夜眠るという単純な動作、人が毎日行うそれを和仁は好きになれない。むしろ眠る度に不快感と嫌気を感じていた。眠るという行為において和仁は、通常見るであろう夢を見たことがない。
眠る時、彼が見続けているのは、あの日の記憶。彼の父が和仁のため、大赦に抗議に行き、そして和仁が自身を使えと懇願したあの日。和仁が神稚児としての生き方を受け入れた日の記憶を何度も、何度も繰り返し見ていた。
まるで忘れてなはならないと言われているようだった。深く体と心に刻みつけるように記憶の中をあの日が反芻していく。
そして眠るときに見るものはそれだけではない。記憶のリフレインが終わると神樹による知識の供給が始まる。
与えられる知識は様々であった。他愛のない雑学から、日々更新されていく宮司システムの最新情報、四国、それに関することであればその知識は何の貴賎なく和仁に与えられていた。
そして毎晩行われる記憶の反芻と知識の植え付けは和仁へのひどい負担を生んでいた。眠る度に脳と体にかかる負担で寝苦しさを覚え、寝汗の気持ち悪さと共に目が醒める。
毎日行われるそれに、和仁にとって爽やかな朝というものは理解からは程遠いものであった。
体にかかる負担そのものは神稚児の特性、神樹による加護により瞬時に癒されるが、かいてしまった寝汗はどうにもならない。寝間着と枕、シーツに染み込んだそれは、冷えて不快感をもたらす。
和仁はベッドから起きると部屋に備え付けられたシャワー室に向かう。和仁は鷲尾の屋敷には住まず、讃州近くの宮司システム研究所に住んでいた。
彼自身への食事の制限やその他、体を概念的に穢しかねない全てから隔離するために、汚れ対策の用意がしやすい研究所の方へ住みこむようになるまでそれほど時間はかからなかった。
和仁自身がそれを望んだ。こちらに住めば家族に会わずに済むし、研究に使える時間も鷲尾の家に住んでいた時よりも多く取ることができたため断る理由はなかった。
自分を見る度に複雑な顔をする両親に会わずに済めばお互いにきっと気が楽だろうと和仁は思っていた。
そのような経緯もあって和仁はこの宮司システム研究所に三年前単身住むようになった。
研究所といっても研究自体は非常に広く、研究のためだけの施設ではない。元々ほかの研究者たちも住み込めるようにビルを改装して作られた研究所は上層階が大赦の事務所で有り、その下へ行けば住居区画、食堂、地下に行けば研究所と階によって分けられていた。
最上階は和仁のために食事以外の生活と、神稚児の力を安定させるための修練が十分に行える空間に改装されていた。
体質上、朝起きれば真っ先にシャワーに向かう和仁のため、出てすぐの部屋が浴室になっていた。
部屋を出る直前、壁に掛けられた写真が目に入り和仁は不快感を一瞬だけ忘れて頰を緩める。
壁に掛けられていたのは四年前、安芸が大学へ入学した時の時の写真。そしてその横に並べられているのはその四年後、卒業式の写真。どちらの写真でも安芸は振袖に袖を通し、卒業式の写真では手に卒業証書、そして隣に立った和仁が教員免許の賞状を持って写っていた。
七年前、初めて宮司システムを起動したあの日の宣言通り安芸は教師となった。和仁も十歳になったのをきっかけに四年生から大赦が運営する神樹館小学校に編入することになり、担任は運良く新任教師として教鞭をとることとなった安芸であった。図らずしもお役目と実生活の両方で安芸は和仁を教師として教えることとなり、和仁もそれを好ましく思っていた。
両親との距離や時間を離そうとする一方で安芸との時間や距離は密接になっていた。
そんな生活を行うこと五年、この日少しだけ変化が起きた。
