入学式の朝はカプリチョーソに
勇者を助ける宮司に選ばれたと聞いた時、誇らしい気持ちよりもまず最初に感じたのは安堵だった。■■の家に生まれた僕がやっと生まれてきた意味を持てるのだと、もう期待外れと言われないのだと思うと胸に詰まっていたものが晴れるようだった。
ごめんよ、■■。こんなお兄ちゃんで。もし君がまだ僕に愛想を尽かせていないのなら君の作った朝食を父さんと母さんと四人で食べよう。
宮司御記 大赦検閲済
神世紀300年春。桜が咲いた通学路を通って、私こと犬吠埼樹はこの讃州中学に入学した。恐らく成長するだろうと見越して買った、少し大きめの制服の袖をそれぞれ、四つ指で軽く挟みながら私は校舎の廊下を歩いて行く。
入学式の準備を勇者部として手伝うことになっていたお姉ちゃん、犬吠埼風と一緒に家を出たので肝心の入学式には大分早く着いてしまったのだ。早く着いてしまい、新入生の私には入学式の準備は手伝えさせないと言ったお姉ちゃんは私に適当に学校の中を見学することを勧めてきた。一緒にいた結城先輩と車椅子に乗った東郷先輩の二人の先輩もそれがいいと言って私の背中を押していった。
ならそもそも家を出る時間にまだ眠かった私を叩き起こさなければいいのでは? という言葉は飲み込んだ。
三人の勧めに対して断る理由もなかった私は仕方なく、人っ子ひとりいない沈黙した学校の廊下を上靴がリノリウムを鳴らす音を鳴らしながら進んで行く。
行く当てもない私は取りあえず、まだ通ったことの無いこの校舎で唯一知ってる場所を目指す。廊下を進み、階段をトコトコと登って行く。三階に上がり、さらに廊下を進んで目的地にたどり着く。聞いていた場所にその教室はあった。
壁に掛けられていた教室の表札を確認する。一番上には陽に当たって色が薄くなった家庭科準備室の文字があった。そしてそのすぐ下に真新しい色をしたもう一つの表札があった。「勇者部部室」
表札にはそう書かれていた。お姉ちゃんが発起人になって件の結城先輩と東郷先輩を捕獲、もとい勧誘して作り出した部活らしい。その怪奇な名前の部活は姉曰く、世のため、人のためになることを勇んで行う部活らしい。
姉がそんな殊勝な心掛けを行う人柄だったかとふと思考が頭を過ぎったが、よくよく考えれば帰ってきた姉が主に話すのは部活帰りのうどんの美味しさの報告が主で、部活自体より苦労した後の、姉曰く格別な味のうどんの方が重要なのかもしれない。いつも女子力、女子力と鳴き声のように繰り返していたが果たして胃に収まったうどんの炭水化物は何に変換されているのだろうか?
こんなにこき下ろすように姉のことを話したが、もし仮に他人がお姉ちゃんをこう言ったら恐らく私はとても怒るだろう。姉は私の大好きなお姉ちゃんなのだ。
両親が2年前に事故で亡くなった後、姉は父と母の代わりに私の面倒を見てくれた。中学生の身分で姉は私を守ってくれたのだ。もし施設などに行くようなことがあれば恐らく別の家庭に貰われて離れ離れになっていた事だろう。それは嫌だと思うし、きっと当時の姉もそう思ったのだろう。
結果的に今も私たち姉妹は今日も姉妹でいられている。本当にお姉ちゃんは凄い。美人だし、背も高いし、みんなを引っ張って行く人徳もある。それはどれも私には無いものでお姉ちゃんを凄いと思う一方でそんな姉と己を比べてどうしても劣って見えてしまう。
できることは精々、タロットカードなどを用いた占いくらい。別にそれだって百発百中というわけでもなく、六割当っていればいい方なのだ。あとは歌を歌うのが好きなくらいか?
