射手座の放った矢は天の神の目論見通りに和仁を貫いた。
腹に大穴をあけ、血しぶきと臓物を傷口から吹き出しながら時々痙攣する。しかしこれは生理的な反応でしかない。生きているから起きるものではない。
当然だ。こんな状態で生きられる生き物など存在しない。
こぼれ出た血と臓物は次第に乾燥していく。温かみのあった鮮やかな命の色も次第に失われて腐った土の色に堕ちていく。
鷲尾和仁は確実に絶命しようとして、そして今死んだ。
でも目の前で和仁が生きているのか、死んでいるのか、それとも死にかけているのか判断のつかない銀はなんとか返事をさせようと、生きていると確かめようと和仁を力強く揺さぶる。
力の抜けた首が大きく揺さぶられ、中途半端に開いた口と焦点の定まらない瞳が生気のなさを悲痛にも銀に伝えていた。
瞳に映る事実が受け入れきれずに銀は眼に涙を溜めて、目の前の現実を否定しようと声を震わせる。
「なあ、おいって! 返事してよ和仁! みんなで生きて帰らなきゃいけないのに……、死んじゃダメだって!」
いくら声をかけても、いくら揺さぶっても答えは帰ってこない。
もう一度目を合わせ、声帯を震わせられるだけの命の輝きを持ってはいなかった。
「なあって、早く返事をしてよ。悪い冗談は辞めてよ……」
初めて見る人間の遺体、銀には死んでいるのかが分からない。土気色の顔はすぐにでも目を大きく開いて返事をしそうに見えて、しかしそれは銀がそうあって欲しいと望むから見えるだけでいくら待っても返事がくることはない。
死んだのだ、完膚なきまでに、もう戻ることのない命の終端を銀は見る。
そっと、上下しなくなった胸に手を当てる。
無音。
心臓は死に、脈を打たない。
握った手も冷たくなり、硬くなっていく。
それを理解して銀は何も言えない。
ただ目の前の友達が死んだ事実にうちのめされる。
「そんな、そんなのおかしいだろ……。まだこれから一緒にやりたいこととか、行きたい場所とかたくさんあったのに……」
そんな未来が奪われたという事実が重くのしかかる。
受け止めきれず、呆然と涙を流す。
しかし状況が銀に悲しむ猶予も与えない。
爆発音がした。破砕音がした。少女の悲鳴が聞こえた。
和仁を殺し、勇者たちの連携を絶ったバーテックスは神樹を、人間を滅ぼすべく侵攻を再開した。
連携の要たるシステムが落ち、先ほどまで行われていた和仁による支援の一切がなくなり須美と園子は対処が追いつかなくなる。
当然だ。敵は質も優った上で9体いる。それに対して今、前線に出ているのは須美と園子の二人だけ。
どうやっても勝ち目がないのは目に見えている。
それでも二人は諦めない。自分たちが諦めてしまえば、その時点で人類が終わってしまう。
しかし思い一つで強くなれるはずもなく、無情に敵は攻撃を繰り出す。
牡羊座の体当たりが、牡牛座の轟音が、蟹座と射手座の連携が、獅子座の火球が、乙女座の爆発弾が、天秤座の竜巻が、蠍座の尾が、山羊座の地震がまとめて二人を襲う。
もはや戦いにもならない。天災ともいうべき攻撃の激流に二人は逃げることを強いられる。
数の不利は戦力の差がけでなく、攻撃を挟む余裕すらも二人に与えない。
心の声による通信も使えず、二人は揃って逃げる。しかしそれにも限界がくる。
囲まれ、襲われ、攻撃が当たり始めた。
ついに攻撃が当たり、二人は吹き飛ばされる。
「きゃあ! そのっち無事?」
傷つき、須美は血を流す。
同じように吹き飛ばされ、擦り傷だらけになった園子は弱々しく槍を支えに立ち上げる。
「まだ大丈夫。でもどうしたらいいの? さっきからワニー先輩からの返事もないし、通信もできない。ミノさんも帰って来ないし……」
「だ、大丈夫よ。 きっと二人とも無事よ。きっと悪いことなんて起こらないわ……。だから私たちは二人が戻ってくるまで敵を引きつけましょう」
「そうだよね、それまで頑張らないとだね! 行こう、わっしー!」
二人の無事を信じて須美と園子はバーテックスに立ち向かっていく。防戦一方、逃げの一手を強いられようとまだ生きている。
生きている限り希望は絶たれず、可能性は常にある。
