犬吠埼樹はワニー先輩のギターを弾く   作:加賀崎 美咲

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そして始まってしまったオーバーチュア

 歌のテストから数日が経った。

 すっかり習慣となり苦ではなくなった早起きをして樹は通学路を歩いていく。

「♪〜——」

 爽やかな涼しさを感じる道程に思わず鼻歌がもれて、何でもない通学路に歌があるだけで少し特別なものになったような気がした。

 歌うという何でもないこの動作に樹は今までなかった楽しさを覚える。

 もともと歌うこと自体が好きだった。でも今はもっと好きになった。

 こんな気持ちになった理由は疑うことなく彼のおかげだろうと樹は思う。

 ワニー先輩。本名、鷲尾和仁。

 入学式の朝、偶然屋上にて出会った謎多き中性的で制服がなければ女性にも見える大和撫子を思わせる三年の先輩。

 樹が知っていることは本名で呼ばれるのがそれほど好きでない事、よく屋上でギターを弾いている事、そして実の両親とは仲が冷え切っている事。

 樹が彼について知っている事はこれくらい。今以上に知りたいと思ってしまうのはどうしてなのか。樹自身にもまだよく分からない。

 しかしそんな細かいことはどうでもよくて、今日も樹は二人の集合場所である屋上に向かって歩いていく。

 階段を一段一段と登る。そして、ふと小さく聴こえた。それに気がついて樹は嬉しそうに顔をあげた。隠す必要もない喜びの色。

 足取りは軽やかに階段を越えていく。

 もう待てないと言わんばかりに勢いよく屋上の扉に手をかけてそのまま開いた。

 気持ちの良い朝日に照らされた屋上で、普段通り彼はギターに手をかけて思うように音を奏でていた。

 その後ろ姿を見つけてトクンと小さく胸が音を鳴らしたような感じがした。

 コツコツと小さな靴音を鳴らして近づいていく。

 ワニーはギターを鳴らす事に夢中なのかすぐ側に樹が座り込んでも気がつかない。

 邪魔をしてしまうのも悪い気がして、樹は黙ってそのままその演奏に耳を傾けていた。

 弦を弾き、思いのままに音を鳴らしていく。

 演奏には奏者の心が現れるという。和仁が鳴らすギターの音は優しく繊細な旋律。聴く人に優しい心地を見せてくれる時間をかけて研磨された音だ。しかし何度も聞いてきた樹にはそこに隠れた小さな不協和音を理解し始めていた。その音はどこか寂しげで、涙を流す悲しき歌のようだった。

 どうして好きなギターを弾いているだけなのにそんな音を奏でるのか樹には分からなかった。

 そんな秘密が目の前にあって、しかし聞き出す理由もなくて、樹は言いようのないもどかしさに苛まれていた。

 いっそ恥も外聞もなく聞き出してしまおうかとも思った。でも、それをしてしまえば最後、今までの関係が壊れて無くなってしまうような気がして踏み出せなかった。

 今のまま、朝にワニー先輩のギターの演奏を聴いて、時々その伴奏に合わせて樹が歌って、何でもないような雑談に時間を費やしているこの時間がこれ以上なく愛しくあったから。

 だから今日も樹は静かにワニーの奏でる演奏に耳を傾けていた。

 長くもなく、短くもない時間をかけてワニーは演奏に一段落した。よほど集中していたのか演奏を終えると深く息を吸って吐く。それは体に流れる血潮の熱を吐いているようで、どこか艶かしさすらあった。

 そういえば今日は来ないのかなとワニーは思って右隣を見ると自身を見る樹とバッチリ目が合って互いに静止した。互いの瞳の奥を見るように互いの時間が止まった。まるで宇宙の時間法則そのものが同じように止まったような沈黙を経て、やっと我に返ったワニーが嬉しそうに微笑んで、同時に少しだけ苦笑した。

