犬吠埼樹はワニー先輩のギターを弾く   作:加賀崎 美咲

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おしまい

 寒々とした雨が降りしきる日。三ノ輪銀の告別式が執り行われていた。

 大赦に関わる家々は揃って参加し、幼い命が失われたという事実と共有する。

 神官服に着替えた和仁は複数の神官を連れて廊下を歩く。その表情は無の色に引きつっていた。

「いやはや、この度はお悔やみ申し上げます」

 その言葉を聞いて足を止めた。そこは参列者を集めた部屋だった。涙もろい人たちはすでに啜り泣き始め、そうでないものも悲痛に顔を曇らせている。

 言葉を発したのは参列者の一人。受け取っていたのは銀の母。隣にはまだ幼い金太郎がベビーカーに乗っておもちゃで遊んでいた。

 涙でまぶたを腫らした銀の母に男性が言葉を続ける。

「しかし、私は銀ちゃんが神樹様のお役目で殉職したことを誇らしい。銀ちゃんも親孝行が出来て良かったと持っていることだろう」

「……えぇ、そうでしょうね。銀は立派にお役目を果たしたんですよね……」

 それっきり銀の母は唇を噛んで黙ってしまう。

 見ていてあまり愉快なものではなかった。しかし男性の言葉に和仁は何も言えない。なぜなら、男性の言った言葉はは大赦の公式の見解と同じだから。和仁がそれを否定するような言葉を言うわけにもいかなかった。

 無力感に苛まれているうちにふと、和仁は視線を感じた。向けられた視線に振り向くと喪服に袖を通した鉄男と目が合う。無気力そうな瞳でじっと和仁を見ていた。

 鉄男は何を言うでもなくただ少しも視線をずらさずに見ていた。

 じっと見られることを苦に思った和仁は会釈して向き直り、廊下を進んだ。

 参加者が全員会場へと集い、告別式が始まった。

 壇上の中央に和仁が立つ。用意された紙を開き書かれた文章を読み上げる。

「……これより三ノ輪銀様の告別式を執り行います」

 表情は無。眉ひとつ動かずに淡々と続ける。

 宮司である和仁が告別式の中心となるのは自然なことだった。

 選ばれた神樹の稚児であり、お役目を果たす者の一人である和仁が執り行うこと、それ自体がこの式に箔をつける。それこそが勇者の告別式には相応しいとの判断だった。

「本日ここに哀悼の意を捧げます」

 戦いから二日後、和仁は皮肉なことに生き残った三人の中で最も問題なく動ける状態でいた。しかしそれは無事という意味では無い。

 戦いが終わってすぐの和仁の状態は脈拍ゼロ、脳波ゼロ。生物的には死んでいると言う他にない。

 しかし現に和仁は動いていた。心臓が動いていなくても、体は生きていた時と同じように動いていた。

 神稚児の再生能力によって見た目だけは生きている人間と変わりない。

 異常は他にもある。レントゲンを撮ってみれば内臓の位置はぐちゃぐちゃ、そもそも繋がってすらいない。しかし食事を取れば問題なく栄養を摂取でき、排泄も通常と同じようにできていた。

 ひとえに和仁の中で同化するように融合した精霊『神稚児』が和仁を生かしていた。

「今、私たちは深い悲しみの内に勇者様にお別れを告げようとしています」

 見下ろす。目の前にあるのは本来であれば遺体が収められる棺。

 色鮮やかな花で遺体を飾るはずのそれは、今は花束の様だった。飾り立てられるはずの遺体がないのだ。遺体の代わりに収められているのは三ノ輪銀だった土が入った小さな箱。

 遺体すら残らない無残な死にように和仁はどういう表情をしていいのか分からなかった。

 する必要のない呼吸を条件反射的に行いながら脈のない身体であることを感じる度に、自分が銀に生かされているのだという事実を突き付けられる。

「……————」

 紙に書かれた祝辞を述べ続ける。

 庇おうとして、助けられて、そして今はこうして彼女への別れの言葉を述べている。

 自分がしたかったことは、こんなことをするために宮司になったのだろうか。否、断じて否だ。

 ただ守りたかったはずなのに、ただ生かされた事実が何よりも心を抉る。

 参列者に目を配る。ここにいるのは大赦に連なる家の関係者たち、そして神樹館小学校、つまり銀のクラスメイトたち。

 皆一様に銀が死んだ事実の痛ましさに顔を悲しみに歪ませていた。

 まるで自分のせいで皆がそうした表情をしている気がして和仁は言葉に詰まりそうになる。

 ——泣いていいなど思っているのか?

