⑨が⑨じゃなくなった日 作:monochrome vision
背後からグチャリという肉を引き裂く音が聞こえた。
いや、正確には少し離れた正面から聞こえたというのが正しい。何かを投げた後のような姿勢の俺と、頭部を吹き飛ばされた歪な形をした獣のような何か。あれも、妖怪なのか。
原因を作った俺が言うのもなんだが、やはり耐えられなかった。少女が死ぬことに対してではない。少女を間接的に殺してしまっただろうという事実が今後纏わりついてくることに耐えられなかったのだ。
足元の石を取り、投げつけたことにより少女は食われずに助かった。
蜘蛛の子が散るように獣型の化物共が散っていく。だが、散らない獣が1匹だけいた。
それは、他とは違う存在感を放っている。まるでゴリラのような化物は俺の三倍はあろうかという身長であり、俺のことを気づいていないのか無視しているのかは知らないが、長く太い腕を伸ばし、巨大な手で少女を掴もうとする。
獣に食われそうになっても動かなかった少女だ。もう逃げることすら困難な状態……。
全く、ここで諦めたら何のために少女を助けようとしたのかわからなくなる。それに、意思疎通が可能なのだ。この場所のことを知れるかもしれない。
何様だと言われるかもしれないが、まぁ、俺も死なないようにと必死だったんだ。あの少女が生き残れたらお互い様ということで見逃してもらおう。
今度はへし折れた数メートルはある大木をひょいと持ち上げる。これくらいの怪力はあるようだ。それでもまだまだ余裕なのでもっと重い物を持ち上げられるだろう。鬼面をつけ、完全に鬼の力が出せるようになれば、本当に山でも持ち上げられるかもな。
「よっ…っと!」
気の抜けた掛け声と共に木が投げられる。周りの木を巻き込み、折りながら進んでいく投げられた木は凄まじい速度だ。衝撃波を生み出しながら一瞬でゴリラもどきに当たり、ゴリラもどきと共に吹き飛んでいく。
その間に瀕死の少女を抱きかかえ、逃げることにした。戦いを知らないのだ、下手に戦っても死ぬ可能性がある。
木を避け、走りながら少女を見てみるが、やはり血まみれで涙を流している。気絶はしていないようで薄目で俺のことを見ていた。その目からは不思議なことに恨みや恐怖、怒りなどの感情は見られない。生きたいという想いと俺に対する何かがあった。
「……言われなくても助ける。だから、今度は俺の話を聞いてもらうからな。命をかけた殺し合いにおける敗者は勝者に何か言う資格はない。拾われた時点で既にお前は俺のものだ」
そう言葉を叩きつけ、背後の破壊音と雄叫びから離れるように更に走る。
少しすると、森を出ることが出来た。急に開けた視界と光に足を止める。眩しさに視界がぼやけてしまうが、すぐに順応して景色を見ることが出来た。視界が回復したと同時に見えたのは……そこは巨大な湖が存在していた。
広大な湖は日差しを反射させて水面をキラキラと輝かせ、美しい光景を生み出していた。
だが、呆けている暇はない。すぐに辺りを見渡して巨大な岩の裏に隠れる。
そこに少女を横たわらせ、様態をさっと確認する。傷は言った通りだが、驚いたことに既に傷が修復され始めているのだ。
そして、彼女は最悪なことに血が詰まって呼吸が出来ていない。先程まで俯きに倒れていたから呼吸は出来ていただろうし、抱きかかえるときも頭頸部は腹部を見るように倒れていた。
つまり、今横たわらせたことで詰まってしまったのか…肺に溜まった空気がない状態で吐き出させても、満足に自分から吐き出すことは出来ないはずだ。
そこからは何も考えずに少女の血塗れの唇に自身の唇を押し付け、空気が外部から入らないように更に密着させる。動かない舌を舌で絡め取り、粘着質な血液を吸い取る。そして吐き出す。それを数度繰り返した。最後に唇を離したとき、互いの舌と舌に血の色をした橋がかかる。
「かはっ! げほっ!」
なんとか呼吸を再開する少女だが…幾ら少しずつ傷が治っていようと、間に合わないな。本当に放っておいたら死ぬだろう。寧ろ、ここまでよく保ったものだ。よほど、死にたくなかったのかもしれない。
……助けようにも、俺には手段がない。病院があっても、ブラックジャック先生がいても間に合わないレベル。カエル顔のヘブンキャンセラーさんがいたら……どうだろう?
