犬吠埼樹はワニー先輩のギターを弾く   作:加賀崎 美咲

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予定は未定とも言いますが真なる自由を得たので再開です。
待っていた人がいたならお待たせして申し訳ないです。


彼女のプロローグ/彼のフィナーレの始まり

 一体、どれほど罪を重ねたの

 どうしたら許されるのだろうか

 いくつ命を奪ったの

 何を殺せば終わるのだろうか

 あとどれだけ生きていればいいの

 どうしたら許してくれるのだろうか

 どうしたら終われるの?

 

 

 朝早い学校の屋上。七月も半ばに入り、日は朝だというのに高く登っていく。

 爽やかというよりも、体を動かせば汗がにじむような陽射しの中、今日も変わらずギターの音色は屋上に響いていた。

 屋上にいるのはワニーただ一人。たとえ観客がいなかろうとも奏者は構わず旋律を奏でる。今まではそうだった。聞いて欲しい相手は世界でたった一人。それ以外なんてどうでもよくて、失ったあとはもうどうでもよかったはずで。

 しかしそんな他人など気にしない奏者のあり方が、今は少し揺らいでいる。

 一つの曲が終わり次の曲に取り掛かる合間のたび、屋上へ繋がる扉を横目に見てしまう。否が応でも彼女の存在が脳裏に浮かんで意識してしまう。そうしていると自然と顔が熱を帯びるのを感覚として理解する。それがなんだか恥ずかしくて頭を強く振り、なんとか意識を他に逸らしてしまおうと頭の中から記憶を掘り出す。

 しかしそんなことをすれば、おのずと余計なことまで考えてしまうもの。

 思い出したのは数日前でもある先週末、森深くの神社。課せられたお役目の一つである神楽舞が終わると樹は気絶していた。急いで別室にまで運び、横にして様子を見ていた。そして起き上がったと思ったらいきなり唇を奪われ、告白のようなことを言われた。

 重なった唇、今まで見たこともない彼女の強い眼差しと言葉。言葉の意味はよく分からなかった。誰かに何かを言われ、それに反発したかのような言い回しではあったが、こちらを一点に見つめる彼女の視線が、それがどれほどの覚悟を含んだものなのかを伝えていた。

 宙ぶらりんの指を乾いた唇にあてる。そうするだけであの感触が今のことのように思い出されて、鼓動が強まっていく。

 正直なところ、もらった言葉は嬉しいと思った。だからこそ彼女のことを想って高鳴っていた鼓動は、心の奥から流れ出てきた冷水に熱を失う。

 弦にかけていた指を離し、力なくうなだれた。朱に染まっていた頰は青く、罪悪感から目を逸らそうとした瞳は重く、足元ばかりを見てしまう。

 胸に重くのしかかる隠された秘密が心を暗い水底へと引き込んでいく。

「違うんだよ樹ちゃん。俺は君に好きになってもらえる価値なんてないやつなんだ。君を騙しているやつなんかが、そんな人間が君にふさわしいものかよ……」

 溢れた冷たいものは懺悔の言葉へと変わっていく。

 四月から始まった、人類の未来がかかった儀式。その一端をワニーは受け持ち、そして樹を、そして彼女の姉や友達を、もっと大勢をも巻き込んでいる。

 全てを口止めされ、何か言えば自分はおろか、樹やその知り合いにまで迷惑がかかってしまうかもしれない。

 全てがうまくいけば彼女たちはまた平和な日常に帰れると聞かされた。だからどれだけ秘密を隠すことへの重さに崩れそうになってもやめることは許されない。彼女を止めることも、自分が辞めることもどちらも出来ないのだから。

 失くしてしまった妹。もうあんな思いはしたくないから。だから今日もワニーはいい先輩を演じる。ただ求められた役割を操り人形のように望まれるがままこなしていく。

 それが▪️▪️▪️の生き方なのだから。

 決めたことだから、揺らいでしまうような覚悟でも、もう失わないと決めたのだから。しかしその覚悟を止めるように声がする。

 ——だから、そんな使命だとか生まれた理由とか関係なくさ、和仁は幸せになればいいんだよ。

 脳裏を走る声と痛み。思いがけないそれに和仁は頭を抑える。

 時々、ああして誰かわからない声がする。宮司のお役目に着いた頃からだろうか。うっすらだった幻聴と痛みはこの頃、ますます酷くなってきた。

 聞き違いのようだった声は、今やはっきりとした少女の声だった

 でも知らない声だった。何度聞いてもその声は見知った人の誰とも一致しない。それなのにひどく懐かしくて、忘れてはいけないような気がして、胸の内側をかきむしっていく。

 しかしどれだけ考えても思い出せず、痛みばかりが胸中に残る。いつしかワニーはそれが誰なのか考えないようにしていた。心の中でそうしたほうがいいと、そうしろという声がどういう訳かあるから。

