俺は白玉楼へ向かって空を飛んでいる。
新聞の件から1週間後、桜の花も既に散り、早くも緑の葉がチラホラと見られるようになった。
捏造新聞のせいで霊華に距離を置かれてしまった俺は、幻想郷の各地に『文々、新聞』をばら蒔いた。特に、射命丸文とその仲間が住んでいる妖怪の山には重点的に撒いておいた。
スペルカード──創造『
新聞をロクに読まなそうな連中ばかりなので、話題が広がったかどうかは正直怪しいのだが射命丸文に対して屈辱を与えることはできただろうから満足している。
本当は幻想郷を新聞で埋めつくしたかったのだが、そこまでするには俺の霊力が足りないし、何より『新聞異変』なんて呼ばれては困る。異変とあらばあの記者も嬉々として記事にするだろう。「新聞異変! 犯人は人間。動機は報復か」という見出しに、「記者の私、射命丸文への報復が目的と思われる」等と被害者面されては本末転倒だ。
諸々考慮した結果、ある程度撒き散らした後切り上げることにした。
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漸く長い階段を超え、白玉楼の門にたどり着いた。この階段を歩いて登ったら何時間かかるのだろう。東京タワーどころかスカイツリーよりも高いのではないだろうか。
開かれている門を潜り、白玉楼の敷地へ入る。勝手に入っていいと予め言われているので特に罪悪感を感じることは無い。大きな庭には桜の木が列をなしていて無数の半透明のナニカが空を泳いでいる。いくつかの幽霊が敷地内に侵入した俺に気づき、グルグルと俺を囲む。
何をされるのか不安に思いながら立ち止まって様子を見る。しばらく経つと幽霊は散っていった。「侵入者だ!」と威嚇したり、警戒されているのかと思ったがそうでは無いらしい。
安心して屋敷へ向かう。
それにしても、顕界は葉桜になりつつあると言うのに、冥界の桜はまだ色付いているとは意外である。
冥界にも四季があるはずだ。雨は降るし、冬になれば雪も降る。
屋敷の戸を叩き、声を掛けるとバタバタという騒々しいな足音が近づいてくる。そして戸が開かれると共に叶夢が殴りかかってきた。
「ぐふっ!?」
暴力行為を予想していなかった俺は1発腹にくらった。
──こ、こいつ……いつかボコボコにしてやる。
「よっ! おはようさん」
「叶夢てめぇ許さねぇ!」
「ぐっ」
俺は叶夢の腹を殴りつけた。いや何。あまりにも隙だらけだったのでつい、ね。
「お前が霊華にあの新聞を見せたから4日間も口聞いてくれなかったんだぞ!! 4日だよ4日! 分かるか? 96時間だ! 同じ家に住んでいるのに! 目を合わせてくれない苦しみがお前にわかるか!? 分かってたまるかもう1発くらえ!」
「うっ……ま、待て。悪かった。そんなことになるとは思わなかったんだって!」
ふぅ、ふぅ。スッキリした!
