犬吠埼樹はワニー先輩のギターを弾く   作:加賀崎 美咲

14 / 32
さよなら

 煌々と太陽のように輝き始めた獅子座は四国ごと神樹を燃やさんと襲いかかる。

 しかしその一種の神聖さすら備えた光輝は無情に、容易く、正面より飛来した更なる輝きに打ち消される。

「それだけか、たったそれ如きであたし達から奪ったのかぁー! もうなにも奪わせない、お前たち化け物なんかにないも奪わせない!」

 赫怒の闘志を燃やして銀は輝きと共に現れた巨大な腕を用いて獅子座を掴んで離さない。

 強大であるはずの獅子座の力、通常であれば勇者が何人で束になろうとも叶わないはずのそれに拮抗し、徐々に押し返していく。

 それを成すは三ノ輪銀。今、神稚児を精霊として己の身に降ろし、勝つための逆襲を始めた白い勇者。

 神稚児の特性は二つ。『生贄』であること。『願われ、それを叶える』こと。

 その性質に影響され、神樹の力によって編まれていた勇者の装束に変化を与える。

 赤と黒の牡丹を思わせるそれは今や死装束そのものである純白の着物へと変わり、背には神聖を示す後光を象った装飾が浮いていた。

 明らかに異質な力。明らかに神樹由来ではないそれを銀は纏う。

 銀に連れ添うように背後に出現した精霊『神稚児』は瞳を閉じ、両手を広げ、呪禁の詩を奏でる。

 それは自身に勝利を、奪われないことを願った銀への詩。歌うは祝福を込めた呪詛。当然である。いつだって生贄とは呪術の礎なのだから、奏でられるのは呪いの歌こそふさわしい。

 美しい歌声に呼応して銀の纏う力が増していく。

 本来であれば精霊の力とは使用者を蝕むものだ。心身を蝕み、汚していく。

 分かりやすいところで心の中に住まう負の感情を増幅させていく。過去においてはそれが原因で勇者同士が傷つけ合うことすらあった。

 しかし『神稚児』を御する銀にその方面での影響は存在しない。何故なら『神稚児』が側にいるから。

 湧き出た負の感情とは元を正せば小さな不満。誰だって小さな不満を持っているものだ。何かが上手くいかなかった、思うようにならなかった。そんな些細な有り触れた小さなきっかけ。それを精霊の特性は増幅させて負の感情に変換していく。

