とある転生者の試練《改訂版》   作:雷灯かがり

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――幕間―― 間桐家の人々  

 

 

誰もが寝静まった深夜、一人の男が歩いていた。

点滅する街灯の光と雲に隠れている月の朧気な明かりを頼りに道なりに足を進めていた。

彼はこの日を五年もの歳月待ち望んでいた。ある少女が己の庇護下に入るこの日を。少女が引き渡される場所は桐洞寺の地下大空洞。彼にとってそこは未知の場所であるが、彼のボディーガードをしているサーヴァントにとっては既知の場所。むしろ、このサーヴァントのマスターはそこを本拠地としているので、そこに関してこのサーヴァントは誰よりも熟知している。

男の住む新都の蝉菜マンションから深山町の最奥にある桐洞寺までの道のりは遠い。この長い行程の一歩一歩を噛み締めて歩き続けると、あるとき男はついに桐洞寺の階段前に立った。

ここから先へは、男にはどう行くべきなのか分からない。そのため護衛のサーヴァントが道案内を行うのだが、その前にサーヴァントは男に覚悟を問いただした。

 

「のう、雁夜。わしから貴様への最後の忠告じゃ。よく聞くがよい。桜を魔の手から守りたいのなら、このまま儂のマスターの庇護を受けるが桜の最善。訊くが、貴様にあの娘を守り通せるか?」

「………確かに、そうすれば桜ちゃんは安全だ。さすがの臓硯も、あんたらとあんたらのマスターを相手にしようとは思わないだろう」

「で、あるな」

「でもさ、それだけじゃダメなんだ。おまえのマスターは前にこう言っていた。『私に預けることイコールこの娘がいつ死んでも構わないということです。それを心しておくようにお願いしますね?』ってな。そんなことを言うやつに桜ちゃんは任せられない。だから、俺が桜ちゃんをヤツラから守ってみせるんだ!」

「フッ、よく吼えた! うむ、そうでなくては桜はお前に預けられまい。よし来るのじゃ、バーサーカーの元マスターよ! 我がマスターの許可が下りた!」

 

そう宣うやいなや赤い軍服を身に纏ったサーヴァントは、間桐雁夜がガッツポーズを取る間も与えずにずんずんと林の奥へ進んでいった。慌てて雁夜はその跡を小走りで追う。

樹木が鬱蒼と生い茂る深い山だ。

地面どころか視界をもまるごと覆い隠さんばかりの緑は、春の生命力を否応なく感じさせる。そのなかで雁夜は右左それぞれの手で多層に連なる葉を払いながら足元のみえない道なき道をひたすら進む………はずだった。道案内役が、うわっはっはと周囲に炎を撒き散らす炎上系サーヴァントでなかったのなら。

 

「………………」

「―――――っはっは! …………む、なんじゃ、その何か珍妙なものを見たかがごとき表情は。言うてみい」

「………あぁ。なんで森林を燃やしてるのに平然としているんだよ、あんた。そもそも、なんで森を燃やそうという発想に至ったんだ」

「は、そんなことか。知れておる。だって、わしら人間が通るのにこやつら邪魔じゃろ!? なんじゃこの荒れに荒れた雑木林は! こんなもの、野を駆ける獣ですら鬱陶しがるわ! じゃからわし直々に燃やしてやった、是非もないネ!」

「そ、そうだよな……。日本各地に整備されている道路も、元を辿れば人間が野原や山地を開墾して出来たものだしな………。仕方のないことだな、うん」

このとき雁夜は「フフフ。今度は森林焼却ですかアーチャー。本当に好き勝手やってくれますね。いつも後始末をする私とキャスターの身になってほしいものです」と、長くため息をつく誰かの声が聞こえた気がしたが、幻聴として深く考えないようにした。

 

「―――――で、あるな。さぁて、ここからは急峻な崖じゃ。わしは霊体になれるし落ちても問題なしじゃが、お前は気を付けて下りるのじゃぞ!」

「わ、わかった―――――うわ」

 

雁夜が絶句するのも無理のない。

そこは落ちたら即☆死のデンジャークリフ。しかも本来は、崖上のために足場のないことを、溢れる緑が隠しているため、ここは冬以外限定でデッドエンド直行の天然トラップが張り巡らされた死地となっていたのである。その嘗てあった事実を、未体験の間桐雁夜は知らない。

