ゆるキャン△短編まとめ   作:パープルフレイム

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冒頭はASIAN KUNG-FU GENERATION「踵で愛を打ち鳴らせ」からの引用です。


正体

 喜びというのは流れる水のようなものだと、とあるバンドが言っていた。掬い上げた手のひらからするりと零れ落ちるもの、それでも繰り返すようにささやかに両手を満たすものだと。

 ささやかに、というのが重要なのだろう。手を乾かすわけにはいかないが、さりとていたずらに濡らすわけでもない。あくまでささやかに両手を満たす。不相応な量は求めない。こぼれてしまっても、何度も何度もささやかな量を掬い続ける。それでいいんだ。リンとのお喋り、メッセージアプリ越しの会話、一緒の帰り道。ささやかなものでも両手はいっぱいにできたから、私はそれ以上を求めてこなかった。私はそれでよかったんだ。

 ……なでしこちゃんと会うまでは。

 

 レジに出された品物を確認し、バーコードを読み取る。

「298円になります」

 金額を伝え、代金を受け取る。

「お釣りは2円になります」

 お釣りを渡し、一礼。

「ありがとうございました」

 いつもの作り物の笑顔で客を見送ると、私は詰めていた息をほうっと吐き出した。店内に客がいなくなったため、ある程度気を抜いてもよくなったのだ。とは言え、まだ勤務時間内なんだけども。

 私は今、コンビニバイトでレジの前に立っている。ということは一応接客をしているわけなんだけど、実のところ決められたマニュアルに沿って客を捌いているだけだ。アルバイトの中でも比較的メジャーなコンビニバイトと言えども、実態は工場バイトとそう変わらないのかもしれない。流れ作業的な意味で。もっとも、私は工場でバイトしたことがないので実際の工場バイトがどんな感じなのかは分からないのだけど。

 というか。そもそも私は今までアルバイトというものをしたことがなかった。毎月それなりにお小遣いを貰っているし、特別お金を使う趣味も持ち合わせていなかったから、むしろお金は余らせ気味ですらあった。たまにリンが読んでる本を買ったり、ちくわ用の魚肉ソーセージを買うくらい(それだって、基本的にお父さんに申告すれば費用を補填してくれた)で、あんまり困っていなかったのだ。そんなだったから、キャンプ費用のためにアルバイトに勤しむリンが私には眩しく映っていた。羨望というのか、尊敬と言えばいいのか。それとも賞賛? あるいは感心かな?

 全て当てはまるような気もするし、そのどれでもないような気もする。何であれ、私がリンに一目置いていたのは確かだ。アルバイトしてまでやりたいことがあるなんて凄い。そこまで大きな意欲を以て取り組めるような趣味なんて、私にはない。……流石に、こんなクサい台詞を直接本人に言ったことはないけどね。

 でも、多分本人に言ったら「じゃあ、斉藤もキャンプやれよ」と言ったんだろう。勿論本気で言うわけじゃなく、いや何割かは本気で言っているのかもしれないけど、どうせ断られると思っている、そんな声音で。そして、リンの察しの通り私は断る。「暖かくなってからにしようかなー」とか、「寒いからなー」とか、そんな理由で。で、リンが「春になっちまうわ」とツッコミを入れて、私はおかしくなって笑う。釣られてリンも口元を緩める。リンとのお喋り、ささやかな喜び、両手一杯分の小さな幸せだ。その光景を想像して、私は穏やかな気持ちになった。

 が、その想像が実現することはないのを思い出して、私はため息を吐いた。

 だって、私は今アルバイトをしている。コンビニで、レジの前に立って、さっきまでライン作業的に接客レジ打ちをしていたのだ。アルバイトしてまでやりたいことを私は見つけてしまった。というよりは、見つけさせられてしまった。特別お金を必要とする趣味を、私は作ってしまったんだ。

 無意識のうちに背中で繋いでいた両手を解く。二つになった手のそれぞれを開いては閉じ、開いては閉じる。零れそうになるため息を噛み殺して、代わりに自嘲するような笑みを浮かべる。

 普通なら、やりたいことが見つかるってのはハッピーな事象なんだろう。夢が見つかる、希望が見つかる、みたいな感じで。でも私の場合、ハッピーかアンハッピーかで言ったら後者だ。見つけたくなかった。私は見つけたくなかったんだよ、認識したくなかったのに。

 深く、息を吸った。空調によって強引に冷やされた空気が肺を満たす。やはり室内の空気だからなのか、酸素が足りない。フレッシュじゃないというか、何というか。客もいないし、外に出て酸素を補充してもいいかもしれない。そう思い、私は入り口に目を向けた。

「……あら」

「えっ」

 見知った顔がそこにいた。

 明るい髪に眼鏡、背は高くおっとりした顔つきの女性。よく見ればお年頃であるのは分かるんだけど、顔立ちが整っているせいか若い印象を与えている。彼女は私の顔を見るなり驚いたように口に手を当て、そのままずんずんと入店した。その様子を呆けて見ていた私だったが、来店ベルが鳴っているのに気がついて、慌てて一言。