 心の中で己に鞭打つ。悲しむ資格すら自分にはない。許可できない。だって彼女が死んだのは自分のせいなのだから。殺しておいて悲しむなど笑い話にもならない。

「三ノ輪銀様が神樹様のお役目で落命されたました。その輝かしい偉業はとこしえに私たちの指針として残ることでしょう。どうか神樹様の元で安らかに、そして私どもの行く末を見守りください」

 神稚児、鷲尾和仁と締めようとしてガタンという大きな音で言葉が止まった。音の原因へと目をやるとそこにいたのは父親に腕を掴まれながらも暴れる鉄男だった。

「なんだよみんなして! なんで姉ちゃんが死ななきゃいけないんだよ!」

「コラッ! やめなさい鉄男」

 周囲もなんだなんだと思い、騒ぎ出した鉄男に目をやる。

 席に座らせようと腕を引く父など御構い無しに鉄男は続ける。

「みんなおかしいよ! 立派だったーとか、英霊になって羨ましいとか、なんで姉ちゃんが死んで褒められるんだよ! 姉ちゃん毎日頑張ってたんだ。それなのにどうして姉ちゃんが死ななきゃいけない!」

 そうだよね、と心の中で和仁は鉄男に同意した。

 本来死ぬはずだったのは和仁であって銀ではなかった。しかし起こるはずだった運命を銀がが否定し、結果として和仁が生き残り銀が死んだ。

 鉄男の慟哭を和仁は黙って受け入れる。

「兄ちゃんだってそうだ。姉ちゃんのこと守るって約束したのに、どうして兄ちゃんが無事で姉ちゃんが死ななきゃいけない!

 姉ちゃんじゃなくてお前が死ねば良かったんだ! 返せよ! 姉ちゃんを返せよ!」

 鉄男の言葉が刃となって和仁の心を切り裂いていく。

 何も言い返せず、その通りだという同意のみが残る。

 小さな子供の心無い言葉、騒ぐ煩わしさに驚いて動けなかった大人たちはハッと我に帰り、鉄男を式場からつまみ出そうと腕を引く。

 それでも暴れて鉄男は恨み言を止めない。

「神様ならどうして守ってくれなかったんだ! 神様なら守ってくれよぉ!」

「いい加減にしないか、神稚児様の前で無礼だぞ。こっちへ来なさい」

 手近にいた男性が思いっきり鉄男を外へ連れ出そうと引っ張っていく。大人の体格相手では流石にどうしようもなく、暴れながら鉄男は引かれていく。

 鉄男が腕を引かれ少しづつ式場の端へと連れていかれるのを見て、ホッと溜息を漏らす参加者たち。

「お待ちください」

 ぴしゃりと壇上の和仁が言い放った。

 暴れていた鉄男も、それを引いていた男性も、参加者たちも驚いてそちらへ視線を投げる。

 しかし俯いて和仁の表情は見えない。しかし声だけは雨に濡れたように冷たく、震えていた。

「鉄男くん、今は黙って静かにしていて欲しい」

「何でだよ、どうして姉ちゃんとさよならしなきゃいけない! 姉ちゃんを連れていくなよ!」

「ごめんね鉄男くん、でもこれで最期になるんだ。せめて最期くらいしっかりとお別れを言わないといけないよ」

「姉ちゃんを殺した奴が偉そうなこと言うなよ! 姉ちゃんを殺したくせに!」

「——そうだよ」

「……へっ?」

 鉄男の言葉は口から出まかせというべきものだった。大切な姉の命を奪われ、目の前の少年は守るという約束を果たさなかった。それが歪に繋がって殺したのだという妄言を生み出した。

