犬吠埼樹はワニー先輩のギターを弾く   作:加賀崎 美咲

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トロイメライの夢から覚める

 静かな週末の昼ごろ。いつもなら二度寝して余分に寝ているのが常であった樹だったが、今日はそうではなかった。ギターを練習しているからだ。恐れていたバーテックスの侵攻はその影の形もなく、穏やかな日常が続いている。

 樹にとっての日常の一つである勇者部の活動もこなしつつ、使える時間の全てを新しいこと、やってみたいことに注いでいた。

 楽譜を受け取ったあの日から出来るだけ、樹はギターを手に楽譜に対峙している。夜遅くや朝早くは近所迷惑になってしまうから、練習できるのは家にいて、日の出ている時間に限られていた。勇者部の活動は放課後はもちろんのこと、週末もあるから決して練習できる時間は豊富な方ではない。むしろ目指す目標を考えれば少ないと言ってもいい。

 それでも樹は勇者部の活動もサボることなく、できる限り黙々と練習していた。時間がないから、勇者部の活動が忙しいからなどと言い訳をしたくない。いつだって誇れる自分を見て欲しいからいつも通りだった自分からさらにその先に一歩を踏み出そうという自分でありたいから。

「♪〜」

 広がる世界は愛や希望に溢れていて、そんな世界であなたに会えて良かったのだという思いを詩にして音を紡いでいく。

 一度通しを終えて、一段落つく。

 膝に乗せていたギターを横に置き、手を組んで思いっきり伸びをする。凝り固まった肩や背骨が小気味いい音を鳴らす。

「よおし、この調子でもう一回……、ってお姉ちゃん?」

 気がつけば扉が半開きになり、隙間からこちらを覗く瞳があった。気がつけばそれは一人ではなく、樹を覗く勇者部四人みんなが樹を影から見ていたらしい。

「いいわよ樹、こっちは気にせずもう一回行きましょ?」

「もう! そんな風にみんなに見られてたら緊張しちゃうよ〜」

 サムズアップして続けてと言う風に恥ずかしがった樹が頬を膨らませて怒る。

 ゴメンゴメンと言いながらみんなが部屋に入ってくる。

 まず動いたのは興味深そうな友奈だった。

「すっごいよ樹ちゃん! ギターが弾けるの?」

「弾けるのはさっき見てたでしょ……」

 天然で惚けたことを言う友奈に夏凜が呆れて呟く。しかし二人とも同じように視線は置かれたギターに注目し、興味があるのが分かりやすかった。

「最近、音楽の教本を熱心に読んでいたのはこれのためだったのね。教養を深めるのは大和撫子としていい経験だわ」

「フフフ……、うちの妹もやるったらやるのよ。大したもんでしょー」

 三森と風に褒められ、なんだか照れくさくなる樹。顔が赤くなるのを自覚して近くにあったクッションを引き寄せ顔をうずくめる。

「樹ちゃん可愛いー」

「ムゥー……」

 可愛い後輩を抱き寄せ撫で回す友奈とされるがまま気難しい表情で小さくなる樹。味方はいないのかと一人もみくちゃにされながら樹は神樹に心の中で嘆く。得てして、可愛い後輩の扱いなどはそんなものである。

「それにしても樹がこんなに何かに一生懸命になって頑張るの、お姉ちゃん感激だわ」

 大げさに泣きながらも声は実にしみじみと少し寂しそうで、それでいて同じだけ嬉しそうな様子で風が呟く。

 そこにいまいち要領を得ない夏凜が眉をひそめて、

「別に樹がやりたいことがあったっていいじゃない」

「いやー、やっぱりこうして家族、妹が成長していくとしみじみと思っちゃうのよ。あぁ、可愛かった妹が手を離れていくんだなって。そう思うとやっぱりもっと今のうちに可愛がりたくなるのが上の兄弟の心ってやつなのよ」

「……ふーん、そんなもんなの」

「そんなもんなのよ」

 思うところがあったのか、それっきり夏凜は考え込むようなそぶりを見せて何も言わない。少しだけ察した風はそれ以上何も言わず、少しだけ気を使って樹にちょっかいをかけにいく。そうして夏凜に一人で考える時間が出来る。こうした気づかいが出来るのが風のいいところなのだと傍観していた美森は微笑んでいた。

 やってきた風が一緒になって樹を撫で回して褒めて遊んでいる。してやられるばっかりであった樹がついに感情を噴火させる。

「うがぁ! お姉ちゃんも友奈さんも邪魔ぁ! 練習に手がつかない!」

 友奈を払いのけ、風を踏み台して小さく樹は跳ぶ。空中で一回転、クッションに正座で着地。「10点」

「キレの良い動き。怒りが爆発ってカンジね」

 余裕のある美森がどこからか取り出した点数のついた棒でそれを評価して、思考の海から帰ってきた夏凜が動きを実況する。

 そんなマイペースな二人など気にも留めず、樹は置いてあったギターをひったくると弦をかき鳴らす。

「私の歌を聞けぇー!」

 半ばヤケクソになっているのが伝わるかき鳴らし。しかし流れる音は旋律を描く。突如始まった演奏に驚いた四人は静かに樹の奏でる歌に耳を傾けていた。

 ところどころ指が詰まったりして拙さを感じさせるものの、一生懸命弾こうとする気概は十分に伝わってくる演奏、聞いていた友奈などは圧倒され、思わず正座して神妙にしている。

