The Rain Bringer Girl 作:うにうにうさぎ
昼を少し過ぎて、虚の霊圧の出現に美雨は出動した。
中型の虚が1体。
腕慣らしにちょうどいい。
美雨は少し離れたビルの上でクロスボウ型にした霊弓を構えた。引き金に指をかけた時、虚の周囲に丸い結界が出現した。氷の円柱が出現し、一瞬で虚を葬った。
美雨は身を隠した。
「ルキア!!」
授業を抜け出し死神化した一護と、チャド、織姫、石田が走ってきた。
小学生のように小柄な死神は、白いリボンがついた日本刀を鞘に収めると、顔を上げた。
「久しぶりだな、一護。皆」
「……あれが、朽木ルキア?」
美雨は上から様子を伺う。
母を苦しめ、両親の運命を歪めた張本人。
幼い頃いじめられた赤毛の幼なじみと、なんとなく似ていて、美雨は身震いした。
彼女が黒崎一護に『後付け』の平凡な人間としての人生など望まず、彼の運命を受け入れて死神として導けば、母の苦しみも父の昏睡状態も、美雨の世界が倒せない敵の脅威と戦い続けることもなかった。
美雨は胸元で手を握りしめた。
――でも……。
美雨の脳裏に優しい思い出が蘇る。
暖かいオレンジ色の髪をした、美雨を常に守り愛してくれた大好きな兄。
朽木ルキアの選択なくして、兄の誕生は成立しない。
兄は特異点ではない。
だから、兄が存在しない並行世界へ渡ることが出来た。
特異点の美雨を座標に設定して。
兄が存在しない世界の自分は、どんな暮らしを送っているのだろう。想像できない。
なにが正解か、どうすれば皆が幸せに笑えるのだろう。
過去へ渡ることになった夜、母から井上織姫を殺してくれと頼まれた。特異点の美雨自身が手を下せば可能かもしれないと泣かれた。
美雨も疲れていた。
昏睡状態の父。
介護で疲れ切った母。
消息不明の兄。
生活は祖父が援助してくれて不自由しなかったが、何も出来ない自分が歯がゆくて、放課後は母が以前勤めていたパン屋でアルバイトをして働き、アルバイトがない日は祖父の手ほどきで滅却師の修行に明け暮れた。
虚が出現すれば死神たちと討伐に出た。
美雨は特異点。
全ての並行世界で、期間に入れば誕生する。
美雨が世界に誕生するための障害があれば、世界はあらゆる手段を使って排除する。
どこにも逃げ場がない。
美雨の世界から『黒崎一護』が喪われてしまったのは、特異点である自分が存在するからなのか、特異点を産む母が、黒崎一護に恋をして結ばれてしまったからなのか、分からなくなってしまった。
美雨が特異点と知ってから、母は落ち込んだ。
愛した黒崎一護の死因が他でもない、自分の一護への愛だったのだと、自分を責めるようになった。
父の昏睡状態も、兄が帰ってこないのも、現世の脅威も、全て自分が原因だと考えるようになってしまった。
父に愛され、家族に囲まれて、生活は何不自由なく、幸せしかなかったのに、長い間父の愛に気付かず散々傷付けて、最も愛する人を死に追いやって現世を危機に晒し、子供たちに過酷な戦いを強いてしまったと、苦しんでいる。
美雨は母の苦悩を最も間近で見続けた。
母はなにも悪くない。
とても好きな人がいて、相手も同じ気持ちになってくれただけのことだ。
黒崎一護の死因も、表向きは突発性の心臓発作とされているが、実は人間の身体に死神・虚・滅却師、三種の本来けして交わることがない相克関係の霊圧を宿して、世界を護るために強大な力を繰り返し奮い続けた後遺症だという。
母の責任ではない。
母を助けたかった。
昔のような明るく可愛くよく笑う母に戻って欲しい。
そのためなら、世界の理に逆らうことになっても、自分の存在が消えてしまうことになっても構わないと思った。
この時代の特異点・石田か織姫、いずれかを殺害して、世界に修正不可能なイレギュラーを起こせば、世界は全く違う方向へ変わらざるをえない。
結果として世界から滅却師が全員死に絶えてしまうが、生存競争に負けたようなものだ。
しかし、美雨の手で石田か織姫を殺害するのは不可能だった。
石田はとにかく『しぶとい』
普通なら諦め死を覚悟するところでも、絶対に諦めないし、死なない。
その諦めの悪さで未来で未亡人になった母と結ばれる。
石田のしぶとさは、未来で特異点の父になるための、世界による『修正』も関係しているのだろう。
石田の得意技は、霊矢を1200連射する『
