだ。諦めて付いていくしかないな。次はない気がする。えぇ……紅魔館超怖くね? タスケテ霊夢、タスケテ魔理沙!
門を潜ると植物の多い庭が出迎えてくれた。庭から見上げればそんなに赤くないかも。少し大きめの噴水を迂回して館の中に案内される。
中は紅い壁、紅い天井、そして紅い床でできていて何処も彼処も紅! 紅! 紅!──ということは無かった。流石に壁紙の色は真っ赤ではなく、薄い赤色だった。しかしそれでも紅が強い。ここまで来ると趣味悪いぞ。
ホールはとても広く、パーティーを開けそうだ。そういえば、ここでは偶にパーティーが開かれるって聞いたことがあるな。楽しそうだけど、作法とかよく分からないしなぁ。
色々観察しながら歩いているうちにレミリアの部屋に着く。ドアには「Remilia Scarlet」と筆記体で綴られている。咲夜がドアをノックし、入室の許可を貰う。
「失礼します。お嬢様、
「ああ、
咲夜に促されて部屋に入る。部屋はそこそこの大きさで、ソファとテーブルは社長室のような配置で並べられていた。
奥の机には青みがかった銀髪に美しい真紅の瞳を持った少女がいた。ナイトキャップを被っており、キャップと同じ、僅かなピンク色の衣服を着ている。背は低く、背中から大きな羽が生えていなければ小さい子供と間違えてしまいそうだ。だがこのお嬢様、見た目は小さいが500歳である。そう、つまり合法ロr……おっと誰か来たようだ。
「初めまして、神谷祐哉です。急に訪問してしまい申し訳──」
「そう固くならなくていい。お前が神谷祐哉か。ようこそ、紅魔館へ。私はレミリア・スカーレット。夜の支配者だ」
お、おうふ。このレミリア、カリスマ全開系レミリアお嬢様じゃないですかヤダー。よし、なるべく早く帰ろ。
レミリアがこちらに来て、俺のすぐ目の前で立ち止まる。そのまま俺の目をじっと見つめてくる。足が竦んできた。血吸われて死ぬのかな……。
「あ、あの……」
「うん? ああ、悪いな。ふむ、お前はなかなか面白い運命を辿るようだな」
ソファに腰掛けるように言われ、レミリアと向かい合う形で座る。レミリアは腕組み、黙って目を閉じる。凄いプレッシャーだ。妖力を纏った様子はないのに……これが吸血鬼か。
沈黙する部屋。逃げ出したい俺。
重たい空気を壊してくれたのは、ドアを規則的に叩く音だった。「入れ」とレミリア。こ、怖ぇ〜。待って待って、帰りたい。
部屋に入ってきた咲夜は俺とレミリアの前に紅茶を置いた。おおお、咲夜の紅茶。飲んでみたかったんだ。だけど今は味分からなそう。
「お嬢様。お夕食は如何なさいますか」
「そうだな。神谷祐哉、お前は夕食を済ませたか?」
「いえ、まだです」
「咲夜」
「承知致しました」
咲夜は一瞬で姿を消した。仕組みは分かってても中々見慣れないな。
「あの……御迷惑でしたら出直しますが」
「いや、いい。こちらはお前が来ることを知っていたからな」
これも能力か。レミリアの能力は『運命を操る程度の能力』だ。詳細はよく知らないが、恐らく未来予知が可能な能力。それなら先程の発言にも納得がいく。
あぁ、困ったな。なんかご飯をご馳走してくれそうな空気になってしまった。吸血鬼って何食べるんだろ。やっぱ血かな……。あれっ、もしかして俺殺される?
「そう心配しなくても殺しはしない」
しかしそう言われてもですね。
レミリアは落ち着かない俺を見てほっと溜息をつく。やべっ、殺られる!?
「ふぅ、
「へ?」
「ごめんなさいね、久しぶりの客人だったから脅かしてみたかったの。門で咲夜がいい仕事してたでしょう? 楽しんでもらえたかしら」
レミリアの口調が突然変わり、動揺してしまう。なに、脅かすためにあんな振る舞いをしてたの? えっ? 「皆を誘ったけど乗ってくれたのは咲夜だけだった」? 良かった〜!
「寿命が三十年縮みました」
「あら。それなら吸血鬼になって寿命を増やす?」
「人間がいいです……」
「そう。
「……どういうことですか?」
「さあ。今話せば運命が変わってしまうわ」
言えないということか。幻想入りしてからずっと疑問に思っていることがある。それは、紫が言っていた俺の“特別な力”についてだ。それが能力のことなのかがわからないのだ。どうも違う気がするんだが……。
紫とはあれから会ってないし、霊夢に聞いても分からないと言われ、運命が見えるレミリアなら何か分かると思ったんだけど……。先程の発言から察するに、今は知る必要がないのだろう。腑に落ちないが諦めて他の話をしよう。
俺は夕飯ができるまでの間、レミリアと話し続けた。外の話について色々話をした。どうも幻想郷の人達は外の世界に興味があるらしく、テレビやスマホの話をすると不思議そうな顔を浮かべながらも楽しそうに聞いてくれる。
レミリアには紅霧異変について質問をした。霊夢と魔理沙から話は聞いていたが、主犯視点の話はとても新鮮味があって面白かった。
気づくと緊張も大分落ち着いて、今では自然に話せるようになった。丁度話が終わったタイミングで夕食の呼び出しが来た。今はレミリアに食堂まで案内して貰ってる。館内がやけに大きいのは咲夜の能力が関わっているそうだ。時間を圧縮して空間を広げるらしい。わけわからん反則だろ。本当に人間?