 しかし寄り添う『神稚児』がそれを許さない。例えどれほど小さな不満であろうとも神稚児はそれを叶える。願われ、叶えるのが神稚児の在り方だ。

 精霊の特性と神稚児の在り方が組み合わさる。精霊を降ろすことで生まれる増幅された負の感情、燃料に願いを叶えていくことでより力を増していく。

 願えば願うほど神稚児は力を振るう。負の感情は激しく燃える蝋燭のように消えていく。

 後に残るのは純粋な闘志のみ。力を望めば望むほどに自身の身体を贄に相応しいものに作り変えながら力を際限なく増していく。

 言ってしまえば神稚児の特性が精霊の負の側面を打ち消していく。

 当然、良い面ばかりではない。物事とは天秤のように常に反対の方向からの負担をかけられるだから、何にでも反作用というものがある。

 この場合、それは闘志に満ち満ちていくこと。人の欲には際限がないことが合わさり、その身を人でない何かに置き換えながら出せる力を増していく。

 そうした変化は銀の人間らしさを奪っていく。心には限りがある。それが全て、文字通り全てが闘志に置き換えられていく。

 最早銀の瞳には敵である獅子座しか写っていない。心の声が叫ぶ。敵を倒せと止めどなく心の中で絶叫が響き渡る。

 尽きることのないその衝動に任せて銀は獅子座を潰すために駆けていく。

「銀……」

「ミノさん……」

 後ろで見ているしか出来なかった須美と園子は飛び去っていく銀を見送る。銀の放つ輝き、絢爛な輝きに二人は薄ら寒いものを感じた。

 銀の放つ赤い輝き。それは夜空に浮かんだ赤い月、流れ出た血を連想させる。

 人の奥底にあるものを燃料にして放たれた輝きは本能的な不安を誘う。

「どこへ行こうと言うの、銀……? ダメよ、戻ってきて!」

 手を伸ばすように呟いた声は誰にも届かずに儚く消えた。

 具現化された精霊、『神稚児』は変わらぬ表情のまま眼前で戦う勇者を見つめながら、途切れずに呪禁の詩を奏でる。

 契約した勇者との霊的な繋がりから願いを受信し続ける。

 ——…………もっと力を。

 ——承引。契約者の両足を贄に最適化のため変換。願望を実現。

 ——……もっと力を。

 ——承引。契約者の両腕を贄に最適化のため変換。願望を実現。

 ——もっと力を!

 ——承引。契約者の内臓機能を贄に最適化のため変換。願望を実現。

『神稚児』の特性が連続して行使される。その度に銀の体は生贄として最適化され、自分自身を贄にして願ったことが叶えられていく。贄にされた部位は動かなくなる。

 当然である。贄に捧げられたのだから、もうそこは己に帰属しないものになったのだ。銀が銀自身に贄を捧げることによって身体の所有権が消失していく。所有していないものは自分の一部として物理的に繋がっているとしても霊的には絶たれ、同時に感覚も無くなっていく。

 戦って、戦って、戦って。劣勢であったのが嘘のように銀は獅子座を圧倒していた。

 幸いなことに銀が願ったのは戦う力。その本質は敵を倒し勝利すること。操作を失った部位は銀の意思を反映して自動的に戦うように動く。少なくとも戦っている間においては捧げられた部位は敵と戦ってくれる。

 それは同時に戦いが終わった瞬間に贄に捧げた部位が動かなくなることを意味していた。

 銀は戦いながら闘志に顔に歪ませて、それと同時に涙を流していた。

 体を失う恐怖からではない。それは失ったことへの悲嘆。

 勝利へ確かに一歩ずつ前進して闘志に満ち溢れながらも、それでも銀の心は僅かな、それでいて確かな嘆きが滴っていた。

「もっと早くこの力に目覚めていれば和仁は死ななかったのか……?」

 もう力においては 追い抜いてしまった獅子座を難なく、圧倒しながら思う。

 もう不可逆な、取り戻すことのできない大切な人の喪失に涙を流す。

 巨大な腕で獅子座を殴りつける。殴られた獅子座は身体を粉砕されながら後退していく。獅子座の欠けた破片が飛んで小さく切り傷をつける。しかしもう自分の一部でなくなった部位からは痛みが伝わらなくなっていた。自分の体が着実におかしくなっていることに恐怖を覚える。生きたまま何か別のものに変化する恐怖。しかしそれとは違う理由で涙が溢れる。

 銀はもう戻らない自分の身体という恐怖からの痛みよりも、他の誰かの喪失の痛みに泣く少女だった。

 そういう少女だったから彼女は勇者へと選ばれたのかもしれない。そういう少女だったから和仁は惹かれた。そしてそういう二人だったから運命はこうして決した。

 鷲尾和仁の犠牲を礎にして神すらも打ち砕く力を手にした。しかしどれだけ強力な力で勝利しようとも和仁の死がなかったことにはならない。もう和仁が笑うことも、その声を聞くこともないのだ。思ってしまう、そうしたらもう止められる道理などあるはずもない。

 ——会いたい、会いたいよ。抱きしめて好きだと言ってこの気持ちを伝えたい。

 もう届けることのできない言葉を伝えたい。()()()()()()

 ——承引。契約者の■■■■を贄に最適化のため変換。願望を実現。

 変わらず平坦で感情のこもらない声で『神稚児』はこともなさげに承諾した。

 その声を聞いて背筋に怖気が走る。気づけば願ったことを後悔していた。

「ダメだ! そんなことしちゃいけない、やめろぉ!」

 行かせまいと手を伸ばそうとするが戦うことと関係のないことに身体は動こうとしない。彼女の両腕はもう彼女のものではないのだから。望んだ通り敵を滅ぼすために体が動く。

『神稚児』は願いを叶える。対価さえ用意できれば、この精霊は願いを際限無く叶える。そこに神稚児の意思や感情は介在しない。何故ならば願われ、叶えることが神稚児の在り方なのだから。