 自分でも理不尽で見当外れなことを言っているのだと心の中で思っていた。それ故に唐突に肯定されたことで鉄男の思考に異物が紛れ込んで動かなくなった。

 信じられないものを見る様子で鉄男は和仁の言葉を待った。

「君のお姉ちゃんは僕のせいで死んだ。それは紛れも無い事実だ」

「……え、は?」

「だから許してほしいとは言わない。僕は一生銀を殺した罪を背負って生きていく」

 顔を上げ、そこで初めて和仁の表情が見えた。それを見た誰もが息を飲む。

 光の燈らぬ瞳、そこに宿るのは鋼の決意。13歳の少年がしていい表情ではなかった。

 脈打たない胸を掴み、贖罪の決意を言葉にしていく。

「僕は銀に生かされたことを一生忘れない。生かされたこの身体に誓おう。銀が命を賭して守ってくれたこの世界をなんとしても、たとえ何を失うとしても僕は守る」

「ち、違う……。僕はそんなことを言って欲しかったんじゃない。姉ちゃんだってそんなこと望んでない……」

「いいや、関係ない。これは生き残った者としての責務だ。拒否することも、逃げることも許されない。誰かを犠牲にして明日を生きるという責務を俺は背負って生きていく。もう決めたこと、もう止まることはない」

 生まれ落ちた贖罪の宣誓。誰もがその重圧に言葉を失う。とりわけ正面からその重みを受け取った鉄男にはもう目に映った少年がかつて約束を交わした少年と同一人物だとは思えなかった。

 和仁の皮を被った怪物だと思った。理解できない狂気すら覚える鋼の決意。人間らしい灯火のない瞳があまりにも恐ろしい。

「う、うぅ。うわぁー!」

 恐ろしくなって人間がまず最初にする事とは逃げる事。掴んでいた男性の腕を振り払い、鉄男は逃げる。

 悲しそうな表情で和仁は鉄男を見送る。それは姉を奪ってしまった罪悪感か、それとも決意を受け入れてもらえなかった寂しさか、和仁自身にも分からなかった。

 和仁は告別式の参加者たちに向き直る。そこに表情など欠片もない。ただ煌々と燃えるような決意を秘めた瞳だけが不気味に輝いていた。

「……失礼しました。ではこれより式を再開させていただきます」

 そして告別式はつつがなく進行された。

 

 告別式が終わり、息をつく間もなく和仁は大赦本部の会議室にいた。

 会議室内には仮面で顔を隠した神官たちが配られた資料に目を通しながら改変された勇者システムについて決定されたことを確認していた。

「——よって三ノ輪銀様の起こした現象を今後『満開』と呼称、満開により銀様が生贄として捧げられたことにより神樹様の結界が数倍にその厚さを増していることが判明しております」

 ただ事実を列挙していくだけでどうしようもなく空気が重苦しい。

「今後はこの満開を軸に戦略を構築することが決定されました」

「何故ですか?」

 グシャリと和仁の手元の資料が形を崩す。無意識のうちに力強く握りしめていたらしい。

 そのまま鋭い形相をもって発言した神官を睨みつける。

 睨みつけられた神官が恐る恐るという様子で言葉を選びながら説明を続ける。

「……その、銀様の落命後、神樹様の結界が強固になったことを受けて行った調査の結果、西暦末の勇者高嶋友奈様の落命時と同様、もしくはそれ以上の補強が行われたことが判明しました。またこの時をおいても結界の外側では小型バーテックス、星屑の攻勢が続いていることが判明、このままで二年以内に結界が破られるとの報告が来ています。

 ……えっと、そのため残った勇者様たちにこの結界の警備、および補強、……そして最終的に贄になっていただくことが今後の戦略の要となります」

「須美や園子ちゃんも銀ちゃんと同じように生贄にすると?」

「完全に同一というわけではございません。一部オミットされた満開を勇者システムに搭載、戦闘行為を舞いとして奉納することで神稚児の様の中に留まっている精霊『神稚児』の特性を引き出し身体機能の部位ごとを満開の対価として奉納、より長く、より強く戦えることを目的としております。そのため銀様と比べおおよそ倍ほどの回数の満開に耐えることができると考えられています」

 並べられていく残酷な言葉。より長く、より強くあの神稚児の力を纏って勇者二人は戦うことを強いられる事を意味する。

「駄目です。認められません。何より敵の総数が不明な以上、現状の唯一の戦力である勇者を失う訳にはいきません」

 それらしい理屈を並べていく。これ以上誰かを犠牲にする戦い方なんて許容できる余裕などもうなかった。

 なんとか方針を変えようと和仁が焦燥していると神官の一人が立ち上がる。立ち上がったのは上里だった。鋭い視線がそちらへ向けられるが上里に動揺した様子はない。

「理解したまえ和仁くん。もう我々に選択肢などないのだと。銀くんが稼いでくれた時間はせいぜい数ヶ月。敵は最早、一切の躊躇なく攻撃を続けている。この現実を直視した方がいい」

