吉良吉影は静かに暮らしている   作:Fabulous

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お腹が空いてきました。


吉良吉影はサービスする1

「ハグワァ"ァ"ァ"ァ"ァ"~~~~!?」

 

 私は今、苦痛の絶頂にいる。最初は小さな不快感から始まったそれは、次第に勢力を増していき胃を締め付けた。この私が痛みに堪えきれず情けない悲鳴をあげみっともなく床に転がり、その苦痛が頂点に達した時、私の腹部はソーセージを曲げた時の様にバックりと割れ、鮮血や内臓が綺麗に吹き出した。

 

「イヤ~~~~あなた~~!!!」

「うわぁぁぁ~~~パパぁぁ!」

 

 

妻と息子はテーブルを挟んで死にかけている私を見て恐慌していた。無理もない。私が一番驚いているが……。

 

「がッ……カ……ッ……ッ……!」

 

助けを呼ぼうにも破れた胃からせり上がる大量の血が私の喉と口腔を満たしむしろ窒息のそれだった。

 

「おいおい、だから言ったろ? 死ぬほどだってよ~~!」

 

そんな半死半生の私を見下ろしているのは小生意気な小僧……クソッタレな髪型をした不良だ。

 

「まだまだだぜ。こんな程度じゃ終わらねぇ……覚悟しなッ こっからは先はッ アンタの想像をぶっ越えることしか待っちゃいねェぜ!!!」

 

「グ……ひっ……ひガ……東方……仗助ェェ~~~!」

 

 

 

 

 

止めればよかった……東方仗助などに関わるなんて……止めれば……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もり♪ もり♪ もり♪ もり♪

 

杜・王・町 レ~ディオ~♪ 

\モリオウチョウレイディオ~/

 

 

 

 

 

 

「おはよう。しのぶ、早人」

 

 それはあの鼠を始末しクソッタレ承太郎たちに出逢って数日経った頃だ。

 

「……おはよう」

 

早人の怪我は無事治った。

しかし事件のトラウマに悩まされ眠れない夜を過ごしている様だった。しのぶの話では夜中に叫び声をあげて起きたり深夜まで早人の部屋の明かりが消えないのを目にしたそうだ。

 

 

「おはよう……あなた……」

 

しのぶもしのぶで大事に可愛がっていたブリティッシュブルーの猫が鼠のスタンド攻撃で死んでしまったせいでかなり落ち込んでいる。見かねた私が同じ種類の猫を飼おうかとも提案したが、そう言う問題では無いと逆に怒られた。

10年近く連れ添っているが、やはり時々思う。

女と言う生き物は非効率で非論理的だ。

 

「おはようございま~す! 今朝も杜王町radioをお送りするのはぁ『あなたの隣人』カイ原田で~す」

 

ちなみに私の夜の生活は何の問題もない。

仕事は家に持ち帰らない主義だし寝る前には毎日20分ほどストレッチをして温めたミルクを飲んで寝ている。そのお陰で早人の叫び声も気にならなず朝まで熟睡だ。

 

1度だけ承太郎を殺す夢を見た。その日の朝は最高の目覚めだった。

 

「もうすぐサマーシーズン到来ですね~杜王町のお父さんたちは旅行先を決めましたか? たまの長期休み、ここで父の威厳を示せないと挽回のチャンスはウインターまで回ってこないかもしれませ~ん。もしくは日々の生活に立ち返り、日曜大工にせいを出すのも選択肢で~す♪」

 

 

しかし悪いこともあった。

食卓に座りなんとなく元気のない妻と息子が無口にパンや紅茶を啜っている光景を何度も見せられてみろ。誰だってうんざりする。

 

「おいおい原田ぁ、家族が聴いてるのにそんなことを言ったらサービスしない訳にはいかないだろ! と言うクレームが毎年此方に届きますが~ご安心をッ 今日の私はお父さん、貴方の隣人です。悩めるお父さんに向け今回は杜王町のサマーシーズンにピッタリな名所をご紹介! まずはじめは~~」