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食堂に着くと既に何人か席についていた。部屋を見渡していると、背中から羽が生えている女の子がとてとてと走ってきた。
「こんばんは、お姉様。その人はお客様?」
「こんばんは、フラン。ええ、失礼のないようにね」
「私はフランドール・スカーレット。私達は姉妹で、私が妹よ」
「神谷祐哉です。宜しく」
女の子──フランドール・スカーレットはレミリアと同じ真紅の瞳をしている。その目の輝きからは小学生のような若さを感じる。濃い黄色の髪をサイドテールにまとめ、姉と同様にナイトキャップを被っている。服は真紅を基調としていて黄色のネクタイを付けている。
「お兄さんは人間?」
「そうよ。加えて外来人」
「外の世界の人間? すごーい! アハハ! でもお兄さん、すぐ壊れちゃいそう」
「やめなさい。フラン」
ひゃー! 怖い。壊れるって言い方が怖い。彼女、フランドール・スカーレットの能力は『ありとあらゆる物を破壊する程度の能力』だ。
物質が最も緊張している部分、「目」を手のひらまで移動させ、握りしめることで問答無用に破壊できる能力。狙われたら最後、成す術もなく破壊されるのだ。
レミリアと打ち解けることに成功した今、最も注意しなければならない相手はこのフランドール・スカーレットである。彼女は少し気が触れているため、495年間地下に幽閉されていた。
……おっと、驚いただろうか。フランは495歳である。いや、今はもう少しいってるだろうか? 因みに姉のレミリアは500歳以上だ。種族が吸血鬼なのだから長生きしても可笑しいことではない。
話を戻そう。495年幽閉されていたフランだが、『紅霧異変』以来少しだけ外に出るようになったようだ。とは言っても、紅魔館から出ることは殆どないそう。他人とあまり関わってこなかったせいで、常識が通じないことがあるはず。
その精神と能力から非常に危険とされるが、俺としては仲良くなりたいと思っている。折角幻想郷に来れたんだから、できるだけ多くの人と仲良くなりたいな。
「それじゃあ食べましょう」
「は〜い。お兄さん、こっちこっち!」
フランに腕を引っ張られ、そのまま彼女の隣の席に誘導される。ちょっと腕が痛い。あんな考察してたくせに完全に油断してた。相手を小さい子だと思って接しちゃダメだなこれは。
長いテーブルは料理で埋め尽くされている。見た感じ洋食のようだ。フルコース形式ではなく、取り分けるバイキング形式のようだ。
「皆、今日はお客様との食事よ。祐哉、簡単に自己紹介をしてくれるかしら」
「神谷祐哉です。三ヶ月前に幻想入りしました。宜しくお願いします」
レミリアに言われ、立ち上がって自己紹介を済ませると、
「
「貴方にナイフを刺した時よ、全くもう。私は
「うちにはあと二人いるのだけど、まあ食事の後にでも紹介するわ」
挨拶も終わり、食事が始まる。どんな感じで食べたらいいのだろう。庶民育ち故こういう時のテーブルマナーはよく知らない。なるほど……どうやら普通に好きなものを取り上げているようだ。図々しくならない程度に食べよう。取り敢えず目の前にある肉を皿に盛る。──いただきます。
肉を一口パクリ。美味しい。溢れ出す旨味。溢れ出す肉汁。その肉汁は口一杯に広がり、まるで飲み物のようだ。これは十七年間で作られた“美味しい食べ物ランキング”を更新する必要があるぞ。ところで何肉だろうか。食べた感じ、鳥っぽいんだけど。……まさか人肉じゃないよな? 確か人肉食べると病気になるんだよね。
「そちらは鶏肉を使っています」
「鶏肉でしたか。とても美味しいです!」
この会話をきっかけに、咲夜と軽くお話をする。咲夜によると、こうやって揃って食べることは特別で、基本的にレミリアやフランと共に食事をすることはないようだ。主人と従者の立場であることは勿論、食べるものが決定的に異なることが理由らしい。やっぱりその、モザイク補正が必要なものを食べるのかな……。
流石にこの場では聞くわけにもいかなかった。今回のように客と食事をするときや、人間の食事を食べたくなった時は揃って食べることがあるそうだ。
……所で、レミリアが飲んでいる赤い液体は
さてさて、もう一口──あれ? 俺の皿どこいった? あっ、フランが持ってる皿って俺のじゃない? いつの間に持って行ったんだろう。話に夢中になってて気づかなかった。俺の皿持って何してるんだろ?
「はい! お兄さん、野菜を盛ってきたよ」
「おお、ありがとう!」
「うん!」
あ〜〜フランちゃん可愛いなぁあああ!! 俺の席からは届かない位置にある野菜を盛り付けてくれたようだ。優しいんだな。全然怖くないじゃん。しかしこの量。肉が下に埋まってしまって、掘り出すのは大変そうだ。
バイキングで盛り付ける時ってついつい乗せすぎるよね。食べてる時に後悔することがよくあるんだよね。そんな感じで乗せすぎたのだろう。だけどお兄さん、頑張って食べるよ。目の前の肉はまだたくさんある。一緒に食べればすぐだ。
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「ごちそうさまでした!」
「凄いよお兄さん。私、食べられないと思って沢山持ってきたのに」
「だからあんなに多かったのか!」
お巡りさーん!! この子確信犯です! 捕まえてください!
「ねえお兄さん、一緒にあそぼ?」
全員が食事を終え、解散になるとフランがそう言ってくる。遊ぶか。
「祐哉、よかったらフランと遊んであげてもらえるかしら。でも気をつけてね」
そう言ったあとレミリアは耳打ちしてくる。
「最悪──死ぬわよ」
「ひっ!?」
その後俺はフランに腕を引っ張られ、外に連れ出された。