夢日記 作:どりーまー
周囲を見渡すと、そこは港だと分かった。
目線をあげれば空はどんよりと曇り、目線を下げれば海は青黒く濁っていた。
周囲には高速道路が宙に浮き、その道路の隙間から覗く、遠くの海に聳え立つ、土瓶のようの形をした巨大な塔にも似た物体。
私は走り出す。
ここは、私のいた世界ではない。
記憶が曖昧だが、元々いたのとは別の世界から私は、いいや私達は、この世界へと連れてこられたのを覚えている。
そして、ここから脱け出すべく動き続けている。
無駄な思考を挟まないまま、私は走り続ける。そこに明確な理由など無く、あるのは非論理的な衝動のみ。
私は友人を止めなければならない。
港を抜け、道路を抜け、辿り着いた先にあったのは世界の境界線。
周りの風景はそこでぶつりと途切れ、また別の景色へと無理やりに繋げられている。
無骨なビル群に代わって繋げられた空間は、どこかの家の巨大な居間だった。
一人の和装の男が脱力して立っており、その男を囲うようにして私の友人が四人立っていた。
私は和服の男を見て思わず息を飲んだ。
深い紺の髪は腰辺りまで乱雑に伸ばされ、しかしそれでいて艶のあるストレート。
袖から覗く腕は白く、それでいて力強く、美を探求した彫像を遥かに上回るほどに、ゾッとするほど美しい。
周囲を冷静に観察するその目は切れ長の目は、鋭利な刃物のようで、それでいて怜悧であった。
殺される。
私は一つ叫びを上げて、友人達を留めた。
和装の男もピクリと反応したが、行動を起こすつもりはないらしく安心する。
「その男が帰還方法を知っている」
私は自分の口から溢れた言葉に驚く。そして、その事自体に驚く。
私はこの男を知っていたではないか。というより、そもそもここに来たのはそれを伝えるためだろう。何を驚く必要がある。
私の発言に男はその整った顔立ちを愉快そうに歪めた。
「あいつだ」
私達はその一言で全てを理解した。
先ほど港から見えたあの茶色い物体。私達あいつの正体を知っている。
あいつは近づくものを捕らえ、吸収する化け物だ。自身を中心とした空間を展開し、その中にいるものを胃の中へと直接飛ばす。
だがあいつは動かない。だから私達はあそこへと近づかない。
けれど十五時からの八時間、あいつは動きを止める。
動きを止めている間は近付こうと、触れようとあいつに吸収されることはない。
そして帰還の道は、あいつの中にある。
しかし、しばしばあいつは目覚め、周りにいる者を喰らう。
つまりは、あいつが目覚めない事に命をベットして大博打を打つしかない。
それを知った友人達は喜んで他の友人達に伝えに行った。
帰れると確信した彼らを見て、私は安堵の息を吐いた。
目の前の男は未だに愉快そうに笑っていた。
私はその男から逃げるように、次の目的地へと向かった。
そこは細い通路のような場所であった。
鉄製の壁は雨に晒されて錆び付き、その上から何本ものパイプ椅子が立て掛けられていた。
道を進むと、扉があった。
壁に後からはめ込んだように──事実後から付けたものである──周りの壁と違い、真新しい美しい白の扉であった。
そこには一枚の板が掛けられていた。
『エモネムの部屋』
部屋の主人のエモネムに会いに来た私は、迷う事なくそれを開く。
音を立てることも無く滑らかに開いた扉の先には、広大な田園が広がっていた。
見渡す限りの田圃、そしてそれを囲むように山が聳え、その間からは吸い込まれそうなほど透き通った青空が見えている。
その田圃の畝の所に、エモネムはいた。
畝の上に座り込む彼は、扉を開けた時から私を見つめていた。
私が最初にいた港の世界。
和装の男の世界。
そしてこのエモネムが作り上げた世界。
この世界は、この三つの世界が無理やり繋げられて出来ていた。
私の友である彼は、魔法使いであった。故に、自分の世界に入り込んで来た私なぞ、すぐに察知できて当然である。
青と緑と白の大きな三毛猫である彼は、その二本の白い尾を揺らしながら、機嫌悪そうに鼻を鳴らした。
やあ
帰るんだろう?
ぶっきらぼうにそう言った彼に私は一つ頷いた。
彼はペシミストだ。
いつもこの虚飾に満ちた現実を笑って、嘲笑って、そして絶望している。
だからこそ、こんな別れさえも彼は予測していたのだろう。
私は何も言わず、彼に別れを告げた。
無駄な言葉など必要ない。
彼は目を瞑って、一つ長いため息を吐いた。
私は彼のそんな所が好きだった。
せいぜい気を付けて帰れ。
世界なんて厳しすぎるんだ。
いつもの彼の調子が崩れていないので、私は軽く笑ってそれに頷いた。
不機嫌そうに、そして全てに対する諦観を込めた仄暗い笑いを浮かべる彼は、私の帰り道を聞いた。
「あいつを通る」
それを聞いた彼は、非常に珍しく、驚いたような表情を浮かべた。
そのクリクリとした目を瞬かせ、世にも奇妙なモノを見るように私を観察する。
彼のような世にも珍妙な者にそんな目で見られるのは非常に解せない。
そんな私の思考など知らず、彼は首を捻った。
私の言うことが心底理解出来ないと言った様子だった。
彼は首を傾げたまま、非常に純粋たる疑問であるかのように口を開いた。
あいつの中身は高濃度の塩酸だぞ?
遠くでガラスの割れる音が聞こえた。
目が覚めた。
ぬこ様を讃えよ。
皆さま良い夢を。