滅却師としての美雨は、次代の滅却師を繋ぐ者として、祖父から滅却師の術の全てを伝授された。稀有な結界能力を持つ母の血は、霊子を操る滅却師の力と相性が良く、美雨は教わった術を全て使いこなした。だが筋力はどうしても男性の石田に劣る。腕力の不足を動血装で補っているが、光の雨のような大技を連発するには不向きだ。圧縮霊子で作った高威力の霊矢を、腕への負担が少ないクロスボウ型の霊弓で撃ち抜く戦法を主力にした。石田と撃ち合っても霊圧の性質が似ていて打ち消されてしまう上に、圧倒的な矢の数の差で負けてしまう。
織姫もまた、霊圧の性質が似ているために美雨の矢では三天結盾で完全に中和されてしまう。
椿鬼で三天結盾を破っても、石田たちが織姫を守る。
美雨はため息を吐いた。
織姫と石田が織姫のマンションの方角へ移動しはじめたのに気付き、美雨は飛廉脚を使ってベランダからマンションに戻った。
座布団に座って、適当な本を広げたタイミングで鍵が開く音がした。
「美雨ちゃ~ん、調子どう?」
織姫が迎えに来た。
***
織姫は美雨の額に手を当てて、自分の額の熱と比べた。
「うん、大丈夫そう。良かったね」
目尻と眉尻をぐっと下げた暖かい笑顔を浮かべた。
「早速だけど、これから浦原商店に行くの。美雨ちゃんも一緒に来て」
美雨は時計を見た。
「学校は?」
織姫は左手首を返して腕時計を見た。
「わわ! もうこんな時間!?」
「浦原商店は放課後にしない?」
織姫は頭の後ろを掻いた。
「う~ん……そうだね。じゃあ、4時に浦原商店に。場所はわかるかな?」
「うん、」
美雨は頷いた。
「雨竜!」
ドアの外で石田が顔を覗かせた。
「織姫ちゃん飛廉脚で学校まで連れてってあげて」
「言われなくてもそのつもりだよ」
石田はずれてもいない眼鏡のブリッジを抑えた。
「それから……」
織姫がクスリと笑うのが見えた。美雨は少し頬が熱くなる。
「昨日はアリガトウ。ご馳走さま」
「……どっ、どういたしまして」
美雨と石田のなんともいえない雰囲気に、織姫は卓袱台に突っ伏して笑いをこらえた。
「じゃあ4時ね」
織姫と石田は並び立った。
美雨にとっては見慣れた光景。
織姫は石田の制服の端を摘み、石田は織姫の肩を抱いた。
「行ってきま~す!」
織姫が美雨に手を振ると、2人は風のように消えた。
一人になった美雨は考える。
この時代の石田と織姫の仲は良好。織姫は石田に触れられても気にしないほど信頼しているし、石田の織姫への気持ちは、石田の顔を見れば誰だって気付く。一護を犠牲にする世界のお節介などなくても、自然に結ばれるように思えた。
この頃の織姫と石田と一護、朽木ルキアの関係について、浅野とたつきに聞き込んで調べておけば良かった。美雨は悔いた。
黒崎一護の死は、家族、仲間たちの心に癒えることがない深い傷を残していた。母の最初の結婚時代は黒歴史とされ、美雨に語られることはなかった。
美雨にとって唯一のヒントは、前の家でリビングの中心に置かれた小さな仏壇だ。
母を親代わりに育てて28で亡くなった叔父。若い時に亡くなった祖母。祖母亡き後、多忙な祖父に代わり、幼い父の世話をして滅却師の修行をつけた曾祖父。そして黒崎一護の写真が飾られていた。
写真の黒崎一護は、この世界で出会った黒崎一護と同一人物だと気付けない程、別人にしか見えない穏やかな顔をしていた。
両親と兄は黒崎一護の遺影に毎日欠かさず祈っていた。
黒崎一護は死して正規の死神となり、すぐに任務を与えられて、尸魂界に行かずに世界を守るために戦っている。無事を祈ることが、黒崎一護の力になると教えられ、美雨と弟も祈った。
仏壇に祈る両親の姿を見続けて、両親にとって黒崎一護がどれほど大切な人か、黒崎一護を知らない幼い美雨にも理解できた。
父は何かあると仏壇に向かい、物言わぬ黒崎一護と対話しているようだった。
死んでも世界を守るために戦い続けるなんて、美雨はごめんだ。
だが、滅却師の後継者として全ての世界で時期になれば誕生する美雨にとって、世界そのものに修復不可能な変更を加えない限り、戦いの運命から逃げることは許されない。
世界そのものに修復不可能な変更を加えるとは、世界の修正力を完全に破壊し、現世・尸魂界・虚圏の境界が失われ、世界に混沌をもたらし、人類史そのものを消滅させることを意味する。
自分が運命から逃げたいがために、全ての命、魂から生きる権利を勝手に奪うなど、絶対に許されない行為だ。