ちなみに炎上サーヴァントは、初めてこの地に来たときにマスターを巻き込んで崖から真っ逆さまに落ちている経験者だ。だからこそのアドバイスと云える。

 

「―――――ふぅ。なんとか無事に降りられた。ありがとな」

「気にするな、わしは当然のことをやったまでよ。それよりも、あそこに小川があるじゃろ?」

「ああ、そうだな。それがどうしたんだ?」

「分からぬか。ほれ、川が流れていれば、すなわちその水源があるのと同意となる。よって―――――」

「そうか! つまり、その奥に待ち合わせ場所の大空洞があるってことだな!?」

「うむ。行くぞ雁夜、ここからが本番じゃ」

 

間桐雁夜は身を引き締める。

洞窟に喉をゴクリと鳴らす音がした。『ここからが本番』炎上サーヴァントが発した言葉に嘘偽りはない。明確な勝者が誰も輩出されなかった五年前の第四次聖杯戦争において、まさしくそのマスターの陣営は最強だった。二騎のサーヴァントをしたがえ、さらに当の本人もサーヴァントに匹敵する強さという反則級の陣営。唯一彼らに対抗できたのはキャスター陣営のみ。彼ら以外の陣営は操り糸で踊らされているかのようだった。最終的に残ったのはセイバー陣営だったが、それに雁夜は作為的な念を禁じえない。あるいは、そう思っていることすらもヤツの思惑のうちか―――――、

「(……落ち着け。まず今の俺は、桜ちゃんをどう取り戻すかだけを考えないといけない。具体的にどう守るかは、その後に考えよう)」

 

策謀においても、実力においても、雁夜はアーチャーのマスターに遥か及ばない。ならばどうするか。答えは単純明快。想いで勝利すれば良いのだ。執念とさえ呼べるであろう桜への想いにおいて、雁夜は少なくともあの吸血鬼に勝っている。

 

「(そうだ、そうだ、そうだ。あんなコトを言ったヤツに、桜ちゃんを守る資格なんてない。俺が絶対に桜ちゃんを守ってみせるんだ!)」

 

間桐雁夜は一人で気持ちを盛り上げていく。

その決心が、致命的な間違いを引き起こそうとしているとも知らずに。

 

「―――――着いたぞ、雁夜よ。我のマスターがお前を試問する場じゃ。よく悩み、よく考えて、答えを出すがよい」

「………………」

 

うっすらと黄金の輝きが、雁夜の立つ広間の入り口からも見えた。魔術師としての修行をしばらくしていない雁夜でも判る、純粋に過ぎる魔力の質。それは、五年前の真実を知る者からすれば考えられないさまだ。

カツカツという音が洞窟内に響きわたる。

それはまるで馬の蹄が地を鳴らす音のようだと雁夜は直感した。以前、雁夜が東京に住んでいたとき、ルポライターの給料だけで生活費は足らなかったために一攫千金を狙って競馬場に行ったことが何度かある。そのとき聞こえた音に酷似しているのだ。

やがてその音が大きくなっていくと、あやふやだったシルエットも明確になる。それから数秒すると、目を凝らさずとも、一匹の機械仕掛けの馬に一人の絶世の和風美人が乗っている姿が見えた。そして目測で十メートルくらいの距離になると、その動きを止めて話を切り出した。

「久しいですね、バーサーカーの元マスター。死んでいないようでなによりです」

「……挨拶はいらない。桜ちゃんはどこだ?」

「安全の確保されている場所におりますので、全く問題ありません。ノープロブレムです。あなたは、ただ私の質問に正確に答えればよろしいのです」

「ふん、そうかよ。信用できないな」

「…………私、約束は守る主義なのですがね。生憎メンタルまでは鋼鉄といかないもので、そう面と向かって言われると流石に傷つきます。

――――あ、どうしても信用できなくて問いに答えないおつもりなら別に帰ってもらって構いませんよ。そうなれば、間桐桜の生殺与奪は私の一存で決められるということになりますから。私としてはベストです」

「…………………っ!」

 

