七月十六日の朝、七年間使われずにそのままになっていたその部屋に和仁はいた。
すっかり体が大きくなり使えなくなった古い子供用ベッドに背中を預ける。組んだ足の上には真新しいようで使い込まれた木製のギターが乗っている。
すっかり慣れた動きを覚えた指先が巧みに弦を弾く。
夏の合宿からひと月が経っていた。足元にはその時に撮った写真が散乱していた。三日目になり、やっとも思いで訓練を達成する頃にはみんなクタクタになっていた。結局海を楽しむ体力など残っておらず着替えて写真を撮るくらいが精一杯だった。
蛍の夜を経て少し変化があった。それまでは神稚児としての奉納の訓練や宮司システムの開発に持てる時間の全てを費やしてきた和仁は自分の時間を持つようになった。
誰かに命令されたからではなく、自発的に自分から自分のためだけに時間を使うようになっていた。
勝手が分からず聞いてみたところ本人以上に乗り気になった赤嶺に連れられて初めて入った楽器専門店にて買入したギターを今日までほぼ毎日、時間が許す限り練習していた。
銀にでっち上げられたような夢だったが、案外和仁はこれを気に入っていた。
初めて触った時は琴とは違う弦の感触に戸惑いこそしたが何度も触れていくうちに思うような音を奏でるようになった。
自分のためだけに演奏する。それが上達していくのが楽しくて気がつけば暇を見つけては弾いていた。一ヶ月もする頃には自分で作曲した曲を練習するまでに至り、今は細かいところを直したり、確認して納得のいくものを作ろうとしていた。
七時になる頃、トタトタと階段を登る音が遠くからして、それが廊下を駆ける音に変わる。三回戸を叩く音がして音の主が和仁に声をかける。
「お兄ちゃん、朝ごはんできたから下に来て!」
「分かった、すぐ行くから少し待ってて」
手にしていたギターをベットの上に置き、散乱していた写真を拾って片づける。拾った銀と自分の二人がうつる写真を見て少し頰を緩める。
カードの束のように写真をまとめてから部屋を後にする。
廊下で待っていた須美の後ろについていった階段を降りる。
食卓に到着すると先に二人が待っていた。和仁の父と母。
そう、和仁は生家である鷲尾の屋敷に戻って来ていた。台所から使用人に手伝ってもらいながら食器を須美が運んでくる。
思うところがあったのか並べられた料理を見て和仁の父が言う。
「たまには肉のない料理もいいものだな」
並べられた料理への素直な感想だった。食卓に並べられていたのは一般的に言う精進料理、和仁が食べられる料理ばかりであった。
「さぁ、召し上がってください。頑張って作ったんです」
楽しそうに須美が笑う。
「……うん、すごく美味しい」
「お肉のない料理なんて、って思ってたけれど家族一緒だと関係なく美味しいわね」
ゆっくり味わいながら味の感想を言う和仁と肉が好みだけれども家族一緒の食事の前にはそんなことは子細であると言う和仁の母。
会話こそ少ないものの、七年越しに叶った楽しい家族一緒の朝食だった。
心地の良い沈黙の中で食事が終わる。食事を終えて出かける用意を済ませ、色々なものが入った肩掛けカバンを持った須美とギターケースを背負った和仁が玄関に立つ。
少しこそばゆそうにしながら和仁が笑う。
「それじゃあ行ってきます」
「出かけてきますお父様、お母様!」
出かける二人を両親が見送る。母は嬉しそうに手を小さく上品に振っていた。
「あぁ、いってらっしゃい。お祭り楽しんでこい」
「気をつけていってくるのよ?」
なんでもないありふれた家族のやり取り。そんな当たり前が出来ることが何よりも嬉しい。ありふれたやり取りを噛み締めながら和仁は家に背を向けて出かけた。
