死刑という響きはどうにも良くない。当たり前なことではあるが、いざ目の前で他者に言われると心持ちが不安定になる。それも軍法会議という場においては尚更である。私は今、上官に暴行をふるった疑いで軍法会議の被告席に立っている。私の前には五人の将官クラスの男たちが間隔をあけて鎮座し、真ん中の「裁判長役」を務める男は机の上に手を組んで、私の方を険しい顔で見つめていた。場は沈黙で満たされ、私はその間に見つめてくるその男の顔を見つめ返した。男の相貌は比較的薄く刻まれたほうれい線が口角に向かって弧を描いて伸び、顎のたるんだ肉からは今にも肉汁が溢れ出そうなほどてかてかとしていた。半開きの眼は真っ黒に染まっており、そこには光の欠片すらも窺い知ることはできない。あるのはただ真っ黒な男の哀れな背景と私に対する驚くべきほどの無関心であった。きっと彼なら当たり前のように私に死刑判決を下すことが出来るだろう。
現に私は、五人のうちの右端に座る男から死刑を求められている。男はさも死刑が当たり前のように言ったが、普通であるならば艦娘保護法によって例のプリズン鎮守府とやらに異動させるのが当たり前であった。特に自分で言うのも何だが貴重な戦力である大和型戦艦の私を死刑に処すなどもってのほかである。それなのに死刑が求められているのは派閥間の諍いが原因だろう。
軍の中には二つの派閥があった。一つは元帥の家系を主軸にその協力関係にある派閥。もう一つは元帥に反抗して死刑判決を受けた男の人脈からつくられた派閥である。私は後者の派閥に属していた。もちろん、私の所属している鎮守府の提督も同様だ。だが、今私の目の前に鎮座している五人は全て前者の派閥の人間であった。つまりはである。この軍法会議において私の味方は一人もおらず、周りには敵しかいないということである。こんな状況でまともな審判などどうして下されようか。邪魔な派閥の重要な要素である私を消すことなど彼らにとっては当然のことなのであろう。それははなからこちらと和解しようなど微塵にも思っていない証拠である。それにこの軍法会議は戦時中に設けられた言わば臨時軍法会議である。法の知識を蓄えた判事など一人もいないこんな無学の者たちが集まって何を裁こうというのか。誠に笑止千万である。
判決が下されるまでの間、男たちは今か今かとでもいうように「その時」を待っていた。そう、私に死刑が下されるその瞬間である。そのとき、おそらく男たちの派閥に軍配が上がることとなり、裁判後は笑って酒の一杯でも酌み交わすのだろう。邪魔な存在を一人消せたと。男たちの笑い声が聞こえる。いや、これは心の声か。真ん中の「裁判長役」の男が私に死刑を求刑した将官の男と目配せをする。短い間の目配せであったが、そこには確かに言語が交わされていた。私にはその言語の意味を連想する必要はない。なにせ、その言語はようやく目の前の「裁判長役」の男から実際に音となって発されるのだから。男は周囲を見渡す。沈黙である。それは了承の沈黙。男の視線が私に定まる。口を開け、声を発す。
「被告人を死刑に処す」
そうなるべくしてそうなった結果か、はたまた運命のめぐりあわせが悪かったのか。その答えを知る者はこの場において一人もいやしない。ただ、世の中の流れと言うのは圧倒的な勝者によってつくりあげられていることは言うまでもないことである。私が会議を去る際の男たちの真っ黒な微笑みがそれを物語っていた。
死刑が執行されるまでの間、私は頑丈な柵が張り巡らされた牢獄の中でただ一つ敷かれたお世辞にも綺麗とはいえない筵の上で寝転がりながら、ただ壁のコンクリートに刻まれた一つの傷を眺めていた。意味もない時間である。過ぎ行く時間が何の効力も持たず、ただ流れていった。死刑が決まっているものと思うとどんなものもどうでもよくなってしまう。それは人生を諦めた人間にはよくあることで、私は今そんな状態に陥っていた。
ああ、それにしても私はあのとき、本当にとんでもない行為に及んでしまった。まさか自らの提督をこの手で殴り倒してしまうなんて夢にも思っていなかった。そう、本当に一瞬でもそんなことは考えたことなどなかったのだ……
私の所属していた鎮守府はいわゆる横須賀鎮守府、略称「横鎮」と言われる鎮守府で、はっきり言ってしまえば軍の中で深海棲艦に対抗するための最重要拠点として一目置かれていた場所であった。そのため、その鎮守府に集まる艦娘たちは皆数々の戦果をあげてきた武将ばかりで、私も過去に姫クラスの深海棲艦の撃破に携わったことから、艦娘になってわずか三年でその鎮守府に着任することになった。
