予定としては、あと三話もしないうちに本編が完結します(あまりに予定していた一話が長くなったら区切るかもしれませんが)。8月末までには、この二次創作は完結に至ります。
ここまでこの二次創作にお付き合いいただいた皆様に最大の感謝を。
そして、もうしばらく、お付き合いいただきたいという願いを。
それでは、本編をどうぞ。
女狐への御礼参り。相手がいつ来るともわからない中、亮はこの一ヶ月間で常連となった木札の居酒屋に足を運んだ。赤い暖簾を手押しに引き戸を開けば、この一ヶ月ですっかり見知ったような顔がちらほらと。話したわけではないが、いつも同じ時間に居る面子。そういう面々は決まって同じ席に座る傾向がある。
向こうもこの一ヶ月で亮のことは把握している。入り口が開いて誰が来たかと顔を上げて、「あぁお前か」と得心したような顔になると、視線を切ってすぐに席の面々と話し始める。この何とも言えない距離感が、亮にとっては居心地がよく、ふらふらと他の居酒屋に浮気しなかった要因だった。
さて、いざ自分の定位置に座ろうと思えば、その隣に影がひとつ。何だ珍しい、と思ってみてみれば、こちらに笑顔で手を振っている女狐が一匹。まさか自分より早く来ているとは、と驚き半分。笑顔の中に「してやったり」といった表情を隠している相手への呆れ半分。困ったように後頭部を手で押さえながら、仕方なしに手を振り返してから、席に着こうと近づいた。
「今日は、私の方が早かったみたいね」
「みたいだな。イイモノ見させてもらったし、ビール一杯なら奢ってやる」
「あら、別に気にしないのに」
「俺が気にする。あ、おやっさん。焼き鳥とキュウリ頼むわ」
言いながら、亮は自分の席へと荷物を置くと、真っ先にビールサーバーの方に向かう。話始めるには、よく燃える潤滑油が必要だった。女狐こと莉緒の横を過ぎ去るとき、横目で彼女の卓の上を覗いてみれば、木札はまだ一つ。焼き鳥も五本のうち三本残っている。枝豆も半分ほど皿の中。来て間もないことが窺えた。
「あ、それじゃあ早速。奢ってもらおうかしら」
歌うように弾む声が耳を打つ。莉緒本人を見てみれば、既に空になったジョッキを片手に立っていた。摘みは半分も食べていないくせして、とんだ呑兵衛だ。顔は得意げに緩んでいる。挑発的な表情だ。しかし、その口の端についた白いヒゲが全てを台無しにしている。
「お前、急いで飲んだだろ?」
「あら。見てなかったのに、どうしてわかったの?」
「ヒゲ」
「―――」
口の端を指差してやった瞬間、莉緒はその場に凍りついた。口をポカンと開けた間抜けな表情で、ヒゲを作ったまま、何を言われているのか分からない、と現実逃避気味に視線を揺らして。次の瞬間には、パニックになったように手を宙にさまよわせ、終いには俯きながら片手で顔を隠し、ポケットからハンカチを取り出して口元を拭い始めた。それが終わると、ハンカチは再びポケットに。そして、何事もなかったかのように顔を上げて。
「さっ、ビール注ぎましょう」
いつものような柔らかい声とは違う、若干強張った口調に声音。更には、ゆで上がったような真っ赤な顔。平静を装っているようなふりをして、まったく平静ではないことが一目でわかる。どうしてこの女狐は、決めるところを決められないのだろうか。もしかすればそういった星のもとに生まれてしまっているのかもしれない、と憐れむような視線をひとつ。これ以上は追及しないでおこうと、視線を切ってビールサーバーの方に注力する。ジョッキを置いて、レバーを引いた。
「……気を遣ってもらった無言って、つらいわね」
妙に重い空気と、沈んだ声音。それに反射的に亮は呆れたように口にする。
「ならどうしろと」
「ほら、そこは冗談とかでノってくれるとか」
「弄り倒していいのなら」
なら冗談でも言っておこうと、便乗するように適当な言葉をひとつ。レバーを戻して、満点の中身にひとり頷いた。
「ヤメテ。恥ずかしくて死んじゃうから。もうっ、亮くんったら、あんまり女の子をいじめちゃダメよ?」
「そんな趣味は持ってねぇから」
言いながら、次は莉緒の番だと場所を譲る。それに従ってジョッキを置き、レバーを引いてビールを注ぐ。そんな様子を見ながら、ふと亮は違和感を覚えて……そのこめかみを痙攣させる。
「……いや待て。おいこら女狐。テメエ、何で俺の名前知ってんだ?」
「――あっ」
莉緒は声を上げて固まった。それが全てを物語っていた。指摘されなければ気づかない程、彼女は知らない筈の名前をポロリとこぼしていた。まさかこんなことになるとは思わず、おそるおそる、振り返って彼の顔色を窺った。当然、見えたのは青筋を立てた巨人だったが。
「……溢れてるぞ」
「えっ」
すぐにビールサーバーに視線を戻せば、中身が溢れ出るジョッキが。「ああっ!」と思わず悲鳴に近い声を上げると、すぐさまレバーを戻して、自分の席に戻るとお手拭きを手に取り、ビールサーバーの方に戻るとそれでジョッキの周りを拭き始める。
「おっ、久しぶりに溢れさせたやつを見たな。溢れさせたら、料金は二杯分だからな!」
