しっこうしゃ 作:オモイカネさん
窓から差し込む朝日で目が覚める。
小鳥がさえずるのどかな朝の雰囲気に意識を向けるも、さして心が晴れることはなかった。
ベッドから身を起こし途端に感じた肌寒さから自らが衣服を纏っていないことに気付いた。
「……すぅ」
横を見れば同じく衣服を纏っていない柚村が静かな寝息を立てていた。
その姿を見てまた“心を実感する”。
「……」
なんとなくこれ以上見ていられなくなりベッドを抜け出して部屋に散らばった衣服を身につける。
ついでに同じく散らばっていた柚村の衣服も纏めておく。
こんなのは贖罪にすらならないと理解しながらも何かせずにはいられなかった。
「俺は……思っていたより弱いのかもな」
それすら心を感じる“愉悦”としている人でなしが何を言うのか。
自嘲しながら、部屋の扉に手をかけた。
「……」
最後に眠る彼女を目に焼き付け、部屋を出た。
その後、隣の寝室を覗いて後輩たちが眠っていることを確認した俺は書き置きを残して拠点を出た。
装備は金属バットとハンドガン。
拠点から高校は歩いていける距離なので車は使用しない。下手に音を立てて奴らを刺激する必要もないので徒歩で向かう。
足音を立てないように“駆けて”数十分。あの日脱出した巡ヶ丘高校に辿り着いた。
それなりの日数が経っているとはいえ外観は見るも無惨な有様で廃墟にしか見えない。
所々剥げ落ちた外壁に割られた窓、校門はひしゃげて機能も果たせるか疑問符が付く。
だが、校庭をはじめとして敷地内には相当数の奴らが徘徊していた。どうやら朝練の習慣があった奴らが集まっているらしい。面倒だがここを新たな拠点とするには排除するしかあるまい。
ふと屋上を見上げれば太陽光パネルが目に付いた。
そういえばここは発電もアレで補うことができたと思い出す。
この状況下では有難いが出来過ぎな気もする。
「とにかく掃除だ」
俺は背中に背負っていた金属バットを抜きはなち構える。
そして目の前の『死体』に向かって駆け出した。
とりあえず昇降口付近の奴らの殲滅は完了した。
昇降口に目を向ければ、あの日、俺が蹴飛ばして外に出した下駄箱が転がっておりあれから何の変化もないことを実感させられる。
「まあ、俺にとっては好都合だ」
正直、ここに何者かの進入があれば置いてきた道具を持ち出されていた可能性もある。
手始めに校舎から制圧していこうと探知魔術を発動させる。
するとーー
「っ、生存者だと!?」
校舎内、その三階付近に明らかな『人間』の反応が確認できた。相変わらず精度が悪く四人の『人間』がいることしかわからないが、それでもこれは確かに生きた人間の反応だった。
思わず歯噛みする。
もし、あの生存者たちが道具を見つけていたのならなんとかして取り返さねばならない。渋るようなら殺害する必要もある。
面倒だが今は生存者との合流を優先すべきだ、殺すにしろ生かすにしろ彼らが他に何らかの集団と繋がりがあればなるべく穏便に済ませた方が面倒は少ない。
本当に面倒だがそれしかなかった。
と。
「っ!」
三階の窓際から覗く影を見つけて思わず目を向ける。すると影は素早く屋内に引っ込みそれきり出てこなかった。
おそらく生存者の一人だろう。
先に見つかってしまったのは痛いが、あれだけ派手に暴れれば音で気づかれても仕方ない。
俺はまた面倒が増えたことに辟易としつつも校舎内に入った。
校舎内はそれほど『死体』もおらず向かってくる輩を片っ端から仕留めながら階段を登って行く。
「む」
そして二階に登ったところで、続く階段にバリケードを張られていることに気づいた。
机を積みあげてワイヤーで固定したものだ。
「っ!」
そしてバリケードを見上げた先に一人の少女が立っているのが見えた、とともにスコップを手に飛びかかってきた。
バットを構えて応戦する。
金属がぶつかり合う音が響く。ただの一般人にしてはなかなか重い一撃だ。技量や力はからっきしだが、強い意志を感じる一撃。
とりあえず敵対の意思がないことを伝える。
「争いに来たわけではない、その物騒なものを引いてもらえないだろうか」
「っ、嘘つけ!」
だがひどく怯えた様子で、しかし一歩として引かない。