私がその鎮守府に着任した時、まず初めに印象的だったのが、提督の存在であった。この鎮守府の艦娘は話をするたびに提督の話題に触れ、彼のことをべた褒めしたり、憧憬を抱くものだから一体どんな人物なのかとずっと興味はあったのだ。実際、彼に会って、その人柄に触れてみるとそれはこの戦時中の悲惨な時代の中において煌めく光のように素晴らしい好青年であることは間違いなかった。優しげな口調と笑顔の絶えないその爽やかな雰囲気は彼の魔法のようなもので、その魔法にかかった者は言わずもがな、かからなかった者はこの鎮守府の隅々まで見渡しても一人もいやしない。つまり、彼に反抗すべき存在はこの鎮守府にはおらず、それは彼の人脈の凄まじさを体現していた。まるでハーレムではないかと思うかもしれないが、残念ながら私だけは彼の魔法にかからなかったようで、もちろん彼の人柄の良さは評価に値すべきだが、その人柄の良さには裏があるのではないか、何かを隠しているのではないかを疑った結果、どうにもそこまで彼に入れ込むことはなかったのだ。彼は私にとって決して嫌いではなかったが好きでもない存在であった。
ただ、そのことを他の艦娘たちに公言するのは気が引けた。というより言ったらどうなっていたか分からない。彼女らの希望は彼であった。その彼に裏があるだなんて彼女らは微塵にも思ってはないのだろう。それは半ば狂気じみており、妄信にも近いような気がした。そんな感じであるから私はこのとき少々窮屈な思いをしていたと思う。
時が経つのはあっという間だ。気付けば私がこの鎮守府に着任してからもう丸一年が経とうとしていた。深海棲艦との戦闘はますます激しさを増し、各地の至るところで大規模な駆逐作戦が行われていた。私の鎮守府ももちろん例外ではなく、大規模作戦によって幾人かの艦娘たちが帰らぬ人となった。私と共に酒を酌み交わした仲の良い艦娘たちもいつの間にか先に戦場で華々しい終わりを遂げて散っていった。私はただただ悲しかった。こんなにもあっけなく終わりが来てしまうとは。戦場が仕事場な以上、そうなることを覚悟しなければならないことは分かってはいたが、いざそうなってしまえばやはり悲しみは隠し切れない。それは絆創膏で傷を覆い隠そうにもその傷が大きすぎて絆創膏からはみ出してしまっている状態にも似ていた。
私はそのことで憂いていた。だが、他の艦娘はそれでも前進していった。それはなぜか。理由は明白だ。提督の存在である。彼が生きている限り、彼女たちは進み続ける。彼が闘う意思を持っている限り、彼女たちは闘い続ける。彼の意思は彼女らの意思で彼女らの意思は彼の意思であった。彼女らは彼とともにあったのだ。それはまさしく絆そのものであり、そこに嘘偽りなどないように感じられた。未だに提督の裏を疑っていた私は己の弱さに気付き、提督に手を伸ばすか伸ばさないかで迷っていた。伸ばしてしまえば楽だ。彼はきっと迷わずにその手を握ってくれるだろう。だが、伸ばさなければどうだ。背負えるはずのないものをどう背負う?心の弱みを誰に打ち明ける?不安を一人で解消しきれるのか?ずっと自分は一人で闘っていけるのか?答えはもうすでに決まっていた。彼はその大きな手で私を抱きしめた。背丈は私の方が大きかったが、それでも彼は私の傷を背負うと言った。それは愛であった。いや、多分愛であった。形容しがたいそれがどのようなものかは知らないし、分からない。でも、このとき私はそう感じた。提督に嘘偽りがないと私はそう思ったのだ。
だが、今となっては分かる。最初の私の判断は間違ってなかったのだと。仲間を失って冷静な判断を失っていただけなんだと。それは私の提督への妄信の始まりであり、提督の抱える負担の助長に過ぎなかった。
更に一年が経過した。激化していた深海棲艦との戦いが少し治まったある日のことである。我が鎮守府に清霜という名の艦娘が着任してきた。彼女は駆逐艦という艦種ながらなぜか戦艦になることを夢見ているらしく、戦艦と接触すると「弟子にしてください」などと頓珍漢なことを言って、鎮守府を騒がせた。もちろん、私も彼女との初接触の際、同様なことを言われたが、どうやら私だけは戦艦の中でも特別らしく、その日から私から離れることは一日もないほどに慕ってきた。その慕いっぷりに多少困惑はあったものの、彼女のその素直で明るい性格から私は満更でもなかった。それに、私から彼女のことを可愛がってやるなど、彼女と私の間にはいつしか深い関係が築かれていった。純粋な関係である。そう、私たちと提督のような一方的な依存関係ではなく、本当に純粋な関係。
彼女が着任してしばらく経つと、提督は突如今いる秘書艦を外して、清霜を秘書艦に任命した。理由は分からなかったが、提督を妄信していた私たちは誰も深い理由を聞こうとはしなかった。提督のことだ、何か考えがあってそうしたのだろうと。思えばこのとき辺りから提督の行動に少しヒビのような、違和感のようなものを感じてはいたが、それすらも私は勝手に理由付けをして、一人で納得をしていた。そのような行為が提督を苦しめているとも知らずにである。