 銀に変わらず力を与えるために寄り添っていた『神稚児』が姿を消した。

 次の瞬間には神樹のすぐそばで果てていた和仁の側に『神稚児』が現れる。

『神稚児』は自分と同じ顔をした和仁を見る。

 安らかな死相で眠り、腹には変わらず大穴が空き、周囲にはこぼれ落ちた内臓と血液が散乱していた。生き絶え、自ら動くことはもうないことは明らかだった。。

 ——現状を認識。不足部品を補い、再稼働を促進する。

 見下ろした『神稚児』はこともなさげに自身の両の五指を胸骨に指を差し込む。

 精霊でありながら差し込んだ隙間から血が溢れ出す。

 痛みを感じないのか無表情を変えず、そのまま胸骨を腕力を用いて開いた。精霊でありながら本物の人間のように内臓が中身としてあった。胸骨が開かれ、そのまま服を破り、股下まで自身の体を裂いていく。

 晒された臓器や噴き出た血が重力に従い流れ出て、それを死体である和仁が受け止める。

 まるで空いた穴を塞ぐようにして人体の内容物が欠けた部分を穴埋めしていく。

 最後に『神稚児』が手をかざしすとこぼれ落ちた精霊の内臓がひとりでに動き出し、肉の蠢く不気味な音をたてる。

 肉の砕ける音、何かが蠢く音を鳴らしながら和仁の遺体が痙攣して、そしてまた動かなくなった。見た目だけは無傷な状態に変わる。大きく開いた胴の穴も綺麗に塞がっていた。

 それを見届けてから『神稚児』は姿を朧げに煌めく粒子に変え、その場に残った粒子が和仁の中に消えていった。

 少しの間をあけて、死んでいる和仁の身体が大きく跳ねた。

 死人特有の蒼白だった肌は変わらず、そのまま和仁は目を開いた。

「……、あれ? ここは……」

 気がつき、硬くなった体を無理に動かしながら起きる。

「……なに、……これ」

 覚醒してまず目に入ったものに思わず息を飲む。

 周囲に散らばった臓器と血を見て青ざめる。

 もしかして自分は銀を守れなかったのか。

 不安が沸き起こった。すぐに周囲を見渡す。

 しかし周りには誰もいない。銀はいなかった。そこにいるのは何故か上半身の神官服が跡形もなく破れた自分と周囲の夥しい量の血を臓物ばかりだった。

 冷静な思考が疑問点をまとめる。

 何故銀をかばったはず自分が生きているのか。失敗したのだとしたら銀はどこへ行ったのか。確かに自分は銀をかばって体に大穴を開けたはず。そこからの記憶は一切存在していない。

 なにが起きているのか分からず、傷ひとつない自分の体を確かめるように触る。そして違和感に気づく。

「……どうして心臓が動いていない? それなの僕は生きてる?」

 何度確かめてもあるはずの心臓の脈が感じられない。脈がないのにどうして自分が生きているのか分からない。

 ゾッと正体不明の寒気が背筋を伝う。あまりにも理屈に合わない状況を前にした和仁の精神は状況を理解できない不安に押しつぶされそうになる。

 不安に押しつぶされて動けないでいると自分を何かが呼んでいる気がした。正しくは自分の中から手が伸びて何処かを指し示すような奇妙な感覚。押されるように動こうとして足を動かしたその瞬間に周囲の景色が変わった。

 空中に浮いている。

 自分の意思とは関係なく身体が勝手に動く。自分の身体が着ぐるみのようになった感覚、連続する意味不明な状況のせいで動揺しそうになって、それよりも眼前の光景に目を見開く。

