プリズン鎮守府―――噂には聞いていたが、まさかこれほどまでとは思わなかった。窓を覆う防弾用の装甲車から降りて、辺りを見回すとそこには過剰ともとれる憲兵たちと護衛の多さに圧倒され、少し遠くを見やれば鎮守府に周りを囲むようにして有刺鉄線が張り巡らされており、その鉄線近くには多くの艦娘たちが賑わい、私たちに対し、何やら数々の言葉を浴びせかけている。彼女らが何を言っているのかは分からなかったが、こんな場所である。想像できないことはない。
私たちは手錠をかけたまま、両脇を憲兵に抑えられ、多くの艦娘たちが騒いでいる中、鎮守府の中へと連れていかれた。鎮守府の中は案外綺麗であった。壁紙は白を基調とした清潔感溢れるもので、床は茶色のフローリングでまじまじと見てもゴミ一つすら落ちていない。これはよく掃除が行き届いている証拠である。
この掃除は一体誰がしているのだろうか。ここでふとそのようなどうでもいい疑問を持った。見たところ、この鎮守府には掃除のおばさんみたいな清掃要員はいないだろうし、憲兵や提督たちが掃除をするはずはないだろう。となると、残るは艦娘しかいまい。おそらく、艦娘自らが鎮守府内の掃除をしているものと思われる。有刺鉄線の向こう側にいた彼女らの何人かはモップやほうきを持っていたりしたので多分そのためである。
ということは、この鎮守府は出撃よりも雑務の方を重視しているのだろうか。考えてみればプリズン鎮守府のある位置は深海棲艦の出現率はかなり低く、あくまで哨戒用に作られた場所という感じである。どうやったってこんな辺鄙な場所では、出撃する可能性は見込めない。有刺鉄線の付近にいた艦娘たちを見れば、皆戦時中だと言うのに緊迫感を失った腑抜けた顔をしていて、長年出撃などしていないことが分かる。ああ、私も長年ここに抑留されればあんなような腑抜けた面構えになるというのか。それはなんとおそろしいことであるか。ずっと最前線で戦ってきた私にはそれは死と同じである。何としてでも一刻も早くこんな場所から抜け出さなければならない。私が死んでしまう前に。そして、提督への罪悪感が薄れてきてしまう前に。私はそう固く決意した。
しばらくして、私は前の艦娘の動きが止まったことをきっかけにずっと俯きがちであった顔を上げる。周りの艦娘や憲兵たちが見つめる先に上に「提督室」と名の打った木製の板の下に大きな茶色い扉がある。おそらく、そこが目的地であり、私たちはこれからこの鎮守府の提督に挨拶を交わすのだろう。その扉を開くと、中はなかなかに豪奢を極め、見たことのない金ぴかの装飾品や調度品に、シャンデリアが上から吊り下げられていた。一本の電線で吊り下げられたそれは常に不安定な動きを見せ、ちょっとした地響きが起きそうなものなら、簡単に床へと落下してしまうのではないかと思われた。そんなシャンデリアに目を奪われながらも、私たちは憲兵たちの指示に従って、その部屋の中で横一列になって待機させられた。
憲兵たちは私たちを囲むようにしてそれぞれの位置につき、部屋の奥にある扉近辺をやたら警戒するように見つめていた。暫くすると、その部屋からある一人の白い軍服姿の男が現れた。おそらく彼がこの鎮守府の提督であろう。彼は星二つの肩章を見せびらかすようにゆっくりと歩き、私たちの前に立った。
提督は見たところ、四十代半ばぐらいで厚ぼったい瞼と中年太りからくるたるみが顔の至るところにできていた。脂ぎった額はてかてかと光り、ハンカチをポケットから取りだしては汗を拭っている。なだらかな丘陵のようなお腹は制服のサイズに合ってなく、今にもボタンがはち切れんばかりのものとなっており、その醜悪な姿に私は嫌悪した。
提督は私たちを端から端まで睨み付けるようにして見回した後、そのダルンダルンの顎の肉を震わせながら声を発した。
「お前たちは今日からこの鎮守府の艦娘となる。今日からここがお前らの寝床で生活の場だ。そして、始めに言っとくが今日からお前らはゴミだ。ゴミ以下のクズだ。ここに来るってことはおそらくろくでもないことをしてきたんだろう。そんなお前らを収容するために作られたのがこの施設だ。ここで生活する以上、規則は守ってもらう。勿論、破ったら言わずもがな豚小屋行きだ。本当なら殺してやりたいところだが、それは艦娘保護法によってできないことになっている。死ぬことはないから安心しろクズ共」
予想はしていたが、初っぱなからいきなりクズ呼ばわりである。確かにここに来る時点で何かしら罪を犯しているのは間違いのないことだが、それにしてもひどい。そこまで言う必要はないのではないか。自分達だって艦娘が居なければ何もできない弱者じゃないか。嫌悪や憎悪が込み上げてくるところではあるが、とりあえず相手を暴力によってねじ伏せるという考えだけは除いておこう。それではまた同じことの繰り返しになってしまうからだ。私は心を平安に保とうと瞼を閉じてみる。だが、耳から入ってくる情報はどうしようもない。提督は嫌悪に満ちた声でそのまま話を続ける。