「生きたいか? 今まで人を食らってきたのだろう。そして、俺のことも食おうとした。正直、返り討ちにあって死ぬのも仕方がないと思うけどな」
「…………………」
声には出ていない。それでも唇は生きたいと動き、呟いていた。
「……残念なことに助ける手段がない。別の場所にあったとしても、それまでに死ぬだろうとわかっているはずだ。だから……」
この場における、最初で最後の賭けだ。
この少女は俺の血肉と相性が良いと言った。俺と同じ妖怪であるなら、妖力とかあれば治せるかもしれない。
よく漫画とかアニメでもあるやん? 血を飲めば回復するっていう超常現象みたいなやつ。そして、聖書にも肉のいのちは血の中にあるからであるとか書いてあったし……いけるいける、いけるって。最高に相性のいい相手の血ならやってみる価値はありそうだ。
なぜか既に痛くない左腕の手首を爪で切り裂く。溢れてきた血を垂らしても飲み込む力がないだろうから、口移しで奥にまで血を送り込み嚥下反射を利用して飲み込ませることにした。
自身の血を口に含み、何度目かの口付けを行って飲ませる。別に医療行為だから何も思わないし、感じる暇も思う暇もない。こっちとしても一生懸命なんだ。これも数度繰り返し、口を離したと同時に、ついにゴリラもどきが木を吹き飛ばしながら湖へとやってきたようだ。
「GUOOOOOOOッ!!!」
ドラミングのような胸を叩く音が聞こえてくる。近いな…ここが壊されては堪ったものではない。
「…あとは祈ってるんだな。お前の信じる神がいるのか、それとも別の何かがあるのか。出来れば俺の無事でも祈っててくれ、いやマジで」
最後にちょっとした冗談にもならない冗談を言いながら苦笑し、少女の頭を撫でる。
最後にもう一度ひと撫でし、立ち上がって鬼面を付け、岩から出る。更に力が湧いてくるが、あの怪物にどこまで通用するだろうか。
岩から出てきた俺に気づいたゴリラもどきは、折れた木を振り上げて問答無用で俺の投げつけてくる。よほど、俺に投げられたのが苛ついたようで、やり返してきた。まるで子供のようだが、その速度と威力は子供なんて比にならない程の威力だ。
本当、まるでアニメを見ているかのようであり、アニメの戦闘を体験しているかのようだ。地面が抉られ、抉っていた木はその身を削りながら俺に向かって高速で飛んでくる。避ければ背後の少女が危ない。
故に、俺は跳ね上がった動体視力で木をしっかりと見極め、回転している軸となっている場所を横から殴りつけて弾いた。弾かれた木は一瞬で湖にたどり着き、水切りのように水面を跳ね、はるか遠くで水柱を上げた。
それを見ている暇はない。
ゴリラもどきの豪腕が振りかぶられていた。避ける間もなく振り上げた手で両手を重ねるようにして、受け止める。あわや膝を付きそうになるところでなんとか耐え、地面にクレーターを作り上げた。
「………ッ!!」
「GUGYAAAAAッ!!!」
とんでもない衝撃。人生で一番の衝撃に必死で耐え、痛みを我慢する。この一撃で気力を根こそぎ持っていかれそうになる。少しでも力を緩めれば、俺はぐちゃぐちゃに潰されるだろう。
ゴリラもどきがもう片方の巨大な腕を上げ、振り下ろそうとしたところでまずいと思い、咄嗟に横へと流すように拳の向きを変えた。体勢の崩されたゴリラもどきのもう片方の腕は空振り、なんとか潰されずに済んだ。
直ぐ様ゴリラもどきの開いた横腹に、見よう見まねのボディブローを全力で叩き込む。地面を陥没するほどに踏み込み、腰を捻って右の拳を叩きつけた。タイヤを殴ったときのような鈍い音と共にゴリラもどきが地面を抉りながらとんでいく。
「ハァッ…! ハァッ…!」
呼吸なんてする暇がなかった……慣れない戦いと隣り合わせの死によって体に力が入らない。パワーは俺の方が上回っているはずだ。それでも奴には俺よりも分厚い筋肉という鎧がある。