門を出ると彼らを待っていたように一台の乗用車が歩道に寄せて止まっていた。
二人が近づくと後ろの窓が開く。中からサングラスにつばの広い帽子を被った園子が現れた。
「へいへい、お二人さ〜ん。待たせてくれちゃったね〜」
「うん、お待たせ園子ちゃん。待たせちゃった?」
「へへへ、そんなことないんよ〜。きっとゆっくり出てくると思ったから少し遅れてくたからピッタリ〜」
「そっか……、ありがとう」
七年ぶりの。須美を交えれば初めての一家団欒、園子に気を使わせてしまったと和仁は感謝する。
気にしないでと園子は言って車の中へ手招きする。
言われた通りに車に乗り、二人は園子を挟むように席に着く。扉を閉めたのを確認して運転手が車を発車させる。
発信した車は空いた日曜朝の道路を進み、しばらくして銀の家の前に到着する。
運転手にお礼を言って三人は車から降りてその子の家に帰る車を見送る。
代表して和仁がインターホンを鳴らす。聞き馴染みのある音がして、それに反応するように家の中から慌てたような足音がした。
ガラガラと引き戸が音を立てながら開き、驚いた顔をした銀が現れる。
「なんだよ、もうきたのか。なんか早くない?」
「ミノさん、ミノさん。実はもうお昼過ぎてたりするんよ?」
「あれ、もうそんな時間? さっき弟に昼食べさせたばっかだからまだ余裕あると思ってたんだけどなー。まぁいいや、三人とも上がりなよ」
お邪魔しますと言って三人は家に上がる。
居間に通されると今寝つたばかりなのか金太郎が座布団の上にスヤスヤと寝息をたてて横になっていた。
「わ〜、ぐっすり寝てるんよ〜。可愛い〜」
「あんま触って起こすなよ、やっと大人しく寝たところなんだからさ」
小さくなって寝ている金太郎の頬をちょんちょんとつつきながら園子はその感触を楽しむ。やっとの事で寝てくれた銀としては起きないで欲しいと深刻そうに祈りながらも二人を見て笑っていた。
「やっぱり家族っていいものだね」
「小さい頃から家族だったらあんな風に僕が須美をあやしていたのかな? きっと小さくても可愛かったんだろうね」
「も、もう! 恥ずかしいこと言わないで」
和仁としては素直に褒めたつもりだったがあまりにも恥ずかしくて須美が怒る。互いに遠慮や躊躇いがないために、和仁は思ったがままの言葉を口にする。真っ直ぐすぎる言葉が時に受け手側を恥かしめる。
すぅーっと長い息を吐いて気を取り直す。
「それじゃあ、お兄ちゃん。着替えてくるから少し待っていてね」
談笑していた銀と園子を引き連れて須美は障子の向こうへ消えた。
一人取り残された和仁は縁側に座ってジリジリと鳴る蝉を見ていた。
ふと視線を感じて、振り向く。障子から半分だけ顔を出した鉄男がむくれた顔で和仁を睨みつけるように見ていた。
不思議そうにした和仁が首をかしげる。
「どうしたの鉄男くん? そんな所にいないでこっちにきなよ」
しばしの沈黙の後、腹をくくったように気合を込めて、むくれた顔のまま鉄男は和仁の横に乱暴に座る。
どうして怒っているのかが分からず困ったとぼやく。
鉄男は詰まらなさそうに口を尖らせる。
「兄ちゃん、今日は姉ちゃんと縁日のお祭り行くのか?」
「うん、みんなで今日はお祭りに行こうって約束してたんだ。楽しみだなぁ、誰かとお祭りに行くなんて初めてだよ」
楽しみだと楽しそうに笑う和仁に反比例するように鉄男は面白くなさそうに難しい顔をする。
むぅ、と小さく唸って絞り出すように鉄男は吐き出す。
「姉ちゃん最近は兄ちゃんの話ばっかしてる。ご飯の時とか、遊んでる時とか、金太郎の世話をしてる時とか、今日は兄さんがー、ってそんなのばっかだ」
「……そうなんだ」