大好きな母に泣いて頼まれても、やっていいことではない。
「出来もしないけどね……」
美雨は呟いた。
***
幼稚園から共に過ごす美雨の学友たちは、名門私立校に通うお嬢様らしく、資産家ゆえの複雑な家庭が珍しくなかった。
入学時に両親が揃っている事が条件のため、必要時のみ金で父親を『レンタル』する家。経営者の高齢な母親とヒモの若い父親の家。毎年親が変わる家。
彼女たちに比べたら、母親が元未亡人で、同級生の親友と再婚したなんて身の上は平凡そのものだ。
複雑な家庭の友人たちに共通しているのは、恐ろしく前向きということだった。
過去は変えられないが、未来は自分の行動と選択で、いくらでも変えられる。失敗したら、失敗の原因を考えて、別の方法に挑戦できる。七夕生まれの美雨に、祝い代わりに七夕の解釈を授けてくれたのは友人たちだった。
友人たちは美雨に語った。親の前の家族について考えるなんてナンセンスだと。
どんな経緯があったにせよ、結果として自分たちは命を貰った。精いっぱい人生を楽しまなければ損だと。
父が寝たきりとなり、祖父の屋敷に移り住んで、母は仏壇を片付けた。母の寝室に与えられた、父が眠る部屋と繋がった広い部屋に、亡き叔父の写真を一枚飾った。
母は父が眠る部屋に、前の家からコタツ付きのローテーブルとソファーとテレビを持参した。重厚な洋間に不似合いなカジュアルなラグを敷いて、前の家と似たリビングコーナーを作った。
医療事務の資格を取って、空座総合病院で短時間のパート勤務と、ヘンテコなぬいぐるみやキルトを作ってネットで売り、僅かな収入にしていた。
美雨は、父の結界を維持するために屋敷から長く離れられない母に、帰宅するとリビングコーナーで学校のこと、アルバイト先のこと、滅却師の修行のことを全て話した。母は目を細めて聴いてくれた。
3歳下の弟は、高IQに恵まれ、特別な配慮が必要だった。母1人では、父を介護しながら弟の教育と心のケアをするのは困難で、3年前からアメリカで暮らす祖父の友人に預けられていた。
母は長く伸ばした美雨の髪をよく手入れしてくれた。亡くなった叔父が、風呂上がりに母の髪を褒めて梳いてくれる時間が好きだったと懐かしんだ。天涯孤独だった母にとって数少ない『肉親との幸せな時間』の記憶だった。
母は美雨の梳きながら語った。
「凄く凄く好きで、自分を三番目に好きと思ってる人と、自分を凄く凄く好きで三番目に好きな人、結婚するならどっちにする?」
「どちらとも結婚したお母さんとしては?」
「う~ん。お母さんは二番かな」
母はたぶん後ろで寝ている父を見たのだろう。
「じゃあ、私も二番にする」
背中の母から安堵した息遣いがした。
滅却師から逃れられない自分と本当に結婚してくれる男などいるのだろうか?
この世界で貰った手紙には、美雨のために婿養子になるという内容もあった。
期末テストを終えて、新月の旅立ちを前に、美雨の誕生日を祝いに花束を持って兄の親友が訪ねてきた。兄が異世界へ渡って消息を断って以来、定期的に美雨たち家族を見舞ってくれていた。大学を卒業し、消防士になっていた。
髪が短くなった美雨に、いじめを受けているのかと散々騒いだ後、いじめられて短くした訳ではないと理解して、大げさに安堵のポーズをとった。母も祖父も兄の親友も、美雨の身に良くない事が起きて髪を短くしたのだと疑い、誰も短い髪を褒めてくれなかった。美雨は今後よほどの事情がない限り、髪を短くしないと決心した。
居間でバースデーケーキを食べ終えると、母が「5分だけよ」と意味深に呟いた。何か言いたげな祖父の背を強引に押して席を立った。兄の親友は笑顔で母に手を合わせて拝んだ。2人きりになったことを確認すると、急に真顔になった。2年後、美雨が高校を卒業したら結婚してほしいと告白された。
美雨が名字を変えずに済むように婿養子に入る、子供は美雨が大学を卒業するまで待つと言う。それなら大学を出てからでいいじゃない? と、言おうとして、美雨が大学を出る年に彼は33歳になってしまうことに気付いた。母が美雨を産んだ年より遅い。
なぜ突然、結婚なんて言い出したのか訊ねると「今日の美雨ちゃん、居なくなる直前のアイツに似てて、どこか遠くへ行っちゃう気がしたんだ」玄関で家族を見送る心細そうな大型犬のような目をしていた。
To be Continued