讃州にある宮司システム研究所の地下二階の道場にて和仁は座禅を組み、瞑想していた。
目をつむり、集中して心の中を虚無に変え、瞑想を行う。聞こえて来るのは床下や壁の向こうにある空調の配管が揺れる音のみ。
初めて行う座禅に和仁は慣れず、集中力が切れる。
ふと、目を開け目の前を見る。目の前には和仁と同じように、しかし和仁とは違い堂の入った座禅を組み、瞑想に集中する三十代の浅黒い肌の男が一人。大赦直轄の暴徒鎮圧部隊に所属する赤嶺であった。
目の前の浅黒い男は座禅を組み、目を閉じたまま和仁の集中が切れていることを指摘する。
「神稚児様? 集中が切れていますね、どうかそのままもう一度瞑想にお入りください」
指摘され、和仁はもう一度瞑想に入ろうとするがどうも上手くいかない。自分の呼吸音や微かに聞こえる空調の音が人の話し声のように聞こえる。
一度気にしてしまうとそれに囚われ、瞑想に力が入らない。
「……赤嶺さん? どうにも自分が何をやっているのか分からないのですが……」
それもそうだ。今日、和仁は先日の宮司システム試験運用の事件から二日が経ち、体調に問題がないために復帰して研究所に入った途端、この浅黒い男に連れられて、地下二階の道場で座禅が始まったのだ。和仁はさっぱり意味がわからなかった。
今日、何をするかは聞いていなかったが座禅と瞑想は今までなかったカリキュラムだった。これまで研究所で和仁が行ってきたカリキュラムは神樹への奉納儀礼に必要な所作の訓練や宮司システムに関する工学的な学習であり、肉体面でのカリキュラムは無かった。
そもそも暴徒鎮圧部隊の人間が研究所にいることに違和感しかない。
当の赤嶺は爽やかな笑みを浮かべ和仁に答える。
「そうですね、先日の稼働実験の件はお覚えですね?」
思い出すのは二日前、初めての宮司システムの稼働実験。稼働実験によりできた傷はすでに癒えていたが、思い出すと傷が何となくうずく気がした。
「……それは、もちろん。昨日今日のことですから」
「はい、その一件を受けて大赦では神稚児様の技能面だけでなく、肉体面での訓練が必要と判断され、その教官としてわたくしは選ばれた、という訳です」
「……あぁ、それで座禅なんですね。しかしそれなら走り込みなどの方が適切なのでは?」
そこで和仁は事態を理解した。つまり、今後の実験により再度傷害を得るようならば、いっそ体を鍛えて丈夫な肉体作りを行って傷を負いにくくしようという訳だ。
「そうですね、最終的には神稚児様には我々、鎮圧部隊と同様の訓練を行っていただく予定ではございますが、今はまだ御身は幼い身。数年は基礎作りと武術の型を覚えていただく方針になります。幼少期に不必要に筋肉をつけても成長に差し支えます故」
「武術ですか? 宮司には必要のないものに思えますが?」
「さぁ? わたくしは上からの命令を受けて神稚児様を教導させていただいていますゆえ、細かい事情は聞いておりません」
「そうですか。……しかし座禅とは難しいものですね。赤嶺さんはすぐに集中できているようですごいと思います。……それに比べ、僕はどうも上手くいきません」
今日初めて行う座禅。和仁はうまくいかないことに歯がゆさを覚える。大赦の上層部の指示であるのならば、これは必要なことなのだろう。つまりは四国の人々を守ることにつながる重要な訓練であると和仁は思っていた。それ故にできないことに焦りが少しづつ募っていく。
「ハッハッハ。初めてならば仕方ないことでしょう。これから少しづつ慣れていきましょう。……今日は体を動かす方を重点的に行いましょうか」
そう言って赤嶺は苦笑しながら座禅を解き、立ち上がる。赤嶺は胴着に身を包んでいた。厚手の胴着の上からでもわかるほどその肉体は鍛え上げられていた。対して同じように立ち上がった和仁はまだ五歳であることも加味しても細い体つきだった。儚く咲く花を連想させる立ち姿に赤嶺は自分が見惚れていたことを少ししてから気づく。
「……では今日は武術の方がいかに優れたものであるか、神稚児様に体感していただきましょう。ではいつでも良いのでかかってきてください」
「ええっと、はい。では、いきます!」
和仁は自身のできる限りの速さで踏み込む。狙うは金的。元来、心優しい少年である和仁であるが、心優しくはあっても遠慮が意外とない少年だった。
明らかに金的を狙った行動に赤嶺は驚きよりも感心する。たとえ訓練であろうとも手は抜かない。和仁の遠慮のなさと生真面目さを赤嶺は理解する。