 後ろ姿だった。勇者システムに関わった和仁が見たこともない装束に身を包んだ銀が最後に見た時よりも巨大化して圧倒的な存在感を放つようになった獅子座を相手に優位に立って戦っていた。

 口が勝手に開き、喉が呪禁を詩として奏でる。和仁はこれを知っている。

 持禁と呼ばれる身を清めることで病気の原因とされる邪気を退ける呪法の一種。それを起こすための呪いの祝詞。

 和仁の意思とは関係なくその祝詞を歌い上げられる。

 何かがまずい。状況が急に変わりすぎてなにが起きているのか正確には判断できていない。だが明らかに銀へと向けて自らが奏でているこの詩がまともなものには感じられない。

 ——なんとか止めないと、でもどうやって?

 心の中で呟こうとも状況は変わらない。

 巨星と化した獅子座、それを真っ向から圧倒する見たこともない装束に着替えた銀、銀へと向かい呪いの祝詞を歌う自分自身。

 身体は言うことを聞かず、ただ見ているしかできない。

 歌い続けることで冷静になりあることに気づく。使っていないはずの宮司システムが稼働している。冷静になったことで微細だった目の前にいる銀の感情が伝わってくる。

 ——敵を倒すんだ。もう何も奪わせたりはしない。生かしておけない、

 憎々しげな声色で伝わってくるのは明確なまでの殺意。

 思わず耳を塞ごうとして身体の自由が効かないことを思い出す。

 ——やめてよ、そんなの銀ちゃんらしくないよ。君が戦ってたのは敵を滅ぼすためなんかじゃなかったはずなのに。

 聞きたくなかった。あまりにも彼女らしくない言葉と声色に込み上げてくる感情。それは否定。

 もう見ていられない。

 戦うほど、強くなっていくほど、彼女らしさが失われていく。自分が強く惹かれたあの暖かな優しさが、それしかいらないと言わんばかりに己の身すら焦がす赫怒の憎悪に塗り替えられていく。

 銀の身体が操る巨大な腕が同じように巨大な戦斧を呼び出し掴む。明らかな殺意を纏ったそれを認識して獅子座は避けるために大きく後ろに回避しようと試みる。

 しかしそんな獅子座の行動は成し遂げられなかった、増設された巨大な腕が獅子座を掴む。二対、合計四本の腕がそれぞれ獅子座を掴み、戦斧を握りしめる。摩天楼と見間違えるばかりの巨大な斧が処刑人の刃のように振り下ろされた。

 腕の比類なき腕力、斧の圧倒的重量が暴力となって発揮される。まるで大地を砕くような音を立てながら鋭い刃が獅子座を切り進んでいく。

 もはや戦う敵として役不足となった獅子座は抵抗をすることすら許されず、振り下ろされた斧に破壊される。

 心のないバーテックスである獅子座は焦ることなく消滅の瞬間にこれ以上戦っても勝つのは不可能だと判断する。自身の半壊した核を暴走させ、余剰のエネルギーを用いて自爆を決行する。

 半壊しているため本来の数十分の威力に満たなくともただ消滅させられるよりはいいと瞬時に暴走を開始して、そうなった。

 最低でも四国の2割を焼き払える熱量の奔流がその場にいる銀と和仁を飲み込もうと襲いかかる。

 まずいと銀は降りてくる熱を見上げながら焦る。戦いが先ほどの獅子座の自爆で終わったのだと判断されたのか、もう身体が動かない。

 勝利したはずなのに、このままでは守ろうとした四国を焼き滅ぼされてしまう。

 もう一度動くことを願おうとして一瞬止まる。

 本能で気がついた。

 次はもう無い。

 それがどういう意味なのかは分からない。だが自身の直感が、生まれてきて今日まで使ってきた身体と心が告げている。もう次は無いのだと。

 ——それでもやるしかないんだ

 そう心の中で言って、己を後押しする。

 ——私は……

 ——大丈夫だよ、銀ちゃん。ぼくがここにいる

 願おうとして、呼び止められた。

 薄い光の膜が落ちてくる熱量を受け止めるように広がっていく。

 目に入ったのは目を閉じて歌い続けながら両腕だけは空に向かって広げる和仁。

 光の膜、バリアが広がっていき、巨大な熱量を正面から受け止める。バリアに触れたところから熱は消滅していき、迫っていた熱量は跡形もなく後に残っていたのは銀と和仁の二人だけ。