 全てが終わればそんなことを気にする必要もない。

『その後』などワニーにはないのだから。咲き誇る花のように咲いて散って、次に花開く花のための養分になればそれだけで生きるのには十分だから。のちに咲くなど見られなくてもいいのだから。

 立て付けの悪い屋上の扉が音を鳴らしながら開かれる。今日もあの子がやってきた合図だ。

 暗い表情を優しい笑顔で上塗りして、今日もワニー先輩になる。

 可愛い後輩は今日も楽しそうで、そんな様子が失われてしまった妹を思い出させる。そうすると欠けてしまったものが満たされていくようで、そう思うと自然を笑みが溢れる。

「おはよう、樹ちゃん。とてもいい朝だね」

 今日もワニー先輩は君に会う。

 それがたとえ舞台上の役者だとしても。

 

  ●

 

 屋上への扉を開くと、樹は一番にワニーを見つけた。扉の音が大きかったのかワニーはすでにこちらを見ながら微笑んで満面の笑みを作り挨拶をする。

「はい! 今日もとってもいい日だと思います!」

 声をかけられ返す樹の笑顔が眩しい。楽しそうな様子が声からも表情からも手に取るように伝わる。弾むような足取りで屋上に躍り出て、樹の背に隠れていたものが露わになる。

 黒いマット素材のケース。一目見てワニーにはそれがなんなのか分かった。

「樹ちゃん、それはもしかしてギター?」

 理解はできたものの、どうして樹がそんなものを持っているのか分からなかったワニーは目を見開いたまま問う。

「そうですよ、この間のアルバイトのお給料で買ったんです。えへへ、その、私もギターをやってみたいなって思って……」

 聞かれた樹は少し照れ臭そうに鼻をかきながら答える。答えながら樹はワニーの横に座り、ケースの中からギターを取り出す。ギターをワニーの姿勢を真似るように置くと、小柄なこともあって樹の方が付属品のようにも見え、ちょっとした不格好さが醸し出されていた。

 ギターの型番が同じ、ギターを持つ姿勢も同じ、樹が誰を真似ているのかは明白だった。少し照れてワニーは表情を崩して。

「そっか、樹ちゃんもギター、やってみたいって思ったんだ。仲間が増えて少し嬉しいかな。……それで? 今はどれくらい弾けるのかな?」

「それがちっとも。まだコードの読み方もよく分からなくて、教科書に載っている指使いもよく分からないんです。それだったら分かる人に教えてもらおうと、……だから教えてください!」

 本題に入るや否や、樹は力強くワニーに頼み込む。それまであった距離が突然なくなり、顔と顔とが近くなる。樹の話を聞くことに意識を割いていたワニーは樹の口元にへと視線が下がり、血色のいい唇を見つめて、挙動が止まる。すぐに樹もその視線が何を見て、何を思い出ささせるのかに思い当たる。重なり、伝わった人肌の温かさを思い出す。

 二人とも顔を赤くして視線を逸らしあい、横目に相手を見ようとして視線が重なって、またもや逸らす。

 長いようで短い沈黙があって、このままでもいいような気がしたが、流石にこのままではいけないとワニーが口を開く。

「……えっと、その、教えるのはいいけど、ちょっと近いかなって。あ、いや、その。別に嫌とかじゃないんだけど」

 言葉とともに半歩だけワニーは後ろに下がる。しかし空いた距離が間も置かずに樹によって詰められる。

「嫌じゃなかったら近くても良いですよね?」

 ストンと横に腰を下ろし肩どうし、膝どうしが体の揺れに合わせて小さく触れ合う。小さく伝わる温もりに小さく鼓動が踊るが、樹はそんなワニーの心境など関係なく指をギターにかけ、基本的なコードの指運を見せる。

 恥ずかしさはあるものの距離を置く理由も見つからず、観念したのかワニーはギターを構える樹の手に触れ、弦に触れようと無理に力の入った指を優しい力で伸ばして間違いを指摘する。

「ここは無理に指の腹で押さなくて良いから軽く指先で押さえて……」

 一つ一つ基本を確認していく。樹が間違っていれば、その度にそれを指摘して直そうと触るから、やさしく指と指が触れる。細くて小さい子どもっぽい樹の指と長く冷たい白魚のようなワニーの手が絡み、自分とは違う手の感触が息がかかるほどに近い相手を意識させる。

 そんな気の休まらない時間はあっという間に過ぎ去り、抑えるべき基本を一通り教え終わる。

 無意識に止めていた呼吸を戻し、一段落がつく。

「それじゃあ基本はこれくらいかな。後は具体的な曲を何度も練習して動きに自分が馴染んでいけばうまく弾けるようになるよ。練習あるのみってやつだね。何か弾いてみたい曲はある? 楽譜だったらいくらでも貸すよ」