まじめに訓練に励もうとする和仁の姿勢に赤嶺は少しだけ微笑むと心の内を戦いのために切り替える。
伸びた和仁の手を掴み、こちらへ進む慣性を体さばきによって少しだけ斜め後方へ逸らす。重心が思わぬ方へ移動し、バランスが崩れるのを何とか左足を使って支える。バランスが崩れ、体が少しだけ浮いたのを赤嶺は見逃さない。やっとのことで体を支える左足を素早く足で払い、ついに和仁の体は完全に浮く。そして浮いた体を慣性の流れに載せるように、掴んだ手を捻り、和仁は空中で一回転し、勢いよく道場の畳に叩きつけられた。
和仁から見れば、手が当たると思った瞬間に視界がひっくり返り、あっという間に回されて畳に叩きつけられたという事実がめぐるましく移り変わったという結果しか見えなかった。
畳に叩きつけられはしたが不思議と痛みはなかった。一重に赤嶺が手加減していたためであった。
投げた和仁の手を掴んだまま、得意げな顔で赤嶺は和仁に言い。
「どうです、神稚児様? これは武術の基礎の応用のみですが、身をもって体験できたかに思えます。痛いところはございます?」
赤嶺に支えられながら和仁は立ち上がりながら答える。
「いえ、赤嶺さんが上手に投げてくれるので痛みは全くありません。ご指導、お願いします!」
「勤勉な生徒には感心します。いいでしょう、今日は体力の続く限り続けましょう!」
運動を通して仲を深める男が二人いた。たとえ神稚児であろうとも、それは普遍の男の性質であろう。静かな道場に和仁が投げられる音が何度もこだました。
男の子同士はそれで良いかもしれないが、女性にはいまいち理解してもらいない分野であるでもある。
別室でモニター越しに二人を見ていた安芸はそれはもうハラハラと心配した様子でモニターに熱視線を送っていた。
その隣で同じようにモニターを眺めていた上里は安芸に苦笑する。
「安芸くん、随分と君は心配しているようだね。立ち上がってないで一度座りなさい」
「あぁ、和仁様……。あんなに投げられて、痛くないでしょうか……」
安芸は心配そうに眉を下げて呟く。モニターのスピーカーは何度も和仁が投げられる度に、畳に叩きつけられる音を彼女に伝え、その都度に安芸は肩を震わせていた。
そんな心配そうな彼女を上里は両手を出してなだめる。
「まぁまぁ、赤嶺くんはあの若さで大赦の実働部隊を一つ任されているほどの猛者であり、教官としても実績のある若者だ。それに赤嶺の家の者だ。家格も申し分ない」
「それはそうかもしれませんが、何故武術の習得など必要なのですか。……体力づくりならば別も方法でもいいでしょうに……」
和仁が体を鍛えることに安芸は異論はなかったが、こうして何度も投げられるの目にしていると他の体力作りの方法でもいいのではないかと思ってしまう。
しかしその言葉を聞いて、上里は少し顔を固くする。
「赤嶺、という名で察せられないかね?」
「……と言いますと?」
安芸が知る限り、赤嶺という家は古くから大赦の実働部隊、暴徒の鎮圧などで貢献してきた家という印象しか持っていなかった。安芸が特に思いつくことがない様子を見ると上里は話し始めた。
「赤嶺の家はその昔、おおよそ二世紀ほど昔に天の神を狂信した集団を始末した家なのだよ。……よく考えたらこの情報は大赦で検閲しているものだったな。安芸くん、今言ったことは忘れたまえ、私の信用に関わる」
あっさりと検閲された情報を漏らした、現大赦機関長の雑さに安芸は少しだけこの中年を見る目が残念なものになっていた。声も少し適当な色が混ざる。
「はぁ、結局その事実と和仁様の訓練にどのような関係が?」
「……コホン。つまりだ、私たちは将来的にこれが神稚児様に必要なものになると考えているのだよ」
「和仁様が誰かを傷つけると?」
上里の発言に安芸は真剣な顔つきに変わる。宮司システム以外にこれ以上、和仁に重責を担わせることを看過出来ないと言いたげであった。
そんな安芸の様子に上里は少しだけ苦笑し、そして表情を引き締めた。
「すっかり君も彼の教師役が板についてきたようだね。君を彼のお目付役に選んで正解だったようだ。……私たちが勇者に対して最も警戒しているのはね、お役目の最中に謀反を起こされる事なのだよ」
「謀反ですか?」
「そうだ、お役目の最中、神樹様の樹海化により、我々は守られている。しかしそれは同時に時間が止まっている事で我々の行動の一切を許さないということでもあるのだよ。その状況で何が起きても、我々は神稚児様に対処していただくしかない」
「しかし、勇者様たちがそのような事をするのでしょうか?」