「おはよう樹ちゃん。来たのだったら声をかけてもよかったんだよ?」

「その……、演奏の邪魔かなって思ったので終わるまで待とうかなって」

 少しモジモジしながら言い訳する事で見つめていた事は隠す。黙って見つめていた事がバレてしまうのは何故だか恥ずかしくて思わず隠してしまった。

 樹の言葉を受けたワニーは「そっか……」と納得して少しも疑う事なく信じていた。

 なにやら思い出したのかワニーは小さく手を叩くと手を合わせ、笑ったまま樹に問いかけた。

「先週の歌のテストはどうだった?」

 どうだったかを聞いていながらその質問は既に答えをあらかじめ確信したような言い方だった。その確信めいた聴き方に確かな信頼を感じて樹は小さく握りこぶしを作って、自信に満ち満ちて力強く答えた。

「はい! 先輩のおかげでバッチリでした! ブイ!」

 ニッカリと笑って勢いに任せてらしくもなくVサインで喜びの大きさを見せようとしていた。そんな樹の動作が変わりらしかったのかワニーは指で口元を隠しながらクツクツと小さく笑っていた。

 嫌味などない純粋な笑いだったが急に自分の普段やらないような喜び方が急に恥ずかしくなった樹は羞恥によって空気が抜けていく風船のように小さくなった。

 少しはしたなかっただろうかと思っているとワニーがやっと笑うのをやめた。

「そっかそっか、ばっちりだったのなら朗報だね。歌自体はどうだった?」

「いつも通りの楽しい気持ちで歌いきれました。やっぱり歌って楽しいですね!」

 その言葉を聞いて少しだけワニーの動きが止まった。驚いたように少しだけ目を見開いてジッと樹の瞳を見つめてそのまま動きがなくなる。

 見つめられた樹も何も言えずまたしても二人の時間が止まった。そしてフッとワニーは心の底から嬉しそうに笑って見せた。

「……そっか。樹ちゃん歌うのが嬉しいんだ」

「はい! 歌っている時ってなんだか自由で、ありのままの自分を恥ずかしがらずに見せられるような気がして、いつもとは違う自分になれたような気がして好きなんです」

 確認する様な聴き方だった。樹にはその質問が意味するところはよく分からなかったがせっかく聞かれた事には全力で応えたいと思った。だから今言えることの全てを樹は答える。

 内気で消極的な彼女にとって歌という手段は代わりのない自分を表現する手段だった。その精神と人に聞かせるという歌の性質は噛み合いこそ悪かったが今はこうして人前でも少しなら歌える様になった。

 そんな勇気を持てる様になった自分自身が誇らしくて、何よりもそうなれるようきっかけになってくれた姉や勇者部の仲間たち、そして後押しを樹が望み叶えてくれたワニーへの感謝は言葉にできないほど大きなものだった。

 そうやって多くの後押しを受けて少しだけ人見知りを克服した事実が何よりも嬉しいものだった。

 誇らしげな樹にワニーフフフと笑みを深くした。そんな風に見つめられ、先ほどまでの威勢の良さはどこへやら顔を赤くして縮こまる。そんな後輩の後輩の所作がまた可愛らしくてワニーは笑って、笑われた樹はなんだか恥ずかしくなって、そんなやりとりを何度か繰り返した。