深くは追求しない。自分がいないところで銀が自分の話をしていたことが無性に照れくさい。どんなことを言っていたのか聞いてみたかったがわざわざ聞くもの変かなと思ったのでそっけない答えだけで留める。
鉄男としては姉がとられたように無性に腹がたつ。八つ当たりのように言葉を続ける。
「なあ、兄ちゃんってすごいやつなんだよね。大人たちはみんなそう言ってた」
「そんな大したものじゃないよ。ただ、今出来ることを精一杯やってるだけだよ」
「でも大人たちがすごいって言う兄ちゃんなら姉ちゃんを守れる?」
「銀ちゃんを守る? 僕が守られるんじゃなくて?」
鉄男のいうことがよく分からず和仁は首をかしげる。宮司である自分は三人を補佐することは出来ても守ることはできない。お役目の詳細を知らない鉄男だから勘違いしたのだろうかと和仁は推測してみる。
しかし鉄男は首を振ってそれを否定する。
「姉ちゃん、お役目ってのをやってるんだけどなんかの訓練でたまに夜遅くに帰ってくるんだ。いつも手にマメ作ってるしボロボロになって帰ってくることもあるんだ。姉ちゃんは大丈夫だって言うけどやっぱり心配だし、大人に言っても立派なことだから見守ってろっていうんだ」
ようやく和仁は鉄男の言い分に合点がいく。お役目の内容それ自体よりも姉が何か重大なことを任されていて、それで無事に帰ってきてくれるのかが分からなくて心配しているのだった。
家族を大切にする鉄男の姿勢に和仁は嬉しそうに笑う。
「そっか、鉄男くんはお姉ちゃんが心配なんだ。仲がいい兄弟なんだね、そういうのいいなって思う」
「茶化すなよー。……それで兄ちゃんは姉ちゃんを守ってくれるのか?」
「……うん、約束する。必ず君のお姉ちゃんを無事に連れて帰るよ」
「約束だかんなー。ほらっ!」
鉄男が右手の小指を差し出す。意味が分からず和仁は一度よく見て、流れを考えて理解する。
笑って小指を同じように差し出して鉄男の小指を絡ませる。
小指を結んだまま繋いだ手を約束を確かめるように振る。指切りの約束だった。
頃合いと見た鉄男が自分の手を引っ手繰るように結び目から離れる。
「約束したからな! 姉ちゃんのこと頼んだぞ、男と男の約束だからな!」
そう言い切ると鉄男は恥ずかしくなってその気持ちを誤魔化すように大きな足音を立てながら外へ飛び出していった。
鉄男を見送ってまた静かになった縁側で和仁は変わらずに座り夏の蒸し暑さにさらされる。
横に置いたガラスのコップの中の氷は溶けて涼やかな音が鳴って、同時に閉ざされたふすまが開かれた。
「お待たせ、お兄ちゃん」
「待たせたんよ〜」
「だぁ、もう。須美の園子も引っ張るなよ」
銀の手を引きながら須美と園子が部屋に入ってくる。恥ずかしそうにしている銀は体を小さくして隠そうと必死そうにしていたが両隣がそれを許さず両腕を引いて和仁にそれを見せる。
三人とも色鮮やかな浴衣に着替えていた。
「三人ともとっても綺麗だよ」
思ったままの感想を述べる。素直な感想だった。三人とも自分のイメージカラーに合った色の浴衣を着ている。
特に普段は動きやすい男の子のような格好をしていることが多い銀がしおらしい様子で浴衣に袖を通していて、そのギャップに和仁は目を奪われる。
「な、なんだよ。そんなに変かよ?」
じっと見られて恥ずかしそうに銀が問う。
「ミノさん浴衣が可愛く似合ってんよ〜」
「ええ! これはもう銀じゃなくて金と呼ぶべき可愛さだわ! もっと写真を撮りましょう!」
恥ずかしそうにしている銀が面白かったのか園子がからかい、須美は忙しない様子で持ってきたカメラのシャッターを何度も切る。
