イヴァン雷帝と行く異聞帯   作:moke01

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第一部序章でイヴァン雷帝を召喚して今第二部一章クリアしたぐだ子

 空想は切除された。

 私達の手で、この異聞帯は崩壊の運命を確たるものとし、その手助けをしてくれたサーヴァントたちもほとんどが座へと帰還してしまった。

 私の命を救ってくれた異端のヤガは、前に進むための理由だけをこの胸に遺して、雪の下で眠っている。遠く優しげなピアノの音とヤガ達のが笑い声が胸に突き刺さって、涙が止まらなかった。

 ……この世界はじきに消える。私もすぐにシャドウ・ボーダーへと乗り込んで、旅立たなければならない。だけどほんの少しだけ、私には時間が必要だった。私の隣に佇む異形の皇帝――、この過酷な世界を守り続けてきた偉大なるツァーリと、二人きりで話す時間が。

 次から次に溢れてくる涙を拭いながら、私は震える声を絞り出す。

「やっと分かった。……貴方が誰だったのか」

『いかにも。……余は異聞の住人。己が選択の過ちを認めず、行き詰まった世界を守り続けた、傲岸なるツァーリ。そして汝こそが余の生に幕を引いた女。余が生前の最後に得た、……救済だ』

 重々しく口を開いた雷帝は、召喚されたその時から秘していた秘密を、自嘲混じりの乾いた声で呟いた。

 彼の異形の貌から感情を読み取ることは難しいが、声色からならばその感情を読み取ることもできる。

 しかし、彼が滅多に見せることのない自らへの嘲りを行う理由を考えるよりも先に、私は他の疑問を口にしていた。

「私がいつか、貴方の世界を滅ぼすって、知っていたの……?」

 あの日、炎上する廃墟と化した冬木で、彼が私の召喚に応じてくれたときからの記憶を振り返りつつ、そう尋ねる。彼はずっと、自分の世界の敵となる女の手助けをしていたのだ。だとすればどれだけの葛藤を抱えながら、私の傍に立っていたのか。それを考え、動揺してしまった。

 彼は、雷の光を内包する物騒な顔で雪原の向こうを眺めながら、気むずかしげに小さく唸った。

 遠くから優しいピアノの音色とともに、子供の笑い声が響いている。雲の切れ目から差し込む太陽が、真っ白な雪を照らしてきらきらと輝かせていた。

『それは……、些か意地の悪い質問であるぞ』

「あ、うん……。ごめん……」

 いつになく覇気が薄れた弱々しい声で、まるで慈悲を乞われるようにそう言われてしまい、私は慌てて謝罪をした。

 人理修復の旅路で彼が何を考えていたのか、いつか自分を殺す女と共に戦うと、どんな葛藤を経てその判断に辿り着いたのか。それを曝け出せと迫るのは、確かに野暮な質問だと、後になってから思い至る。……ああ、何をやっているのだろう私は。

 失言を取り返せるだけの謝罪の言葉はないのだろうかと思案しながら、恐る恐る雷帝の顔を見上げる。彼は力なく項垂れながら、そのギザギザとした凶悪な顎(?)を困ったように揺らしていた。

 私はその姿に、胸を痛めながら、驚愕する。

 彼はどこにいようと、どれだけ強大な敵を前にしようと、その異名に恥じぬ苛烈な皇帝であった。人理修復という難行を共に歩み、絆を深めてきた私ですら見たことのない、儚い姿。なんて声をかければいいか分からなくて、象のそれを思わせる蹄を備えた太い脚に寄り添い、そっともたれかかる。

『……まったく、汝と共に過ごすほど、余は強さを失ってゆく心地だ』

 疲れ切った声色で、観念したように彼が言った。私はただ彼の顔を見上げながら、言葉の続きを待つ。

『この魂に刻まれた何よりも強烈な記憶を、此度の現界で余は再び体験した。汝への恨みなどあろうはずもない。かつての余は汝の涙に救済を得て、重責から解き放たれたのだ。そして亡者たるこの身はそれ見つめながら、得も言われぬ悦びが胸に満ちるのを感じた』

 そんな己を恥じているが如く、雷帝の声は震え、人ならざる巨体は萎縮して見えた。

『先程の問に答えよう。……もちろん分かっていた。悪心を欠片も思い浮かべなかったと言えば嘘になるが、しかし行き詰まった我が異聞のために汝を害そうなどと、そのような愚かしい真似をできるはずもなかろう』

 岩のように硬い表皮に覆われた人差し指が、私の赤い髪の毛に触れる。決して傷つけることのないように、優しく髪の毛を弄ぶ。……急にどうしたのか。彼にこんな事をされたのは初めてだった。