厄介だな。
鍔迫り合いの状態ではどうにもできないので一先ず距離を開けるべく弾き飛ばす。
「ぐあっ!」
軽々と宙を舞った彼女は廊下の奥の壁に激突する。少々力を入れ過ぎた。
背中を押さえながら痛みを堪える彼女から目を離さず、手に持つバットを床に放り投げた。
ガランガランと音を立てて床を滑り彼女の前まで転がったバットを見つめながら怪訝な様子でこちらを睨め付ける。
「何のつもりだ?」
「降伏の意思表示だ。こちらはしっかりと受け止めてくれよ」
そう言って腰の銃を投げる。
彼女は慌ててそれをキャッチし、その正体を見て驚愕の表情を見せた。
「暴発の心配はない、しっかりとメンテナンス済みだ」
続けて両手を上げて膝をつく。
困惑しながらも彼女は立ち上がり、スコップの先をこちらに向けた。
「抵抗はしない。ボディチェックも受けよう」
「……っ、動くなよ」
何処からかジャラリと手錠を取り出した彼女は、警戒しながらも俺の両手にそれを、後ろ手に掛ける。
「……」
素直に従う俺をじっと見てから、渋々、彼女は俺を連れて上階へと登って行った。
「くるみちゃん! おはよう!」
三階に上がって早々にもう一人の生存者が姿を見せた。
二つの突起を持つ奇妙な黒い帽子を被ったピンク髪のあどけない顔つきの少女。俺を連行する少女よりも更に幼い。もしかしたら拠点に残して来た後輩たちよりも小さいかもしれない。
それは間違いようもない知り合いの姿。クラスメイトの丈槍由紀その人だった。
「おう、ゆき。おはよう」
くるみと呼ばれた少女は爽やかに挨拶をする。
「あれ? ワタル、くん?」
そこで後ろに続く俺に気づいた。
俺は爽やかな笑顔で応える。
「久しぶりだね、元気だったかい?」
「うん、この通り! ……じゃなくてなんでここに!?」
「あー、ちょっとな。めぐねぇ呼んできてくれるか?」
困惑する彼女にくるみ女史が応えた。
「え、う、うん」
不思議そうにしながらもトテトテと廊下を駆けて行くゆき女史。
その後ろ姿を目で追っているとくるみ女史がこちらを見ているのに気付いた。
「……おとなしくしてろよ」
「抵抗はしない、俺は話をしに来ただけだからな」
数分ののちにゆき女史に連れられて一人の女性が姿を現した。
それはパンデミック以後に初めてあった“生きた状態の”大人だった。
「ワタルくん!?」
そして俺もよく知る巡ヶ丘高校国語教諭の
先生は後ろ手に手錠を繋がれた俺の姿に驚いていた。俺とて好きでこんな格好をしているわけではない。
「お久しぶりです、佐倉先生」
俺は“いつものように”にこやかに挨拶をした。
正直な話、内心ではようやくまともな会話が出来そうな大人の女性の登場に安堵を抱く。
しばしの沈黙の後、佐倉先生が口を開いた。
「とりあえず、教室まで案内するわ」
そうして連行されたのは空き教室の一つ、奇しくもあの日に柚村を助けた教室だった。
「ゆきちゃん、少し時間がかかると思うからりーさんのお手伝い、お願いしていい?」
「うん、分かったよめぐねぇ!」
ゆき女史はまたトテトテと廊下を駆けてゆく。
そうして俺とくるみ女史、佐倉先生の三人で教室へと入る。
さすがに中に死体は残ってはいなかったが壁や床には生々しい“跡”が残ったままだった。
その中央に机を置き、対面する形で佐倉先生、俺とくるみ女史が先に着く。
「恵比寿沢さん、そろそろ手錠を外してあげてはどうかしら」
先に着くなり気まずそうにそう述べる先生。
この状況で甘すぎる判断だが、その優しさこそが彼女の長所であることは既知の事実であった。
「でもめぐねぇ、こいつは……」
「彼も私の生徒よ、せっかく生きてここまで来てくれたのにそれはあんまりだわ」
「うぐっ」とくるみ女史がたじろぎつつもその手に持つ先ほど俺から没収した装備を机に置く。
「こんなの持ってたんだぞ」
「っ、これ、銃?」
目に見えて動揺の色を表す先生。一介の男子高校生がこんなものを持っているのは確かに異常だ。
ここで手錠を外させるのは不利だな。
「俺はこのままで構いません。そちらの警戒は最もだと思いますから。それよりも俺は話がしたい」
「ワタルくん……」
先生は少し心配そうに俺を見つめた後、ゆっくりと頷いた。
