敵を撃退して鷲尾兄妹が互いの無事を確かめているとすぐに異変を察知した大赦職員たちが駆けつけた。
彼らが初めに見たものは上半身裸で血を流し終えた和仁と抱きしめられ、神樹館小学校の制服を真っ赤の染めた須美の二人であった。色白い肌と白い制服が赤く染まっているのは一目見て衝撃的であり、駆けつけた職員たちが彼らが大怪我をしていると勘違いを起こすのは当然であり、二人は有無を言わされずに準備していた救急車によって迅速に病院に運ばれた。
学校から駆けつけた安芸と大赦職員の運転する車に乗った銀と園子が病院にやって来る頃には病院着に着替えさせられて二人は呑気に待合でジュースを飲んでいた。
それを見た安芸は安堵を覚え、次に事情を聞いて紛らわしいことをした和仁を説教した。お役目を果たしたことは立派だが、その結果他の人を心配させてはいけないと安芸は和仁に言う。
安芸の言うことはもっともであり、須美はしょぼくれながら説教を聞いていた。一方で和仁は久しぶりに安芸に会ったことでニコニコと笑っていた。説教をしているのにむしろにこやかになっていく和仁を見て安芸は遣る瀬無さに大きなため息を吐いた。糠に釘ならぬ、和仁に安芸である。
しかし説教をする一方、安芸はお役目に従事する勇者と宮司、全員が無事に帰ってきたこと確認する。それを良かったと思い、ホッと息をつき、説教に区切りをつけて和仁と勇者たちに言った。
「全員無事によく帰ってきました。先生はあなた達を誇らしく思います。 和仁君? ちゃんとみんなを守り、自分も帰ってきましたね」
優しく微笑む安芸にそう言われ、和仁は少し驚いたように見つめ返した。
そして表情を戻して、笑って言う。
七年前の続き。生きて未来を見る。和仁と安芸の約束。
「はい、先生。 僕がここにいて、そしてこれからそこにいる理由、先生がくれた大切な僕の理由ですから」
二人は微笑んで時間を経て更に強く、堅く結ばれたそれを確かめ合う。約束の経緯を知らない三人は二人の言い回しに疑問を覚えるがそれは二人の秘密だと二人とも笑いながら詳細を語らなかった。
気になることこそあれど三人と一人の無事が確認されたことで簡単な検査の実施だけで必要な処理が終わり三人はそれぞれの家に戻された。
三人を見送った和仁は安芸は職員の運転する車に乗って大赦本部へ直行した。移動する車の中、時間の許す限り和仁は戦いの詳細を記録として記していく。
これからも戦いは続く。なればこそより生存率を上げるために次の戦いの参考となる情報を形にして残そうと和仁は戦いの最中にあったことのすべてを思い出せる限り記す。
もし何か情報が抜けて次回の戦いにおいて致命的な欠陥となれば誰かが死ぬ。妹を含めた三人の勇者の命がかかっていると分かっているから記述する手は止まらない。手を抜けるはずがなかった。
鬼気迫る記述が8ページ目に突入した頃、車は大赦本部に到着した。開いていたノートパソコンを閉じ、安芸についていく。
目的の部屋に入ると準備していた大赦の仮面を纏った神官たちが地に伏して和仁を迎えていた。
当然と言えば当然である。多くから望まれていたものとはずれてしまったものの、鷲尾和仁は大赦内にて高い格式を持つ鷲尾家の長男であり、神樹を構成する神々の寵愛を受ける神稚児であり、人類をバーテックスから守る戦いを行う勇者たちを支える宮司である。
彼一人が持つ発言力は優に他の神官や巫女を超え、彼の半生を多くの職員が知っているからこそ大赦内にて彼に逆らおうとする人もいなかった。
故に一種の現人神の様に和仁は扱われていた。用意された席に和仁が座ったのをきっかけに伏せていた神官たちが座り直す。
最も上座に座っていた神官が開始の言葉を述べて報告会、兼次回以降の戦いについての会議が始まった。