 戦いが終わり、二人は静かに地に降りていく。

「……銀ちゃ、って危ない!」

 大地に立って、急にバランスを崩した銀を和仁が正面から受け止めた。力なく銀が和仁に寄りかかり、顎を肩に乗せる。

「……もう、銀ちゃんはそそっかしいね。早く帰って病院にいこう。そしてどこか悪くなってないかちゃんと見てもらおう? ……銀ちゃん?」

 銀を受け止め、ホッとした和仁が安らか笑う。

 しかしいくら待っても銀からの返事がない。

 そして気づく、受け止めた銀がおかしいくらいに冷たい。そっと腕に触る。ざらりと土を撫でたような感触だった。驚いて触れた手を見る。どこからか来た土がべったりと手についている。

 否、出所は明らかだった。触った銀の腕、それ自体から土が付着した。瑞々しいはずの肉はところどころ乾いた土に変質している。腕だけではない。目につく場所全てが同じように変質している。

「なにこれ……、どうしちゃったの銀ちゃん……?」

 明らかな異常事態にうろたえる。返事はない。じっと和仁は瞳を不安に揺らしながら銀の返事を待つ。

 永遠とも思えるような沈黙の後、困ったような声を銀は出した。

「あぁ……、そうだよなぁ。まだ変わり切らないのはそういうことだよな……」

 どこか納得の言った様子で銀は呟く。その声は遠くどこかに行ってしまいそうで、どうしていいか分からない和仁が銀を強く抱きしめる。

 観念したように銀が語りはじめた。

「昔の勇者たちが使ってた精霊ってやつの力をつかって敵をやっつけたんだ。……それであたしが呼び出せたのは神稚児って名前の精霊だった」

「神稚児……、僕のこと?」

「うーん、多分だけど今生きてるあたしらが、大赦が信仰してる和仁が元になってるんだろうな。あたしが縁になって呼び出せたみたい。そいつの力を使って敵を倒せたんだ」

「銀ちゃんがそうなったのは僕のせいってこと?」

 不安げに和仁が問いかける。身体が土に変わる。明らかに身体に害のあるそれを見て無事だとは到底思えなかった。

 寄りかかったまま銀は苦笑する。

「和仁のせいじゃないよ、誰も悪くなんかない。ただみんな和仁に願ったから、和仁が叶えようとしたから、そういう在り方が精霊の神稚児を産んじまっただけなんだ。だから誰も悪くないんだ」

 和仁をかばうように銀は言う。納得のいかない和仁が言葉を続けようとする。

「でも銀ちゃんが……」

「これはあたしの自業自得だ。あたしが望んで神稚児がそれに応えた。だから和仁が謝るようなことはないもない。ただ、あたしが願ったんだ。もう一度和仁に会いたいって、もう一度会って思ってることを全部伝えたいって願ったんだ。……でも、もう言えなくなった……」

 銀が願ったのはもう一度和仁に会うこと。そして己の胸の中にあるこの暖かい感情を伝えること。

 死体のまま動き出した和仁に思いを伝えてしまえばその時点で神稚児の力は終わってしまう。和仁が本来あるべき死に戻ってしまう。

 だからもう思いは伝えられない。例えどれだけ思っていてもこの心は言葉にできない。

 切なそうな、寂しそうな声色で喉を震わせる。

「もう一度会って、言いたいことがあったんだ。でもそれを言ったら和仁を動かしてる精霊の力がなくなっちゃう。だからもうこれは言えない……」

「それって……」

 和仁の言葉が遮られる。

「だめなんだ。もう言葉にできないんだ。……あぁ、くそっ! なんだよあれ……、まだ倒し足りないって言いたいのかよ」

 悔しそうに銀は和仁の背後を睨みつける。銀の行動に気づいた和仁も同じように背後を振り返り、そして目を見開く。獅子座の熱量、それは神稚児の作り出したバリアによって二人と四国を害することはなかった。