いつの日だったか。提督が発狂したことがある。鎮守府の庭のど真ん中で地団駄を踏んだ後、地面に向かって唾を吐き捨て、大の字に寝転がって大声で訳の分からない言葉を発していた。それを最初に見つけたのは元秘書艦の大淀であった。彼女はその異常な様子に心底驚きながらも、彼の側へと寄り添って、体を抱きしめてやった。すると、彼はそのときこう言ったのだという。「俺は、もうダメかもしれない」と。
その言葉がどのような結末で迎えられたのかは次で分かることとなる。当然のことながら彼も人間である。私たちがどんなに彼のことを凄いと言ったり、慕ったりしてもおそらく彼には全部負担となっていたのだろう。そして、その負担は性質の悪いことに彼自身も気付いていなかったように思う。実際、私が提督に抱きしめられたときに感じた愛のようなものは本当に嘘ではなかった。彼は自分がいっぱいいっぱいになりながらも、自己犠牲的な精神の上に私の感情も背負ってくれたのだ。だが、彼はそれを自己犠牲とは思っていない。当然と思っている。そうしていつしか彼は自分でも気づかないうちに背負いすぎた負担を表に出してしまい、発狂し始めた。そして、事件はついに起こってしまう……
その日は特になんら変わったことはなかった。いつも通り、出撃から帰ってきて旗艦である私は代表者として提督に出撃内容を報告しようと提督室に寄った時、中から少女のすすり泣くような声が聞こえた。何だ何だと思い、ドアに耳を澄ませる。すると、男の吐息らしきものも聞こえてくるではないか。中で何が起こっているのか。半ば好奇心を持ってドアをそっと開ける。白い軍服姿の男がまず目に映った。提督だ。彼は何やら下半身を何かに押し付けていた。その何かがまるで女性のお尻だったので、まさかと思って視点を移動するとそこには清霜が机の上に頬をあてて、涙を流しながらお尻を提督の下半身にあてがっていた。そのとき、私は目の前で何が起きているのか理解した。そして同時に私は裏切られたと思って、猛烈な怒りに駆られた。その怒りは私を獣のように突き動かし、理性を失わせた。次の瞬間、私は提督に歩み寄って彼の頬を思いっきり殴っていた。彼は床に倒れ、顔を血に染めた。床や机には彼の血や折れた歯が飛び、それを見た清霜は悲鳴をあげた。
ああ、私はなんて悲惨なことをしてしまったのだろう、そしてなんて傲慢なのだろう。考えてみれば、私は勝手に提督に依存していただけなのだ。そして、その依存は同時に彼に自分の理想を押し付ける行為にも等しい。私の中の彼は誰に対しても分け隔てなく接し、笑顔の絶えない好青年であった。それが、いざ自分の前で瓦解するとどうだ。私は彼が裏切ったのだと思い、暴力行為に走ってしまった。はは、我ながらとんでもない屑だ。
もっと彼のことを考えるべきだった。彼の心理状態を知っとくべきだった。そう思っても、私は自らのうちに湧いてくる怒りを抑えきれなかったのである。
今日もいつもと変わらず私は筵の上に寝転がって壁の傷を見ていた。死刑と宣告されてからどれくらい経っただろうか。予想ではだいたい六日くらいか、天井横の僅かな隙間から陽がこぼれ暗くなるのを六回ほど見たからそう推測してみる。ああ、それにしてもいつ死刑は執行されるのか。執行するなら早くしてくれた方がいい。こういうのは長引くほど恐怖や不安を与えるものだ。それに罪悪感も次第に薄れていってしまう。この空間にいるだけで自分は罰を与えられている気になってしまうのだから。だから下すなら罪悪感を持っている今のうちの方がいい。さあ、早く。早くしてくれ。
牢獄の通りから足音が聞こえる。とうとう来るか。そう思い、私は柵の方を見つめる。すると、一人の憲兵の男がやってきた。男は私の牢の前に立つやいなやポケットから鍵を取り出し、なんと信じられないことに錠を開け、柵を開けてしまった。これはどういうことなのか。私がそう問うと、男は単調な口調で話し始めた。
「お前のとこの提督が裁判の判決に物申した。武蔵を処分するのはあり得ないと。艦娘保護法違反だと。それにあの臨時裁判において全て同じ派閥で固められていたのもおかしいと、そう言った。普通なら一度決まった判決がひっくり返ることなどないが、彼はお前の被害者であり、またあの臨時裁判に居た誰よりも地位は上だ。そういったことから元帥の許しもあって、お前は処分を免れ、プリズン鎮守府行きとなったというわけだ」
そうか、提督は私を許したのか。そう思うと自分のやった事の愚かさをつくづく痛感する。ああ、私は本当にとんでもない奴であると、そう思わずにはいられない。私は俯いて言葉を発さずにいると男は言葉を継ぎ足す。
「プリズン鎮守府は知っていると思うが、数々の重罪を犯した艦娘たちを収容する施設だ。一応鎮守府と名はうってあるが、普通の鎮守府なんかではない。それは名のごとく刑務所のような場所だそうだ。はっきり言ってしまえばブラック鎮守府の方がマシとさえ言える。まあ、せいぜい覚悟をすることだな」
そう言って男は踵を返してその場から立ち去った。そして、本当に私はその日死刑を免れ、牢を出ることとなった。