そして、評価の方をありがとうございます。踏ん張って、しっかり描いていければ……。
ちなみに、サブタイトルはふざけてません。本当にふざけてませんから!
→サブタイトルを変更いたしました(2019年12月11日 今更感)
元「写るは3.33333...」
……それでは、本編をどうぞ。
電話がつながらなくても。メールが届かなくても。連絡がつかなくとも。
馬場このみは亮の家を知っている。引っ越していたとか、彼が自宅に戻っていないとか、そんな事実は一度も確認したことがない。
だから、会おうと思えばいつでも。そんな心の余裕が、どこかにあったのかもしれない。
都合一ヶ月。彼女は彼の声を聞いていない。姿を見ていない。連絡もついていない。時間を空けてしまったが故に、余裕はいつの間にか「気まずさ」に変化していた。乾いた土に水が染み込むように、ゆっくり、着実に、その毒は時間と共に症状を悪化させていった。
今日も、帰りに彼の家に足を運ぶことができなかった。代わりに、気恥ずかしさを紛らわすため、アイドル仲間とバーで飲んでいる。
「このみ姉さん。飲みに付き合ってくれるのは嬉しいんだけど……」
カウンター席の中央に、馬場このみともう一人、彼女とは対照的なグラマラスな魅力を持った美女こと百瀬莉緒が座っている。
莉緒は隣に座っているこのみの、色が抜けたような覇気のない姿を見て、気遣うように柔らかい声音で語りかける。
「そろそろ、彼氏くんと会わないと……」
そこから先は無粋だと思い、莉緒は言葉を止めてグラスを傾ける。芳醇なフルーツのような後味を口の中で楽しみながらも、その瞳はこのみの様子を伺っている。
「わかってる。わかってるけどぉ……」
気まずいのよっ、と血を吐き出すような重い言葉が飛び出した。そしてすぐ手元のグラスの中身を一気に煽ると、初老な見た目のマスターに向かって「おかわり!」とやけっぱちに注文した。
「大体っ、亮も亮よ! いくら私がアイドルやるからって、事務所から許可はもらっているんだから、別れることもないのに。連絡も全ッ然つかないし! あの石頭!」
「彼氏くんにも、確かに問題はあるかもしれないけど。復縁したいなら、このみ姉さんから直接会いにいくしかないと思うの。じゃないと、話し合いも何もないんだし」
「わかってる。わかってるけどぉ……あんなひどいこと言って、今更どんな顔で会えばいいのよ……」
「その謝罪も含めて、彼氏くんに会いに行きましょう。そうしないと、謝罪も気持ちも、何も伝わらないの」
でもぉ、とこのみは吹っ切れた様子もなく、終始困り果てて頭を悩ませていた。酒を飲んで、彼氏のことを愚痴って、自己嫌悪に陥って。そんなことがもう、半月以上続いている。これ以上は流石に、彼女の精神の方がもたない。
一番身近に見てきた第三者だからこそ、もう限界だ、と莉緒は確信していた。
◆ ◇ ◆
ある日を境に、馬場このみの表現力は別人と見間違うほどの域に化けていた。練習していくうちにしっかり上手くなっているのだが、それでもどこか芽を出すのにもうひと踏ん張り。そんなこのみの表現力は、昨日今日の期間で開花にまで至っていた。
特に顕著だったのは、このみのソロ曲の歌い方、そしてダンスだ。聞いていると、思わずこちらの胸が締め付けられるほど切なく、経験してもいない失恋のほろ苦さが身体に染み渡る。ダンスは歌詞を助長するかのように、得も言われぬ悲壮感が漂っていた。
その異様さは、思わずトレーナーが目を剥いて凝視し、終わった後に生唾を飲み込むほど、といえばわかるだろう。
それは間違っても、一朝一夕で意図的に身につけられるモノではない。一皮むけた、と思えば喜ばしいことだが、それはこのみの様子から明らかに違う。レッスン中だけでなく、日常の中でもよく影を落とすようになった彼女の変化は、間違いなく精神面のものであった。