 

 

これが毎日続くかと思えば何か打開策を練らねばならないと思うのは普通だ。只でさえ承太郎にコケにされてからあの衝動が昔のようにぶり返しているのだ。

それを示すように私の爪も2日おきに切らねばならないほど伸びている。かなり『好調』だ。

 

 

「おおっとその前にリクエストを一曲。

今回のリクエストはQueen

『My Melancholy Blues』どうぞお聴きください」

 

「二人とも……ちょっといいかな~~?」

 

 

食事の手を止める二人の顔を見据える。この顔も明日にはもう少しマシな顔になるだろう。

 

 

そう……

 

 

 

 

 

 

 

「レストランに行こう」

 

 

 

 

 

 

……私の家族サービスによって。

 

 

 

 

 

 

 

「さっ

着いたぞ。しのぶ、早人」

 

 

「と……とらさる……でぃ~?」

「ここでご飯を食べるの、パパ?」

 

「あぁそうだよ。なんでもここは()()()()美味しいって評判だからね」

 

 職場の女の子たちから評判のイタリアレストランの噂を聞いたのは最近だった。

なんでも今まで食べたどんな料理よりも美味しい料理を作るばかりか、それを食べた者の体の不調と言う不調を治し、更には料金もお手頃と言うなんとも嘘臭い噂だった。

 

だが半信半疑ながらも1度だけ店の前まで下見に行った時に私は見てしまった。

 

その人物は今にも地面に顎が付いてしまうのではと心配になるほど腰の曲がった老人だった。そしてその老人がレストランの中に入ると恐ろしい悲鳴が外まで聴こえ私が立ち竦んでいると、まるで20代のアスリートの様な完璧な姿勢を保ったその老人がッ 勢い良く快活に飛び出してきたのだ!

 

確信した。

これだ! この店こそ私の家族にとって最も相応しい料理店なのだと。

直ぐ様予約の電話をかけると店長に繋がりすんなりと席を確保できた。折角の家族サービスの日、完璧なディナーにするためメニューをしっかりと厳選しようと用意できる食事を尋ねた私に店長はそれはできないと伝えてきた。

どういう意味なのか問えば客に合ったメニューをその場で作るらしく事前に決まったメニューは存在しないとのことだった。

 

正直言って接客業でその態度はどうなんだとも思ったが電話越しから感じる店長の意思の強さに渋々納得した。

これで不味かったらただじゃおかない。

 

 

「久しぶりの家族揃ってのディナーだ。楽しもうじゃないか」

「そうね、あなた」

「うん、パパ」

 

背から浴びせられる家族の羨望を感じ優越に浸りながらレストランの扉を開けると厨房から一人の西洋人が顔を出してきた。コックコートに身を包んだその姿は彼がシェフであることが分かる。

 

 

「いらっしゃいまセ! ようこそ、トラサルディヘ」

「予約していた吉良だが」

「ハイ。お席のご用意はできていマス」

 

首尾良く席に着き店内をぐるりと見渡す。

壁はアイボリーホワイトとブラウン基調とし床はグリーンのタイルで敷き詰められている。壁には至るところに絵画が飾られテーブルとイスもさりげないが高級品だ。

厨房からはほんのりと食欲を誘うオリーブの香りが漂い思わず唾液が溢れてくる。

 

 

「ステキ~~テレビで見たイタリアのレストランみたい」

「うわ~~」

 

フフフ……感じるぞ! 

威厳が昂っている。上昇しているぞ!

やっぱり一家の大黒柱ってのこうでなくちゃ~~なぁ。

今夜は間違いなく何一つトラブルの無い完璧なディナーになるぞ。

 

 

 

「プハァーーーー!