「もう! 二人ともからかうなよー。兄さんからもなんか言ってやってよー」
「どうして? 凄く似合ってるよ。銀ちゃん可愛いんだから普段からもっと可愛い格好をしてもいいと思うよ。……ウエディングドレスとかもきっと似合うよ」
「今その話をするなよー!」
「えー、なになに〜! ミノさんお嫁さんになりたいの?」
「ぐぬぬ……、兄さんが裏切った……。こうなったら公園まで逃げるんだよー!」
銀のウエディングドレスという話を聞きつけた園子が面白そうだと銀に詰め寄る。思わぬところからさらなる奇襲を受けた形になった銀は逃げるために祭りの会場に向かって駆け出す。
笑いながら三人も銀を追いかけて祭りが開催される会場へ向かう。
公園にたどり着くと並んだ屋台からの客寄せの声がいくつも聞こえてきて賑やかさを肌で感じる。
初めてやってきた夏祭りに落ち着かない気持ちを隠せない園子は興味深そうな足取りで一つ一つの屋台を覗き込む。
りんご飴、綿菓子、チョコバナナ、たい焼き、何かのキャラクターの仮面。これぞ夏祭りという品揃えがやってきた客を視覚で楽しませ、祭りにやってきたのだという自覚をもたらす。
浮き足立った園子が目についた屋台の店主に話しかける。
「おじさんこれください!」
「はいよ、一本50円だ。友達の分もおまけしてやるよ。お祭り楽しんできな!」
「おじさん、ありがと〜!」
溌剌とした店主から払った分以上の品物を受け取る。大きくなった紙袋を大事そうに抱えながら園子が戻ってくる。
買ってきたものを自慢げに披露する。
「ジャジャーン、焼き鳥! 美味しそうだったから買っちゃった!」
「おいおい、園子。こんなにおまけしてもらっちゃっていいのか?」
数本を買ったつもりが、少なくとも四人で分けての十分な数の焼き鳥が袋の中にはあった。
貰いすぎでは、と銀が遠慮がちに眉をひそめる。それをしれっとした顔の須美が何でもない風に言う。
「いいじゃない銀。せっかくの好意なんだからありがたく受け取ればいいのよ。今日はお祭りよ?」
「あぁ、なんか鷲尾さん家の須美さんがどんどん図太くなっていく……」
「遠慮ばっかりしてるよりはいいんじゃないかな? せっかく友達同士でいるのに遠慮ばかりだとむしろ寂しさすらしてくるよ」
「兄さんがそれを言うのか……」
常識人はアタシだけかと銀は演技がかかった仕草で嘆く。もちろんみんなそれを分かっていたので特に何も言わず、園子の差し出した焼き鳥を銀はケロッとした様子で食べ始めた。
何だかんだでみんな夏の祭りを楽しんでいた。
「……あら、あれは」
須美が何かを見つけて楽しそうな声を漏らす。並んだ三人も何だろうと頭を並べて見てみると古き良き射的の屋台だった。
店主にお金を払い、おもちゃの銃と弾になるコルクを受け取った須美は打つ準備をして構える。
綺麗なフォームで構えた須美は照準を息を殺して覗き込む。深妙なその様子に見ていただけの固唾を飲んで見守る。
夏の暑さで生まれた汗が一雫、和仁の額を伝っていく。緊張感に包まれてそんな汗が流れることも気にならない。
「…………っ!」
伝っていく汗が行き場を失って落ちていくのとおもちゃの銃が小気味いい破裂音を鳴らしたのはほとんど同時だった。
放たれたコルク栓は緩やかな曲線を描いて並べられた棚の上の置かれた青い猫のキーチェーンに吸い込まれた。軽いキーチェーンは容易く棚の上から弾き飛ばされて後ろに落ちていった。
射的の屋台の店主が落ちた猫を軽く拭ってから須美に手渡す。
「すっげー! 須美まるで漫画に出てくるスナイパーみたいだ! 鷲尾東郷だ!」
「そこを変えたら両方とも苗字じゃない……。でも弓を使っている以上、これくらいは余裕よ」