今の間桐雁夜に力はない。

いや、仮にあったところで、蟲を戦わせるだけの魔術では目の前の吸血鬼には敵うまい。爪を肉に食い込ませる鋭い痛みで気を確かにしなければ気絶する存在なんて、もはやバケモノの領域に足を踏み入れているどころか君臨していると雁夜は断言できる。そんなヤツに抵抗など無意味。間桐雁夜はやむを得ず「わかった」とだけ告げる。バケモノの提案に乗ることにしたのだ。

 

「…………その賢明な判断に感謝を。では、まずはこの一題からといきましょう―――――あなたは、間桐桜に命を賭けられますか?」

「答えるまでもない。俺は、桜ちゃんを守ってみせるんだ! たとえこの命に代えてでも守ると、そう決めたんだから!」

「では次に移ります―――――あなたは、間桐桜を何者からも守れると、本気でそう思っていますか?」

「っ………………、守れない、かもしれない。認めたくないけど、今まで桜はアンタが守ってたから臓硯も手が出せなかった」

「ええ、その通りですね。では最後に―――――あなたは、間桐桜を守るためならば、私の命令に絶対服従できますか。できるのでしたらもちろん間桐桜に私たちは危害を加えませんし、むしろ全身全霊であらゆる脅威からこれを守りましょう。―――――間桐雁夜、あなたの選択に今後の運命を委ねます」

「―――――――」

 

雁夜は脳の回路を必死に回していた。

女の問いを肯定すれば、桜は魔術の世界に関わらずに平穏無事な生活を送れるだろうと雁夜は考える。が、その場合は雁夜自身の身がどうなるか分からないし、このバケモノの言った内容に抜け道が隠されている可能性は否定できない。

女の問いを否定すれば、桜と雁夜は臓硯の魔手に毎日怯えて過ごさなければならないことになる。そのうえ臓硯に襲撃されて桜を連れ去られては本末転倒だ。そうなれば、桜はずっと地下の蟲蔵で責め苦を受け続けなければならないことは必至だ―――――が、雁夜は桜が妖怪から絶対に逃げられる策を閃いた。

 

「断る、アンタは信用できない。それに、桜ちゃんが普通の幸せに暮らせるような場所に俺は心当たりがあるんだ」

「なるほど。つまり?」

「言わない。あんたは信用できないからな。これで終わりなら、早く桜ちゃんを返してほしい」

「…………そうですか。では、行きなさい。それがあなたの答えなら。桐洞寺で桜が待っています」

「本当だな。―――――ならいい、わかった」

 

頷くままに雁夜は駆けた。

第四次聖杯戦争に参戦すると決めた二つの動機。その一つは達成せしめられた。しかし、いまだ一つは実を結んでいない。

 

「やっとだよ。やっと助けられるよ、桜ちゃん」

ただし、それも今日までのこと。

雁夜は口元に弧を描いた。夜明けは近い。桜を時臣亡くして葵ありの遠坂邸に連れていけば、古くからの遠坂と間桐の盟約によって臓硯は強引に桜を手を出せない。あのバケモノがどう動くかは判らないが、迂闊なまねはしないだろうと確信していた。

空洞まで来た道からまっすぐ戻ると、雁夜は石造りの階段に出た。月明かりが門までの道を煌々と照らしている。

雁夜の体力は、五年前と比べマシになっているとはいえ貧弱だ。それ故に一段一段確実に上って桜が待っている寺に着く。

門から先は黒一色に染められていた。光が強すぎるせいだろうか、その影は濃く果てしない闇だった。

「あら、貴方はこちらへは来ないのかしら。そこからですと私たちはよく見えないでしょう。暗闇の様子は同じ暗闇にいなければ判らなくてよ」

 

これは落ち着いた女の声だった。

境内からの声のようであるが、雁夜には女がどんな様態なのかはてんで判らなかった。けれども、そのとき雁夜は耳聡く女の言った『私たち』に着目した。『私たち』とは、あの境内の女と誰かを指すはずだと雁夜は考える。そして雁夜は洞窟のバケモノの指示と自らの願望から、誰かは桜だと結論付けた。

 

