「せぇやっ!ほっ!はいやーーー!」
球体の中で少女の拳が、少女の蹴りが四方八方へ飛び出す
中国拳法には型を見せるための『演舞』というものが存在するが、それを手当たり次第早回しで再生しているといえばわかりやすいだろうか
まあ演舞ではここまで大声を発し披露することはないので、別物といっても差し支えないだろう
とにかく少女古菲は、全身全霊をかけて自身の技を空へ向け振るっていた
体軸にブレはない、動きも正確でいつもどおりと言っていい
「……ふぅ、こんなもんアルかな。何とか間にあたアル」
一通りやり終え、古は満足気な表情で息を漏らした
今いる『普通でない環境』でいつもどおりの動きをするというのは、彼女が大会までに設けていた目標の一つ
天下一大武道会の開催は翌日にまで迫っており、ギリギリだった
「これ以上の無理は逆効果アルから、な!」
内部中央の装置に手をかけ、電源を落とす
二桁に到達した液晶数字は消え、これまで幾度となく味わった感覚に身を震わせた
四肢を少し動かすだけで分かる、全身が羽のように軽くなったと感じるそれ
掛けていた負荷が過去最大なだけあり、一層嬉々として外へ身を運ぶ
「ん~~~~~!大会まで待ちきれないアルよ!」
扉を開けると、潮の香りを纏った新鮮な空気が肺の中に飛び込んだ
密閉空間に数時間閉じ篭っていた直後であり、ここ二週間吸い慣れた空気でも美味さを噛み締めるに充分に値する
靴を介して伝わる砂浜の感触、砂の鳴る音も心地いい
ふと横を見れば母国でもそう見られない、邪魔するものが何も無い完璧な水平線
五感から感じる全ての物が、現在の古の胸を弾ませることに一役買っていた
足取りも軽くカメハウス内へ戻る、ひとまず水分を摂って汗を掻いた服を着替えたい
「サツキー、冷蔵庫からドリン……あいや、クリリンどしたアルかそんなに驚いて」
ドアを開けると、右手に数枚の紙を持つクリリンと正面から鉢合わせになった
「古!?やけに早くないか、いつもならもうちょっと重力室で……」
「いやいや、大会は明日アルからな。疲れを残すわけにもいかぬし、あとは休息にあてよう思たネ」
大会前日に無理は禁物、このことはクリリンも承知していた
そのためこちらも早めに修行を切り上げており、ある用事のため出掛ける支度を終えちょうど出ようとしたところ
いつも着ている亀仙流の道着ではなく、Tシャツにジーパンとラフな格好
古に内緒でこっそり行こうと思っていたようだが、彼女自身も早めに修行を切り上げることを計算に入れていなかった
「そ、そうか、んーと……」
「ん?何アルかそれ」
ひとまず手に握った紙をポケットに突っ込む、その動きを古は見逃さない
中身が気になったのか手を伸ばし、それを受けクリリンは後退
「むー、何故隠すアル」
「いや、そのだな……」
「ほっほっほ、バレてしまってはしょうがないのうクリリン」
この場を凌ごうと頭を回すが、古を納得させる口実が浮かばない
そんな彼の後ろから声がかかる、亀仙人だ
口ぶりから紙の中身を知ってるのは明らかで、古の意識はそちらへと向けられた
蓄えられた白髭を撫でながら、飄々とした様子でクリリンのすぐ横まで歩み寄る
「いやのう、クリリンは今から近くの港町まで行くところだったんじゃ。古ちゃんに内緒でな」
「むっ、武天老師様!」
「隠し事アルかクリリン!」
「ほれ、これを見てみい」
狼狽し隙を見せるクリリンに亀仙人は手をかける
ポケットに突っ込んだ紙を一枚抜き取り、クリリンが取り返す間もなく古へ差し出す
「ん?豚肉、蟹、強力粉、ニラ、にんにく……」
食材が書き連ねてあるメモだ、一通り読み終えると亀仙人が続けて話す