銀の考えた通り名にツッコミを入れながらもまんざらでもなさそうな須美が照れくさそうに頬をかく。
「ようし、次は私の番だ!」
意気揚々と飛び出した銀が須美の余ったコルクと銃を受け取って射的に挑戦する。初めは外しながらも持ち前の運動のセンスと勘でで狙いを定め十回目にしてようやく須美と色違いの赤い猫のキーチェーンを撃ち抜くことに成功する。
「へへへ、意外と練習すればできちゃうもんだな!」
「え〜、わっしーとミノさんお揃いなのずるーい! 私もやる!」
互いの戦利品を見せつけ合う須美と銀を見て園子が悔しそうに頬を膨らませる。残ったコルクと銃を受け取り射的に挑戦する。
「こうなったら、あの一番大きいやつをズッガーンって撃ち落としちゃうんだから!」
悔しそうな様子の園子が指差したのは額から特賞の札を吊り下げた招き猫だった。いわゆる絶対に落ちない見世物用の景品であることを察した和仁と銀はやめるように園子を説得しようと試みるが意固地になった園子は聞く耳持たない。
小気味いい破裂音が鳴った。一回、二回と積み重なり、和仁は3桁に到達する頃には数えるのをやめてすれ違う通行人を眺めてあの浴衣は綺麗だな、こっちも綺麗だなと黄昏ていた。
持ってきた小銭入れを空にしてついに最後の一発となったコルクを銃に力の限りねじ込んだ園子が肩で息をしながら涙目になってボヤく。
「うぅ……、持ってきたおこずかい全部使っちゃった……。どうして落ちてくれないの〜」
「……もう、しょうがないなぁ」
やめ時を見失った自業自得なのは明らかだったが軽く笑って和仁は園子の横に立つ。
意気消沈してすっかり屁っ放り腰になった園子の姿勢を正して銃を構えた園子の姿勢を矯正するように手に手を重ねる。手を通して伝わってくる和仁の体温に園子はまるで最近読んだ少女漫画のヒロインのようだと思い意識してしまう。
「正面じゃなくて……、少し斜め下、バランスの悪そうなところを狙って……、っ今!」
撃つ直前、カチリと何かが噛み合ったような感覚を園子は覚えた。確かに覚えがある。三ヶ月前のお役目、そして度重なる訓練そのいずれの時にも感じた感覚。
ゆっくりとなった視界の中で気づかなかったものに気がつく。自分の左手に重なった和仁の左手、その薬指が金属に輝く。そうあれは金の指輪。簡易型宮司システムを使うための指輪がうつの間にか和仁の指にはめられていた。
小さく光った金の指輪を見て和仁が何をしたのかを察した須美と銀は呆れて苦笑していた。
拡大化された五感を通して狙うべき場所が手に取るように分かる。科学によって裏付けされた感覚のもたらす超能力じみた推測の通りの軌跡を描いてコルクは飛んでいく。
狙い澄まして、当たって、招き猫は急所を突かれたかのように大きくぐらつくとそのまま自重を支えきれずに棚からはみ出て落下した。
落ちる訳がないと高をくくっていた店主はあんぐりと口を開けて信じられないものを見るようにして転がる招き猫を見つめている。
「やった〜! 落ちたんよ〜! それじゃあ、おじさん。特賞くっださいな〜」
「え、ええっとまさか落ちるだなんて思ってなかったから、用意してな……」
何かを受け取るために両手を差し出した園子を見て我に帰った店主が何やら言い訳をはじめる。それを見て和仁はポツリと呟く。
「……景品法違反」
「落ちないはずってどういうことです?」
見つめる先にはお祭りの実行委員会のテント。胡乱げな視線を店主に送る須美。二人を見て腹を抱えて声を出さないように笑う銀。脂汗をかきはじめる店主。
ニコニコと笑う園子が戸棚から二つ取る。両手に一つずつ持っているのは須美と銀が持っている猫のキーチェーンのものと色違いの紫の猫と空色の猫のストラップだった。
