The Rain Bringer Girl 作:うにうにうさぎ
美雨はとぼとぼと織姫のマンションに帰った。
浦原たちに全て話してしまった。次の新月まで1週間。居られるのだろうか。
美雨の世界の黒崎一護が何者かに捕らわれている可能性は、美雨の世界の浦原も指摘していた。
捕らえた一護を利用して鎧の虚を生み出しているのなら、捕らわれた一護を解放・救出すれば、鎧の虚も父の傷を覆う黒い霊圧も消えて、美雨の世界は救われる。
理のチカラが回復すれば、兄は強制的に戻される形で帰還するだろう。
だが、黒崎一護が戻ると両親はどうするのだろう。この時代に来て、母が一護を心から愛しているのを痛感した。
父が健康な頃、両親の仲は良好だったが、恋愛結婚ではなかった。幼い兄を抱えて未亡人になった母を、母が人妻になっても諦めきれなかった父が、親友として助けるためにした結婚だった。この時代と全く同じ調子で名前で呼び合い、仲の良い兄妹のような関係だった。
ベッドだけダブルベッドにしたのは、それくらいはしないと夫婦だと忘れてしまうからだろう。
父は母にベタ惚れだったが、母の最優先は常に兄と美雨と弟だったように思う。
一護が戻り、父の健康が回復すれば、母は父と別れて一護とヨリを戻す可能性を美雨は否定できなかった。娘として母には幸せで居てほしいが複雑だ。
***
「ただいま……」
「美雨ちゃん!!」
織姫が玄関まで出迎えてくれた。
手を洗って居間に戻ると、どっと疲れが襲った。
織姫は熱いお茶を入れてくれた。
織姫が美雨のために用意してくれた、白地に水色の小花とレース柄のマグカップ。
カップから上がる湯気とお茶の香りに美雨の心臓がきゅっと締められた。
浦原商店では、口を付けたお茶から正体がバレてしまった。
浦原たちに正体を隠すのははじめから不可能だったかもしれないが。
「いただきます」
お茶には砂糖が入れられていた。懐かしい味だ。甘味が疲労に沁みる。
父は美雨たち兄妹に様々な料理を食べさせて味覚教育をしてくれたが、美雨は疲れると母の作るあんことカレー風味の創作料理が無性に恋しくなった。母の味音痴は天涯孤独で幼少期にきちんとした味覚を育む訓練が出来なかったからだと父は考えたが、完全に血だ。兄と弟に受け継がれなかった母の二つ目のX染色体に、あんことカレー風味を好む因子が含まれているようだ。
「美雨ちゃん、大丈夫?」
織姫は心配そうな顔をしていた。
大きな丸い瞳。
整った顔立ち。
柔らかい身体。
大きな胸。
サラサラの長い栗色の髪。
美雨が小学生の頃、授業参観や保護者会で皆が美雨の母に振り返って褒め称えた。自慢の母だった。
若い頃の母は、瑞々しい美しさに溢れ、すれ違う男が皆振り返った。町のアイドル的存在だった。
父に似た面立ちの自分が未来の娘だと知ったらどんな顔をするだろう。
一護への想いが叶わなかったと悲しむだろうか。
母と黒崎一護は、所謂『できちゃった婚』だった。しかし兄が生まれてから次の子供に恵まれなかった。黒崎一護の霊圧があまりに強すぎて、宿った霊圧に胎児の肉体が『器』として耐えられなかったためだ。
天涯孤独だった母は複数の子供を欲しがった。父と再婚してから、早く次の子供を授かるようにと、きわどい神社に祈願に行くこともあったという。
やっと授かった美雨に母は過保護気味だった。
何度も生まれた日の話と名前の由来を話し、滅却師が死神と協力して世界を守る大切さを語った。
美雨の隣には常に兄が居た。
人間の身体で黒崎一護の血と霊圧を受け継いだ唯一で奇跡の存在。
兄は高校生になるまで霊的能力がなかったが、朗らかな笑顔を常に浮かべて、美雨と弟を虚の脅威から遠ざけ守ってくれた。
美雨と弟、兄には半分同じ血が流れている。