「いらっしゃいませー」

 遅れた挨拶に気分を害することもなく、彼女は私の顔を見ながら、確かめるように。

「恵那ちゃん、ここのアルバイトなの?」

 こくりと頷いてから、私も問う。「なでしこちゃんのお母さん、うちによく来るんですか?」

「ええ。ここ、家から近いのよ」

 車を使えばの話なんだけどね。苦笑いしながらそう付け足すなでしこちゃんのお母さん。

 私は唾を飲んだ。そうなのか。車単位だと、ここのコンビニはなでしこちゃんのお家から近所判定を受けるのか。あくまで車基準の話だけど、子犬に匹敵する体力を持つなでしこちゃんだ。いずれ遭遇することがあるかもしれない。

 というか今日私と会ったことをお母さんが伝えたら、明日にでもなでしこちゃんはやってきそうな気がする。いや、やってくる。多分どころではない、間違いなくやってくる。私はリンほどなでしこちゃんとの付き合いが深いわけじゃないけれど、それでも彼女の行動力と性格を考えたらやってくるに違いない。

 吐息を噛み殺す。笑顔の仮面を被り、人差し指を口元の前まで持ってきて、一言。

「私がここでバイトしてるってことは内緒にしてくださいね」

 特に深い意味なんてないですけどと付け足すと、お母さんはふふふと笑った。「これね」と人差し指を口元に立てて、"静かに"のジェスチャー。

 私は笑顔を被ったまま頷く。実際、特に深い意味があって言ったわけじゃない。内緒にするよう促したのは、シンプルに内緒にしてほしかったから。至極単純な感情によるものなんだ。まあ感情と言うよりかは衝動って言った方が正しい気もするけれど、そんなことはどうだっていい。私はバイト先が知人に――特に、なでしこちゃんには知られたくないと思った。

 ただ、それだけだった。

「じゃ、お仕事頑張ってね」

「ありがとうございます」

 一礼してなでしこちゃんのお母さんを見送る。その姿がワンボックスカーに入ったのを確認して、私は開放するかのようにふうと溜息を吐いた。口止めしたとはいえ、人の噂に戸は建てられぬっていうし、なでしこちゃんの耳に入るのも時間の問題かもしれない。いや、なでしこちゃんのお母さんを信用していないってわけじゃないんだけど。でも、少なくとも明日来店するってことはないだろう。なでしこちゃんの太陽みたいな笑顔を思い浮かべながら、私はそう結論付けた。

 なでしこちゃんの笑顔。太陽みたいに明るくて、人懐っこい大型犬みたいな笑顔。リンの心をわずかでも溶かした笑顔。世界を変えてしまえそうな、あの笑顔。

 大して仲良くなくても、あの笑顔を向ければすぐに打ち解けれてしまう。実際リンがそうだった。人と壁を作りがちなリンでさえああなのだから、最早あれは魔法の類だろう。無論今の関係にまで至ったのは地道に魔法を積み上げてきたからであって、さながらファンタジーの魅了魔法のように一撃でノックダウンしたわけではないんだけど。彼女の魔法は強いわけじゃない。でも魔法であることには変わりない。ソロキャンが聖域だったはずのリンと何度も一緒にキャンプして、多人数キャンプに対するハードルを下げさせた。クリスマスのグルキャンに参加させるまでに至らせた。なでしこちゃんはリンを変えた。それで、私も変わった。私はアルバイトを始めたし、寒くてお金がかかるキャンプを始めた。前までのリンは放っておいてもソロキャンしかしていなかったけれど、今は放っておいたらどんどんなでしこちゃんとキャンプに行ってしまう。リンとのお喋り、メッセージアプリ越しの会話、一緒の帰り道。今までは確かに両手を満たせていたはずのそれらも、私はリンと一緒にキャンプしたことがないと思うと物足りなくなっていく。私は欲張りになった。両手のサイズが大きくなってしまったというか、なでしこちゃんがリンと二人でキャンプするのを見過ごせなくなっていったというか。

 気付けば私は"それ以上"を求めるようになっていた。私もリンと一緒にキャンプしたい。なでしこちゃんにリンは渡せられない。ささやかなものでも両手を満たせていた私はもういない。リンとのその先が欲しい。私がアルバイトをするほどの大きな意欲を以て取り組める、羨望と尊敬の的。その正体はなんてことはない、ちっぽけで特濃の独占欲だった。

 こんなの、ハッピーかアンハッピーかで言ったら間違いなくアンハッピーだ。気付きたくなかった。認識したくなかったよ。できることならね。

 なでしこちゃんは世界を変えてしまえる女の子、魔法使いだ。なでしこちゃんに会うまでの私はもうどこにもいないし、リンにしてもそう。野クルの、あきちゃんやあおいちゃんもそうだろう。彼女は皆の世界を変えた。リンがソロキャンにこだわらなくなったのも、野クルが活発的になったのも、私がこうして暗くて深い海の底で溺れている気分になっているのも、全てはなでしこちゃんに端を発している。

 全部なでしこちゃんのせいだ。喉元までせり上がってきたその言葉をなんとか飲み込み、代わりに心の中で咀嚼する。全部なでしこちゃんのせいだ。

 全部なでしこちゃんのせいだ。全部、なでしこちゃんのせいだ。

 

 来店ベルが鳴った。目を向けると、そこには知人でも何でもない、一般客の姿があった。

 そうだ、今はバイト中。深くて暗い沼に沈んでいる場合ではない。私はなんとか営業モードを叩き起こすと、一言。

「いらっしゃいませ」

 ……ああ。こうして営業モードを再起動しなければならないのも、全部なでしこちゃんのせいだ。


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