「……いや、ここからでも十分わかる。あんたの近くにいるのは桜ちゃんだ。確かあんたはキャスターだったよな。サーヴァントはマスターの命令には従うんじゃなかったのか?」

「そうとも限らないわ。対魔力の高いサーヴァントや特殊な宝具を持つサーヴァントならば令呪による強制をもはね除けられますからね。もっとも今のところ私にそうする気はない。だから、基本的にはマスターの指示に従順よ」

「なら桜ちゃんを返し―――――」

「その前に。あなたがどのようにこの子を守るのかをお聞かせ願えないかしら。でなければ、ここから即刻立ち去ってもらうことになるわ」

「………なんでだ。なんであんたは―――――」

「そこまで桜に肩入れするのか、ですって? 簡単なことよ。私は五年前のあの日からこの子の世話と保護を一任されている。その間に愛着が湧くのは当然のことじゃないかしら」

「………………」

「べつに、そんなことはどうだっていいのよ。それよりも、私の質問に答えなさい」

 

暗闇に魔方陣が続々と浮かぶ。その一つ一つが人ひとりを優に殺せる大魔術。これはキャスターの意思表示だ。桜を守る手段が雁夜に無いのなら、雁夜を強制的に排除して私キャスターこそが桜を守るという決意を空間に実体化させたのだ。

雁夜は逡巡する。はたしてキャスターを信用してよいものか。キャスターの質問に答えるべきか答えぬべきか。そして、そのどちらが桜にとって望ましい未来になるのかと。

時針が半回転するほどの時が流れたころ、ついに雁夜は答えを出した。

「…………遠坂邸。そこに桜ちゃんを匿う。臓硯は間桐と遠坂との間には昔から相互不干渉の協定が結ばれていると口にしたことがある。なら、ヤツが関与できない遠坂の家に桜ちゃんを連れ込めれば俺の勝ちだ。キャスター、これでいいだろう」

「……よく考えたものね。いいわ。マスターの催促を無視するのもそろそろ限界でしたし、その答えでよしとしましょう―――――桜、行きなさい」

「…………はい」

 

キャスターからの承諾と共に魔法陣は崩れるように宙に消えていった。

緩慢な足音が暗闇の境内にいるキャスターから、あと一息で雲隠れしそうな月からのか細い光が射し込む門前の雁夜へと移動していく。そして足音の主のシルエットが門の外に追放されたとき、月は完全に雲の内側に隠れた。

 

「桜ちゃん。やっとだ、やっと―――――」

「…………おじさん」

雁夜の夢は叶いつつあった。

桜は手元にあり、時臣は戦死し、凛や葵は遠坂邸にて平穏に暮らしている。あとは、雁夜が桜と共に遠坂邸に行き桜の旨を葵に申し出れば、ここに雁夜の抱いた理想は結実する。

…………ふと、雁夜は桜を上から下までまじまじと見つめた。バケモノやキャスターから酷い仕打ちを受けていないかと不安になったからだ。

 

「(良かった、見たところ怪我は無さそうだ。髪や服も清潔で整えられてる。何よりも―――――)」

 

目に光が戻ってきている。

毎日のように繰り返される苦痛に頑張って耐えなければならない間桐家の生活から解放されたことが第一の要因だろう。しかし、それだけではない。他に理由があるはずだと雁夜は考えた。

 

「(わからない、けど)」

桐洞寺での五年に及ぶ暮らしが桜に光を与えたのは間違いないと雁夜は推測した。サーヴァントのキャスターやアーチャーに、癪に障るがヤツの尽力もあってのことのはずだとも。そしてそうであるなら、不承不承だけれども礼は言わねばと雁夜は自然に思えた。

階段を下りようとしていた足を止めて、くるりと半回転し桐洞寺の門に体を向ける。相変わらずの暗闇であったが、不思議とキャスターがまだ境内に居ることは感じ取れたので、雁夜は宣言した。

「…………桜ちゃんを守ってくれて、救ってくれてありがとう。キャスター、アーチャー、それに、そいつらのマスター。けどもう大丈夫だ。これからは、俺が桜ちゃんを守ってみせるから」