宮司システムを通して記録された映像などの情報がホワイトボードに表示され、戦闘の一部始終が共有される。映像を見終わり、和仁の所感を記載した即席の文章を見て宮司システムと勇者システムの想定よりも低い出力や連携の弱さ、ダメージの肩代わり機構の和仁側の緩和などの浮かび上がった問題点が提示され、それぞれの担当部署に通知が行われた。
報告会が終わり、用のない者から退席していく。和仁も帰ろうと立ち上がろうとした時に横から声をかけられた。
統一された大赦の仮面と神官服のせいで一瞬、誰なのか判別がつかなかったが声を聞いてすぐに誰なのか気づく。
上里機関長、大赦の最高責任者であり大赦内においてツートップの発言力を持つ上里と乃木のうちの片割れであった。
手招きされ、和仁は応接室に案内された。
神官服と仮面を脱ぎ捨て、中から上物のスーツを着た中年が現れる。ここ七年でめっきり老け込んだ上里を見て和仁は申し訳なく思う。神稚児として和仁がある程度自由に動けていたのはその立場と最高責任者である上里の助力があってのものであり、その分上里に苦労をかけさせていると老け込んだ顔を見ながら思う。
そんな和仁の内心を知ってか知らずか、上里は息子に接するような態度で和仁にいつも良くしてくれていた。急須で入れたお茶と羊羹を机の上に出し終えて席について上里が一息つく。
「最近の調子がどうかな、和仁君?」
「特に問題はないです。宮司システムも勇者システムも想定通りの稼働、誰も欠けることなく敵の撃退に成功しました」
真面目に返答する和仁に上里は苦笑する。
「宮司としての君ではなく、普段の君について聞いたつもりだったのだがな……。妹の須美君とは仲良くやれているのかい?」
「……あ、あぁ。そっちでしたか、ここで話すことだからてっきりお役目に関してのことなのかと思ってました。そうですね、特に変わりなくやれていると思います。須美とも少しづつ兄妹らしく出来てきているかと……」
「そうかそうか、それは良かった」
羊羹をつまみ、お茶を啜りながら上里は息子のように思っている和仁の近況報告に耳を傾ける。どこか事務的な距離感がかえって年頃の息子と父親のようであった。羊羹とお茶を進めながら和仁は他愛のないことを話して上里が相づちを返す。
「そういえば君が推し進めていた神婚の儀式は凍結される事になったよ」
和仁の他愛ない話を聞いていた上里がなんでもないようにそれを言った。その一言が話し手であった和仁を利き手側に変えた。唐突な報告に和仁は眉をひそめて上里を見る。
半分睨みつけるように自分を見る和仁にまあまあとなだめながら上里は続ける。
「神稚児と天の神の霊的婚姻による敵の無力化だったね? 発想は素晴らしいと言わざるを得ないが神樹様以外の神に対して君の体質がどこまで通じるか分からない事と単純に君を失うリスクを天秤にかけた結果、これまで通り勇者システムの改良による敵戦力の殲滅の方がより確実と言う結論になった。神婚が凍結されたのはそういうことだ」
「……そうですか。なら僕は引き続き宮司として勇者たちを守ればいいんですね。大丈夫です、僕ら四人でなら必ず勇者システムの完成まで生きて帰ってきます」
そう言う和仁に上里は少し驚いていた。自分の知る鷲尾和仁はこのように前向きなことを言う少年だっただろうかと思い、すぐにその好ましい変化の原因に思い至って笑う。
「そうかそうか、遠縁だからと東郷美森を鷲尾家の養子に入れたのは正解だったようだ。まさか君の口からそのように前向きな言葉が聞ける日が来るとは七年前からは全く想像していなかったが、いやはや長生きはしてみるものだ」
「上里さん、彼女は僕の妹の須美ですよ。はい、自分でも今みたいにものを考えられるようになるなんて思いもしなかったです」
妹の名前に訂正を入れ、それから和仁は自身の変化への所感を好ましいことだと伝える。何もかもを背負い、人々のために己の血を流すことを受け入れた神稚児、鷲尾和仁。
家族という持っていなかった楔はどこかへ消えようとしていた彼を確かにこの大地に結びつけていた。そしてこの大地を愛し、自身も根を下ろそうとしていた。