 そんな好意的なからかいの循環から逃げ出そうと樹は話題をひねり出そうと周囲を見回してワニーギターを見つけた。

「……あっ! ギター直ったんですね!」

 我ながらあまりにも雑な話題の逸らしかただと樹は思ったが話題をふられたワニーは嬉しそうに膝に乗せていたギターを見せるように持ち上げた。

「うん、昨日返ってきてね。思った通りちゃんと直って返ってきてくれたよ」

 綺麗に直り、水浸しになったことを感じさせないギターを見て樹は先日の水浸しになったギターの惨状を思い出して申し訳なさそうにした。

「……あの、その、本当にすいませんでした。私のせいでギターがあんな風に……。やっぱり修理ってお金がかかっちゃいますよね?」

 少し不安そうに樹は問いかける。ワニーが自分に修理費を払うようにいう事はないとは分かってはいても迷惑をかけてしまったという気持ちが大きくなる。

 そう思うと聞かずにはいられなくなっていた。そんな樹の不安をよそにワニーか苦笑して手をヒラヒラと振って見せた。

「あぁ、そんなこと気にしなくてもいいよ。これが濡れちゃったのは樹ちゃんのせいなんかじゃないんだから。思い詰める事ないよ」

「で、でも私を追いかけたからギター、あんな風になっちゃって……」

「もう直ったのだから気にしなくてもいいんじゃないかな?」

「そうかもしれないですけど。でも……」

 何度言ってもワニーは気にしなくていいと樹に答える。しかし思うところがあって引っ込みがつかず樹自身、自分がどうしたいのか分からなくなっていた。

 迷惑をかけてしまったという罪悪感となんとかお返しをしたいという義務感の競り合いが樹の次の言葉を躊躇わせる。

 そんな樹を見てワニーはなぜ樹が思い悩んでいるのか分からないほど唐変木でもなかった。

 クスクスとイタズラっぽく笑ってワニーは切り出した。

「それじゃあ、樹ちゃんに払って貰おうかな、ギターの修理代」

「はい! ……えっと、でもどうしよう……」

 求めていた折衷案を出されて樹は思わず勢いよく返事したが直ぐに次の問題に対面する事になった。

 修理代、つまり修理費、言い換えれば代金。現金が必要なのだ。犬吠埼樹が扱える現金は毎月のおこずかい5000円。もっと必要ならば姉に用途と金額を伝えて要相談となる。

 厳しい現実と来月からのおこずかいアップを誓いながら表情を少し引きつらせて樹は聞いた。

「……ちなみに修理費はおいくら万円でしょうか?」

「水没からの総取り替えなので6万円になります……」

 現実は無慈悲だった。1ヶ月どころか12ヶ月分が必要だった。

 二度のバーテックスとの戦いについて樹は良い思い出はない。怖いし危険だしできる事ならば二度とこないで欲しいわけで。しかし今だけは樹はバーテックスとの戦いに感謝していた。具体的には素早い状況判断が養われた事に。