だから逆に言ってしまえば、死んでしまうことで人間の可能性は無くなる。
死人に口なし。死んでしまったら人間は何もできない。
銀は頬に触れていた手をそっと離した。
そっと和仁に触れて目を閉じる。
目を閉じた和仁は安らかな表情だった。
まるで眠っているようだと銀は思った。しかしもう起きることはない。
一時の眠りではなく、永遠の眠りに和仁はついた。
銀は和仁右手の薬指につけた宮司システムの指環を外して自身の手にあてがう。
ちょうど薬指がぴったりだった。
皮肉にも憧れていた婚約指輪をこのような形をすることになって、銀は苦笑する。
「こんな形じゃなかったら……。こんな形じゃなかったらきっと嬉しかったんだろうな……」
指輪をつけた薬指を包むように優しく握る。永遠を約束する証。しかしそれは既に死という絶対の終焉によって別たれてしまった。
地に膝をつく。最後だと思って和仁に触れる。
触れることで、まるで生きてるように見えても、命の温かみは失われている現実を教えられる。
守りたいと思っていたのに守れなかった。無力であった事実が銀から戦う意思を蝕んでいく。
でもここで諦めても、和仁は喜んでくれない。そう思って己を触れた手に力を込める。
「行ってくるよ。世界を、みんなを守らなきゃだもんな。和仁も守りたかったんだけどな……。終わったらまた戻ってきて直すから。
……だから、またね」
そう言う表情はどこまでも優しかった。好きだと言う気持ちを、もう手遅れになった言葉を冷たくなった彼に捧げる。
それでも思いに応える言葉は返ってこない。
名残惜しそうに頬に触れた手が離れる。立ち上がって和仁に背を向けて歩き出す。
視界にこぼれ落ちた血と臓物が映って顔をしかめる。
出来ることならまだ触れていたかった。こぼれ落ちた臓物を拾い上げてせめて綺麗な状態にしてあげたいと思った。後ろ髪をひく思いを振り切って足を前に出す。
敵は猶予を与えはくれない。今もきっと自分を待っている二人をこれ以上待たせるわけにもいかない。
「……あたしは勇者だから。勇者だから、みんなの敵を殺すんだ!」
鼓舞するように、恐ろしい敵に立ち向かう勇気を持てるように勢いをつけて銀は駆け出した。
死んだ和仁を後ろに置き去りにして銀は前に進み出した。
心を冷やす悲しみを押し殺そうと敵への殺意が心を占める。
そうすれば、今だけは悲しいのを我慢できた。
力を込めた跳躍が銀を前へ、前へと運んでいく。
人を超えた勇者の力、今はこれすらも鬱陶しく思う。これだけの力がありながら大切な人一人すら守れなかった後悔が銀をまた蝕んで、それでも立ち止まることは許されないから首を振って正面へ顔を向ける。
跳躍し続けて須美と園子を攻撃している蠍座が視界に入る。
歯ぎしりが鳴った。
「お前たちのせいで! お前たちさえいなければ和仁は死ななかったんだ! 」
近づいて込められるだけの力と悔しさと怒りをありったけ乗せて叩きつけた。
外殻を砕かれた蠍座は大きく仰け反って退く。
傷つきなんとか立っていた二人も前に銀は着地する。
二人に背を向けるように立ったため、須美は銀の表情が見えない。
それでも無事な姿を見て安堵する。
「あぁ、良かった。銀、無事だったのね。これにお兄ちゃんも加われば何とか敵を撃退出来るわ。……ねぇ銀、お兄ちゃんはどうしたの? 一緒じゃなかったの?」
「さっきからワニー先輩からの連絡がないの……。ミノさん何か知ってるの?」
須美と園子は不安そうに聞く。
銀が無事に戻ってきたにも関わらず、通信が回復していない事実が最悪を予感させる。
無言の銀は拳を握りこんで振り返って見せる。
顔が見えた。
泣きはらした顔、血に濡れた勇者装束。銀自身には大きな傷はない。それが彼女の血ではないことは見て取れる。
自分でも園子でもない。ならこの樹海において存在している人間は後、一人しかいない。
乾いた涙の跡と返り血を見てそれがどう言う意味を持つかなど言うまでもない。
「すまない、あたしがいたのに、あたしがいたのに……」
「そんな……」
うわごとのように銀は言葉を繰り返す。