和仁の答えに満足したのか上里は立ち上がって時計を見た。今から研究所に向かえばちょうど夕食の時間になる頃合いであった。それに気づいた和仁も立ち上がり部屋を後にする。
「ではまた次回の報告会で」
「あぁ、君の幸福と生存を願っているよ」
短く別れを告げ、和仁は応接室を後にした。和仁が帰り、一人応接室に残された上里は皿や茶飲みをお盆の上に乗せ、ソファーに深く腰を下ろし、天井を見上げながら肺の中の空気を絞り出すように吐き出した。
天井を見上げながら上里はこの七年間に思いを馳せる。思えば長かったものだと一人呟く。大人たちが和仁にしてあげられた事はあっただろうかと思索する。
大人たちが和仁にかけたものはいくつもある。期待、失望、日常生活における不便、人類の未来、戦いの責任どれひとつ取っても決して軽いものなどではなく、子供一人など簡単に押し潰してしまいそうなものばかりであった。
それに対して大人たちが与えたものはなんだっただろうか。大赦内での発言権、鷲尾須美という義妹、戦うための力である宮司システム、どれか一つでも和仁が自分から望むようなものだっただろか。
子供を戦わせなければならない事に大人たちは罪悪感を覚える。代わってあげられるのなら代わってしまいたいと思っていても、現実として年端のいかない子どもたちを戦わせている。
結局大人たちは彼らを支度を手伝い、戦場へ送り出すことしかできない。自分の先祖であり、かつて西暦の終わりに勇者たちと共にあった巫女の上里ひなたのようであると自笑する。こと戦い以外のことで勇者たちを支えることはできても一緒に戦うことはできない。ただ見送り、戦いが終わるまで帰って来るかも分からない勇者たちの無事を祈るだけしか出来ない事実が上里に無力感に苛まさせる。
上里の家は三百年を経ても変わらず傍観者、戦いからは一歩離れた場所にいる。死ななくて済むという安心感と子供を戦わせる罪悪感の板挟み。戦わない者にも戦わない者なりの、傍観者でいることしかできないことへの無力感があった。
だからこそ戦い以外での彼らの幸いを願う。歪ながらも昔より人らしく笑うようになった和仁を思い出し上里は安堵に息を吐く。
「あぁ、良かった……。神樹様、どうか彼を無事にお守りください……」
意味の無い勝手な自己満足でしかないけれども、和仁の前向きな変化を好ましく思い安堵する。そしてそれがこれからも続くことを神樹に祈る。
巫女でも、ましては勇者でもない上里の祈りが大した意味も持たないことは己が一番よく知っている。それでもどうか無事に全てが終わって欲しいと神樹に願う。
その姿は年齢、性別は違えども確かに上里の名を継ぐ者であった。
次の日の放課後、和仁は三人の勇者と共に大型ショッピングモール、イネスへやって来ていた。
フードコートの中の机の一つ、両手で文らしきものを持った須美の代わりに彼女のジェラートを持った和仁がパチクリとしながら座っていた。正面に銀、斜め前に園子、そして真横に須美がそれぞれ席を取り机を囲っていた。
両手に綺麗に畳んだ紙を広げて須美が読み上げる。
「えー、本日はお日柄もよく、先日の御役目の成功につきましては皆様の……」
祝勝会であった。朝起きて須美から放課後にイネスまで来て欲しい電話があった時には何事かと思ったが要は祝勝会に参加して欲しいとのことだった。
生真面目な須美はお堅い文体の祝辞を用意してそれを読み上げていた。
「もー、須美! そんなお堅くしなくたって勝ったー!、やったー!でいいじゃん!」
「お兄さん、すみすけのジェラート一口ちょうだい!」
「えっ! それは須美に聞いたらいいんじゃないかな?」
それを気にせず三人はマイペースに祝勝会を始めていた。
思ったような祝勝会にならず、須美はむくれて和仁に預けていた自分のジェラートをひったくってから乱暴に貪る。
「あ〜、そのジェラートも美味しそうだったのに〜。すみすけも私のメロン味食べていいから〜、交換っこしようよ〜」
