「お疲れさま! このみ姉さん、最高のステージだったわ。本当に、こっちが惚れ惚れしちゃうくらい!」
歓声を背に受けて、楽屋に戻ると、すぐさま莉緒が我がことのように喜びながらそう言った。このみは「ありがとう、莉緒ちゃん」と返しながら、空いていた席に倒れるように背中を預ける。そして、ふぅ、と赤く染まった顔から熱を逃がすように、艶のある溜息を吐いた。
最高だった、とこのみは自分のステージを振り返り、ゆっくりと息を吐いた。身体はステージの熱に当てられて、まだまだ動きたい、と疼いていた。ステージに降りた今でも、もっと立っていたい、という思いが止まらない。ゆっくりと、冷静になるために息を吐かなければ、それこそ楽屋で踊り、歌い出しそうなほど、気持ちは昂ったままだ。
「ほんっとうに、楽しいわ。今、きっと一番」
アイドルとして活動した今まで、その集大成を披露する。それがうまく決まったと、歓声を受けて確信した達成感ときたら、麻雀に大勝した後の勝利の美酒の余韻にも、大きく勝るモノだった。今ならどんなことだって出来る、さっきよりも上のパフォーマンスを披露できる。根拠のない自信が、まるで確信のように次々と湧いてくる。身体の芯から、無尽蔵に力が湧いてきた。
「ふふっ、まだまだイケる、って感じね。次は私とのカバーだけど……負けないわよ?」
「その言葉、そっくりそのまま返してあげる。最高のステージにしましょう」
もちろん、と莉緒は力強く頷いた。まったく気後れのない莉緒の姿に、このみは笑みを深くする。同僚で、仲間だけれど、それ以上にアイドルとして彼女たちはライバルだ。その事実が、昂ったこのみの闘争心を掻き立てて、更に力を湧き上がらせる。
莉緒は楽屋に置いていたスポーツ飲料を手に取り、口をつけて喉を鳴らした。このみもそれを見て、ふと自分が想像以上に汗をかいていることに気付き、倣うように水分補給を行う。
――飲み終わるのは、同時だった。
お互いに顔を見合わせて、その口の端を吊り上げる。全く同じ行動をとってしまったことに目を丸くして、大きく笑い合う。ひとしきり笑い合った後は、目尻の涙をメイクが崩れないように指先で拭いながら、このみから口を開いた。
「ねぇ、莉緒ちゃん」
「何? このみ姉さん」
このみは持っていたペットボトルを机に置いて、真剣な面持ちで莉緒に向き直る。莉緒は今までとは毛色の違う話だとこのみの反応から察しながらも、いつもの調子で聞く姿勢になった。
「このライブが終わった後、聞かせて。この前、私が莉緒ちゃんの家に救援で呼ばれたとき……そのマンションから出てきた、亮について」
「……もしかして、鉢合わせちゃった?」
「遠目から見ただけ。でも、間違いなく亮だった。その前の服飾店、〇〇に居たのも、莉緒ちゃんに……亮よね」
確信を持っているような強い口調。真っ直ぐ向けられる視線に、莉緒は「あちゃー」と顔を手で覆って天を仰いだ。たっぷり十秒ほど。そんな沈黙が続いた後、莉緒は気まずそうな表情で、時々視線を逸らしつつ、このみの方を向いた。
「……ちょっと、言いづらいのよねぇ」
決まりが悪そうに、後頭部に手を置きながら、歯切れ悪く呟いた後。
「日程と時間は、こっちで決めていいかしら? このみ姉さんからしたら、それはまぁ、都合の良い話だと思うけど……お願いっ!」
両手を合わせて、腰を曲げて、莉緒は声を絞り出して言い切った。そんな莉緒に、このみは特に迷うようなそぶりも見せずに。
「そんなに必死にお願いしなくても、怒ったりしないわよ。……莉緒ちゃんの都合に合わせても大丈夫」
前置きをしてから、すぐに了承した。莉緒はその言葉に「ほんとっ!?」と勢いよく顔を上げて反応した。このみは苦笑しながら「もちろん」と頷くと、「でも」と言葉を続けた。
「ちゃんと、説明はしてよね」
「当然ッ! ありがとう、このみ姉さん!」
顔に百合のような笑顔を張り付けて、莉緒は感謝の言葉を口にした。その様子を見ていたこのみも笑顔に釣られて、微笑みながら頷いた。