「最初だからクズ共にも分かりやすく言ってやるが、ここでは俺が絶対だ。いいか?逆らおうとか考えるんじゃないぞ。そんなことしようものなら死よりも恐ろしいことを味わせてやる。覚悟しろクズ共」
吐き捨てるようにそう言うと提督は私たちに背を向けて、元出てきた部屋へと去っていった。どうやら私たちは提督に罵られるためにここに集められたらしい。とそんな風に思っても仕方がないほどの罵詈雑言っぷりである。聞いてて思わず憤りを感じたものの、あの程度の男にそれを感じてしまっては負けだと自分に言い聞かせ、私は何とか心を平穏に保った。にしても、ここの提督はどうやら人を怒らせる素質があるらしい。ただ単に無関係の見知らぬ他人から言われてそこまでムカつくことがない暴言でも、あの男が言うとその醜い容姿と相まって人をムカつかせることに特化した言葉に変身する。あの罵詈雑言をあともう少しでも浴びせられていたら私の理性が保っていられたかどうかは分からない。
私は他の艦娘の様子がどうなのか試しに窺ってみる。すると、私の真横に立っていた艦娘に目が止まった。彼女は快活な印象を与える黒髪のボブカットに青い瞳をギラギラさせながら、提督が戻っていった部屋を一点に見つめていた。その表情は怒りの形相そのもので、拳は固く握りしめられ、プルプルと震えていた。
ああ、これは相当怒っているな。呑気ながらも彼女を見つめて私はそう思った。顔が真っ赤な彼女の口元からは、歯軋りが聞こえ、真横から見ても歯茎が丸見えであった。悔しそうに怒りに震えるその姿は何だかひどく歯痒さを感じさせた。
提督が退出してからというもの、部屋の中を嫌な空気がまとっていた。当たり前だろう。罵詈雑言を浴びせられた後に楽しい雰囲気になるはずもない。暫しの沈黙の後、憲兵の中でも偉い立場であろう一人の男がさっきまで提督が立っていた位置に立ち、落ち着いた口調で声を発した。
「まあ、言わなくても分かるだろうがさきほどのお方はこの鎮守府の提督をなさっている方だ。ここでの最高責任者ということだ。そして我々はあのお方に反する者を処分するために存在している。貴様らの中からそのような者が現れたら全力で対処する。覚悟をしておけ」
いったん言葉を切って再び男は落ち着いた口調で話し始める。
「それで今日から貴様らはここでの艦娘となるわけだが、ここでは基本貴様らの名前は呼ばない。番号で呼ぶことにする。そして、貴様らが今来ている服だが即脱いでもらって、これに着替えてもらう。もちろん、拒否権はない。大人しく従うことだ」
そう言って男は横にいる憲兵に目配せをすると、憲兵は番号の書かれたカードと鼠色のポリエステルで作られたつなぎのような服を私たちに順々に渡していった。カードに書かれている番号はおそらく私たちの名前となるものであり、その鼠色の服はこれから私たちがこの鎮守府生活を送るに当たって着るものということだろう。私が渡されたカードには百番と書いてあった。
「全員の手に服とカードが行き渡ったな?よし、ならば今そこで着替えろ」
男の信じられない発言に驚きをかくせず、思わず私は声を失った。ここで着替えろだと?この男、自分の言っている意味が分かっているのだろうか。この場で服を着替えること、それはつまり多くの憲兵の男たちの前で裸になれということを意味していた。ただでさえ戦時中まともに女の体など抱く暇などないだろう男たちの前でそれを見せるのは、言わば鮫が群がる海に飛び込むようなものである。それをここでしろと平然とした顔で言ったこの男はおそらく慣れているのだろう。新入りが入ってくるたびにこのようなことをやっているのだと思われる。全くこれじゃどっちがクズなんだか分かったものじゃない。
驚きを通りこして呆れてしまい、私は一つ大きな溜め息を吐いたそのときである。さっきから怒りに震えていた横の艦娘がつかつかと男に歩み寄り、胸ぐらを掴んでぐいっと上にあげた。
「ふざけんなよてめぇ。さっきから聞いてりゃ舐めた口ばっか聞きやがって。殺されてーのか」
彼女の声色から察するにそれは殺意そのものであった。男に対する猛烈な怒りからまともな思考判断ができていないようである。この多くの憲兵たちがいる中で反逆行為は自殺行為に近い。これはまずいと私は思った。よく見ると憲兵たちは銃を持つ手に力を入れ、いつでも構える準備が整えられていた。
「手を離せ九十九番」
こんな状況の中でも男は落ち着いた口調を崩すことはなく、目の前の反逆者に言って聞かせるように言った。九十九番というのはおそらく彼女の新しい名前だろう。いつの間にか床に破り捨てられたカードに書かれた数字がそれを物語っていた。