 仮面に隠された表情は読み取ることができず書類を読み上げるような、聞き分けのない子供を諭すような調子で言った。

 納得がいかず和仁はその言葉に食らいつく。

「それでも! そんな戦い方では勇者がどれだけもつか未知数です」

「敵が神樹様の結界を破ることは確かだ」

「精霊に贄にされた部位はもう動かなくなるんですよ!」

「しかし戦わねば、無辜の市民が犠牲になることは必至だ。勇者にしても、少なくとも全身を贄として使い切るまでは命も保証されている」

「彼女たちの戦意が維持できるとは思いません!」

「そのための宮司システムだ。あれには勇者を洗脳する機能があると君自身が最もよく分かっているはずだ」

 何を言っても論破される。

 当然だ。人類を維持するという最大の目的において、たった2名の犠牲で済むのはどうしようもなく効率が良い。

 ただ人類を守るのならもう人類は確実な手札を手に入れたのだ。ならばそれを使わない手などあるはずもない。

 頭では分かっていた。これが大赦のやり方だ。これがこの神世紀における人類守護のやり方だ。生贄だ。今回はそれが巫女から勇者に変わったというだけのこと。今までだって何度もやって来た事。

 捧げてしまえばいい。そうすれば長い時間、人類の安全と繁栄は約束される。例えそれが血みどろの礎の上に成り立った偽りの平和だとしても。

 だけど感情はそれを許容することができない。

「違う! 違うんだ……。こんな事をするために僕は宮司になったんじゃない。あの子たちをを生贄にするために僕は生まれて来たんじゃない!」

 泣き叫ぶように懇願する。精霊『神稚児』が和仁に宿っているからこそ成り立つ戦略だ。つまりそれは和仁が勇者を生贄にする光景を見届けさせられる事を意味する。それを理解して、思わず髪を掻き毟る。

「お願いだよ、上里のおじさん。僕に、僕にあの二人に生贄になれだなんて命令させないでよ……。それ以外の、あの二人を生贄にさせない事だったらなんだってやる。何でもするよ……。だからお願いだ。これだけは……、これだけは嫌だよ……」

 上里の足に擦り寄り、地に伏して懇願する。それしか方法がない、ほかに取れる手段など思いつかない。間違っているのは和仁自身だと分かっている。だからこれだけは嫌だと感情に任せて、駄々をこねるように泣き叫ぶ。

 鉄男に未来を約束した鋼の決意などかけらもない。皮肉なことここで初めて年相応のわがままを見せる。

 しかし仮面を被った上里はただ無情に見下ろす。

「……和仁くん。君だって分かっているはず。もう我々に敵にまともに戦う手段があの満開を置いてほかにない事を。戦わねばさらに多くの命が失われることを。銀くんが何のために命を失ったのか、一番近くにいた君が誰よりも分かっているはずだ」

「でも、でもぉ……」

 上里の言う通りである。何よりも成すべきは人類の守護。そのためならば少数の犠牲は致し方ないものだと判断される。より少ない犠牲で済むのならそれは「よいこと」なのだ。

 人々を守りため、神稚児である和仁は宮司となった。和仁を守るため銀は生贄となった。そして今度はその犠牲の循環に須美と園子の順番が来たのだ。

「どうして、どうしていつも僕はこうなんだ。あと何回僕は何かを失って悲しめばいい。普通の家族も、普通の人生も、普通の友達も、やっと手に入れられたと思えばこうやって失う。僕は何のために生まれて来たんだよ、言葉があるのなら答えてよ!」