「古ちゃんの好物の肉まん、それに今夜の材料じゃよ。なんせ明日は大会じゃからな、さっちゃんがご馳走を作ってくれるそうじゃぞ」
「ま、まあ、そういうことだよ」
「クリリン……」
不満気な顔から一転、古の顔に笑みが戻る
握られた右拳がわなわなと震え、次の瞬間天へ突き出された
「私も行くアルーー!」
「え!?」
「ふっふっふ、どうアルか?」
「なっ!?」
「ほー、この短期間でものにしおったのか」
服を着替えた古が最初に、続いてクリリンと亀仙人がカメハウスの外へ出た
先ほど味わった砂浜の感触は、今の古には無い
加えて同じ背丈ほどのクリリン、二人よりやや高めな亀仙人の両者の目線が上向きである
対照的に古は自慢げな表情で腕を組み、二人を見下ろしていた
「重力室でも飛べるようになたし、一緒に飛んでいくのも余裕アルよ!」
「クリリン、こりゃ嫌と言っても勝手に飛んでついてくるぞ」
「……分かってます」
観念したのか、クリリンは亀仙人の言葉を肯定し顔を伏せる
思えば古が着替えてる間に出発すれば良かったのだが、待てと釘を刺された上ものの数分足らずで完了させてしまっていた
「古ちゃーん、クリリンがOKと言うとるぞー」
「おおっ!?」
「あと折角じゃし、今日の昼は二人共買い物ついでに向こうで食べなさい。さっちゃんにはワシから言っておくぞ」
「武天老師様!?」
宙に浮いたままの古へ、亀仙人がクリリンに変わり了解の旨を伝える
しかしそれだけに留まらない、買い物以外の予定を勝手に追加しクリリンの目を丸くさせた
何を勝手に決めてるんですと今の発言を諌めるが、悪びれた様子もなく亀仙人は言葉を返す
「さっき古ちゃんも言ってたじゃろ、あとは無理せず休息にあてると。修行ばっかりだったことじゃし、色々と一緒に見て回ってやらんか」
「は、はぁ……」
「老師ー、それで港町というのはどっちアルかー?」
クリリンと対照的に古は行く気まんまん、最初より気を開放しているのか髪の先端が揺れてるようにも見える
訊かれた亀仙人は持っていた杖の先端を北西に向け、この方向をまっすぐと説明した
「しばらく飛ぶと水平線から建物が顔を出す、多少方向がズレておっても分かるはずじゃ」
「ふむふむ……ならクリリン、競争するアル!」
「は?」
「競争アルよ!今まで重力室の中でしか飛んでないから、狭くて退屈だたアル!」
説明終了直後の唐突な申し出に、クリリンの口が止まる
一方古は彼にお構い無しといった感じで、ウキウキ顔のまま更に気を解放しているのか髪の先端が揺れていた
口はともかく思考は働いてたようで、クリリンは少々時間を置いて古の意図を察する
ようは移動するまでの時間すら楽しみに当てたいと言っているのだ、加えて舞空術でこの大空を高速飛行したくて仕方ないのだろう
(ったく、落ち着きがないんだから……まあ分からなくもないけどな、俺も覚えた当初はあちこち飛んで回ったし)
空を自由に飛び回る、そういう憧れが少年時代から無いわけではなかった
自身のすぐ隣にそれが出来る人物、筋斗雲に乗る悟空がいたのも影響が大きかったかもしれない
懐かしいなと昔を思い返すが、これによりクリリンは次の反応が遅れてしまった
「私に追いつけるアルかな?アイヤーーー!」
「…………ん? あ!」
開始の合図も無しに、古がカメハウスから飛び立った
高速で離れる一つの気、飛んだ際に起きた風に撫でられた自身の頬
これらを感知してようやく気付く、我先にと古が一人で出発してしまったことに
「む、武天老師様!俺も行って来ます!」
慌ててクリリンは、古の後を追いかけた
(おおおおおおっ!凄いアル!鳥になた気分アルよ!)