「お、おう! 持って行きな! だから招き猫のことはどうか内密に……」
満面の笑みを浮かべて四人は立ち去る。招き猫は射的の棚からは消えていた。
屋台を満喫した四人は公園から少し離れた小高い丘に来ていた。人気のない長いベンチに四人で座る。
隣に座った園子から猫のストラップの片割れが突きつけられる。園子がパッとそれを離して和仁は受け止めるように手で捕まえて受け取る。
「はい、ワニー先輩にもこれあげる! これでみんなお揃いだね!」
「しっかしシステムをあんな風に使って良かったのか?」
「まぁ、相手もズルしてたからね。イカサマにはイカサマで勝負するだけさ」
苦笑いする銀に和仁はイタズラが成功した小僧のようにほくそ笑んでいた。
釣られて三人も笑う。一つづつ持ったお揃いのストラップを空に掲げる。
仲良く並んだ4匹の猫の後ろでパァっと色とりどりの光が舞った。それに遅れて体の奥で振動するような深く重たい音が響く。
「わぁっ! すっごく綺麗!」
「もうっ、そのっちったら。そんなに飛んだりしたらはしたないわ!」
「そういう須美だって、飛び上がって喜んでると思うけどなぁ……」
園子は大空を彩る花火を見て、そのあまりの美しさに飛び上がって全身で喜びを表現する。
飛んで、跳ねて締められた着物の各所が緩み出す。それを見た須美は大事になる前に注意する。しかしそう注意する須美も女の子。打ち上げられた花火を最も見ようと同じように立ち上がって、時折楽しそうに跳ねていた。
それを見た普段はお堅い須美の無邪気な様子に呆れながらも、しょうがない奴だなと笑って同じように花火を座ったまま見ていた。
「あんなに綺麗なのに一瞬で無くなっちゃうんだね……」
ジッと花火を見上げていた和仁は無意識のうちに呟いていた。
いつか見た蛍火の儚さを花火の鮮やかさと後に残る静寂さに重ね合わせる。
「でもまぶたを閉じればいつでも見えるだろ?」
「……そうだね。もう聞こえなくても、もう見えなくても、それでも感じられる思い出があることがきっと幸せって人は呼ぶんだろうね」
「そうそう、そういうもんだよ。何だ、兄さんもすっかり前向きなこと言えるようになったじゃん!」
今までならきっと失われてしまうものを和仁は意味がないものと切り捨てていただろう。
でも今なら、人と交わって変われた今ならそうじゃないと、そこにある何かはきっと何か意味があるのだと確かな意志を込めて言葉にできる。
生まれ、生きて、失われる、それだけが存在の証明なのではないのだと今なら胸を張って言える。そう言えるようになった自分がとても嬉しい。
だからきっかけとなってくれた全ての人にそれを伝えたい。
「きっとみんなの、銀ちゃんのお陰だよ。僕だけだったらきっと何も変わらなかった」
「へへへ、そう? まぁ、変わったのは兄さん自身の力でしょ。アタシは手助けしただけそんなにありがたがらないでよ」
そんな和仁の感謝の気持ちをよそに、銀は何でもないことかのように笑って流す。
誰かを助けるのにも常に自然体。誰かに手を伸ばすことが特別なことなどでは一切ない。きっとそんな彼女だから自分は強く惹かれるのだろう。
そう意識すると自然と顔が熱くなる。
きっと恥ずかしい顔をしているのだろう。見られまいと軽く俯いてしまう。
「あっ! そろそろいいんじゃないかな! きっと今がいい感じなんよ〜」
そうしていると園子が何かを思いついたようで大きな声をあげた。
それを聞いた須美と銀はついに来たかと待ちわびていた時の到来に楽しげに身構える。
三人が須美のカバンから何かを取り出すと後ろ手に隠して和仁を取り囲む。