「それじゃあ、あの、先輩が昔作ったあの曲、弾いても良いですか?」

 樹の言葉にワニーの動きが止まった。それに対して樹は止まらずに畳み掛ける。

「私あの曲が引きたいんです。ダメでしょうか、お願いします!」

 少しだけ困ったように眉を下げ、懇願し頭を深くさげる樹をワニーはジッと見る。放たれた言葉は拒絶だった。

「……あれは、あれだけはそんなに簡単に誰かに触って欲しくないんだ。俺にとってはそれだけ大事なものなんだ」

「私は和仁先輩のことを全然知りません。でももっと知りたくて、だから少しでも先輩のこと私に教えてください。絶対中途半端にあの曲を触ったりなんてしませんから!」

 樹は真っ直ぐワニーを見上げて乞い願う。そんな樹から顔を背けていたワニーは考え込み、過去と今を天秤にかけ少しだけ今が勝ったことにワニーは気づかないまま答える。

「……うん、分かった。それだけ言ってくれるなら樹ちゃんにあれ、渡してあげる。大切にしてね?」

「はい! ありがとうございます! 中途半端じゃないって見せますから、文化祭までには頑張って自分のものにします」

「文化祭? もう2ヶ月もないよ? 流石に出来るとは思えないけど……」

「勇者部五箇条『なせば大抵なんとかなる』です! やっとできた私のやりたいこと、先輩に私が真剣だってこと分からせてあげます」

「勇者部……五箇条? なんだかとても前向きな言葉だね。なんでかそういうの、すごく懐かしいや。……うん、分かった、樹ちゃんを信じるよ」

 心の底からそう思っているという様子で微笑みながらワニーはそう語る。

 ギターケースを開き、中から楽譜の束を取り出し、その中から目的の楽譜を引き出す。他の楽譜とは違い既製品の印刷されたものでなく、手で書かれた楽譜を見つけるとそれを樹に渡す。

 受け取った樹は楽譜を大事そうに胸に抱える。髪の重さだけではない、そこの書かれた旋律と込められた思いがつくる重さを確かに感じる。

 時間が経ち、家に帰った樹はさっそく楽譜を取り出し、以前から預かった預かったままであったカセットテープの歌をもう一度耳を通す。

 澄んだ旋律に混ざる悲しげな歌声。自分が今から目指すべき完成がそこにはあった。しかし樹が目指したいのはさらにその先、ワニーが今見ている場所に追いつくこと。

 壁にかけたカレンダーをめくり、2ヶ月後の文化祭の行われる日に大きく丸をつける。決戦の日まで2ヶ月。

「時間はそんなにない……。否! やるんだ、もう今までの私じゃないんだから!」

 犬吠埼樹の戦いは始まったばかりだ。

 

  ●

 

 暗い建物の奥。薄明かりに照らされた何本もの培養槽に挟まれた通路を人が歩いている。顔を隠すように被った羽衣のような布のせいで顔はおろか性別も分からない。時折培養槽が息をするようなくぐもった音を出して空気が水面へと登っていく。

 羽衣の人が進むと研究室のような部屋にたどり着く。中央には死人のように仮面をつけた少女が安置され、その周囲では仮面をつけた者たちが人間に取り付けるための機械部品を整備、もしくは新しいものを用意していた。古いものはどれも深く傷つき、どれだけ酷使されてきたのかが明白だった。

「黒百合の稼働状態は?」

 羽衣の人が問いかけると作業をしていた仮面の者たちが一斉に、まるで示し合わせたかのように振り返る。一番近くにいた仮面が代表して答えた。安置された少女を指差し。

「最悪と判断。これ以上の連続稼働は部品を取り替えていったとしてもいずれ本体、中核である『S』の致命的損傷を招く恐れがあると思われ、お役目の手法の変更、もしくは被験体の補給が必要」

 答える仮面の声は機械的でまるで音声ソフトがスピーカーから話しているような話し方、語調であった。しかしここにそれを指摘するものも気にかける者も存在しない。

 明らかに人道的に反した雰囲気を持つ「補給」という言葉。

「そう……、もうこれも限界ってことか。二年間も良く持ったと言うべきか」

 仮面の者の横を通り、羽衣の人は横たわる仮面の少女の頬をそっと触れる。あるべき人の温もりはそこになく、人の形をした何かがあった。

 小さく羽衣の人がため息をこぼす。

「そうだね、君にはずいぶんと無理をさせた。もう少しで休んでいいからね」

 語りかける口調は優しい。大切な友人に語りかけるような声だった。

 しかしそんな柔らかい雰囲気はすぐさま霧散し、凍りついた雰囲気に戻る。

「大赦に通達。現時点をもって黒百合一号機の実践稼働による敵殲滅作戦を終了。準備が整い次第、第二次黒百合計画、および勇者満開の儀に順次移行する」

 そういうと羽衣の人は部屋を去る。通路を歩きながらどこに隠れていたのか、彼と同じように神官服に仮面をつけた、背格好の同じ者たちが羽衣の人に追随する。

 暗い地の底から悪意と憎悪が動き出し始めていた。

 

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