「それじゃあ、切り替えましょう。次のステージに向けて!」
手を数度叩いて、このみは「話は終わりだ」と言わんばかりに話題を断ち切った。時計を見てみると、時間も頃合いとなっていた。
「それじゃあ、このみ姉さん。メイク直していきましょう。万全を期して、ねっ!」
「そうね、メイク室空いているといいんだけど……」
二人は楽屋から出て、別に設けられたメイク室へと足を運ぶ。道中、他愛のない話をしながら、笑い合いながら、このみと莉緒は歩調を合わせて進むのであった。
◆◇◆
家の中。ライブから帰ってきた亮は、白いテーブルクロスがひかれた机の上、不自然に盛り上がった場所に目を向けていた。そこに携帯電話があることはわかっている。私用のものだ。仕事用とは完全に分けてある。
長い間、放置してきた問題だった。彼女、馬場このみとの連絡手段。それを今更手に取るのか、と責める自分が居る。それを取ったところでどうなる、と諦観した自分が居る。心を蝕むように、端から腐らせるように、不快な思念が湧いては消えて行く。
「それが、どうしたッ!」
亮は、ライブのこのみを思い出した。あの擦り切れた表情を。絞り出したような声を。自分がもたらした彼女への結果の全てを。それだけ傷つけておきながら、今更自分が傷つくことを怖れるのか! と、自らを叱咤した。そんなままで、彼女を本当に想っていることになるのか、と自らを鼓舞した。
今まで、小さな結界が張られているように避けてきたスペース。そこに亮は、無造作に手を突っ込み、その中にある携帯電話を雑に引っこ抜いた。
「――ッ!」
勢いのまま、決意が鈍らないうちにと、その電源ボタンを長押しする。
「………?」
五秒、十秒、十五秒……三十秒。
待てども、待てども、携帯電話に電源はつかなかった。どうなっている、と混乱したのも束の間。ふと、この携帯電話は一ヶ月以上、ここに放置されていたことに気が付いた。いくら電源を切っていたとはいえども、一ヶ月間、充電も何もしなかったものだ。微量の漏電によって、起動する電気すら残っていなくとも、不思議ではなかった。
「……充電」
性根尽き果てた様子で、猫背になりながら、携帯電話を充電器に接続する。当然、すぐに起動できるほど、早く充電できるものでもない。少なくとも、起動させるには5分。それなりの余裕をもたせて電話ができるまで回復させるなら、30分ほどか。
「ピエロかよ」
いや、道化師に操られているとでもいうべきか。そう考えたくなるほど、亮の行動や考えは空回りしてばかりだった。ライブの熱が未だに残っていた頭は一気に冷めて、いつの間にか今までの自分を客観的に見下ろす彼が出来上がっていた。
そんな自分が堪らず、彼は寝室に赴くと、無造作にその体をベッドの上に投げ出した。額に手を当てて、これから何をしなければならないか、考える。
まずは、このみと連絡を取るのは当然だろう。出来れば、会う約束まで取り付けられれば最高だ。
次に、あの居酒屋にもう一度足を運ぼう。あの残念美人……百瀬莉緒だったか。チケットの礼として、ビールの一杯くらい奢るのが筋だろう。
あとは、このみと会ったとして、何を話すか。結論を、どうするか。それはまだ、自分の中でまとまっていない。いや、纏まっているが、本当にそれでいいのか、と問いかける自分が居る。
「いや、俺が出さなきゃいけないのは、俺の答えだ」
煙を払うように無造作に手を動かしながら、自分に言い聞かせるように呟いた。必要なのは、イイ子ちゃんの答えでも、イイ男の答えでもない。他でもない自分自身の吐き出した答えが、必要なのだと。
「……お前は、どう変わったんだ?」
あのソロ曲の最後。このみは笑顔でステージを締めくくった。それこそ、いっそ彼が嫉妬してしまいそうなほどの、満開の笑顔を。一体、誰が咲かせてやったというのだろうか。少なくとも、亮は自分ではないと確信している。
「映画とかゲームなら。大団円、なんだろうな」