ふふふ、と楽しげに、怪しげに笑う三人に突如囲まれて和仁は状況をうまく飲み込めずに目を白黒させる。
代表して須美が祝福の言葉を述べた。
「お兄ちゃん、お誕生日おめでとう!」
おめでとう、と二人も言葉を続ける。
須美の言葉を過ぎには理解できず和仁はポカンと口を小さく開いたまま固まる。
和かな三人に囲まれ、ようやく状況を飲み飲んだ和仁は恐る恐るといった様子で確認するように聞く。
「……え? 誕生日? 誰の?」
「もちろんお兄ちゃんの。もしかして忘れてた?」
すっかり驚いた顔から表情が変わらない和仁に少し呆れたように笑う須美。
人に誕生日を祝われたのはいつ以来だろうか。少なくともすぐには思い出せない。
少し呆然としたまま須美たちは持ち寄ったものを見せはじめた。
一番手は園子だった。
「まずは私から。はいワニー先輩にはこれ!」
「ちょっとそのっち、これって……」
須美の見せた贈り物に先に反応したのは須美のだった。園子の手の中にあったのは綺麗なバレッタ。須美が反応するのも無理はない。それは彼女が自分の髪を結い上げているのに使っているものと同一のものだった。
「ワニー先輩、最近どんどん髪が伸びて来たからこういうのいるかな〜って思ったので買ってきました! わっしーとお揃い、ペアルックってやつだね! 早速つけてみて!」
無言で受け取った和仁は伸びた髪を左手で掴むと纏めて、結って、それをバレッタで固定する。
鼈甲のバレッタは髪を結い上げ、細いうなじを見せる。まだ年幼いが故にそこに見え隠れする白い肌がかえって艶めかしい。
「どう? 似合ってる?」
「きてるよ〜、きてるよ〜。それを選んだ私の目に狂いはなかったんよ〜」
ちょっと自信なさげにしながら、ちらりと和仁が須美を見る。満足そうにして何やらメモ書きに夢中な園子を尻目に須美はちょっと照れ臭そうにして頷く。その反応に和仁はすぐにプレゼントを気にいる。
「じゃあ、次は私ね!」
恥ずかしさを振り切るように勢いよく前に出た須美が二番手となって手に持ったものを差し出す。
その手にあったのは青いハンカチだった。美しい菊が刺繍されたそれは既製品ではなく手製を思わせるものだった。よく見ればハンカチを持つ須美の手で絆創膏が傷を隠している。
ハンカチに込められた思いを感じながら和仁はプレゼントを受け取る。
「……大切に、長く使うね」
「……そうしてください、頑張ったんですから」
短い言葉だけで終える。二人の間にはそれ以上言葉などなくても、気持ちが相手に伝わるだけの信頼があった。
「じゃあ、最後はアタシか。なんかこういうのちょっと照れるな」
やっと順が回ってきたという様子で銀が前に出る。
左手で吊るすようにしてそれを差し出す。
「ほいっ! アタシからはコレ」
「……もしかして、ギターのピック?」
差し出されたそれを一目で見て何か理解する。三角形の形をしたプラスチック片。表側に花の絵が描かれ、開けられた穴から三色の鮮やかな飾り紐が伸びている。
そっと、慎重な手つきで受け取った和仁は掲げるようにしてジッと見定めるようにしてギターピックを眺める。
「綺麗だね……、これは何の花?」
「あぁ、それ店員さんと相談して買ったんだけど雪待草、つまりスノードロップって花なんだってさ。希望って意味があるんだって言ってた」
銀はしげしげと贈り物を見られて所在なさげに身を悶えさせながら答える。
「……アタシがギターとか勧めたからな、こういうの使うって聞いたからそれにしたんだ」
「そっか、うん、ありがとう銀ちゃん。すごく気に入った。この飾り紐はみんなの色?」
「そ、そうだよ。お役目の時ってさ兄さんいつも後ろの方で一人だろ? だからそれを持ってれば、いつでも近くにいるような気がするかなって……」