 なんだか、労りや慰め以上の何かが感じられるような気がして、少しだけ違和感を覚えた。

『余の霊器に深く刻まれた汝の記憶。その縁(よすが)は滅びし異聞の虚無すらも越えて余を汝の元へと導き、そして汝がために力を振るう。余が望むはそれのみよ』

 穏やかに話しながら、太い指先がそっとうなじを撫でてゆく。その手付きは優しく、それでいて情熱的で、見上げた雷帝の顔からはいつもどおり表情など読み取れないけれど、なんだか酷く、焦燥しているように思えた。

 そのままじっと見つめ、そう感じる理由を見つけ出そうとしたが、流れる雲の切れ間から陽の光が降り注ぎ、その眩しさに私は顔を伏せる。

『おおぉ……!』

 それは感嘆の声。私達を照らす陽だまりは、彼の心をそんなにも強く震わせていた。人差し指を私の肩に添えながら、雷帝は光り輝く雪原に魅入られている。

『だが見るがいい。余が守ろうとした世界は、こんなにも美しいのだ。陽の光によって輝き、人々はその温かさに包まれ、あの音楽家の奏でる音色に耳を澄ましている。……失われてなどはいなかった。きっかけさえあれば、世界も人も、その美しさを取り戻すことが出来たのだ。……行き詰まってなど、いなかった。生前の余は、ついぞそれを……知らずに……』

 肩に触れた指に力が入る。微かな痛みに顔をしかめながらも、漏れそうになる声はなんとか噛み殺す。

 強張った指先を努めて優しく撫でながら、ああそうか、と私は納得する。生前の彼には知り得なかった世界の姿。滅びの確定した世界の、最後の輝き。その美しさが、何よりも鋭利な刃物となって、この人の心を切り刻んでいるのだと。

 ずしん、と音を響かせながら、小山のような巨体が雪原に膝をつく。きっと、彼は泣いているのだろう。人であることを捨てたその体に、もう涙を流す機能は残ってないのかもしれないけれど、それでも。

 雪原の上に跪き、救いを求めるかのように、青空を仰ぐ。その姿を見つめながら、私はずきんと痛む胸に手を当てた。苦しくて、苦しくて、声すらも出ない。ずっと傍で私を支えてくれた、最大の信頼を置く彼ですらも、その重圧に膝を屈している。

 彼ら英霊の持つ鋼のような心は傷つくことなどなく、私には持ち得ぬ強さで目的のために進み続けるものだと、どこかで思い込んでいた。けれど、彼らも元は人。深く刻まれた心の傷をこじ開けられれば、平気ではいられない。

 そして私は、英霊のような強さすらも持たない、ただの人。ただ一度の傷すらも乗り越えられる自信を持てない。

 雪原に伏す巨体に寄り添って大声で泣き叫び、この世界が崩壊するまで蹲っていようかなんて、そんな考えが頭の隅に浮かんでしまう。……だって、身を裂かれるような喪失を味わっているのは、私も同じだから。

 ああ、頭が痛い。吐き気がする。倒れてしまいたい。だけど、弱い私が顔を出しそうになるたびに、頭の奥に異端のヤガの声が聞こえた。戦え、負けるなと。

「もう、行かなきゃ……」

 珍しく私の手が届く位置にある彼の顔に、手を添える。生物と思えぬほどに硬く、強靭な、異形の貌に。その顔の中央に空いた、雷火の光を放つ穴が、じっと私を覗き込んでいる。

『……余には、汝の他は何一つ残ってはおらぬ。何度この霊基が砕けようと、余は虚無の彼方から汝の元へ現界する。汝が世界を守るために、あらゆる異聞を踏み潰し行軍しよう。我が力を振るう理由は、もはやそれだけ。それのみ』

 彼の両手が私の体を包む。そこから伝わってくる震えが、彼は私に、縋っているのだと物語っていた。

『ああ、愛し子よ……。ただ、そこに在ってくれ……。そして、余に救いを与えてくれ……』

 雷光迸る屈強な体とは相反する、消え入りそうな細い声。その心情が、今の私には痛いほど理解できた。

 ……ぎしぎしと、頭の中で何かが軋む音がする。伝える相手を失ってしまった淡い想いが、胸の奥に沈んで、ずしりと重くてたまらない。それでも私は、震えながらこちらを見つめる彼の顔を、優しく抱いた。それが、必要なことだと思ったから。

 どんなに苦しくても、この胸の痛みを手放してはいけない。抱えながら進み続けなければならない。

 嫌になるくらい眩しい陽光に突き刺されながら、私達は時間の許す限りその不器用な抱擁を続け、そしてまた、進みだした。

 

 

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