その意味を察して須美と園子は唖然とする。どこかみんな無事で帰られると無邪気に信じていた。可能性は理解していたけれど、実際に仲間の死に直面したことで何も言えない。
無言が逡巡して、銀は覚悟を決めた。
薬指の指輪が輝く。
遠く、無人の宮司システムが一人でに起動を始める。
和仁を介さない起動、誰がやっているかは明らかだった。
銀が宮司システムを起動した。
宮司システムは和仁にしか起動できないものではない。適性さえあれば誰にでも起動はできる。しかし負担に耐えられるかは別。
起動した瞬間、銀はめまいに襲われた。ひどい頭痛、神樹と一体化し、感覚が四国全土に広がって、過多な情報が脳を焼いていく。
脳を焼く熱は薄い血管を破裂させる。眼球、鼻腔、汗腺、血の出やすい所から順に少量ずつ噴き出る。
倒れそうになるのを歯をくいしばって踏みとどまる。
「あたしのせいで和仁が死んだ……。だから! あたしが背負わなきゃいけないんだ!」
「待って、銀! 一人で戦わないで!」
罪悪感、後悔。負の感情が銀の背を押す。
自分が弱かったせいで誰かの命を失ってしまった。もう戻ることのない喪失を自分が招いてしまった事実があった。
だから生き残った自分は戦わなければならない。そうでなければ死んでしまった和仁の死が無意味なものになる。それだけは嫌だった。
戦うことが死なせてしまった贖罪になる。そう思って銀は手に持った斧に力を込めて舞う。
三人は跳ぶ。
正しくは一人突出した銀を追うように二人も跳んでいた。
全ての負担を銀が背負うことで宮司システムが復帰、三人は連携を取り戻した。
立ちふさがるように牡牛座が立ちはだかる。備え付けた鐘を鳴らして轟音をもって攻撃する。
巨大な音は質量となって襲う。故に銀は手に持った斧の片割れを投げた。
投げられた斧は回転しながら真直ぐに牡牛座に向かい、牡牛座の鐘を砕く。
投げた斧に追いついた銀は飛んできた勢いのまま斧を両手に持って振り下ろす。
「死ね! 死んで詫びろ! 消えろよぉ!」
純粋な憎悪が呪詛のなって口から漏れる。
もはや、平素の彼女ではない。殺意と憎悪を動力源にして三ノ輪銀はかける。
振り下ろされた斧は牡牛座を無残に砕いた。
しかしそれでも銀は止まらない。
「死ね、死ね、死ねぇ!」
執拗に動かなくなった牡牛座に斧を振り下ろす。
振り下ろした斧の動きが止まったのは自動的に発動した鎮花の儀によって牡牛座の姿が消えてからだった。
それでもまた斧を振り下ろそうとする銀を園子が羽交い締めにして止めた。
「落ち着いてよミノさん! どうしちゃったの?」
「一人で前に出たら危険よ。……そんな戦い方、お兄ちゃんだって許可しないわ」
「でも、でも……、あたしのせいで和仁が……、死んじゃったよぉ」
銀は俯いて嗚咽を漏らす。罪を懺悔するように親族である須美に和仁の死因が自分であることを告げる。
須美は一瞬呆然とする。兄が死んだこと。その原因が友人であったこと。
どう考えていいか分からず、考えて、そして結論を出す。
伸びた両手が銀の襟を掴見上げる。須美は睨むようにじっと銀を見る。
「良いこと、銀? お兄ちゃんが死んだのはあなたのせいかもしれない。でもそれであなたが死のうとするのを私は許さない」
「……え?」
許さないと告げられ、銀は須美を不安げに見返した。
変わらず銀を見ながら須美は続ける。
「お兄ちゃんが死んだのはあなたを守ろうとして起こったこと。なら守られたあなたが捨て身になってどうするの。もうあなたの命はあなただけのものじゃないのよ。あなたが今死んだらそれこそお兄ちゃんが死んだことを無意味にする。戦いなさい、そして生き残りなさい。そうじゃないと私はきっとあなたを許せなくなる」
「ミノさん……。ミノさんが辛いのも分かってるけど、わっしーや私も辛いんだよ? それなのにミノさんも死んじゃったら私、どうしたら良いか分からないんよ……」
純粋に心配そうで、今も大切な友達を失って泣きそうになっている園子が額を銀に当てる。
弱々しく当たるそれを通して、園子の震えを感じて銀は肩の力を抜いた。
「……ごめん、そうだよな。守ってもらったのに命を粗末にしたらダメだよな……」
園子は羽交い締めを解き、須美に並ぶ。