 理不尽な生まれ、人生、状況。全てへの憎しみを持って上里に摑みかかる。

 しかし上里は何も答えない。答えられない。全ては神稚児である和仁に望んだ大人たちの責任。戦いに対して無力な大人たちが望み、託した罪がこうして慟哭となって現れる。

 易々と答えられるような軽さなどどこにもない。

 誰も答えられず、会議室で聞こえるのはすすり泣く声のみ。

 そしてそれは唐突に現れた部外者によって破られた。

「もういいよお兄ちゃん」

「しょうがないよ、ワニー先輩」

 声の元に振り向く。

 そこにいたのは泣きそうなのを我慢して無理に笑おうとする須美と園子。

 いるはずのない二人の登場に和仁は狼狽する。

「ふ、二人ともどうしてここに? ここは大赦の職員しか入れないはず……」

「ごめんなさい和仁くん」

 和仁の疑問はすぐに解消した。二人の陰から出てきた安芸がその答えだった。

「先生が二人を連れてきたんですか?」

「……必要になると判断しました」

「そんなのって……」

 どうにかしようとする和仁のどこにも味方がいない。その事実が更に和仁を追い込んでいく。

「どうしてだよ先生! どうして二人をここに連れてきたんだ……」

「良いのお兄ちゃん。私たちが先生に頼んでここに来たの。何だか嫌な予感がしたから……」

「良くなんかないよ! みんな寄ってたかって二人を生贄にしようって……。なんとしても辞めさせないと……」

「だからそれをもういいと言っているの」

「……は?」

 須美発した言葉を飲み込めず和仁は呆然とする。

 握りこぶしを胸に当て、須美は決意を言葉にする。

「もし私たちを生贄にして世界を守れないのなら、私たちはそれを受け入れる」

「……やめてよ。須美まで僕に生贄になれって命令しろって言うの?」

「そうしないと世界が終わっちゃう。なら仕方がないと受け入れるしかないわ」

「それがダメだって言ってるんだよ!」

 言葉と共に感情に任せた踏み込みで床の木材が割れる。

 拳を握りしめ、震える。

「どうしてみんな分かってくれないんだ。こんなの絶対に間違ってるのに、どうして、どうして、どうして!」

 無力だった。鷲尾和仁には戦う力が無い。例えどれだけ武術を修めようとも、どれだけシステムを使いこなそうとも、結局のところ和仁自身には敵を倒す力はない。

 かつては人類最高峰の生贄として望まれて生まれ、そして勇者にも巫女にもなれない身では敵と戦う力にはなれず生き残った二人が生贄になるのを見送る事しかできない。

 ——生贄として生まれた?

 自身の来歴。それを振り返り、一つの発送を得た。

 二人を生贄にしなくても良いと言う自分に都合のいい展開に思わず笑みが溢れる。

「……は、あはは。あぁ、そうか。どうして二人を生贄にしなきゃって前提で話してたんだろね……」

「……お兄ちゃん?」

 声を上げて笑いそうになるのを堪えるような笑い方を始めた和仁を見て須美は不審がる。どうしたのだろうと近寄って、手遅れになった。

「最初から、こうすればよかったんだ!」

 口角を上げ、薬指にはめたままになった宮司システムを掲げる。声を上げながら笑い、それに呼応するように地響きが始まった。

 樹海化の定まった手順が行われ、秒も置かずに四国は樹海に覆われた異世界へと変貌する。

 周囲に誰もいない事を確認して和仁は宮司システムに座る。

 そして——

「……神婚開始」

 宮司を行なっていたことで忘れていた本来望まれていた役割を実行する。

 封印されていたコードを内側からシステムをいじることで解放していく。

 自身を生贄として神樹の一部へと変換してその力とする。

 これがどれほど意味を持つのか和仁自身にも分からない。もしかしたら何の意味もないのかもしれない。

 しかしそれで良かった。もしかしたら万に一つでも和仁が神樹を強化する生贄として十分になるかもしれない。そうすれば須美と園子が生贄になる必要がなくなる。彼女らは普通に生きていける。

 それが最も望ましい結末だが足りなくてもそれで良かった。

 何故なら和仁が死ぬことは和仁の中で留まっている精霊の『神稚児』が消失する事を意味しているから。満開システムは和仁の中にいる『神稚児』を要とした機構。それはつまり件の精霊さえいなくなれば満開が出来なくなる事を意味する。

 それはすなわち数ヶ月以内の人類の絶滅も同時に意味していたがそんな事和仁にはどうでも良かった。

 須美と園子を生贄にして続いていく世界など守るつもりなど欠片もない。ならばいっそのことみんなで死んでしまえばいい。間違っている事をしていることなどとっくに承知している。

 しかしそれでも自暴自棄となって、どちらの結末でもいいと自分に言い聞かせる。

 不思議と後悔はない。やっと肩の荷が降りたような安心感と共に自身の存在の境界が曖昧になっていくのを感じる。溶けて消えて、神樹と一体になってなくなるような感覚に安堵する。