 しかしその逆方向、獅子座側はバリアの防御の範囲外だった。

 そこにあったのは四国と外を隔てる神樹の結界。それが大きく損なわれていた。開いた穴から向こう側、赤黒い灼熱の世界が見える。

 しかし今はそれどころではない。開いた穴を通って無数に侵入者が現れる。それは星屑と呼ばれる十二星座のバーテックスの下位互換の尖兵たち。一体、一体は大した戦力にならない。しかしやって来たのは数えるのも馬鹿らしくなるほどの大群。

 もうあれと戦える戦力は人類側にはいなかった。須美と園子は獅子座に攻撃に倒れ、動けず、銀は捧げてしまった身体の部位が動かなくなっている。

 万事休すと言わざるを得ない状況。

 完全に詰んだ。もう見ていることしかできない。

 ふぅ、と銀は息を吐いた。覚悟を決める。

「——神稚児頼む。やってくれ」

 ……あたしの大事なものを守ってくれ。和仁の生きる未来を守ってくれよ

「——承引。変換可能な部位が存在しないため契約者を贄に。願望を実現」

 和仁の口は本人の意思と関係なく動く。和仁を動かしている精霊『神稚児』がその特性を発揮する。

 身体が和仁の意思とは関係なく動く。止めようと思っても自由が効かない。

 抱きしめていた腕を離し、もう捧げられる部位がないために三ノ輪銀という存在を贄にその願いを叶える。贄として最適化された肉体の全てが贄として消費される。

 土になりかけていた身体は完全に土に変わり、崩れていく。

 目の前で大切な人が土になって崩れていく。それを行なったのは自身の両腕。

「銀ちゃん!」

 いつの間にか腕を動かせていた。

 連れ戻そうと手を伸ばして掴もうとする。手に触れた。触れた手はすでに土に変わり、手の中に土の塊が残るだけ。何も取り戻せなかった。

 目の前で銀は土となって崩れていく。

 人の肌の色ではなくなったところから小さな芽が顔を出す。

 次々と開いていき赤い牡丹の花を咲かせていく。それが何度も続いて少しづつ銀の身体を覆っていく。

「やめて……、いなくならないでよ銀ちゃん……」

 呼び止めようとも花は咲いていく。笑うように表情を崩した銀が何かを言おうとする。しかし声帯はすでに土へと変わり、言葉を紡ぐことはない。

 もう目の前の彼女は人の輪郭を失っているのだと理解してしまう。

 いなくならないでと願い腕を伸ばす。崩れつつある身体を抱きしめ、それを最後に崩れ去った。

 朽ちた肉は細かい土となって辺りに広がり散った。咲いた牡丹の華は木の葉のように舞う。

 優しかった手のぬくもりは物言わぬ土に、清く織り成された記憶は儚い華となって散る。

「……あぁ、あぁ……。あああぁ!」

 抱いた腕の中で大切な人が砕けた。その現実に直面し言葉を失う。

 息遣いが言葉以下の風切り音をぎこちなく鳴らす。

 もう、どうしようもない。散っていく牡丹に手を伸ばして、しかし風に乗って遠くへ離れていく。

 そして変化があった。

 樹海が震える。振動と共に暖かな光が樹海を満たす。突如起きた変化、しかしそれに和仁は不安を持たない。見て理解する。これは銀の輝き、見間違えるはずもない優しい彼女の暖かさの象徴。理屈や理論などを通り越して直感がそう告げる。

 地響きと共に溢れ始めた光が侵入して来た星屑たちを追い返していく。物体に触れる光という矛盾した現象は四国にいるバーテックスを押し出し、それを終えると四国の結界と外の境界にとどまり、穿たれた結界と同化していく。