これが現実だ。酸いも、甘いも、全てが詰まっている。次なんて誰にもわからない。王道なんてありはしない。復縁、破局、死別、何でもあり。それが、現実なのだ。
だからこそ、その時が来るまで、心臓が早鐘を打ってしまう。我がことであることもそうだが、何より先行きの見えない不安が、小心者の心を大きく揺さぶっていた。
気持ちを切り替えよう。亮はベッドから起き上がると、洗面台の方に歩いていき、顔を洗った。タオルで顔を拭きながら、ふと鏡に映る自分の顔を見つめた。不安そうに瞳を揺らして、長身に似合わぬ決意に疎そうな顔の偉丈夫が映っている。
そんな鏡の中の自分と目を合わせる。瞳の中、深淵を覗き込むように、焦点をその奥に合わせながら……一言。
「お前は誰だ?」
確かめるように、試すように、そんな言葉を投げかけた。
当然、何度もはやらない。一度きりだ。確かこれは「ゲシュタルト崩壊」と呼ばれていたな、と亮の頭の中に過ぎる。一日数回。鏡の中の自分と目を合わせて「お前は誰だ?」と問う。それを10日も続けると判断力が鈍り、物事を正確に把握できなくなる。3ヶ月続ければ、自分が誰だかわからなくなり、自我が崩壊して狂ってしまう、だったか。
とんでもない実験を行ったやつもいるものだ、と肩を竦める。そんなおどけた様子から一変して。亮は鬼もかくやという程の恐ろしい形相で、鏡の中の自分を睨み付けた。
「もう決まってんだ。邪魔すんな」
ドスの利いた声が響く。まるで地を這うように。身体を這いまわる蛇のように恐ろしく、響く。自分でその声を聞いて、これはない、と亮は鬼から一変。朗らかに笑って鏡に背を向ける。
「どんな決断だって、構わないよ」
亮は宙に語り掛ける。歌うように、囀るように。足取りは羽のように、足軽のように気楽な調子で。
「なぁ、このみ」
充電していた携帯の電源をつける。束の間の待ち時間。ホーム画面には、着信記録と、恨み節がつらつらと。両親からの連絡もある。一日前のものだ。二日前のものには、誰かさんの妹のものまで。
パスワード認証のところで一瞬、手が止まる。最初の数字は……と思い出して押してみれば、手は勝手に動いてロックを解除した。なるほど、経験とは実に恐ろしいものだ。苦笑が止まらない。
連絡用のアプリを起動。さて、何を送ろうか、と少しだけ考えて。
『連絡取れなくてごめんな。今度の日曜日、会えないか? 話したいことがある』<
簡潔に伝えることにした。ケジメは文面でつけるものではない。直接会って、決着をつけるものだろうと。だから、文面で語ることはない。
既読は、一分も待たずについた。
>『いいわよ。言ってやりたいこと、山ほどあるんだから!』
いつもの調子だった。まるで、禍根なんてないかのように。強気で、元気な一文。それに思わず笑みを浮かべて、亮は場所と時間の旨を伝えて、このみがそれを了承すると、携帯をまた充電器の近くに放置した。
「さて」
後はあの女狐に御礼参りをしなければ、と。亮は心底意地の悪い笑みを浮かべながら、寝室へとスケジュール帳を取りに行く。手に取ったそれを開き、ボールペンを少しだけ走らせる。それが終わるとすぐに閉じて放り投げる。ついでに、自分の体もベッドの上に。
そんな亮の視線は、天井に。そこから更に見上げてみれば、窓の外の夜空に向けられる。季節の変わり目の月ということもあってか、東の空には夏の大三角形が。そしてそこに、一際輝くアルタイルが目に映る。
きっと、向こうはベガでも見ているのだろうか、などと思いながら。
亮は短く息を吐き、その口端を吊り上げるのであった。
※「ゲシュタルト崩壊」を絶対にマネしないでください。もしも実行して読者の皆様にどのような異常・不調が発生したとしても、筆者は如何なる責任も負いかねます。
ほんとに、やめてくださいね。ナチスのやっていた実験で最上級に「ヤバい」やつなので。冗談では済まないんです。
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