 真剣さとは伝わるものであり、樹の作る音以外の音は舞台袖に隠れるようにして消えた。

 そして演奏が終わる。

「……えぇっと、その。どうでした?」

 演奏しながら冷静さを取り戻したのかヤケクソ気味な語気は消え、いつもの小動物的な性格が見える。

「すっごい! すごいよ樹ちゃん! まるでプロの人みたいだったよー」

 いち早く感想を述べたのは友奈だった。大きく手を叩き、喜びの感情を見せ、素直な彼女は思ったままの感想を述べる。

「ええそうね、やるじゃない樹」

「……すっご。あたしにはそんな風に演奏なんて出来ないわ。そうね、やるわね樹」

 風と夏凜もそれぞれ樹の演奏を褒める。特に驚いた様子を見せた夏凜は目を大きく開いて、感心したようにしきりにうなづく。

 初めて通して人に演奏を見せ、出来の良さを褒められた樹は照れ臭そうに頭をかいてエヘヘと表情を崩している。

 なんな中美森だけは複雑そうな、どこか納得がいかないような表情をしている。

 それに気がついた樹は少し不安そうに、

「東郷先輩? もしかしてどこか音程とかおかしかったですか?」

「……はっ! いえ、樹ちゃんの演奏は素晴らしかったわ。ただ……」

 声をかけられ、我に返った美森が申し訳なさそうにしている。そしてどこか言い難いのかそれ以上の言葉が出てこない。

「ただ……、どうしたんですか? もし改善できそうな場所があったら直したいです。教えてください!」

「本当に演奏は素晴らしかったわ。本当よ? 練習すればきっと完成に近づいていくのは間違いないの。ただ……、樹ちゃんの演奏を聞いていて、その歌を聴いていたらひどく懐かしい気持ちになったの……。おかしいわよね、今日初めて聴いた歌のはずなのに」

 そう言うと美森は不安そうに胸元に手を当て、もう片方の手で動かない不随の足を掴む。手は小さく震え、不安が見え隠れする。

 この場の誰もが知らない事だったが美森は2年前に交通事故に遭い、記憶と足の機能を失ったと医者に伝えられた。そして本人からすれば事故にあったことも、その間の記憶もなく、ある日突然に数年分の記憶と足の機能を失った状況に放り込まれたに等しいのだ。そしてこの場には初めて聞くはずなのに聞き覚えのある曲。それが記憶と足を失った事実を思い起こさせ、底の見えない海の底のような果てしない不安を呼び起こす。

「大丈夫だよ東郷さん。私が隣に居るから、ね?」

 不意に横から声がかかる。

 いつのまにか横に座っていた友奈が優しくそっと、美森の手をすくい上げて自分の手で包み込んだ。不安で冷えていた美森の手に友奈の暖かさが伝わっていく。

「友奈ちゃん……」

「うん!」

 親友の間柄に余計な言葉など不要。短い応答で言いたいことは十分に伝わっている。不安な時に手を取ってくれる人がいることが何よりも美森の支えであった。もし支えてくれる友奈がいなかったら今の自分はいなかったと美森は時々思うことがあるほど、彼女に感謝していた。

 何度か深呼吸を繰り返し、美森は平常さを取り戻して樹に向く。

「ごめんなさい樹ちゃん。もう大丈夫よ」

「なら良かったです。でも急にどうしたんですか?」

「それは……」

 少し言い淀んだ様子を見せ、一度友奈を見てうなずき。

「どうしてなのか分からないけど、その歌がとても懐かしいの。初めて聞くはずなのに、……なぜこんなにも胸がしめつけられるのかしら。私が忘れてしまったものなの?」

 失ってしまった記憶を想起させる不安。樹も、親友の友奈でさえ美森が記憶がないと言う話は初耳であった。驚きはしたものの四人は美森の身の上話、2年前の事故による下半身の不随と記憶を失ったことを聞く。

 聞き終わって誰も何も言えずにいた。あまりにも重たい美森の過去に風や夏凜は言葉を失い、特に友奈は親友のそんな大事な話を自分が知らなかったことに少なからず動揺していた。

 そんな中で樹は以前見た光景を思い出していた。とても優しい表情、自分には向けられたことにない大切なものを見るような視線を美森に送りつつも、決して近付こうとはしないワニーを思い出す。

 今美森に聴かせた歌はワニーが作ったもの。そして美森はそれに聞き覚えがあると言った。ならばワニーの優しい視線と美森の感じる懐かしさが全く無関係なものではないことなど、誰にでも分かることだった。

