天気の良い放課後、犬吠埼樹は汗をかいていた。
「あっつい……」
ため息のように音葉が漏れる。
滝のように汗が背中を伝い、夏服のシャツ汗で背中に密着して新しい不快感を絶賛作り出していた。
なぜこのような事態になっているかは数十分前の部室に遡る。
五月に入り、樹という新メンバーを加えた勇者部はその活動を改めて歩み始めていた。
勇者としての御役目も、もちろん大事だが特に敵のこない平時では勇者部は通常営業だった。
そのため、やってくる依頼をこなすことはいたって自然なことだった。
「東郷―、今日は依頼何件来てる?」
「今日は二件ですね。猫探しと学校の雑草取りですね」
「うーん、それなら猫探しの方に人数割きたいわね。樹? 雑草取りの方お願いしてもいい?」
「うん、いいよ。校舎横のところだよね?」
特に断る理由もないため樹は雑草取りの件を了承した。
「それじゃあ、勇者しゅっぱーつ!」
元気の良い友奈の声が部室から遠ざかっていく。
決まったら行動は早く、風、友奈、美森の三人は部室を出て依頼主の方のところへ向かった。
一人学校に残されることとなった樹はゆっくりとした足取りで校舎横へ向かう。
そして件の校舎横にたどり着いた時樹は顔から血の気が引くのを感じた。
本来ならば土の見えているはずの校舎横の地面は緑一色に染まっていた。
「あー……、これハーブだ。それもミント」
手近な緑を一本引っこ抜いてみると、鼻腔を独特の爽やかな香りがかすめる。
とてもいい匂いがした。しかし今はこのいい匂いが樹にはとても憎たらしく思えた。
ハーブ系の植物のうち、ミントは特に育成には気をつけなくてはならない。
なぜならミントの持つ繁殖力はそこらの雑草を悠然と超える。
それはもう本当によく生える。
ミントの掃除の手を抜いたばかりにプランターにびっしりと生え、本来育てようとした植物を枯らすなんてことは良くあることだ。
そんな天然のバイオハザードであるミントが校舎横の地面に元気よく緑の絨毯を作っていた。
一瞬、猫探しに行った姉たちを呼び戻そうかと考えがよぎったが任された以上、呼び戻すことはなんとなく嫌だった。
仕方ないと自分に言い聞かせ、部室から持って来たゴミ袋の口を広げて雑草とりを始める。
雑草といってもミント。抜くときはとても慎重になる。根が少しでも残っているとそこからまた元気よくこの緑の悪魔は生えてくるのだ。
故に樹の作業は慎重に慎重を重ねる必要があった。根が地面の中で千切れないようにそっと力を込めて根を引きずり出すように草取りを行う。
慎重に作業を行えば当然、時間がかかる。
五月過ぎだというのにもう気温は真夏日であり、じりじりと太陽の熱が背中を温める。
ミントがこんなにも元気よく生えているのにもこの日差しが一助しているに違いない。
というかそもそもこれは学校の用務員の仕事でははないか? そういえば用務員の竹中さん(58歳)が荷車を押しながら時折、背筋や腰を伸ばしていたことを思い出し、今回の依頼人の正体を突き止めた。
そんなことを思いながら樹はせっせと、しかし根を千切らないように慎重に黙々と草をもいでいく。
日が15度ほど傾き始めた頃、前傾姿勢になっていたことで固くなった背筋を思いっきりそらす。
腰や背中の骨が小気味良い音を鳴らす。
ふと気になって視界を下にさげる。視界が良く通り、問題なく、足元の土が露出した地面が見えた。
そして改めて自身の体の凹凸の無さを再確認させられる。少し寂しい気持ちになる。
思い出してしまうのは数日前のワニー先輩のあの表情。
彼は樹が今まで見たことない優しい表情で美森を見つめていた。
あの表情に愛情やなんやらが籠っていないといえば間違いなく嘘だと樹には断言できた。
もしかしてワニー先輩はああいうタイプの女の子が好みなのだろうか? 自然とそんな疑問を持ってしまう。
しかし当の本人に質問する理由もなく、どう聞いて良いかも分からず、聞けずに数日が経っていた。
むしろ下手に聞いて関係がこじれる方が樹には怖かった。
事なかれ主義の考えのまま、答えの帰ってこない質問に悶々を頭を悩ませていた。
「あれ、樹ちゃん? こんなところでどうした?」
振り返ると件のワニー先輩が珍しくギターケースを持たず、カバン一つで立っていた。
唐突な彼の出現に樹は驚く。
「ワニー先輩こそどうしてこんなところに? 私は勇者部の活動で雑草取りです!」