やっぱり日本のコーヒーは旨いのう~~」

「もうパパったら、それブラジル産だって店長さんが言ってたでしょ♪」

「おいおいじいさん、あんまり騒ぐな……って、あれ? 吉良さんじゃないっスかぁ!」

 

 

「…………」

 

 

「吉良さーん。おーい」

 

「あの学生あなたに手を振っているわよ。知り合いじゃないの?」

「あ、仗助さんだよパパ」

「いや、その……」

 

どうしたものかと私が呆然としていると空気を読まない仗助がズケズケと近寄ってきた。レストランだと言うのにあのふざけた学ランと『頭』のままだ。

コイツ、常識と言うのを知らないのか?

 

「やっぱり吉良さんじゃないスか。この前の時は吉良さんのスタ──」

「思い出したッ 知り合いだよッ ちょっと話してくる!」

 

スタンドと言いそうになった仗助の口を塞ぎ慌ててしのぶたちから離れ強引に店の隅に連れていく。いきなり口を塞がれた仗助は苦しそうだが知ったことではない。

 

「なんスか吉良さん、痛いっスよ。あっ、紹介しますよ。一応俺の親父と姉っス」

「おい東方仗助。一見しただけで複雑そうな君の家庭事情なんてどうでもいい。状況を考えろよな。私は今家族水入らずで此処に食事に来たんだ。それに私は家族に一切スタンドのことを話していない。分かるな?」

 

せっかくの家族の時間をこんな奴に邪魔されるのだけは避けねばならない。早人を助けてもらった恩は感じているがソレとコレとは話は別なのだ。

 

「あ、すみません。そうっスよね、分かりました」

 

意外にも仗助はあっさりと納得した。この珍妙な姿に気圧されるが本人自体は案外まともな学生なのかもしれないな。

仗助に釘を刺すと私はもう一つの懸念を尋ねる。

 

「ところで()()()はいないよな?」

「承太郎さんスか? 承太郎さんならホテルにいますよ。なんか用でもあるんですか?」

 

「いや、いないならいい。とにかく邪魔だけはしないでくれよな」

 

あの承太郎がいないだけマシだ。奴がいたら心休まる暇がないしまた爪が伸びてきてしまう。

しかし何でよりによってコイツが……『東方仗助』がいるんだ。

 

「吉良さんこの店によく来るんですか?」

「……? 今日初めてだが」

 

「へ~~そぅ~~スかぁ~~! なら忘れられない夜になりますよ~~!」

 

仗助は無性に腹の立つにやけ顔を浮かべた。なんなのだいったい。

 

「……そんなに旨いのか?」

「そりゃあもう、死ぬほど! それじゃ楽しんで下さいね~~」

 

仗助が意味深な言葉を残して席に戻っていったのと同時に先程のシェフが出てきた。

 

「ワタシ、店長兼コックのトニオと申しマス。今夜は皆様に最高のお食事を提供させて頂きマス!」

 

「へ~~良さそうな店じゃない。私パスタが食べたいわ」

「うん、何を食べよっか」

「え~とトニオさん、メニューが見当たらないがやはり電話で言っていた通りなのかな?」

 

「ハイ。メニュー何てものはウチにはありませんヨ。ワタシが皆様に最適な料理をお出ししマス」

「えー! 何それ! お客の食べたい料理を作らない訳!?」

 

「しのぶ、落ち着きなさい。だがトニオさん、妻の言うことも一理あると思わないか? 勿論貴方の経営方針を否定するつもりは無いがね」 

 

予約の際に事前説明を受けていたとはいえ大切な家族でのディナーだ。冒険は必要じゃない。安心がなによりだ。

暗にとっとと作れる料理を言えと伝えるが、トニオは全く動じない。依然として変わらぬ自信に満ちた態度で私たちに提案をしてきた。

 

「貴方のご不満は尤もデス。ですから万が一ワタシが作った料理を食べてご納得頂けなければお代は結構デス」

「ほ~~大きくでたな。いいでしょう。お任せします」

 

「では料理を作りますのでしばらくお待ちくださイ。お水はいくら飲んでも結構デス」

 