シャワーによって寝汗を洗い流し、選択された室内用の神官服に着替えると和仁は地下の研究室に向かう。この日は土曜日であり、こうした週末、和仁はもっぱら1日のほとんどを宮司システムの開発の手伝いに時間を充てていた。
来たるバーテックスの襲来まで子供らしい時間など不要と行動で示していた。研究者たちもそんな和仁を心配し、声をかけるが当の本人が笑いながら無用の心配だと言外に語る。
そんな和仁の協力もあり、当初十数年単位での開発、試作段階にしてもバーテックスの襲来直前までかかると思われていた開発も二年の余裕を持って一段落した。
白衣を着た開発者がモニターに表示される詳細を見せながら椅子に座った和仁と安芸に説明を終える。
話を聞きながら、時折和仁が思ったことを質問していく。
「……以上のことから宮司システムは神稚児様を生体部品として組み込み、神樹様の行う樹海内での働きかけをこちらでも機械的処理し、通常の軍、警察における情報処理システムを勇者様たちにも行えるようにしたものになります」
「情報処理については僕の方で処理して勇者たちに口頭で指示する形に落ち着くのでしょうか?」
「はい、ご存知のように脳波を用いた広域通信で神稚児様と勇者様方との通信が可能になるはずです」
「そちらは樹海内に、実際に行かないと確証はないのですよね?」
「はい、過去から研究し続けている勇者システムと違い、宮司システムは一から作り始めたこともあり、おおよそ問題はないはずですがやはり確認するべきことも多くあります。しかし神稚児様が望まれていました勇者様方のダメージの肩代わりシステムと樹海内での位置情報等の情報処理自体は樹海化に関係ないため問題はございません。……しかしやはりこの肩代わりの方に関しては問題視も多いです、本当によろしいのですか?」
「問題ありません。通常の肉体しか持たない勇者よりも、神樹様から加護を貰っている僕の方が死に難いはずです。ならそれを利用しない手はないはずです」
自分に負担をかける機構を組み込むことに和仁は何のためらいを持たない。人々の為に血を流すことこそ、自身の義務だと和仁は思う。
言うなれば自己中心的の真逆、他人中心主義が和仁の在り方であった。
他者の役に立てる自分が好きという当然の自己肯定でなく、人のために使われる自分の姿こそが自分の正しいあり方なのだという考え。価値判断の基準が人に依存していることが彼の精神性のあり方である。
横に座る安芸は眉を下げて顔をしかめる。自分はどうなってもいいという和仁の考え方を感じる度に治したいと常々思うも、結局五年たった今日に至るまで手段を講じられないでいた。
現実として和仁の意見は彼の犠牲という点に目を瞑れば効率や確実性に優れているのだ。故に強くは反対できない。そんなジレンマが何時も安芸にはあった。
少し気落ちしながら安芸はファイルから一枚の手紙を和仁に渡す。
差し出された手紙を受け取り、その送り主を見て和仁は眉をひそめる。安芸を見て確認するように質問する。
「……お父さんからですか?」
「はい、今朝届いたようです。和仁くんに用事があって手紙を贈られたようですよ?」
中身は見ていないため、安芸は送り主が和仁の父であることだけを告げる。変わらず眉をひそめたままの和仁は丁寧に手紙を開くと中に入っていた便箋と一枚の書類に目を通す。
和仁が手紙を読み進めるうちに困惑の表情を濃くしていく。読み終えと手紙を折り直し、元あったように封筒に収める。
「少し、鷲尾の屋敷に行ってきます……」
「鷲尾の家にですか?」
和仁の発言に安芸は驚く。少なくとも今まで和仁が自ら行くと言ったことはなかった。
「どうやら家族が増えるようです……」