上里のいう可能性を安芸は否定する材料を持ってはいなかった。しかし感情がそれを否定しようとする。
「君の言いたいことは私も分かる。しかし事実として西暦の初代勇者様の中に一人、味方に手をかけようとした者が居たのもまた事実。可能性がある時点で対処は必要だよ」
少し寂しげに上里は言う。彼も可能性と事実を認めこそすれ、それにいい気持ちはしないのは安芸にも伝わっていた。安芸は疑問を並べていく。
「そのような勇者が過去に? しかし神に選ばれる勇者に限ってそのようなことがあるのでしょうか?」
「私自身も確証はないよ。何せ大赦自身によって消されてしまった情報が多すぎる。しかし我が家に残っていた伊予島様の手記から推察するに過去にあった精霊システムが原因ではないかと私は踏んでいる。しかしだ、何はともあれ、神稚児様にはいざという時に勇者を御して貰わねばならない。その為に肉体強化という名目で戦闘訓練が組み込まれたのだ」
「……事情は分かりました。しかしこのことは和仁様には言わないでおきます。これ以上彼に精神的な重圧をもたせたくはありませんから……」
「君がそう言うのならそうしよう。ふふっ、やはり君を神稚児様のお目付役に選んだ私の目に狂いはなかったな」
そう言う上里の表情は柔らかい。確安芸が教師役として和仁を支えようとする姿勢に、二人の間に良い関係性が生まれてきているのを察する。
それを最後に二人の間に会話が途切れる。
モニターを見ていると、先程から続いていた和仁と赤嶺の応酬に決着がついた。ついに体力の尽きた和仁が畳に転がり、それを涼しげな顔をした赤嶺が見下ろしていた。
「では、私は和仁様を迎えに行きますので、これで失礼します」
「あぁ、今朝送信した宮司システムの改修案、目を通すのを忘れないように」
「……それ、最初に言うべきでは?」
その会話を最後に安芸はモニター室を後にする。階段を上がり、通路を抜けて地下二階の道場に到着する。
扉を開けると体力が切れ、肩で息をする和仁と目が合う。
和仁は安芸を見つけるとパアッと表情を明るくする。
「安芸先生!」
先程までの息切れはどこへ行ったのか和仁は元気よく立ち上がり、安芸の方へ駆け寄っていく。そんな和仁を見て安芸も表情を緩める。
「もう昼過ぎになったので迎えにきました。食事の用意もできているはずなので昼食にしましょう。その後は座学の時間です」
「分かりました、着替えてきます!」
和仁は赤嶺へ一礼するとそのまま道場を後にする。和仁を見送り、暇そうにしていた赤嶺が安芸の横に立つ。
「神稚児様、本当にいい子ですね」
それが今日初めて会った赤嶺の感想だった。そして表情を曇らせる。
「だからこそ、彼に私たち赤嶺の殺人術を教え込むことに躊躇いを覚えます。本当なら同年代の友人と遊んでいるはずの年齢でしょうに」
「それでも私たちは和仁様に必要になるものを与えなくてはなりません。運命は彼を逃してはくれません。彼を守るために、生かすために私たちは尽くせる手段を全て施さなければならない」
「生きてほしい。初代勇者の乃木若葉様の遺言ですね。赤嶺の家にも伝わっています」
「しかし私たちは生きるため、随分と歪んでしまった。きっと最後には子供達に行ったことの責任を大人が背負う日が来るのでしょうね」
「安芸さんは高校生なのに随分と達観していらっしゃる。まるで教師のような物言いで、自分が高校生だった頃を思い出します。まぁ、自分は乱暴者の悪ガキでしたが」
二人の間をしばらく沈黙が漂う。
明日も分からない四国の現状を憂いながらも、もしも上手くいけばという展望を話す。そんな安芸の様子に赤嶺はしきりに感心する。少しづつではあるが確かに安芸に人を教え導く在り方が芽生えようとしていた。
しばらくして大赦の神官服に身を包んだ和仁が駆け寄って来る。
二人は赤嶺に会釈し、道場を後にした。エレベーターを使い、地上に上がって職員用の食堂にやって来る。
和仁が入室したのを食堂の職員が見つけると事前に準備されていた席へ案内される。
案内された席に二人が座ると職員は安芸に注文を聞く。
安芸は日替わり定食を注文し、職員は去って行った。
間も無く、職員がサービスワゴンにできた料理を乗せて運んで、和仁の前に並べられていく。
並べられた料理は特徴的であった。並べられる料理は小鉢に入ったものがほとんどであり、その一つ一つが手の込んだもののは明らかであったが、それよりも目立つのは肉の類が一切含まれていないことが目立つ。