「わかったわ、話を聞かせてちょうだい」
「……と、いった具合で今、拠点には後輩が二名、同級生の柚村が待機しています」
「……そう」
俺は魔術のこと以外は包み隠さずこれまで経緯を伝えた。俺が今すべきなのは交渉ではなく彼女たちとの合流だ。
それにはこちらの手の内を出来る限り明かす必要がある。
先生は俺の話を真剣な表情で、一言一句噛みしめるように聞いていた。まるで俺の話の中の体験を己に投射して反復するようにただ黙って聞いていた。
俺のこの時点での彼女に対する印象は『優しすぎる』そのひと言に尽きた。
同時に教師の鑑のようだ、と。少なくともその心構えには敬意を払うべきだと思った。
「よく、ここまで頑張ったわね」
労うように感謝するように、その名の通り慈しむように開口一番にそう述べた。
対して俺はさして苦労もしていないのでどう答えたものかと悩む。
「……いえ、俺にできることをしただけです」
本当にその一言しか浮かばなかった。俺はその場の最適解を考えて動いただけだ。何も、感じず。ただ動いただけなのだから。
「そこで一つ、お願いがあります」
ここで今回の俺の目的を告げる。
「彼女たちを、柚村、祠堂、直樹の三名をこちらで保護してはもらえないでしょうか?」
「え?」
俺の提案に予想外と言わんばかりの反応を示す先生。
くるみ女史も呆気にとられたような表情だ。
「ここは高度な設備が整っていると把握しています。加えて三階という高所にある拠点。安全面でも今の拠点よりも断然良い」
「あなたは、どうするの?」
「俺は今の拠点で構いません。代わりに、定期的に物資の補給を行うと約束しましょう。先日、安全を確保したリバーシティ・トロンならしばらくはここと俺の拠点の両方を補って余りあると考えています」
「……」
黙って傾聴する佐倉先生。俺は最後の一言を告げる。
「どうでしょう、そちらにとっても悪い話ではないと思いますが?」
決まった。これはなかなかかっこよかったんじゃないだろうか。
こういう時に前世の記憶は役に立つ。確か、この一言は前世の俺が狂ったように遊んでいたゲームのキャラの言葉だったと思う。
ん? いや待て。これはかなりウザいキャラだったような気がする。そうアレはミッションのブリーフィングを行なった時のこと。
『無理はしない方が良いのでは?』
古い発想……時代遅れの老兵……オーメル。うっ頭が。
「ワタルくん?」
ハッ!
心配そうに覗き込む佐倉先生の顔がドアップだった。
「問題ありません。それで、返事を聞かせてもらえるでしょうか?」
いかんいかん、何か不可思議な電波を受信して少々混乱してしまった。気を取り直して話を続ける。
「もちろんOKよ。……貴方も一緒に、ね?」
が、当然と言わんばかりに俺も保護対象とされた。懐が深いというかなんというか。
「恵比寿沢さんも、いいわよね?」
「うっ……まあ、めぐねぇがそう言うなら」
ただくるみ女史は若干納得いっていないようだ。こういうのは後々大きな問題となってから爆発するものだ。佐倉先生には悪いが俺としては彼女たちを保護してもらうだけで構わない。
本音を言えば一人で拠点に篭った方が存分に魔術を使えるので『死体』の研究や礼装の開発、諸々において俺にプラスに働く。
アレの研究も同時並行で行える。
「ですが先生、一気に三人も増えるということは相応に物資を減らすということ。加えて、俺という不安材料を残したままで大所帯を維持するのは困難を極めます。
その点、俺単体ならば自由に行動できる分、効率もいい。物資の補給は問題なく行います。車を使います。これならば多少、要求量に上乗せがあっても問題ありません。拠点と高校はさほど距離を置きません。なんならここの“奴ら”も掃討してーー」
「そうじゃないのよ、ワタルくん」
考え得る限りのメリットを捲し立てて独立を図ったが途中で先生に止められてしまった。
まさかこうなるとは。如何に善良な人間であろうとも極限状態で長期間暮らせば多少は汚い部分が出るというものだ。
それはなんら悪いことではないし人間として当然の本能だ。
メリットしかない話ならば頷くと思っていたのだが。