そもそも、比べることがおかしいのだ。妹である私はお姉ちゃんがいつも頑張っていることを知っている。それなのにやりたいこともない、夢もなくて何も頑張っていない私をそんなお姉ちゃんと同列に考えることがお姉ちゃんに失礼な様な気さえした。
現にこうして勇者部の部室の中を歩いて、中に何があるかを見ながら確信する。様々な活動に使ったのだろう道具やそのうち使うのだろう人形やお芝居のセット、何に使うのかわからない飾られた戦艦のプラモなど、恐らくこの一年間の活動の軌跡が形になって部室内の至る所に鎮座していた。
そうした活動の結晶を見ていると何もない自分が笑われている様な気さえしてくる。
どうでもいいけれど、教室の鍵はかけなくていいのだろうか? いくらここが犯罪なんて年に数回あれば多い、いい意味で駐在さんが税金泥棒している地域だとしても鍵くらいは掛けようよお姉ちゃんと心の中で言いつつ部室を後にする。
もう見たいところもないので適当な場所で入学式の時間まで時間を潰そうと階段を降りようとして、最初の段を踏み出した時ふと、小さな音が聞こえた。気になって踏み出した足を戻して、両手を耳に当ててその音を探す。よく聞いてみると音はさらに上の階の方から響いているのが分かる。なんとなく気にって階段を上って行く。合計二十八段の階段を登りきるとそこには屋上に繋がる扉が一つあるだけの空間があった。扉のドアノブには屋上入るべからずとプラカードが掛けられていた。
しかしそんなプラカードの通せんぼとは裏腹に耳に入る音は扉の向こうから聞こえてくる。ここまでくればより鮮明に聞こえてきた。聞こえてきたのは何かの楽器を演奏する音とそれに合わせて歌詞を歌う声。扉が防音壁の役割をしてはっきりとは聞こえないが間違いなく誰かさんはこんな早朝の、しかも立ち入りが禁止された屋上で弾き語りを行っているのだ。
なんだか見ておかないと勿体無い様な気がしてきた。そんな豪胆な人物がどんな人なんだろうかと思い、屋上に繋がる扉を押して開く。硬く閉ざされていた様に見えた扉は非常に軽く開く。少しだけ扉を開いて音の主人を探して見つけた。
音の主は屋上に設置された神樹様の祠の台座に背をもたれながら地面に腰を下ろし、軽くあぐらをかいた足の上にギターを乗せて、メロディーと歌詞を奏でていた。着ている制服と背格好から恐らく先輩にあたる人なのだろう。
見ていたら演奏していた曲目が次のものに変わる。演奏が始まったのは昔の車のコマーシャルで流れていた男性の曲。軽快にギターを演奏しながら屋上の推定、先輩の歌声がメロディーに乗せられて私の耳に流れてくる。その演奏は素人の私にも上手なものだと分かった。
耳に入ってくる音に乗せられて思わず、メロディーに乗せて自分も歌ってしまう。
そのまま曲はサビに入り、最後は気持ちのいいギターの演奏で締められる。思わず目を瞑って一緒に歌ってしまい、目を開くとこちらを向いていたギターの主人と目が合う。
首だけをこちらに向けてキョトンとした顔をしてこちらに空色の瞳がこちらを見ていた。見つめられる顔は男の人にしては綺麗と言うか、制服がなければ女の人と間違えそうなほど整った顔だった。女性ならきっと大和撫子といった言葉が似合いそうな雰囲気を纏った先輩だった。
黙って覗いた上に勝手に一緒に歌を歌っていたことに気づき、顔が恥ずかしさで熱を帯びていくのを感じる。緊張で声も体もガチガチになる。
「あぁ……、わ、わた、私……」
何か言おうと思い口を開くが上手く言葉にならない。意味のない身振り手振りが空を切る。そんな私の様子が面白かったのか。困った様に笑いながらこちらに手招きしながら口を開く。
「音楽が好き? ならこっちにおいでよ。そんな所よりこっちで聞きなよ」
意外なことに目の前の先輩は勝手に演奏を聴いていたことを怒っていないようだ。手招きし、眼前の空いたところを指差す。勧められて私は恐る恐るといった足取りでギターの先輩の前に正座する。