俺が作成した捏造新聞を霊華に見せた叶夢を1発殴ってやると決めていた。なに、全力で殴っちゃいないさ。
「チッ仕方ない」
「お前ホント、俺にだけ当たり強くないか」
「そうか?」
「他の奴らと話す時はもっと落ち着いているというか……」
そうだろうか。何となくだが、外の世界の親友と雰囲気が似ているからかもしれない。
「まあ、どっちが表とか裏とかないから気にしないでよ」
「うーん」
不満そうだな。それじゃもう少し距離を取るか。
立ち話も程々に、応接室へ案内してもらう。中には既に幽々子がいた。博麗神社の和室が実家のような安心感を与えるのに対し白玉楼の和室は障子や襖の張り紙、畳の新しめな色などが高級な旅館を思わせる。
互いに簡単な挨拶をし、軽く雑談していると妖夢が部屋に入ってくる。妖夢は盆から湯呑みを取り、俺の前に置いた後幽々子に差し出し、そして自分の手元に置いて正座した。
「さて、貴方は今日から妖夢に剣を教わるわけだけど、住み込みで鍛錬することをお勧めするわ。博麗神社から来るのは大変でしょう」
「こちらで検討した結果、白玉楼で暮らしてもらう方が何かとやりやすいという結論に至りました。勿論、強制はしませんが」
住み込みか。そうなると問題がある。
──霊華に会えない。
これに尽きる。彼女も力を付け、そこらの妖怪には遅れを取らないレベルになっている。だから、身の危険という意味ではもう心配はないだろう。もし何かあっても霊夢や魔理沙が駆けつけてくれるだろう。
では何が問題なのかと言うと、単純に俺が寂しいということだ。折角口を聞いてくれるようになったのにまた話せないだなんて……
──いや、まあ。仕方ないよな。
「折角ですので、お言葉に甘えさせて頂きます」
俺は一番気になることを尋ねる。
「おいくらお支払いすればよろしいでしょうか」
「白玉楼としては受け取るつもりは無いわ。これは投資だもの」
「投資……?」
投資とはどういうことかと尋ねるが幽々子は「うふふ」と笑うだけで何も答えてくれない。そして、妖夢に話しかける。
「妖夢は? お小遣いくらい貰っておく?」
「いいえ。特に使い道はありませんので」
なんという事だ。幻想郷には娯楽が無さすぎる。外の世界の学生なんか馬鹿みたいに金を浪費してはバイトをしているというのに。タピオカ飲んで三角チョコパイ食べて終わりかと思いきやカラオケオールだの……彼等彼女等は1日で数万を浪費する程度の能力を持っている。
つまり、外の世界では金はいくらあっても足りないのだ。それが当然だと思っている。だが幻想郷において金の価値は最低限しかないと思われる。オシャレの文化も、無ではないが殆どない。髪を染めたり、ピアスをつけたりする人がいない。
「では、何か家事を担当しましょうか」
「いえ、ここの家事は幽霊が担当しているので、大丈夫ですよ」
俺は要らないってさ。精々迷惑をかけないようにしますかね……。
「勤勉なのね。でも気にしなくてもいいのよ。だって、貴方には家事をする暇がないもの」
おーっとっとっとっと? なんだか分からないが悪寒がするぞ。
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早速修行が始まった。外の庭へ出て、先ずは実力を見るためにと、弾幕ごっこをすることになった。
相手は妖夢で、叶夢と妖梨、幽々子が見ている。剣を使うのは自由で、直接攻撃もアリだという。
──妖夢は動きが速いイメージがある。最初から眼鏡をかけておこう。
「あれ、いつ眼鏡をかけたのですか」
「たった今。手を使わずに眼鏡をかけました」
「目が悪いのですか」
「両目0.8くらいだとは思いますけど、これは動体視力を強化するものです」
そうですか。と言って、妖夢は背負っている2つの刀のうち短い方を妖梨に渡した。そして、彼女の身長よりも長い刀に手をかける。あんなに長い物を背負って、スムーズに抜刀できるのか些か疑問だが、俺は自分の心配をするべきだろう。
「2人とも、準備はいいね」
試合開始の合図は妖梨がしてくれる。
「始め!」
妖梨の掛け声とともに、宙に数本の刀を創造してそのまま射出した。妖夢一点狙いの投擲は容易く躱される。
「刀を飛ばしてくるだなんて、意外ですね」
「確かに。よくよく考えると変ですね?」
妖夢は抜刀すると宙を鋭く斬った。その剣筋から霊力弾が飛んでくる。
──刀から弾幕を飛ばすなんてかっこいいな!