「別に交換くらいいいわよ、それよりもすみすけって私のこと?」
「そうだよ〜、私お友達ができたら、あだ名とか付けあってみたかったの〜」
「そっ、そうなの。でもすみすけはちょっと……」
須美の拒否を受けて園子はうんうんと唸りながら新しいあだ名を考え始めた。須美もあだ名をつけられること自体に忌避感はないようで次のあだ名は何かとその子の口から出て来るのを待っている。
そんな二人を見ていた和仁と銀。ふと気になったことを銀は聞いてみた。
「えーっと兄さん?」
「なんだい?」
「兄さんはジェラート食べなくていいのか? アタシらが食べてるのに兄さんは水だけっていうのもなんだかなー……」
三人がそれぞれジェラートを持って食べていた一方、和仁は机の上に水の入ったペットボトルを置いて時々それを飲んでいた。
銀の気遣いに和仁は笑ってやんわりと断った。
「あぁ、ごめんね気にさせちゃって。ジェラートってバターが入ってるでしょ? だから僕は食べられないんだ。銀ちゃんは気にせず食べて?」
「……え、食べられないってどういうこと? アレルギーってやつ?」
和仁の言う言葉が理解できず、銀は驚いて狼狽える。
それに対して和仁は困ったように言葉を続ける。
「僕は身体を穢せないんだ。だから殺生した生き物は食べれらなくて、出来ないことも多いんだよ」
自嘲気味に何度目かになる自身に課せられた制約を話す。
和仁の生まれついた制約に銀はかける言葉がなかった。自分が持っている当たり前が無いことへの衝撃は凄まじかった。何か言わねばと思い、銀は絞り出すように言葉を紡いでいく。
気がつけば話していたはずの須美と園子もじっと和仁を見ていた。
「そんなの……辛くないのか?」
「うーん、ずっとこうして来たから今更、辛いとは思わないかな。それが僕に与えられたあり方だから……。それに御役目が終わればそれも続ける必要もなくなるわけだから、こうしてやりたいことはノートに書き残しているんだ」
そう言って和仁はカバンから冊子ほどの大きさのノート取り出して見せ、その後に須美を見た。須美はそうだと答えるように頷いてみせた。
その二人の様子に銀は何故だか自分の中にしこりが残るような小さな不快感を感じていた。
それが気になってもう少し聞いてみようとして、それを園子が遮った。
「あっ! そうだ、わっしーっていうのはどうかな?」
「……もしかして私のあだ名?」
「そうそう、すみすけが嫌だったから考えてたんよ〜。どうどう? わっしー!」
「まぁ、それなら……。なら私はそのっちってと呼べばいいのかしら?」
「わーお! わっしーったら以外とだいたーん!」
園子の閃いたあだ名を須美はすみすけよりはいいかと納得していた。少しからかうつもりでつけたあだ名が好評だったので面食らう。
思いついたあだ名が受け入れられ、さらに自分もあだ名をからかい半分につけて貰えた園子は実に嬉しそうにしていた。
そんな二人を和仁は微笑ましそうに見守っていた。妹の幸せそうな姿に我のことの様に好ましく思っていた。
そんな和仁を見つけ良いことを思いついたと園子は両手を打った。
「そうだ! せっかくだからお兄さんにも何かあだ名をつけてあげる〜!」
「ちょっと、そのっち。 お兄様に失礼よ!」
「いいよ須美。せっかくなんだから。僕にあだ名をつける人なんて今までいなかったんだ、ちょっと楽しみだよ」
自分の様に独特なセンスのあだ名をつけられるのではと思い、須美は園子をたしなめたがそれを和仁はまあまあとなだめた。
ちょっとワクワクした様子の和仁に見守られながら園子はうんうんと考えこむ。
そして暫くして閃いたのか手を叩いた。
「そうだ! ワニー先輩なんてどうかな〜!」
「和仁を音読みして『わに』ってこと?」
和仁の問いかけに園子は鼻をフフンと得意げに鳴らした。
「ふふふ……、それだけじゃないんだな〜。ワニー先輩には50点をあげちゃう〜」