トニオは人数分の水をコップに入れ厨房に入った。特にやることもないので手元の水を口に運ぶ。

 

「ねぇあなた、本当にここ大丈夫? なんだか怪しいかん……ナニコレ!?」

「うわ!?」

「これは……!」

 

私たち家族は一様に驚いた。

水にだ。

飲食店の水などせいぜいそのへんのミネラルウォーター程度だが私が今飲んだこの水はそれまでの人生で味わったことのない衝撃的な水だった。

 

「このお水……とっても美味しいわ~~!」

「凄い! ミネラルウォーターより美味しいよ」

「確かに……! カメユーで取り扱っているどのミネラルウォーターよりも数段……いや、もはや勝負にもならないほどの旨さッ」

 

水に対して旨いと言う感想は妙な気分だが、それほどまでにこの水は旨い。私もカメユーで取り扱うミネラルウォーターの試飲で多くの国内外のミネラルウォーターを飲んできたが正直言ってこの水に比べればどれもこれも水道水と変わらない。

理屈では説明できない爽快感と清涼感だ。

まるでボクサーが疲労困憊の減量明け最初に飲む水!

命の水と言うが正にこれだ!

 

「な、なんだか私……感動しちゃって涙が出てきたわ」

「ぼ、ぼくもだよ」

 

「おいおい……なにも泣くことはないだろ。だが、確かにこの水はそれだけ旨いな」

 

ハンカチで目元を拭うしのぶと早人を微笑ましく思う。実に純粋な人間だ。あいにく私は泣いていないがその感動だけは分かち合っているよ。

 

あまりの旨さに気づけばコップの水はすぐになくなってしまった。おかわりをしようとピッチャーに手を伸ばすと、しのぶたちがまだ泣いていた。むしろさっきよりも泣いている。

 

「おい、いくらなんでも泣きすぎじゃ……」

「ち、違うの! な、涙が……涙が止まらないの~~!」

「しのぶ!?」

「うわぁぁぁパパ!?」

「早人!?」

 

信じられない光景だった。泣いている人間なら何度も見てきたが、涙なんて可愛いレベルではないほどの大量の液体がしのぶたちの両目から滝のように流れ出しているではないか!

 

「あぁ! 目がっ……目がっ……なんと言うことだ!?」

 

水道の蛇口を目一杯捻ったときのような勢いで流れ落ちる涙に唖然としていると、しのぶたちの眼球が急激に萎んでいった。

 

「じょ、仗助ッ!」

 

自分の手には負えないと判断して仗助に助けを求める。

だが肝心の仗助はのほほんと他の二人と会話をしている最中で此方に気づいていない。

 

「おいっ 仗助!!!」

 

ようやく気づいた仗助は此方を振り返るが相変わらず変わらぬ態度だった。

 

「なんスか?」

「見たら分かるだろ! は、早く治してくれ! 君の力で!」

 

「あ~~大丈夫っスよ。そのまま、そのまま」

 

誰が見ても緊急事態であろう光景を見ても仗助は眉ひとつ動かさずコーヒーを啜った。

 

 

「何が大丈夫だ! 眼球が萎んでいるんだぞ!? このままじゃ……」

 

「キャア~~!」

「うわァァァ!」

 

「しのぶ! 早人ォ~~!」

 

背後から上がる一際大きな悲鳴に私は最悪の事態を覚悟しながら振り返った。

 

そこで私が目にしたものは…………

 

 

 

 

 

 

 

 

「「目がスッキリィ~~~~!」」

 

「……は?」

 

目を見開いてお互い笑いあっているしのぶと早人だった。

 

「なんだか目がスッゴくスッキリしたわ~!」

「ぼくもだよ。目薬なんかよりも全然スッキリだ!」

「い、いったいこれは……!?」

 

「喜んで頂いてなによりデス」

 

いつの間にかトニオが料理の皿を持って背後に立っていた。料理ができたようだが今そんなことはどうでいい。

 

「トニオ! 説明して貰おうか!」

 

「そのお水はアフリカキリマンジャロで取れた5万年前の雪解け水デス。効果は疲れ目の解消デス」

 

「そ、そんな馬鹿な……それに私はなんともないぞ?」

 

さらっととんでもない原産地を聞いたがそれよりも疲れ目の解消? いくらなんでも限度ってものがある。眼科に行ったってその日直ぐに治る訳ないと言うのに……!