「……銀ちゃん、もうすぐそっちにいくよ。もしかしたらみんなもまとめてそっちにいくかもだけど、もうそんな事どうだっていいよね?」

 また銀に会えると思うと自然と口角が上がる。

 言いたいことが沢山ある。言えなかったこと、伝えたかったことそれが叶うのだと思えるとなんだか嬉しくて笑ってしまう。人類を守るだとかそんな事はもうどうでもよかった。

 人類を巻き込んだ鷲尾和仁の自暴自棄が完了しようとしている。

 皮肉にも人々が望んだ神稚児の在り方と言う名の呪いをもって人類は終わろうとしていた。

 しかし世界を終わらせようとするのが原初の呪いであるのならば、それを止めるものまた原初の約束だった。

 感覚が溶け合い、希薄化していく自我を鋭い痛みが引き戻した。

 見下ろす。胸が矢で射られていた。

 一度だけではない。二度、三度と連続して射られ、身体を貫通してシステムに縫い付けられる。

 そして銀閃が舞った。視界を両腕が飛んでいく。

「痛い、痛い! なんで、どうして!」

 遅れて腕の付け根を切断された痛みが襲う。

 変わらず和仁が座していることでシステムは稼働しているが両腕がなくなったために操作ができない。そして襲撃者を見つけて表情が凍る。

 誰がやったのかなど予想するまでもない。しかし信じたくなかった。苦しそうに己の武器を握りしめた須美と園子がいた。この樹海内で存在できる人間など二人しかいないことなど分かっていた。それでも事実として目に入ってもその二人に攻撃された事を受け止めきれなかった。

 須美は近づき、傷口を止血するように抱きしめる。もう訳がわからない。どうして敵を倒すための力で自分が攻撃されたのか和仁に考える余裕もない。

「……約束したから」

 悲しそうに、悔しそうに須美は呟く。

「自分を守らないお兄ちゃんを私が守るって約束したから。世界に死んでいい人なんか一人だっていないから。だからごねんねお兄ちゃん。私、行くよ」

「ごめんなさいワニー先輩。帰ったらこれからどうするかちゃんと決めよう? 私とわっしーで結界を攻撃してるやつをやっつけてくるんよ〜」

 無理に笑おうとして顔は引きつっていた。これから戦うことで体のどこかの機能を失うことは避けられない。

 しかしそれでも和仁一人を犠牲にしてしまうよりもよっぽどいいのだと須美と園子は結論づけて飛び去って行く。少なくとも体のどこかを失うことことすれ、生きては帰ってこれるのだから。

 楽観視して何を失うかなど考えず。

「待ってよ、行かないでよ、置いてかないでよ」

「大丈夫だよお兄ちゃん。ちゃんと帰って来るから。約束だよ?」

「またね、ワニー先輩!」

 二人の独断を止める権利など和仁にはない。最初に先行して自ら生贄になろうとした和仁に二人を止める資格など無かった。

 身勝手の罰は自然な流れで起こり、ただ飛び去って行く二人を見届ける事しか許されない。

 幸いなのだと思って、誰にも何も言わずに消えようとした。だからその報いには見届ける事こそ相応しい。

 守ろうとしたものが自らの身勝手で壊れて行く光景。腕はなく、体は磔にされ、目をそらすことも許されずその光景を目に焼き付けられる。

 視界の遠く、美しく花が咲き誇った。満開の輝き。それの呼応して胸の内に潜む精霊が力を花たちへと注いでいく。

 こうして望んでいた未来は永遠に失われた。

 家族を得て、友達を得て、愛を知って、そして何もかもが失われた。

 これは喪失のおとぎ話。己の可愛さの余りに他者を蔑ろにして自分本意であったが故の罰だった。

 菊と薔薇の花が飛び去って、菊が根と色を失って、薔薇は最後の花弁を残して折れた。

 それを見届け、雪待ち草が枯れて朽ち果てた。

 

 鷲尾和仁は勇者を殺した・完




これにて前日譚である鷲尾和仁編終了です。
一段落して作者は一安心。
作者的、鷲尾和仁編のエンディングテーマはLocal Busさんの『桜見丘』を挙げておきたいと思います。
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