遠くで地面に手を付けながらも起き上がるゴリラもどきが見える。そして、俺の手を見れば右手の上において受け止めた左手の方が傷だらけになっていた。あのゴリラもどきの拳はヤスリか何かで出来てんのかよ…。
さて、覚悟を決めて殴り合うか…。そう思って力を入れ、立ち上がったところで思わぬ乱入者に足を止めた。
「こらー! あんたそこで何してんのよ! ここらはあたいの縄張りなんだから!」
どうも俺に向けて指を指しながら叫んでいるようで、背中に氷のような羽を付けた少女が近づいてくる。
「あたいの許可も取らずに滅茶苦茶にすんじゃないわよ……ヒィッ!?」
そして、近づいたことにより俺のことをはっきりと認識したのだろう。俺の鬼面と血だらけの左腕をみて悲鳴をあげ、後ずさる。この子には刺激が強かったのかもしれない。
一歩、二歩と後退るが背後ではゴリラもどきが既に起き上がっており、本当にゴリラのように走ってきた。無駄に速い。
そのゴリラもどきに氷の少女も気がついたのか、ゴリラもどきを確認すると何故か強気に出て倒そうとする。俺のような得体のしれないものよりもこういったゴリラもどきの方がこの世界では普通なのかもしれない。
「あんたも侵入者ね! あたいがぱぱっと倒しちゃんだから!」
氷の少女が両手をゴリラもどきにかざす。すると、近づいてきたゴリラもどきの足元が腕とともに凍っていき、体の半分ほどを凍りつかせて固まらせてしまった。
その超能力のような能力に、さすがの俺も驚きが勝って呆然と見つめてしまう。凍らせる能力があるのか。鬼よりも便利そうだ。
「ふふん、どんなものよ。やっぱり、あたいが最きょ…「GUGAAAAAAAAAAAAッ!!!」……ひゃっ!?」
だが、氷自体は薄く、ゴリラもどきの中まで凍らせて砕くことはできなかったようだ。ゴリラもどきは叫び、渾身の力で氷を砕くと氷の少女に標的を変えたようで、豪腕を振るう。
「うわぁああぁッ!!」
氷の少女が寸前に薄い氷の壁を張るが、それも無駄であり吹き飛ばされて俺の方に飛んできた。叩きつけるようにするのではなく、払うようにされたのが良かったのだろう。俺に振り下ろしたような力ではなかったため、そこまで大きな怪我はない。
キャッチして抱きとめた少女は氷を操るだけあってかひんやりと冷たいが、普通の人間が触ると凍傷にでもなりそうな程の冷気はある。脳でも揺さぶられたのか、少し意識がおぼつかないようだ。
「GOAAッ!!」
短い雄叫びにハッと顔を上げれば既にゴリラもどきは目の前におり、拳を振り下ろしている。咄嗟に少女を抱き込むように庇い、右腕を曲げて頭の横に持っていき、ガードする。
だが、思い一撃に呆気なく吹き飛ばされて隠した少女のいる岩に背後から叩きつけられた。
「がはッ…!」
血を吐くことはなかったが、空気が全て吐き出され、呼吸が止まる。そんな動けない俺のところにゴリラもどきが接近する。ここでそのまま殺られるわけにもいかないので、動かない身体に鞭打って、ゴリラもどきの拳に合わせるように拳を叩きつけた。
俺の小さな拳とゴリラもどきの小さな拳が合わさり、互いに腕が震える。ここで負ければ、三人共お陀仏だろう。
「ちょ、ちょっとあんた! 大丈夫なの!?」
腕の中の少女が俺に話しかけてくるが、返す余裕がない。岩の後ろの少女に気づいて二人で逃げてくれと願っても、流石にわからないか。
ゴリラもどきのように脚で踏ん張ることも出来ず、純粋な右腕のだけの力で耐えている。長くは保たないだろう。それをわかっているのか、ゴリラもどきも一歩も引かない。口には血が流れた跡が見える…あのボディブローは一応、効いたとみてもいいな。だから何だというのか、という話なんだけども。
無意識に身体に力を入れて耐えようとし、腕の中の少女を更に抱きしめてしまう。「ひゃぅっ」と小さな声が聞こえるが、押しつぶしてしまわないか少しばかり心配だ。
だが、そろそろ限界が近づいてきた。腕が徐々に押され始めたその時、不思議な現象が起きた。