 

「吉良さんは毎日しっかりと睡眠を取っているからなんともなかったのデス。反対に奥さんと息子さんは最近睡眠不足で目がとても疲れていましたのでお水の効果が現れました」

 

「た、たしかに最近眠れない夜が増えてたわ」

「ぼくも……」

 

「さっ!

では早速料理お出ししマス。先ずは前菜(アンティパスト)『トマトとバジルコのブルスケッタ』!」

 

「わぁ~~焼いて小さく切ったパンの上に野菜が乗ってるのね」

 

ブルスケッタとは、イタリア中部で好んで食べられる代表的な軽食の一つである。表面を焼いたパンにニンニクを擦り付け、その上に野菜、肉、チーズ等をトッピングして食べられている。

その名称の由来は、ローマ地方における『炭火で炙る』と言う意味のブルスカーレに起因しているとされる。

 

ブルスケッタと呼ばれた料理は先程までの戸惑いを忘れさせるほどの芳醇な香りを私の鼻腔に伝えた。

一口大にカットされたみずみずしいトマトと緑を映えさせるバジルコが視覚を楽しませ、土台のこんがりと焼いたパンとニンニクの香りが食欲を大いに促進させる。前菜にはうってつけだ。

 

「ブルスケッタは前菜にはピッタリの料理デス。視覚、嗅覚、味覚の3つを刺激して次の料理へ万全な体制で挑めマス」

 

「……君の言う通り美味しそうだな。だがひょっとしてこの料理もさっきの水みたいに?」

 

「その通りデス。私の作る料理は全てお客様の体に最も必要な料理なのデス。効果は保証しマス!」

 

「…………」

 

不安だ。

 

正直かなり不安な料理だ。本来なら席を立つべきだ。

そう言えば昔読んだ本で客に注文ばかりする不思議な料理店があって最後は客が食われる奴があった。

こんな怪しさ満点の店が作る料理を家族に食べさせるべきじゃない。

 

「べきではないが……くっ 手が止まらないっ この料理を食べたいと体が反応してしまっている!」

 

屈辱だ!

心は拒絶していると言うのに! 体が受け入れてしまう!

止まれっ 私の手!

噛むな! 咀嚼するな! 味わうな!

それ以上私を辱しめないでくれ!

 

「悔しい……! だが…………旨いッ」

 

その味は見事と言う他なかった。

 

焼いたパンの上に野菜が乗っている言ってしまえば雑な料理がこんなにも崇高になれるものなのかと感動している。

パンに塗られたニンニクも決して主張しすぎずあくまでも縁の下に徹している。トマトとパンは穀物と野菜という似て非なるものであるにも関わらず見事に調和している。トマトの果肉とパンのサクサクとした食感はまるで神殿に住まうギリシャ女神のデュエットだ!

 

「パパ! 爪が剥がれてるよ!?」

「ん? …………うごぉぉぉぉ!?」

 

早人の指摘通り私の両手の爪は冬山を何時間も革靴で登山した足爪のようにピラリと剥がれ落ちていった。そればかりか指先の皮膚すらもズルズルと剥けていく。

 

「あなた、大丈夫!? キャ~~! 早人、その顔どうしたの!? 皮膚が剥がれてるわよッ」

「うわ!? ま、ママだってそうだよ~~ッ」

 

自分の指の惨状に驚いていると早人としのぶたちも酷かった。二人とも顔の皮膚が乾燥したカステラみたいにボロボロと剥がれ落ちていた。

 

「仗助ェェ!」

 

「大丈夫、大丈夫♪」

「この水は旨いのぅ~~」

「パパ、それ自販機で買った水よ?」

 

「うーん! 良い反応デ~ス。もっともっと剥がれなさ~イ」

 

相変わらず達観の仗助、トニオもニコニコ私たちの阿鼻叫喚を眺めている。

 

なんなんだコイツらは!? 人が苦しんでいるってのに平気な顔をしている。みんなサイコパスの集まりなのか!