母は、雨が天と地を繋ぐように、滅却師と死神を繋いだ。
「美雨ちゃん、一緒におフロ入ろうか?」
織姫は美雨の背中から腕を回して提案した。
「いいけど、狭くない?」
「ウチじゃなくて、おフロ屋さん!」
***
織姫は美雨を近所の銭湯に連れて行った。
美雨の世界では銭湯は文化財のような存在だった。
子供の頃、家族で行った温泉旅館と比べると、趣のある建物や可愛い洗面器、広い浴槽の背後に描かれたモザイクは古い映画セットのようだ。運よく人が居ない時間帯で、貸し切り状態だった。美雨は織姫と比べると圧倒的に貧相な身体を見比べられないことに少しほっとした。幼い頃は『いつか母親似の美人になる』と言われて育ったが、成長すると石田家の血が更に強くなり、肉が付きにくく少女らしい柔らかさに欠けた身体になってしまった。
織姫はまだ美雨の母ではないのに、母と同じように背中を流し、髪を洗ってくれた。
美雨も織姫の背中を流した。
織姫が実は肩が凝っていることも、どこの部位が固まっているかも知っている。織姫は気持ちよさそうに目を細めた。
広い湯船は疲労に効いた。
ファミリーレストランで夕食を取って帰宅した。織姫は「たまにはいいよね」と、早くに美雨の布団を敷いた。美雨はすぐに眠りに落ちた。織姫は美雨の布団にするりと潜り込んだ。狭くなった布団に美雨はうっすら目を開けた。
「……織姫ちゃん?」
「美雨ちゃん、美雨ちゃんの世界に石田くん生きてるって言ったよね、美雨ちゃんの世界にあたしもいるのかな」
「いるよ~。雨竜も織姫ちゃんも茶渡くんもたつきちゃんもケイゴくんも……」
「石田くんのこと、なんで雨竜なの?」
「ん~~うりゅうは…うりゅーだから……」
織姫はほくそ笑んだ。
石田と同じだ。
石田は血圧が低いためか、寝起きが異常に悪い。一度寝入ってしまうとなかなか起きない悪癖があった。
尸魂界に潜伏した時はそのせいで危ない目にも遭った。
半分起きて半分寝ている時間に話しかけると、普段聞けない話を聞くことができた。
「美雨ちゃんのお父さんてどんな人?」
「ん~…うりゅーはバカ。うりゅーがビョーイン継いだらビヨーゲカになっちゃう……だから…あたしがしっかりしないとダメなの」
やっぱり……。織姫の中で美雨と石田が似すぎている謎が繋がった。美雨は石田の兄にしか見えない若い父親について、縁者だが父ではないと、娘説を頑なに否定し続けていた。しかし、この顔で近親者ではない方が不自然だ。石田の父の娘でないのなら、石田の娘と考えるのが筋だろう。
石田の娘ならば、織姫にとって親しい仲である。美雨の世界で実の娘のように可愛がっているのかもしれない。美雨に椿鬼を貸し与えた理由が成り立つ。
だが世界が違うだけで、17歳の石田と15歳の美雨の親子関係は無理がある。美雨の世界は織姫たちが暮らすこの世界より少し未来ということだ。
「良かった……」
織姫は胸元で手を握った。
――助けられる。
美雨の世界で一護は『居ない』。美雨が次元を越えて一護に救援を求め、敵に敗北した石田が辛うじて生きる状態に陥るほどの窮状だ。
未来で一護は命を落としたということだ。未来の織姫は一護の命を『護れなかった』。
しかし、美雨の世界が未来なら、織姫たちのこれからの行動次第で、この世界の一護は、救える可能性がある。
一護の命を護れなかった未来の自分の絶望と悲しみは察するに余りあるが、この世界の一護は何があっても『護ってみせる』。一護に貰った盾舜六花のチカラを使って。
織姫は誓いを新たにした。
「ごめん…みーホントねむいの……今日はおしまい…またあしたね……」
美雨は油断しきった顔で織姫の大きな胸元に頬を寄せた。
「……おかーさん……」