言ってしまえばそれは精進料理だった。神稚児である和仁にとって食事にはかなりの制限がかけられる。それは一重にその身を汚れから守るためであった。古来から生きている生き物を殺してできる料理は少なからず汚れており、神道、仏門に属するものはそれを意図的に排した食事が推奨された。
その為、和仁は生まれてこのかた、牛肉や豚肉、魚肉といったものを食べたことがなかった。食べるものは専ら、豆類や野菜、果物がほとんどであり、徹底して体を清浄に保つことに力が入れられていた。
食べる前、和仁は神官服から一冊のノートを取り出し、何やら記入し始める。
「あら? 何を書いているのですか、和仁様?」
何を書いているのか気になった安芸は和仁の手元を覗き込んだ。見てみるとノートにはいくつも箇条書きに何かが書かれていた。
覗き込まれていることに気づいた和仁は安芸にノートをよく見えるように机の上に置いた。
「あぁ、これですか? これは僕のやりたいことノートです。神稚児のお役目が終わったらやりたいことをこうしてメモしていっているんです」
ノートを見ると短く焼肉を食べると書いてあった。
安芸は書いてあるものをそのまま声に出す。
「焼肉を食べる、ですか?」
「はい、お肉は食べたことないので味や食感は想像したことしかないです。きっと弾力のいいこんにゃくみたいなのかなって思ってます。全部終わったら祝勝会に焼肉に行ってみたいです!」
未知の肉の味や食感に和仁は目を輝かす。これまでなかった未来に対する和仁なりの展望が生まれつつあった。
安芸の定食も来て、二人は食事を始める。
食べながら、時々二人は会話をしては食べるを繰り返す。
「本日からの訓練はどうでしたか?」
「格闘技なんて初めての経験で疲れましたけど、とても面白かったです」
「そうでしたか、苦手に思われなくて幸いです。やはり苦手なものは続けることが難しいですからね」
「先生がピーマンを残しているのは苦手だからですか?」
指摘され、安芸はビクッと背筋を伸ばす。皿の上では炒められた肉が減り、意図的に残された。
「うっ、昔からどうにもこの緑の物体は苦手なのよ……」
「せっかく食べられるなら食べた方がお得だと思います」
食事制限のかけられている和仁が言うと重い発言であった。
「神稚児の名において命じます。安芸先生? ピーマンを残さず食べてください?」
「こんなことに大赦内での絶対命令権を使われるとは思いませんでした……」
神稚児の言葉とはすなわち、神樹の言葉であった。つまり大赦内であれば、それは神からの直接的な命令を意味する。神稚児としての初めての命令がピーマンを食べることであったことに安芸は少し肩透かしを受けながらも、少し涙目になってピーマンを食べ始めた。少なくともこんなことに使うようなものではないが冗談半分で言った和仁と本気で受け取った安芸の間には妙な意識のすれ違いがあった。
食堂の中、二人から離れたところで食事をしていた上里と赤嶺は気づかれないように上半身を机で隠しながら肩を震わせて笑っていた。
ピーマンの苦さに涙を流しつつ、二人は食事を完食する。
ピーマンが皿の上からなくなり、和仁はパチパチと小さく拍手した。
「完食おめでとうございます。苦手を克服しましたね」
「……うう、口の中がまだ苦い……」
シクシクと安芸は涙を流しつつ、水を煽って飲み、口の中の残留物を流し込む。
二人が食事を終えるとすぐに職員がやって来て食べ終えた食事を片付けていく。
食事を終え、二人は座学の時間のため、講義室へ向かう。
小さな和仁の手を繋ぎ、安芸は食堂を仲良く後にする。
側から見れば年齢の離れた兄弟にも見え、微笑ましいと見ていた職員たちは思っていた。
そうした日々の中、和仁の宮司への準備は積み重ねられていった。
過酷な生まれと幼少期とは打って変わって穏やかな日々が流れていく。
そして七年後、宮司システムの改修が重ねられ、和仁が神稚児、宮司としても完成つつあったその頃、彼女に出会った。
後に失うことになる最愛の妹、鷲尾須美。
この時はまだ東郷美森というだった名の彼女が鷲尾須美になった日。
和仁の本当の運命が決まる日が着々と、しかし確実に迫っていた。
というわけで鷲尾須美編のプロローグが終了。勇者たちと宮司の関係が始まっていく訳でございます。
しかし書いていて、女子高生安芸先生という可能性にたどり着いてしまったこの気持ちはどうしたらいいのかしら。
小説の書き方の研究の側面があるので読みにくい、読みやすいの意見が欲しいです。
もちろん感想、誤字報告も大歓迎です。それではまた次回。(テンプレ)