「……分ってくれれば良いのよ」
「みんなでワニー先輩を連れて帰らなきゃだね」
園子の言葉に銀はまださよならを言っていないことに気づいた。
銀が二人に並び頷きあう。生き残るために、もう一度さよならを言うために敵に立ち向かっていくことを決意する。
そして見上げ、顔を驚愕に染めた。
「なッ……、なんだよあれ……」
さらなる困難が立ちはだかろうとしていた。
残った八体のバーテックス。中央の獅子座が太陽のように熱を放ちながら輝く。その輝きが広がっていくと周囲にいた七体のバーテックスを捕食、吸収する。
同輩を喰らい、力を受け継ぎ、獅子座は膨張していく。変化が終わるとそこにいたのは太陽と見間違うほどの威圧感を放つ巨星。
同胞の力を使うのはお前たちだけではないと言うように仲間を吸収し、獅子座は人類を滅ぼす最後の仕上げに入る。
巨大な影を作りながら獅子座は神樹にとどめを刺すため、最後の侵攻を開始した。
敵を止めるため、人類を守るため勇者たちは飛び出した。
そしてあっさりと何の山場を迎えることもなくあっさりと勇者たちは倒された。
数えるのも馬鹿らしくなるほどの攻撃が雨あられと降り注ぐ。
倒れ、負担に内臓が傷ついて咳に混ざって血を吐く。
「カハァッ! ケホッ、……な、何で?」
「嘘……、あんなのどう対処しろって言うの……」
たとえ巨大な敵とはいえ、相手は一人。三人で囲えば有利にはならなくとも互角に持ち込めると思った。
しかし現実はそんな楽観的な予想を踏み潰していった。
融合した獅子座は取り込んだ七体のバーテックスの特性を打ち消しあうことなく行使した。
能力を共生させるだけでなく融合したことで出力それ自体も強化され、もはや人の手に負えない存在に到達してる。
バーテックス、それは頂点を意味する言葉。皮肉にも人間が武器とした仲間との絆、協調を持ってバーテックスは完成たる頂点へと到達した。
もやは人間には止められない。
攻撃を中断した獅子座は倒れて見上げるだけの三人を素通りし、神樹へ向かっていく。
敵とすら認識されていなかった。
悠然と獅子座は着実に神樹との距離を詰めていく。
その到達が意味するのは神樹の終わり、ひいては神樹に守られている人類の終わり。
繋がった宮司システムを通じて銀は時間の止まった四国を見る。
普段通りの生活を営む人々。明日が当然来るのだと思っていて、今にも人類が絶滅する危機にあることなど思ってもいない。
そんな当たり前。あって然るべき当たり前が今、なくなろうとしている。
それはあってはならないこと、明日がなることはあってはならない、なって欲しくない。
それは死んでしまったらもう見ることのない朝日のようで、死んでしまった和仁はもう見ることのない光だった。
最後に見た和仁の眠る表情を思い出す。安らかだった。銀を守れて、死んでしまうけど、けれど自分よりも大切な人を守れてよかったと寂しさを覚えながらも満足して果てた。
思い出して、また怒りが心を染めていく。守れなかった自分の不甲斐なさに対する怒り。
ふらついて今にも崩れてしまいそうな両足に力をこめる。
霞んだ瞳で敵を見上げる。圧倒的な敵、文字通り手も足も出ない強大な敵。
諦めそうになる。
——いいじゃないか、これだけ頑張ったんだ。
でもきっとその諦めは受け入れられない。
——どうして頑張って人間を守ってくれなかったんだ。
——うるせえよ、あたしらだって頑張ったんだ。でも敵が強すぎて、何枚も上手で、敵わなかったんだ。どうしようもないんだよ。諦めて死ねよ。
——…………
「そんな理由で諦められるわけがないだろ!」
弱音を吐く心の内に叱咤する。
敵が強い? 自分が弱い? 勝てる見込みがない?
それがどうした。
手も足も出ない? なら頭を使え、諦めるな。
負ければ何もかもが奪われる。それはダメだ。許せない。
——勝つのはあたしだ。
弱気な自分を焼き殺す。戻ることも振り返る必要もない。ただ前に進み勝利する。
故に勝利するのは自分なのだ。
何もかもを出し切っていないうちに戦うことから逃げてどうする。
諦めたから、途中で出しきらなかったから和仁は死んだんじゃないのか?