「……はい?」
和仁の言葉に安芸は思わず素っ頓狂な声を出す。対して和仁の表情は硬い。家族が増えるという、通常であれば喜ばしいはずのそれに嬉しそうな様子は一切ない。
「……勇者が妹になるようです」
とことん不愉快だという様子で和仁は言う。
研究所を出て、大赦職員が運転する自動車で鷲尾の屋敷に向かう。休日の午前中ということもあり、気の重い和仁の心情とは裏腹に車はすいすいと車道を走って行く。一時間もかからず、鷲尾の屋敷に到着する。
運転手に礼を言ってから向き直って敷地内を進む。
正面玄関に立ち扉を叩く。少しすると使用人が扉を開き、居間に案内される。
居間の扉の前に立つと使用人は一例して去る。一人残された和仁はなんとなく周囲を見る。五年前に出て行ったきり、何も変わらないように見える。まるで時間が止まったようだと和仁は思った。何も変わらない家の中から視線を扉に向け、扉を開ける。
扉を開けると三人いた。父と母、そして知らない少女が一人。
和仁を見つけるとまず和仁の父が立ち上がった。
少しだけ硬い表情をなんとかいつも通りに
「おぉ! 帰ったか和仁。手紙で言ったように、この子がお前の妹になる須美だ」
「す、須美です! 鷲尾家の一員としてこれからよろしくお願いします、和仁お兄様!」
紹介され、緊張した様子で件の妹、須美が和仁に挨拶して握手しようと手を伸ばす。
可愛らしい少女であった。目鼻立ちがはっきりした整った顔、長い黒髪を後ろで纏め、大和撫子といった風貌の少女であった。
初めて兄に会う事に気持ちが高揚する須美に対して、和仁の表情は明らかに不愉快そうだった。
差し出された手を和仁はどうでも良さそうに睨みつける。須美から視線を外し、父に視線を向け、互いの視線が交わる。
「この子が勇者になる東郷美森さん?」
あえて鷲尾須美ではなく東郷美森の名で彼女について質問する。
明確な拒絶が言葉の端々に含まれていた。そういう聞き方だった。そんな和仁の態度に須美は少し困惑しはじめる。
「……そうだ、しかし今の彼女は鷲尾の一員である鷲尾須美だよ、和仁」
言い聞かせるように和仁の父は言う。彼女はもう家族の一員のだと和仁の父は言うが和仁は睨みつけるように父を見る。
「何で勇者になる子が鷲尾の家に入ることになるんですか? 勇者と鷲尾家に関係は……、もしかして家格ですか?」
「そうだ、東郷の家では勇者になるに当たって家格が不十分と大赦で判断された。その為に須美を養子としてうちに迎え入れて問題を解決した」
この時代、勇者という立場は神聖なものであり、大赦ではそれぞれ歴史のある家から勇者を選出していた。しかし今回神樹が選んだ勇者の一人である東郷美森の家はそれに値していなかった。その為養子という形をとって家格を補いことになった。
歳の近く、お役目を共に務める和仁のいる鷲尾家であれば問題も少ないだろうという判断で鷲尾家に須美は養子へ送られた。数年前から家を出たっきりの和仁との会話のきっかけになるのではと和仁の両親も快諾し、須美自身も神稚児である和仁の身内になることを誇らしく思っていた。
でも和仁はそれを好ましく思えなかった。ただでさえ家族と距離を作ろうとしているのにその家族自体が増えることにいい顔をしなければ、自分以外の誰かがお役目のために何かを強いられるのも気分が悪かった。だからこそ和仁は鷲尾須美という存在を好ましいとは思えない。
それぞれの思いが交わり、部屋の中の空気が悪い方へと淀み始める。
二人の会話を聞きながら須美はいくつか疑問を浮かべる。
——どうしてこの二人は親子なのに他人のように話すのだろう? 私は好かれていないのだろうか? 私は受け入れてもらえるのだろうか?