「――――――俺の作戦は、完璧なんだ!!」

だー、だー、だー、と桐洞寺の敷地一帯にコダマが響く。セットのガッツポーズは響かない。

―――――余韻に浸っていた雁夜は、キャスターがくすくすと笑っている声を聞くと、急ぎ足で桐洞寺から去っていった。間桐雁夜は一度も振り向かずに遠坂邸へと足を進めた。

 

キイキイ、キイキイ、キイキイ。

 

住宅街に潜んでいた異形のナニカがひっそりと尾行していることには気付かずに―――――、

 

 

 

―――――遠坂邸は深山町の洋館側で一番の高台に位置している。間桐邸も深山町の洋館側であったが、遠坂邸よりは低い場所に位置していた。つまり、遠坂邸に行くには間桐邸を通らなければならないのだ。

雁夜は遠坂邸へと続く坂を登っている途中にその事実に勘づいたが、これはキイキイと鳴く蟲の耳障りな音を聞いたためであった。時、すでに遅し。

 

「あ、あぁ…………」

「ほ、ようやく来たか。まずは誉めてやるぞ雁夜。よくぞあやつらから桜を取り戻してくれた。カカ、謙遜するでない、おぬしはワシに到底できぬ偉業をやり遂げたのだ。歓喜に咽び泣いてもよいのだぞ、ん?」

 

間桐臓硯。

ある秘術によって数百年の時を生きる妖怪。実質の間桐家当主であり、雁夜の理想と桜の平穏のためには絶対に会ってはならなかった天敵中の天敵。

 

「雁夜よ。おぬしはその偉業に免じ、この五年と同じように無意味な余生を送るのであれば見逃してやってもよい」

「…………桜ちゃんは、どうなる」

「当然、魔術の鍛練に身を投じることになろう。五年もの月日を無駄にしたのだ。そのツケを払ってもらわねばな」

「くっ…………!」

 

雁夜は顔を憤怒に歪ませる。

桜が葵や凛と公園で遊んでいた頃に有った無邪気で幸せそうな表情。桜が蟲蔵に放り込まれて酷い仕打ちを受けていた頃の絶望と諦観しかない表情。桐洞寺のサーヴァントらが五年の歳月を懸けて取り戻した桜のたおやかな笑顔。その笑みが臓硯によって、また喪われようとしている―――――それを、それを、黙って見過ごせと言うのか、と雁夜は激怒した。

 

「む? 雁夜よ、それは一体どういうつもりだ。よもやワシの好意を無下にする気ではあるまいな?」

「ふざけるな爺。桜ちゃんがようやく取り戻した笑顔なんだ。それを簡単に奪わせるものか!」

 

諦めて臓硯の場所に赴こうとした桜を雁夜は手で制する。蚊が鳴くほどの声で大丈夫だと呟き、臓硯に真正面から相対する。

「…………フム。そうか。ならば、特別にもう一度だけ機会をやろう。今すぐ尻尾を巻き―――――」

「くどい。さっきも言ったはずだ、簡単に奪わせるものかとな。桜ちゃんは俺が守る!」

「痴れ者め。桜を置いて逃げてしまえば、安穏とした余生を送れたものを。カカ、こうなってしまっては致し方ない。極めて不本意ではあるが、貴様は桜の眼前で蟲の肥料にしてくれよう。なに、間桐の血脈でありながら祖であるワシに楯突いた罰と思えば軽いものよ」

「臓、硯…………ッ!」

「カカカ、ワシが憎いか雁夜! だが、それもこれもマキリ700年の大願の成就のためには避けては通れぬ道なのだ。桜の犠牲など我らの悲願の前にはちっぽけな歯車に過ぎん。いや、むしろそれで宿願が叶うのであれば誇り高きマキリの一員として桜も幸せ者であろうよ。カカカ、所詮落伍者のおぬしには到底理解の及ばぬことであろうがなぁ!」

「ゾウ、ケンッ……………ッッ!!!!!」

 

臓硯は呵々と哄笑を夜明け前の町に響かせる。

雁夜は桜を逃がそうとじりじり後退していたが、それをみすみす見逃す妖怪ではなかった。手に持つ古めかしい杖で地面をトンと叩くと大量の蟲が沸き、ソレラは獲物を捕らえんと一斉に雁夜と桜に攻め寄せる。