「ええっと、それじゃあ残りの50点は?」
「正解は
園子の言葉に和仁はパチクリと瞬きして少し呆けた顔をして、それからとても嬉しそうに笑った。
血の繋がらない兄妹である和仁と須美。二人を繋げる絆は心と心の繋がりである兄妹であろうとする在り方一つであった。
そんな二人の名前を引っ掛けたあだ名の存在は血の繋がり以外では、初めての二人を結びつける確かな絆であるような気がした。
そうかそうかと納得がいった様子で和仁は頷いた。
「須美の兄だからワニーか。うん、すごくいい、すごく好きだよ」
口の中で転がす様に何度かそのあだ名を呟いてみる。
ワニー、ワニー。
神稚児の鷲尾和仁でもない、宮司の鷲尾和仁でもない、鷲尾須美の兄の鷲尾和仁としての自分を示す名前。
唯の人である自分を表すその名前をいたく和仁は気に入った。
思っていた以上に好感触な反応に園子はやったぜとハイタッチがしたくなり、ノリの良い銀がそれに答えた。
自分の名前と掛け合わせたあだ名を喜ぶ和仁を見ていた須美はなんだか恥ずかしいような嬉しいような気がしてもじもじと小さくなっていた。
そんな須美を発見した園子がまたからかい、銀もそれに便乗した。普段お堅いクラスメイトが恥ずかしくなって慌てる姿は格好の的になっていた。
そんな小学生らしい三人の様子をニコニコと笑いながら和仁は見ていた。
話が弾めば時間の流れは早いもので、気がつけば時間は夕刻の真っ只中になっていた。夕食に遅れては不味いと楽しい祝勝会はお開きとなった。
車の迎えが来た園子を見送り、方向の違う須美と別れ、和仁と銀は夕暮れに赤く染まる道を進んでいた。
四人でいた時の元気さとは打って変わり、銀が口を詰んで何も言わないため、和仁は何も言えないでいた。
どうしたのだろうと時々、和仁は銀の方を見るが銀が俯いているために何も言えず、前を見てはまた振り向くを繰り返していた。
蝉の鳴く声を背景に二人は歩みを進める。
二人の道が別れる十字路について銀が脚を止めた。和仁が銀を見る。
「そうだよな、思い悩んで迷うなんて、この銀様らしくないよな!」
俯いてた銀が決心した様に前を見て和仁と目を合わせた。どうしたのかと和仁は首を傾げる。
「なあ、兄さん。この後まだ時間あるか?」
「僕は大丈夫けど銀ちゃんは? この時間だと親御さんが心配するんじゃないの?」
「うちは両親とも忙しいからまだ大丈夫、そんなに時間はとらないよ」
そう言って銀は和仁を連れ、二人は自宅近くの公園の遊具に座った。
ギコギコと鳴る錆びたブランコに乗り、浮いた足をぶらつかせながら銀は確認するように聞いた。
「なぁ……、兄さんはどうして今みたいになったんだ?」
「神稚児としての僕ってこと? そういう風に生まれたからとしか言えないよ。人のために血を流すことが僕の使命なんだよ」
「そうじゃなくてさ。誰かの為に何かをしようとしてるのに、兄さんちっとも嬉しそうじゃないよなって思ったんだ」
「嬉しそうじゃない? どういうこと?」
銀の問いかけに和仁は意図を理解できずに聞き返す。嬉しそうではないという言葉の意図が和仁には分からなかった。そんな和仁の様子に銀はやっぱりという表情を作り、言葉を続けた。
「アタシはさ、よく困ってる人に会うんだ。放っておけないから助けようとするんだけど、助けると大抵お礼を言われるんだ。そうしたらやっぱり良いことしたなって気持ちになるんだ」
「……それで?」
「だからさ、アタシは誰かを助けるって行為が好きでやってるんだ。だけど兄さんは義務だからとかそういう生まれだからって自分がどう考えるかが後に来てるんだよ。兄さんって結局お役目が終わった後のことを言うけどさ、本当にそのノートに書いたことを実行しようと思ってるのか?」
銀の問いかけに和仁は少し声を大きくしながら答える。
「そうだよ、このノートに書いたことは僕がやろうと思ってることなんだ。全部終わったらやるんだ、君たち勇者を支えて終われせてそうしたら僕は人並みになれるんだ!」