須美が表情を不安そうにしていると和仁が須美に向き直る。須美が見た表情は暗く、彼女をどうでも良さそうに見ていた。
「須美さんだっけ? 君は勇者に必要な家格のためにこの家に来たのだろうけど、僕と仲良くする必要はない。おおよそ二年くらいで君も元の家に戻れる。宮司として君を無事、元の家に返すことは約束する。それまで親子三人で仲良くすればいい」
親子三人、その言葉が明確に和仁自身を除いた数字であることは初対面の須美にも分かった。
執拗に家族から自分を外そうとする和仁の物言いに生真面目な性格の須美が食ってかかる。
「和仁お兄様、そんな言い方はお父様とお母様に失礼です! 第一、私たちは兄弟になるんですよ、仲良くしないと」
兄弟ならば仲良く。真面目な性格の須美はそれを当然と考え、またそうでありたいと思う。一人っ子である彼女にとって兄弟というものは一種の憧れの存在であった。しかし目の前の兄になる人はそれをよしとせず、自分と須美の関係をあくまでも勇者と宮司でしかないと語る。
兄弟のいない須美にはどうすれば距離を縮められるのか分からない。家族を自分には不要と断ずる和仁は距離を離そうとする。
これ以上話すこともないと判断した和仁は身を翻し、屋敷から出て行こうと扉に手をかけた。
「……もう帰ります。ここにいる用事は終えましたので」
扉に触れ、俯きながら言う和仁。それを見た和仁の母が待ったと声をかける。声をかけられ、和仁は振り返る。
最後に母と話した記憶は相当に古い。母に声をかけられて初めて、和仁は母親の声がそういえばこんな声だったと思った。少しだけ言葉に詰まりながらも和仁の母は懸命に和仁を呼び止める。
「ねぇ、和仁? ここは貴方の家でもあるのよ? 今日くらいゆっくりしていったらどうかしら? せっかく家族になるのだから須美とも、私やお父さんとも、もっと話してもいいと思うわ……」
途絶えてしまった家族の縁を取り戻そうとか和仁の母は働きかける。そんな姿は少し痛々しく、そうなことをさせてしまったことを和仁は後悔する。一瞬だけ眉を下げ、直ぐに微笑むように笑う。まるでこれから枯れようとする花のように。
「いえ、結構です。まだまだやらなければいけないこともありますし、それに……」
一度言葉を詰まらせ。少し悲しそうにして。
「母さん、僕がいない方が落ち着くでしょう?」
そう言われ、和仁の母は思わず目をそらす。
ずっと申し訳ないと思っていた。和仁が今の立場にいるのは産んでしまった自分のせいだと思い込み、顔を合わせていない間はそういう考えから目をそらすことが出来た。だからこそ和仁の言葉は図星であった。
和仁の言葉に何も言い返せず、それっきり黙り込んでしまう。
端的にいってしまえば、この家族は破綻していた。和仁を普通でない体に産んでしまったことを申し訳なく思う母、神稚児という立場に和仁を立たせてしまいどうすることもできずに歯がゆく思う父、そんな二人を気遣い距離を離し、自身は世のために進んで犠牲になろうとする和仁。まともな訳がない。この家族はどうやっても三人では修復不可能な状態だった。
皮肉なことに血の繋がっていない須美と両親であれば、血が繋がらないこと以外に何の問題も破綻も起きない家族でいられる。
和仁さえいなければ普通の家族でいられる。それがこの鷲尾家の状況であった。
やっと初めて、須美はここでこの家族の亀裂を理解する。
血の繋がらない須美以上に和仁は二人から遠くにいる。自ら距離を開き、互いが傷つかない距離へ離れていく。
だからこそ新たに家族になった須美に同じように距離を置く。三人で仲良く家族をしていてくれれば自分はそれでいい。そう和仁は思う。自分とは育めなかった普通の家族をこの鷲尾須美と一緒に作って幸せになってくれればいいと、二人ともう一人の幸いを和仁は望んだ。
黙ってしまった両親と須美を見て、今度こそもう話す事は無いと判断した和仁は部屋を出る。 廊下を出て、扉を閉めようとしていると最後に須美が和仁に問う。
「和仁お兄様、私たちは家族に、兄弟になれないのでしょうか?」
「血が繋がっていても破綻してるんだ。血が繋がってもいないのに兄弟になんてなれる訳がないだろう?」
すがるように聞く須美の質問を和仁は切り捨てる。両親と同じように。ただ自分は神稚児であればいい、宮司であればいい、普通の幸せなど全てが終わってからでいい。
例えそれがもう手遅れになっているのだとしても。
扉を閉め、和仁は屋敷から出ていった。
続きを書きたいけど時間がとにかく無い今週。落ち着いたら投稿するそうするそうしたい。
小説の書き方の研究の側面があるので読みにくい、読みやすいの意見が欲しいです。
もちろん感想、誤字報告も大歓迎です。それではまた次回。(テンプレ)