肩を落として落ち込む莉緒とは対照的に、活きの良い店主の声が響く。亮は呆れたように視線を送りながらも、さっさと自分の席へと戻って行く。莉緒も周囲の物珍しそうな視線にさらされて、居心地悪く追従するように戻る。当然、木札は取った。莉緒は余分にもう一枚。
「言っておくが、木札一枚分しか奢らねえからな」
「ううっ、それって意味ないじゃない……むしろ、損した気分」
「ボロだしたテメエが悪い。はぁ、お前はなんで、こう大切なところで狙ったかのように躓くんだ?」
「そんなの、私が知りたいわよぉ――!」
悲嘆にくれて、悲鳴に近い押し殺した声が亮の耳を打つ。頭を抱えて溜息を吐く莉緒の様子に、これはいよいよ処置なし、と亮も肩を落として注いだビールに口をつける。
「しかもこれ、泡が全部落ちちゃってる」
「知らん」
ヒゲがつかないからいいだろう、などと冗談は言わない。傷口に塩を塗りたくるような真似だと思ったからだ。かといって、かける情けはひとつもない。故に、一刀両断。にべもない。
「それで、何でお前は俺の名前を知っているんだ?」
「……容赦ないのね」
「推定間者にかける情けはない」
「ヒドイ扱い。不当よ、不当っ。私は恋のキューピッドなんだから!」
「へぇ。誰と誰の?」
「そんなの、キミ……もうバレてるからいっか。亮くんと、このみ姉さんに決まってるわ」
シンデレラ症候群ではなかったらしい、と喜び半分。莉緒の言葉を聞いて湧き上がる疑問が半分。
「仲いいのか、このみと」
「えぇ、とても。尊敬している。でも、負けたくもないの」
「なんとなくわかった。だが、どうして犬も食わねえことに首突っ込む?」
「このみ姉さんが苦しそうで……限界に、見えたから」
今までの軽い調子とはまるで違う。確かな重みが、亮の肩にのしかかる。莉緒の言葉には、それだけの重みがあった。だから、亮も思わず息を呑んで。しばらく口を開くこと出来ず、沈黙が訪れた。
「……そうか」
野次馬根性でもなければ、恋愛脳でもない。本当に相手を心配していることが、莉緒の態度から、肌が粟立つほど伝わってきた。尊敬という言葉にも、嘘はひとつもないのだろう。本当に、いい友達を見つけたものだと、亮は小さく溜息を吐く。
「ありがとう」
目を合わせるのは躊躇われた。だから、呟くように口にする。万感の思いを込めて。
「気にしないの。私がしたくてやったことなんだから」
でも、その気持ちは受け取っておくわ、と言葉にして。莉緒は乾いた口に潤いを与えるようにジョッキを傾ける。泡がないビールを、まるで勝利の美酒でも味わうかのように。口の中に、舌で転がして、飲み下す。それがビールだとしても。まるでソムリエのように、様になっていた。
「で、亮くんは。次の土曜日の予定は空いてる?」
上品な空気が一瞬で霧散した。あぁ、ここは居酒屋だったと思い出させるには、莉緒のその軽い口調だけで十分だった。亮は現実に戻った意識を自覚して小さく溜息を吐き、無言のままカバンの中からスケジュール帳を引っ張り出した。
「……空いてる。何かあるのか?」
「居酒屋で話すのは、ちょっと気が引けるのよ。だから、事のあらましをすべて。キミに話してあげる」
「答え合わせ、ってわけか」
亮はその提案に、迷うことなく頷いた。自分の思い込みだけで完結させるには、あまりにも話が大きくなってしまった。必要なのは主観ではなく、第三者の視点。それを得ることによってようやく、今回のこのみとの一件の全貌が見渡せる。自分の罪を、正しく把握できる。
「わかった。日程と、集合場所は?」
「前の時と同じ場所。同じ時間。どうかしら?」
「オーケイ。……連絡先、交換しとくか?」
「あら、大胆になっちゃって。もしかして――」
「ふざけたこと抜かしたら奢りの話はナシだ」
「もうっ、ツれないわね。でも、ちょっと安心したわ」
なにが、と亮が返すと。莉緒は得意そうな顔で、挑発的な笑みを浮かべて言った。
「キミの答えがわかったから」
「……女狐が」
亮は吐き捨てるように言うと、ジョッキの中身を一気に呷った。仕切り直しだ、とばかりにジョッキを半ば投げ捨てるように卓上に置くと。カバンの中からプライベート用の携帯電話を取り出した。
莉緒はそれを見て、倣うようにカバンの中から取り出すと、連絡用のアプリの画面を開く。亮にバーコードを読み取らせて、友達申請をして、承認して。一連の流れを手早く済ませると、電話をカバンの中にしまい。
そして、二人同時に立ち上がる。
お互いにジョッキを片手に。
亮は呆れたように莉緒に視線を向けて。
莉緒は勝ち誇る様に得意な笑みを亮に向けて。
二人はビールサーバーに、砂糖に群がる蟻のように、吸い寄せられていくのだった。
あと少し。あと少しで、完結です。
もしも完結までしっかり書き切ったのであれば。
二次創作を始めて、完結させたことになります。
最後まで気合を入れて。
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