 

 

 

「「お肌ツルツル~~♪」」

「……爪がピカピカだ」

 

 

だがその苦しみも長くは続かなかった。

しのぶたちの肌はまるで赤ん坊のように滑らかに輝き、私の爪も週に2日はネイルサロンに通っている女の様に美しい艶を放っていた。

 

「あなた方、皆さんお肌の調子が良くありませんでしたのでそれを補う料理に致しましタ。ご主人は爪を噛む癖がありますネ? 指先が荒れていましたが爪も皮膚なのでご一緒に治りましタ」

 

このトニオが言うことは間違っていない。

確かにしのぶも早人と最近寝不足気味で私も承太郎と言うストレス元のせいで爪を噛む癖が多発していた。

だか驚くべきはトニオの洞察力だ。私は彼に触れられてすらいないのに完璧に体調を見透かされた。

最新鋭の機器、熟練の外科医や異能の東洋医学者すら凌駕する見識だ。

 

「な? 吉良さん、大丈夫だったでしょ。ここは旨い料理しかないですから楽しんで下さいよ。あっ ちょっとじいさんっ それは俺のカプレーゼだよ!」

 

 

「さっ!

料理を続けましょう。お次は第一の皿(プリモピアット)『フレッシュスパゲッティーのアーリオ・オリオ・ペペロンチーノ』!」

 

「わぁ~~いい匂い」

「ん~~確かに香り豊かだ」

 

 

アーリオ・オリオ・ペペロンチーノのアーリオとはニンニクを、オリオとはオリーブ油を、ペペロンチーノとはトウガラシを意味している。

イタリアではこの料理をしばしば『絶望パスタ』と揶揄されておりその理由は、例え貧困のドン底に堕ちようとも、オリーブとニンニクとトウガラシさえあればなんとかなるさ! と言うイタリア人の陽気な性格の現れである。

 

「ペペロンチーノってニンニクの匂いがアレだから敬遠してたんだけどこのペペロンチーノはクセがなくてとっても食べやすいわ~~ッ」

「オリーブオイルがどんどん食欲を刺激するッ ショートパスタ一つ一つ丁寧にコーティングされていてムラが全然ないよ!」

 

Grazie(グラッツェ)! イタリアパスタでは、オリーブが命デス。この料理に使っているオリーブは、ワタシがオリーブの木から厳選して抽出した最高峰のオリーブなのデス。美味しいデスヨ」

 

「このペペロンチーノも見た目と違い油っこくなくすんなりと口に入るな。ニンニクとトウガラシも程よいアクセントだ」

 

オリーブ、ニンニク、トウガラシの三種を使ったシンプルな料理だがそれ故にトニオの料理人としての腕をありありと舌の上で感じることができる。

絶妙な茹で加減が生み出すパスタの奇跡的な歯ごたえとその最中に垣間見えるニンニクとトウガラシのスパイシーなせめぎ愛! そしてそれらを慈母の様に優しく包容するオリーブ油!

フルトヴェングラーやカラヤンの偉大なる交響曲(シンフォニー)の様に素晴らしい一体となっている!