俺とゴリラもどきの合わさっている拳の間から突き刺すような冷気が溢れ出し、腕をバキバキと凍らせていく。しかも、それは俺の腕ではなくゴリラもどきの腕だけのようだ。瞬間的に肩まで凍りついたゴリラもどきの腕。
ゴリラもどきは驚いて悲鳴を上げる。
「GUGAA!?」
これは、明らかにチャンスだろう。
「らァッ!」
仰け反ったゴリラもどきの左腕を、俺の
そして気づく。俺を中心に地面が全て凍り、周りにははっきりと見えるほどのダイヤモンドダストが作り出されていた。ふと、あたりを見ればあの氷の少女がいない。そして、俺の背中には一メートル以上はあろうかという巨大な氷の羽根が4対8枚存在している。
氷の羽根はそこそこの厚さで削り取ったかのような乱雑さだが、鋭く美しいものだ。あの氷の少女の羽根が綺麗に整えられたものとすれば、俺のは自然に凍って出来たような自然の美しさ残る羽根。
なるほど…つまり、現状から色々と予測すると、俺の中に氷の少女がいると…所謂、霊に憑かれたような状態だ。憑依されているが、意識は俺の方が優位であり、違いとしては今現在のほうが凍らせる力が強いということだ。
いつまで続くのかわからないこともあるため、早めに決着を着けた方がいいに違いない。
鬼の強化された脚力で思いっきり踏み込むと、地面は抉られ氷と土が舞う。進むと同時に凍る世界で、ゴリラもどきを捉える。近づくだけで既に凍り始めており、右腕で遠慮なく殴らせてもらった。
技も何もない只のテレフォンパンチ。だが、威力は不完全とは言え鬼のもの。悲鳴を上げることすら叶わず、ゴリラもどきは湖の方に飛んでいき、水面に何度も叩きつけられながら、やがて轟音とともに沈む。
湖だろうと追いかけることが出来たのは、脚を踏み出せば水面が凍るからだ。氷の上を走り、数秒でゴリラもどきへとたどり着く。水の中では藻掻くように凍りついたゴリラもどきが暴れている。
「今日一番を食らわせてやる」
脚力に物を言わせて跳躍し、右腕の全力を注ぎ込む。何やら黒いオーラのようなものが右腕に纏わりついているが、なんだろうか。今考えることでもないので無視して、その膨大な量のオーラは辺り一面を震わせる。
そして、重力もプラスされた全力の一撃。ゴリラもどきの爆ぜる感覚と、爆ぜた瞬間に凍る感覚。まるで爆撃でも起きたかのような轟音が鳴り響き、数十メートルの水柱が立ち上る。一瞬でそれも凍りついた。
俺を中心に衝撃を受けた湖の全てが凍りつき、空へ向かって放射状に固まっている。……出口は殴って作るか。
肉片となったゴリラもどきは水中で凍りついており、まるで氷の中のマンモスのようだ。ただ、内臓や目が飛び散っているのでマンモスほど良いものではないけども。
「終わったか……」
仮面を斜めにかけてなんとかあの岩の裏の少女のところまで向かう。途中、振り返ってみれば水柱がオブジェとして成り立っており、光を反射したり通したりと美しい光景を生み出していた。
少女の様子を見ようと、フラフラと覚束ない足取りで向かい、途切れそうになる意識に無理をして岩へ近づくが、どうやら少女は生き残ったらしい。岩に凭れ掛かるようにして立ち上がってこちらを見ていた。何故か、見知らぬ緑の髪の美少女が近くにいるが。
俺も岩に凭れ掛かり、座り込む。
「運良く生き残ったらしいな……これに、凝りたら……人間は…襲わないこと、だ……」
限界だった。初めての戦闘と死の恐怖。全力を出し切り、慣れない動きをしたため身体が悲鳴を上げている。ただ、これで鬼の力は馴染むだろう。
カシャン……と儚げな音を出して氷の羽根は砕け散る。それと同時に俺も岩を滑るようにして倒れ込んだ。完全に倒れ込む前に何かひんやりとして柔らかいものに受け止められ、意識が落ちる前に見たのは泣きながら何かを叫んでいる金髪の少女と青い髪をした女性だった。
ルーミアを殺すなんて出来ない…!
チルノ登場ですが、そのチルノがどうなったのかはまたの機会で、です。