恥ずかしいことを言っているなと自覚していた銀は所在なさげに頬を描きて羞恥を誤魔化そうとする。
それを見ていた三人は銀の様子と思いやりに笑みを深くして銀を見つめる。
感激して涙ぐんだ和仁が銀を見る。
「銀ちゃん……」
「あー、もうそんなにこっち見るなよ!」
照れた銀が手をやたらと動かして顔を隠す。忙しない銀の腕を須美が捕まえた。動かそうとする銀であったが万力のような握力が離さない。ニッコリと良い笑顔の須美が加虐的に迫る。
「もう、銀? そんなに暴れてたら可愛い顔が見えないわ」
「……須美さんや。気がつかぬうちにどんどん図太さと遠慮のなさが増してますな……」
「もう家族のようなものなんだから遠慮することないでしょ?」
「え、それってどういう……」
「……そんなことよりもこれが最後。はい、お兄ちゃ……ん? ……っ!」
須美の一言の意味を聞こうとした銀の声を涼しげな表情の須美が遮って贈り物を続ける。
和やかに進んでいた和仁への贈り物。しかし最後の一つを渡そうとした須美の言葉は続かなかった。
何事かを見る和仁の視線を追って三人が動いてそれに気づき、同じように何も言えなくなる。
呆然とした表情で四人は空を見上げた。色とりどりの鮮やかな花火が暗くなった空を飾る。しかし一瞬で消えていくはずの儚い光は何故か一向に消えることがない。再生を一時停止したかのように花火はそのままでいつまでも在った。
「まさかよりによって今日来るなんて……」
「せっかく、最後のお楽しみだったに〜……」
「敵さん、ちっとも空気が読めないなー。まぁ、敵が空気を読んで来るのも変だけどさ」
「…………」
苦々しく須美たちは呟く。楽しいお祭りと誕生日。楽しい思い出を作って終わるだけのはずだった一日に余計な、非日常からの乱入者たちが登場した。
四国が神樹の力に包み込まれ、一瞬の光の後で世界は樹海の世界に置き換わり、戦いの場へと変化していた。
いち早く変身した勇者たちは来たる敵を待ち構える。
しかし先ほどから和仁が一言も発さない。
不思議に思った須美が振り向くとそこには恐怖に顔を歪ませた和仁がいた。
顔面を蒼白にして息を押し殺す。
先ほどから起動していたため、宮司システムがいち早く和仁に状況を報せていた。
そしてそれを知ったからこそ、和仁は表情を凍りつかせる。
樹海と外を繋ぐ大橋の先、人を滅ぼすべく人類の天敵、十二星座を模した敵、バーテックスは襲来した。十二星座を模しているからその数は合計十二体。
四月の初め、初めてのお役目で四人は力を合わせて、一体目の敵、水瓶座のバーテックスを撃破した。
しかしそんなものはただの威力偵察に過ぎなかった。約三百年ぶりとなる攻勢に対して敵を知るために行われた敵の初めの一手。
ならばこそ、人を滅ぼさんとする敵は前回の戦いから学び、敵を倒すべく立ち回る。
ならばこそ、残り十一体のバーテックスを使うのは滅ぼすための敵の行動としては当然のことだろう。
牡羊座、牡牛座、双子座、蟹座、獅子座、乙女座、天秤座、さそり座、射手座、山羊座、魚座。残り全ての十二星座がそこにいた。
人類を滅ぼさんがため、天より十一の絶望が降臨した。
という訳でお久しぶり、三ヶ月ぶりの樹海化です。
原作を読んでいて思ったのが天の神が真面目に人類を滅ぼす気があるのかずっと疑問でした。どちらかと言えば人類に試練を与えているような印象を作者は持っていたのでわかゆこ(鷲尾和仁は勇者を殺した)では真面目に取り組んでもらおうという寸法になります。
大雨で早く帰り、余裕ができたので急いで続きを旅行前に書いた所です。次回はおそらく、今度こそ来週。
ではまた次回。