テントの設営を終えた達成感に浸っていると、リンから連絡がきた。
『そっちは今どんな感じ?』
写真を撮って送る。湖と富士山とキャンプがシャッターに収まるように、なるべく引いた位置から。
『今設営が終わったところだよー』
すぐに返信が来た。
『今日はよく見えるね』
一瞬何のことを言ってるのか分からなかったが、富士山のことを指していると気付くのに時間はかからなかった。そういえば一年前、リンがここにキャンプに来たときは富士山に帽子がかかっていて。それで、私は『晴れるといいね』なんて送ったんだっけ。
奇しくも今日の天気は晴れ。千円札のモデルにもなったといわれる、本栖湖の富士山を存分に堪能できる快晴だ。
私は今日、本栖湖でソロキャンをしているのだ。
『これから天気が悪くならなければいいんだけど』
『だな』
見覚えのあるやりとりをしてから、私はふと尋ねる。
『そっちはどんな感じ?』
『今キャンプ場についたとこ』
メッセを読み終わるか終えないかのうちに、続いて画像が送られてきた。
広大な平野、そびえたつ猛々しい富士山、シーズンオフなのにそこそこ見える他のキャンパー。
『ふもとキャンプ場にいるんだっけ』
確認の意を込めて問うと、リンはなんでもないことのように答えた。
『そうだよ。なでしこもいるよ』
『そっか。そういえばそうだったね』
今日、リンはなでしこちゃんと一緒にふもとキャンプ場に来ている。つまりはデートキャンプってやつだ。
なんで私がそのことを知っているかというと、答えは至極単純。リンにソロキャンの助言を仰ぎに行った際、本人が言っていたからだ。「その日は私となでしこもキャンプに行くから、なんか困ったことがあってもすぐに反応できるかは分かんないよ」って。
どうやって返したらいいか分からず、「そっか」と淡白な反応しか出来なかったのをよく覚えている。
私がソロキャンをするのと同日に、なでしこちゃんとリンがデートキャンプする。
なんともコメントに困る偶然だ。だけどその偶然は確かに現実として目の前に転がっている。
息を吐いて、再びスマホの画面に意識を傾ける。すると、リンが新しいメッセージを投下していた。
『そういや、どうしてソロキャンしようって思ったの?』
少し考えてから答える。
『なんとなく、かな』
『なんだよそれ』
リンの呆れた表情が目に浮かぶようだ。あはは、と笑いたくなるのを噛み殺して、私は。
『なんとなく思ったんだ。そうだ、ソロキャンしようみたいな感じで』
『そんな京都に行くようなノリで言われても』
『でもそうでしょ? じゃあ、リンが今日なでしこちゃんと二人でキャンプに来た理由は?』
暫しの間の後、リンは返した。彼女は今渋い表情をしているような気がした。
『なんとなく、かな』
『ほらね? 発起する理由なんて大体そんなものだよ、リン』
『まあ、そういうものか』
言葉だけを拾い上げるんだったら、一応は納得したような感じのメッセージだ。
だけど多分、リンは納得していない。私が答えをはぐらかそうとしていると思っているんだろう。そして、その上で敢えてそれに乗っかっているんだろう。
実際、私ははぐらかしていた。まるっきり嘘というわけでもないが、それだけではない。明確な理由があるといえばある。
リンの見ている景色が知りたかったんだ。寒風が吹きすさぶ冬のキャンプ場でリンは何を考え、何を見ていたか。「孤独も楽しむものなんだ」とリンが言っていたソロキャンが、一体どういうものなのか。
私はそれを体験してみたかったんだ。
……こんなこと、本人に言うわけにはいかないけれど。
『それにしても』
リンはどこか感慨深そうに――勿論文字だけだから本当に感慨深そうに言っているかはわからないが、それでも私には感慨深そうであるように思えた――メッセージを綴った。
『あんなに冬は寒いって言ってた斉藤が冬にソロキャンするなんてな。多分去年の私に言っても信じないと思うよ』
それは、そうだ。
『私もそう思う』
『だろうな』
返信すると、リンは待っていたかのようにそう返した。
そして、会話が途絶えた。
私もリンも、多弁な方ではない。話す話題がなければ黙っているタイプの人間だ。それに、止めどきを見失った会話ほど厄介なものもない。リンだって設営しなくちゃいけないだろうし、ここら辺が潮時だ。
私はスマホを待機モードにすると、自分のテントへと戻った。
……それにしても。去年の私に言っても信じないと思うよ、か。
実際そうだ。去年の……なでしこちゃんと会ったばかりの頃の私に話しても、多分「えー?」と懐疑的な笑みを浮かべるだろう。半年前、なでしこちゃんがソロキャンを始めた頃の私だったら「そういうこともあるかもなあ」くらいには思ったかもしれないけれど。
なでしこちゃんと会って、リンは変わった。一人でいることを楽しんでいる人特有の雰囲気はすっかり鳴りを潜め……たわけではないけど。それでも、ある程度薄くなったのは間違いない。
なでしこちゃんと会って、リンは変わったのだ。一緒にキャンプ飯を食べたり、焼肉キャンプやら浜松やらで一緒にいるうちに、だんだんリンは柔らかくなっていったんだ。何も知らない人にとっては何が変わったか見当も付かない程度の変化率だけど、中学からの付き合いである私にとってはすぐに分かるくらい、大きな変化。
溜め息を吐いた。
「もっと早くキャンプを始めていればよかったなあ……」
ひとりごちる。当然応答はない。
私は遅すぎたんだ。既にソロキャンを経験し、今日もリンと一緒にキャンプに出かけているなでしこちゃん。中学校からの付き合いの癖に、今日初めてソロキャンを行う私。
これは私の勝手な推測だけど、リンは一緒にキャンプする友達が欲しかったんじゃないか。自分の領域を土足で踏み荒らすわけでもなく、冬キャンプをさながら異民族の風習を眺めるように「私には理解できないけど、そういう趣味もあるんだね」と言うわけでもない、一定の距離で理解してくれる友達が欲しかったんじゃないか。
口ではつれないことを言うけれど、そういう友達が出来て、内心嬉しかったんじゃないか。
……ああ、もっと早くキャンプを始めていれば。なでしこちゃんが現れる前に始めていればなあ。こんな風にソロキャンをすることもなかったかもしれないのに。
再び、息を吐いた。ふもとの方では今頃何をやっているのだろうか。設営を終えて、まったりココアでも啜っているのだろうか。焚き火とか、散歩とかやっているんだろうか。
確認してみようと思ったがやめた。どうにもリンと連絡する気になれなかった。
もう一度呟く。 「遅すぎたなあ、もっと早くキャンプを始めていればよかったなあ」
やはり反応する人はいない。呟きはすぐに冬の寒気に溶け込んで、最早有ったのかどうかすらも分からなくなってしまった。
なるほど、確かにこれは孤独を楽しむものだ。楽しまざるを得ないとも言えるけれど。
ぼんやりとしながら、私はそんなことを考えた。
太陽が徐々に沈んでいくのが見えた。辺りはだんだん暗くなり、やがて完全な闇へと染まっていくのだろう。