 

「旨い……しかしトウガラシが少し効きすぎたかな? 体が熱くなってきた……ハッ!?」

 

汗が頬を伝う。嫌な予感がする。

 

「と、トニオ! 今度はいったい何が……」

「お客様、上着を脱ぐことをお勧めしマス」

 

「う、上着? な、何故……ぐぅ!?」

 

 その次に、冷や汗どころかまるで煮えたぎるほど熱い大量の汗が私の体から発汗された。あまりの熱さに汗は服に染み出る瞬間に空気中で気化する程だった。

 

「ヌァァァァ───ッ! こ、これは何だ~~!?」

「それは、デトックスデース。あなた方の体内にある悪い物質を汗と一緒に体外に放出しているのデース。さぁ……もっともっともっと、汗を出しなサ~イ」

 

 

それから全身の水分が無くなるかと思うほどの汗を流した私は力尽きその場に倒れ……

 

「キャーお肌がもっとツルツルぅ~! シミも消えてるぅ~!」

「……不思議と体が軽い」

 

……無かった。

未だかつてこんなにも疲れる食事があっただろうか。得るものは多いが精神的に辛い。私はもっと普通に食事を楽しみたいのに……

 

「さぁ! お待ちかねのメインディッシュ(セコンドピアット)デス。最初は奥さんとお子さんに『オッソブーコのトマト煮込み』!」

 

 

オッソブーコとは、仔牛のすね肉煮込み料理である。直訳すれば穴の空いた骨、虚ろな骨、と訳せるがその意味は、長時間骨ごと煮込むことによって骨髄が萎み骨の中が空洞となることに由来する。

 

「うわぁ~このお肉柔らかぁ~い。口の中でとろけそうよ」

「骨も食べられるなんてきっとかなりの時間煮込んでるんだよ」

 

「オッソブーコは、イタリアにトマトが伝来するずっとずっと前から食べられていた伝統的な料理デス! 今回はトマト使って煮込みました。トマトを料理に使わせたらイタリア人の右に出る者はいまセン!」

 

一通り箸が進むとしのぶたちの体に変化が現れた。

 

「きゃっ!」

 

しのぶの胸が大きくなった。比喩じゃない。本当に、目に見える形で、風船のように膨れた。

ブラジャーのホックの外れる音が店内に響く。

しのぶのバストサイズは一般的だと思うが今のサイズは明らかに『寄せて上げた』とか『バストアップ体操』なんてレベルじゃない。欧米人よりも巨大だ。

 

「うわ!? 何だコレ!」

 

早人の顎に髭が生えてきた。北欧のバイキングみたいなかなり濃い奴が、早人の顎を覆っている。早人はまだ小学生、成長著しい年頃とは言え普通あり得ない。

 

「奥さんとお子さんは寝不足でホルモンバランスが乱れていますので、一時的に補わさせて頂きましタ。大丈夫、直ぐに元に戻りマース」

 

「えーちょっとは残せないの~?」

「ぼくは早くなくなってほしいよ。髭にソースがついて食べづらいんだ」

 

あまり驚かなくなっている家族に少し恐怖する。これが普通なのか? 私がおかしいのか?

 

「お待たせしましタ。ご主人には『魚介のフリッティ』!」

 

「私のは魚介のフライか」

 

「違う違う『フリット』デス」

 

 

フリットとは、パン粉を付けて揚げるフライと違い衣にメレンゲを使用することで外はカリカリ中はふんわりと揚げることができるヨーロッパ伝統の揚げ方である。因みにフリットは単数形であり、通常は複数形のフリッティと呼称する。

 

「どうせこれもとんでもない副作用があるんだろ? 言えよ、どうなる?」

 

「……食べてからの、お楽しみデース」

 

コイツ……ちょっぴり私がどんな反応をするか楽しんでいるな。やっぱりサイコパスだ。

 

「分かった、食べるよ。正直言うと体も食べたがっているしね」

 

魚介はタコやカキなどなかなか家庭では食べられない面白いバリエーションだ。衣もカラッと揚げられ中はジューシー。それでいてしっかりと素材の味を出しておりしつこくない。

噛めば噛むほどにその海の幸の生活が磯の香りと共に脳内に広がる。深遠なる深海やきらびやかな浅瀬、母なる海の偉大さを雄弁に語っている。このフリッティは、原始の記憶を呼び覚ます全人類にとっての母の味と言えるだろう!