——嫌だ、嫌だ、嫌だ!
もう二度と何も失いたくない。二度と起こさない。そのためだったらいかなる犠牲をも払おう。
だから叫べ、絶叫しろ。赫怒の感情を礎に、もう何も奪われないために願い、手に入れろ。
勝利するための力を。
その意思が、必ず勝利するという激情が宮司システムを引き出す。より深く、より自身の輪郭を破壊するように銀は神樹に繋がっていく。
深く、深く一体化して、それを探り当てた。戦うための力、かつて切り札として扱われ、そして封印されたそれを。
一度見つけてしまえば繋がりは確立される。あとはあやふやなそれに明瞭な方向性を与えてやればそれでいい。
狂うように叫ぶ、求めるその名前を。
「来い、かずひとぉ!」
叫びに答えるように神樹が悲鳴にも似た脈動を鳴らす。
溢れ出た過剰な力は顕現というただの動作に破壊力を与えた。
吹き荒ぶ神通力は大気を軋ませ、不快な音をかき鳴らす。
空間を歪ませるほどの重圧はただいるだけで周囲に緊張感を与える。
明らかな異常事態に悠然とした態度だった獅子座は現れたそれが何かをする前に消してしまおうと攻撃を仕掛けた。
三人の勇者たちを一瞬で倒した打ち消し合わない融合した8体のバーテックスによる同時攻撃、しかしそれは何の結果も残さずに終わった。
銀に寄り添うように現れたそれはただ手をかざし、二人を包み込むように光の膜が出現した。天災と表現すべき攻撃の一切は膜に触れると存在が初めからなかったように霧散した。
そして攻撃が終わり、手を下ろす。
それはかつての西暦の時代において勇者たちの用いた力だった。神樹の中に情報として保存された概念を固定化して武器として使われたその名前は精霊。
神樹の中にある概念情報とはすなわちかつて人々が畏れ、敬い、信仰してきた存在すべてが該当する。神樹が数多くの神々の集合体として顕現したが故の特性であった。
乃木若葉が源義経と大天狗という精霊を用いたように三ノ輪銀は神稚児という信仰対象を和仁という枠を与えて自身の精霊として顕現させた。
勇者が召喚した精霊はその特性による力を勇者に与える。源義経であれば高速の剣技、烏天狗であれば翼と天上界を一夜で滅ぼした破壊力。
そして神稚児の特性とは生贄であること、願われること。
両手を下ろした神稚児はそっと後ろから銀を抱擁する。銀の望み通り、精霊である神稚児は動く。銀に与えられたのは生贄になるという特性、生贄とはすなわち何かに捧げられる存在。信仰のために捧げられる存在。
「贄を承認。昇華はここに成された。汝の願いは聞き入られた」
感情を一切排除した機械のような声で和仁の皮を被ったそれは確かに和仁の声で宣誓の祝福を述べ上げた。
そしてこの場において最も信仰されていたのは勝利という結果ただ一点。勝利するのはあたしという銀の感情に従い、銀は己自身に己を捧げた。
そして花が開く。鎮花の儀によって花降るはずの色とりどりの花弁は牡丹一色に置き換わる。命という水を吸い上げて赤い花を花開かせて散らせる。
「もう、何も奪わせない。例え、あたしがどうなろうとも、お前たちには一歩も先に行かせない。勝つのはあたしだ」
後に満開と呼ばれるそれは今この時を持って初めて発動した。
ただ横で見ているしかなかった須美と園子はその輝きに薄暗い不安を覚えた。まるで死装束のような満開の衣装を見て、銀の放つ輝きはそれこそ命と魂を燃やして燃え上がる鬼火のようだった。
次世代の勇者システムの根幹を成すそれは命を焼き捨てながら燃えるように産声をあげた。
本当の地獄の入り口はここに姿を現した。
なぜなら絶望とはただ失う現実から来るものではなく、希望という灯火が消える時にこそ見出されるものだから。
忙しすぎて思った以上に遅くなってしまった。
というわけで満開と精霊バリア実装です。
原作ってよく考えたらどこから満開と精霊のリソース持ってきたか分からないよね。ということで作者なりの理由づけで実装されました。
事後処理的な数話でわかゆこは終わりになります。
というわけで待ってて次回。