 赤い花弁が舞い始める。舞い落ちて来た花弁は結界に触れると溶けてなくなり、その度に結界は修復され、より厚くより強固に生まれ変わっていく。

 なおも結界の外では星屑たちが攻め込もうと結界に食らいつく。しかしどれだけ試みようとも結界はそれを拒み追い払う。

 かつて西暦の時代。高嶋友奈がその最期に起こした奇跡を人の願い、そして人の願いから生まれた神稚児が再現する。

 長い目で見ればこの奇跡もただの時間稼ぎにしかならないのかもしれない。しかし、確かにこの瞬間。戦いが終わった。

 赤い牡丹の華が舞う幻想的な樹海の景気を見上げて、涙を流す。

 結局守れなかった。心に浮かんだ言葉が現状を表していた。

 守るために宮司になった——しかし結果はどうだ。

 守ったはずの勇者が最後に自身を生贄にして自分を生ける屍として取り戻し、本人は砕けて消えた。守られるはずの勇者に守られた。

 何のために宮司なったのだ。何のために自分は生きているのだ。守られて犠牲にしてのうのうと自分だけ生きている。

「何なんだこれは……。僕は一体何のために……。これじゃあ、僕が殺したのと同じじゃないか!」

 力が足りず無意味に死に、その果てで庇われた。

 自分のせいで銀が死んだ。その言葉が和仁の心を殺す。

 罪悪感が自然と手を動かす。薬指にはめた宮司システム、本来であればその位置にある指輪は祝福を意味するはずだ。しかし今はそれは呪いの象徴ともいうべき意味を有していた。

 心臓が止まり、腐敗が始まろうとしている身体を維持し、動かしている精霊『神稚児』を和仁に繋げる縁だった。それを外せば和仁と精霊の繋がりが断ち切れることを意味している。

 衝動的に指輪を掴む、抜けば死ぬとわかっていても込める力は一切緩ませず、引き抜こうとする。

 ——そんな風に自分を責めないで

 声が聞こえた。もう聞くことができないはずの声。

 驚いて指輪を掴んだままの姿勢で固まる。耳を通して聞こえたものではない。

 聞いてすぐに理解する。宮司システムを通して聞こえる心の声。

 ——せっかく守れたのに自分から死のうとしないで

 これは会話ではない。ただの残り香。銀が確かにいた残留思念。戦いが終わり今になって和仁に届いた銀の最期の意思。

 ——和仁の生きる明日を守るんだ。そのためだったらあたしはどうなってもいい。和仁の未来にあたしが居なくてもいい。

「ダメだよ銀ちゃん……。僕だけが生き残ったって君がいなきゃだめなのに……、一緒に居たかっただけなのにどうして、どうして……」

 精根尽き果て膝から崩れる。答えなど帰ってこない。一人を犠牲にして生き残った。その結果だけが残った。

 ——好きだよ、和仁。お前のためだったらなんだってしてやれる。なんだってできる気がする。だからもしここであたしが終わるのだとしても悔いはない。

「やめて……、やめてよ」

 残留した言葉は止まらない。システム上に残ったノイズのようなそれはただ記録された言葉を流して、紡がれた言葉は失われていく。

 ——あぁ、でも。もしこれが最期になっちゃうんだったら、笑って別れたいな。さよならの時くらい微笑んでいたい。最期に見るものは一番好きな物がいいな。

 ——泣くなよ、和仁。大丈夫、きっとこの声が聞こえなくても、思いだけは無くならないから。届かなくても、いつまでも想ってる。

 そして途切れた。もう声は聞こえない。完全に銀がこの世に生きていた証が失われ、永遠に失われたのだと分かる。

 もうどうしていいのか分からない。

 命を懸けて救われた命。

 力を込めていた手を離し、だらしなく放り投げる。ここで死ぬことは銀の献身を無為にする。だから死ねない。死にたくない。

 無力感ばかりが残って、立ち上がる理由もなくなり倒れて、動かなくなって、そのまま意識を闇に手放した。

「……心だけは一緒だから。どうか幸せになって」

 最期にそんな幻聴が聞こえた気がした。




というわけでわすゆ編の山場となる銀ちゃん退場これにて完結。次回わすゆ編最終話です。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。