感想、評価、コメント等、ありがとうございます。
ビックリするほど高評価をいただけており、本人にとっても励みになり……同時に、クオリティは絶対に落とせないという覚悟にも繋がります。
それでは、本編をどうぞ。
どうして此処に居るんだろう、と亮はふとした時に自己嫌悪に陥って、ジョッキの中身を乱暴に煽って席を立つ。新しいビールを注ぐためだ。
前に進もう、けじめをつけよう。止まってはいられない。自分も前に。
そんな感情と決意ばかりが先走り、理想の自分を夢想して。現実は、何も前に進まない。停滞した自分が、変わらず飲み屋に居座った。
まるで、凪いだ海の上に取り残されたヨットのようだった。
そんな例えを想像して、まさに自分だ、と彼は自嘲する。付け加えて、図体の大きな自分はヨットの上で蹲っているところまで頭に浮かんできた。そんな自分が情けなくて、大嫌いで。それでも、彼は大嫌いな自分を自覚して動くことが出来ないでいた。
何故か。そんなものは、分かり切っていた。
だからこそ、自分自身の弱さに反吐が出る。目の前に自分が居るなら、間違いなくぶん殴る。絵面を自分に置き換えて、想像してみたが……改心した自分は思い浮かばない。どうしようもないな、と呆れ果て。木札を片手に、席に戻る。
(……逃げてるだけじゃねぇか)
ジョッキの取っ手が悲鳴を上げる。ジョッキに自分の顔が映っているものだから、弱り切った心が叫んでいるような錯覚さえした。心の中の自分が、ジョッキに映写されているような感覚。気分は更に不快になる。
いらっしゃい、と坊主の店主が声を張り上げた。よく通る声で、亮はハッと我に返り、睨み付けていたジョッキから視線を入り口に移すと。
「あら、今日は居るのね」
運がいいのか悪いのか、などと呟きながら。「悪女」が彼の隣に腰を下ろした。彼がこの店に来るたびに、彼女とは会っているような気がした。
「まさか、毎日通い詰めてるのか?」
だとしたらとんだ飲んだくれだ。呆れたように視線を向けると、そんなわけないじゃない、と不服だと言わんばかりに眉根を潜めて言った後。流れるように「枝豆と焼き鳥おねがい!」などと注文をした。
「よく来るけど。キミと会うのは偶然よ」
「俺は来るたびにお前に会ってるけどな。ストーカーか?」
「そんなわけないじゃない。それよりも、今日はこれを渡しに来たのよ」
そう言って、彼女は鞄の中から財布を、財布の中から何かのチケットを取り出して、彼の目の前に置いた。小さな文字は読みづらく、手に取ってしっかりと焦点を合わせてみると。
『765 PRO LIVE THEATER 定期公演』
などと、題目が黒い太文字で堂々と印刷されている。日時は今日から一週間後。開場は午後3時、開始は午後4時。そんな冷静な分析をしながら、ふと「765 PRO」という文字が彼の頭の中で反芻される。意味を理解して直後、心臓を鷲掴みにされたような感覚に襲われ、背中に嫌な電流が奔る。
「……なんで、こんなものを」
その名前は、彼の記憶違いでなければ。元彼女こと馬場このみの所属事務所のものだ。どういった意図でこれを渡してきたのか。理解できず、彼は鋭利な刃物のような視線を向けた。
「他に渡す知り合いもいないのよ。それに、座席数は少しでも埋めたいし。事務所自前の劇場だから、席もなかなか埋まりにくいの」
「……お前、マネージャーの類か?」
「いいえ? まぁ、いいじゃない。来れば、全てわかることだから」
飄々とした態度で、涼しい顔して受け流す。まるで自分は全て知っている、と言わんばかりの余裕な態度。それが気に食わず、彼はますます睨み付けるように、声を低くして問い詰める。
「ふざけてんのか?」
「私は真剣よ。シアター組単独ライブだと、どうしても席が埋まり切らないの」
「女狐が。俺はこれを偶然なんて言葉で片付けるほど、運命を信じちゃいない」
「運命?」
きょとん、と何の話か理解していない無垢な子どものように呆けた様子で、彼女は首を傾げてみせた。予想外の反応に、彼は目尻を緩めて、力の入っていた肩を落とす。その表情の意図を理解してからは溜息を吐いて、彼女から視線を切った。
「……わりぃ」
素直に一言、謝罪を。チケットに視線を落として、それを手に取った。行くべきか、行かざるべきか。仮に赴いたとして、それだけで満足できる人間なのか。自分自身を見つめ直した。
「……他を当たれ。巨人には似合わん」
「そう言わないの。間違いなく、キミにとっても良い話よ。来なかったことを後悔するくらい、最高のステージが見れるだろうから。私が保証してあげる」
何かを含んだように、得意げに緩んだ口元。彼女はそれが天国へのチケットだと、疑っていない様子だった。しかし、彼にとって手元のそれは、まさに悪魔のチケット。誘惑と思惑がドロドロと蠢いているような、得体のしれない地獄の一丁目。
赴けば、もはや二度と帰ることがかなわないのではないか。自分の中に沈んだパンドラの箱が、開けられてしまうのではないか。それでも、送り出した相手のその後を確認するためであれば。そんな不安と期待が、雨に晒された水彩画のようにドロドロに溶け合った。心の動きに比例して、チケットを持った手に力が入る。
「まっ、来るかどうかは任せるわ。持っておくだけ持っておいて、都合が悪ければ無理しなくてもいいから。貰っておいてちょうだい」