 

一つ残らず食べるとお決まりの異変が体に走った。そして冒頭の今に至る。

 

 

 

 

 

「……胃がスッキリした」

 

「あなた、ストレスで胃がキリキリ痛んでいましたので取り替えましタ。これでもう痛むことはありませんヨ」

 

むしろ一生分の苦痛を味わった気もするのは私だけだろうか。

 

この店は旨いが疲れる。財布の中身より精神状態を気にして来店しなければならないなんて酷い店だ、旨いけど……。

 

 

「最後はデザート(ドルチェ)『ティラミス』!」

 

 

ティラミスは北イタリア発のデザートとされている。語源はTirami su!(私を引き上げて!)と言う意味でありそこから転じて『私を元気づけて』と言う意味も持つようになった。

 

「綺麗~~」

「あまり甘いものは好きではないのだが……」

 

「ワタシのティラミスは、甘いのが苦手な人でも食べられるように作ってありますヨ?」

 

「クソッタレッ 旨すぎる! ナンダッ このティラミスは!!」

 

クリームとビスケットの層が2重3重に折り重なりスプーンで掬い上げる度に新な悦びを感じる!

ビスケットに染み込んでいるエスプレッソの香りが鼻腔を満たしクリームの甘さと調和を保っている!

甘味と苦味! 太陽と月! 天使と悪魔! 

相反する2つの存在ながらもどちらもいなくてならない必要十分条件! 

これはまさにデザートの聖典だ!!!

 

 

「フフフ……あははは! いい気分だなぁ~~!」

 

思わず心の声が外に漏れる。普段の私とは思えないほど笑みが次から次へと出てくる。

 

「ワタシのティラミスは、副交感神経に刺激して人に幸福を感じさせマス。どうぞお楽しみ二。本日の料金はお一人様3500円デス」

 

「3500円? 個人的にはその10倍払っても足りないくらいだよ。本当にそれでいいのかい?」

 

「ハイ。ワタシはフランス料理のような気取った一部の上流階級が食べる高級料理は好きではありまセン。あくまでもワタシの故郷イタリアの家庭料理を皆さんに食べて貰いたいのデス」

 

なるほどな。

どうやらこのトニオと言う男には彼なりの信念があってわざわざこの日本までやって来たのだろう。そのひたむきさは尊敬に価する。

 

「それでも何か礼がしたい。そうだ、私はカメユーチェーンと言うスーパーで働いているから食材や調理機材で必要なものがあったらいつでも連絡してくれ。これは私の名刺だ」

 

「食材……一つお伺いしますがひょっとして杜王町産のアワビはありますカ?」

「アワビ? 杜王産を取り扱っているかは分からないが、調べてみよう」

「……Grazie(グラッツェ)

 

目を伏して礼を述べたトニオはそのまま厨房へ消えていった。

 

 

 

 ティラミスによってアルコールでも味わったことのない酔いにも似た幸福を堪能している私は、前々から考えていたことを早人に告げた。

 

「早人、何か欲しいものはないかい? 

実はママにも最近プレゼントを渡してね、早人にも公平に渡そうと思ってたんだよ」

「ほ、欲しいもの? う~~ん……あっ……でもなぁ……」

「なんだい? 遠慮せずパパに言ってごらん。なんでも用意するよ」

 

「そ、その~~『()() ()()()()()()()』……ってのはムリだよね……?」

 

「岸辺 露伴?」

 

聞いたことのある名前だ。たしか週刊少年ジャンプで連載をしている漫画家だ。

 

「き、気にしないで! そうだ、ポケモン! ぼくあれが欲しいな」

「いいや早人。岸辺 露伴のサインだな、貰ってこよう。早人の名前入りでな」

 

 

 

待っていろ岸辺 露伴。

必ず貴様のサインを貰う!

 

 

 

 

 




トニオさんか悪のスタンド使いなら相当エグい敵になったでしょうね。

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