 値段を聞くや否や樹は膝をついて手を揃え、頭を地に伏した。

「出来るだけ、出来れば一年ほどお待ちいただけないでしょうか!」

 見事な土下座だった。犬吠埼樹一世一代のそれは美しい土下座であった。

 中学一年生の13歳に今すぐ6万円を用意せよなど割と無理な案件だった。無理なので素直に待ってくれとお願いするしかない。

 一方、土下座されたワニーはどうしているのかというと、率直に言ってビビっていた。

 値段が値段だけにまさか本気で返済するとは露とも思っていなかったワニーから見て、いきなり土下座をかましてきた後輩の存在は今までにない種類の脅威だった。

 今度はこちらがあたふたとする番になった。

「うぉ! ちょ、ちょっと落ち着こう樹ちゃん。そんなことしなくて良いから、イヤ本当に……、ね?」

 何やらおかしな方向にエキサイティングし始めた後輩を落ち着かせようと声をかけるがあまり意味もなかった。

「いえ! やっぱり迷惑をかけたままなのはいけないって思うんです!」

「別に迷惑だなんてちっとも思ってないんだけど……。それに6万円はちょっと難しいでしょ? だから払って貰おうなんて最初から思ってないよ」

「でも……」

 現実的な問題、樹に支払い能力はない。しかし現実的に無理だと分かってはいても感情が納得出来ないでいた。

 そんな様子の樹を見てワニーはどうしたものかと思い悩む。少し考えて何か思いついたように手を叩いて、すぐに微妙な顔をした。

「あー……、樹ちゃん日曜日時間あるかな?」

「え、……えっと、はい。多分何も予定はなかったと思います」

 樹の返事を聞いてワニーはニッコリと微笑んだ。

「なら良かった。それじゃあ日曜日に歩きやすい服装と靴を履いて駅に集合。いいかな?」

 とんとん拍子に週末の予定が決まっていき、今度は樹がきょとんとして状況を飲み込めないでいた。

「えっと、つまりどういうことですか?」

「いや、ね? やっぱり払えっていうのは難しいし樹ちゃんも気負わせちゃうのは俺も申し訳ないから、ちょっと体で支払って貰おうと思って」

「体で、なるほ……ど? って、えぇ⁉︎」

 驚いて思わず体を両手で隠す。さらに予想だにしなかった方向へ話が進み樹の混乱は最高潮であった。思った通りに混乱した樹の様子を見て、あまりにも思ったままだったものだからまたもやクスクスと笑うワニー。

 あまりからかいが過ぎるのも良くないかと区切りをつける。ネタばらしの時間だ。

「つまりね、樹ちゃん。ちょっと君に俺のお手伝い、アルバイトをして貰おうと思ってるんだ」

「……あはは、なーんだアルバイト、ってえぇー!」

 なんて事はないという風にワニーが笑って手伝いの正体が明かされた。そして樹は本日何度目かになる絶叫を繰り出していた。

 そんなやりとりをする青空の下、時節は七月になろうとしていた。

 

 場所は変わり、この世のどこかとは思えぬ灼熱の地。地獄とも形容すべきそこでいくつもの白い悪魔と呼ぶべきバーテックスの幼生である星屑がとめどなく生まれて来ていた。

 あるものは主の行いを妨げる結界に食らいつくために飛び立ち、あるものは完成体を作り出すために集結していた。

 しかしそのどちらも目的を果たす事はなかった。罪を裁く神の鉄槌のようにいくつもの光の槍が降り注ぐ。寸分狂わず正確に星屑の頭部に当たる部位をえぐり抜いていく。

 そして槍の襲来から少しだけ間をおいてそれは降って来た。手近な溶岩に飲み込まれていない岩場を足場にしてそれは着地する。どこか神聖さすらあった光の槍の担い手は打って変わって不気味の一言であった。

 一目見て連想されるのは西洋の悪魔、もしくは黒いトカゲ。人型のシルエットは黒く、腰からは尾のようにマニピュレーターが伸びている。

 よく見れば構成している部品は機械であり、人ひとりを包み込むように機械の鎧をまとって、それでありながら生体的な印象を与える。微かに見える生身の部分の女性的なシルエットがなんとかそれの性別を理解させていた。

 顔を上げその顔が見える。顔を隠すように装備されたバイザーからは不気味に赤い光が灯り、遠くにいる出来かけの完成体バーテックスを捉える。手にした二本の槍を力任せに放り投げ、乱雑な投げ方からは想像できない豪速で槍が射出されてバーテックスを貫き、御霊どころか全身を粉砕して消滅させていた。

 一体のバーテックスを倒す事に感慨も見せず、黒トカゲは足場を砕きながら跳躍する。跳びながら星屑を潰し、足場にして、さらに消滅させていく。

 そんな虐殺とも言える一方的な処理を終え、一時間もしないうちに目に見える範囲にいたバーテックス、および星屑は一切が消えて無くなっていた。

 最後に残った星屑の頭部を直接掴み、ただ握り潰す。それだけで人類の天敵は抵抗することも許されずに動かなくなった。

 動かなくなった星屑を大地に流れる溶岩に放り込み溶岩に溶けて灰になっていく様子をただジッと見下ろす。

「モクヒョウスウ、シュウリョウ。キトウシマス」

 ノイズ混じりの独り言を機械音声でつぶやき、踵を返して元来た方向へ移動を開始して帰還する。

 背中のパーツに刻印された製品番号と個体識別を意味する黒百合、それが傷一つ付いていないことが彼女の無類の強さを示していた。

 地獄のようなこの世界でこの黒百合はあの日から今日も変わらずに戦火にその身を墜としていた。

 




お久しぶりです。プロットを整理していたらこんなに遅くなっちゃいました。
犬吠埼樹の物語終幕まで一直線、頑張っていきます
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