もはや絶体絶命と身を投げ出す覚悟を決めた雁夜は、桜に俺を置いて逃げるように諭すと、彼らを狙う蟲どもを引き付けるために一直線に臓硯のもとへ駆けた。

―――――その刹那。コンマ一秒にも満たない思惑の交錯の合間を突いて乱入者が現れた。

「ヌ、キサマは…………!!」

「なんで、おまえが…………!?」

 

その乱入者は、地面から一瞬にして数多の槍を突出させ、数百にも上るであろう蟲という蟲の大群を例外なく串刺しにした。さらに、蟲を操る間桐臓硯こそ刺されてはいないが、その周辺には牽制するように槍がいくつも突き出されていた。

マキリの妖怪は天を見上げた。

雁夜もつられて臓硯の視線を追うと、そこには。

「カカ。またも邪魔立てするか、キャスターとアーチャーのマスターよ。キサマと最初に対決してから早200年。第三次の一時期を除いて悉くマキリの足を引っ張ってきおって。まぁ、あのときの大聖杯の簒奪を防いだ手際だけは評価してやるがな―――――カ、ヤツの名はダー……なんじゃったかの?」

「ダーニック・ユグドミレニアですよ、マキリの老いぼれ吸血蟲さん。…………フフフ、あのときは手を貸していただきありがとうございました。私の目的遂行にヤツの存在はマイナス材料でしかありませんでしたから」

「カ、そうかダーニックという名だったか。アヤツの悲痛に歪んだ顔ばかりが印象に残って分からなんだわ。大聖杯を目前にしたヤツの表情は、うむ。傑作の一言であった。カカカ、あれはアインツベルンとワシとキサマの共同作業が生み出した唯一無二の成果よの」

「…………しかし、アインツベルンは本当に厄介な課題を残して散っていきました。自分たちがやらかした後始末くらいは自分たちですべきって思うんですよね。キャスターが残っていなければどうなっていたことやら」

「カ、まだ分からぬぞ。第五次でアヴェンジャーが再び喚ばれる可能性も―――――」

「ほんの僅かですが―――――それよりも本題に入りましょう。取引です」

「ホ、取引とな?」

「契約とも言い代えられますが。これを」

 

鉄仮面のような表情を無理やり歪めて作ったような不気味な笑みで、二体のサーヴァントを従えるマスターは一枚の紙を間桐臓硯に投げ渡した。臓硯は眉を八の字にしかめる。

 

「む、これは―――――」

「セルフ・ギアス・スクロール。私とアナタほどの魔術師となれば、単なるギアスでは縛れない危険性がありますから。よく読み込んだ上でサインをしてください」

「うむ、しかと」

 

雁夜は途中まで、意味の分からない会話を茫然と耳で追っていたが、桐洞寺のマスターが臓硯に『取引』をしようと持ちかけると顔色が変わった。『取引』には桜や雁夜の取り扱いも含まれていると直観したからである。

臓硯は、受け取った紙の文面をじっくりと時間をかけて読み込んだ。このような内容であった。

 

『浅神藤舟が息女、鏡水・ユグドミレニアが間桐家当主・間桐臓硯と契約する。

 

―――間桐臓硯は下記の条項を締結する―――

 

1、全礼呪を以て自らのサーヴァント、アサシンを自害させる。

2、間桐雁夜に危害を加えない。

3、間桐桜に対して淫蟲を用いた鍛練をしない。

4、鏡水・ユグドミレニアとそのサーヴァントに対して危害を加えない。

5、1の条項は契約以前に行うものとし、2〜4の条項は契約した直後から発揮されるものとする。

 

―――鏡水・ユグドミレニアは下記の条項を締結する―――

 

1、第五次聖杯戦争が始まるまで、間桐一族に危害を加えない。

2、自らのサーヴァントも同上。

3、間桐臓硯に間桐桜を返還する。

4、間桐雁夜については干渉しない。

5、1〜4の条項は契約した直後から発揮されるものとする』

 

「…………うむ、よかろう。断ればこの場で殺されかねんからな。ワシに選択の余地は無かろうて」

「ええ、そういうことです。それにお互い吸血種の身ですし、太陽が昇る前にお願いしますよ?」

「無論、心得ておる―――――む?」

 