「そっかー、こんなに暑いのに精が出るね。俺は職員室で担任と面談でね、ここ通ると職員室まで近道なんだよ。今はその帰り」
言いながらワニーは樹の横まで歩き、日陰に入る。樹もそれに習って同じく日陰に入る。
「先輩、何か悪いことをしたんですか?」
つい最近まで小学校に通っていた樹にとって担任との面談というものはイメージが掴めなかった。
クラスの男子がたまに喧嘩して怒られるために職員室に連行されていたことくらいしか思いつかなかった。
そのためそんな質問をしてしまった。
そんなことを聞かれ、ワニーは一度キョトンとして笑い出した。
「そっかそっか、俺は職員室に呼び出されるほどワルに見えるのか。なら樹ちゃん、俺はどんな悪いことをしたのかな?」
いたずらっぽく、それでいて気品を感じる笑みを浮かべながら、自身がどんなことをしたのかと樹に質問する。
質問を質問で返され、樹は返答に困る。
目の前の彼が何か悪いことをする人物には見えなかった。それ故、頭を働かせて考えてみる。
「えっと、授業をサボったとか?」
「今のところ、無遅刻無欠席だよ」
「それじゃあ、成績が悪かったとか?」
「成績は上から三番くらいかな? いい方だよ」
「ええっと、それじゃあ……」
考えてみてもそれ以上は思いつかなかった。答えが思いつかず、うーんと樹がうなっているのを頃合いと見たワニーが正解を披露した。
「正解は進路調査票を出してなかったでしたー」
「進路調査票?」
昔のクイズ番組風に正解を披露したワニーに対して樹は進路調査票という聞きなれない単語を繰り返した。
「そっ、進路調査票。入学したばかりの樹ちゃんにはまだ先の話だけど三年になると一応書かされる訳だよ」
「それを出してなかったんですか?」
「そういうこと」
入学したばかりの樹には確かに卒業後のイメージは曖昧なものだった。
「どうして出さなかったんですか?」
「出そうとは思ってたんだけどなんて書いていいか分からなくてね。色々考えたけど自分がしたいことも思いつかなくて、そのままずるずると今日にまで伸びたってわけ」
自分でもどうかと思ったが目の前の先輩も自分と同じようにやりたいことで悩んでいるのだという共通点に樹は少し嬉しいと思った。
そんなワニー先輩の力になりたいと思い、提案してみることにした。
「先輩はいつもギターを弾いてますけど、音楽の道とかは興味ないんですか?」
樹の質問にワニーは首を振ってかえす。
「音楽は別にそこまで好きな訳じゃないんだ」
「よく、朝に弾いているのにですか?」
「うん、惰性で今日まで続いたのかな? あっ、もちろん樹ちゃんが来てくれることは嬉しいよ? ただ将来まで続けるのかって聞かれたら返事に困るって感じで……。それにもう目標もなくてね」
「そんなことないです! 先輩のギターの音とっても素敵です! そんな卑下しないで下さい!」
ワニーはギターを弾くことを対してそれを大事な事とは思えないと言った。
樹はそんな言葉を聞きたくないと思った。否定の言葉に声が大きくなる。
突然の抗議の声ににワニーは一度、目を見開いて驚いて、次に表情を崩す。
「そっか、そんな風に言ってもらえると嬉しいな」
五指を合わせ、嬉しそうにワニーは話す。
そして一息ついて、決意した顔を作る。
「なら進路調査票には音楽関係って書いておこうかな?」
「それがいいと思います。きっといいです!」
応援するように樹は両手を握り、勢い余って飛び跳ねる。
それを可笑しいそうにワニーは口元を隠しながら笑う。
「樹ちゃんは何か将来の夢はあるの?」
なんとなく聞いた質問だった。
自分が応援されたから、今度は聞いてみることにした。
その質問を聞いて樹の動きが止まる。
「あの、えっと、その……」
聞かれたくない質問であった。答えにくい質問だった。
夢も目標もない樹にとって将来の進路などいくら考えても答えなどでる訳がなかった。
考えても答えなど当然、何も思いつかず、樹から見て悲痛な沈黙が二人の間に流れる。
俯いてしまった樹を見て、何かまずいことを聞いたと察したワニーが慌てて話題を変える。
「そっ、そうだ! 樹ちゃんは何をやってんだっけ?」
「……え? あっ、そうだ。雑草とり。……って時間経ってます!」
そこで樹は話に夢中になっていて時間が立っていたことに気がついた。
終わり次第、今日は解散だったため、このままでは帰れない。
