DATE・A・LIVE The Snatch Steal   作:堕天使ニワトラ

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ペナルティ

 

脱衣場近くの手荒い場。

 

「はぁ……はぁ……っぷ!ぐぅ……っ!」

 

蛇口が全開に開いて大量の水が吐き出されている前で、零は洗面台にすがり付くように座り込んでいた。

 

「……もうてっきり割り切ったものかと思ってたら、こんな重要なときに……」

「……くそっ!……考えない、ように……はぁ、はぁ……してた、はずなのに……」

 

志保は零を落ち着かせるように、優しく背中を擦る。

そこには先程までの強さと美しさを兼ね備えたような青年の姿はなく、何かに怯えているように身を震わせる子供のようだった。

 

 

 

志保は零がこうなるのを見るのはこれで2度目。

最初はこの世界に来てから数年後、初めて自分以外の精霊を目撃した時だった。

この時まではまだ自分に与えられた目的がわかっていなかった。

もしかしたら何かヒントがあるかもしれないと考えた零は、この世で2番目に発見された精霊、【第二の精霊】を探す。

そして彼女を遠目で見た瞬間、零の霊結晶(セフィラ)が激しく鼓動する。

直後、まるで霊結晶(セフィラ)が彼女を求めているかのように反応し、そのための方法が零の頭の中に流れ込んできた。

しかしその内容を理解したのはいいが、それを二つ返事で実行できるほど零は女に飢えているわけではない。

 

―――そんな些細な抵抗が引き金となったのか、今度は零に激しい激痛が襲った。

まるで体内にいる何かが大暴れし、心臓を鷲掴みにされたような感覚。

迷いを見せた零を叱り飛ばしているような、霊結晶(セフィラ)の怒り。そう思わずにはいられなかった。

ただ少し、ほんの少しだけ迷いを見せただけでこのザマ。もし明確に拒否する意思を示したら―――そんなことは考える余裕すらない。

零は気付いた。霊結晶(セフィラ)を与えられた時から、自分にはもうやる以外の選択肢などないのだと。

それに異を唱えるどころか、迷うことすら許されない。生殺与奪権を握られた哀れな奴隷のように―――。

 

 

 

 

「……はぁぁっ……はぁぁっ……ちく、しょぉ……ちく、しょぉぉぉ……」

 

だが今はこんなところで(くすぶ)っている場合ではない。

この千載一遇の機会を逃せば、琴里、<イフリート>を狙うチャンスがいつ来るかわからないのだから。

なのに体が震えて言うことをきかない。力が入らない。

終わってしまう。これまでの旅が、手に入れたものが、自分の何もかもが意味をなくしてしまう。

明確な(おわり)の恐怖に、身体が零の意思に反して動くことを拒んでいた。

 

 

 

 

 

「―――しっかりしなさいっ!」

 

志保が零の上着の胸ぐらを掴み、強引に自分に向けさせる。

そこには感情の(たか)ぶりで泣きそうな志保の顔と、彼女の眼鏡に映る自分の顔があった。

 

「……あなたがここで立ち止まったらどうなるか、それはあなたが一番わかってるはずでしょ!?……思い出しなさい。目的を果たせなかったら(・・・・・・・・・・・)どうなるか……!」

「果たせ、なかったら……」

 

そこで零の脳裏に過ぎるのは、かつて自分が訪れた世界。

そしてそのうちの幾つか、目的を果たせなかった世界がどうなったのかを―――。

 

「……い、いや……だ……もう、あんなのは……」

「だったら立ちなさい!……いま、この場所にはあなたの目的を達成するための1ピースがある。けどそれを手に入れるためには、誰かの大切なものを奪わなきゃいけない。そのためには……」

 

ガタガタと激しく震える零の前で、志保は小さく俯く。

 

「……選びなさい。自分の身だけを思ってここで震え続けるか、良心も迷いも、邪魔になるものは全部捨てて、目的を果たすことだけを考えるか。……けど忘れないで。あなたのことを信じて、あなたが捨ててはいけない大切なものがあることを……」

「大切な、もの……」

 

志保の呼びかけで落ち着きを取り戻しつつある零の思考に、今の自分を支えているものの姿が過ぎる。

創世重工の従業員。契約を結んでいる子会社に顧客。四糸乃と狂三。そして―――、

 

「『与えられた役目も、出てしまった犠牲も、ぜんぶ背負って前に行く』。それがあなたの信念でしょ?……だから全部なかったことにしないで。私のすべてを背負って、私と契約を結んだ世創零を―――

 

 

 

 

―――虚構(うそ)にしないで……」

 

掴んでいた手を離し、志保の腕が力なく下がる。

そして彼女の頬を一筋の雫がしたたり落ちたのを零は見逃さなかった。

 

 

 

―――駄目だ。このままでは。

 

 

 

零の心の中に、ほんの小さな光が灯る。

覚悟が足りなかった。良心という甘えがあった。

今までにもあったはずだ。善意だけじゃどうにもならなかったことが。

だから自分の意思だけを貫いていくと決めた。……決めたはずだった。

 

「……………………」

「え?社長……?」

 

零はゆっくりと立ち上がると、洗面台の方を向く。

そしてゆっくりと頭を下げると、未だに放出され続けている蛇口の水に頭を突っ込んだ。

 

「え!?ちょ……!」

 

跳ねる水しぶきを腕で防ぎながら、志保は零の姿を見続ける。

その姿は滝行を行う修行僧のようで、頭の中の煩悩(いらないもの)を洗い流しているみたいに見えた。

 

 

 

……しばらくそれが続くと、零は頭を水から引き抜き、身を起こして洗面台に手をつく。

そして激しく首を振るい、長い銀色の髪に纏わり付いた水分を振り払った。

 

「……博士」

「は、はい……」

 

その冷め切ったような零の声に、志保は思わず上擦った声で返事をしてしまう。

そこから見えた彼の横顔からは微塵の恐怖も感じられず、感情が消えたかのような静寂感を見せていた。

 

「……正直に答えてくれ。俺は―――非道い奴か?」

「え……?」

 

あまりにも掻い摘まみすぎた問いに、志保は一瞬、零の真意を見失いかける。

だがすぐに零の横顔を見て、彼が求める答えの意味を見出した。

 

「……ええ。若い女の子を奴隷にして(はべ)らせて、その挙げ句に思い人がいる女の子にまで手を出そうとしてる。私の個人的な見解からすれば、あなたのやっていることは―――悪そのものよ」

「…………そうか」

 

零は志保の口から飛び出した暴言に対し、零は目の前の鏡で自身の顔を見たまま答える。

これはこの先、自分の中にある不要なものと決別するための儀式。

『役目』に対する迷い、相手への同情、そして死の恐怖。

それらを捨てなければ成せないことがある。守れないものがある。

 

「……上等じゃないか。やってやるよ。だから―――」

 

どうせ他に選択肢なんてない。もはやそんな投げ遣りな動機ではない。

これは自分の意思で決めたこと。零にとっていちばん失いたくないものを守るために。

退路は断った。邪魔になるものはすべて捨てた。零の覚悟は完全に決まった。

気持ちの切り替えが終わった零は、右の拳を振り上げ―――

 

 

 

―――ドンッ!

 

「っぐ……!」

 

自分の胸に力いっぱい叩き付けた。

そして自分の中にあるものに向かって、零からの唯一の要求を絞り出すように口にした。

 

「―――黙って見てろ」

 

 

 


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