織姫は丸い目をさらに大きく丸く見開いた。
聞き違いだろうか。
「美雨ちゃん、美雨ちゃんのお母さんはどんなヒトかなぁ~教えて欲しいなぁ~」
織姫は美雨の肩を緩く揺すった。美雨は本格的に寝入ってしまったようで、静かな寝息が規則的に聞こえるだけだ。
織姫は惜しいことをしたと心の中で頭を抱えた。
石田の未来の妻という、一番面白い話を聞き出しそびれた。
『死神』という滅却師の石田にとって最高に禁断の朽木ルキアへの片思いは実ったのだろうか。
優しい石田は死神の女性に印象がいい。滅却師の石田が死神の女性と結ばれたのなら、分断された二者を繋ぐ意味でも素晴らしいと感じた。
勿論、大病院の息子の石田だ。良家のお嬢様の可能性だってある。
美雨は立つだけでお嬢様らしい品位がある。お嬢様なのにアルバイトに励む働き者で、家事と勉強が得意だ。滅却師として現世を守る使命感もあり、織姫より年下なのに、石田と同じくらい滅却師のチカラを使いこなす。才能があるのだろうし、努力の賜物だろう。
なにより魅力的なのは笑顔だ。
美雨は石田とそっくりの顔で、目尻と眉尻をぐっと下げて、とても可愛く笑う。申し訳ないが、石田にあの顔は出来ない。母親の方だろう。
お嬢様で努力家で賢く家事が得意で笑顔が可愛い……美雨の母親は、非の打ち所がない素晴らしい女性に違いない。
織姫の思いつく女性に、該当するのは、やはりルキアだ。
だが、ルキアは美雨のような笑い方はしない。どちらかというと、石田のように、静かに口角を持ち上げて微笑むタイプだ。
貴族の姫ゆえ家事能力は分からない。
勉強は苦手そうだが、石田の頭脳を貰えば苦労しないだろう。
織姫は脳内で、石田とルキアの間に美雨を並べてみた。
しっくり来ない。
「おっかしいなぁ~」
織姫は寝落ちするまでウンウン唸り続けた。
***
夢の中で、大きな紫の目をした小柄で眼鏡の女の子が現れた。
「これだよ!」
織姫は叫んだ。
「そうそう、石田くんと朽木さんの子はこーゆーカンジ」
織姫は少女の手を取りぶんぶん振った。少女は怪訝な顔をしている。
「織姫ちゃん、なにしてるの?」
背後から呼び止められて振り返ると、美雨が右手を腰に当てた姿勢で不思議そうに立っていた。
「いやね、あたしのオンナの勘が、美雨ちゃんは石田くんと朽木さんの子供だって囁くから、シュミレーションしてたの。やっとちょうどいい子が出来て……」
「……でも、その子私じゃないよね?」
「んっ? あれ……そういえばそうかも! あは~」
「も~織姫ちゃん意味わかんないよ!」
美雨はふにゃふにゃと笑った。「ハッハッハ~面目ない~」
背中の硬さに目が覚めた。窓の外が暗い。織姫は布団からはみ出して床で寝ていた。
「~~ったぁ~」
隣のソファーベットに上がって布団をかぶり直した。
下の美雨はあまり動かずすやすや眠っている。
美雨との共同生活は、乱菊と冬獅郎を滞在させた時とは違う安心感があった。
美雨の温かい身体に触れると、兄と暮らしていた頃の温もりと、兄を失ってから二度と埋まらない欠落が埋められるような気持ちになった。
一護でしか埋められない、見えない心の穴だ。
美雨とは黒崎家で本当に初めて会ったのに、古い親友と再会したような、気持ちを分かりあえるような不思議な喜びが身体の底から溢れる感覚になった。
早く二人きりで話したいと思ったが、美雨はいきなり一護たちを拘束して織姫に弓を向けた。
尸魂界で死闘に参加し、虚圏では敵に捕らわれて捕虜になった経験がある織姫だ。
弓を向ける美雨の目に、本気の殺意がないのはすぐにわかった。美雨は迷って困っていた。
元々困っている人がほっとけない性分ではあるが、助けになりたいと心から思った。
To be Continued