「すいません、ワニー先輩。今日はこの雑草を抜かなくてはならないんです」
そう言いながら樹は雑草取りを再開する。変わらず慎重さを忘れず。
そんな樹を見てワニーは首をかしげる。
「それって勇者部の活動だよね?」
「はい! 今日の依頼はここの雑草取りなんです」
「手伝ってもいいかな?」
「え、そっ、それは……」
「ボランティアならら手伝っても問題ないよね? 俺が話しかけて活動の邪魔しちゃったみたいだし?」
答えを聞かず、ワニーは雑草取りを始め、樹の作業を見様見真似で行う。
手伝わせて申し訳ないと思いつつ、ワニーの抜いた雑草の根が少し残っているのを目ざとく発見する。
「あっ! ワニー先輩、ミントを引き抜くときは根もしっかり抜かないとまた生えて来ちゃうんです」
「そうなんだ。樹ちゃんは物知りだね」
腰を曲げ、教えられた通りに土に残ったミントの根を毛抜きのように摘んで抜いていく。
後には点々と草が抜けた小さな穴だけが残る。
二人で雑草取りを黙々と行う。
隣り合って雑草を抜いていると土の匂いやミントの爽やかな匂い、混じる雑草の草の匂いの中にそれとは違う優しい花の匂いがした。
匂いの方へ顔を向けるとそこにはせっせと雑草を抜く長髪をバレッタでまとめた先輩。どうやらこれは彼の髪の匂いらしい。
樹はまたもや彼の妙な女子力の高さを垣間見る。
人の匂いに夢中になっていたことが急に恥ずかしくなり、雑念を取り払おう別の感覚を研ぎすまそうと耳をすませる
聞こえるのはワニーがリズムよく雑草を抜く音と自分が雑草を抜く音、そして遠くから聞こえる運動部の掛け声だけだった。
不思議ともう暑さによる不快感はない。
でも別の不快ではない熱さがあった気がする。
1時間もすればあの地面を覆う緑の絨毯もすっかり本来の下に隠れていた土の色に変わっていた。
すっかり膨れたゴミ袋の口を縛り、袖で汗を拭う。
同じように袖で額を拭った時、ワニーは自身の手や爪の間に土がこびりついているのを見つけた。
すぐそばにあった手洗い場に行き、蛇口をひねって水を出して手を洗う。冷えた水道水が手の表面を流れ落ちてこびりついた土を洗い流す。
手を綺麗にしたところでポケットの中を探ってみるが中には何もない。
「あー、冷たくてきもちいい。あれ? ハンカチ家に忘れたかな?」
「あっ、それならこれ使ってください。使ってくださいと言うよりは返します、でしょうか?」
ポケットを探り、ハンカチがないことに気がついたワニー。それで樹はカバンから一枚のハンカチを差し出す。
それは先日、ワニーから預かった菊の花が刺繍された青いハンカチだった。
それを受け取り、手を拭う。
青い菊の花が水を吸って色を濃く変える。
ハンカチを渡して樹は顔を少し赤くしながら軽くうつむいてポツリポツリと話し出す。
「あっ、あの先輩。先日はどうもありがとうございました。ハンカチ嬉しかったです」
先日の泣き出す痴態を思い出し、恥ずかしさに顔が熱を持つ。
そんな可愛らしい後輩の仕草にワニーは笑う。
「どういたしまして、かな? もう大丈夫?」
「はい! もちろんです」
「ふふふ、なら良かった。……そうだ」
樹の威勢のいい返事を聞いてワニーはもう一度笑う。
笑いながら何かを思い出し、ハンカチをポケットにしまい、後ろに振り返るとそのまま自動販売機まで歩き、ポケットから小銭入れを取り出て何かを購入する。
戻って来てみると両手にそれぞれオレンジジュースと紅茶の缶を持っていた。
「はい、オレンジジュースでよかった?」
「え、あっはい! オレンジジュース好きです!」
そのうちのオレンジジュースの方を樹に差し出す。
思わす両手を出して受け取る。樹が受け取ったのを確認すると手を離し、持っていたもう一つの缶を開け、少し傾けて少しづつ飲む。
オレンジジュースを受け取った樹もそれに倣って缶を開ける。
中の空気が勢いよく抜ける爽やかな音が聞こえた。少しだけ甘いジュースを飲んでから樹は口を開く。
「貰っても良かったんですか?」
「頑張った後輩へのご褒美さ、やっぱり何かした後に飲む甘いものはいいね」
ニカッとワニーは笑う。
釣られて同じように樹も笑う。
真夏日の五月。爽やかな風が校舎の横、土色に片付いた地面に立つ二人の間を通っていった。
小説の書き方の研究の側面があるので読みにくい、読みやすいの意見が欲しいです。
もちろん感想、誤字報告も大歓迎です。それではまた次回。(テンプレ)