 記憶のない事実がもたらす不安は当人でない樹には到底計り知れるものではない。しかしそれが俯く美森を見ればそれがどれだけのものなのかは見て取れる。

 もしかしてそうなのかと思い、棚からカセットテープとその再生機を取り出して美森に差し出す。

 差し出された美森は意味がわからず樹を見る。

 樹は美森に頷いて、

「これを聴いて欲しいんです」

 それだけ言うと樹は美森の動きを待つ。少し呆然とした美森は流されるがままにカセットテープを受け取り、耳にイヤホンを挿して再生ボタンを押す。録音された和仁の声とギター旋律が流れる。

 美森は感じる。樹のまだ拙さ残るものとは違う、完全な演奏と歌声。先ほど感じたものよりもさらに深い懐古の念が湧いて治らない。しかし、いくら思い出そうとしても、この歌を歌っているのが誰なのか、自分とどう言う関係があったのかも何も思い出せない。

「鷲尾和仁先輩です。その曲を作ったのは」

「鷲尾、和仁……」

 樹はそれが誰によるものなのかを伝える。その名前を聞いてもやはり美森は何も思い出せない。記憶がないことにによる無力感を感じながら美森は小さくその名を反芻する。

「ちょっと待って、今鷲尾って言った?」

 ここで意外にも割り込んだのは姉の風だった。その表情にあるのは困惑だった。

「あの鷲尾? でもあいつ一年の終わりからほとんど学校にきてないわよ? 樹、あんた一体どこでアイツと知り合ったの?」

「︎どういうこと? 私はいつも屋上で……」

「どうもこうも、一昨年から鷲尾のヤツ病気か何かでほとんど学校に来てなくて、たまにしか来ないから出席もギリギリって感じのはず」

「そんなはず……。いつも屋上で会ってるよ。ほ、ほら! 写真だって……」

 震えた声で話す樹。ポケットからスマホを取り出し、以前撮ったワニーの写真を見せる。しかし差し出された写真を見て今度こそ、風は納得のいかない表情をする。

「……なんか違う? これやっぱり鷲尾じゃないわよ。髪もこんなに長くなかったし、顔も少し違うような……」

 写真をよく見るが風は更に首をかしげた。

 さらに何だろうと友奈が覗き込み大きく声をあげた。

「この人何だか東郷さんに似ているね。ほらここの目元とか」

 指差した写真に写った目を指差し、美森を交互に見る。何度か見比べて樹はハッとしてようやく似ていることに気がつく。むしろ今日までこれほど似ているのに気がつかなかったのか、ほとんど毎日会っていたはずなのに自分でも分からなかった。

 そして改めて写真を見て気づく。目元や笑みの浮かべかた、全体的な雰囲気が確かに美森と似たものがあった。

「何だか兄弟みたいだね」

「友奈ちゃん、私に兄弟はいないわ。それにもしも、隠し子がいたのなら家族会議ものよ」

「でも何にも関係がないって感じでもないわね。親戚とか?」

 夏凜がそういうと誰も何も言えなくなる。写真を見て、それが誰なのかという疑問が出る。

 今日まで鷲尾和仁だと思っていた人物が本当にそうなのか確かめる確証は誰も持っていなかった。ただ唯一樹だけは確認する手段を持っていた。

「分からないなら直接聞きます!」

 分からないのなら本人に直接聞けばいい。電話帳に登録したワニーの番号を呼び出し電話を掛ける。

 スピーカーの先からコール音が続き、何度か繰り返される。しかしそれが変わることなく、何度も、何度も繰り返される。

「どうして出てくれないの先輩……。っえ⁉︎」

 突如、電話のコール音をかき消すように鳴り始めた警告音に樹は驚いて声をあげてしまう。最近聞き馴染みのなかったそれを聞き、勇者たちは身構えた。樹海化警報の警告音、つまる敵であるバーテックスが襲来したことを意味している。

 ここの1ヶ月はなかった襲来がどうしてよりにもよって今なのかと思う樹だった。そして数秒も置かず世界は光に包まれ、光が収まる頃に樹たちは神樹によって樹海化された四国に飛ばされていた。

「ねえ、ちょっとアレ見なさい!」

 樹海に到着し、一番に敵に気がついた夏凜が遠くを指さす。その声は少し震えている。当然だ。今日までおおよそ敵は一度に一体から三体ほどやってきた。しかし今、目に見える敵は明らかにその倍。六体の敵がそこにいるのが分かる。

 これまで無かった敵の大規模な侵攻。今まで以上の厳しい戦いが待ち受けているのは明らかだった。

「早くこれを倒して和仁先輩に会わないと……」

 しかしそれ以上に樹の心を揺らいでいたのは謎に包まれてしまった和仁の存在であった。

 早く戦いを終わらせ、ワニーに会う。樹の頭の中にあったのはそれだけであった。

 勇者たちの意思とは関係なく、状況は変化しはじめていた。

 


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