と、臓硯がスクロールに署名しようとすると、黒装束でドクロの仮面をした者たちが、二人のマスターと一人の元マスターを取り囲むように、何もなかった空間から突如として現れた。その中の一人が代表として、マスター・臓硯に異議を申し立てる。

 

「臓硯。貴様は私と契約するときに、次の第五次聖杯戦争での勝利を確約したはずだ。それを反故にするつもりか」

「おお、そうであったそうであった。カカ。なにぶん老い耄れの身ゆえな、すっかり忘れておったわ。もちろん今日までのお前たちの忠誠を反故にするつもりはないぞ―――――」

 

「―――――全令呪を以て命ずる。アサシンの全総力で鏡水めを殺したのち、自害せよアサシン」

剣呑だったアサシンの纏う気配は、臓硯の命令で完全に彼らのマスターへの殺気に模様替えした。しかし彼女らの意思とは裏腹に、その四肢は、既に杭を手にした最強のマスターを殺すべく動いていた。

 

「臓硯、キサマ――――――!」

「カカカ、悪く思うなよアサシン。なに、どうせ死ぬのだから最期は華々しく散らせてやろうというワシの慈悲なのだからなぁ…………!」

 

 

「――――それは、それは。このアサシンにはいらない心遣いでしたね、マキリ・ゾォルケン。A級サーヴァントならまだしも、それ未満の有象無象は本気の私にかかれば秒と持たない。アサシン18体の血と魔力、まるごと頂戴いたしましたよ。アサシンの元マスター」

 

「ぬう…………!?」

 

臓硯は周囲を凝視する。

ギアスに署名していた間に起きた出来事だ。その数秒の間に手駒のアサシンが全滅するとは思わなかった臓硯はせめて何が起きたのかを、アサシンが殺された痕跡から推察しようと試みようとした。しかしそれは到底不可能なコトであった。なぜなら―――――、

 

「(バカなバカなバカな、そんなハズはない。仮にもアレラはサーヴァントの末席。いや、もし本当にアサシンを一秒以内に殺せたとしても、串刺しならば必ず痕跡は残る、だのに路上に、血の一滴傷跡の一つすら残さぬなどあり得ぬわ…………! ええい、桜も雁夜も死んだように眠っておるし、あとであやつらから直接聞き出すこともできぬか!)」

そこまで臓硯は思いを巡らせると、あるイヤな予測に行き着いた。………そう、彼らは死んだように眠っているのではなく、ほんとうに死んだ、そう殺されてしまったのではないかと。

 

「―――――待て、鏡水。まさか桜も雁夜も殺してはなかろうな。あれらは、桜はワシにとって大事な大事な孫だ。よもや―――――」

「いいえ、眠らせただけです。情報漏洩は出来るだけ避けたいので。情報戦に勝利し、そして磐石な兵力を整えることで、最終的なゴールである戦略的勝利は初めて目前となる。師の教えです。これを遂行するためには、土台であり現段階では前哨戦でもある情報戦で敗北するわけには参りま―――――コホン、私としたことが話しすぎましたね。契約は結べましたから、これにて解散としましょう。それでは、ごきげんよう」

 

女は去った。

臓硯はしばしその後ろ姿を睨んでいたが、空が白んでくると、桜一人を抱えて背後にある間桐邸へ帰っていった。雁夜は道に転がったままである。

間桐家の人々の運命は定まった。然れども、それは第五次聖杯戦争直前までのもの。それぞれが生き延びるか否かは、それぞれの選択と運命次第である。

―――――宿命の時まで、あと5年。

 

 

 




遅れてしまい、かたじけない……!
なにぶんまだ遅筆なもので、一話一話を完結させるのにもスイッチが入らないと時間がかかる次第で、、、申し訳ない。
―――――、それはさておき、本編は一つ目のターニングポイントに入りました。ここから段々、正規ルートとデッドエンドあるいはバッドエンドか2つの生存ifルート意味する☆―☆―☆が増えていきます。つまり、平行世界の衛宮生継がばったばったと死んでいきます。薄氷の平穏は引き剥がされ、血と死の匂いが漂う戦場へと冬木市は再び変化していくのです――――…



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