現に、このみ自身他のメンバーから教えを請われても、それに応じることは無かった。「ちょっと嫌なことがあって、それで歌に力が入ったの」と力のない笑みを張り付けて弁明した。それが、全てを答えていた。察しの良い大人組はもちろん。少女組は北沢志保と田中琴葉が中心となって、その話をこのみにしないようにと他メンバーに注意していった。
このみは化けた日を境に、破竹の勢いで成長を果たした。歌唱力は細かい息継ぎのタイミングから声の震えまで、ダンスは緩急つけた動きと振付のキレが格段に増した。トレーナーは事情を逸早く察して無理にレベルを上げようとはしなかったが。教えられることもなくなってきたのか、最近では菊池真や舞浜歩と一緒にレッスンを受けさせられることが増えていた。
オーバーワーク、ではない。トレーナーも、基礎体力がしっかりついてきたからこそ、ダンスが特に得意なメンバーの中で彼女をレッスンさせているのだろう。
それでも、日に日に笑顔が失われ、陰りが濃くなっていくこのみを見て、百瀬莉緒の胸中は破裂する寸前の風船に空気を入れるように、気が気ではなかった。
だから、莉緒はこのみを飲みに誘いながら、その中で事情を聞いた。原因が失恋だと分かれば、彼女の愚痴をガス抜きとして今まで以上に聴くようになった。早く会いに来なさいよ、とか。連絡くらい寄越しなさいよ、と。最初の内は、相手からのリアクションを求めるものが非常に多かったが。
ここ最近は、自分から何かをしないといけない、という考え方に葛藤している。自発的な行動へと移行する姿勢は莉緒にとっても好ましい変化だと感じたが。しかし、踏ん切りがつかない、どっちつかずの状態は。このみの精神が弱っている証左のようで、この状態を早く解決しなければならない、と莉緒の直感が囁いた。
このみはボーダーラインの真上に立っている。彼女の心がこぼれ落ちる寸前。まるでビールの泡のように不安定な足場で。彼女は分水嶺を迎えている。
百瀬莉緒は、馬場このみのことが心配でならないのだ。
◆ ◇ ◆
「このみ姉さん。もう一ヶ月でしょう? 彼氏くんも、そろそろ新しい出会いがあっても、おかしくないわ」
「あー、それはないわよ。ないない。だって、亮って相当の奥手だもの。女の子が迫ってこようものなら、『女送り出した男が、取っ替え引っ替え惚れ腫れして堪るか』なんて言い出しそうなくらい」
妙に義理堅いのよあいつ、とこのみは顔色を良くして、嬉しそうにハニカミながら言った。まるで父親の前で安心している娘のような、心の底から安心しているような表情。
(後一歩、ひと押し、足りない。このみ姉さんの彼氏くんへの信頼、その余裕を崩さないと、堂々巡りだわ)
このみは彼氏を信頼しているからこそ、他の女性に取られていないと確信している。そして、いずれは自分から仲直りできる、と慢心している。
だからこそ、その余裕が崩れない限りは、この話に進展は見込めない。このみの亮との長い付き合いが、相互理解が、復縁への足枷になっていた。
関係を動かすには、その信頼を切り崩すしかない。彼女の最初で最後の砦を。
「彼氏くんの名前、なんだっけ?」
「亮。三島 亮。……莉緒ちゃんでも、あげないわよ?」
「彼氏くんをモノ扱いって……」
「……まぁ、それもそうね」
お待たせしました、とダンディな声がひとつ。このみの目の前に新たなグラスが置かれた。彼女はそれを手に取ると、一気に半分ほど煽り、ひとつ息を吐いた。
(『女送り出した男が、取っ替え引っ替え惚れ腫れして堪るか』、ね)
自分のグラスを片手に、莉緒は鼈甲(べっこう)のように透き通った中身を見つめていた。
その瞳を、爛々と輝かせながら。
グラスに映った莉緒の口元に、三日月が描かれた。
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