「あなたが一人で背負うことはないの、私は先生だから。こういう時にみんな纏めないといけないのは私。
あなたはまだ子どもなのだから、もっと、大人に頼っていいのよ」
優しく、諭すように述べる先生。まるで聖女だと見紛うばかりの清貧ぶりだ。いや、これを心の底から言っているのだから恐ろしい。
もし俺に心があったのなら、間違いなく惚れていた。憧れていた。
違う、そうじゃないと思いながらも、ここから尚も渋る勇気は無かった。
渋々、頷く。
それを満足げに眺めて先生は「さて」と手を叩いた。
「恵比寿沢さん、もう、手錠は外していいわよね?」
「うぅ……分かったよ」
「少しでもおかしな真似したらぶっ殺すからな」と念を押してからくるみ女史は俺の手錠を外した。
「こら、女の子がそんな言葉使っちゃいけません」
「わ、わかってるよ……」
バツが悪そうに応えるくるみ女史だが満更でもなさげだ。
先ほどのゆき女史を見ていても思ったのだが、どうにもこのコロニー内で佐倉先生は重要な精神の主柱となっているようだ。
りーさんなる生存者とはまだ会ったことがないがおそらくはその人物も先生を頼りにしているのだろう。
だが彼女ならそう不思議ではない。十分にその素質はあるのだから。ただ少し自己主張の少ないのが欠点だと思っていたのだが、この状況下でそれも鳴りを潜めているらしい。
絶対に俺には出来ないことだ。
記憶の続いている限りでは少なくとも彼女よりも長く生きているというのに。
全くどうして俺には眩し過ぎる。
「……では俺は彼女たちを連れてきます」
机の上に置かれたままだった装備を手に俺は席を立つ。
「お、お前……」
「話は終わった。もう問題ないでしょう。さすがに手ぶらで外を出歩く蛮勇は持ち合わせていませんからね」
たぶん問題ないだろうが、無手で無双する様なんか見せたら確実に神秘の露呈に繋がる。
「ちょっと待って、一人で行く気なの?」
佐倉先生が心配そうにそう言う。
「ええ、行きも一人でした。この時間帯なら問題ありません。拠点からは車も使いますから」
俺の言葉に先生はかなり渋っていたが、やがてゆっくりと頷いた。まさかここで同行を求められたらどうしようと思ったが、さすがにそのくらいの冷静な思考は有していた。
「見た所、恵比寿沢さん、あなたがここの戦闘担当なのですね?」
「……ああ」
「では三階のバリケード付近で待機をお願いします。なるべく下階の奴らは始末するつもりですが、万が一を想定してです」
俺の言葉に、くるみ女史も真剣に頷いた。よかった彼女も公私はしっかりと分けて考えられる人間らしい。
「三十分後、また会いましょう」
校舎を出た俺は進路を邪魔する奴らをバットで殴り倒しつつ拠点を目指す。思ったよりも厄介なことになったがとにかく今は彼女たちの受け入れ先が見つかったことに安堵する。
だが俺は鼻から柚村を手放す気は無かった。だがあの場で彼女を抜かなくても後で彼女の方からついて行くと答えると思っていたから。
我ながら人の気持ちを弄び過ぎだと思う。
だが同時にそういうことをしている自分に“憤りを感じている”自分がいることに気分が高揚した。
なんだ、俺は確かに『人間』じゃないか。
「ワタルっ!!!!」
玄関を開けるなり柚村が飛びついてきた。わんわんと泣きながら俺の首に手を回して離さない。
その背を優しく撫りながら同じく玄関に待機していた後輩たちに目を向ける。
祠堂は「うひゃぁ……」と言いながら顔を真っ赤にして両手で目を覆う、いや、指を開いてしっかりと両目をこちらに向けていた。
対して直樹は困惑した表情でこちらを見ていた。
昨日の今日でがらりと雰囲気を変えている俺たちに驚いたのだろう。
「先輩、一体何してたんですか?」
三人を代表して直樹が問いかけてきた。
「書き置きは見たと思うが?」
「っ、そうではなくて! 本当に一人で学校に行ったんですか?」
なるほど、現在この集団で最高戦力たる俺が勝手にいなくなったことが不安だったわけか。
「すまない、だが、おかげで吉報を持ち帰ることができたぞ」
吉報という単語に皆喜色を顔に表しながら俺を見つめている。
「今日からがっこうぐらしだ」
これにてプロローグ完。
次回より『がっこうぐらし編』に入ります。