正面から風を受ける、下を見れば海面が手前側へ高速で流れる
亀仙人が示した方角へ、古はひたすらに向かっていた
広い空間を全速力で、こうも思い切り飛行するのは初めての経験
ネギや刹那もこんな気分を味わっていたのかと、身近な飛行可能者二人を思い浮かべ今の自分と比較する
(このスピードならネギ坊主達と競争しても……っと、もう追いついて来たヨ)
振り返らずスピードも緩めないが、自分よりうんと大きい気の接近を察知するのは容易だった
気が吹き出る音、空気を突っ切る音がそれぞれ二種類づつ、同じ上空から発生する
それに加えてもう一つ、彼からの静止の声
「古ー!一旦スピード緩めろー!」
「まだまだ……そう簡単には追いつかせんアルよ!」
追いつかれるのは時間の問題と自覚済みだったが、少しでも長くこうしていたかった古は緩めない
それどころか更に気を注ぎ込み、飛行のピッチを上げる
この時古は二つのことに気付いていなかった、一つは焦燥を含んだクリリンの声色
「いいから止まれ!そんな飛び方してたらあっという間に気が……」
「へ?」
もう一つは自身の気の消耗ペース、直後プスンと間の抜けた音が古から吹き出した
改めて確認するが、舞空術での長時間及び高速での飛行を古が行ったのは今日が初めて
また、ただその場に浮くだけと今のように空を飛ぶとでは、同じ舞空術でも気の扱いの勝手が大きく変わってくる
後者についての慣れがまるで無い古は、前者の要領でずっと飛行を続けていた
しかもよりスピードを出そうと、注ぎ込む気の量はうんと多くしているだけに始末が悪い
一速までしか回したことのない車のエンジンが、そのまま高速道路でも同じ走り方をするようなものだ
さっきまで修行をして消耗気味であったことも併せ、古の気は今この時をもって底をついた
「わっ!わわわわわ……」
二~三度プスンと吹き出すと、スピードはガタ落ちしフラフラと落ち始める
この高度から水面に叩きつけられたら、ただでは済まない
慌てて再度飛行を試みるが、ついに浮力を完全に失い垂直落下を開始した
「ク、クリリーン!」
「古!」
全身から風を受けるが、さっきとは打って変わって心地いいそれではあらず
手足をばたつかせた勢いで反転、上を見上げる形になる
そこで古の目に入ったのは、追いついて高度を落としながら手を伸ばすクリリンの姿
目標は、ばたつかせた際振り上げた古の右腕
「うおっ!…………ふー」
「頼むから毎度毎度びっくりさせないでくれよな……大丈夫か?」
空中の古の動きが、右手首を支点としてピタリと静止
古の視線は掴まれた右腕、更にはその先にあるクリリンのやや呆れ気味の顔へ向けられた
「えと、大丈夫アルが……ちょと暫くは飛べそうにないアル」
「わかってるって。ほら、もう片方の腕も出せ」
舞空術のための気こそ失ったが、まるで動けないわけじゃない
古は両手でクリリンの腕を掴み、引っ張り上げてくれる彼の補助と合わせてよじ登った
さて、古達がカメハウスから飛んでいった本来の目的を思い出そう
決して競争ではない、港街へと買い物へ向かうことだ
しかしながら周囲に休むための陸地はない、カメハウスまで戻るのもかなり手間となる
そのため港町までクリリンが舞空術で移動、そのクリリンに古が運ばれるという形をとることになった
「古、本当にこれで良かったのか?うっかり手とか離すんじゃないぞ」
「そのくらいの力はまだ残てるアルよ、それにあの体勢はどうも落ち着かないというか……」
初めは古に負担をかけぬよう前方で横抱きにしていたのだが、数秒と経たず彼女の方から拒否をしだし自力で背中へと回り込んだ
現在は背負って移動中、一応古の負担を減らすため幾らか前傾気味の姿勢でいる
「とにかく、帰りは競争なんてしないからな。ちゃんと俺と一緒に飛ぶこと」
「第一、いきなりああいう風に抱き抱えるというのはちょと……」
「古、俺の話聞いてるか?」
「んあっ!?も、勿論わかてるアルよ!」
それから一時間近く飛び、二人は無事港街に到着した
次回もおそらく一週間後くらいです。