こいつはやっぱり女狐だ、と亮は改めて確信した。狙いすましたかのように、獲物を的確に射止める様な眼差しが、すべてを物語っていた。自由意志に委ねるなどと嘯きながら、彼女は彼が来ることを確信している。たった数回の交流ではあるが、彼女はよく彼の人物像を理解していた。
「……ちっ。食えない女狐が」
「ふふっ、何とでも言いなさい。さっ、今日は元気に飲みましょう!」
飲むわよー! などと高らかに宣言しておきながら、その手に掲げているのはお冷だった。相変わらず、発言と行動(中身)がちぐはぐな様に、彼は苦笑を浮かべて。チケットをカバンに突っ込み、ジョッキを片手にビールを煽った。
◆◇◆
(ふざけんじゃねぇぞ、クソが)
心の中で毒を吐き捨てる。肩を貸している彼女を睨み付けながら。彼は二人分のカバンを左手に、右手は彼女を支えて、亀の行進の如く鈍足に歩いていた。
「おいコラ。てめえ、次はどっちだ?」
そして分岐路に当たると、顔を真っ赤にした、だらしない顔つきの残念美人に問い質す。何を計り間違ったのか、彼女は飲み屋で散々、ビールに限らず、ボトル焼酎、ボトルワインを自棄にでもなったかのように飲み漁った。見ている彼の方が胸焼けしてくるような量。それを平気で飲み干す姿には戦慄を覚えた。そして案の定、過剰摂取したアルコールによって歩くこともままならなくなった。
彼の一番の不幸は、彼女に同伴者が居なかったことだ。
タクシーに任せようにも、意識さえ朦朧としているレベル……というより、半分眠っている状態。叩き起こして住所を聞こうにも、こんな泥酔状態ではまともな返事に期待できるはずもなく。彼が人力タクシーとなって、彼女を運ぶハメになった。ここで彼女を放置するという選択肢は、彼にはない。そもそも、そんな選択ができれば初めから、彼女との交流は深くなっていない。
結果、こんな面倒事に巻き込まれた彼は。ある意味、自業自得である。
「み、みぎィ……」
「……聞いといてあれだが、ほんとに合ってんだろうな?」
不安に駆られながら、彼は言われた通りの道をたどる。どこまでも続く様に、街灯が要所に設置された一直線。夜遅くの住宅街というのは不気味なもので、自分たちが世界から隔離されているような疎外感を受ける。
「次は?」
「左……すぐそこの、マンション」
呻く様に、這いずるような声に溜息を吐く。酔っ払いのナビゲート通りに進んでみれば、住宅街の中でも一際大きなマンションに当たった。
「○○マンション……ここで合ってるか? って、何携帯弄ってんだ?」
「救援、呼んでいたの。仕事仲間を、ね」
「……」
呆れたような視線を残念美人に向けて、溜息を吐く。しかし、それからすぐに顔を上げて、何かに気付いたように彼はこめかみに青筋を立てる。
「テメエ、最初から呼べるなら救援呼べやァ!」
「うっ、ちょっと、大きな声はやめて……頭に、響くから」
最初は思いつかなかったのよぉ、と弱々しい声が響く。見てみれば、頭を手で押さえて苦悶に顔を歪めている。せっかくの美人が台無し……いや、それは元からだろう。
「はぁ。まぁいい。後は一人でいけるだろ」
「えー、玄関まで送ってくれてもいいじゃない」
「黙れ。それだけ意識がハッキリしてりゃいいだろ。ほら、一人で立て」
「んー、まぁいっか……」
そのまま、彼女はよろめきながらも彼の肩から離れて、自らの足でしっかりと立つ。それを確認すると、手をぶらぶらと適当に振って「じゃあな」という言葉と共に、彼は背を向けて去って行った。
「……あっ、間違えてこのみ姉さんに救援送っちゃってる……」
風花ちゃんに送ろうとしたのに、などと呟きながら。しかし、彼女の酔いの回った頭はそれ以上働かず、軽く流してしまう。そしてバッグの中から鍵を見つけ出そうと漁ってしばらく。ようやく鍵を手に取ったのとほぼ同時だった。
「莉緒ちゃん」
彼が去った方から声を掛けられる。振り向いてみれば、こんな時間にうろついていたら補導されかねない少女……もとい、馬場このみが立っていた。
「あっ、このみ姉さん。ごめんなさい、手間掛けてもらっちゃって」
酔っ払っていた莉緒は気づかない。このみの顔には陰りが差していたことに。何かを溜め込んでいるように、押しとどめるように、唇の端を噛んでいたことに。
「いいのよ。ちょうど近くだったし」
「あっ、だから早かったのね。ごめんなさい。このみ姉さん忙しいって聞いてたから、本当は風花ちゃんを呼ぼうとしたんだけど……間違えちゃって」
「もうっ、遠慮しないの。それより、一人で歩ける?」
「何とか、ね。もう遅いし、このみ姉さん。うちに泊まっていく?」
「……そうね。そうさせてもらうわ」
補導されかねないし、などとこのみは冗談を言いながら、莉緒の隣に立つ。莉緒はそれを確認すると、呼び出し口に鍵を差し込み、扉のロックを解除する。
「さっ、行きましょう」
「……えぇ」
一拍遅れて、このみは言葉を返す。少し下を向きながら、前を向いて歩いている莉緒についていく。
莉緒がエレベーターの「↑」のボタンを押した時、どこからともなく漏れる溜息。しかし、それに気付くことなく、二人は到着したエレベーターに乗り込むのであった。
波乱は巻き起こるか、それとも……。
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