まるで自分に言い聞かせるような言葉だった。その言葉を聞いて銀は自分の中にあった不愉快なしこりの正体を理解した。
「やっぱりだ、なんか変だと思ってたんだ。今のでやっと分かった。兄さん何もかも自分で背負って行こうとして、しかもそれを義務だと思ってるだろ」
「何がいけない。僕は神稚児なんだ、僕には生まれ持った責任がある。僕は望まれてこれをやってるんだ」
「周りがどう見てるかなんて考えたこともないか?」
「喜んでるはずだ。僕は知ってる、生まれる前の僕が何に期待されていたのか」
「何があったかなんて知らないけど、色々あって今は宮司をやってる?」
「僕が初めに望まれた形とは違う、本当なら君たちが危険なことをしなくてよかったんだ。本当なら僕一人が居なくなって、何もかもがうまくいくはずだったんだ。でも僕はみんなの期待を外したんだ」
懺悔するように俯いて和仁は言葉を途切れさせる。銀には和仁が両手で握ったブランコの鎖が罪人を吊るす磔刑台の拘束の様に見えた。
和仁の言葉を聞いてそれは違うと銀は確信する。ブランコから立ち上がり、銀は和仁の正面に立つ。
見つめていた足元が影に隠れて和仁は顔を上げて銀を見た。
「兄さんはさ、自分が期待を外したとか、自分がやらなきゃって言うけどさ、兄さんが傷ついてまでそんなことする必要なんかないよ」
「なんでだよ、言っただろう? 僕はそういう風に生まれたんだ、そうしなきゃいけない。そうしないとみんなの期待に答えられないんだよ」
「みんなの期待に応えようとしても、それで兄さんがずっと辛そうにしてたら周りにいる奴ら、きっとみんな心配してる。そんなのは誰も嬉しくなんてないよ」
「そんな人いるはずない。僕がこうすることを望んだのに、今こうしているのにそれを悲しむなんておかしいじゃないか」
「そうすることが悲しいんじゃないんだよ、兄さんがいつも苦しそうにしてることが悲しいんだ。知ってるか兄さん、兄さんいつも笑う時、いつもまるで枯れそうな花みたいに笑ってる」
言われハッとする。思わず確かめるように頬に触れる。分からない、自分がいつもどんな風に笑っていたかなんて考えたこともない。自分が他人にどう見られているかなんて気にしていない証だった。
「ほらやっぱり……。兄さんが思ってる以上に周りはきっと兄さんを心配してるよ。アタシは須美や安芸先生ほどお役目、お役目って感じじゃないからさ。あの二人はそういうところ分かってても兄さんにやめろとは言えなさそうだからアタシが言ってやるよ」
一度だけ言葉を区切り、銀は言いたかったことを簡潔に言葉にした。
「兄さん、辛かったお役目なんて放っぽりだして良いんだよ。そんな辛そうにしてるとこ、アタシは見たくない」
いらないという言葉ではなく、不要という言葉ではなく、期待はずれという言葉でもなく、ただやめてほしいと願われた。自分が傷つくことも厭わないあり方なんて周囲からすれば良い迷惑だと銀は言う。
そうすれば良いと持っていた和仁にとって自分を大事にして行けなどという言葉は自分を根底から否定されているようだった。人のための神稚児、人のために血を流す人、最も生贄に適した存在。
足元が崩れ落ちるような気がした。力なく和仁はうなだれる。
自身に課せられたものを放り出したいとも言えず、そうじゃないと反論することもできない。誰かのためにいることが自分の在り方だと思っていた。そうすることが義務だった。だからこそ、自分がどう思うかなどは二の次でしかない。
望まれてそうしなければと思うのなら、逆にそうしないでほしいと望まれたのならば和仁はそれをできない。何であろうと。
力なく途切れがちに言葉と紡ぐ。
「だったらどうしたら良いのさ……。本当に望まれた在り方はどうしようもなくて、今こうして期待に応えようと宮司をやっていても痛々しいから止めろだなんて、僕にどうしろっていうのさ」