「九十九番じゃねぇ!私の名前は摩耶だ。あんまりふざけたこと言ってんじゃねーぞクズ共」
おお、皆が言いたいことをズバズバと言ってくれたなこの摩耶ってやつは。彼女は私の腹の中にある言葉をまるで代弁してくれているかのように目の前の男に強気な口調で迫る。その姿はまるで餌を食い殺そうとしている獣のようであった。
彼女の怒気に満ちた表情は周りにいた憲兵たちに恐怖をもたらし、場に緊張感を走らせる。しかし、男は相も変わらずポーカーフェイスで落ち着いていた。その妙な落ち着き具合に私は違和感を感じ、男を見据える。
「もう一回言うぞ。九十九番手を離せ」
「やだね。お前がここで泣いて土下座するまで許さねぇ。まあその前にお前を殺すかもしれないがな。たかが憲兵ごときがえらくでしゃばってんじゃねーぞ」
摩耶の怒声が部屋中に響き渡る。あまりにも大きな怒声だったため、何人かの駆逐艦と思わしき小さな艦娘たちは耳を塞いで、怯えを隠しきれずに震えているのが分かった。
そろそろ来るか。ここまで言ってやれば男が怒っても可笑しくはない。おそらく摩耶は男から怒りを引き出そうとしているのだろう。惨めな姿を私の前に見せろとでも言うように態度を改めることはしないようだ。
だが、男は依然ポーカーフェイスであった。眉一つ、表情筋一つ動かしやしない。それはまるで能面のような、仮面を被った不気味さを放っていた。
「……これが最後だ。九十九番手を離せ……」
落ち着いているように聞こえるが、今までの口調とは明らかに違う。それは、あまりにも口調が冷淡すぎること。剥き出しのコンクリートのような気持ちの悪いくらいに無機質な声色でありながら、独特な言葉と言葉の間。この間が意味することは言うまでもない。感情の変化である。その微細な感情の変化が間となって言外に出たものと見られる。ということは男は覚悟を決めたということだ。このとき、間違いなく男はこれが本当に最後であると通告している。
だが、目の前の理性を失った猛獣にはその通告は届いていないようだ。おそらく摩耶の頭の中にあるのは目の前の男に対する殺意でしかない。
彼女は彼の言葉を腰抜けの挑発と見なして、鼻で笑った後、数々の罵詈雑言で煽った。それは同じ艦娘であっても聞き苦しいものであり、とてもじゃないが彼女を擁護する気にはなれないほど。そのとき、男が周りの憲兵たちに目配せをすると、彼らは一瞬で銃を構え、射撃する体勢に入る。
咄嗟の出来事に周りの艦娘たちは口を開けて声にならない声を発する者、目を閉じる者、耳を塞ぐ者、しゃがみこんで怯える者、頭を抱える者など様々な反応を見せ、周囲の空気が凍りつく。憲兵たちの人差し指が引き金に触れ、徐々に力を入れていく。その刹那である。
部屋には銃声がなる前に男の顔面に鼠色の服がクリーンヒットしていた。男はその衝撃で床に倒れ込み、その異様な光景に憲兵たちの手が止まる。一体何が起きたのか。
簡単な話である。摩耶が蜂の巣になる前に、たった今支給された服を私が男の顔面めがけて投げつけてやったのだ。自分の咄嗟の行動に自分自身でも驚いたが、それよりも思ったよりその服の衝撃が大きかったことが驚きであった。服を丸めて投げ込んだのと戦艦である私が本気になって投げたのがその原因か、男は服に当たった後、見事なほど綺麗に仰向けに倒れていった。
場は静まり返った。しばらくして皆は、その服を投げ込んだ当事者である私の方を振り向く。その目には混乱と疑問が混ざりながらも、私に行動の理由を求めていた。私は大きく溜息を吐く。まったくもう暴力はしないと決めたのに、言ったそばからこれだ。こうやって自らの人生を破滅させていくのだろうか。我ながらとんでもない大馬鹿者である。私は抵抗の意思がないことを相手に示すために手を挙げ、半ば自嘲気味に次のような台詞を吐いた。
「それで今度こそ私は死刑になるのか?」
二度目の暴力である。今度こそそうなってもおかしくはない。私は憲兵たちの顔を一人一人見つめながら、どうなのかと目で問うた。彼らは未だ困惑した様子を隠し切れず、しどろもどろになっている。
そんなとき、服を投げ込まれて倒れていた男が顔からゆっくり服をどかすと、そこには真っ赤かに膨れ上がった顔があった。さきほどまでのポーカーフェイスとは大違いなものだから私は思わず目が丸くなる。
「これは驚いた。あれだけポーカーフェイスを貫いていたのに貴様は服を投げ込まれるとまるで生まれたての赤ん坊のような顔色になるんだな」
「……いきだ」
男の声色が震える。そして、怒りに満ちながら私への判決が下される。
「そいつを懲罰房に一生閉じ込めておけ!」
どうやら死刑ではなかったようだ。男のその日一番の怒りの咆哮で私はその後、営倉にぶちこまれるはめになった。こうして、私のプリズン鎮守府生活は幕を開けることとなったのだった。