かしこまった様子の私を見て先輩は笑う。
「そんな固くならなくていいよ。 俺の演奏を聴いてくれたんだろう? なら最後まで聴いていきなよ。一年生だろう? なら入学式まで三曲は余裕さ」
それだけ言い終えるとギターの演奏が会話を続けた。穏やかな、それでいてどこか悲しそうな音色のギターの音色が屋上に響いた。優しくギターを演奏しながら質問が飛んでくる。
「一年生? 名前は?」
「いっ、犬吠埼樹です! 犬が吠えるとかいて犬吠埼です。樹は樹木の樹です」
少し緊張しながら自己紹介をする。我ながら初めて合う男の人に対して上手く自己紹介ができたなと内心ガッツポーズ。例えを交えたのはポイント高い。
私の名前を告げられてギターの演奏が一瞬だけ中断する。そして何事も無かったかのように演奏が再開した。
「そっか、君は犬吠埼の妹か。あんまり似ていないんだな。てっきり犬吠埼の妹だから子ギャル見たいのを想像していたよ」
「お姉ちゃんを知っているんですか?」
「あぁ、去年同じクラスだったよ。彼女目立つだろう? 勇者部とかいう部活の部長もやってるみたいだし。有名人だよ彼女」
先輩の口から語られたのは私の知らない学校でのお姉ちゃん。しかしコギャルとは一体どういった了見だろうか。私はまともにメイクだってやったことないのにどうしたらそんな勝手なイメージがつくのだろうか。そんなつまらないことで少しだけムッとしてしまう。
「お姉ちゃんと私は違います」
「あぁ、ごめんごめん。気に障ったかな? だとしたら謝るよ。何時も女子力と彼女口癖のように言うだろ? だからてっきり妹の君もそんな感じなのかなって」
「お姉ちゃん、私のことよく話すんですか?」
私のことを話してくれることは嫌ではなかったが知らないところで私のことが話しているとなると若干シスコンの入った姉がどの様に話しているか気が気でなくなった。
そんな私の心中を察してか目の前の先輩は面白そうに少し吹き出す。そんな所作も上品さがあるのだから凄い。
「自慢の可愛い妹がいるって良く言っているよ。まぁ、妹が可愛いのは分からなくもないけど」
「先輩も妹がいるんですか? ……ええっと?」
そこで私はこの先輩の名前を知らないことを思い出した。年上の人は大体、先輩、先生と読んでおけばいいと言う下級生共通の了解が今回は悪い方向へ働く。言い淀んだ私を見て先輩は思い出したかの様な顔をしてその後に笑う。
「そうだったね、自己紹介なのに俺の方が名前を言っていなかったね。俺のことはワニー先輩って呼んでくれればいいよ」
示されたのは明らかにあだ名だった。推定純日本人のこの先輩のあだ名にしては随分とハイカラな感じの音のあだ名だった。しかし不思議としっかりと当てはまる様な気がする。つまりピッタリのあだ名なのだろうか?
「気に入ってるあだ名なんだ。それに俺、あんまり本名が好きじゃないから、そっちで呼んでくれたほうが嬉しい」
少し嫌なことを思い出した顔をしながらワニー先輩は詳細を説明する。本名をあまり好まない人は確かにいるのかもしれない。そう自分を納得させて目の前の初対面の先輩をあだ名で呼ぶことになった。
そうして自己紹介を終えて先輩は無言になって演奏を続ける。入学式が始まる直前までワニー先輩と私の二人っきりの演奏会は続いた。
これがワニー先輩と私の出会い。きっとこの出会いがなければ未来の私は今とは大きく違ったものだっただろう。それが悪い事だとは思わないが少なくとも私はこの出会いを運命だと思う。少女漫画の様だと揶揄されても、確かにこの出会いは運命なのだと私は確信している。
なのでこの日だけはお姉ちゃんに朝叩き起こされたことを許そうと思う。今日以外の日の恨みは忘れない。
というわけで早速新作です。よろしければご静聴ください。樹ちゃんによって語られる勇者と宮司の物語。いつだってボーイミーツガールは本人たちにとっては世界のどんなことよりも大事件なものです。