「アタシがどうしてほしいかを答えても何も変わらないよ。兄さんがどうしたいかって、誰かに望まれたからじゃない自分の理由を見つけないと何にも変わらないよ」
考えても何も思い浮かばない。当然である。これまで和仁が自身で望んだものなど何もない。ただ周囲から望まれ、そうあれば良いと自分に課してきた。今の今まで自分のためというものがない人間であった和仁にとって自分のために何かをしようとすることができない。
自分だけでは望み一つ持てない自分に失望して力なくうなだれる。
「僕に欲しいもの何て何もないよ。望むものなんて何一つない。結局、今の僕を形作る何もかもは他所から願われたもので、僕が望んでやっていることなんてないよ」
「ならさ、兄さんが宮司としてアタシらを守ってくれるのは義務だからか? アタシらが敵が怖くて前に進めなかった時に背中を押してくれたの、すっげー安心したんだ」
「そんなものなくたって君たちはきっと敵と戦ってたよ。何たって君たちは神樹様に選ばれた勇者なんだ」
「そうかなー、でもアタシは確かに安心したぜ。だってあそこにいたのはアタシら三人だけで、後ろから誰かが背中を押してくれるなんて思ってもみなかったんだ。アタシが感じた気持ちは本物だよ。兄さんがどう思ってるかなんて関係なくて、兄さんがそこにいてくれたことが大事なんだ。兄さんがアタシらを守ろうとする気持ちは義務? それとも兄さんのやりたいこと?」
二択を突きつけられ、和仁は言葉に詰まる。目を伏せて考えてみる。三人の勇者、自分が成れなかった勇者のお役目を果たす少女たち。
とても素敵な人たちだと思う。須美も、園子も、銀も三人ともとても良い子達で無闇に傷ついてほしくはない。そんな三人を無事に帰すことが宮司の役目であり義務であると思う。
しかしそれだけだろうか。義務だとか役目だとかだけが彼女らを守る理由なのだろうかと自問する。
答えはよく分からない。でも無事でいてほしいと和仁は思う。
「義務だと少なからず思ってる。……だけど確かに僕は君たちに無事でいてほしいと思ってるかもしれない」
「そっか」
短く銀は頷いた。和仁がどう思っているかが少しだけでも垣間見得て、とても満足そうに頷く。
「ならさ、アタシはこれから兄さんに頼るから、兄さんもアタシを頼ってくれよ」
「僕にできることなんて少しだけの支援だよ。君に頼られても期待に応えられることなんて出来ないよ」
「できるさ、兄さんがアタシら勇者が神樹様に選ばれたから凄いんだって言うんなら、宮司になった兄さんだって同じくらい凄いってことだろ! だったらそんなのが四人もいたらきっとなんだって出来る!」
そう言って銀は和仁の手を握って引っ張った。手を引かれ、和仁は立ち上がる。
手を引かれたことに驚きながら、ずっと好きになれなかった自分を肯定されて胸がいっぱいになる。
顔をあげ、視界いっぱいが綺麗な夕焼けに染まる。笑いながら力強く銀の手が和仁を留まっていたブランコの上から引き上げる。
望まれることでしか在れなかった自分の殻から外に出たような気がした。夕焼けに染まった道を手を引かれながら走り出す。
自分だけでは絶対にやらないようなことをしているだけで違う自分になったような気がする。
たったそれだけのことでなんだって出来る様な気がした。悲しみに寄り添うのではなく勇気を銀はくれた。
どこかここではない遠くへ走り出す勇気、それだけでただ道を走っているだけのことが特別なことに思える。
勇者に選ばれる素質があるのだとしたら、その一つはきっと誰かに勇気をあげられる人なのだろう。少しだけ夕日と熱に頬を紅潮させた和仁は銀に手を引かれながらそう思った。
勇気を与えてくれる人がいるだけで人は前を向いてすたすたと歩けてしまうものです。
自分のやりたいこと見つけることに人生を楽しむ秘訣があるそうな。
小説の書き方の研究の側面があるので読みにくい、読みやすいの意見を大募集。
もちろん感想、誤字報告も大歓迎です。それではまた次回。