「普通に戦えそうですね。もう少し難しくしてみましょう」
妖夢は両手で持っていた刀を右手だけで持ち、表現の仕方はあまり良くないが素人がヤケになった時のようにブンブンと振り回す。
『動体視力を強化してもそれですか。よく見なさい。あれはただ振り回しているのではない。斜めに振り下ろした際身体を回転させることによって余った力を無駄にせず、そのまま振り上げることができます』
──本当だ。弾がクロスを描いて飛んできた。
「──創造『
周囲に数十本の刀を全方位に回転射出する。下方向に射出した刀が地面に接する頃には刀の柄の部分がぶつかり、反動で反射していく。左右と上には透明な壁を創造しておく事で反射させることができる。
また、刀同士が衝突した際も反射し、その場合は加速するようにしてある。こうすることで、刀同士の衝突によるスペルカードの自己崩壊を防ぐことができる。
──俺の弾幕は基本的にプログラムだ。予め
このスペルカードは使用者の俺に近づけば近づくほど高密度となるため、距離を置いて隙間を縫うのが賢い。
「美しいと言うよりは物騒ですね」
妖夢は刀を納刀し、避けに徹する。四方八方から不規則に飛んでくる刀を正確に見切り、避けていく。まるで時間を止めてイライラ棒を攻略しているかのようにスムーズだ。
制限時間が来たので攻撃をやめる。これ以上続けると霊力マネジメントが上手くいかない。
「どうでしょう。祐哉君はその強化した動体視力でどこまでついて来れますか?」
瞬間、妖夢は一直線に飛んできた。8メートルはあったはず。それにも拘らず気づいた頃には半分程距離を詰められていた。
──だが、視える!
俺は妖夢の右に回り込むことで突進を躱す。妖夢は右足から着地し、勢いを殺さずに身体を回転させ、左足で踏ん張る。膝を曲げたかと思うと、再び突進してきた。
──なんて鋭い動きだ。その勢いもミサイルを見ているようだ……!
俺はもう一度妖夢の右に回り込み、彼女の進む先にマラソンのゴールテープのように鎖を創造する。あの速さだ。妖夢は鎖に身体を取られ、動きが止まるはずだ。
──そこでチェックだ。
俺は鎖を創造した位置、即ち妖夢の終着点に向けて木刀を投擲する。
「──甘い!」
金属音が響いた。鎖が妖夢を捕らえることはなく、真っ二つにちぎれてしまった。刀を持った様子はなかった。まさか突進の勢いだけで鎖を引きちぎったというのか。
一瞬気を抜いた時、妖夢は俺のすぐ側まで迫っており──
「私の勝ちです」
勝敗を告げると共に指で眼鏡を弾かれた。突然眼鏡が奪われ視界に影響が出る。
──負けた。勝てるとは思っていなかったが、
「どうですか? 目で追うことはできましたか」
「集中すれば何とか。でもあの鎖はどうやって? まさか勢いだけでちぎった訳じゃないですよね」
「む。私は闘牛じゃないので道具を使いましたよ」
そう言って背中の刀を指差す。
──抜刀と納刀を一瞬でやったというのか。それも動体視力を強化しても見えないほどのスピードで。
「見えなかった……」
「基本的な能力は分かりました。今日からは動体視力を強化せずに鍛錬に励んでもらいます。これを破れば即破門です」
「そんなにですか」
「はい。素の動体視力を鍛えてもらいます。道具に頼るのは否定しませんが、貴方はどうも頼りすぎな気がします」
なるほど。確かに俺の眼鏡は『動体視力を2倍まで強化する』機能を付与している。因みに、これ以上倍率を上げると脳の処理が追いつかなくなる。分かりやすい副作用は目眩などが挙げられる。とても体を動かせる状態にはならないのだ。
倍率を上げられないというのなら、素の動体視力を強化し、眼と脳を鍛えるべきだという結論に至るのも納得が行く。
「分かりました。……因みにプライベートの時に使うのは?」
「ダメです」
「……望遠機能を持った眼鏡は?」
「それは構いませんよ。飽くまでも動体視力の話なので。ある程度は慣れで鍛えられますからね」
他に質問はありますか。と言われるが、今のところはないと答える。
「次は白玉楼の階段を登ってきてもらいます」
「……まさか、全部?」
「勿論です。準備運動と水分補給を忘れずに。最悪倒れますよ」
ひぇぇ! 白玉楼の階段を全部登る時がやってくるとは思わなかった。これは思ったより過酷だぞ。